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 COLUMN 2−N No330
                         成24年6月16日・ 記

    "ブッダをたずねて”   立川武蔵

        〜中日新聞・6月16日・朝刊より〜



 『私は其の日、朝から風邪気味だった。 開け放した窓からは冷たい風が吹き込んでくる。 カトマンズの安宿の食堂だった。

 「何か暖かいものを」と言う私の注文に応えて、少し黄色がかった粥らしきものが運ばれてきた。

    中略
 
 食べた後、それがかつてスジャーターと言う名の娘が修行で疲れ切ったゴータマ・ブッタに捧げた乳粥(パヤス)だと聞いた。

 聞いた瞬間、食べてはいけないものを食べたような気がした。
 だが、今では私の好物である。

 「スジャーター」とは、「良い生まれの女性」「あるいは、「正しく生きる女性」と言うほどの意味だ。

 今ではインドやネパールでは一般的な名前である


 〜昨日豊橋の姉の家のこと。「生クリーム」が切れてしまっていると言うので早速近くのショピングセンターに一人で買い物に行った。

 冷風が流れている冷蔵庫の前で作業していたパートの方に「スジャータ」はありませんかと尋ねると、「それはコーヒーコーナーの方だ」と案内される。
 生ものなのに可笑しいなと思った、案の定そこにななく、元の場所に戻った。

 何故、私が「スジャータ」というブランドを指名したかには訳があった。

 これを製造する名古屋製絡株式会社は研究途中に発明した「無臭ニンニク」(滋養・健康促進食品として)を、年間10億円まで、満年齢が50歳以上に方に無料提供しているからです。

 私も既に20年以上御世話になっているし、姉にも薦め継続している。

 
 手にした生クリームの袋の製造者を見ると、なんと名古屋製絡とある。
 それはユニーグループのプライベイト・ブランド「スタイル・ワン」と表示されていたのです。

    なぜか、少しばかりお返しが出来たような気持ちになった。


 この話を本日相方にした。

 「スジャーター」とは、「良い生まれの女性」「正しく生きる女性」と言う意味と解説すると、即座に「私みたいな女性のことね」と反応。

 普段・普通ならここで強烈な嫌味を放つところであるが、それを飲み込み「そうだね、本当にスジャーターだね」とお返し出来た自分に満足しながら2階への階段を軽やかに登った。



 COLUMN 2−N No329
                         成24年3月9日・ 記

    コルマンインデックスの終了とこれから
         〜私たちの未来形〜 

 「たまゆら NO212号 21012年3号より 



 『意識の変化』
 1、将来の目標を志向する合理的な行動が希薄となり、生きている「いま」に最大の幸福を感じる意識に変化する。

 2、物欲や他者の支配を欲する権力欲が衰退し、人間関係に最大の喜びを見出す意識状態になる。

 3、競争で勝利し、権力を追い求める強い自我を持った権力型から、多くの人を対話で説得できる対話型の人格ヘと変化する。

 『社会システムの変化』
 4、ピラミッド型の階層構造に基づく権力型の組織が崩壊し、メンバーの協調によるフラットなネットワークの組織が社会のあらゆる側面を担うようになってゆく。

 5、無限の欲望の再生産と、無理な成長を強いる消費社会から、社会の実質的な必要性に基づいて生産する実質的な経済に移行する。

 6、根拠のない幻想的な価値観に基づく金融資本主義から、必要なモノとサービスの生産を中心とする実体経済に移行する。

 7、第6意識に基づいた古い社会集団への帰属意識の衰退と、国家の弱体化と消滅に向かう流れが出現する。

 
(注、第6意識とは、外からの世界に刺激を受けて知覚を通して、受信する感覚器官。 見る、聞く、嗅ぐ、味覚、触覚のその奥にあるのが第6意識。 5感から入ってきた情報を一つにまとめる。自分のを意識し、意志や意図をもつ)

 『思想の変化』
 8、特定の民族のアイデンティティーに過度に固執する民族意識や国家主義が衰退し、普遍的な人類意識は出現する。

 9、左翼と右翼、保守と革新と言う二極に分化した対立した見方にも共通点を見出し、対立を統合する総合的な知ヘと移行する。



〜以上のように指摘された変化は一気にくるとは思いませんが、間違いなく人々の意識の中、認識の中に芽生えてきていると感じます。

 特に。昨年の3:11の震災以降の言動に其れを感じます。
 隠されていたモノ、抑圧されていたのもが暴かれ・噴き出して来ているように感じます。

 崩れ去るモノはどうしようもなく崩壊の道を歩いているようにしか見えません。これまでの各界のリーダー層や組織にそれがハッキリと見えます。

 このような時には自然界に置いても転変地異も起こると言われる。

 自分自身のことを振り返っても物欲や権力欲を志向して走っていた時、其の事しか見えませんでしたが、病気と言う切っ掛けが教えてくれた事をいまになってみれば感謝せずにはいられません。

