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    COLUMN 2-N 280
                                  

                                 平成20年11月4日 記

 「けさのことば」岡井 隆 中日新聞11月3日より 

 何事も必然であり、わたしが選んだことなのです


 この下↓のタイトルは昨日(11月3日)のこのコラム 2ーN No279の後半部分のタイトルでした。 当日は書けなくて本日となりました。

    『もう一人同じ思いの方いました、東京は疲れると・・  
         
           〜「けさのことば」  岡井 隆 中日11月3日朝刊
 
 書けなかったのはやはり必然性があったと言いたいのですが・・・少し無理があるでしょうか。
 
 まずは、「けさのことば」の紹介から始めます。

 「上京のたびに失うわれがあり、駿河の空をつれ戻り来」 
                          
                          「花やすらい」 道浦母都子

 「東京はいぶせきところ 東京は疲れるところ 針の雨降るところ」とも歌われている。
 関西に住み仕事で上京するが「東京」は安らぎがないところ。

 「上京のたびに」自分を喪失する。 帰りの道、「駿河の空」に逢ってほっとして、その「空」をつれて帰ってくるのだ。


 〜何度か、私も東京に出かける時には、川崎を通過した辺りから「よし、やるぞ!」と自己叱咤しなければならないと書きました。

 この作者の詩を読み、オ〜同じような思いの方がいるのだと思いました。

 さて、大げさに何事も必然などと本日のタイトルに挿入した訳は以下の理由です。

 昨夜(11月3日、文化の日特集でしょうか)NHK総合、夜の7時半より『わが心の大阪メロディー』が放映されました。

 このところ、この時間帯では床についているのですが、また昨夜は床につこうとしたのですが、最後まで視聴しました。

 なぜだろうと考えました。結論は私の体質、感覚、にマッチしているからと思いました。
 30数年前、大阪の本町辺りに繊維製品の仕入れに行きました。 また、大阪の繊維問屋が名古屋の旅館を借りで出張しての予約注文を取りに来ていました。

 「しつこくて、泥臭く、厚かましくて、大げさで、粘っこい」、私とソロバン片手に相手するのは近江商人であったかもしれません。 その彼らに負けてなるものかと、価額交渉は深夜になることは当たり前でした。

 昨日のテレビ番組を最後まで見通したのは、結局私が「大阪気質」が好きということではないだろうかと気づかせてくれました。(私も同じ気質なのでしょう)

        

 ↑上記の写真はこのコラム記事とは何の関係もありません。活字ばかりですと面白くないとご指摘を受けますので、本日、我が家の前の紅葉のナンキンハゼの街路樹です。


 以上です、昨日の朝、このコラムに書けなかったのは、夜の『わが心の大阪メロディー』を視聴してから書きなさいということだったということです。

 このところ、「何事も偶然のように見えるが必然である。 何事も自分が選んだ事柄、選んだ道だ」と思えるようになりました。

 その天意は私をして感受せしめているのだと思える度合いが増してきています。

 華やかな都、東京は本当に長い間ご苦労様でした。 その政治、経済、文化などあらゆることの中心は今後急速に崩れてゆくのではないでしょうか。(権威が崩れる)

 既存の政治家、堅固に構築された私欲の官僚体制、マスコミ、財界、学会等、一度崩壊して、作り直さなければならないところに至ったと感じずにはいられません。

 あれだけのインフラを世界から、日本全国から寄せ集めた東京ですから、それを活用しないことはないのですが、それを運用、活用する人々の精神がこれほどまでに腐ってしまったのでは、これまでに続いて富を、知恵を、集積する信頼を得ることは出来ないでしょう。

 垢抜けしない、もたつく名古屋と言われても、ここは堅実一路で参りましょう。
 



    COLUMN 2-N 279
                                  

                                 平成20年11月3日 記

  「今週のことば」 中日新聞 11月2日
                    青山 俊薫

*もう一人同じ思いの方いました、東京は疲れると  
〜「けさのことば」  岡井 隆 中日11月3日朝刊

 
 「しぶ柿はしぶあるとて捨てるなよ そのしぶ故に甘くなる    古歌

 
柿が色づく頃になると思い出す歌である。 しぶのままではどうにもならないが、そのしぶが太陽やいろいろの縁を経て甘い干し柿と変わる。

 禅の言葉に「火について焼けず、火に背いてここえず、よく火を利用するごとく、人、欲を修道の方に向けよ」というのがある。

 火はいいものだとしがみつくと火傷をする。 火は恐ろしいといって退けたらこごえてしまう。そうではなく上手に火を活用してゆくように、人間の欲を、道を求め、道を行ずる方向へ、多くの人々のより幸せの方向へと、方向転換せよと教えられる。
 つまり、自我の欲望から誓願への方向転換である。

 欲が煩悩になるか誓願になるかの分れ目は、その中に「私だけれよければよい」という私を中心とした思いがあるかないかによるといえよう。


 〜
大好きな果物の一つが柿です。 甘柿でも、干し柿でも好きです。
 一昨日は豊橋の姉から「次郎柿」が届きました。 集荷したばかりのものを農家から直接送られ来るので、2〜3日後のほうがより甘みを感じるほどの新鮮な柿です。

