エッセイD 旅日記
このページ以前の
エッセイはこちらへ


 
                              平成19年5月6日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 70日目 5月6日

  


   

 今朝は日の出が拝めるかと期待したが、↑のごとく、一瞬顔を出しただけでした。

      

 70日前、持ち込んだ荷物を幅が35センチメートルのタンス1棹と(ここに、救命ジャケットが入っている)、一つの引き出しタンスに仕舞いこんだときは、どの引き出しもイッパイでしたが、今日調べると随分と空きスペースが広がってきました。
 100日分持ち込んだサプリメント4種も空のビニール袋が目立ちますし、洗面所の棚においていたヘヤースプレーも8個が残り3個となり、桧のボデイーローションも空きボトルが並んでいます。

 使い捨て用にと襟首が破れた下着を持ち込みました。 明日からのマヤ遺跡等の4日間のコースに持参しますと、これまた破れ靴下(レース靴下、これは既に50日前に処分)と同じ引き出しはユトリとなります。
 さきいか、ごま塩、飴玉等も、船内で買い増ししまたが、ペチャンコになった袋が目立ちます。
 
 変わらないのが、と言うよりは丸窓の前の小さな棚に増加したものは、港のデユテイーフリーで購入して持ち込んだ(本来は歓迎されない行為です。 が、船内で購入するとジョニーウオーカーの黒ラベルが1000ミリリットルで24000円は高すぎます。
 日本の酒デイスカウントセンターなら720ミリリットルで3000円ぐらいです) ブランデイー、ウイスキー、マリブ、そして持参の梅酒がまだ三分の一(約700ミリリットル)残っています。 
 何処で持ち込んだのか記憶にありませんが、ビール缶が1個あります。

 ホームシックと言うわけではありませんが、太平洋上を北米に向かっています。
 西に行けば日本となるなどと考えたりします。
 今朝の食事の時、どなたかがカナダから日本への「オーバーラウンド・ツアー」はないものかと言っていましたが、確かに一足早く飛行機で温泉地に近い空港に降り立ち、数日過ごして横浜で再乗船し、神戸で下船と言うコースがあったら参加者があるようにも思えました。



 
                              平成19年5月5日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 69日目 5月5日

 〜端午の節句で、本日は会席料理です〜


 午前4時に起き出して、まだ残っているガラパゴスの写真の整理と日記を書いています。
 
      
 
 夕食に会席料理(端午の節句)の写真を撮ってくる予定でしたが、なぜかめんどくさくなってイッパイ飲んだら眠くなってしまいました。

 お休みなさい。午後の7時半です。

 その後、地球大学の「CAFE CULTURE」(「カフェ・カルチャー」とボスニアの「OIA
」で覚えてきたこと=コーヒーを飲みながらの気軽な会話)
 報告会のVTRを見ながら、今後の活動を話し合いました。(私は眠くなって、失礼しました)
 
 



 
                          平成19年5月4日撮影と5日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 68日目 5月4日

       〜パナマ運河の通過の日〜


 以下の日記は5月5日、午前4〜5時に書いております。

 本日(5月4日)は8Fデッキとキャビンの往復です。
 と言いますのは、ガラパゴスの写真の整理・選択、そして更にその中から日記への転記です。 少し調子が出てきたと思っていると、ブリッジからの放送で、「只今、閘門です」、「ガトゥン湖にはいりました」、「ゲイラード(クレブラ)を通過中です」、「ステロミゲルの閘門の入り口に差し掛かりました」、「アメリカ橋です」、「太平洋側に出ます」と、その都度、パソコンの前を離れます。

 その上、本日は雨が降ってきまして、雨具を取りに戻ったりしています。
 キャビンの丸窓から覗くと、雨は上がったのですが、今度は蒸し暑く、しかも日差しが強くアット言う間に汗ビッショリです。
 喉が渇きます。 ここはビールを飲んではいけないと、リンゴジュースで我慢しました。