 長年の習慣と生まれ育ちの習性から脱皮できずにいますが、この14年間でソフトランディングさせていただきこれまた感謝です。

 間違いなく近づいているこれらの変化を素直に受け入れ、変化の流れを楽しむ旅をしたいものです。




 COLUMN 2−N No328
                         成24年2月25日・ 記

        語るに落ちた民主党
 
  中日新聞・夕刊「夕歩道」 2月23日より    



 2月23日の中日新聞の「夕歩道」には、長い間感じていたこと、言いたかった事が書かれていた。

 其の内容は以下の如くです。

 『「旧来の思考と権利構造から抜け出せない旧体制を打ち破り」と崇高な言葉が続く。

 実はこれ、1998年の民主党の基本理念の一節。 古文書を引っ張り出したのは、其の言行不一致に驚くから。

 7人いる党最高顧問に政策担当をお願い。 沖縄を落胆させた宇宙人氏が外交担当。 原爆事故の対応で批判を浴びたお遍路さんがエネルギー担当・・・。

 ブラックジョークと笑えぬほど、屋上屋の旧型思考。

 衆議選マニュフェストには世襲禁止を明記していた。 引退をほのめかす平成の黄門様は、長男後継を念頭に「後援会は、別の党からでもと言う・・と、むにゃむにゃ。 さぞや古文書が目障りだろう』

 
10年以上前から、自民党の政治に行くづまりと嫌気がさしていた(利権と癒着構造、課題の先送り、政治家の世襲等)

 その頃から、波動の会のメンバーと『どうせ政権交代しても大したことはないだろうが、それでも政権交代した方が今よりもっと、誰がやっても同じと言うことを多くの国民が知ることになるだろうから、一度民主党に政権担当させたらよい』と話していたのものでした。

 そして、民主党政権が誕生した。 予測していた通りの情況と、それ以上の内部混乱をもたらした。 それが日増しに抜き差しならぬことへきました。

 3年前に、一度政治の行き詰まりから、経済・金融の混乱・破綻と進み、既存の政治家・官僚・マスコミ・学界・財界の総入れ替えがない限り、次の新たな道筋は生まれないと感じ・波動の会で口にすることとなった。

 (このところそれに加えること、裁判所、検察庁も隠されていた事柄が一気に噴き出してきた状況と思います)

 それにしても、日本には様々な多くの蓄えと庶民の忍耐力と言うか我慢(庶民の保身体質と姿勢も加わって)この20数年を過してきたものだと思わざるを得ない。

 これまで隠されていたこと、気づかなかったことが時代の下り坂の中で露呈されてきているこの頃です。 これまでのリーダーの一掃なくしては新しい世への展開は期待できないと思わずにはいられない。

 政治に関する発言は極力控えてきたつもりであったが、一昨日中日新聞の「夕歩道」を読んで、ここに入力をする事によって溜飲を降ろしたと言うか、私だけでなく多くの方が同じ思いであると共有できました。

 そこで、ここからです。 ここまでなら、「目糞、鼻糞を笑う」と同義。

 下り坂は決して悲観することはないと思います。 これまで積み上げられてきた矛盾や異常さを気づかせ、再生の足がかりとさせてくれると考えるからです。


      本日から冬の遠山郷へ2ヶ月ぶりに出発です。
        どのような作戦会議に成るか楽しみです。


 COLUMN 2−N No327
                            平成23年12月31日 記

      けさのことば    岡井 隆

      中日新聞12月31日 ・朝刊より



 真夜ふかく 極まるときし 東の暁の光の 
            ただよふにしか あらし  『形相』 南原 繁


 「真夜」(歌ことばで夜のこと)深く、その夜が極点に達する時(「し」は強調の助詞)
             東の空に暁光が漂うのであろう。


            (「あらし」は「あるらし」と同意


 第2次世界大戦の終わった時、20年にわたって日誌のように書いてきた歌の最後に、政治学者南原 繁はこう書きつづった。

 私達も年の終わりに闇の彼方の暁光を願わずにはおられない。



 〜「来たれり 暁 霊魂磨き  行のとき」 と書いた私。

 其れに続いて「猛暑の昨秋  落花生 
                 殻のみの収獲を 行なりと」と綴った。

  今夏は6人の仲間と1・3反の水田と0・6反の畑を耕しました。
   6俵の米に、10Kgの大豆、秋ジャガイモ10Kgと白菜少々。

 大半虫にやられたトウモロコシ、水田の横の畑のカボチャは全くダメ。

 採れて良し、採れぬも良しの「行」とばかりは言っておられない時が近づいて来ている予感がしています。

         鍬の足元に落ちる一滴の汗こそ暁なりや!