 一昨日は友人達がバーベキューに来ておりましたので、振舞うことが出来ました。
 その朝、家の前の「夢見ちゃん」に、今日はバーベキューがあるからおいでと声をかけておきました。

 昼ごはんは家族で外食にでも行ったのでしょう、「おじさん、あまり食べれないよ」と言って入ってきました。 好きなはずのお肉を2〜3切れ食べたところで、帰ると言うので、柿をお土産に持たせてあげました。 夕方、玄関先にワインが届けられていました。

 
渋柿の取り入れ時期は今月の中旬です。 栗拾いの時の状況では今年も豊作と思います。 500~700個の柿剥きとなりそうです。
 コンクリートの軒先ですが、柿が吊るされた情景は大好きです。

 もう一つ「あさのことば」を書こうと思っていましたが、百姓学校に行く時間となりました。帰宅後、明日になるかな追加します。








    COLUMN 2-N 278
                                  

                                 平成20年10月22日 記

切り抜きファイルブックの厚みが日々増えています

 本日は中日新聞10月22日夕刊「社会時評」
   「時代の転換点に」  
                    高村 薫      

 
 『この秋、今を生きる私達の誰もが、時代の大きな変わり目の真っ只中にいることを肌身で感じているはずです。

 あとから振り返るのではなく、時代の変化を現在進行形で目のあたりにするということは、滅多にあることではない。  私達は、ものすごい時代に遭遇している。

 (中略)
世界の金融機関がどれほどの損失を抱えているのか、不安が際限なく広がってゆく中、いよいよ企業生産の実体経済までが収縮し始め、、それが又株安と、ドルやユーロの暴落を加速させている。
 (中略)
 ひるがえって私達の目下の実態はどうであろうか、物価高と将来の生活への不安はあるものの、それ以上の激変はいまひとつ想像しにくい、というところだろうか。
 けれども、私達がこの秋立っているのは、本当にそんな地点なのであろうか。
 
(中略)
 よく考えてみたい。もっかの世界的な金融不安が示しているのは、この20年ほど続いてきたマネー経済の終焉であり、アメリカという機軸の消失なのである。
 
(中略)
 私達は間違いなく時代の大きな転換点にいる。 何をどのように生産し、国民みんなで食べて行くかという、根本的な国の形の構想が問われているのである。

 世界経済が大混乱に浸っているこの時代の変わり目を、旧態からの脱皮の好機と捉えて、勇気を持たなければならない』



 〜タイトルにも書きましたが、今年の夏以降、私の各種ファイルブックの厚みは日毎に増しております。
 
 あれもこれもと切り抜きしていますと整理も大変ですが、高村さんではありませんが、本当に100年に一度か、いや数百年に一度遭遇するかどうかの歴史的転換期に立っているの思いと、そこに立っている幸せを感じずにいられません。

 自分のことを「狼爺」と言ったり、「お騒がせ爺」、「野次馬爺」と表現していますが、本当に毎日が面白く、楽しいのです。

 定期的に読んだり、会員となっているレポート、登録してあるブログを毎日目を通すだけで、2〜3時間は過ぎてしまいます。

 中部大学の聴講生としての予習、復習そして宿題が加わりますので、1週間はアッという間です。

 毎度書いていることですが、今のところは「ウロウロ、オロオロしていません」。
 多分、今、展開されている世界の出来事をそれなりに予測し、頭の中で仮想展開想像していたからでしょうか。

 偉そうなことを書いていますが、明日はどのようになるのか予測はつきません。

 今週に入り、瑞浪の畑から抜いてきた大根や赤カブラの菜飯が美味しく、牛蒡、にんじん、秋ササゲ、サトイモの煮物も大変美味しく、朝・昼・晩と大満足しています。

 また、庭では塗り直した茶色の机の上に、赤と白そして黄色の洋蘭が咲き、机の色ともマッチし、朝の気温20度の秋空の下で気持ちよく目覚めを楽しませてくれます。

 追記で載せます。(コラム 1−D NO875に対応して)

      

           






    COLUMN 2-N 277
                                  

                                 平成20年10月21日 記

  久しぶりに 中日新聞・夕刊(10月20日)より

思うままに 梅原 猛「不幸にして予言があたった」

 
 『1991年、ソ連が崩壊した時、 あるアメリカの高名な哲学者が、ヘーゲルの弁証法的論法に従って「これで対立の時代は終り、歴史は最終段階を迎えた」と論じた。

 私は、それはとんでもない見解であり、マルクス主義を信じたソビエト的近代主義は終わったが、次は資本主義を信じるアメリカ的な近代主義が崩壊することであろうとこの欄で語った。

 2003年のイラク戦争が起こったとき、2001年のアメリカ同時多発テロに対する同国民の怒りはよく分かるが、世界平和のためにも、イラクへの攻撃は自重すべきであるとこの欄で論じた。

 例えばローマ帝国の滅亡は、祖国から遠く離れた地にローマ軍を送ったことが原因の一つであるように、遠隔地での戦いは、軍事力が優っていても、容易に勝利を望めないばかりか、その莫大な戦費が大国の経済を圧迫せざるを得ないと私は思ったからである。

