COLUMN 2-N NO290
平成21年1月31日 記
オバマ政権への疑問と批判の記事と論評が
目立つこのごろですが・・・
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オバマ政権が正式にスタートして10日間が経過しました。 あたかも準備されていたように、新聞報道や雑誌そして各種の出版物が目に付きます。
私は「コラム 1−D NO943」で以下のようなタイトルで書きました。
COLUMN 1−D 943
平成21年1月17日 記
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2001年小泉ー竹中ラインに騙された私
〜オバマ新大統領の変質に留意〜
「額に汗すれば心配なし、心は配れ」
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一言で言えば「オバマ政権の裏で蠢いている何かを感じる」。 かっての小泉ー竹中ラインに3ヶ月間騙された”しくじり”は2度としたくないから、慎重にオバマ政権を観察したいと言う内容でした。
ここに来て多く見られる、オバマ政権への疑問、批判、反対意見にも軽々しく乗るものではありません。
2001年の小泉ー竹中ラインに何故乗せられたかを考える時、当時の社会の不透明感・閉塞感の中、癇癪もちの私、先走りの性格の私が、タイミングよく発せられた小泉氏の「言葉の響きのみ=”自民党をぶっ潰す”」に乗って仕舞ったと言う反省からです。
私自身の主体性と自主性ある考え方や生き方、それに基づく将来見通しの見解、生き方をもっていなかった故と反省したものでした。
現下の世界の情勢を眺めれも、全く楽観的な状況ではありません。(日本は気楽過ぎる)
例えば、米国がオバマの登場によって何とかしてくれる、何とかなるだろうなどとの期待を持つことが大きな間違いと考えます。
米国は自国の国益第一の姿勢はなんら変わっていませんし、これまでの世界支配の野望もなんら変化なしと考えます。 今後、更に困った国の状況になれば、一層大乗段にかぶった傲慢な態度や施策を打ち出してくることでしょう。
そのとき、我が日本のリーダーたちは、自主性と主体性をもち、日本の将来ビジョンに照らして「イエス、ノー」と意見交換し、新たな日米関係の構築をする心の用意と戦略を持っているようには思えません。
自民党政権から小沢・民主党政権に転換しても同じことでしょう。 次は民主党政権でしょうが、半年も待たずに崩壊の憂き目になることでしょう。一時、混乱の日本です。
では、私達はどうしたら良いのか。悲観的見解を述べると、必ず返ってくる質問・意見です。
私はこのように考えています。
正しいとか、間違っていると言うのではなく、まず自分の意見、考え方を持つと言うことです。 主体性と自主性の問題です。
この情勢下、楽して、気軽に、面白く生きて行く方策などないと言うことです。 ましてや、それを他人様に期待する、あるいは教えてもらうなどと思ったり、考えるのは大間違いと考えています。
それよりは、今までの自分が体験してきたこと、経験したきたこと、知識を総動員し、更に己の個性・特徴・自信のあることを組み合わせて、試行錯誤することと考えています。
オロオロ・ウロウロと立ち竦んでいたのでは、更に体が硬直しそのまま行き倒れでしょう。
良かれと思うことに対して、第一歩を踏み出してみることが、今こそとるべきことと考えています。
再度確認します、「人頼り」が一番ダメ、自主性・主体性を持って、一番したいこと、自身のあることに取り組むことと考えています。 さァ〜今日も出発です。
COLUMN 2-N NO289
平成21年1月21日 記
なぜ、日本の指導層は対米追随者ばかりか?
「戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー」
(学者の主体性をむしばむ力)
松田 武 著 (岩波書店)
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中日新聞、平成21年1月18日の上記の書評を読んで、なぜ日本の指導層が対米追随者ばかりなのかの一端が理解できた。 以下、抜粋します。
『日米関係を「従属」とか「依存」と表現する場合、其の関係は主として政治、経済、であり、軍事であった。
(中略)
「ソフト・パワー」とは、10年以上前にジョセフ・ナイが紹介し広まった概念で、「強制するのではなく、対象国を包み込む実力」「誘惑して引きつける力」を意味するそうだ。
著者が分析している「関係」は、戦後の出発点の占領下で、米国政府とロックフェラー財団などが、日本に「国際文化センター」(現在の国際文化会館)を設立し、あるいはスタンフォード大学と東大、京大=同志社に「アメリカ研究センター」を設置してゆく過程に起きた「日米関係」である。
(中略)
こうしたなかで、日本人は内発性や主体性を失い、当時ロックフェラー財団の理事長職にあったディーン・ラスク(後の国務長官)は早くも「不屈の精神をむしばんで弱々しい人間を生み出すかもしれない」と見抜いていたと言う。
それ又、80年代にアメリカ政治史学者の有賀 貞(ただし)が、日本のアメリカ研究者が、「活力に欠ける」「輝きのない」業績を挙げていることを感じ取ったことにも現われているといえよう。
古今東西変わらぬ権力の誘惑に引き込まれた学者の宿命であろう。
著者が評価されているのは、アメリカ人によって批判されてきた日本人の観念的な抽象性を避けて、具体的事実を積み上げて本書を完成させたからであろう。
(評者) 古関 彰一(独協大教授)』
本日、海の向こうではオバマ政権がスタートしました。 オバマ政権が日本をどのように評価し、何を求めているかを探ることに汲々とせずに、自主性・主体性を持って日本から提案する時と考えます。
アメリカは弱みを見せることが出来ない状況に追い込まれています。 そんな中、さすがな就任演説の内容であったと思います。
真の同盟国であり、友人であるならば今こそ提案し、課題の共有と方向性を共有すべき時です。 それができるか背景を持っている日本なのですから・・・
ソフト・パワーと言う側面から見れば、日本には歴史、伝統、文化、ものづくりに技術・技能の背景には他に比類ない精神性があります。匠の技とそれを継続・発展させてきた精神は、なにものにも換えがたいものと考えます。
また、薄れてしまったと言われる人の情、人間関係、「和」の精神、調和の心は、十分DNAとして残っていますし、中高齢者ばかりの限界集落と言われている地には、溢れるほどに残っています。 それは21世紀の日本再生のためにも不可欠な要素であり、財産です。
ザーと見ただけで、日本は正に「ソフト・パワー」に満ち溢れた国といえるのではないでしょうか。 このソフト・パワーに更に磨きをかけて世界に発信し、交流し、新しい世界秩序の構築に貢献しなければと考えます。
オバマ政権の顔色を伺っている、あるいは当面の政局に明け暮れている、旧来の日本の指導者は、政治家も、高級官僚も、財界人も、マスコミも、学者も退場願わなければならないと考えています。
新しいリーダーシップを持った人々の登場がこんなに待たれ、準備されて時は、当に100年一度の希望溢れる時代であると2月3日・立春を前に明るい気持ちで居ります。
COLUMN 2-N NO288
平成20年12月29日 記
「けさのことば」 岡井 隆
中日新聞12月29日
〜独りよがりの慌しさも、納まるつつありかな?〜
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「寒風を衝いて行くより外はなし」 『虚子句集』 (高浜 虚子 自選)
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「北風寒し だまって 歩くばかりなり」 とか 「寒風に 向かいて老を 忘れおり」とか厳しい句が並ぶのは、昭和21年、敗戦の翌年の冬だからであろう。
「寒風」をついて出てゆく外ないのだし、歩いているうちに身体もあたたまって「老」を忘れることもあるかもしれない。 この時、虚子は72歳であった。」

↑何時もの散歩道、定点観測のひとつ「岩船神社裏、宮滝大池」、田圃と弥勒山と雲
〜机の上のメモ帳に記された課題も日増しに棒線が引かれて、独りよがりの慌しさが収まりつつあります。
どれほどの心構えは出来たかは自信がありませんが、目の前で進行している”100年に一度やらの恐慌”にも、これがなければ新しい時代への転換が出来ないのだから、肯定して受け入れましょうとの気持ちになりかけたように感じています。
「寒風」「北風」が吹くからこそ、身がしまり・心もしまるということでしょう。