 今(現地時間、5月5日、午前4時<日本時間5月6日、午後6時>)、カメラを取り出して調べましたら、約300枚の記録が残っています。
 シャッターを押した後に、その場で除去しているものもありますから500回はシャッターを押したことになるでしょう。
 鑑賞に堪えるものがあるかどうかですが、その前に、ガラパゴスの整理が2日間分残っていますので、そちらを優先します。
 
 出発前に、一眼レフのカメラを購入して持参してきたことは大正解でした。
 シャッターを押すたびに「カッシャ」と撮影音がするのは気持のよいものです。 いつのまにか、何かセミプロになったような気持ちにさせてくれます。

 4月25日にメールを送信してから、既に10日がすぎました。 今日当たりは送信しなければと思っていますが、この後デッキ・ウオーキングとストレッチ、そして船内新聞「たびごろ」をキャビンに持ち込んで、本日の計画を立てるのですが、今日ばかりは「興味が起こるものがないことを願っています」。 3日分も写真の整理が残っていますし、ガラパゴス出発前の、講座の入力が終わっていませんので・・・・

 それにしても、少し贅沢かなと思いつつ、”個室のキャビン”にしたことは良かったです。
 ご覧のように、ベットに資料をイッパイ並べ(何処に何を置いてあるか、直ぐには思い出せないので・・)、それにパソコンは付けっ放しでも平気ですし、好きな時間に起き出しても、同室の方への気配りをしなくても済むという事はたいへん気楽です。

        
 
 個室でなかったら、多分これだけの旅日記・記録の整理は不可能なことだったでしょう。

 午前4時に起き出して、約1時間経過しました。 多分、本日の日の出は午前6時前後と予想できますので、デッキ・ウオーキングが終了するころが日の出になると思います。

      

 
  パナマ運河を渡る

 さて、300枚もある中から、何を取り出そうかと迷っています。
 同じような写真がイッパイです。 パソコン上で150枚に減らしました。 
 更に、最高でも三分の一にはしたいと思っていますが・・・・

    
    
  クリストバル港を出港しました            運河に向かいます

               
                     ついに、雨が振り出しました

                
 
 一日に三十数隻しか通過できません。 前を行くのはオランダの客船「アムステルダム」65000トンです。(トパーズ号は32000トンです)ギリギリ、イッパイです。

                

              一段水位が上がったのが分かると思います

           
 
 このような機関車が両側には配置され、牽引とブレーキの機能を果しています。

               

          手前の白色の船がトパーズ号の船首の部分です

    

         浚渫(しゅんせつ)工事は常に行われています。

    
                  
                  閘門の開閉の様子です

                
                    湖の水が導入されています

      

      三段階の閘門によって、湖のレベルの高さになり、湖に出てきました。

    

                  湖の両岸の景色です 


          

 運河開発の最大の難工事と言われたゲイラード(クレブラ)カットの、左がゴールド・ヒル、右がコントラクター・ヒルです。 その向こうに見えているのは・・・

   

       この橋のデザインはどこかで見かけたことがありませんか?
         日本の本四架橋?にあったのでは? どちらが先かは知りませが・・・

   



          

                マングローブの林が続きました

 今度は太平洋側に向かって、水位を下げて行きます。

    

   


              

             水位の差が手前と、向こう側では明白です

   

      急ぎキャビンに戻って、丸窓から外の風景を撮影してみました

              

         岸の向こうに見えるのはパナマ・シテイーのビル群です。


              
 

         

                     アメリカ橋を通過して

        

                       太平洋に出ました。 


 パナマ運河について
 パナマ運河の運営は建設が始まって以来様々な組織が担当してきた。
 フランス国がパナマ運河工事をはじめたころは、民間企業の2社が掘削を担当した。
 1881年から1888年には『パナマ両洋運河世界会社』、1894年から1898年には『パナマ運河新会社』は工事を進めた。
 この事業の失敗後、米国政府が運河工事を引き継ぎ、1904年からは『パナマ地峡運河委員会』が工事を担当し、1914年にようやく壮大な工事が完了した。