 〜中略〜
 
 イラク戦争開始から5年後の今年、アメリカ発の金融危機が起こったのを見ると、歴史の動きはかなり速いといわねばならない。

 公的資金を使って金融機関を救おうとするアメリカ政府の提案について、ウォール街の高給取りに税金を使って救済することへの有権者の批判である。

 この批判は、死んだはずのマルクスを生き返らせるような極めて当然の資本主義そのものへの批判である。

 〜中略〜

 私の予言は不幸にもしてあたったようである。

 ソビエト社会主義の崩壊は日本へ好影響を与えたかもしれないが、アメリカ資本主義の崩壊は日本をはじめ世界にどのように甚大な影響を与えるか計り知れない。

 パックスアメリカーナの時代は終わった。

 世界は新しい哲学と新しい政治学、経済学を必要としている。 もちろん政治学、経済学は私がかかわることではないが、21世紀以後の人類に生きる目標を与えるような、デカルトに始まる近代哲学を根本から否定する哲学を創るのが、私に残されて人生の課題だと、このごろおおけなく思うようになった。



 ^余分なことをここに書かない方がよろしいと思っています。 と思いつつ一言、特にこの5年間「梅原 猛」先生をはじめ、様々な賢者の言葉を選び掲載させていただいた。

 そのほとんどは、「そのとおりだ」「そうすべきだ」「なぜ、分からないのか」と、世の中に対して、あるいは世のリーダーに対しての批判と提言であり、できる範囲での自己革新と行動を促すものでした。

 そして、今引き返すことのできない状況に至りました。
 
 口癖のように言ってきました「オロオロ、ウロウロしないこと」、「足が震えて、身動きができない状態であってはならない。 試行錯誤でよいから行為することだ」、「さあ〜、全てを肯定し、受け入れて、前向きに前進しよう」と、更に大きな声で言い聞かせています。
       健康第一!!、汗流せ!!、




    COLUMN 2-N 276
                                  

                                 平成20年10月16日 記

  「松藤民輔の部屋」より

 1907年11月2日の
   ロンドンエコノミスト誌に掲載されていた記事

 
 
 10月15日のアメリカのNYの株価が再び暴落、それにつれて10月16日の日経平均も再び9000円を割り込んだ。

 関係者や株の売買をしておられる方は先行きどのようになるかハラハラどきどきであろう。 

 が、こんな記事を読むと反省というよりは、気持ちがスッキリし前途に明るさが見えるような気になってくる。

 『1907年11月2日のロンドンエコノミスト誌に最近のWSJ(ウオールト・ジャーナル)に書いてある様な記事がある。
 人類は同じような過ちを、多少の金融商品の進化の中で繰り返している。
 
 恐慌は人類の進化の必要十分条件ではないか。歴史、時代、1000年と言う言葉を充分に実感し、噛み締める必要がある。

 なぜ人は生きるのか、金のため?恐慌の人類へのプレゼントは人生観の変更を促す日常性への黒船的役割がある。全てはショックから始まる。


“The financial crisis in America is really a moral crisis, caused by the series of proofs that the leading financiers who control banks, trust companies and industrial corporations are often imprudent, and not seldom dishonest. They have mismanaged funds and used them freely for speculative purposes. Hence the alarm of depositors and a general collapse of credit.” -- The Economist, November 2, 1907

 (意訳)米国の金融危機はモラルの危機であり、銀行、信託会社、産業企業を抑制する資本家の軽率さと不誠実さによって引き起こされた。

 彼らは資金管理を誤り、投機目的で好きなままに散財した。それゆえ、預金者への警告と信頼の失墜につながった。(エコノミスト誌 1907年11月2日)


 
〜必要必然なことが起こっているのですね。
 人間様のこの世の修行のために、神様は時おり「天意」をおろされるのですね。

 偉そうなことを書いていますが、現象面はこれからでしょうから、その時ウロウロ・オロオロしないために、怖い話、恐ろしい話、逃げたくなる話、惨めな話から逃げ出さずに肯定し、全て受け入れる心の準備をしたいものです。





    COLUMN 2-N 275
                                  

                                 平成20年10月16日 記

  あの増田敏男さんが、こんなことを言い出した

  〜やはり世の中、大転換中ということなのだ〜
    考え方、生き方、価値観が大変化する

 
 <久々に飲んだカンフル剤が効きすぎた

 カンフル剤とは今回のアメリカ発、金融恐慌に対して不良債権買取に加えて、公的資金投入がなされ、アメリカのNY証券市場は1933年以来の936ドルの株の高騰、日本の日経平均株価が1171円も暴騰したことをさしています。

 そして、以下のような発言を増田さんのブログに掲載しておられます。

『それにしても、そろそろ世界市場が日本経済を見直してもいい時期なのだが。アメリカに比べれば日本の実体経済は顔色もいいし、癌も無い。おまけに超安に評価されている。アメリカの建国の父、トーマス・ジェファーソンの言葉を紹介しておきたい

I believe that baking institutions are more dangerous to our liberties than standing armies… if the American people ever allow private banks to control the issue of their currency, first by inflation, then by deflation, the banks and corporations that will grow up around the banks will deprive the people of all property until their children wake-up homeless on the continent their fathers conquered. Thomas Jefferson 1802