昭和21年時は、4歳です。 記憶にあることが「サツマイモの粉の饅頭」を口に入れたのはよいのですが、その苦い事。 吐き出せば父親にしかられるから、口の中に頬バッタまま外に飛び出し、吐き出したことを思い出します。
戦争と違い、全てのものが焼き尽くされる分けでないので、「額に汗して、自然と対峙すれば、今まで見えなかった事や物が見えてくるのではないか」と思っています。
また、私が社会人となった昭和40年代前半の生活レベル(今よりは低エネルギー生活)を想定すればよいのではないかと思っています。
↑、↓ 今冬もプランターの「桜草」が咲き始めました

今年3~4月、我が家の前・通学路に面して15個のプランターで桜草が咲き揃った写真を探したのですが、直ぐには見つかりませんでした。 また、何時か・・・
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COLUMN 2-N NO287
平成20年12月27日 記
以下に掲載しますものは、コラム 1−D NO927で「2008年 何が起こるか? 21世紀の全貌を探る!」を掲載したところ、数人の方から「その後、浅井さんは、どのような発言をしているのか?」との質問を受けました。
コラム 1ーD NO927も私が要約したものを掲載したものでした。
今回、ここに掲載するものも私が要約したものです。 浅井さんの真意を損ねてるとは考えませんが、文責は私にありますことを記しておきます。
要約した原文は「経済トレンドレポート NO378〜379(2008年11月20日と30日です)
激動の世界情勢 〜浅井 隆 経済トレンドレポート
NO378&379 2008年11月20日と12月30日
・2007年7月発行の「2010年の衝撃」の本で、今回の金融危機を予測、が現実に起ることを見ていると身震い。
・2008年に世界は二度の株の大暴落に襲われた。 第1波は9月末から10月上旬、日経平均が10月17日に1万円割れに、第2波が10月中旬から下旬に、10月28日7000円割れ。
・2009年の春過ぎに第3波が来て、株も世界の経済状況も一気に下方に突き抜け、地獄に落ちる。
・今回の恐慌の特徴は「ステルス恐慌」。ステルスとは、米軍のステレス戦闘機のステルスで、レーダーに映らない、つまり的から見えない。
・なぜ見えないか→サブプライムローンは、本来貸しては成らない信用力のない個人に貸した=不動産版サラ金。
→貸し倒れ危惧があったので、銀行や不動産会関係の金融機関は、デリバティブを使い、リスク分散及び巨額のリターンを狙った。 其の上、テコの原理(レバレッジ)で何十倍にも膨らませた。
・今回の特徴は全体像が見えないまま、突然地雷のように爆発した。それに「異常に足が早い」
→金融グローバルの怖さは、成功者がアットいう間に脱落者となる。1929年の世界恐慌に四敵するか、それ以上。
・一番深刻なのはヨーロッパ。特にイギリス・ロンドン。他にアイスランド、新興国パキスタン、ハンガリー、ウクライナなど。これらの国々はここ数年政府が積極的に開放政策を推し進めていた。
・あと、「金利」に注意。金融危機に対応し自国からの資金逃げないように高金利。→世界中がグチャグチャ・
・なぜ、円は買われているか。
→@「CDS」=クレジット・デフォルト・スワップ、「CDO」=債務担保証券などリスクの高いものに手をつけなかった。
→なぜ、手をつけなかったか。バブル崩壊でデフレが続いた、リスクに敏感であった。
A日本の金利低かった。そこで円をドルやユーロに替えて他国に投資した。其の投資を手じまう為に、円に戻す。
世界中で大逆流、大逆転現象が起きている。
・学ぶべきは1930年代のアメリカ。
・株の底は1932年。が「愚か者の持ち直し相場」があり、更に最悪期は1933年であった。全銀行が口座を封鎖。
・株価の大底から金融恐慌になり、最終的なパニックが来るまでにはタイムラグがある。
→1935年再び、一種の天井が来る→安心して株買うが→ズルズルと1939年に向けて、1932年より酷くなる。
・1939年、第2次世界大戦勃発でアメリカは不況を脱出。戦争か動乱でも経ないと収まらない。
・その後、1929年の高値を抜くのは、25年後の1954年。
・今回をそれに合わせてみると、天井を2007年とすると世界的な大底は2010年、2008年とすれば2011年。
→日本の日経平均の大底は2010年〜2011年頃。
・80年前、1932年の株の底は約八分の一。→今回はNY14000ドル、2008年・秋の急落で10000万ドル。
八分の一とすれば、1700ドル。五分の一として3000ドルの可能性あり。時間は2010〜2011年頃。
・日経平均の大底は、7000円割れでなく、2009年頃には5000円。更に2010〜2011年ころ最悪3000円。
・日本国はどうなるか。〜短期円高、長期超円安の可能性〜
・バブルに懲りた日本「あつものに懲りてナマスを吹く」、リスク嫌い保守的が今回の円高を生んだ。