 工事完了後、委員会は1914年に廃止され、運河の運営は『パナマ運河』と呼ばれる機関に引き継がれる。
 その結果、運河は当機関と『パナマ鉄道会社』の共同で運営された。
 1951年に運河は企業的な管理、経営手法を取り入れるために、組織内再編成が行われ、『パナマ鉄道会社』が『パナマ運河会社』に変わり運河の維持と管理を引き継いだ。
 また、『運河地帯政府』と呼ばれる組織が『パナマ運河』に変わり当地帯の統治機能を引き継いだ。
 
 トリホス・カーター条約が1977年に署名され1979年より施行された後、パナマ運河の運営は新しい段階に入った。 
 以前の組織は全て解散され、「パナマ運河委員会」が唯一の運河運営の役割を担うようになった。
 同条約により、カナルゾーンと呼ばれた元米国運河地帯がパナマ共和国に返還され、当地帯にパナマ国法が適用されるようになった。

 運河地帯両岸の永久租借地にはアメリカの軍事施設がおかれ、南米における軍事拠点となっていたが、1960年以降、パナマの民族主義が高まり返還を求める声が強くなった。
 1977年新パナマ運河条約が締結され、1999年12月31日の午後12時パナマ運河の運営、機能、維持管理等の責務が一切パナマ共和国に引き渡された。
 これらの責任を果すために、『パナマ運河庁(ACP)と呼ばれる政府機構が、新たにパナマ共和国憲法によって設立され、1997年6月11日第19法制定、正式にパナマに返還され、アメリカ軍は完全に撤退した。
 当庁が現在パナマ運河の運営、経営、保存、維持、改善、また近代化とこれらに関連する活動とサービスを行っている。



 運河の歴史的な情報

 運河建設中1億5290万立方メートルの土と岩が掘り出された、その半分以上はゲイラード(クレブラ)カットの掘削から出たもの。
 この土石を貨車に積載すると、その貨車の列は地球を4周する。

 1914年1月7日にクレーン船「アレクサンドラ・ラ・バリー」が始めての完全な運河通過をしたが、正式な運河開通は同年8月15日に汽船「アンコン」である。
 
 1928年にリチャード・ハリバートンが0・36米ドルを払って、運河を泳いだ。横断には8月14日から23日の10日間かかった。

 運河を渡る最初の車両用施設は、1942年5月20日に開通したミラフォローレスの旋開橋。
 ゲイラード(クレブラ)カットに蛍光灯の設備を取り付けてから、1963年5月12日、運河の24時間運営が始まった。

 ゲイラード(クレブラ)カットの最初の拡幅工事は、1954~1970年の間に行われ、従来の91メートルの幅から152メートルに広げられた。

 パナマ運河の機能

太平洋と大西洋を結ぶ長さは約80Km、アメリカ大陸とパナマ地峡の最も狭い部分に切り開かれた。
 1914年に国際航路として正式開通以来、88万隻以上の船舶が通行した。
 2002年の事跡によれば、年間通行船舶数は13185隻。通行総貨物量は1億8782万トン。
 パナマ運河の閘門は3ヶ所、平行して2組ずつあるので、両方向の航行が可能。
 閘門は水のエレベーターの役割、船舶を海抜26メートルの高さにあるガトウン湖まで上昇させ、大陸分水嶺を横断した後、パナマ地峡の反対側で船舶を再び海面まで下降させる。
 この作動にガトウン湖の貯水が利用される。

 閘門を1回作動するためには約1億9700万リットルの淡水が必要、下流閘門で利用された後は、海に流れる。
 船舶は磁力で運河を航行するが、閘門内は、電気機関車が船舶をワイヤーロープで
つなぎチェーンバー内での船舶の航行を安定させる。
 機関車の数は船舶の規模によって、4台から8台まで。


 パナマ運河の一番狭いゲイラード(クレブラ)カットは、長さ12・6Kmで、運河全体の距離の15%を占める。 この水路はパナマ地峡の大陸分水嶺を切り抜け、ペデロミゲル閘門からガンボアまで続く。


