エッセイB−02  政治・経済・社会・
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    COLUMN 2-N  NO263より                                
                                  

                                 平成19年9月3日 記

  時代は足元から変動が起こっている

〜一度、自民政治をひっくり返し、自主・主体の国家へ


 ・
9月2日 中日 「座視」 「民主党のつまずき」 ジェラルド・カーティス

 ・『民主党は7月の選挙に勝ってから二つの間違いを犯したという。
 @郵政民営化凍結法案の提出
 
 国民新党を民主党との統一会派に引き込む為に、古い自民党の政治構造復活を願う政治家との提携である。同時に、前回の総選挙の有権者の選択を歯牙にもかけないとの宣言である。
 この法案は小泉首相のときに国民の審判は下っている。 有権者の選択を尊重しないのに等しい。 安倍首相を交代させない自民党を批判できる立場を自ら放棄している。

 Aテロ特措法の延期問題。
 
 ジェラルド氏は延期せず、新法を制定する十分な理由があるという。 小沢代表は「普通の国」になるべきだと言ったが、自国の外交政策を国連安保理決議の人質にする普通の国が、どこにあるのか。
 
 安保理が決めることを尊重するのは国連加盟国の義務だが、安保理が決めないと、何にも出来ない国は何処にも居ない。
 政府の最大の責任は、国を守って国益を追求する事だ。

 そのために日本が何が出来、何が出来ないかを既定する役割を国連安保理に任せるのは「異常な国」とした言いようがない。 

 民主党は、自民党が権力を失うのを期待するだけでは、何時までたっても政権を獲得できない。 有権者の支持を得るための戦略が必要だ。』 


 〜なるほど、評論家は、目の付け所が違う。
 
 と思うと同時に、頼りにはならない民主党であるが(どうせバラバラになり、空中分解の可能性高いが、それでも)、この時代一度自民党の政治をひっくり返し、政権から引きずり落とすことが必要と考えています。

 一時的には混乱を招くことでしょうが、長い目で見れば10日前に書きましたとように「一度は通過しなければならない道」です。(一部の方にしか、この一文は送信していないかとも思います。調べてみます)
 
 アメリカ追随で、言われたことしか出来ない国から、主体性と自主性を持った国に(国民に)脱皮しなければならない考えている私としては、たとえそれが目先の戦術にしろ、自民党を追い込み解散総選挙に持って行くべきだと考えているからです。

 また、アメリカも足元が様々な側面から(例えば、イラク問題、低所得者住宅問題から派生した金融問題等)、世界のアメリカという帝国主義戦略は行き詰まっています。
 
 ヨーロッパのドイツがガタガタと言いますし、中国が最後のバブル崩壊国となって、世界は一気に大変革の時を迎えると思っています。予測しています。

 そのような時代背景にあって、政治(政治家)に求められていることは、もっと大局的・長期的、地球的視野にたっての、世界や国のあり方、方向付けです。
 目先のことに対応して、次ぎの選挙の票を狙ったとてもそこまでです。
 
 やって来る波は、これこそ「想定外」と言って、すまされるものではないほどの地殻変動を伴ったち超大波でしょうから・・・

 でも、目先も必要でしょうし、良しとします、が、あわせて上記の視点たった提言と思索を早急に検討し、提示し、国民の審判を仰ぐという国家挙げての課題と思っています。

 
 何もなく、示されていず、一億国民が右往左往することが、一番混乱を招くことになると考えるからです。

 
(再び「オオカミ爺」の遠吠えが始まったと笑って済まされるならば、これまた幸せでございます)
      私は私で出来ることを試行錯誤しながら続けてゆきます。 


    COLUMN 2-N  NO261                                
                                  

                                 平成19年8月5日 記

 「緑のオーナー」随時契約でも「落札」と林野庁公表
 
   〜中日新聞 8月5日 朝刊・3面 より〜

 ”これからの時代の創造と進展にどう参加するか”


 中日新聞の記事より

『国有林育成の為に募った出資金の元本割れが相次いでいる林野庁の「緑のオーナー制度」で、同庁が公表した昨年の国有林の販売結果資料で「落札」としている160件に、実際は『隋意契約」の38件が含まれていることがわかった。                          

〜ご存知のことと思いますが、「緑のオーナー制度」は昭和59(1984)年にスタートしました。
 手元にある資料によりますと、このような解説がなされています。                  

<以下は、1994年7月24日 発行の中日新聞、サンデー版NIE(教育に新聞を)から>

 『1920年から30年にかけては20万人弱だった林業従事者数は、30年代後半、労働人口の急激な増加と軍需用材の供出制度のもとで急速に増加、40年には30万人を超えた。   
 更に戦後復興期の用材・薪炭材需要により木材価額が急騰したために林業は一層活気を増し、55年には従業者数が全産業の1・3%に当たる51万8725年に達した。          

 しかし高度経済成長期に産業構造が大変化により山村の過疎・高齢化は急速に進み、55年から65年までの10年間で従業者数は半減。                             
 一方、住宅着工数は増え続けた為、国内生産が間に合わず外材を大量に輸入。      
 外材に競合品目のない国産ヒノキを例外として、国産材は、より安価で質・量とも安定している米国産ツガなどのライバルに圧倒されていった。                          

 80年ごろから住宅着工数減少と共に需要が落ち着き、木材価額は低迷。その結果林業と他産業との賃金格差はますます広がり、後継者不足にますます拍車をかけた。          
 悪循環で高齢化は進み、90年代には10万7500人しかいない林業従事者の内、50歳以上が67・9%を占めるまでなった。                                       
 


 〜「森林太って林業細る」といわれている日本の林業です。
 私は1991年香港での勤務を終えて帰国した時、香港ではまったくと言ってよいほど緑とは縁のない30階の高層住宅密集地での生活をしていたこと、と、私の故郷である信州との県境の豊根村の森林100%と言ってもよい環境の中で育ったことに影響されて、緑のないところ、見えないところではストレスがたまるというか、気持ちが落ち着かない精神状態になっています。                                                         
 そのようなこともあって、帰国後1年経過したところで知ったこの「緑のオーナー制度」に応募しました。 30〜40年後には幾ばくかの元本の増加が見込めるだろうという下心を否定することは出来ませんが、それよりは日本の緑を何とかしなければという純な気持ちの方が大きかったと思います。                                                

 ユトリがあるわけではありませんでしたから、50万円と25万円各一口を購入しました。   30年後と40年後の満期では有に80歳を越えていますから、一口は息子の名義にしました。
 当時、現地見学会がありまして、設楽町・田峰で一緒に参加された高齢のご婦人が「この木を切り倒した時に、自宅に持ってこられたら大変なことになる。 住宅の建て替えの計画はないから」と言って、マジに心配していたことを思い出します。                     
 
 無理もありません、当時のパンフレットを読み直しますと、一口(50万円分)でおおむね100uの木造2階建ての住宅に使われる木材になるものと見込まれます。将来が楽しみな”緑の資産”といえます。と書かれてあるのですから・・・。                          

 既にそれから15年の歳月が流れました。 契約期間が短かった方や初期(1984年)に契約された方たちが満期を迎えられて今回のような額面割れの結果となっています。      

 元本割れも問題ですが、随意契約を「落札」と発表したことの方が問題であると考えます。 
 ”購入時に元本割れあることの説明が充分なされたなされなかった” 、”国の事業で国民に損害を与えることは許されない”との意見もでていますが、私としては当時、元本が保証されるとは思っていなかったし、割れることもあるだろうとの可能性を、当時の材木価額の推移から考えられもなくはなかった事を記憶しています。                            

 それよりは「随意契約」を「落札」と発表する林野庁の態度の方が問題です。          解体されることになった社会保険庁といい、60年続いた自民党中心の政治体制、行政・官僚機構はあらゆるところで次々と不正や問題の先送りがどうしようもなくなって膿が噴出してきているといえましょう。                                           
今回のこの件についても、参議院選挙で自民敗北のことが大きく取上げられていますが、もっと大きく取上げられてしかるべき課題であると考えます。(どれ程のオーナー数なのでしょうか)                                                        

 バブル崩壊に至る過程、その後に続く右に左に揺れ動き、責任なすりあいの政府(与党)と大蔵省、日銀は問題の大元と言ってよいと思います。                        
 今回の選挙で、参議院の民主党が与党になったことで、更に次々と私たちの前に、今まで知らされていなかった事柄がテーブルに乗ってくることでしょう。                  

  そんなことを言っていても始まりません、何度か書きますが、消えてゆくものは消えてゆきます。 明るく・元気で・楽しい、新たな時代を私たち自身で作り上げて行くときが来たのです。

 話を林業に戻すならば、現在の状況の元ではコストを大幅にダウンすることも出来ませんし、無理して行えば森林が壊れてしまうでしょう。                            
 日本の林業は昔から労働多投的で北米や北欧の林業に比べて能率はよくありません。   その分環境に対しては優しい。 原生林を収奪する非持続的な林業は消えてゆくことでしょう。                                                        
そこらをにらんで、この森林を太らせておくのもよいことかなと思います。           
 ただ、林業従事者がその後も減少していますし、ますます高齢化しています。          各地で森林回復のボランティア活動やNPOが立ち上げられています、大いに期待すると同時に、私も2年前まで参加していたこれらの活動に、再度参加しようかなとも思っています。

 私の契約している「緑のオーナー」の契約満期は、平成34年と平成41年です。あと15年と22年です。                                                 
 新しい時代の創造と進展を眺めながら、ジックリとジャマにならないように、可能な行動を続けてゆきたいと思っています。                                      
 


 COLUMN 1−D 260
                               
                                   平成19年8月4日 記
                                   
 

 『選挙は終わった時から始まる』

 〜「カーティス教授の参考書」〜
   平成19年7月27日 中日新聞 朝刊より



 〜『選挙は終わった時から始まる』と民主党の党首小沢さんを真似たわけではありません。 最後までお読みいただければ何が言いたかったのかお分かり願えると思います。

 さて、その前にカーティス教授を紹介します。 ご存知のように米国コロンビア大学の教授で、中日新聞の本社客員。 「時代を読む」、「座視」などのコラム欄へ投稿されておられます。
 今回の「カーティス教授の参考書」は、参議院選挙を前に12回に渡り連載されてコラム欄です。 その最終回の内容を紹介します。

『「こんな女に誰がした」と言うフレーズがサビになった懐メロ(『星の流に」)があるでしょ。これ、大好きなんですよ。(中略) 占領時代の悲しく、切ない歌です。
 
 今でもよく使われるフレーズです。 「こんな国に誰がした」とか、ね。
 歌の女性は敗戦後、生きるためにやむを得ず身を落としていったんだけど、今の日本を見て、誰がしたと問うのであれば、私は国民、それも有権者だと思っています。

 日本は必死に頑張った、立ち直った、経済大国になった。世界が羨んだ。 がバブル崩壊後「自分達はだめだ」「こんな国に誰がした」と自身を失ってしまったように見える。
 だから安倍首相の唱える「戦後レジームからの脱却」と言う考え方も出てきたのでしょうが、大事なことは脱却することではなく、脱却してどんな未来を作るのかということです。
 国の未来を示すのは政治家の仕事ですが、その政治家を選び、評価するのは有権者の仕事です。
 政治不信で「選択肢がない」という声がありますが、それは政治と向き合って初めて言えること、投票を棄権することは、政治から逃げること。
 投票日にはあなたの意思を示してください』

〜「我が意を得たり」の発言です。
 「たった一票で何ができる」とか、「どうせ、変わりはしないのだから・・」あるいは、「国は、政府は、政治家は何も情報を国民に与えないで、判断のしようがない」、その声がマスコミ批判にもつながり「一部の政党や政治家と裏で組んで、世論を煽っている」などの声を多き聞きました。