         



 COLUMN 2−N No326
                            平成23年12月14日 記

  中部大学・ヨーロッパの歴史・鷲見 洋一教授

   「生活の中の情報革命」で参考文献となった

 『観光ビッグバンと文明の磁力』 石森 秀三
      ”学鐙”(丸善)2003年11月号



 秋期の講義も終盤に入り、春から継続講義されていた「ヨーロッパの歴史」も19世紀については最後の講義となった。

 本日のタイトルは「生活の中の情報革命」です。

 1814年以降からクリミヤ戦争(1853−1856)まで続いた国際秩序のウイーン体制が崩壊しヨーロッパの均衡が崩れる。

 その要因は国民的イデオロギーと軍事技術の進歩であった。
 戦争のエチケットなどはなくなり、暴力の利用における機関銃のような大量殺戮の道具が躊躇なく採用されてゆく。

 アメリカ、英国、フランス、ロシア、そしてロシアに勝利した日本が名乗りを上げ、ドイツも同様に植民地を要求してゆくという時代背景。

 また、貴族や地主にかわり、ブルジョアジーが我がもの顔に振る舞う社会が誕生した。銀行家や貿易商、工場主、そしてフランスでは金利生活者が
社会生活に置いても、価値体系に置いても、主導権を握っていた。

 タイトルは「生活の中の情報革命」で有るが、鉄道・道路、電気、印刷と新聞、写真、デパート、博覧会、観光産業とあらゆる分野の革命である。

 その中の「観光産業」にスポットを当ててみます。そこで取り上げられた参考文献が石森 秀三氏の「観光ビッグバンと文明の磁力」です。要約します。

・『2010年代後半にアジアにおいて、観光ビッグバン(大爆発)が発生する。

・第1次観光革命は19世紀の中ごろ(特に1860年代)にヨーロッパで起こった。1869年のスエズ運河の開通、アメリカ大陸横断鉄道の全通により、富裕階級による外国旅行ブーム。

 ・第2次観光革命は1910年台に第1次世界大戦を切っ掛けとして米国で、
 国民所得は上昇する中、中産階級にもヨーロッパ旅行が可能に。

・第3次観光革命は1960年代にジャンボジェット機の導入で、経費が大幅に安くなり北の先進国から南の観光旅行に。

 ・第4次観光革命は2010年代にアジアを中心に生じると予測する。
 このような観光大爆発を「観光ビッグバン」と名付けた。

 文明観光という視点

・2010年代の後半のアジアで観光ビッグバンが生じる事は確実だが、その大きな観光客が日本を訪れるとはかぎらない。むしろアジの観光客はジャパン・パッシング(日本素通り)によって、欧米に行く確率が高い。

 ・第1次の観光革命の際に、ヨーロッパの有閑階級が好んで訪れたのはギリシャやエジプトであり、インドや中国であった。

・これは、当時の中心文明圏の人々がかつて中心文明圏を観光すると言う現象で、このパターンは古くから存在した。

・ギリシャ文明が中心文明であった時代には、エジプト観光、ローマ文明が中心であった時代にはローマ人はギリシャを観光旅行した。

・第2次観光革命では、米国の中産階級が好んで訪れたのはヨーロッパ。
・第3次観光革命では、北の文明圏の人々は南の文明圏を観光旅行をするパターンと共に、米国文明は世界中から外国人観光客を魅きつけた。

・文明観光といっても、いくつかのパターンが指摘できる。

・ある文明圏が経済的に上昇期に入り、中心文明圏に成りうる可能性が出てくると、其の文明圏から外国観光旅行に出かける人多くなる。

・其の時の目的地は、それ以前の中心文明圏である。 中心文明圏の役割を果たした文明システムは世界から人々を魅きつける「文明の磁力」を有するとみなすことが出来る。

  文明の磁力

・人間は自然に働きかけて、様々な装置や制度を生みだした。
 そのような有形無形の人工的な装置群と制度群を含む人間の生活システムを「文明」と定義づける。(梅棹忠夫氏の提唱する「文明システム」)