 パナマ運河一般資料

 閘門の水槽のおおきさは、幅33・5メートル、長さ305メートル。
 運河の作動は運河流域の川の水を利用する。
 もしも、海水を利用すれば、運河河床が海抜26メートルあるため、水をくみ上げなければならない。コストがかかるし、閘門の装置が塩分によって破損をうける、周りの植物も枯れる。

 太平洋側のミラフォローレス閘門入り口の扉が最も大きく、高さが25メートル、重さが730トン。理由は太平洋側の干満が大きいから。
 パナマ運河の40組の扉は、全て運河建設当初からのもの。 10~15年おきに閘門から取り外され、大西洋側にある運河庁の乾ドックまで運搬し、点検整備。

 通行料

 船舶の種類と規模で区分、通過に利用する機関車の数によって通行料を算出。
 通行料の平均はおよそ54000ドルである。 これまでの最高は2003年9月25日の豪華客船「コーラルプリンセス」号の226194ドル25セント。
 2002年と2003年に、旧通行料システムと比較すると、それぞれ8%と4・5%アップした。

 閘門のサイズにより、船幅32・3メートル、水深12メートル以下に制限されている。
 最大のサイズをパナマックスサイズと呼ぶ。





 
                              平成19年5月5日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 67日目 5月3日
 
 レジェンド号・ガラパゴスクルージング最終日
 〜クリストバル(パナマ)で、トパーズ号に合流 


 ガラパガス諸島のクルージングも最終日になりました。
 特に感動したということもなく、こんなところかと料金と満足度のバランスは、少しマイナスかなと判定していました。
 期待しないのに、最終日の朝はモーニングコール5時半から始まりました。

 ノース・セイモア島上陸 ドライ・ランデイング)
 〜アシカ、アカメカモメ、ウミイグアナ、カツオドリ、グンカンドリのツガイ誕生期〜
 
  
最高地点が30Mの小島。ここで見られるウチワサボテンは、この島にはゾウガメがいないために、潅木状で分布していると紹介されていました。

    
   
   ノース、セイモア島              乾季に入ると直ぐに、葉を落とします。

 
                 上陸地点はアシカの出迎えです。

    
           
          ↑ 特に子供のアシカの写真を選びました

    

 全部のアシカの子供が育つわけではありません。子供の頃に、お母さんが海に獲物をとりに行ったときに襲われた子供もいますし、母親が襲われて、子供を置き去りにしてしまったケースと様々です。 この周りには、異臭が漂っていました。 

             
 
 そこでSTOPです。 人間はこの看板を見てこれ以上には近づけないので、彼の方から
近づいてきて、ウインクをしてくれました。

    
   
   ↑グンカンドリの雄です。               求愛のポーズです。

 優れた飛翔力を持ち、他の鳥たちが獲った獲物を、空中で襲って横取りする好戦的な行動から「軍艦(フリゲート)鳥」の名が付けられた。

 求愛には赤く目立つ喉袋を大きく膨らませ、空をあおいで上空の雌を誘います。
 同時に、オオクンガンドリは震えるような声、アメリカングンカンドリは小太鼓を連打するような声を発する。

 この日は実に多くのグンカンドリを観察し、撮影する ことが出来ました。 これほどに近くから撮影できるのは珍しいとのことでした。
 最初は遠くから、何とか赤色を点のように撮影していましたが、最後は「モウケッコウ」というほどのシャッターチャンスとなりました。

    



               
  ↑、カツオドリが岩場に舞い降りました。 この次がチャンスと待っていました。

    
    
      急降下しました。               水の中に飛び込みました。成功です。

        

 この3日間、グンカンドリの雄姿を撮影しようとチャンスを待っていましたが、ダメ。
 
        
         ついに、何とか納得できる角度でキャッチできました。

      
         
           ここで「ありがとう・レジェンド号とのお別れ」です。

      