 その度に、だからこそ、ここでの一票が必要なのだといい続け、今がチャンスだ、世界が変わろうとしている、日本も先駆けて自らを変革していかなければいけないのだと口にしました。
 それが十数年続いて『オオカミ爺』と字を頂くことになった。 甘んじて受けてはいたが、さてやっと到来したこの時をどのようにするのかは、またまた私たちの問題です。

 国をどのような方向持ってゆこうとしているのか、その道筋を示しているのか、しかも多くの人々の共感・理解・納得の行くような時間と説明がなされているのかを監視し、意見具申していかなけらばならないと考えています。

 今の政治家や高級官僚(中間層もその背に隠れてに、姑息なことをしている)、新利権に有り付こうとしている輩も有象無象いる。
 ここで、私たち何千万の目と行動が求められていると考えます。

 
『選挙は終わった時から始まる』のです。 「選挙」を『国づくり=持続可能な・あらゆるものと共生する社会』と置きかえらばよいのでないでしょうか。
 



 COLUMN 1−D 259
                               
                                   平成19年7月30日 記
                                   平成19年8月4日  追記
 

 参議院選挙後に目にとまった活字

  〜その後、放置したままでした〜


 <日本変わるには自民崩壊が条件> 独紙が論評
                    
中日新聞、ベルリン=三浦耕喜

「30日付けの「南ドイツ新聞」は日本が変わるには自民党が崩壊惨敗のすることが条件と論評した。
 惨敗の背景について「安倍首相は学校での愛国心教育の強化し、憲法を改定し、北朝鮮に強い姿勢を示そうとしたが、これらのテーマに対して有権者は余り響かなかった」と分析。
 
 首相の続投については「首相の去就は大きな問題でない。 他の民主主義国と同様に、時に応じた政権交代が行われて初めて日本は本当に変わることが出来る」とした上で、「これは自民党が崩壊することによって可能となる。 今回の平手打ち十分ではない」としている。」


上記の入力は7月30日に済ませたものです。 あと2つほど、目に留まった記事があったので同時に掲載しようと思っていましたが、本日(8月4日)、コラム 1−D NO698にも書きましたように、その日の前後からパソコン入力に疲れたというか、気力が低下してそのままになっておりましたものです。

 本日も気力回復とは参りません。 書斎整理や資料の改廃、十数年前のアルバムを見つけたので、それをパラパラとめくっています。
 再度書きますが、船旅から帰って60日目、何か書かずには居れなかった気分が一区切り付いたようです。

 さて、上記の「参議院選挙」のことも、船旅とは異なりますが、これまた十数年(1993年頃からだったろうか?)口にしてきたことが表面化・顕在化してきたということで、”オオカミ爺”の汚名が晴れた訳でもないのに、これまた一息ついたような気分になっています。

  事はここから始まるのです。 冷静に考えてみれば、消えるものは消えるべくして消えるのであって、それ以下でもそれ以上でもない、驚くこともないとも言えます。

 それよりは、ここから始まる混乱と言うか、格差社会の実体が進行する中、多くの市民にとっては不透明感の社会情勢の中で、更に予期していなかった事の現象化で、一層の不安・不満・不信の心理状態になるのではないだろうか。
 こんな時こそ、リーダーが求められる。 それはトップリーダーであり、また身近なところのリーダーである。 明るく・元気で・楽しく事を進めてゆけるリーダーであると考えます。

 ドイツ紙の報道ではありませんが、日本が変わるには一度自民党が政権から退くことであると思います。 
 (その後の安倍首相のドタバタは、更に自民党の中に混乱を呼び込むということで、歓迎すべきことであるとも考えます。 
 それにしても落ち目の自民党には腹の据わったリーダーも若手も居ないのでしょうか、言いたい事も言えず、まだビクビクと保身をしているとしか見えません。)

 民主党やその他の政党が政権の受け皿となり、一気に問題解決など出来ないと考えます。 多くの人がそのように思い・考えているではありましょうが、ここから始まる混乱は数年間続き、新しい秩序が形成されてゆくことでしょう。

 同時に、これは日本のことだけに留まらず世界に目を転じても、アメリカも、元気のよいといわれるBRIC,sでも、一触即発の危機をはらんでいる中近東でも大きな変化の兆候を示しています。 そうなれば、連鎖反応的に全世界に及ぶことでしょう。

 世界的リーダーも求められる時ではありますが、ないものねだりに思えます。
 一人ひとりが自己責任で、自主性と主体性をもって、それぞれの個性や特性を生かし、納得できる身近なことから実践してゆくことしかないのではないかと考えています。






                            平成19年7月30日 記

  「参議院選挙の結果は発表されて」

 〜たった一筋の流が分水嶺を越えたところだ〜

 
 7月20日にこの欄に、〜「分水嶺は越えた。更にハッキリと良き流になる」〜と書きました。
 そして、本日こんなことを認めました。

・「オオカミ爺」と言われてきたことに慣れたとは言え、それでも気にしているのでしょう。 やっと、今回の参議院選挙の結果に「やっとか」と思っております。

  今度、変化しなかったらこの国も・人々も終わりだと思ったり・考えたりしましたが、それでも、今度のような結果でなかったら(与党が現状維持やそれに近い結果)であったならば”笑ってしまいます”というしかないと、知人に手紙を送りました。
 
 分水嶺はすでに越えたといいつつも、国の基盤である一般市民がそのことに気づき、変化の行動を起こさなければ、なんともならない事を長い間教えられてきました。
 
 それは国民性によるところが多いのかと考えました。
 (保守的で、できるならば先送りし、先んじてことに当たらない、過去の失敗も成功も突き詰めない、記録に残してないから、、同じ事を繰り返す<ここらあたりは、イイカゲン修行僧も同じです。また、大なり小なり人類の歴史や国家存亡でも同じであります。 が、他の国々や民族と対比して>、この国と国民の特性なのかなと思ったりしていました。
 
 同時に、戦後一貫して経済成長を一番の目標とし追いつけ追い越せを国の方針にしてきました。 
 結果、戦後の悲惨な状態から、様々な好条件が偶然重なって、勤勉な国民性とも相まって急速に脱皮したのみならず、日本的経営などと紹介され、持ち上げられた@終身雇用 A年功序列 B企業内組合(労使協調)によって、確かに物的には一定のレベルに到達した。
 その事から、一億総中産階級ということ言葉が生まれ、自己評価し思い込んだ。
 
 ここで、自分の周りの狭い世界を見たり、評価して、その中流意識と目先の満足度から一般市民の間にも国民性の特性がここでも更に醸成された。(小市民=小金をもった人々なら一般的なのかもしれないが)守りの姿勢です。

  時代の流れ、世界の変化・動きにまで気が回っていなかった。(リーダーも気づかずか、知らずか、勉強不足か、時には必要な苦い水のことを口にもせず、政策にも出さず、当面の自己保身に走った)
 冷戦構造の終焉、それに続くグローバリゼーション、市場競争原理経済は一気に世界を覆った。
 
 今になってみれば、それなりの蓄えと社会保障制度に守られているのは中高齢者のみ、彼らの声の代弁者となった政治家、政治手法、それを影でリードし、自己増殖した官僚や、それに巣食い、利用した財界が、目先の利に走りまだまだ生けると根本的な改革をしなかった。
 (今回<7月末>のアメリカの低所得者向けの住宅ローンの焦げ付きも同じこと。よってアメリカも坂を転げ落ちているし、落ちてゆく)
 
 小泉首相の登場は問題の先送り、遅れに遅れた改革に対し、もうここまでと気づき始めた一般市民までをも巻き込んだ、その場しのぎの「改革なくして成長なし、」「官から民へ」「中央から地方へ」と言う、しかも、「自民党をぶっ潰す」と正に歌舞伎の役者よろしく大見得を切った。
 
 不透明感の中、長く続く政治への不信・不安・不満感情を抱いていた観衆は、その気持ちにフィットした手ぶり・口ぶりに一時の気分転換と期待から拍手喝采を持って迎えた。
 それは所詮、小泉流手法に乗って目潰を食い、自民党にまたも新たな時代、社会への移行を遅らす5年の月日を与えてしまった。
 (この事を言い続けて、狼爺と特に言われました。 が、今はこれも肯定し、必要必然のことであったと気づきました)
 
 小泉色が色褪せ始めた頃を引き継いだ安倍さん、その負の遺産をも引き継ぎ(負というならば、プラスもあったのか。 ないとは言いませんが、差し引きはどうでしょう、これから様々形で、その目先改革のツケが表面化することでしょう。 同時にそれは過去の消えるべくして消えるものといえるのですから、それで良いでしょう。)
 
 その5年間で、改革の名を借りた、それまでとは異なる利権屋が跋扈しました。(規制改革にとって、儲けた経営者・会社)。 また、金儲けには目ざとい金融・証券なり上がりを生み出した。(ホリエモン、?????等。 それに投資した日銀総裁・福井等?????)
 
 言いたかったのは、小市民も含め小金が懐にあったので、何とかなる、何とかして、と先延ばししている間に、改革の名の下に成された施策は、弱いものから順次、補給路が断たれて、種銭切れとなってしまった。  
 言い方悪いが、やっとこさっとこ、5年前とは異なる不満・不信・不安=格差社会と言う一括りの言葉で表された緊張感と不透明感が入り交ざった現実が足元に迫る毎日。、
 
 その気持ちを逆なでするように、数十年隠しておいた年金問題が噴出し、更に政治と金のイイカゲンさ、あらに輪をかけて大臣の方言と言うには余りにも国民を愚弄した発言とそれに対応する任命権者の安倍首相の態度が、遂に市民が分水嶺を一歩踏み出す行動にでたのが今回の結果でしょう。
 
 分水嶺をやっと越えた、これからが本格的なのですが、途中で引き返す者も出て来るでしょうし、へたり込む者も出ることでしょう。
 一足早く、分水嶺を越えた人々は、この十年間の試行錯誤の結果、今や力むのでもなく、勝ち誇るのでもなく、ユッタリとした足取りでご自分の信じる道を、信じる方法で、許しあえる仲間と元気に、明るく、楽しく日々を歩んで居られる姿を見ることが出来ます。 新しいこれからのあり方のモデルを示されておられる。
 
 民主党が勝ったといっても、そのリーダーたちを見れば、一昔前の考え方、価値観であって、将来ビジョウンを示して上での、一般市民が共感を持ち、夢や希望か描かれた、今後の工程プランが示されているわけではありません。
 
 そのことを充分承知の上で投票した我々市民であるかどうかどうかが問われています。
人頼りの精神では誰も助けてはくれません。自主性・主体性を持って、自己責任ある精神の民主主義、市民の力を信じたい私としては、今回はたった一筋の流が分水嶺を越え、新たな時代への前向きな試行錯誤が始まったと評価しているところです。
 

 





                            平成19年7月20日 記

「参議院選挙に関する意見が聞けない」に答えて

〜分水嶺は越えた。更にはっきりと良き流れとなる〜

 
 コラム 1ーD NO693「参議院選挙に関する意見が聞けないが・・」に答えたものです。
 
 数人の方に、以下と同じような内容のメールを送りました。

 帰国後約1ヶ月半が経過しました。 
 船旅で色々と刺激されたこともあり、コラムにも一気に色々書いておりましたが、数日前から、役人や政治家の無責任ぶりに改めて気づき、嫌気が差し、問題解決は国家の破滅を待つ以外ないと短気を起こし始めました。
 
 年金の期限なしに溯っての、請求は善しとしても(選挙目当てが半分以上か)、それでもないよりは良いと思っています。
 この不正を知っていたはず(知らないはずが無い、御身可愛さ、自分の代はやり過ごす)の社会保険庁の幹部、厚生省の役人。知らないはずが無い政治家(知らなかったと、詭弁を言うならば、負託を受けた資格がないし、またその責任がある。 よって、彼らには時効なしの責任追求を国民はすべきだと考えています。
 
