COLUMN 1−D 1820
平成24年1月14日・記
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真夜中に目覚める
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年齢からくるものなのでしょうか、それとも晩酌が過ぎて夜中のトイレとなっているのでしょうか。 午後9時前後の就寝の時は、午前2時前後に一度目が覚めます。
眠らなければと慌てることはありません。 枕元のコールド・レーザーを全身に照射します。
(コールド・レザーのことは以前ここに掲載しました。
私流に理解しているところは、熱射=ホットな光線ではなく、コールド=冷たい光線が細胞を活性化し、痛みを和らげあるいは除去し、生傷を早く元に戻します)
筋肉疲労を和らげ、あるいは取り除く、腰痛・肘痛、膝痛の予防となる、痛みだしたら除去してくれるという優れモノです。
さて、話はコールドレザーの効能を書くことではありません。
今のところ痛みを伴う所はなく、そこで7つのチャクラに照射します。
頭の天辺・松果体から順次下に降ろし、尾?骨ヘと照射します。
そこで、本日は思い出したことがあるのです。
小学校の1〜2年の頃と思いますので、昭和24〜25年頃のことです。
豊根村・石堂の我が家から継母の親戚の家を訪問した時のことです。
母屋から離れた便所の行きました。 用をたしてお尻を拭こうとした時のことです。 何処にも便所紙が見あたらりません。
よく探すと一度使用したと思われる新聞紙が隅に積み上がっています。
漂白こそしてありませんでしたが、其れなりのトイレ用のちり紙を利用していたので、いささか困りました。 その時、どのようにしたかは記憶にありません。
それよりは、その積み上がった新聞紙の側に、薄く割った長さ20センチ程の木片がありました。
トイレを済まし、父親に訊ねました。『あれは何をするものだ』と。すると父が教えてくれました、『あの木片で尻を拭くのだ」と。
今、我が家のトイレはウオッシャー・トイレです。シャワートイレというのでしょうか。 自動で開閉しますし、温水で始末してくれます。
そして、シャワートイレ専用の水気を吸い取るペーパーが備えられています。 快適です。
この習慣に慣れてしまうと、シャワー・トイレ以外は使いずらいです。

↑我が家のポンカンです。
上記のことぐらいでウトウトしながら再び眠りに就くのですが、時には二廻り目のチャクラの照射になります。 昨夜も其れでした。
次に脳裏を掠めたのが15年、いや20年ほど前からになりましょうか、女性の生理用品がテレビ・コマーシャルに登場した時のことです。
女性が強くなったからでしょうか、今ではそれほど違和感はありませんが、当時は世の中変わったと思いました。
と言いますのも、私の家は豊根村・山の奥の薬屋さんでした。
これまた昭和25〜26年の頃の小学生でしたので、何故あのように怪我もしないのに、我が家では「脱脂綿」があれほど売れるのか不思議でした。
部分ゴムの生理パンツの販売が始まり、徐々に理解してゆきました。
其れから60年、私が週に2度通学する中部大学のキャンバスは、この寒空というのに惜しげもな長い脚に、高いヒールの靴を履き、ヒラヒラと舞うジョウゼット素材の超短めのスカートです。
石油が止まり、学食とはいえ豊かな食事は輸入材料ばかりです。
トイレの木片を見たらなんと思い、言うのでしょうか。
「脱脂綿」など、このところ見かけたことがありません。
本日は私の70回目の誕生日です。何か気のきいた事が書けるのかなとも思いましたが、入力したことはご覧の如くです。
寒中にしては暖かな日和でした。 庭の木々に寒肥えを散布しました。
COLUMN 1−D 1819
平成24年1月13日・記
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この時期になれば、冷水摩擦も慣れとなる
〜早春を告げる「福寿草」が芽を出した〜
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1月6日に「小寒」に入り、21日からは大寒で、この当たりが朝の冷水摩擦の峠です。
ストレッチそして掃除をして冷水摩擦に入るのですが、素っ裸になる時はさすがに一声気合いを入れてからです。
気を抜いていると寒気が侵入し風邪を引くことになる。 この一瞬が勝負どころで、水道水にタオル浸し、絞り、パッとタオルを一振りすると冷気が飛び散る。
タオルを顔に押し当てる時は実に爽快です。その後、数度絞りなおして腕から背中、太ももから足の指先までゴシゴシと摩擦すれば肌は赤みを増しホカホカとなります。
ピシャピシャとひのきローションを全身に叩きつけ付けて終わり。
薄い肌着を身につけた時は、たった一枚の肌着の有難さを感じます。