          そして、ガラパゴス諸島・バルトラ島ともお別れです。

 バルトラ島発、グアヤキル空港(エクアドル)経由で、ほぼ予定どおりにパナマシテイーへ
 ここで、夕食です。 夕食後は90分掛けてパナマ・クリストバル港で、トパーズ号に合流。
 本日は朝5時からの起床、就寝は11時を大きく回りました。12時近く・・・・





 
                              平成19年5月3日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 66日目 5月2日

  



 スアレス・ポイント(エスパニョーラ島)上陸(ドライ・ランデイング)
 〜ウミイグアナ、ヨウガントカゲ、ネッタイチョウ、カツオドリ、マシネツグミ等)

 
標高206メートル。ガラバゴス諸島の中でも最も起源の古い島。最南東に位置。
 ペルー
海流を正面から受ける。 スアレス岬周辺が海鳥やアシカの大繁殖地。 雨季後のアホウドリの繁殖地でもある。
 スアレス岬、海鳥の宝庫。

   

 出迎えてくれたのが「ウミ(海)イグアナ」。(陸)リクイグアナも居ますが、この島ではありませんでした。 陸イグアナは体長1・8メートルのものもあるそうですが、ここで見た海イグアナは最長で90センチメートルでした。
 一度陸に上がったのですが、食料が少なく再び海に戻ったのです。 海のほうが海草が豊富ですから・・

   
   
 体温が人間と同じぐらいで37度とのこと、海に入ると体温が下がるために、このように岩に張り付いて身体を温めています。

             
                     溶岩トカゲ

 ここからが、海鳥の宝庫と言われるところです。
   

 ガラパゴス・アホウドリ〜全長90Cm、この諸島で最大の鳥。4~12月にエスパニョーラ島で繁殖(ごく一部がエクアドル沖のラ・プラタ島で営巣)。 非繁殖期には、ペルー海流を溯ってペルー沖で餌を捕って過ごす。
 一生を熱帯地域で過ごす唯一のアホウドリ。
 3月の終わり頃に、雄がエスパニョーラ島に到着。 毎年決まった雌を迎えて交尾する。 慣れたツガイほど、雄雌の求愛の儀式に時間を余り費やさないために、繁殖の成功率は高い。 離陸するのは、体が大きく至難の技。 切り立った崖から飛び降りる。
 崖を吹き抜ける上昇気流に舞い上がり飛び始める。

 アホウドリの帰還は、巣立ってから4~5年経ってから初めて繁殖のためにエスパニョーラ島に帰る。 巣立ってはじめて地に足をつけるのが、故郷のエスパニョーラ島。 その他の期間は飛んでいるか、海水に浮かんで生活している。

   
         
              ガラパガス・ノスリ。 食物連鎖の頂点に立つ。

 もうだめかと諦めていた時に、近くの灯台に止まった。 しばらくすると足元から2メートルの茂みに舞い降りた。 やがて茂みから抜け出てきたところをパチリ。
 一羽の雌に最大4羽の雄が番う。 一妻多夫制。複数の雄が抱卵や子育てを助ける。

   

                  アオアシカツオドリと雛

                   
                         カツオドリ

   

 ガラパゴス諸島には、3種類のカツオドリが生息している。 それぞれ餌場や生活場が異なり住み分けている。 
 アカアシカツオドリ、マスクカツオドリ、アオアシカツオドリです。

   
 
 人が近づいても逃げないために、かって世界中の島で簡単に捕殺され”間抜け”の意味からBOOBYと呼ばれるようになった。

   
                     
                     ダーウインフィンチ
 
 ダーウインフィンチという共通の祖先から環境に適応して、嘴(くちばし)の形、体色、習性を進化させていった。
 ダーウインは、5週間のガラパゴス滞在期間にフィンチを研究し、後の進化論を発表する裏づけとなった。


 ラ・ガバラグエラ(サンクリストバル島)上陸 (ドライ・ランデイング)
 〜ゾウガメ、ウミイグアナ、マネシツグミ、ダーウインフィンチ〜
 

 ガラパゴスの行政の中心地。 ガラパゴス諸島で第2の人口、約1万人。
 バルトラ島と並び、ガラパゴス諸島クルーズの発着拠点。
 1835年、ダーウインを乗せたビーグル号が、ガラパゴス諸島で最初に訪れた島。
 ダーウインは島の様子を”巨人国的な珍奇風景”と描写した。
 最高地点 896M。