 この年金に限らず、国債償還もその他の支出も、政府は輪転機を回して、対応するでしょう。 結果はハイパーインフレです。 国民は破綻か紙を手にするかのどちらかです。
      
 その後に、どのように対応するかの提案をされておられるのは、私の知る限り、藤原直哉さんの「日本再建の為に、旧興業銀行のような長期債権」を発行し、紙幣をたくさん持った国民が購入する。
 償還期間は10年後から、その間集まった資金で汚れた、痛んだ国家財産の再整備(河川・港湾・治山整備、環境回復、汚い道路看板の撤去と整備、景観の復活、農業の再建、農漁村の資源活用・観光化)などの公共事業に投資する。

 これに従事するのは、真の行政改革で行き場の無くなった(職を失った)役人、旧体制(秩序)にしがみ付いて、新時代には立ち行かなくなる、役に立てなく失業する人々。
 以上のように藤原さんが、直接言及していたかどうかは定かではありませんが、私の理解する限りにおいては、このような発想であったろうと記憶しています。。
 
 そんなことを思いながら、疲れたというか、苛立ちとむなしさを感じ始めたのです。
 とは言いながら、来るべき時代の進展を何処かに見つけたり、感じて、少なくとも激震の国家破綻、あるいはハイパーインフレの到来に、心の準備だけはと思っているつもりなのですが・・・。

 
 本日の中日新聞を手にすると、「村上被告実刑、断罪された”利益至上”」のタイトルの社説が目に入ります。 
  『村上ファンドには、政・官・財の有力者が投資していたといわれる。
 その一人である福井俊彦・日銀総裁の責任は、重く問われるべきだ。
 他に金融・証券政策に携わる人々はいなかったのか。 そんな問題点がいぜん、解明されていないのは不十分と、注文をつけたい』と。

 いささか怒りの気力が失せてきた為か、そんな自分に苛立たしさを覚えてか、新聞の社説の締めくくりの言葉『不十分と、注文を付けたい」と言う表現に、マスコミと言う真実を追究し、報道する役割と責任を持ち、同時にそれを実行する自負を持っているはずの報道機関の発言が他人事みたいではないかと怒りを覚えます。

 
 選挙の結果がどうなろうと、政局から政変へと進まざるを得ないのではないでしょうか。
 小沢民主党が勝ったとしても、現在の日本が抱えている課題は解決し得ないと思います。
 ただ、なりふり構わず、仇敵であった村山社会党を取り込み、常に与党でありたい公明党を抱き込んで政権の座を維持してきた自民政治には、はっきりと決別すべきと考えます。
 
 これまでのリーダーといわれた人たちには、何処かに、誰にも後ろめたさの影があります。
 時の経過と共に、内部告発と言う形でボロボロと表面化していますが、この際一気にひっくり返してしまった方が、結果としては問題解決が早く、余分なエネルギーも使わなくて済むのではないでしょうか。(その意味では政権交代です)
 
 これは政・官・財のみならず、学会も、マスコミも、あらゆる既存組織が大なり小なりの責任を有していると思います。
 それを許してきた私たち一般市民も、戦後60数年の間に、知らず知らず、時にはおかしいと気づきながらも、付けてはいけない脂肪と不健康(不健全)な精神になってしまったと自戒、反省する時の到来と考えるべきではないでしょうか。

 あちらが悪い、こちらが悪いと突きまわすよりは、過去は過去として肯定した方が、次に向かっての新しい力が湧いてくるのではないかと考えます。
 が、決して反省を怠り、失敗の理由を捨てておけばよいというのではありません。 まず、新たに気分を一新し、新たな道をそれぞれが歩き始めることが先決といいたいのです。
 
 新たな道を試行錯誤する中で、過去の何が良かったのか、何が悪かったのかの事実を客観的に明確にして国(企業、家庭、個人)の財産とし、それを生かした新たな理念、価値観の下で、新たな政策、仕組み、制度等を構築する。 (この過程で、過去のリーダーたちは静かに消えてゆく)
 忘れることが得意な(習い性となっている)国民気質の質向上の変革も、この道程の中に組み込んでおくことは、重要で忘れてはいけないことと考えます。

 再度整理すれば
 @今度の選挙結果は、政局に留まらず、大きな政変を起こすだろう。
 A既存の政党や既存のリーダーの元では、新たな時代に向けた進展は期待できない。
 B新たな道筋が見えてくるまでには、短くて5年、長ければ10年の年月を要する。
 Cその間、各個人は自己の信じる道を、信じる方法で進む。
 D様々な試行錯誤の中から、向かうべき方向が見えてくる。 信頼できる仲間のネットワークが 出来上がり、それらがモデルとなって、様々な形態となって広がってゆくこととなる。
 E10年後には、これまでの考え方や価値観と異なった、新たな秩序が形成される。
 
 故に、何も怖れることはない。今まで学んできたこと、体験してきたことから取捨選択して、行動をとってゆくことであると考えます。  オロオロ、ウロウロすることだけはしたくない。


  以上です。ご批判、ご意見、ご質問がいただければ、喜びです。
 






                            平成19年7月5日 記

 『魂の叡智」 ”日月神示”(中矢 伸一)を読んで

〜「シオン議定書」(プロトコロ)とは・・
〜フリーメーソンとは何か。イルミナティとは何か。

 
 このエッセイ欄に書くのは久しぶりである。
 2年ほど前から、ジックリと書物が読めなくなっている。 購入はするのだが、中途半端に目を通すだけになってしまっている。
 今回は表題の書物を手にして、何度か睡魔に襲われながらも、読み続けている。
 それどころか、昨夜から以下のようなことが脳裏を掠めたので、記録しておくことにします。

「日月神示」を読んで感じたこと

 
・『知識・見識・胆識

 事実を冷静に客観的に見、判断出来る知識を持ち、大局的な立場に立って揺ぎ無い価値基準の見識を持って、決心と覚悟(失敗もあることを十分認識)し、事に当たる。
 事に当たっては、迷わず果敢に実行するも、間違いに気づけば、躊躇なく留まり、反転し自らの身を処する度量と気概を持つ胆識が肝要である。

 「フリーメーソンとは何か。 イルミナティとは何か。」

 フリーメーソンとは、イルミナルティとは、プロトコロ(議定書)とは何か。
 
 その存在についての知識の度合い、また、確かな事柄であるのかの見識を問われれば曖昧な返答しか出来ない。
 が、知る限りの様々な視点より判断して、一つの物の見方、あるいは近代から現代にいたる今日の世界情勢、秩序の形成を眺めれば、何らかの影響力を持ったパワーの存在として否定出来ないと感じている。(それが、後付けの論理としても)
 
 が、この『議定書』が書かれたのは19世紀の末期と言うことからして、即ち、ここまで進展してきた世界情勢、秩序の形成に当たって、一つの道を指し示していた、あるいは影の存在であったといえよう。
  時には「預言書」の役割を果した、また指南書的な働きをしたと言うことが出来よう。

 しかし、20世紀の末になり、特に21世紀と代替わりする頃から、その預言書(指南書)が示すように、あるいは預言書に従っていた人々の望むようには事柄は進まなくなった。
 ということは、その書に導かれた我欲を達成しようとしていた人々(組織、集団)の中で何らかの変化が生まれた、あるいは内部分裂が発生し混乱が生じた、生じてきていると思われる。
 この混乱は時の経過とともに、更に価値観の違い、立場の相違が明確となり、一層ぶつかり合いが激しくなり、深みにはまり、スピードも上がっていると感じている。。

 事実、この混迷の度合いは様々な政治・経済・社会現象として現れているのみならず、そのような現象が表面化するときには、決まって天変地異という自然現象おも引き起こすことが人類の歴史の示すところです。
 それが「終末思想」「不安心理」へと導かれ、更に怪しげなものを生み出すことがある。

 が、それらとは異なり逆の方向に向かっている人々、逆の思いや考え方の人々もいる。
 それらの現象面を冷静に・客観的に分析・認識し、今起こっている現象や事柄の本質は正しい方向に向かっているのだとの見識を持っており、これからの時代は決して暗く・希望のない時代ではなく、この先には明るく・希望に満ちた時代の到来が近づいていると気づいている人々が存在です。
 それらの人々がある一定の数に達した時、世の中はゴロリと変革する。     
 そのゴロリはもはや時間の問題のように感じているのです。

 『シオン賢哲の議定録』=「シオンの議定書」の内容とは日月神示より抜粋

 ここでは、シオンの議定書なるものがどのようにして生まれたものか、誰が書いたものかを解説することはいたしません。
 だが、こうした内容の文書が存在し、世に出たことは事実であると申し上げて起きます。
 この議定書は第1議定書から第24議定書にいたる項目で構成されていますが、その内容は「悪神の世界征服計画書」と呼びうるものであり、悪意に満ちた狡猾さ、執念深さには戦慄を覚えます。

  全てを取上げるわけには行きませんので、重要な項目、なるほどと感じた項目を6つ取上げることにします。

 @大衆を煽動する。
 
〜大衆というものは、一個人レベルの利益や生活のことしか考えないか、それを第一に優先しているものである。 従って、その大衆に主権を持たせては、良い政治など行えるはずがない。 政治的なことにはほとんど知識もなく、興味を持たない大衆が、選挙で選び出す代表者が、これまた自分たちの小さな利益のことしか考えない利己主義者であることは、明白である。
 
 真に賢人達が集まって定めるべき国家の方針を、無知なる大衆の「悪の多数決」により選ばれた指導者達の手に委ねれば、確実に国はみだれる。
 民主主義を導入した国家は、芯を失い、骨抜きにされ、やがて亡国の憂き目に遭う。


 A金融を世界支配の道具とする。

〜金融経済論を導入すると、短期的には富の成長はみえる。 が、その富の集積には、環境破壊、資源の浪費、人心の崩壊、社会モラルの低下など、様々な代償を伴う。
 たとえ、富を蓄積して豊かになったように見えても、最終的には砂上の楼閣のごとく、崩れる。 資本主義は虚構論理である。

 『富』とはそもそも何か。 紙幣か、鋳造された金貨や銀貨であろうか。そのいずれも、いくら沢山所有しても、直接に日々の糧になるわけではない。 紙切れや、金、銀は食えない。 通常の場合、富といったらそれらを指し、ここには既に虚構が存在する。

 イシヤ(=「石屋」とは、悪の仕組みを実際に策謀する人たちと共に、その背後から霊的に働きかけている悪魔までを指す)は、どうしても世界経済を、金を中心に動くようにしておかねばならない。 なぜならば、国際ユダヤ資本などを使役し、金を握っているのは彼ら自身であるから。

 「国家機関の全ての輪転機は、我々の手の中にある動力によって運転する。 その動力とは、”黄金”である。 我々賢哲の樹立した政治経済学は、王者の威力が資本にあることを明示している。
 資本が全世界において絶対支配を獲得するためには、商工企業を独占する自由を確保しなければならない。 この計画を全世界に於いて実現すべく我々の間接直接の魔手は既にこの事業に着手している。 かかる自由は産業家に政治勢力を与えるが、 この勢力は民衆の圧迫に役立っている」 (第5議定書)


 「金本位制は、これを採用した国家にとって破滅の根源である。 我々が金貨を出来るだけ金融界から引き上げてしまったので、金本位制は、ますます諸国民の大きな貨幣需要を満足させることが出来なくなった」(第20議定書)


 B意図的に戦争を引き起こす

 ~戦争や革命は、それが大きいものであるほど、偶発的に起こるものではなく、何らかの意図を持って、トップ・エリート達によって作成”シナリオ”どおりに行われる。
 表面では「正義」「自由」「解放」など美辞麗句を標榜し、大衆を煽動しながら、巧妙に自らの目的を達成し、利権を得ようとする。