↑福寿草の芽が出てきました。
庭に2カ所ある福寿草のうち、日当たりのよい所のモノが芽を出し始めました。
立春頃には一番花が咲くのでしょうか。
ロウバイの香りを楽しみ、梅の花がもうすぐ咲き始め、サンシュが加わると一年の営みに感謝する日々となります。
COLUMN 1−D 1818
平成24年1月12日・記
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1月11日 本年最初の「名古屋たまり場」 開催
〜これまでで一番の参加者でした〜
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昨年「名古屋農楽倶楽部」と名称が決定して、1年の活動が終了しました。 水田と畑で2・2反、私としては「来年も続けよう!!」との声が上がれば成功と考えていましたので、収獲量のことは問題外でした。
そして、本年最初の「名古屋たまり場」が開催されました。
農楽倶楽部のメンバー6人の他、初めて参加の方が5人、数回目の参加の方が3人と総勢14人の会となりました。
昨年曲がりなりにも稲作に取り組み、収獲まで漕ぎつけたことに関心を持たれて参加されたという声を聴くことになりました。
皆さん、時代はこれまでの考え方、やり方、生き方では行き詰まったと感じておられ、何かを始めなければと言う気持ちになっておられることが判ります。
とは言え、『鍬や鎌を持ったことがありますか?』とお訊ねすると、首を横に振られます。(今回は30代の女性が3人参加)
『一度暖かくなった3月下旬のジャガイモの植え付け、あるいは4月に入ってのサトイモの植え付けに参加されたらどうですか』とお誘いをして置きました。
2回目参加のIさんは農楽クラブへの入会を早くから希望されて居られたようなので、今月の15日・田起こしの作業から参加されると言っておられました。
参加希望の方が多いことは嬉しい事ですが、その分考え方や価値観の幅が拡がることであり、どのような運営をしてゆくのかがポイントになります。
言葉としては藤原直哉さんから「横型リーダーシップ」ということを勉強しているメンバーですが、その実践となりますと新たな課題が提起されることと思います。
お酒の勢いも後押しして、『この農楽倶楽部から次代の生き方、あり方の一つのモデルを作り上げようではないか』と声上がり・拍手が湧きました。
何時もは他のメンバーに先駆け、午後9時前後に引き上げる私でしたが、前向きで・楽しい場の雰囲気に、10時の解散までとなりました。
中央線中津川行き快速に乗り込みました、乗り越さないように注意しなければと名古屋市内の駅の発車案内までは記憶ありましたが、何年かぶりかで高蔵寺を越え、多治見到着のアナウンスで目覚めることとなりました。
運よく、帰りの列車が数分で到着、今夜から冷え込むとの報道がありました通りにコートの襟を立てとマフラーを締め直しました。
が、本年も仲間と農作業が出来るのかとの期待が湧きあがり、心は穏やかで・暖かでした。

↑庭のロウバイが2部咲きとなり、甘い香りを撒き散らし始めました。↓

COLUMN 1−D 1817
平成24年1月11日・記
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冬枯れの定点観測地
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↑定点観測地ーその1− 大久保池
春日井都市緑化植物園の一角にあります。 5月になりますとラクウショウの柔らかい緑の新芽が鮮やかです。

↑大久保池ではカモが餌を啄んでいました。

↑定点観測地ーその2− 北池です。
散歩道の一番奥の池で滅多に足を運びません。 この池の周辺が一番静かで冬鳥が一番多く越冬しています。

↑定点観測地ーその3−一番登場する築水池です。
数年に一度の池ざらえですが、今年は前年に続き総ざらえされ、その後徐々に水位を上げていますが、雨が少ないこの時期ユックリです。
2年続きの総ざらえで鯉も、フナも、ブラックバスも全滅、小魚もいず冬鳥も全部他の池に移動してしまいました。