   

                  
 
 ダーウイン研究所の「情報センター」にて、ガルパゴス諸島・自然の歴史、人間の歴史、そして自然保護について学ぶ。
 この日、前日時間が取れずお土産を買う時間がなかったため、この島で時間を取る。

   
 
 アシカを見飽きたことにもよるが、海岸でゴロゴロと寝そべるアシカにカメラを向ける人はいなかった。

             
                サンクルストバル島を出港

        

   

         フェアウエル・カクテル・パテイーで明日はクルーズの最後となる
         
 

                              平成19年5月4日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 65日目 5月1日

  ^ガラパゴスへの旅 3日目


 サンタ・クルス島上陸 (ゾウガメ、植林プロジェクト)

 
諸島内で2番目に大きい島。諸島内で最大の人口。最高地点はクロカー山864M。

 プエル・アヨラ
 ガラパゴス諸島の観光の玄関口。 15年前は人口が3000人であったが、今では約16000人。 観光客が増加して移住者が増加したと言う。 道路は舗装されているが下水道はなく、垂れ流しの状態。

    

 上陸してバスを待つが一向に来ない、またも中南米の時間間隔につき合わされるのかと思いきや、今度は当方のミスであった。 エルサルバルドルとガラパゴスには1時間の時差があるが、我々が時間変更をしなかったことによった。

 町の東端にチャールズ・ダーウイン研究所がある。
 そこで本日は植林をすることになっている。 長い間検討してきて、このダーウン研究所と日本のガラパゴスの会、そしてピースボートによる共同のプロジェクトとして立ち上げたのです。
 船内での寄付金も18万円集まりました。 外来種の駆除に200円、固有の植物スカレッシア(タンポポに似ているが背丈が最大10メートルにもなり、1年で成長して10年間生きていると言う。 かっては、原生林の森があった)200円と言う、募金です。

 と言っても、まだ密植が好いのか過植が好いのは分からずで、研究段階、そこで私達も密植と過植をしました。

   
 
     森再生・ジョイント・プロジェクト       研究所所長と藤本 幸一さん
 
   

   

 標高が850メートルの付近ではこのように残っているのですが、ほんの一部です。
 かっては、このようなスカレシアの森があったのですが、農業で開墾され、外来種が持ち込まれて、ドンドン森は無くなってしまいました。

       

     標高600メートルから裾野はご覧のようになってしまいました。

 標高500メートルのところにゾウガメが生息していると言うので観察に出かけました。

   

   

 長生きするものは175年以上のカメもいるということですが、年齢がハッキリしないということです。 少なくとも175年以上と言うことです。 このカメ1年中、食べなくても生きていることから、生の肉を食糧とする海賊や到来者に食べられ、絶滅の危機にあります。
 既に数種のカメは絶滅したと言います。 メスは年に一度海岸に下りていって卵を産んでくると言います。
 一日に600メートルが最大の歩行距離と言いますので、気の長い話です。
 この撮影時も、全く動きませんでした。 木の実が落ちていましたので、そばに投げると食べてくれました。
 

  コーモラント岬(フロレアナ島)上陸(ウエット・ランデイング)
  〜ヨウガントカゲ、ウミイグアナ、ダーウインフインチ、マングローブ、アシカ〜


   

                      ↑ フロレアナ島↓                              

   
 
 上陸のたびに、レジェント号に積み込まれているパンガが下ろされます。

           

                 これがウエットランデイングです。

                

 アシカのお出迎えです。 始めは感動しましたが、3日目にもなるとよほどの事でない限り見向きもしなくなるほど、ゴロゴロと寝そべったり、泳いだりしています。

   

              フラミンゴの生息している沼地です。

   


   
    打ち上げられた、魚の死骸         グンカンドリ、30分かかってヤット。
 


前のページはこちらからどうぞ