 「我々が『大革命』の名を附したフランス革命を想起せよ。 この革命準備の秘密は、我々の良く知るところである。 何となればこの革命は実は我々の手の諸行であるからである。 」(第3議定書)

 C「自由」「平等」の両立は悪神が仕掛けたワナ

〜「自由」と「平等」は、けっして相容れることのない非両立性を持った標語である。
 大衆がこれら2つを同時に手に入れようとしたら、当然社会は乱れ、国は乱れる。

・・・・、彼らは悲しいことには、自然なるモノが平等を知らず、その中に自由がありえないものであり、自然そのものが、理性と、性格と、才能との不平等を、その自然の法則として作ったものであることに気づかなかった」(第1議定書)

「・・・、自由、平等の標語は、至る所で平和安寧を破壊し、国家の基礎をも覆し、以って非ユダヤ人の幸福を侵食する獅子身中の虫となっている。(第1議定書)


 Dマスメディアを支配する。

 〜大衆を煽動し、思いのままに操る最も効果的な手段は、新聞・雑誌を利用することである。 現在ではテレビとラジオということになる。
 元来「右にも左にも耳を傾ける」存在である大衆をコントロールすることはたやすい。

・・・新聞・雑誌のよって我々自身は背後に隠れて居つつ、この偉大なる勢力を得たのである」(第2議定書)
 
 日本に入ってくる海外ニュースは、APだとかUPIなどの通信社に集まったものを、日本のメディアがありがたく受け取っているものである。 そうしたニュースは既にイシヤにより「加工」されてしまっている。

 E戦後の愚民化政策に日本は見事にはまった。

〜日本ほどイシヤの占領政策にはまり、隷属国家と成り下がった国はない。

「我々は非ユダヤ人の青少年を愚昧にし、誘惑し、堕落せしめた。 我々がこの目的に達したのは、青少年の教育を誤れる原則と教説との上に樹立したためである。
 我々はこれらの原則と教説との欺瞞性をよく承知していながら、なおそれを通用せしめたのである」(第9議定書)


 テレビや漫画などの「一億総白痴化」を予告していた。


 議定書の第4に
自由が若し,敬神を根拠とし、天地の法則に背反した平等観念を去った同胞主義に立脚する時は、国民の幸福を阻害することなく、国家組織に中に無害なるものとして存在することが出来る。
 斯くのごとき宗教と信仰を持っているときには、国民は地上に於ける神の摂理に従って教会に統御せられ、謙遜、従順に、精神的慈父たる牧師の指導に従うのである。
 
 それゆえに、吾々は宗教の根底を覆し、非ユダヤ人の脳裏から神霊の観念を奪い取り、その代わりに個人主義的打算的利欲と肉体的享楽主義的慾求とを植えつけねばならぬ。

 非ユダヤ人がこれに気づかぬようにするには、彼らの心を商業と工業方面に向けねばならぬ。
 かくすれば、各国のユダヤ人等は国家社会など眼中になく、唯々自己の利得のみを追い、利害戦に夢中になって、自己の共同の敵に気づかなくなるであろう。

 優越を得んがための極度に緊張した闘争と、経済生活に対する衝動とは、絶望的な、しかも悲惨極まる冷酷な社会を実現するであろう。
 否、既に実現したのである。 斯くのごとき社会は高等政策と宗教とを全然忌み嫌うようになり、これを指導するものは、ただ利得打算即ち金力のみとなり、金力によって享受できる物質的快楽のために、黄金を完全に偶像化するであろう」(第4議定書)



 
最後に、この『議定書』は、19世紀末期に書かれたものである。
 どのように「議定書」を読み直すか、正しい社会のあり方、国家のあり方を問い直し、また私たち一人ひとりの日々の生活に生かすかが問われている。
  
 先に述べましたように、この「議定書」に沿って、近代から現代までを統制してきた勢力が内部から崩壊を始めていることは明白です。
 この間、議定書が示すような社会、国家、私たちの考え方、価値観に落とし込められてきましたが、今こそ気づきのときと思わずには居られないのです。
   修行僧やいかに!!!



 COLUMN 1−D  NO649より
                            平成19年1月15日 記

  2月4日は愛知県知事選挙の投開票日

 〜初めて、推薦状の葉書に署名しました〜

 
 正確に記録しますと、推薦状へサインしたり、推薦状を書いたことは1度あります。
 友人の義母さんが市会議員に立候補された時に、その市の友人・知人に手紙を書きました。 2度目と言うことになります。

 昨年末、12月23日には今夏にあります参議院選挙に立候補されることが決まっている、「谷岡郁子」さんと、今回民主党公認で知事選に立候補の石田さんとのジョウイント講演会があり行ってきました。 
 両者ともに教育問題を最優先課題にされておりまして、大変参考になりました。
 その講演会の内容をこのホームページにも掲載しようと思い、翌日から活字化をしまして、谷岡さんに送って内容に間違いないかの添削を依頼したのですが、本日までのところ返事がありません。 
 超お忙しいこともあろうと、1ヶ月待って、再度お訊ねをしてみようと思っています。
 谷岡さんは「微力集まれ! みんなで国会に出かけよう」と訴えているからです。

 今回の知事選は1975年を最後に、相乗り知事選が7回続いた愛知で、犬山市長であった石田さんが名乗りを上げ、32年ぶりの主要政党のぶつかり合いとなった。
 「愛・地球博」「中部国際空港」と言う、2大事業が成功裏に終わり、また順調に滑り出している今、これからの中部、東海、愛知の新たなテーマ設定と創造の時代と思います。 安易な相乗り選挙でなく、政治を有権者に取り戻す選挙として、有意義なことと思っています。
 
 有権者=県民としても「どうせどちらが選ばれても違いはない」、「こんな社会になってしまったのだから、もうどうしようもない。 ”ゴハサンで願いましては”を待つほうが良い」などと言うのではなく、示された対立軸の中から、自らの意思で判断、選択することが大切と考えます。
 どのように時代・社会が変化しても、自主性、主体性を持って創り上げてゆくと言う気概を持っていなければ、ならないと思うからです。
 
 与えられたもの、示されたものに対し従属し、あるいは依頼ばかりしていると、イザのときの立ち上りも、修正も出来ずにただ立ち止まるしか出来ない状態に追い込まれてしまうのではないでしょうか。
 自分の利害に直接関係ないことには、他人事のように対処してきた私達の生き方が今日を招いたのではないでしょうか。

 話は反れますが、昨年来続いている和歌山県を初め、宮崎、福島県知事の汚職問題は、一つには、選挙において政党に絡む党利党略から、その後ろにいる業者との癒着が生み出したと思います。
 と同時に、有権者の県政に対する関心の薄さがもたらしたものとも思います。
 有権者=県民の元に政治を取り戻すとチャンスであり、同時に責任でもあると思います。 
 選挙結果はどのようになっても、引き続き自らのこととして県政に関心を持ってゆきたいし、今回の知事選挙がどのように展開されるのか関心を持っています。
 



    COLUMN 2-N  NO220                                                          平成18年12月8日 記

 「イラクは内戦」(と言う表現)解禁〜12月7日朝刊
<泥沼の実体に米メデイア、撤退論に追い風か>

   「イラク反戦」貫く 〜12月8日朝刊
   <アナン国連総長 孤高の10年>

〜私はどう感じ、考え、発言していたのだろうか〜

      < 平成13年9月から今日まで>


 いよいよイラク問題でニッチもサッチも行かなくなったアメリカ。 ラムズフェルド国防長官を実質更迭し、威信をかけての政策変更が検討されているが、どのような意思決定がなされるだろうか。
 アメリカのメデイアでも「内戦」と言う報道が始まった。 
 年末で任期終了退任する、国連のアナン事務総長は「イラク戦争は回避できるはず」と言い、ブッシュ・アメリカと渡り合った。 悔いを残して任期を終えることになる。

 ところで、この「イラク問題」をどのように感じ、考えをもっていたのか、このホームページで私はどんな発言していたのか、ペ−ジを括ってみた。
 イラク戦争が開戦されたのは、2003年3月です。その前の2001年「9・11アメリカ中軸テロ事件」から、拾ってみました。

 2001(平成13)年9月11日 日付順 NO119より

 平成13年9月13日 記
 思いもよらぬ所で、思いもよらぬ事が起った
 〜この一週間に感じ、考え、思ったことそして少々の行為

 9月10日夜半からのテレビニュースが飛び込んで来た。その後次々とテレビ、新聞で流される情報はまるで映画を見ているようであり、劇画の世界である。
 今後アメリカが、主要先進国が、中国、ロシアがいかなる態度に出るのであろうか。
 アメリカはその威信にかけて強い態度に出ることは明白である。
 その時、我日本はいかに考え、対応するのか。(湾岸戦争の時と異なり、早々と小泉首相はアメリカ支援の声明を発表している)
 何も言わず、後からズルズルと追随する今までの日本リーダーよりは好感はもてるが、感覚的、情緒的に激して語るところがあり、充分回りの意見を聴き、タイミングを失せずの判断、決断をしてほしい。

 同時に私達国民もこの際、リーダーの発言を待つのみでなく、己の頭で考え、私ならどう考え、どうするかを考え、提案、提起出来るようになりたい。
 人類の、21世紀第1年目の重大な時であるのだから・・・

 9月12日百姓学校で花畑の開墾と整地、畝立て、水仙の球根を植え込んで来た。
 校長と話す。
「思いもよらぬ所から、思いもよらぬことが起こった」
「ついに来ましたネ。生きるということを真底考えなくてはなりませんネ」
「流れがハッキリ変わったのですから、今までの考えを転換しなくてはいけませんネ」
「まだ理解しない人達がいるでしょうかネ」
「居るでしょうネ、もっと身近で肌に実感として体験するまでは他人事でしょうネ」

「この日本には美しい自然と水があり、まだまだ失われていない人間の情があり、伝統文化もある。もっと自信とそれを語り継ぎ、継承してゆく義務がある。
 青々と繁っていた稲は、今黄金の実りとなって初秋の風に揺れている。
豊かな豊かな食の農業がある。
 そんな国に世界の人々がぜひ行ってみたい、触れてみたいとなれば、観光立国にもなれるではないか?」と語ったのである。

 2001(平成13)年9月17日 政治・経済・社会欄 NO122

  平成13年9月17日 記
 < この時代を歩いている者として>
 〜アメリカ中枢同時テロ事件発生〜

 事件発生から6日間がすぎた。
 死者5000人以上との報道がなされるが、今だその全容は解らない。
 あと10時間後に、世界の富の象徴ニューヨークの金融が動き出す。どんな展開が待ち受けているのかまったく予測がつかない。

 このホームページにも“MORE&MOREの終エン”と幾度か書いてきたが、天変地異の予測はしたがこんな形でやってくるとは予想外であった。
 いや、あるならアラーの神、イスラムの行動であろうとの予感はあった。(こんな形で現れるとは予測出来なかったと言うべき)
 歴史、民族、宗教についての知識、見識は持たないが、ルネッサンス以降(産業革命以降といっても良いが)、ひとつの時代のENDINGの時に生を受け、生活している者として、今この時の思いを記録して生きていた証としてペンを取っている。

 ここ1〜2ヶ月前より歴史より学ばなければと、書棚より歴史書を取り出している。
 第2次世界大戦後、数々の地域紛争があったが注目すべきひとつに湾岸戦争がある。
 (当時、香港に駐在しており、日本の意思決定、態度にイライラしていたが、その後日本国憲法、日米安保条約、自衛隊法、集団自衛権等色々勉強させられた)
 その湾岸戦争は西暦11世紀にあった中東世界への侵略者「十字軍」の時代から続いている問題と認識することとなる。(十字軍は正義、イスラム教徒は悪の刷り込みがあった)
 実は、「十字軍はヨーロッパが行った、最初の侵略戦争」であり、ヨーロッパ帝国主義の原点となり、大航海時代のスペイン、ポルトガル、産業革命後のイギリス、フランスというヨーロッパ諸国の世界植民地化のパイオニア的な存在であるということ。
 中東はヨーロッパとアジアを結ぶ戦略上の重要拠点であったのだ。