(銀行は国民にとって戦争より恐ろしいものだ。銀行に札に代わる金融商品を発行する権限を与えると、世の中をインフレにしたりデフレにしたりしながら、銀行と共に栄える企業と共謀して国民からすべての財産を奪い取る。そしてその結果、国民の子孫たちは、せっかく建国の父たちが勝ち取ったアメリカ大陸で生まれつきのホームレスになる)。

206年前のアメリカの建国の父はすでに今日の銀行の問題点を見抜いていた。

我々はそろそろGreed (欲望)を主体とする自由と資本主義を考え直すべきではないのか。

「いったいお前たちは今まで何をしてきたのか」と先達に叱られる前に。』

 私が<あの増田敏男さんがこんなことを言い出したと驚いたのか、最後の横文字ゴジックのところです。

 増田さんは日本の富裕層からお金を集められ、ハワイやその他に投資をして大儲け(?)していた方ですから・・・

 自由・競争・市場を良しとする「資本主義」(正確な使い方でないと指摘されてしまう単語の使い方ですが・・)の中で、近年派手な動き方をされていた方のお一人と感じていたからです。

 世の中の大転換が起こっていることは間違いなさそうだと更に確信を持ちました。





    COLUMN 2-N 274
                                  

                                 平成20年10月5日 記

  今朝、目覚めの時に、脳裏を走ったこと二つ

 中部大学・河内信幸教授の
          「世界史概論」の教科書より

 

 教科書の著者は木村英亮教授の「20世紀の世界史」です。
 その書籍の結びに書かれていることを書き留めます。
 
 『20世紀は全体として資本主義の世紀でであった。 資本主義は利潤を目的として生産を行うためにもっとも合理的な体制を打ち立てた。

 修正が加えられはしたが、利潤追求という本質のところで人間のあるべき姿との矛盾は避けられていないように思われる。

 同じ本質は、教育にも貫徹している。
 受験体制を極限まで推し進め受験勉強にもっとも適合した体制を確立し「一流」大学進学を誇ったとしても、これは受験勉強の能率を上げる点ではある合理性を持っているが、本来の教育ではない。

 これと同じように、利潤を目的とすることもある面では合理的であるが、それで本当の人間生活が保障できるか、一人ひとりの「幸福」を確保し得るような社会的な分業体制が作られるかは問い直しが必要ではなかろうか。


 学問的に「資本主義」とは何かの知識はありません。 が、専制君主が支配した絶対主義の時代から、市民革命、政治革命、産業革命を経て、自由・平等のスローガンの下自由競争・市場原理の資本主義が進展した。

 19世紀半ば、マルクス・エンゲルスによって、進展した資本主義の矛盾を克服するための『共産党宣言』や「資本論」が登場したが、独占資本主義が形成され、帝国主義の時代へと進み第1次世界大戦、第2次世界大戦と大きな悲劇が世界を席巻した。

 その間、世界恐慌の時代後、ソ連を中心とする社会主義(共産主義)の力が示されることもあったが、長い冷戦構造の時代の後、ソ連は崩壊した。

 世界はアメリカの一極支配体制のもと、新保守主義、新自由市場主義、グローバリズムで、行き着いた先が実体経済を遥かに凌駕した「マネーゲーム」であり、アメリカのサブプライムローンを発火点として、世界の人々を巻き込んで不透明で不安、不信の時代となったのが今日です。


 もう一つ脳裏を走ったことは、積算と加算の拡大再生産社会の終焉でした。
 いや、社会などというのでなく、私の脳裏に刷り込まれてしまった、物的な豊かさ(金の力)によって「幸せ」になれるという思い込みです。
 「モアー&モアー」、「加算、積算してさらに多くのものを・・・」

 これ以上のエネルギーの過剰消費は地球の破滅です。 地球レベルでの理解などは及ばぬところとしても、私たちの日々の生活において、これ以上のエントロピーの拡大は肉体と精神の破壊に結びつきます。

 エントロピーなどと訳のわからないことではなく「ストレス」といえば分かりやすいでしょう。 私はこのストレスの弊害では実感を持っておりますので言い切ることができます。

 戦後、日本は高度経済成長時代とその後も低成長とは言えどもモアー&モアーの経済でした。 その間、幾多の公共投資がなされましたが、都市景観や近時の異常気象時に見られる洪水等による被害は公共投資の名の下になされた負の資産とも考えられます。
 天然資源のない日本、あるいは四方海に囲まれている日本は、世界の人々と平和裡に貿易をしなければなりません。
 付加価値を付けるという発想のみでなく、安心できる本物の日本で作られた品々(MADE IN JAPANESE)輸出をして食べてゆかねばなりません。
  そのためには港湾と空港が必要で、ここにははさらに投資が必要です。

 一方、これまでに作られた箱物といわれる建物や自然を破壊し、美観・景観を損ねている代物もたくさんあります。 これらをリ・ストラクチャリングをしなければなりません。

 これは今までの積算、加算の物差しではマイナスと計上されてしまいそうですが、自然環境を取り戻し、新しい産業構造、社会構造、あるいは新しいロハスな社会への移行期に発生するだろう失業者へ希望と夢を持っていただくプラス事業と考えます。

