COLUMN 1−D 1800
平成23年12月21日・記
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やっと、ロウバイの花が咲きました
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↑ロウバイの花、まだ数輪ですので辺りをあの香が漂うということはありません。 鼻を近づけやっと微かに確認できる程度です。

↑やぶ椿
今冬の我が家の庭では照葉樹の花が例年の3倍ほどの花をつけました。
まずは、11月頃から早咲きサザンカが咲き始め、12月に入ると入れ替わるように「やぶ椿」が次つぎと花をつけています。

↑あまりも込み合っているので蕾と花を付けている枝以外は剪定。
とは言え、蕾や花のついている枝を切り落としてしまいました。
この選定は来年にも良い結果をもたらすのではないかと期待します。

↑ウメモドキ
今年はお山に食糧と成るものが多いのか、小鳥たちがウメモドキの実を食べにきません。 全て食べられると寂しいですが、全然食べにこないことも寂しいものです。
COLUMN 1−D 1799
平成23年12月19日・記
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こんな提案をしました。
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以下のメールが藤原直哉さんから届きました。
『あっという間に今年も暮れ、来年の準備をしなければならなくなりました。
来年の藤原学校ですが、2日目、日曜日の昼は自炊するという戦略を入れたいと思うのですが如何でしょう。
畑の野菜はもちろんのこと、様々な食材、料理法を使って、毎月何か楽しく自炊するのがよろしいと思うのですが。
時間は11時半から1時までの1時間半で出来るもので行きたいと思います。
これは遠山郷のスタッフの皆さんと地元の方のご協力がなければできないので、是非ご意見、ご提案をお聞かせ下さい。
来年の通年のテーマは「遠山郷で懐かしい未来を感じる」にしようと思っています。』
早速2〜3人の方から提案がありました。
私は以下のメールを送りました。
「来年の通年のテーマ、「遠山郷で懐かしい未来を感じる」とは逆かもしれませんが、これから何が、どのように起こるか予測もつきません。
そこで、こんな提案をさせていただきます。 自炊の件です。
私はほとんど料理出来ませんが、特に昭和20年代にこんな食事をしていました。
・お粥は・大根と大根の葉っぱがたっぷり入ったお粥
・芋粥(サツマイモ、サトイモたっぷり)
・稗、粟のお粥
・ワラビ粥
・ご飯では・大豆飯 ・シイタケ飯 ・茶飯 ・缶詰飯(マグロフレークを炊き込む) ・ヘボ飯 ・アユ飯(これは茶漬けでした)
・栗飯(今では贅沢品でしょうか)
・スイトン
・春先の新芽のてんぷらなどは都会の方にとっては高級料理になるのではないか。
・以上は主食とはならないでしょうが、話題の一つにでもなるのではないでしょうか。
若い方にとっては過去のこととしての記憶ではなく、「懐かしい未来??」、メタボ解消料理かもしれません。
この提案に以下の意見が寄せられました。
『基本として今一度習得しておくべきことは、「釜戸を使って薪で飯を焚く」事が原点ではないでしょうか?
ガス、石油、電気が使えなくなった時の予行演習。 釜戸の他にも七輪、ロケットストーブも利用できる。
釜戸で炊いた飯と汁、それに漬物と他に畑や山からの季節の野菜料理の1品。
霜月祭りのサンマ飯は、何故あんなに美味しいのでしょうか?』
地元の方が持ち寄る漬物の美味しさは毎回感心します。 白い飯にお茶漬けを思い出すと口にツバキの存在を感じます。
その夜は御馳走と宴会ですから、軽い食事が健康の為にもGOODです。
「こんなことをいう人間は”古い人間でしょうかね〜”(鶴田浩二より)
追伸
今、以上をアップした後、同じ遠山郷の別のスタッフから『たった今、移動式のカマドを手に入れました。 これをお使いください』とメールが入る。
これでお粥ぐらいは何時でも出来そうです。
COLUMN 1−D 1798
平成23年12月18日・記
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その後、なんとなく気になっていること
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このホームページの12月15日、藤原直哉さんの「観光立国論」、や石森秀三の「観光ビッグバンと文明の磁力」を取り上げた後、なんとなく書き足りなかったと気になっている。
三日が過ぎても特に何が気になるとか、言いたいことはこれだったというものがハッキリとしてはいないが、今朝もこうして入力を始めた。
明治維新以来、西欧に追いつけ追い越せと突き進んできた日本、その間に太平洋戦争という愚かというか、今になってみると理解不可能な行動をしたものだと思わざるを得ない。
そして、敗戦を迎え、ゼロからの出発をした我が国は、特に冷戦構造という世界情勢と環境の幸運に恵まれて短期間のうちに経済大国として世界が認知するまでの存在となった。
そして、1989年の第2次世界大戦後、世界で最初のバブル崩壊に見舞われた日本は世界の最先端を走っていたことに気付かされた。
その後,今日騒がれているヨーロッパ諸国の行き詰まり、一極支配と言われたアメリカの衰退、BRIC,sと言われる新興国も所詮行き詰まった経済・金融制度等の後追いをしているのだから問題露出は時間の問題であろう。
世界の先頭を走っていたと気づかされバブルが弾けた日本は、その後進むべき道を他に求めても何処にもそのモデルはない。
失われた20年と言われるが、問題の先送りと旧来のやり方の踏襲とリストラばかりで新たな取り組みに挑戦せず無意味な時間のみが費やされた。
3:11という東日本大震災に見舞われたが、その後の復旧・復興・再生に関しても新たな思想、価値観に基ずく根本的な新時代への方向性はいまだ見えない。
長野県・南信濃・遠山郷は限界集落と言われている。 超高齢化・少子地域であり、何処をとらえても一見華やかに見える都会の輝きなど全くない。
1周も・2周も遅れた「ないないづくし」の最終ランナーであると思われているこの地で生活している方々が賢明に活き、活性化の努力をされている。
この地に通って5年目、ルールや仕組みが反転して、私にはなぜかこの地域や人々がこれからの時代の先頭を走っているのではないかと感じるこの頃です。
『観光資源とはその土地に相応しい衣食住を満喫して優雅に暮らす人間そのものであり、その優雅な人間からおのずと発せられる光こそ、最大の観光資源である。』
まだ実感を持って、これが一つのモデルですと言うことはできませんが、
何かそこにはこれからの時代の生き方の一つが提起されているように感じるのです。
遠山郷の霜月祭りも既に終盤に入り、この後は来年3月まで閉ざされた世界となりますが、一度御遊びにお越しください。
http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/tohyamago/
来年の計画が掲載されています。
COLUMN 1−D 1797
平成23年12月17日・記
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好きな花と花木が咲き始めました
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庭の落葉樹もほとんど葉を落としたところで、相方が庭の掃除を始めました。 その一段落した所で庭に出てみますと、早くも水仙が咲いていました。