・システム論の視点から表現すれば、人間が居住する環境の中で、人間ー自然系としての「生態系」から発展した人間ー装置・制度系が「文明系」なのである。

・この全体的な生活システムを構成する装置群・制度群が「文明」であり、それが人間精神に投影され形成された価値体系が「文化」である。

・一定の地域に住む人間集団が歴史的に生みだし、蓄積してきた装置群のサブシステムと制度群のサブシステムからなる一つの生活システムを「文明」とみなすわけである。

 ・「文明の磁力」という視点かみると、ヨーロッパでは18世紀以降に、人間の移動や集客を可能ならしめる文明システムの整備が効率的に推進された。
・EX、蒸気機関車の発明、その後の鉄道網整備によって、19世紀中ごろには人々が各地を旅行出来るようになった。

・その後。19世紀中ごろには、主要駅にターミナルビル、一部にはステーション・ホテル、一方豪華な宮殿ホテルモ建てられた。

・そのような装置群の充実化にとどまらず、制度群の充実化も促した。
EX,「博覧会」。博覧会は自由競争をとおしての「進歩の実現」という19世紀の支配理念を象徴するイベントとなった。 科学技術の一層の進歩に拍車がかかった。

・ヨーロッパ諸国は、早くから観光集客の重要性に気付いており、第1次世界大戦を契機として、スイス、イタリア、フランス、スペイン等が政府観光局を設置し、国際観光の振興と共に、平和創出への貢献を行った。

・パリ、ウイーン、ジュネーブ、ブリュッセルは国際機関の誘致、国際会議の中心舞台となった。

 日本文明の磁力
・なぜ、現代日本の文明システは、強い磁力を発揮できないのか?

・その一つに、明治以降の「文明資本」形成のあり方もその原因の一つ。

 ・文明資本は
「装置系資本」と「制度系資本」に大別できる。前者は施設などの有形ストックであるのに対し、後者は無形ストックである。

・「装置系資本」のうち、空港、港湾、鉄道、道路、住宅、社会福祉施設、文教施設、公園、上下水道、治山治水施設などは、生産活動や生活環境の基礎をなす社会的設備や施設である。

・この装置系資本の整備は、民間投資に委ねると国民生活に著しい不都合が生じやすい為に、公共投資による整備が不可欠となる。
・一方、制度系資本のうち、交響楽団、劇団、公益法人、大学、博物館、病院、美術展、映画祭、芸術フスティバル、博覧会などは国民生活の質的向上に必要な文明資本である。

この制度系資本も又、市場に置いて収益性を確保できない基礎的・基盤的な文明資本であり、公共投資の対象となる。

・が、これまでの公共投資は「有形の資本」である各種施設群に限定されており、制度系資本のような「無形資本」は対象外となっていた。

・有形の装置系資本である制度系資本を「文化資本」と名付けたい。 この文化資本も「国民生活の質の向上に必要不可欠な諸制度」である。

・EX、カンヌ国際映画祭、ベネチア・ビエンナーレ、ザルツブルグ音楽祭など、これらは世界中から人々を呼び寄せる。ヨーロッパでは1世紀以上前から、文化資本の形成に力が入っていた。

ソフト・パワー時代

・近代日本では 明治期から戦後の復興期、高度経済成長期、そして現在の低成長期に至るまで、公共投資による「文化資本」整備は一貫して、「経済効率性の重視」に終始していた。

・其の結果、日本の文明システムは、過剰な「装置系資本(社会資本)整備の偏重による「文明資本」の形成の不均等を顕著にしている。「文明の磁力」強化にはつながらない。

不均等な文明資本の整備に終始してきたことによって、日本は「文明の磁力」を発揮できないまま21世紀を迎えた。

21世紀後半のアジアにおける観光ビッグバンを視野に入れて、日本の文明システムの磁力の強化を図らねばならない。

・20世紀は軍事力や生産力等のハード・パワーが他国に威力を与える源泉であったが、21世紀は知力や文化力、情報力等のソフト・パワーが他国に影響力を与える源泉となる。

・大交流時代において、日本が文明の磁力やソフト・パワーの強化に全力を投入していけば、世界の中で独自のプレゼンスを示すことが可能になる。』

          


 COLUMN 2−N No325
                            平成23年9月28日 記

     けさのことば      岡井 隆

     中日新聞 9月28日、朝刊より



 平凡な事を 毎日平凡な気持ちで 実行することが、すなわち非凡なのである』 
          「世界名言集 知と愛のことば」 (斎藤正直編)

 
「生きることが下手な人へ」と言う項目には掲出句(ジットの言葉)のような「名言」が並んでいて勇気を与えられる。

 「その日その日が一年中で最善の日である」(エマーソン)などと言うのもその一つ。
 
   こういう言葉は、一日のうちでも朝に刻む事が大切なのだろう。

        