 「健康で持続可能な生活」「健康で・明るく・楽しい生活」はとの問いかけの毎日です。 が、 理屈ではわかっている積もりでも日々の生き方の実態、それを判定している価値観はどうなっているのかと反省ばかりです。
 




    COLUMN 2-N 273 
                                  

                                 平成20年10月4日 記

    『平成のブラックマンデー 』
 藤原直哉 さんのインターネット・ラジオより

 

 加藤が勉強のために活字化したものです。 一部前後を編集しています。
 
   http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/でお聞きすることができます。
  
    平成のブラックマンデー   藤原直哉 平成20年9月30日 遠山郷にて

『・欧米の金融は限界に来た、国=政府の資金を投入する以外ない。
・アメリカからヨーロッパにも飛び火した。ヨーロッパも頑張っていたが力尽きドミノ現象。
・世界中の政府によってジャブジャブに資金が投入されることとなる。
・新興国、ロシア、ブラジル、オーストラリア、ニュージランド等の資源輸出国もおかしくなった。
・中近東も騒がしくなった。

・どうなるのか?
 ・全世界の銀行がいっせいに休業(バンクホリデー)となり、シャッターが閉められる(取り付け不可)
 ・日本は世界最大の債権国ということは最大の不良債権保有国とも言える。
 →日本ではペイオフはできないだろうし、日本の人々は騒ぐから全て支払うと言うことになろう。
 →金は出るが年金、保険も大損をしている中、産業界は大不況。
 →2009年は「倒産と失業の嵐」が吹き荒れる。”ロハス的な戦略的低エネルギー生活“が求められる。

・日本政治、新保守主義者の小泉は引退し、一つの時代が終わった。彼は今追いかけられていることだろう。戦犯追求が始まる。 小泉チルドレンは選挙で全滅。
・民主小沢は大連立に執着している。責任のある立場になることを嫌っている。ビジョンとか、あるべき姿を口にしたくない。 選挙で圧倒的な勝利を望んでいない。 少々の勝ち方を望んでいる。
・読売の渡辺、氏家、京セラの稲盛氏がアメリカ属国政治の維持を企んでいる。 自公民でアメリカの属国を続けることを狙っているが、国民世論を分かっていない。
・麻生政権で辞任した中山大臣の属していた清和会(?)では、中山氏が発言して事柄は常に使われている言葉。
・麻生政権は結局「投げ出し解散」に追い込まれるのではないか。
・小沢氏は裏切ることが考えられるので、注目し・注意しなれればならない。
・次の政権は短命である。 支持率は急落するかもしれない。
・国民新党の綿貫氏が登場し、郵政民営化、福祉問題等を元に戻すと収まりがいい。

・アメリカの金融システム=ドルの市場は崩壊する。すると通貨システムも貿易システムも崩壊となる。
・新興国は債務不履行の状況でいつ資金ショートしてもおかしくない。
・国家デフォルトの発生であるが、IMRもその他の投資銀行も活動はできない。

・アメリカの政治はオバマが大統領となりブッシュの責任追及が始まるだろう。
・ネオコンはその追求逃れのために、破れかぶれの戦争に打って出る可能性が10月にはある(選挙前に)

・金融から産業崩壊と続き生活崩壊の恐慌へと連なってゆく。
・日本には低金利で持ち出された資金が還流し、貿易の代金は流入し金集まる。よって底は抜けない。
・激しい円高となって、崩壊する企業と生き残る企業とに二分化されてゆく。

・平成のブラックマンデーは人々に「ロハスな戦略的低エネルギー生活」を要求することとなる。







    COLUMN 2-N 272 
                                  

                                 平成20年10月3日 記

 このコラムのタイトルに戻るかな・・?

 本日は〜中日新聞、10月3日夕刊より
 『水の透視画法   辺見 庸』
     ”兆し、 うたかたの日々”より

 
 まず、気になったところの記述を入力します。

 『なにかがおかしい。 世界同時株安と未曾有の景気後退が進行中である。
 米国の株価大暴落(1929年)に始まった大恐慌よりさらに根の深い”経済の恐慌”がこの先待っている、と予測する専門家も少なくない。

 だが、この国ではさほどの危機感もない。
 明日は今日の続きという精神のイナーシア(慣性、惰性)が支配している。

 お笑い番組全盛のよし。
 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて・・・である。
 政治家たちは平気で笑う。 気候にせよ国際政治にせよ、百年来初めてという大変動が兆しているのにもかかわらず、来るべき破局の相貌を誰も知らず、おそらく、あまりにもこわいものだから思い描こうともしない。

 そぞろ虚しいうたかたの日々を、テレビとともにただ他人事のようにヘラヘラ笑って生きるのみなのである。

   *    *    *    *

これまで自明とされてきた欧米的な価値概念の基本も、じつは、一部ではつとに疑われ始めている。
 
 たとえば「民主主義」とは、”権力のレトリック”(注・加藤 修辞法、美辞、巧言)以上の何者ではないだろうか。
 民主主義とセットにされ、疑うべからざるとされてきた市場と競争原理という基本概念についても、一部の学究たちが批判的再検証を始めた。