↑ラッパ水仙
一番球根が増える種です。 其のままにして置きますと込み合って花を咲かせません。 2〜3年に一度間引きの必要があります。
このところ手を入れていませんので、イチイの木の根元で楚々と咲きました。
庭にはこの他にも何種類もの水仙が植わっており次つぎと咲いてきます。
其のたびごとにここに登場することでしょう。

↑ロウバイです。
今年はこの時期、枝には葉っぱが一杯です。一番葉の少ないところを選んで写真をとりました。 今にもホワッと花芽が開きあの甘い香りは漂ってきそうな雰囲気です。
後数日でしょう。 3月初旬、サンシュと入れ替わるまで楽しませてくれます。
毎年、同じ時期に、同じ映像を送っていますが、如何でしょうか。
平穏に繰り返される日々の有難さを感じる今冬一番の冷え込みの日でした。
COLUMN 1−D 1796
平成23年12月16日・記
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年賀状・宛名書きの変化
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2012年(平成23年)の年賀状を書き終えました。

↑プルントゴッコ
平成11年(1999年)の年賀状からプリントゴッコを利用していましたが、そのプリントゴッコの本体もさることながら、各種の印刷用資材の販売
終了と聞いて、昨年買い増しておいたのでまだ数年分はこれで行けると思っています。
宛名書きは出来るところまで手書きで行こうと考えています。
ところが、其のインクが切れそうになった。確か数年前の時もインクの購入に苦労した。 大手量販店を数軒回ってやっと手に入れた。
メーカーに依頼すれば万年筆は作っているだろうから取り寄せることは可能であろうが、今回も前回購入のお店に行ってみました。
予想どうり合併して販売方針が変更になったのだろう、目当ての売り場に行くと『倉庫を見てきます』という。 10分後『ありました』と持ってくる。
『在庫は何個あるのか』と尋ねると『4個です』。『判った全て購入しよう、これで棚卸の時の手間が省けるね』というと店員同志は見合わせていた。