        

   
↑何時もの散歩コースから横道に入ると、15号台風の爪痕↓

        
          
        ↑昨年、この田圃「赤米」が植えられていました。

       山から流れ下った鉄砲水でなぎ倒されたのでしょう。

  
何事もなく平凡に日々が過ぎて行くとつまらない一日を送ったように感じるが、何事もなく過ぎて行くことが、非凡なことと教えられる。


        

 ↑再び、何時ものコースに戻る。 大谷川の左岸にはススキが、右岸にが葛の蔓がまだまだ元気に土手を覆っています。

  遠くに岩船神社の鳥居がいつもに増して、目に飛び込んできました。





 COLUMN 2−N No324
                            平成23年9月11日 記

     天谷 直人さんのメール・マガジンから

        〜私の返信を送りました〜



□■ 天木直人のメールマガジン2011年9月11日第632号

   絶望的な第3次復興補正予算と「もう一つの日本」づくり 

 『私は大震災直後に書いた「もう一つの日本」づくり構想で、この未曾有の不幸を転じて福に変えるには、戦後66年もの長きにわたって続いた

この国の権力構造を変え、国家権力の行使と予算の編成・執行の担い手を根本的に変えることであると書いた。

 一気にそれを行なう事が無理なら、せめてその一部でも住民、自治体の手に委ねて、国の復旧・復興策と競い合わせよ、と書いた。

 住民・自治体の手による復興策が国家権力が押し付ける復興策よりも、より良いものであれば国民がそれを知ることになる。

 それが風穴となって平和革命が起きる。

 それが「もう一つの日本」づくりの考えの根底にある思想だ。
  既存の権力構造のままではこの国は救えない。

 それはなにも今度の大震災からの復旧、復興だけに限った話ではない。 大震災の前からこの国は根本的なところで行き詰まっていた。

 その行き詰まりは官僚主導のこの国の戦後一貫して続いた支配構造がもたらしたものだ。

 彼らにはどんなに浅知恵を絞っても解決できなかった。 
 政権交代が起きてもその構造がまったく変わらなかったことによって絶望的になった。

 もはや「もう一つの日本」を住民、国民に作らせてみるしかないではないか。大震災から半年たって、私のこの思いは強まるばかりである。

 そして私は9月10日の日経新聞と毎日新聞に掲載されていた第3次復興補正予算の記事を見て確信した。

 このままでは日本は終わる、と。

 財務省は9月9日、本格的な復興対策を柱とする第3次補正予算について各省庁からの要求を締め切ったという。

 なんということか。
 従来どおりの各省庁の予算の分捕り合戦である。政治主導はゼロだ。

 その中味を見れば絶望的だ。各省庁が自らの権限や仕事を増やすための、「省あって国なし」の予算要求ばかりだ。

 その内容をここで一つ一つあげつらう必要はない。

 エコポイント付与、貸付支援拡充、企業女性、技術開発支援、省エネ製品購入補助、などなどどれもこれも従来の発想の延長でしかない。

チマチマしたものばかりだ。各省庁が同じような発想で無駄に競合している。

 なによりも被災民が緊急に本当に必要としているものが何一つない。
おまけにこれらの予算を当てにした企業が既に張り付いているに違いない。

 絵に書いたような利権政治の復活である。
 官僚主導に回帰した野田民主党政権がこれを大きく差し替えて大胆な施策を打ち出すとは到底思えない。

 すべては今までどおりだ。違うところは大増税必至ということだけだ。税負担だけが残る。

 絶望的な第3次復興補正予算である。

 どんなに小さくてもいい。「もう一つの日本」づくりのモデルプロジェクトを実現して対抗策を提示しなくてはいけないと思う。

 インターネットでそれができれば、日本版エジプト革命である。』


〜  天木 直人さんへ

 何時も真摯に今日のそしてこれからの日本を憂い、希望が持てるようにとの視点から、あるいは国民が知らされていない事柄を様々に提供していただきありがとうございます。

 今日の世界と日本の状況に対する私見を申し述べます。

 ・MORE&MOREの競争市場主義の世界は行き詰まりました。そのリーダー達も先が見えました。

 ・主体性なき日本のリーダー達も一度崩壊するか、溶解しなければ新たな時代への進展はないと考えます。

 ・其れが御判りの上で、何とかならないかと目覚めさせるための提言や提案をされて居られる姿に、ご使命を感じ、感謝申し上げるとともに、なんら行動をしない自分に自戒の念を持ちます。