 現代資本主義が撒き散らす狂った幻想をひっぺがえす作業に、おくらせながら、若い学者らも参加している。

 が、疑いの検証が根源的であればあるほど、表現が隠喩に満ちていればいるほど、そして思考の射程が長く曲折すればするほど、ファーストフーズ化し、頭脳が退化したジャーナリズムはその存在を無視する。
 結局は資本の意を対するのである。』

 

 昨年の秋期の中部大学の受講科目の中に、「マルクス」が登場し・活躍し周辺国に影響していった頃の社会思想史があり受講しました。

 一応私が卒業したことになっている愛知大学は、戦前中国の上海「東亜同文書院大学」の流れをくみ、戦後引き上げた同大学の教授や学生が豊橋市の「旧陸軍十八歩兵連隊」の跡地に建学された大学です。

 それ故に、昭和36年に入学した私は80%社会主義(共産主義)のマルクスの政治・経済思想の講義ばかりで終始しました。(たいして、勉強はしませんでしたが・・)

 1989年ソ連邦の崩壊により社会主義(共産主義)社会・思想は崩壊し、資本主義(アメリカ主義・市場主義・競争主義・グローバリリズム)のみが全て善であるとの前提で世界はアメリカ主導で進展しました。

 そのアメリカが今回のていたらくです。 それに追随した小泉・竹中政権はいうまでもありません。

 今回取り上げた辺見 庸さんのみならず、時折出くわす資本主義の矛盾を乗り越えようとしたマルクスの思想に出くわすたびに、少しばかり青春の期を思い起こしています。




    COLUMN 2-N 271 
                                  

                                 平成20年8月日2 記

         夏空の下で・・・

 
 我が家の庭の百日紅は8月の中旬を過ぎないと例年花が咲きません。
 昨日の散歩道ではご覧のようにサルスベリの花が満開でした。

          

 その代わりでもありませんが、今年も玄関先の高砂ユリの背丈が3メートルを越えました。
              

       その高砂ユリを少し加工しましたら、下の映像のようになりました。

              

 柳風とでも言うのでしょうか、同じ花がこんなにも雰囲気が変わってしまいました。

              

 藤棚の柱にとまっていました。 昨夜脱皮の為に地中より這い上がってきたのですが、
 力尽きたのでしょうか、背は割れ始めていますがそこまでです。
    今朝は既に写真には映っていない蟻がたかり始めていました。

              

      その隣では、金目ツゲの葉陰で油蝉の命が終わろうとしていました。

 福田総理の改造内閣が発足しました。 この夏をどのように泳ぎきるのでしょうか。
 秋風が吹くまで政権は維持できるのでしょうか。 
 人事みたいに眺めていずに、自分の事は自分で対処しなければと思う真夏日が予想される朝のひと時です。

 蝉の鳴き声は”急ぎなさい”とも聞こえますし、”今この時を、一所懸命に”とも聞こえます。






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                                 平成20年7月10日 記

    「ムクゲ」と「ハギ」と「ネジレ花」

 
                 

          

 この花に出逢うと「鶏」を思い出します。 ムクゲの花びらを二つに裂いて鼻筋に添って貼り付けて遊んだからです。 鶏の鶏冠に似ているからだったのでしょう。
 切り詰めても切り詰めても毎年新しい枝が伸びてきましたが、3年前に余りにも強く剪定しすぎたのでしょうか枯れてしまいました。
 散歩コースにあったムクゲです。 次々と花咲き、そして枯れる前に落花します。
 夏の日差しに強い花です。

    

            早くも「ハギ」の花が一輪咲いていました。
 少年自然の家の坂道で出会いました。 行きすぎようとしたとき呼び止められたように感じ、引き返して撮影してきました。

                  

                     ネジレ花です。
 昨日の朝、NHKのラジオでアナウンサーがネジレ花を見たことがないと話していました。 すると放送を聞いていた数人の方からこの花が届けられましたと今朝の放送で紹介されていました。
 我が家のネジレ花の歴史は20数年前、息子の高校時代、校庭に咲いていたからと一株もらってきたところから始まりました。
 芝生の間からヒョロヒョロと芽を出してくる時もあれば、絶えてしまったかと心配する年もあります。 今は鉢植えになっているので毎年お目にかかれます。



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                                 平成20年6月27日 記

   梅雨の中休みの我が家の庭に

 
 梅雨といえばアジサイです。 今、我が家の庭には4種のアジサイが咲いています。

             
 
                 このアジサイを選びました

               

      

  トケイソウです。 数年前より我が家の入り口の塀を多い被せてしまいました。

               

 この時期、我が家に限らず付近の家では、ノウゼンカツラの花咲きそろっています。
 毎日多くの花が落花するのですが、次から次えと湧き出るように咲きそろいます。
 また、毎年夏の終わりに切り詰めても、次の年には元気良く枝を延ばし花をつけます。
 うっとおしい梅雨時に、明るさと元気さを与えてくれるノウゼンカツラです。

              

 夕方の散歩に出かけました。 今時では珍しい手漕ぎの草掻き機(?)、中耕には早いと思うのですが実にユックリと作業をされておられました。
          







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                                 平成20年6月20日 記