 第1回の十字軍は大シリアの地にいたイスラム教徒を蹴散らして、キリスト教の国を作った。すなわち「十字軍国家」でその中心がエルサレム王国(1099〜1187年)である。

 第2の十字軍国家とアラブ人に映るのは、イスラエルによる「聖地奪回」という名の下で国が建設されたことである。
 アラブ世界にヨーロッパ帝国主義の出店としてのユダヤ人の国家である。
 シオニストの目指す国家とはアラブ人にとって「第2のエルサレム国家」「十字軍国家」ということになる。
 そのイスラエルの独立は1947年国際連合の「パレスチナ分割決議」を採択し実質的に認められた。
 が、それに立ち向かったのがイスラム世界の英雄サラディン(1138〜93年)の再来ともいわれたエジプトのナセル大統領であったが、第1次、第2次、第3次中東戦争と戦い、アラブはイスラエルにことごとく破れ、ナセルの威信は崩れた。

 1990年8月イラク軍によるクエート侵攻にアメリカ主導の多国籍軍がイラクを攻撃し、この戦争は「欧米による聖地防衛戦争」ともいえるものであったが、その「聖地」とは十字軍時代のエルサレムではなく、「油田」であった。時に大油田サウジアラビアはアメリカ石油会社(メジャー)が押さえていた。
 アメリカは冷戦が起ると「反共の盾」として中東の安全保障をイギリスより引継ぎソ連の南下を防ごうとした。
 それ以降「アイク.ドクトリン」=「石油ドクトリン」として中東でのイラン、サウジアラビアとの友好関係を続けることとなる。

 「歴史的にクエートはイラクの領土」といってもその主張は認められないが、同時にアメリカや欧米諸国の姿勢「十字軍的な行動」もはたして正義といえるのだろうか?

 このように11世紀の十字軍以降、欧米の利害に翻弄された中東に再び、イスラムの英雄サラディン(1138〜93年、ヨーロッパ侵略者を追い払って、エルサレムをイスラム教徒に取り戻し、その後も十字軍の侵攻をはねのけた)は現れ、解放させるのか?

 湾岸戦争より10年、アラブ=イスラムの怨念は1990年代のアメリカの傲慢とも思える世界への対処で、新たな貧豊の格差を生むと同時に、環境問題、防衛問題でも内むきのアメリカのエゴがこのテロを起こさせたのではないか、と同時に、世界の草の根の人々を敵に回しての戦争になるのではないか?

 このテロの黒幕はユーラシア大陸の問題から逃げ出ようとするアメリカを引きずり込むため欧州、ロシアがイスラム過激派をそそのかしたという意見もある。
 十字軍の時代よりイスラム教とキリスト教の対立は武力では勝てない欧州、ロシアがアメリカ軍の力を頼りにしたとも言うが・・・
はたして真相?

 あと数時間でニューヨークの金融界は朝を迎える。と同時に@換金売り Aガソリン等の高騰 B決済資金の増加等で貨幣供給の増発がなされる。
 又、全世界の経済はスローダウンし、一方戦費は拡大しアメリカは再び財政危機、赤字となり、米国債、米国株は売りとなる。
 それはドルの終エンであり、アメリカ資本主義の終エンである。そこから新しい基軸通貨と秩序にむけた模索が始まる。

 イスラムの歴史と欧米のかかわりをエイヤーと切って頭の整理をしてみた。
同時に、どう考えてみても“MORE&MORE”“人間の傲慢さ”の行きずまり、終エンである。

 が地球は、世界はFAINALITYではない。
 今からBEGINNINGなのだ。

 オロオロ、ウロウロだけはしたくないと言い聞かせて来たが、私自身にもその時が刻々と来ている。
 ここからが、真の修行の始まりである。
 人はこの世に生を受け“生きる”という修行を通じ、魂の浄化をするのだ。

 2001(平成13)年10月22日 政治・経済・社会欄 NO132

 平成13年10月22日 記
 米国中枢テロと日本の役割 そして憲法
 〜9月11日以降、右に左に揺れながら、学び、考え、感じ、思ったこと〜

1・アメリカ追従と言われようと、テロとは戦うという姿勢を早々と示したことは良い。
 私の体験、湾岸戦争時に香港に滞在していて、日本人として何も決定しない、方向性を示せない日本政府にイラダチと失望を強く持った。
 その後何もせず、今又ドロ縄的に“テロ対策特別時限立法”が成立しようとしているが、これを機に平和ボケ、欲ボケで構造改革の進展をまだ先延ばししようとする意識のある我々国民に良い刺激となった。(まだ終わった訳ではない)

2・現日本国憲法は進駐軍アメリカより押しつけられたものである。米国は日本のみならず世界中で、自分に都合の良い要求、行動をとり横柄であり、傲慢でもある。
 が同時に“日米安保条約”により日本は守られ、経済発展の恩恵を得たのであり、感謝を忘れてはならない。
 又、戦後占領政策(特に教育)により日本人としての独立自尊の精神、文化、伝統への自負心を忘れ、失わせるものとなった側面がある。(もちろん日本人自身の問題でもあるのだが・・・)

3・世界の警察とも、一人勝ちの国とも言われるアメリカは(資本主義の象徴)は今回のテロ事件を境に歴史の大転換点に立たされている。
 戦争とも自ら叫んでいるアメリカは、何をもって勝ち負けを決して終結に導かせようとしているのであろうか?
 私の基準「その後の信頼、指導力が増すのか減ずるのか」という点から判断すれば、私は「アメリカの負け」ということになると考える。

4・では、同盟国日本として(感謝すべき側面をもつ日本として)いかに対処すべきか。
 友愛連帯の精神をもって、卑屈に追従の姿勢の今までから脱皮すべき時である。
 かって、アインシュタインが言った。
 「世界が戦争に明け暮れて疲れ切った時、日本が世界に残っていたと世界の人が思うだろう」と
 又、ノストラダムスの予言にもある。
 大きな戦争が起ると「白髪の一つ目の赤い目のおじさんが、東洋から現れる時、ノストラダムスの予言はくつがえされる」と
 そんなことを引き合いに出さずとも、歴史をみれば、日本はイスラム教(中近東諸国)とは西欧、アメリカ、ロシア、中国とは異なり、一度たりとも事を構えたことはないのだ。
 そこに日本の役割をみることが出来る。
 自主、主体性を持って、武力行使なくして世界の平和と共存に寄与する国としての自覚のもとに、今こそ、仲介の役をはたす時である。

5・何ごとも始まりがあれば終わりもある。
 この事態もいつかおさまる。
 その時、我々国民は憲法問題を真正面から取り組むべきである。
 自らの国をどうしたいのか、どうするのか、そのための防衛は?軍備?
 この事柄から逃げて来たのが、一本スジの通った、背骨のシッカリしない国にしてしまって来たのではないか。(大東亜戦争にこりて、眼をつぶり、アツものをふいてきた) 
 私は今回の思考を通じ、独立自尊、友愛連帯、共存の道を歩む国として、当たり前の国として軍隊を持ち、集団自衛権も堂々と行使出来る国になるべきと考えるに至り、再認識した。

6・いうまでもなく、そこには2重、3重のチェック、コントロール機能、機関を持つべきである。
 保持し、行使可能の憲法、法律をもってしても、それは自覚と責任、義務をより深めるためのものであるべきものであり、国家間の信頼を育てるにはあらゆる機会を通じてのコミュニケーションであり、事ある時には“まず話し合い”であるべきだ。
 戦争といわず、環境、貧困等の問題すべてに当てはまり、そこでは先進国が2歩も3歩もゆずる精神、調和の精神を発揮すべきである。
 自由、競争の理念、ルールではもうこの地球レベルの問題は解決しない。

7・その点において、日本、日本人の歴史をみた時『調和』を尊び、それを実践して来た国であり、民である。
 その歴史はあらゆる、文化、文明を受け入れつつも自己を失わずに今日を築いてきた歴史の国である。
 ただ一度、その禁を破ったことがある。(色々な歴史的背景や弁解の余地は多々あるが・・・)
 又同時に私自身のDNAの中に、時として激し、興奮し、冷静さを大いに欠く行為に走ることがあり、個人の差の大小はあれ、国民性としてもある、又あったことを自戒しなければならない。

8・戦後50数余年、今この時身のまわりの政治、経済、社会の混沌とした、暗中模索の時代の中にあって、私達の素晴らしい歴史、文化、精神を思い起こし、呼びもどし、顕在化させる、“調和”を尊ぶ国、民としての役割の出番に答えなければならないと考え、思い、自覚をもった。

[上記の掲載内容は2001年10月22日、以下に掲載する2003年2月11日までの約1年3ヶ月は、何も発言していない・]

 2003(平成15)年2月11日 政治・経済・社会欄 NO294

 <追記>
 ところで、この投稿欄には一度も「イラク問題」を真正面から取り上げていない。何度か試みているが、閃きで書いていない。なにかどこかに構えがあって、純粋でないものを感じて、ここに投稿出来ないでいます。
 今回も、途中まででヤメました。 又 いつか

 2003(平成15)年3月16日 政治・経済・社会欄 NO316

 (316)平成15年3月16日 記
英知と勇気を信じ、望み、この瞬間絶対なりと合掌す
 〜イラク問題、その後の混迷する世界、又その後は?〜

 294の追記で『ところで、この投稿欄には一度も“イラク問題”を真正面から取りあげていない。何度も試みているが、閃きで書いていない。なにかどこかかまえていて、純粋でないものを感じて、ここに投稿できないでいます。今回も、途中まででヤメました。又いつか』と書いています。

 色々な資料や切り抜きも、テレビ・新聞の識者・評論家の話も視聴して知識は増えていくのだが、自分の肝の底にキッチリと納まる考え方にならないからである。
 そもそも@アメリカの9.11をキッカケとしてのテロ撲滅が取りあげられ、アフガニスタンに潜むというテロ首謀者(ビン・ラディン)の逮捕、殲滅から、いつしかテロ支援国家としてイラク問題へと連なってゆく。
 湾岸戦争後の安保理決議(?)国連決議(?)678、687、1441があるから、イラク攻撃は可能といい、世界の世論に押され、新たな国連決議をというものの、思うように進まない。
 いつか、「大量破壊兵器の破棄」であると話が変化し、イラクの態度にイライラし、兵器破壊と撤去のための時間、チャンスを与えることの論議に至って、各国の立場・利害・主導権・存在感の誇示と思惑が様々にからみ、砂嵐が吹き荒れる光景が映し出されつつギリギリのところに追い込まれた(誰がどのように?)。

 そんな背景の中3月16日の『サンデープロジェクト』を視聴した。
 異様に感じたのはイラクの立場・考え方をインタビューしたのちに、そのカシム・シャーキル在日イラク代理大使の目の前で元首相宮沢喜一さんや、学者、評論家の討論内容である。
 特にイラク周辺の地図を持ち出し、アメリカ軍がどのように攻撃するか、3つのルートで首都バクダットを目指すのかを図解する。

 それをインターホンを耳にしたカシム代理大使は“なにか良い情報を知った”と表情ひとつ変えずメモをしているのが映し出された時であった。
 明日にでも米・英・スペインが最終的な態度を決断しようとしている時にである。しかも話は続き、補給路の確保はどこまで可能か?ゲリラが補給を断つ動きの場合は?
 首都500万人の市民の生存はどうなる?
 アフガンの時のような山の中の兵士相手ではないのだから…
仮に攻撃が始まるとイラク・フセイン政権は意識面・物量面で内部から分裂・崩壊するのではないかと意見が述べられると、画面後方に映し出されていた代理大使は首を横に振って「これまで長い間経済封鎖に耐えてきたイラク国民はそんなに簡単にギブアップする国民でない。」と語った。

 ここまでくると振り上げた拳を落とさないとおさえられないアメリカ・ブッシュ。
 いやアメリカの経済状況は低落・混迷で、アメリカの中産階級を中心として、その没落が進行し不満の噴出が目に見えてきたので、目をそらすためだろうとも聞こえてくる。
 イギリスの立場・利害・ブレア首相と国民?
 フランスの存在感誇示は何故、石油利権か?
 ロシアはこの際、資源を背景に立ち直りを?アメリカを刺激せずに、敵に回さず?
 中国も国家主席の交代や経済の実態は輸出好調といわれながら貿易収支が赤字となった。どんな思惑を胸に秘めているのか?