↑ウオーターマンの取り換え用のインク。
過去の例からしてこれだけあれば、7〜8年はOKですが、私の手元がそこまで動くかどうかの方が問題だなと思った。
そこで20年前、10年前、そして今年の年賀状を調べてみました。
毎年、喪中ハガキを頂いた方には、年明け後「寒中見舞い」を出すことにしている。 その分も含めて約250通ほど投函する。
それと同等の数の年賀状を頂いている。その結果ですが
1991年 2001年 2011年
手書き宛名 90% 63% 44%
パソコン宛名書き 4% 35% 54%
打ちだし印刷宛名 6% 2% 2%
添え文があるもの 60% 40% 60%
ご覧のようにパソコンで宛名書きしてこれらるモノが4%から54%となりました。 この数値を見る前まではもっとパソコン宛名書きが多いと思っていましたので以外でした。
また、添え文ですが、1991年は私がまだ香港に在住していましたから、色々気遣って頂いたところからの文面が多い内容でした。
それにしても、ここ数年の傾向ですが、添え文のある年賀はがきが増える傾向にあると感じています。
御自分の様子を伝える内容と当方に対する一言です。 平均年齢がアップしてきた証拠かなと判断していますが、どうでしょう。
COLUMN 1−D 1795
平成23年12月15日・記
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「 観光ビッグバンと文明に磁力」
をコラム 2−N NO326の掲載しました。
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藤原直哉先生は10年近く前から日本の再生は「農業」と「観光立国」と言い続けられています。
先生が書かれた観光が開く新しい日本〜観光立国論〜から抜粋します。
『観光」とは物見遊山の観光ではなく、「光を観る」という意味の観光です。観光資源とは単なる景色ではない。
最大の観光資源はその土地に相応しい衣食住を満喫して優雅に暮らす人間そのものであり、その優雅な人間からおのずと発せられる光こそ、最大の観光資源である。
観光立国の推進とは、光輝くほど優雅に暮らす日本人がたくさんいる国に日本を変えていくということである。
とりあえずその土地土地(適地適作、天産自給)に相応しい衣食住のスタイルを確立し、そこに住む人たちがそれを満喫できるようにする事が大切。
観光立国とは日本を経済だけでなく教育、生活から文化まで全部変えていくことであり、単に観光産業だけの問題ではない。
西洋で失われた日本らしさ取り戻し、最先端の日本と融合させることが大切である。』
本日は中部大学で「ヨーロッパの歴史」を学んでいる中で、「観光ビッグバンと文明の磁力」という参考文献をもって講義を受けました。
その「観光ビッグバンと文明の磁力」をコラム 2ーNに掲載します。
長い引用になりますが、18世紀以降の西欧文明の時代の終焉が迫っている事を肌で感じるこの頃です。
日本も明治期以降その後追いをし、「追いつけ追い越せ」と走り続けましたが、失われた20年という以上の時代の転換期に来ている事を思わない日はありません。
その要因の何かをつかめるのではないか、そしてこれからの方向性の何かを学べるのではないかと掲載しました。
COLUMN 1−D 1794
平成23年12月14日・記
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安定した冬の天候となりました
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気温は少し高めですがそれでも安定した冬の天候なりました。
朝の壁当てキャッチボールの時、青い空を見上げることが好きです。

↑庭隅の栗の木です。 この下に壁当ての壁があります。
名古屋空港(小牧空港)はセントレア国際空港に移転しましたので、それほどの数の飛行機が飛んでゆくわけではありませんが、相互に東西の空に向かって午前9時前後に数機飛んでゆきます。

遠くから飛行機音がしてきますと、この栗の木の間から眺めるのです。
薄い雲がかかった時には音はすれども姿が見えずで、そこを見つけ出すのも楽しいものです。 見つかるとヤッタと言う気分になります。

夕方の散歩の時間、木々の間に沈む太陽は真っ赤です。
本日は名古屋のたまり場の定例会であり、同時に忘年会でもあります。
今年収獲した大豆を8Kgとジャガイモを6Kgをリュックと手提げ袋に入れて、名古屋まで持参します。
私自身は体験したことはありませんが、話には聞いています戦後の農村への買い出しスタイルではないかと想像しています。
小学校入学前ですから昭和23年でしょうか、母方の在所に岡山の宇野港から高松港へ向かう時、宇野港の桟橋であまり大きな荷物を持っている人は闇の買い出しと思われその筋の方に呼び止められ、検査を受けていたことをおぼろげながら記憶しています。
まさか、そんな時代に再び成ることはないと思うものの、最近の世界情勢を見聞きしていますと、「真坂は有る」と考えた方が良いのではと思っています。
COLUMN 1−D 1793
平成23年12月13日・記
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犬山・羽黒・ジャガイモ掘り他
12月12日の作業
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暖かい12月と言っても当地でも10日の朝は霜が降りました。
瑞浪・百姓学校のジャガイモは12月5日に最後のジャガイモを掘り出してきましたが、犬山は残っていました。
12月12日に出向きました。 茎は残っていましたが、葉は殆ど枯れていました。