   昨日の散策路ではカラスの死骸に出逢う

 
 ”朝、カラスの声を聴くと不吉なことがある”と子供の頃に教えられたことによるだけでなく、大人になっても黒光りするカラスには良いイメージは持っていません。
 
 1ヶ月ほどまで前の散策中に塵収集場所を荒らしているカラスを見つけて近付くと飛び立ち、私がその場を離れると直ぐに降り立ってくる。
 袋を詰め替えると突き破っているので網を被せて重石を置いたらあきらめた様子だった。
 
 夕焼け空を背景にカーカーと鳴きながらねぐらに帰る光景にはあの童謡が自然と口に乗る。 「カラスなぜ鳴くの カラスは山に 可愛い七つの子があるからよ・・・」

 と、思うと炎天下を歩いている時、上空で鳴く声は「この暑いのにお馬鹿さんね」とおちょくられている様で腹が立つ。

          

 道路上で何かを漁っていても車が来ればギリギリで飛びのいて轢かれる事等ない賢いカラスであるが、昨日はそのカラスの死骸に出逢いました。
 一昨日はカエルで、昨日はカラス。 本日は何に会えるのでしょうか。
 梅雨の合間を縫っての散歩です。
 
 今週中には瑞浪の畑に出向かなければなりませんが、お天気はどうでしょうか。
 何かイノシシ君が登場しているような予感がしているのですが・・・。






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                                 平成20年6月19日 記

         昨日の散策路で

 
 我が家の”テッポウユリ”が満開となりました。

   

 栗の木下、三叉路の角地で満開を迎えました。 全部で23個が咲きそろっています。
 花を近づけてみましたがユリの香はしますが、見たほどの強い香りはありません。
 まさか、このユリに見とれて交通事故が起こることはないと思いますが、これほどの数のユリが咲いていますとそれなりに綺麗です。
 梅雨空を忘れさせてくれます。

 少年自然の家に向かう坂道を登ってゆきました。 道路の端に見かけない茶色の石のようなものが遠目に見えました。
 近付いてもそのままです。 

              

 ご覧のように蛙でした。 ステッキで脅しても動こうとはしません。 後ろ足が伸びています。 ヘビにでも咬まれて逃げてきたのでしょうか。 
 そのままにしておきますと時折登ってきます車に轢かれてしまいます。
 再度、耳元で脅かしますとゴソゴソと動き出しました。 最後は松の枯葉に積もったところにドサッとジャンプいや転げ落ちました。
 この色は枯れた松葉の色です。 キット彼も夕方の散歩に出かけてわたしと遭遇したのでしょう。

 蛙助けをしたからでしょうか気分良く、一番遠回りの散策路に足を運びました。
 今度の出会いは蝶でした。 

              

 蝶と言っても蛾の一種かも知れません。 先程の蛙と同様になかなか逃げないので安心して撮影が出来ました。
 色のコンストラストが素晴らしいと感じませんか。





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                                 平成20年6月10日 記

  昨日はササユリの散策路を
    本朝は植物園のハナショウブへ

 
 梅雨の合間をぬって築水池一周でササユリを鑑賞に行きました。

        

 このササユリだけでは淋しいので、今朝、植物園に行ってきました。

   

          

 何時もはこの池の周りに居るカモたちが居ません。 何処かに遠足にでも行ったのでしょうか。 
 今朝9時過ぎに近所の小学校5年のS君が大きなバッグを背にして登校してゆきました。「遅いではないか?」と訊ねると「今日は野外学習です」と教えてくれました。

           

 その一団が春日井青年自然公園の入り口を登ってゆきました。 学校から2Kmですから歩いてきました。 同じ市内でも遠くの学校はバスでやってきます。

           

 居ました、居ました、カモ君たちも植物園から500メートルをヨチヨチ歩いてきたのでしょう。 私が近付いても逃げようともしません。 疲れたのでしょうか。
 場所は田植えの終わったばかりの畦にうずくまって朝寝?(昼寝?)でしょうか。

 明日はまた梅雨空が戻ってくるとの報道です。つかの間の空の下、家々のベランダには洗濯物が吊り下げられました。 




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                                 平成20年6月9日 記

  我が家のユリです。

 

    各地からユリの便りが聞こえてきます。 我が家の庭のユリは・・・

              

               只今は「オニユリ」が咲いています。

   

        ヒメユリ(?)                    テッポウユリです               

              

         ユリではありません。 「皇帝ダイヤ(木立ダリヤ)」です。 
 花が咲くのは早くて10月末、ほとんど11月になって風が冷たく感じる頃に、高さ4〜5メートルのところに花をつけます。
 例年、真夏日になる頃、背丈1・5メートルくらいのところで一度成長が止まり、8月末か9月初旬から再び背丈を延ばし4〜5メートルになります。
 
 今年は既に1・7メートルにまで成長しています。 ここ4年一本立てでしたが、今年は二本立てです。(芽は8個出たのですが、成長したのは2本です)
 春の到来は遅かったと記憶していますが、その後は例年より早めに季節が巡ってきているように感じています。

 そういえば、2年前バッサリ切り詰めました栗の木ですが、今年は花をイッパイにつけてあの独特な匂いをあたり一面に蒔き散らかしています。




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                                 平成20年6月5日 記

  久しぶりに掲載します
   この時期楽しませてくれるのは「ササユリ」です

 
              