↑定点観測地―その4− 宮滝大池。(岩船神社の裏)
ここからは春日井3山が一望できます。左から弥勒山、大谷山、道樹山。
他の散歩道もありますが、この4池のコースを選ぶことが一番多いです。
今年も色々な姿を見せてくれることでしょう。
COLUMN 1−D 1816
平成24年1月10日・記
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1月9日 萌瑠(メル)ちゃん成人式
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今から15年以上前、近所の子供たちが小学校の低学年の頃、夏になると我が家の庭でバーベキューや花火をしたものだった。
多い時には『お友達を呼んできても良いか』と言われて、『おお!いいぞ』というと10人近くになったこともあった。
あるときなどは庭でキャンプということになり、テントを張ったが急な雨となり狭い部屋で数人がゴロ寝をして過ごしたものだった。
其の頃の体験している子供たちは、今でも道ですれ違うと、手を挙げて挨拶を交わしているし、時には立ち止まって会話もしている。
中学になると仲良しグループだった子供たちも、他の地域の友達が出来、知らず知らずのうちにグルーが分かれ集まることもなくなった。
それでも家の前の兄姉妹は時折両親も含めてバーべキューの火を囲んだ。

その姉妹の二女が昨日成人式を迎えた。
裏隣りのKちゃんも昨日の朝、お母さんの車で春日井市の成人式に出かけるところに出会い、手を振って見送った。
道を隔てた家のMちゃんはお母さんを早くに亡くしバーベキューのお手伝いは一番だった。が、このところ見かけていないがどうしているのだろうか。
同じ年ごろの子供たちは年々減るばかりで、これからしばらくは成人式の衣装に着飾った子らを見かけることは殆どなくなる。
萌瑠ちゃんの妹が今年中学生になると言う、成人式までには8年もある。
高蔵寺ニュータウンも高齢者問題が常に話題となっている。 マイナス要因と考えるのではなく、経験と知恵の集団ととらえて前向きに行動を起こす時と考えています。
COLUMN 1−D 1815
平成24年1月9日・記
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今年の年賀状を整理する
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昨年の12月16日の当コラムで20年間の年賀状の変遷の一部を紹介しました。
1991 2001 2011 2012
宛名・手書き 90% 63% 44% 45%
パソコンで宛名 4% 35% 54% 55%
打ちだし宛名 6% 2% 2% 1通のみ
添え文あり 60% 40% 60% 53%
という結果でした。 2011年と今年2012年は1年経過した分であるから同じような数値結果であることは判る。
1991年の添え文の60%は私が香港在住のときでしたので、色々と気遣っての内容が多かったからです。
其れに比べると、今年は53%と前年を下回った事が寂しいです。
どの年も、私の投函数約250枚と同等の年賀状を頂いている結果です。
今年はやはり3:11の東日本大震災に触れたものが多かったです。
又、年々お孫さんのことを触れる内容や写真が添付されているモノが目立つようになりました。
昨年あたりから農業(といっても家庭菜園ですが)を始めたという添え文が増えてきました。来年の年賀状はもっと増えるのではないかと思えます。
私文ですので公開することはできませんが、俳句、短歌に思いを乗せての「五 七 五」あるいは「五 七 五 七 七」の活字の裏に隠されている
添え文には、胸に突き刺さったり、あるいはニヤリとさせてくれるモノがあり
作者の人柄を思い出して返信を書きたくなる気持ちにさせます。
本棚の片隅に積まれてゆく年賀状の束、今年も何度手元に取り出すのでしょうか。
読み返すごとに明るく・元気で・前向きな賀状にしなければと思います。
COLUMN 1−D 1814
平成24年1月8日・記
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本年第1回目の「波動の会」にて
1月7日
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手元にある「波動インストラクタ 認定書」の日付けは平成8(1996)年5月11です。