・が、長いデフレの間に政府が垂れ流した借金は、国・地方あわせて1150兆円。GDOの二倍は第2次世界戦争に負けたときと同じ。更に、今回麻生さんが税収落ちるが、バラまく。→結果「短期円高、長期超円安」
・この1〜2年は円高(2008~2009年が最後の円高)。2,3年後円高終わり、4〜5年後は徐々に円安。10年先は1ドル=500円、1ユーロ=800~1000円の可能性あり。→1〜2年の間に円を外貨に替えておく。
・2008年〜2010年世界経済は不安定、世界恐慌。
・2015年日本政府の借金GDPの3倍、インフレからハイパー・インフレに、国民の2割乞食同然。
・2020年~2030年破滅の総仕上げ=明治維新や敗戦に四敵するパラダイム転換。
・新しい時代の到来は2040年以降。
〜私(加藤)は求められるままに、ここに掲載してしまいましたが、この手の情報は各自自分で入手すべきことだと考えています。
加藤の考え方でもなく、加藤が取り寄せた情報でそれを要約しています。 何を入手するかに既に加藤の判断が入っていますし、要約においてはなおさらです。
そんなことは十分承知のことでしょうから、何も言い訳することはなかったのですが、私自身が情報を入手し、どのように判断するかの場面で、常に自分に言い聞かしていることに、「自己責任」ということが脳裏を横切っているからです。
これから、数年は判断に迷うことばかりの連続でしょう。 腹を据えて行動していなければ、ウロウロ・オロオロに日々となると言い聞かせています。
COLUMN 2-N NO286
平成20年12月16日 記
松藤 民輔さんの
「牛之宮ウィークリー No716 より」
〜人間の幸福はいつがピークか〜
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『フランスで行なわれた調査によると、お金のあるなしに関わらず、男女の関係なく65歳から70歳が幸福度のピークとの調査結果。 ほのぼのとしたニュースに心温まる。
人員整理、解雇、倒産と暗いニュースの日々そんな結果に驚く。
お金があっても若くても幸福度のピークは65歳以上70歳。
70歳をす過ぎると幸福度は除々に低下していくと言う。
お金持ちも同じような結果が出たと言う。
人生生きたものが勝ちかも知れない。 これから始まる失業が普通の時代。
失業により失意は高まるが、生き方に対して深刻に取り組まざるを得ない。
お金が人生を豊かにするとは幻想で、お金もちほどお金に心配している。』
(この後、松藤さんが出合った金持ちの相続をした青年の話、日本を代表する会社の孫の話と実例が紹介されている)
そして、その彼らは「今はただの青年として3LDKの小さなマンションが一番幸せだという』と書かれていた。
〜金持ちでもないので、其の青年やお孫さんの話には実感が沸かないないが、引き継いだお金に縛られている人生を想像すると少しばかりは分かるような気もする。
ところで、私は今66歳、年が明けて1月14日で77歳。 上記の調査によると幸福度のピークに位置することとなる。 このことは十分に心しなければいけないと言い聞かす。
確かに、特に不満も不安もなく、日々の生活には支障ない。 好きなこと、納得できることに十分に時間を費やしている、正に幸福度のピークだと確認する。
余りいい気になって走り回ると、其のうちにドスンと落とし穴に嵌るのではないか。
自戒して進もうと思う。 今から、中部大学の聴講生です。
COLUMN 2-N NO285
平成20年11月28日 記
まったく「ピンボケ」でした私の感覚
〜コラム1−D NO902 の答え〜
中日新聞 平成20年11月28日「夕歩道」から〜
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まず、『夕歩道』の記事から紹介しましょう。
『新島襄が京都に英語学校を開いたのは1875(明治8)年の、明日である。
すなわち同志社大学の創立記念日になる。 新島は下級武士。密航、渡米して米国でキリスト教主義の教育を学んだ。
新島に「自責の杖」というエピソードがある。 生徒が校則違反や不祥事を起こしたりすると自らの手で杖を打った。 その責任は自分にあるとする。
これはさぞ学生達も驚いたことだろう。
先日、東京で大麻を摘発された大学生たちの映像を見た。 室内を捜索する捜査官に「えーっマジですか」。
このぶんでは先生が「自責の杖」を示したところで、やはり「マジですか」だろう。
〜私の「コラム 1−D NO902」には、少なくとも「自責の杖」の念がなかったのではないだろうかと反省した。
少なくとも、思いもよらない時代の様相になっていることに、大いに悲しみの情を抱いていることは、間違いないのですが・・・・さて・・
COLUMN 2-N NO284
平成20年11月24日 記
『米国の変革と日本の右往左往』 高村 薫
〜中日新聞 11月18日 朝刊より〜
私、「それが再生の近道ではないか」と思う。
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