 第2次大戦、戦勝国の都合の良い型でつくりあげられたポツダム宣言後の国連は今やその大国のそれぞれの利害の対立する中、まさに崩壊しようとしている。
 国連主義と日米安保の2大外交政策の日本、国連への拠出金も22.5%のアメリカに続いて約20%と第2位のわが国は如何なる論理・政策をもって決断するのか?
 国民は『サンデープロジェクト』の3月14、15日の世論調査によると、新たな国連決議があろうが、なかろうが80〜70%で軍事行動の反対と言っている。
 小泉支持と不支持も1%であるが、逆転してしまって不支持が48.5%。

 アメリカ追従外交、あるいは国民へのアメリカ支持の説明が全然なされていないとの非難をあびながらも刻々と時は経過してゆく。
 そしてどんな結果がまっているのかさっぱり見当もつかぬが、天のみぞ知る、納まるべきところに納まってゆくことになる。
 それは更に世界中を混迷の淵に追いやることになることはまちがいない。イラク戦後の世界秩序に誰も、どの国も何ら明確な構想をもっていない。
 そして安保理の有効性が議論され、同時に第3の国連のあり方が議論のテーブルに上ることだろう。

 その時、日本は混迷する世界情勢をいかに認識し・分析し・予測して21世紀半ば、いや後半のあるべき世界の姿を描き、主張することができるのだろうか?
@ ユーラシア大陸はどうなっているか?ゆくか?その中でのヨーロッパは?バルカン半島は?中近東は?アジアは?北東アジアは?
A 南北アメリカ大陸は?アメリカの覇権は?
B アフリカ大陸は?
 その上に地球環境問題・水・食料・貧困問題等自然とも対話しなくてはならない課題は枚挙にいとまなしである。

 私など手におえる課題ではないと逃げるのは容易であるが、果たしてそれで良いのかと自問する。
 戦争回避の英知と勇気を信じ、望み。
 今、この一時、瞬間が絶対なりと合掌する。

 2004(平成16)年1月28日 政治・経済・社会欄 NO451

 
 NO451 平成16年 1月 28日  記
   陸自本隊に派遣命令 ―イラク支援に 550名―
  〜1度はこのテーマに対して、今の自分の考えを記しておかねばと思いまして〜

 <これで陸・海・空の全自衛隊約1100人の動員が出揃った。
  戦後日本の安全保障政策は大転換した。>

 1989年湾岸戦争の時、私は香港に駐在していた。 現地の社員600人、その代表である幹部社員より「日本は、そして加藤はこの戦争についてどう考え、どう行動するのか」と問いかけられていた。
 幹部の大半(30代)はその親たちが大陸中国から難を逃れてきた子弟であった。
 彼らの勤める会社責任者の考え方を聞くことにより、じぶんの今後の進路を決める1つの目安にしようとしていた。(1997年の香港返還問題にどう対処するか)
 具体的には家族ともども移民するか、それともこのまま香港に留まるかの判断である。
 やっと任せることが出来るようになった彼らを失うことは私にとっては大変な痛手である。

 当時の日本は海部首相であった。 彼1人の問題ではないが、兎に角、右も左もなにも結論がでないのである。 なぜか日本を代表して答弁するような気持ちになっていた。(内心はイライラである)
 私には18と19歳の2人の息子がいた。 「日本国憲法で許されるならば、その内の1人を戦地に赴かせても、イラクの暴挙は制裁されるべきである」と発言した。 (その後長くこの発言は私を時々苦しめた。 中近東の歴史などほとんど知らず、まして近代以降、列強各国がどのような行動をこの地で行ってきたかの知識はゼロに近かったから…・)


 それから14年世界情勢は激変したが、それにもまして日本の対応の変化はそれ以上である。
 今又、私は深く・正しく・広く情勢を分析する知識も能力もなく、為政者の判断・決断にしたがっていいものだろうかと考えずにはいられない。
 イラク復興支援というものの、実質的には日本の軍隊の海外派兵である。 戦後日本の安全保障政策の大転換と言わずして、他に言いようがない。
 <ここでは派遣される自衛官の方・家族への思いについては触れない。 無事に帰ってきてくださいというにとどめます。 >

 1989年当時の日本政府と同様に、今の私は自分の意見も口にせず、判断もせず立ちすくんでいるだけで良いのだろうかと自問し、今ペンを執っている。
 武器を持って戦場にいるわけではないが、当時と同様に600名の社員は責任者である私がどのように発言するのかを注目していたとするならば如何なる言葉を発するのだろうか。

<その結論は自衛隊の派遣には賛意しかねるという考え方である。 それはなぜか?>

@この戦争に正当性がない、大義がない。(ころころと変化しているし、<テロ・アルカイダの殲滅〜大量破壊兵器の破棄〜フセイン政権の打倒> と、その証明もされぬままに。)要は石油がほしかった。
A日本国憲法の常識的判断(憲法学者ではない者)から遺脱している。 解釈問題、言いつくろいでは国が怪しくなると言うだけで事が済まないことはおおくの国民が知り、危惧するところである。

 仮に現憲法成立の過程において、戦後の混乱していた時代、考えの及ばないところが多々あり、また平和希求のおもいが多面的な思考を妨げたり、させてもらえなかったという、その成り立ちの事実もふくめて、戦後半世紀も過ぎた今、自主・自立の国民としての自覚と責任を持った上で、現憲法にいかなる判断をするのかが問われていると考えます。
 主体性を持った国民としてこのままズルズルと大きく変わる世界情勢の中、日露戦争以降と同様、正しい情報も知らずに、目隠しされたまま勝てば官軍よろしく、神国日本までとも思いこませ、あの最悪の道を歩む事となった事実を反省しなければなりません。
 シッカリと1人ひとりが自覚と責任をもってこのテーマに相対する時です。

 次ぎに、派遣の判断・道筋をつけていったリーダー(小泉首相)について
 首相は冷静な精神で・主体的な決断をしていたのだろうか?ということです。
 この方勘が良いというのか、瞬間的に事を決し目先の勝ち負け、政策決定で多くの支持を得てきました。
 が、大きなテーマ、世界観・国家観という国の将来を決定するというようなことに対しての発言もほとんどしていませんし、関心・能力も持ち合わせが少ないように思えます。

 言いうまでもなく冷戦構造崩壊後、グローバル化された自由競争社会(市場経済)において、当初のアメリカ一国の1人勝ち・アメリカの正義がまかりとおる時代から、間違いなく多極化時代へと日々刻々と移っています。 このままではアメリカのエゴ丸だしです。
 が、小泉首相は目先の安全保障と目先の政治・経済関係に目を奪われすぎているのではないでしょうか。
 思考停止していると言っても良いかとも思います。 それは追従という言葉で批判されていますが、それだけに留まらず、主体・自主の精神のなさからもたらされたものではないかと思えるのです。
 もっとしたたかな精神と柔軟な思考で持って事に当たらないことには、日本が沈んでいってしまいます。
 ユーラシヤ大陸の東の果てに位置する日本、その中心・中近東で起こっていることに対しての、歴史的将来的展望力が欠如しているのではないでしょうか。

 私は嫌アメリカではありません。 どちらかと言うと好アメリカだと思っています。
(ただこの時、私の頭の映像にはアメリカの西・カルフォルニアが大きいのです。 どうもアメリカの東・ニューヨークやワシントンは西以上に分からないのです。 でも彼らがアメリカを動かしているのです)
 アメリカ以外の大国(国連5カ国)のロシア・中国は力で押す覇権国家の印象が強いですし、ヨーロッパのフランス、イギリスも手練手管の国に感じてしまい簡単には信用できないのです。
 そう考えるとアメリカは悪い国とは思えないのですが、何処でもあるようにトップになってしまうと気づかないこと、ワガママなところが出てしまうのでしょうか。

 だとしたならば、真の友人(同盟者)としてもっとハッキリと忠告し、意見具申をすることが大切と考えます。
 元に戻って言うならば、小泉首相には今起こっている世界秩序の変革期であることの認識が浅く、新しい時代の国家の将来像・ビジョンが示せない故に、日本の取るべき進路に従っての判断・決断できないということではないでしょうか。
 多分、道路公団同様に、手元の郵政民営化も、財政改革もあらゆる課題は「改革なくして成長なし」の掛け声がコダマして終わってゆくのでしょう。
 これが私達のえらんだトップリーダーなのです。 私達の問題です。

 話しが何処かに言ってしまいました。 戻してまとめてみます。
 @イラク自衛隊派遣に反対です。 正当性・大義がありません。(派遣自衛隊員・家族の方にはご無事なお帰りを願ってやみません)
 A憲法改正あるいは現状維持 どちらにしても情報を公開して、その議論の過程を通し国民自らの意思と責任の反映された自前の憲法とする。
 一握りのリーダーに任しておく時代は終わったと考えます。 
 何が起こっても不思議でない時代であると思います。 1人ひとりが自分の価値観で生き方を決める、自己責任の時と思います。 その総和が国の力と考えます。
 
 Bそうなれば、日本の国際貢献のあり方・国防・外交もおのずから明確になります。
 Cそれにはまず、今世界はどのような方向に動いているのか、これから求められる秩序・価値観はなにか? どうあるべきか?の論議も公開されるべきであると考えます。
 D日本は地政学上においても、歴史・伝統・文化・宗教どれをとっても世界の中でユニークな存在であると思います。 
 同時にそれはこの国のあり様、個人・家庭・会社の姿・形であり、この地球上にひとつの普遍的な価値をもたらすものになると考えます。

 そんな自覚と責任、希望と勇気を持って日々を送りたいと考えています。


 以上がイラク戦争に関する私の書いたものです。
 これで、イラク戦争は終焉したというどころか、アメリカの国益(しかも一部の人々のため)のため、大きな犠牲を払い、今後もまだ混乱が続くことでしょう。
 が、この戦いの実体はアメリカの負けという形で、収束に向かうのであろう。
 そこに絡む、世界の大国といわれる国々の国益、思惑で、さらに新たな火種が噴出すとも限らないと感じています。
 
 それにしても、「内戦」といわれるように、目先の行き先も見えない。 
しかし、その地域のこと、国のことはその国の人々に任し、委ねるより解決策はないと考えます。
 彼らが引いた道筋に、どのような支援や援助が出来るのかが、この戦争に関わったものの責任であると考えます。




 
                            平成18年11月14日 記

 「近代の終焉」 難波田 春夫教授の
        著書からの抜書きです。
                1979(昭和54)年11月

 
 
