平成19年5月25日 記
”世界一周101日船旅日記” 89日目 5月25日
〜スワード(アメリカ)入港
〜ネイチャーウオークをアリエスカ山麓で、
〜 トラムウエイ(ロープウエイ)乗車で高台へ
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アラスカ4日目、最後の寄港地スワードへ入港したのは、夜明け前でした。
デッキは濡れていましたが、既に雨は上がっていました。


トパーズ号のメイン煙突と

岸壁にはアメリカ国旗を掲げた大きな客船が停泊しています。
アラスカ・クルーズの定期観光船にしては大きすぎます。6万5千トンはあるでしょう。

5月25日、アリエスカ山ツアーから帰ってきたとき、反対側から

ドンヨリと重い雲が圧し掛かっています

ほんの一瞬東の空に赤みを見出しました。 其処に向かって礼拝しました。
今回の最後のオプショナルツアー、「アリエスカ山麓でのハイキング」は如何なりますか。
スワードについて
人口2005年の統計で2600人。アンカレッジから陸路204Km
アンカレッジから車で約3時間半、スワードハイウエイを南下したキナイ半島東岸のリザレクション湾に面する港町がスワード。
キナイ・フィヨルド国立公園の入り口に当たり、背後にはマラソン山(標高921m−トル)が白嶺の山脈に寄り添って立っています。
海洋性気候で夏期の気温は摂氏9・5〜17度と言うことです。 今は夏でしょうか?
スワードという地名は、リンカーン大統領時代の国務長官ウイリアム・スワードに由来し、彼がロシアからアラスカを購入した努力を称えて市の名前となった。
リザレクション湾は、1792年探検家アレキサンダー・バラノフがコデイアックからヤクタットへの途上、嵐を避けて入り込んだ湾で、その日がロシア正教の復活祭であったために
"Resurrection"と彼によって命名された。
ゴールドラッシュ時代は一攫千金を夢見た人々が多数この港から上陸。
ゴールドラッシュ時代の1915年に始まった「マラソン山(標高921M)のマラソン・レースは現在も7月4日の独立記念日に開催されています。
1903年アラスカ鉄道建設の資材輸送ターミナルとして建設技師たちによって開かれたスワードは、1912年に市制が敷かれた。
1915年から1923年に鉄道がスワード港からアンカレッジを通って内陸部のフェアバンクスへと建設され、スワードは陸路、海路の物資輸送のセンターとして発展。
1960年にはキナイ半島最大の町となった。
キナイ半島の南東部の広大な海岸地帯は、キナイ・フィヨルド国立公園に指定されている。
アラスカ・クルーズ豪華客船が夏期には320000人の観光客を運んで入出港し、キナイフィヨルド国立公園や内陸部のアラスカに観光客の足を向けさせている。
全米一の景勝・スワード・ハイウエイがアラスカ各地のハイウエイに繋がっています。
アラスカの山々と湖 (スワードとアリエリアス間のアラスカ・ハイウエイ車窓より)
このページの写真が多く、重くなってしまいましたので、画面表示が遅くなりました。
よって、これ以下は次のページに掲載することにします。
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平成19年5月24日 記
”世界一周101日船旅日記” 88日目 5月24日
〜アラスカ・フィヨルド第3日目・ハーバード氷河〜
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