 新しい時代の再生は天谷さんが仰るように、身近なところから「もう一つの日本」をつくるところから始まると考えます。

 其の事を呼び掛けておられるのでしょうが、私もその一人ですが一度金融が、経済がそして生活が行き詰まらない事には一般大衆も本気で怒りを発する事にはならないのではないでしょうか。

 収入がなくなれば、官僚も政治家も霞が関から、永田町から消え失せることでしょう。

 その時の方向性、指針としての訴えとは理解しているつもりですが、なかなかその真意が伝わらない、行動が起こってこないことに苛立ちを募らせているのではないかとこのような事を書きました。

 其れなりに理解し、賛同している者がいる事をお伝えしたくてメールさせていただきました。

                           加藤 大喜

  
 私のメール発信後、天谷さんから以下のようなメールが届きましたので紹介します。

 『メールをありがとうございました。私も一度はどん底に落ちないと日本国民は目覚めないと思いますが、それはやはり忍びがたことで、できればその前に誰かがモデルを示す事ができればいいと思っているわけです。

 夢想かもしれませんが、あきらめることはいつでも出来ると思ってもう少し頑張ってみようという事です』    天木




 COLUMN 2−N No323
                            平成23年9月6日 記

 「日本人が、これからの世の中の雛型を創る」
     
  自然信仰家 比嘉 良丸さん 
      インタビュー・編集  児玉裕子 さん
   
           にんげんクラブ 9月号より



   比嘉 さんは1960年生まれ、沖縄出身、伝説的な神人です。

 『私の見えるビジョンや啓示、予言があたらないために祈り続けている
  世界第3次世界大戦が起こるビジョンが見えている。
  悪いビジョンは、100%変えるためにある。

 スマトラの地震は、もしかすると日本で起こっていたかもしれない。

 人間の役割は、全ての生命の命を次の世代に繋ぐことが神から託されている。 人間が気が付けば、理想郷のような、調和した素晴らしい弥勒の世をつくりだすことが出来る。

 神は人間に超能力を与えたのではなく、創造する力を与えた。
 創造する力とは何もないところから想像して、物事や、機械、物質システム等を生みだして行く力。
 それは創造主である神と同じ力を頂いているということだ。

 それをどう生かすかという事を、どのようにとらえるか。
 地球が生まれ変わった時に、全ての命をきちんと次につなげる役目。

 それは神や宇宙人が行うのではなく、人間に託された使命。
 その役目を果たすために、人間は本当の「気づき」が必要。

 

 東日本大震災と、福島原発の事故の啓示はあった。 「事故は回避出来た」との啓示があった。 が、何故地震と臨海事故が起こったか。

 今回の地震は、地震破壊兵器を使ったという説を唱える人がいる。
 それを「そうだ」と言えたら、私も謎が解けるし、気が楽です。

 が、今のところ、ハッキリと納得していないから、明言を避けている。

 今回の事故は、国が国民を守る側に回って動いたのではなく、国民をないがしろにした動きとしか見えない状況がかなりある。


 これからどうするか。

 食糧問題は皆で真剣に国内自給率を上げるべきだ。 
 日本は創造する力の中で、新しいフリーエネルギーや新しい経済のシステム、これまでにないものを作り上げることが出来る国。
 
 日本は一度どん底に落ちるが、それを自らの力で克服した時に改革した物事が世界のひな型になる。
 
 精神世界だけでなく、政治経済やエネルギーなどの分野において、ドン底をクリアする際に経験したことが、世界中の見本となる。

 

 日本は災害が起こり、見た目には最悪な状況であるが、実際には、新しい進化が生まれ始めている。

 大事なことは若い人たちを指導する40代、50代、60代以上の人たちが新しい価値観を持って動くことだ。 明治維新を起こしたのは20代と語られるが、それを受け止めたのは当時の40代、50代に人々。

 今後も災害は起こる可能性は高い。関東、東海、東南海、南海地震や富士山の噴火も周期的に起こる。 それらは、今世紀に起こる時期に重なっている。

 天変地異も心配だが、政治経済など現実の日本国の体制が心配。

 