それ以前・1995年の阪神淡路大震災、あるいは同じ年に起こった地下鉄サリン事件のことも、東海地区・波動の会で話題に取り上げられましたから、既に17年以上の月日が経過しています。
メンバーはそれぞれに生い立ちも経歴も様々です。が、共通した認識・意識は「バブル崩壊後の日本のみならず世界は・時代は大きく転換する。これまでの金や物質中心から精神や心が重要視される時代の到来」というものでした。
この会では誰がどのような話題を持ち出しても否定もされず、疎外もされないところが魅力的で殆ど毎月出席しています。。
その間、1997年には消費税5%の引き上げスタートから始まり、
1998年、明石海峡大橋開通、 和歌山カレー毒物混入事件、
北朝鮮か らミサイル・テポドンが三陸沖の着弾
1999年 NTT分割(3地域通信会社が発足)
2000年、介護保険制度がスタートしました。
2001年、大阪教育大学付属池田小学校に男の乱入、児童8人死亡。
NY世界貿易センタービルの旅客機突撃、約3000人死亡。
2002年、日朝首脳会談、小泉首相が日本の首相として北朝鮮初訪問。
2003年、米英軍がイラク攻撃開始
2004年、イラクへ陸上自衛隊派遣。 新潟中越地震、インド洋大津波。
2005年、愛知万博(愛・地球博)開幕
2006年、ライブドア・ショックでIT関連株暴落
北朝鮮、地下核実験を実施。
2007年、新潟中越沖地震、柏崎刈羽原発3号機火災
第21回参議院選挙で自民大敗北、参議院与野党逆転
郵政民営化スタート
2008年、中国・四川大地震。
世界金融危機、米国サブプライムローン破綻で金融不安。
バラク・オバマ氏黒人初の大統領に当選
2009年、裁判員制度スタート
ベルリンの壁崩壊から20周年
2010年、厚生年金の支給開始年齢が65歳に引き上げられた。
上海万国博覧会開催。
2011年、東日本大震災、 福島第1原子炉の大事故。
たび重なるEU・ECの金融危機。
中近東の春、独裁国家の崩壊。民衆の暴動。
と、この15年間の大きな出来事の一部を拾い出してみますと、実の様々なことが発生していますが、過ぎてしまうと”そうだったかな!”という思いです。(問題の本質は隠され、飛ばされているのだろう)
そして、本年第1回目の波動の会で感じたことは、ここ数年、特に昨年の3月11日以降は予測していた時代の到来を肌で感じだしたためだろうか、
発言が慎重になったというか、元気がなくなった。
というものの、これまでの生活は何とか維持される、維持されたいものだとも思いが言外に滲み出ているようにも感じる今回であった。
各いう私は、今年の年賀状に認めたことを改めて発言した。
其れは「いよいよ、修行のときが到来した。 健康で鍬を手にする働きの場があり、分かち合える収獲が得られるならば、何も恐れ、おびえることはない」と。
とは言いモノの、予測もしない波が襲ってきた時、腰を抜かすことのないよう、また≪想定外でした≫という言葉は口にしないようにと戒めています。
COLUMN 1−D 1813
平成24年1月6日・記
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ベランダからの朝明け
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↑朝明け
1月4日・5日、この日記の入力をお休みしました。
その間に、何にも書くことがないということは、モノを観察する目が、あるいは感動する柔軟で素直な感性や衰えてきているのではないのだろうかと自問しておりました。
朝の柔軟体操・ストレッチの時間に東の空が赤く染まり始めました。
『朝明け』です。 あと30分経過すれば日の出だろうと注意していましたが、本日は目にすることができませんでした。
本日は中部大学の「ヨーロッパ文化を知るースペシャル版」の最終講義でした。 聴講生ばかりですので、内容は学生を相手とするモノとは一味もふた味も濃い内容でした。
担当教授が今期で退官ということもありエネルギーが注がれていたこともあったのでしょう。
最終講義のタイトルは『即興の魅惑』と付けられていました。
教授がかつて関心を持っておられた”即興”について纏められたものです。
芸術・文化、建築等に疎い私にはこんな講義でもなければ体験することはない内容でした。