1、現在は、歴史的転換期である。
 
 古代ローマ帝国の崩壊、中世キリスト教的世界の解体にも指摘する。 いや、__近代の築き上げた文明が巨大なものだけに__これを上回るほどの大きな転換期である。

2、この歴史的転換の本質は、“自同律”の時代から“相互律”の時代へ、である。
 @近代の根本的特徴は、ドイツの哲学者ゲオルク・ジンメルが言っているように、MEHR UND MEHR (MORE  AND  MORE)、即ち、「もっと、もっと」と言う無限に欲張ることである。
 A近代は、人間解放の時代。                              
人間開放は、元来は人間における理性__信仰からの__解放を意味した。 ところが、やがて、必然的に人間における欲望__理性からの__開放まで進む。
信仰から解放されて自由になった理性は、理性から解放されて、自由になろうとする欲望に対し“理性には自由があるが、欲望にはない”などと言うわけには行かない。
 というわけで、人間における欲望が最も人間的なものとして解放されることになったのである
しかし、この甘い毒に気づくまでに、じつに200年を要した。
 B資本主義は、MORE AND MORE の経済的現象である。
1)大航海時代
2)物質構造の探求
3)資本主義の発展とその反面__過剰生産
4)根本的に違う鮮度の過剰生産→高度成長をささえた新しい耐久消費財の出現
 →必ず行き詰まる高度成長とその対策→いわゆる、マーケテイングは無駄使いの促進(非耐久消費財も無駄使い、 生産設備の無駄使い、 資本の無駄使い→遂に表面化した近代の矛盾
・ガルブレイスのaffluent society(豊な社会)は、多すぎて溢れ出ている社会。
・日本経済もいままでは、無駄使いをスピード・アップすることにより他にないまでに、豊になりすぎた。
→何とかして、もっと多く、もっと多くを続けようと努力する。 その努力が思わず知らず、ひとりでに、もっと多く、もっと多くを否定する方向に作用することになる。
・そのような形をとって、新しい時代を意識することなくしてやってくる。 その時期が今到来している。
→もっとたくさん、もっと沢山と物質的豊かさを追求していた過去過ちが去って、原点に立ち戻り、何が人間にとって真の幸せであるかという立場から考え直すことである。
どうしても、原点からの反省、方向転換が必要である。
→予想通りの停滞を続ける消費需要=消費不振は堅実化した生活態度の現れ(くだらない無駄使いをやめて節約しても、生活水準は少しも下がらないことに気づき始めた)
→不信を続ける投資需要(輸出の洪水的増大による景気回復、上昇は不可能)
生産が顕実化した消費に歩調を合わせねばならない時代に移行しつつある。=(歴史認識)
 →これが、歴史の流れである。
 C成長率は何処に落ち着くか。                             4
1)新7年計画では5・7%→しばらくの激動期がすぎると、3%以下に落ち着く
2)5・7%と言う成長志向の考え方、より根本的には、経済主義的考えが間違っている。
 →奇妙な戦後の風習=春闘賃上げ→雇用の安定が大切
日本人は働き中毒 ←成長中毒 と       春闘賃上げ
          ↑          ↑
MORE  AND  MORE
     ↓
安易な借金、経営の進展→高度成長の正体は自転車操業
                                
 D近代の終焉
 近代の本質はMORE AND MOREである。
もっと、もっとと無限の衝動に駆られることに、そして、そのことが是認せられることによって、近代の最も重要な特徴がある。
 この無限の衝動は何よりも経済の無限発展、豊かさの無限追求となって現れる。
 技術の発達と合理的経済をテコとして、経済は急ピッチで発展を続けた。
・近代の終焉は、経済、政治、社会、文化など、全ての領域で進行している。 
しかし、近代は一切のものが解放されて自由となった時代であり、自由となった一切のものの間では、「さきだつものは金」であって、経済が一番強力である結果として、必然的に経済が全てに優先する「経済時代」となる。 だから、近代の終焉は、経済の領域にいちばんハッキリ現れるのである。
→「無意味となった成長率の計算」
・人生の目的は金ではない。 大切なものは、お金で買うものである。
そして、このお金で買うものも、ただ、衣食住の全てに亘って物質的に豊になりさえすれば良いというのではなく、精神的により美しいもの、高貴なものを買い、それを消費することによって、精神的に高貴な生活を送るようにする、そのところが大切なことである。

→「近代の迷妄=思惟の論理に過ぎない自同律を持って実在の論理でもあるとし、実在の論理が相互律であることを見落としてしまったことに近代の根本的誤りがある。
・近代になって、宗教の制約から解放されると、人間は理性に全幅の信頼をおき、理性が全てであると信ずるようになった。 そこに誕生したのが合理主義である。
・そして、この合理主義は人間の理性を誇るあまり、実在そのものが理性的思惟の捉えるままにあると思い込む。
→実在の論理は相互律である。
・一般に生産は、消費を待ってはじめて実在し、消費は生産をまって、初めて実在する。
→人為的政策に対する実在の論理からの咎めは、重税とインフレという二重苦の形をとる。
→自同律的思惟に基づく自由経済の主張が放棄されて、経済と政治が相互に__相互律的に__結びつかざるを得なくなったことを意味する。                           5
 相互律という実存の論理が自己を顕現したのである。
 実在の論理は、それが実存の論理であると意識されてではなく、自同律の貫徹を意図する行為を通じて、自己顕現する。 これが心理の顕われ方である。ヘーゲルの言う理性の狡智である。

 こうして、手段と目的、経済と文化は、しばしばと言うよりは、原理的に背反する。
にもかかわらず、両者は互いに、他なしには自らもまたないことを知って、協力しなければならない。
 でなければ、人間は幸福になれない。
 このように、本来、人間として一つであるものが、常に、必ず背反する二つのものとなり、背反しながらも、一つにならざるを得ないと言う一切のもののあり方が、相互律である。          
 それ故、現在は一口で言うと、自同率を原理とする時代から、相互律を原理とする時代への転換期である。 より具体的には、経済が、経済は経済である。 だから経済の論理に従っていけばよいと考えて全力疾走を続けてきた時代から、経済が、その本来のあるべき地位本来の使命を自覚し、より高きものの手段足ろうとする時代に移行する歴史的転換期であると言わなければならない。
 ここに、有無を言わざる真理の顕現を見る。
 経済は人間生活にとって不可欠のものである。 しかし、それは単なる手段であって、より高いものを志向しなければならない。 そして、そのより高いものとはさしあたりにおいて、より美しいものである。
→豊なる社会から美しい社会への転換
 経済が単なる豊かさを越えて、美しさを志向しつつある。
 経済が単なる経済であることを止めて、同時に文化となりつつある。
 根本的には、人間が物心両面から成る相互律的存在であって、単なる物質的豊かさだけでは満足できず、同時に精神的な美しさを求めるものであることから来ている。

  3、経済体制の転換
 
 現体制は組織化された大衆民主主義→資本主義も、社会主義も、自同律の原理に従って造られた理性的思惟の産物。→社会は、自同律ではなく、相互律という実存の論理によって構成されている。
 自同律的に、個人の自由だけで構成されるものでもなければ、社会正義だけで成り立つこのでもない。
 自由と正義と言う二つの原理は相互に矛盾し、相容れないものであるが、それにもかかわらず
 社会は、どちらか一方だけがあればよい、と言うようには出来ていない。 矛盾するが矛盾しながらも、両方ともないと、どうにもならないと言うのが実在する社会のあり方なのである。
 
近代はこの相互律という実在の論理を知らなかった。 実在そのものは、決して純粋にできていず、矛盾するものであるが、矛盾しながらも他を必要とするという在り方においてあるものだからである。
      資本主義→→計画化
      社会主義→→自由化
→過度期には、勿論、旧い時代の原理がそのまま続いている。 しかし、そこに、ひとりでに新しい時代の原理が芽生え、次第に大きくなって生い育って行く。                    6
 個人主義的自由主義(←自同律の原理)=オレはオレである
 組織された大衆民主主義        (オレはオレ)
現在の経済危機開明の二本柱  @MORE AND MORE
               A組織化された大衆民主主義
・ギリシャにおける破局
 @カタストロフイー・・・・順調に発展し続けていたものが、突然下方に転換するもの
 Aアナストロフィー・・・・もっと、もっとと、上方に暴走を続け、遂に、転覆するに至るもの

 4、体制と構造は、どうかわるか? 
                     
 近代の終焉→時代の原理そのものの一変→
1)内需優先=生活優先=人間のいとなむ人間らしい生活(物心両面を合わせた仕合せな生活)
      成長率2〜3%→協定貿易→国際共同開発(インターナショナル・プロジェクト)
2)来るべき時代のリーデイングインダストリーは美しい消費財の生産を目指す産業である。
→産業発展の順序は、食、衣、住、レジャー
・食べることもまた芸術 
・ 衣類のファッション化(ユニセックスはファッションの邪道)
 ファッション化の極到は芸術化。
・住 土地の国有化 インテリア、エキステリアもファッション化
 個性を持った多様な色彩と、全体としての調和と、これら二つの相互に矛盾するものが、矛盾しながらも、相互に他を要請し合う、それが実存の論理として相互律なのである。
 来るべき社会は、相互律を原理とする多彩にして統一のある社会、美しい社会でなければならない。
・レジャーこそ経済主義は解放の第一歩
 高貴な遊び。 遊びの共同化による美の創造へ。 価値において大切なのは芸術である。
 レジャーのすごし方でなによりも大切なことは美の創造である。 自分が創造することである。
→二宮尊徳先生の「対偶の理」=永遠である=相互律
→for beautiful human life。 For beautiful society。 Forward beautiful society 
→商業は、地域社会に溶け込め。 これからの商業は、それぞれの地域社会に密着し、顧客に対して心の通うサービスを。地域共同体の一員となれ。
 これからの商業は、それぞれの地域社会に密着し、と言うよりは、地域共同体の一員として、その共同体を共同体たらしめるような、心のこもった行動をとらなければならない。
3)企業はヤッパリ運命共同体
オレはオレである。だから、オレの勝手であるという近代の自同律的個人主義とは、根本的に相容れないものである。 それは、オマエあってのオレ、オレあってのオマエという相互律を原理とする。
→従って、企業は疑いもなく運命共同体である。
 資本家も、労働者も、経営者も現に運命を共にしている。
                                            7
→伸びている従業員持ち株制度=企業の共同体化(経営参加から所有参加へ)←全ての企業が自分の企業を守ろうと考えているから。
 ミシガン大学社会問題研究所の調査では、調査対象の持ち株制会社は、同じ業種の従来型の企業より高い利益をあげている。
→現体制下の根本問題は、権利の一方的主張。          
 生産は、皆が協力してするものである。 資本と労働と経営と、そのうちのどれ一つがなくなっても、生産できない。 だから、生産が増えれば、その理由がなんであれ、生産がふえ、利益が上がったことを皆が喜び合って、分け合うべきである。 それが本当の考え方である。
→権利と義務は本来ひとつ→企業の本来のあり方=共同企業(資本、労働、経営が体制的に一体となっている)                                         
 資本と労働と経営という三つのものは、相互に矛盾している。
 資本は資本であって、資本でも労働でもない。 労働は労働であって、資本でも経営でもない。
 しかし、資本は経営と労働なしには存在せず、経営は、資本と労働なしには存在せず、労働は資本と経営なしには存在しない。
 相互に相容れないものが、それにも関わらず、相互に他を要請し合ってはじめて存在している。
 そのようなものである。これが企業なるものの実存の理論である。
だから、資本家と経営者と労働者が各々企業の本質が何であるかを心得て、協力し合っている場合には、ここより、従業員の持ち株制度を推進するような必要はない。
 しかし、企業の理念をより十分に活かすためには、真の企業が上に述べたごときものでなければならないこと、企業が共同体である協同企業でなければならぬことを認識し、それに合致した制度を作ることが必要である。


 





 COLUMN 1−D  NO626 より
                            平成18年11月10日 記

 50年前学んだ「十字軍」の話は、記憶間違いか?
 〜歴史から学ぶ、正しい事実認識が前提〜


 「中欧を学ぶ」と言う講義を受けています。 其の中で11世紀後半の時代に入り、「十字軍」が取上げられました。 50年前に学び・記憶にあったことと大きく事実認識と評価の内容が異なる講義をを聴くことになった。 私だけのことかと思い、私より6〜7年若い方に尋ねてみたが、ほぼ私と同じようなイメージを持って居られました。