 立て替えとは、一回全部、焼け野原となり、無になって、そこから新しく建て直すという意味合いがある。

 立て替え、立て直しとは、この世の出来事、物事ではなく、人間の心で起きないといけない。 心が変わっていなければ、何度無になっても、同じ事との繰り返しにすぎない。


  人間の心の意識改革が出来なければ、良い世の中はできない。
 
 人間の心が価値観を全部変えて、新しい進化した考え方に、作り変えて行くことが、実際に大きく世の中を変えることが出来る。

 心の立て直しをして、価値観を新しく創造する力
が、日本人に備わっている。 その中で沖縄は、日本の雛型とも言われている。

 環境問題や雇用問題などすべて含めて沖縄で解決出来れば、世界の問題は殆ど解決できるくらい沖縄には問題が集中している。

 特に琉球列島は、大陸が何度も浮き沈みして、今沈んだ状態にある。
 琉球はムー大陸時代の名残があるということも,啓示で言われている。
 古からの聖なる場所であることは確かであると思います。

 琉球民族が、日本と言う国を中心にアジアを一つに纏める役割の先発隊で動き、その後に、大きくまとめる役割が大和民族にあると思う。

 琉球民族は本当に日本国民として受け入れられて、幸せに暮らしているというのが現実です。

 

 日本と言う国は心優しく、みんな調和して、自らの国を理解しようとする民族なのです。

 自分を慈しみこと、自分の足元を見据えて、自分の大切な人の健康や幸せを祈ることが基本です。 人を慈しむ心、大切に思う心、それに勝る真心の本当の純愛というものはありません。

 祈りに付いて、誤解している人がいます。遠くの世界平和だったり、豊かさや幸せなどと、遠いところを見据えて、足元を忘れている人がいます。

 足元を見ることによって、自分の身近に平和や豊かさや幸せや愛、ぬくもり全てが揃っていることを、気づくのです。

 祈りは神に願うのではなく、実際には自分の夢や幸せを願い、それを自分の手に引き寄せるための努力を神に誓うことです。

 願うからには願いをかなえるために努力を惜しまない。それが祈り。
 祈りとは宗教とは一切関係なく、自分の心を覚醒すための源になる。

 だから、どんな祈り方でもいいので、毎日続けるのは素晴らしいことです。

     一人ひとりの祈りが、やがて世界を変えて行くのです。 


 〜はばったい口を利くようだが、このインタビューを読んでいて、現在の私のモノの見方、考え方、価値観として納得できる内容でありました。

 インタビュー記事としては大変長く、ページ数でB4で4枚半もありました。

 私の気持ちに心地良く聞こえた(読めた)部分に、何時ものように線をしながらでしたので、そこを抜き出したものです。

 話が急に飛び、前後関係が理解しにくいところもあろうかと思います。

 何かの参考になれば、特に自分への日々の心得として残しました。

 

 COLUMN 2−N No322
                            平成23年6月23日 記

   中日新聞・6月23日・朝刊

       「中日春秋」より
  ”我慢”



  「我慢」という言葉は面妖である。 字から受けるのは、むしろ自己中心的な感じ。

 手元の辞書を引けば、やはり第1義は「高慢」で、次に「強情」と。
 最後にやっとまるで反対の「耐え忍ぶ」が出てくる。

 ところで、日本世論調査会の最近の世論調査結果の中で、「八割」と言う数字に少々驚いた。
 
 原発廃止の方向を望む人が八割を超えたことにではない。
 
 電力不足を不安視しつつ、それで暮らしが不便になることを「受け入れられる」とした人が八割に達したことに、である。


 「3:11」以降しばしば言われてきたのは、日本人の価値観の本質的な転換の契機になるのでは、と言うことだった。

 だが、電気を自由気ままに使って、便利を謳歌する暮らしに慣れきってきた私達だ。それを自ら我慢するという意味は大きい。

     そして古代ギリシャの格言にある通りかもしれない。

        「自制出来ぬうちは自由とは言えぬ」

 この調査結果は「脱原発」のうねりが、決して感情的な爆発でないことを示している。
 冷静にデメリットもとらえ、それを承知でなお、と言う人々の覚悟と言ってもいい。
 

 即ち、それを「集団ヒステリー」と呼んだ誰かさんの表現は如何にも”我慢”だったということだ。 もちろん、辞書の第1の意味で、だが。



 〜少し傲慢な言い方かもしれないが、久しぶりに「中日新聞・中日春秋」を取り上げる気になった。

 取り上げて掲載することは簡単であるが、ところで私自身はどれほどの覚悟を持っているのだろうか。

 既に10数年来、「物的なMORE&MOREの終焉」と言い続けて、3:11の報を受けた時、口にした言葉は、「遂にやってきた」というだった。

 それから3カ月強、その間の私達の考え方、価値観、生き方の変化は遅々としたものに感じる。

 が、間違いなく押し寄せてくる変化の波は留めようがないと考えます。

 急に、根底からヒッくりかえるようには、これまでの生活を変化することは出来ないでしょうが、身近なところから意識して改めて行こうと考えています。

 兎に角、ベースは健康第一、規則正しく(お酒も飲んで)、早寝・早起きで、適度な運動と自然や土に接しユッタリと過ごしてゆきたい。



 COLUMN 2−N No321
                            平成23年6月7日 記

   『思うままに』        梅原 猛 
 
         「草木国土悉皆成仏」

     〜中日新聞・6月6日、夕刊より〜

      