画家の問わず語りと題して、アンリ・ジョルジュ=クルーゾー監督の映画「ピカソ 天才の秘密」(1956)のDVDを鑑賞。
画面には一度もピカソは登場しませんが、プログラムなどなしで描いてゆくその絵が絵心などない私にも不思議でした。
映画撮影の時、描かれた絵はその後廃棄されたそうで、其の変わりに其の映像(映画)がフランスの国宝に指定されたとのことです。
其の他にも音楽の即興、美術の即興、演劇の即興、文学の即興と実に多士済々でした。
超一流の3人のプロが全く素人の参加者をりードしてパーカッションを打ちならす試みなどは面白かった。
そのような企画をした教授の最終講義でした。
即興は金銭的・物質的なユトリからくるものではなく、即興芸術は精神的なものかなと思った。
これから始まる社会、人生は即興的な感性が求められるのか?
COLUMN 1−D 1812
平成24年1月3日・記
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正月のスポーツ、テレビ観戦をしながら
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改めてスポーツの良さ・面白さを感じているお正月テレビ番組です。
多くの局が撮り溜めた映像とLIVEを併用しながらのお笑い番組を見ていても10分と同じチャンネルを続けて見ていられない。
そこに行くと特に生番組のスポーツの映像は素晴らしいと感じる。
昨年末からの高校ラグビーそしてサッカー、大学ラグビーをケーブルテレビで観戦しているが大差がつけば別だが、時に身体をくねらせて観戦しています。
1月1日の全日本実業団駅伝はスタートを観戦して、初詣に出かけ、帰ってきてからも再び見つづけていた。
ラグビーの試合を見ていると、本当に”ONE FOR ALL,ALL FOR ONE”という言葉を理解できる。
一人が球を持って密集した敵陣に飛び込む、其れをサポートして味方の選手が身を投げ出して行く、相手も猛然と腰をかがめて頭から突っ込む。
ゴール前のモールとラックからの攻防戦もついつい力が入る。
東京箱根往復大学駅伝も毎年の恒例観戦です。
自分に勝つだけでなく、母校の名誉のため、応援してくれた地元や関係者への思いをこめてタスキを繋ぐ責任感は当事者でないと測り知れないプレッシャーであろう。
今年も第5区の東洋大の山登りの柏原選手の大記録に感動すると同時に、東京農大で先頭から40分も遅れて5区を走り切った津野選手が意識がもうろうとしても、なお且つ10数キロを走りぬいた姿にもこの大会の持つ意味を感じさせられた。
柏原選手のインタビューも心に残る。彼は福島県・いわき市の出身『僕が苦しいのは、たった1時間ちょっと。福島の人のことを思えば、全然きつくない。少しでも勇気が出たといってくれるなら、本当にうれしい』と。
その夜、ライヴではないがNHKの午後7時半からの番組で「何故ケニアの選手がマラソン等で強いのか」を理解させられた。
40%の失業率のなか一流選手になって食べるために、あるいは親を楽にするために競技にかけている。そのハングリー精神。
そして、練習場は空気の薄い標高2000メートル、柵で仕切られた牧場の中に作られたデコボコのグランドとは呼べない周回コース。
デコボコ故に走り方・着地の仕方が平地の整備されたグランドを走っている普通の国の選手とは異なることを知った。
正月番組の試合ではないが、昨年末からお正月のかけて「ナデシコジャパン」の選手たちのテレビ出演を多く目にした。
あの世界選手権のアメリカとの対戦に置いて、もう勝負あったと思ったところからの同点の場面は”諦めない”精神の一端を教えられた。
サッカー人口はアメリカは600万人という、対して日本の女子サッカー人口は2万人強という。
不況等で休部、廃部してゆく中、アルバイトをしながら練習に励み・挫けない、諦めない、ハングリー精神がもたらしたものと考えます。
佐々木監督の明るい・時にオヤジギャグを飛ばすキャラクターが緊張する選手たちの潜在的力を引きだしたのだろう。
改めて年末からこの正月にかけてスポーツの素晴らしさを感じ・同時に楽しませていただいている。
この時間(入力している午前10時半)もまだ、東京箱根往復駅伝の復路の戦いが展開されている、気持ちを改めて観戦させていただこう。
COLUMN 1−D 1811
平成24年1月2日・記
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