↑種芋2Kgの物が土付で約10Kgです。(小粒除く) 3週間前の試し掘りの時よりは大きくなっていましたが、出来栄えとして50点でしょう。
その他の状況

↑玉ねぎの苗を植え込むために、このように草が生えているところへ手抜きでマルチシートを被せたら
↓

↑ご覧のように、穴から見事に草が生え、抜くのに手間取りました。

↑初めに草取りをしてマルチシートをかけた畝です。

↑3年前の絹さやエンドウの種でしたが、芽が出ました。

↑これも残り物のホウレンソウの種をトンネル内に蒔きました。

↑時なし大根、こちらはトンネルなし。

↑時なし大根、こちらはトンネルの中、20%ぐらい成長が早いか?

↑羽黒・2号、稲刈り後に耕転してバラ蒔きをしました。敷き藁なし麦。

↑上記と同じモノに敷き藁をしました麦。

↑刈り取った株の間に、簡単な溝を付けてバラ蒔きしました麦。

↑現在のところ、見た目には全て同じような成長に見えます。
左上の耕転してあるところは、今年は畑だった。来年は田圃を予定。
以上、MIXIへの写真の掲載方法が解りませんので、ここに掲載しました。
COLUMN 1−D 1792
平成23年12月12日・記
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遠山郷・木沢・八幡神社・霜月祭り
12月10〜11日
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今夏・秋の遠山郷へのお客様の増加現象から「寒い・煙い・眠たい」と言われる霜月祭りも多くの観光客の来訪が予測されました。
案の定、旧木沢小学校は仮眠所として20人分を用意していましたが、早々と定員オーバー。
その他,,地区の生活センターでの仮眠所も60人と満員盛況となりました。
予測どうりの盛況ですので、約30坪の舞堂は時間の経過と共に超満員です。 撮影などしている隙間は有りません。
そこで、祭りの準備状況と祭り終了後の後片付けの状況にシャッターを向けました。

↑12月10日、午後1時、地区住民総出(?)で準備が始まりました。
(飾りの切り紙等は1週間前に用意されました)

↑さんま飯のサンマ焼の串を作っています。

↑大しめ縄を作っています。若い衆に指示の掛け声をかけています。
年配者の存在が大きく感じました。↓


↑舞堂の入り口です。

↑舞堂に入ると中央に釜戸がデーンと据えられています。

↑舞堂の奥には御神殿があり、舞いの弦や奉納の諸飾りがあります。

↑舞堂の隅に炊事場があります。 女衆が主役です。

↑「さんま飯」がメインです。御刺身と言って「たくあんの切り身」の時代もあったそうです。 今年は群馬からのお客様が天然ブリを奉納してしていただき、本物の刺身に有りつけたと喜んでおられました。
なを、この祭りは四足は厳禁ですので、魚が中心となります。

↑これがサンマです。 身を解してご飯に混ぜます。

↑一休みした後、日が暮れはじめると神事が始まりました。
これから延々と12時間づきます。太鼓と笛の音が止んだのは午前5時でした
12月11日、祭り終了後の朝・午前9時前から跡片づけ

↑霜で濡れた旗を干しています。

↑祭りで使用の足袋の仕分けです。来年も使うもの、今年で終わりの物。

↑炊事場は最後まで大変です。↓


↑残飯です。

↑舞堂の火も消され、しめ飾りも煤けて真黒です。

↑旧木沢小学校・体育館の控室が仮眠所です。ギッシリ20人分です。
ここに収容しきれず、寝袋で体育館内、あるいは図書館等で過ごされた方も多くおられました。

↑12月11日、午後に木沢を出発すると山頂からテッサク(と私の子供の頃の豊根では言いました)が木を降ろしていました。

『楽しくて そして寂しい 祭りかな」
遠山の霜月祭りも人手不足で続けられない地区が出てきております。
この木沢地区は今のところ心配無用の様子です。又来年も元気な方々とお会いしたいものです。
COLUMN 1−D 1791
平成23年12月10日・記
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