  『私は、理性をもった人間を絶対化し、自然科学と科学技術によって人間が自然を奴隷のごとく酷使することを是認する近代哲学に導かれる西洋近代文明はいつか行き詰まるに違いないと思って、このような文明を克服する原理が日本文化に潜在する思想の中に存在しているのではないかと約50年間、考え続けてきた。

 その結果、19年程度前に、「草木国土悉皆成仏」という思想こそ日本文化の精神的本質であると確信をもった。

 この「草木国土悉皆成仏」というのは、最澄の始めた天台仏教と空海の始めた真言密教が合体した台密、すなわち天台密教思想が生み出し、そして鎌倉新仏教、浄土、禅、法華仏教の共通の前提となった思想である。
    
     (中略)
 山や川も人間のように身体を持っているという思想がアイヌ文化にあるが、おそらく人類最初の文化である狩猟採集あるいは漁労採集文化に於いてはそういう思想が人類共通の思想であったに違いない。

 このような思想が平安時代の末に日本仏教独自の思想になったのは、日本には基層文化としての縄文文化の影響が強く残っていたからではないかと思う。

  日本の縄文時代、弥生時代に於いてもっとも貴重な宝物とされたのはヒスイの勾玉であるが、ヒスイはまさに雪の中から顔を出す植物の緑の色を表し、最古の勾玉は動物の霊を表したものであることが考古学者によって明らかにされている。

 此のような植物の霊の崇拝が「草木国土悉皆成仏」とおう思想を生んだのであろう。」

 最近、浄土宗の勝れた仏教学者である椎尾 弁匡 氏が唱えた「共生」の思想が環境問題の解決につながる思想として喧伝されているが、「共生」思想の背景として「草木国土悉皆成仏」という思想が存在しなければならない。

 このような思想を日本思想の本質として、西洋の人間中心の思想に
どう対決させるかを考えてきたが、「草木国土悉皆成仏」という思想のみで日本の思想が捉えられるかについて、最近いささか疑問を持ち始めた。

 この思想はどこかでルソーの哲学やシェリングの哲学の「自然に帰れ」というロマン派の思想に類似している。そこには何か欠如しているのではないか。
 このような問題に2,3年前に気づいたが、今度の震災によって日本の自然は「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現されるようなやさしく穏やかなものに尽きるものではないことを痛感したのである。』

         

              ↑御近所のサツキです。


 〜
何度も書いてきましたが、昭和48年のオイルショックを機に、「MORE&MOREの物的な欲望追及」に、疑問と矛盾を感じる日々が続きました。
 人間中心、人間が自然を克服する、出来るという自然科学・技術の驀進と思想に違和感を感じていました。

 思い上がり、欲ボケし、自分で制御も出来ないほどの魔物を作り出し、自然の力によって魔物が破壊されたのが今回の大震災後の原発です。

 梅原猛・哲学者の発言に注目し、多分既に10年を超えるこの中日新聞の「思うままに」を毎週楽しみにしています。

    今回は大震災を考えると題した第9回目のエッセイです。

今回は『「草木国土悉皆成仏」という言葉で表現されるようなやさしく穏やかなモノではないと感じている。』というところで書き止めるられていますが、多分次週にでもこの続きとしての考え方が聞こえるのではないかと期待しています。

 
 話変わって、今朝はNHK朝の連続ドラマ「ひまわり」は、昭和17年(多分?)、ひまわりのような娘・陽子と出征が迫った新郎との結婚式の場面で明日の続きとなりました。

 朝の連続ドラマですので、これから放映される内容は戦争の過酷さや終戦に至る悲劇は抑えられた内容になることでしょう。

 そして、戦後の日本、及び陽子さんのひまわりのような生き方が映像として流されることでしょう。

 3:11東日本大震災を体験した私達と昭和20年とは比べられるものではないでしょうが、高度成長時代から50年安穏と暮らし、飽食を当たり前としてきた身には、今始まりこれからやってくる困難さに耐え、克服してゆく気力と精神力がどれほどあるのだろうかと自問しています。



 COLUMN 2−N No324
                            平成23年9月11日 記

     天谷 直人さんのメール・マガジンから

        〜私の返信を送りました〜

  
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