 担当教授が特別の偏見を持っているとは思えない。 イヤむしろ可能な限り多くの通説や見解を紹介しながら自説も語るという、講義スタイルである。
 とは言え、好き嫌い、興味の強弱はあり、立場の違いと言うこともあり、どの方向から取上げるかによっては、大いに評価、判断は異なって来ることはありでしょうが・・。
 その講義録は以下に掲載しております。
                http://taiki.blog16.jp です。

 そこで、過日見つけた岡山県立玉野南高等学校を2000年3月に退職された社会学科の先生、横山さんのホームページを開いて、「十字軍」の関連を斜めに読みました。
 結論から言えば、何処に焦点を強く当てるかにも寄りますが、基本的には同一の事実を指摘されておりました。

 私に刷り込まれた記憶が間違っていたのか、50前のことですので、歴史事実が十分に研究されていなかったか、それ以降に重要な発見や学問上の進歩があったのかは、分かりません。 既に十分に文字資料が残っている時代ですし、地域ですので、私の記憶違いなのでしょう。
 が、偏見と言われるかもしれませんが、私がなっらたのは昭和の30年代初期ですので、明治以来の「近代=ヨーロッパ=キリスト教」の立場で書かれた教科書の延長線上にあったかも知れないなと、穿った見方もしてみました。

 このところ、高校の授業で世界史をはじめ日本史の必修科目が履修されていなかった問題がクローズアップされ、多方面で右往左往の動きです。
 受験・受験の弊害がここにも出ているようです。 私のように今頃になって学んでいる者もいますが、この2年間の経験から若くて頭が柔軟な時に、広く日本史、世界史を学んでおくべきと痛切に感じております。
 
 間違った、事実や偏見に満ちた評価、判断の講義ならば、受けない方が良いのでしょうが、受験のために重要な事柄を飛ばしていて平気な社会の仕組みや行動に改めて、近代の終焉を感じないわけにはいきません。


 





                                   平成18年11月5日 記

 明治維新後(新政府誕生後)時代の講義の初めに、
「今の自民党を見てるようだ」
           との教授の発言を考える。


 この講義は「近代東洋思想」と題されたものです。 明治維新前、江戸時代の儒学=朱子学から始まって、第6回目となり、(15回まで続く)今回から明治新政府にも大いに影響力のあった福沢諭吉を取上げるものでした。
 冒頭に教授が「この時代は、今日の自民党を見ているようだ」と一言言って、それは何故との説明が無いままに本論に入っていった。

 帰宅して、何時ものように復習し、ワープロ化を終えたところで、教授はどのような考えやものの見方から上記のような発言をしたのだろうかと考えました。
 http://taiki.bulog16.jp にも、その受講ノートを掲載し、その後、教授の言ったことにたいし、私なりの考えを入力したのですが、操作間違いで一気に消えてしまいました。
 何を書いたのか思い出しつつ、もう一度トライしてみます。
 というもの、教授の言っていることをそのまま書き写しているのでは、自分の意見、考え方を纏める勉強になりませんので、丁度よい機会と捉えることにしました。

 「尊皇攘夷」をスローガンにかかげて、討幕運動を展開し明治維新は成った。
 倒幕時に掲げたスローガン「尊皇攘夷」論をコロリと捨てて、岩倉具視等を欧米の使節団として送り込み「文明開化」=開国論となる。
 この劇的ともいえる変化、態度変更のリーダーたちの姿勢、政権党の姿が今の自民党に似ているとう、意味なのであろうか。
 
 としたならば、小泉政権から安倍政権と続く自民党の主義主張は何であるのか、そしてどう変わろうとしているのか?と言うことになります。
 いやもっと、時代を遡っての自民政権の姿を指しているのだろうか?
 ココで今一度、明治新政府の発足当時の政策を見て振り返ってみましょう。
 
 中国や他のアジアの国々の実態を見るにつけ、このままでは欧米の植民地にされてしまう。 追いつかねば成らない、そのためには進んだ欧米の制度を足早に取り入れなければ成らない。 「富国強兵」『産業振興」『教育制度の施行」「『憲法発布」等、あらゆる政治・経済・社会の全ての分野で欧米をモデルとし、時には欧米の指導者も導入しての改革行動であった。 その結果、日清、日露の戦いに勝利し、アジア初の帝国主義国家の地位に駆け上がった。 中華の位置を中国から日本に奪ったともいえる。
 
 大正のデモクラシー運動を経過し、昭和4(1929)年の昭和恐慌を経て、社会に緊張感が増大、その解決策の一貫としての新たな新天地拡大のために中国大陸への進出、其の過程で軍部の独断専行の行為、国民も熱狂し浮かれた。
 その結果として、他に様々な用件があったが、1945年の敗戦となる。

 この敗戦を境に、明治維新に続く、近代日本の2度目の大改革は始まる。 ステレオタイプ的とも感じないではないが「軍国日本から、平和憲法の日本」となる。
 これまた、様々な用件と、世界情勢の下「経済至上主義」をまっしぐらと走ることになる。


 が、ココで考えなくてはいけないことは、敗戦前の日本と敗戦後の日本の中で一貫して継続されている政治・経済・社会体制がある。 それは中央集権・官僚機構による国家運営であると言うことです。
 ところが、1989年11月にベルリンの壁は開放され、1990年の東西ドイツが統一される。 それを機に、ソ連邦の解体、世界冷戦構造の瓦解と進み、世界はアメリカ一極支配の体制となった。
 其のことは、あらゆる秩序がアメリカン・スタンダードに変更されると言うことであり、
経済・金融のグローバル化、自由主義競争原理が世界を席捲することとなった。

 アメリカの庇護の下にあった日本も例外ではなく、寒風に身を晒されることとなった。
 折しも、1980年代後半の日本のバブルは崩壊し、1990年代には、旧態依然としたの財政出動による経済の建て直しが、次々に生まれた内閣によって進められたが、時代は抜本的な変革を迫っているのであって、社会・経済構造の改革は一向に好転しない中、国・地方の財政悪化というツケを膨らませるのみとなった。
 
 財政再建問題が遡上に上がり始めると、それまで吸い上げた税金で持って公共投資、地方交付金として富の再配分方式は、(同時にそれは、国=中央による地方コントロール・システム(官僚の裁量行政)、それにまつわる政治家の暗躍(活躍)、政治家とくっ付いた政商の集票マシーン)と言う構造が働かない様相を示し始めた。

 一方、企業の方も生き残りを賭けての改革が始まった。 日本的経営と持てはやされた労使協調体制の骨格を成していた@終身雇用 A年功序列 B企業内組合の仕組みは、時間の経過と共に維持が不可能となり、崩れ去ってゆくこととなった。

 ニッチのサッチも行かなくなった自民党政権が選んだのは、「自民党をぶっ潰す」と言って登場した小泉内閣。
 「改革なくして成長なし」「中央から地方へ」「官から民へ」のワンフレーズ<劇場内閣>であった。
 国民はそれまでの不透明で、先行きが見えない中、その単純明快な発言にそれまでの不信、不安、不満を一掃してくれるのではないかと、期待し拍手を送った。
 結果は、「日本的平等社会」から「自由競争の社会」への転換となった5年数ヵ月後の今、様々な現象が『格差社会』ということで表現されている。


 このように長く書く予定ではなかったが、自分の頭の整理を兼ねて書いてみました。
 小泉政権も、他の政権も、いや政権などと言う大きな権力を持った組織でなくとも、会社においても、地域行政においても、時には家庭においてすら、後から考えてみるとその登場は必要必然のことであったと思えるのです。
 
 ですから、小泉政権の実施したことの是非などはこの際問わないこととします。
 必要必然であったのですから・・ それをどのように受け止め、どう活かして行くかが問題です。 (放り出しておけば、ただの運命論者になってしまいます)

 やっと、結論を書くことになります。
 「江戸時代半ばから明治維新に至る間は、決して「平等社会」ではありませんでしたが、成長テンポが緩やかな中、幕藩体制の下藩に縛られた(儒教=朱子学の思想に縛られた)閉鎖社会であったとことは事実でしょう。
 その間、幕府は
特にオランダを窓口として世界の情勢は把握していた。 それ故に「尊王攘夷」の声が高まる中でも、開国の道を選んでいた。
 明治維新が成った討幕派の新政府は、その後大変身し「文明開化」の道を驀進することと成った・

 →「その明治維新後の時代は、今日の自民党を見ている様だ」というのは、自民党は倒幕したのでもなく、新政権の地位に就いたのでもないが、アメリカ一極支配体制の崩壊が視野に入り、世界秩序が変革しようとしている現在。
 
 @ 「日米安保体制」「アメリカの核の傘」の庇護の下に平和が維持されてゆくと安穏とした議論をしている自民党。
 A其の中にあって、北東アジアの情勢から「このままではダメだとばかりに、歴史認識、近隣諸国の思い・立場に配慮が欠けた言動をする自民党。
 Bあるいは、当面の政権維持のために、来年に迫った参議院選挙で勝つためには、郵政民営化問題で造反した議員を自民党に復党させることが重要だと、目先を見ている自民党。
 Cいや、国家財政に危機である、増税が優先される。
  いやいや、そんなことでは国民に理解されず、選挙で負けると言う自民党。
 D勝つには、社会保障制度の充実である。 そんな金が何処にあると言う自民党。

 など、など、大小混在の課題の中、右往左往しているその政治姿勢、政治の実態を指して、新政府発足当時の明治新政府と似ていると表現されたのではないか。


 明治新政府も薩摩・長州を中心として、土佐、肥後を加えたリーダー達が、権力の中軸を握ったが、実務の実態は開国を視野に苦労していた幕府の役人であった。
 (今の官僚機構=幕府役人に当たるには、責任感ある行動をとっている役人はほとんどいないという。 皆逃げ回っているか、先の見えるものは既に逃げてしまった)
 新政権に参加した者はまだ良いものの、旧幕臣、侍の中には、日増しに生活が行き詰まり、不満が鬱積していった。
 一方、開国ブーム、文明開化と踊らされた庶民は、時間の経過と共にこちらも不満、不信の思いになってゆく、そこに民意を聞けと「自由民権運動」は起こる。

 明治新政府はその後次々に新しい政令を発布し、外国との条約改定も交渉。
 明治10年、西南戦争が旧士族の最後の抵抗となって、新政府体制は固まってゆく。 明治22年大日本帝国憲法は発布され、明治27(1834)年には日清戦争、10年後の明治37年には日露戦争に勝利し、アジアの大国としての地位を得る。

 さて、わが国の戦後約60年を政権党として君臨してきた自民党は、明治新政府と同様にこの大きく変革する世界情勢の中にあって、どのような舵取りをしてゆくのだろうか。
 また、大きな禍根を残すような決断や行動をせず、歴史に評価される存在になれるか?
 それどころか、自民党に任しておいて良いのであろうか?
 
 外交・軍事問題をはじめ、財政再建、社会保障制度など課題は山積している。
 それらの根本対応を含めて、超重要テーマ、「憲法改正」、「教育基本法の改正」がテーブルに上がっては居る。
 国民の関心、注目度を高めるため、そのことを通じ、意識改革がなされるに足る議論、検討が求められているが十分であろうか。
  平和ボケ、生き残るために必要な動物的な感覚がマヒしてしまった私達、ひ弱な個々人の集まりになってしまってはいないだろうか。
 今年の入り、否定的な思いよりも、明るい肯定的な考えに傾いてはいるものの、他人事ではなく自分のこととして心して考え、行動しなければと思っています。
 

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