              

 今年は花の数が多いように感じました。そのわりには複数の花が重なってのシャッターチャンスの場所がありませんでした。
 あと数回築水池(一周、約3キロメートル)のササユリ散策をするつもりです。




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                                 平成20年5月18日 記

  本日のお花「テッセン」「シャーレッポピー・ピエロ

    「ルピナス」「ベルフラワー」

 
 前回散策路の紫のテッセンを紹介しました。 その時、一輪咲いていた真っ赤なバラはその後、皆咲き揃いアッと言う間に枯れ落ちてしまいました。

        

 本日は我が家と隣家のテッセンですが、あの紫色のテッセンのイメージが鮮明に残っており、しかもバックが白色ですので縁取りをして挽きたさせましたが・・・

           

 5月9日に一度登場しました「シャーレポピー・ピエロ」です。 今度は仲間と団体です。

                  

        高級花「ルピナス」とのことですが、100円均一の花の種です。

      

 一輪一輪は直径1・5センチメートルですが、プランターにビッシリと咲きそろいました。





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                                 平成20年5月11日 記

  白雪の花・ヒトツバタゴ(なんじゃ・もんじゃ)

 
        

             春日井市都市緑化自然公園のヒトツバタゴ

 10年前までは国天然記念物指定の犬山市池野のヒトツバタゴ自生地に見学に行っていた。 ヒトツバタゴはモクセイ科の落葉高木で、国内では木曽川流域(愛知県、岐阜県、長野県南部)など限られた地域にしか自生していません。「なんじゃもんじゃ」の別名があります。

 上記の写真は10年ほど前に植えられたものでまだ高木と言うわけではありません。 そのためかまだ十分に白雪が積もったような状態にはなっていません。
 10年前頃より、この春日井植物園に限らずこの周辺では良く見かけるようになりました。 ヒトツバタゴの街路樹もあると聞きましたが、場所は忘れてしまいました。

 ヒトツバタゴのとなりに甘夏ミカンの木があります。

       

    ↑黄色の色は昨年からの実です

 この花の甘い香りを嗅ぐと7年前の「四国88箇所遍路」を思い出します。
 遍路の初日だったと思います、ほとんどの民家の庭にこの花が咲きそろっていました。
 
 遍路10日目頃からは南の高知県に入り、今度はたわわに実ったビワが目を楽しませてくれました。
 春日井植物園のビワはやっと小さな青い実となったところです。 オレンジ色になった頃撮影しようと思っています。
 


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                                 平成20年5月10日 記

 テッセン  万葉苑  ツツジ街道   築水池

 
    

       テッセンです。 散歩回廊のとある民家の駐車場です。
               赤のバラ、一輪が目を引きました。

      

                    植物園前のツツジ街道

                

 植物園、20年前に開園した時には「万葉苑」には”万葉集”から取上げられた短歌と共に十種の草花が紹介されていましたが、今は数種しか残っていません。
 その「万葉苑」に導く表示がありましたので、足を延ばしてみました。
 
          

     万葉苑の入り口です、本日は籠に盛り花とハンギングフラワーがありました。

                

               青竹にセットされた万葉の草木です
              
      

            最後は田植えを前に満水になった築水池です。
 



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                                 平成20年5月9日 記

 立てば芍薬、座ればボタン、歩く姿はユリの花

 
               

    花の名前は判りません。 花よりもバックの紫色の葉に興味が湧きました。

               

      シャーレホピー「ピエロ」と花カードに書いてありました。色々開発されます。

    

                本日の主役「芍薬(シャクヤク)です。

            

 シャクヤクに目が 奪われましたが、同時に車道の隙間に花を付けた「沖縄月見草」に感動しました。 我が家の庭にも毎年これでもかというほど咲きそろいますが、種が落ちる前に抜き取ってしまった為でしょうか、今年は街路樹の下で咲き揃っています。

 




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                                 平成20年5月6日 記

       雨上がりの初夏の庭で

         〜紫色の花々が目立ちます〜

 
 昨日は一日中小雨、 時折激しく降っていた雨も上がりました。 新緑が一際映えています。
 紫色の藤はスッカリ花柄を落とし若緑の葉が茂っています。
 藤色のライラック(リラの花)は房状の花柄が茶色に変色したまま風に揺れています。

    

         藤色に見えましたがカメラに納めると青に近い色のアイリスです

                 

      飛騨地方では確か「カケツ」と呼んでいましたが、正式な名前は分りません。

                 

                 ジャーマンアイリスは間違いなく紫色です。

                 
  
           日本オダマキです。ということは西洋オダマキもあるのでしょうが・・・

                 

                 強い花「シラン」です、ドンドン繁殖します。

                    

  黒竹の子が勢い良く伸びてきました。7月7日の七夕飾りには立派になっていることでしょう。




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                                 平成20年4月28日 記


       スズラン、ブルーベリー、シラー


        

 新緑の桜やサンシュの下の日陰でも、太陽が西に回り直射日光が当たるところでも、楚々と咲くスズランの花は可憐です。

          

 ラズベリーの花、これが実に成ってゆきます。 右側は泡のようにとイメージしてみましたが・・

                  

                 ↑、↓、  シラーが咲きそろいました。

                  





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