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エッセイD 旅日記
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                              平成19年6月4日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 99日目 6月4日

 〜クルージング10日目、明日は横浜入港です〜 


            
          6月3日の太平洋上に沈む夕日を約1時間です。

               

                     キャビンで気づきました

    

              素早くオープンデッキに駆け上がりました
                 それから、待つこと1時間です
       
       


                    

               

    

     

       


 
        続いて、6月4日、日の出

 
本日の日の出は5時11分です。 4時に起床しました。

 
  

         
    

     横浜下船の方は、6月5日は午前7時半に横浜港へ入港予定です。
  慌しくなるので、見納めの日の出ということになるのでしょうか、デッキにイッパイです。
            昨日の夕日といい、今朝の日の出と言い文句なしです。
 
               船は真西に向かって進んでいます

    

   

        


      

                   若者達が踊り始めました

  

 私はスポーツデッキの後方、「サンシャイン・バー」の前で、ストレッチと 礼拝をしました

  
 



 
                              平成19年6月3日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 98日目 6月3日

 昨夜のキャプテンズ、フェアウエルパーテイの模様
〜本日は「下船説明会と”ファイナルイベント”」〜


 横浜まで約1500Km、北緯43度の太平洋洋上です。
 昨夜24時に時差が縮まり日本との差は1時間となりました。 そのためという訳ではありませんが、本日の日の出は4時42分と知らされていましたので、オープンデッキに出てみましたが、ご覧のように日の出はありませんでした。

        

         午前4時半の色          午前4時55分の色、気持ち赤みあり

      

           午前6時15分、空に明るさはありますが、ここまででした。

 今日は「ファイナルイベント〜101日間の軌跡、未来への奇跡〜」と題し、56回クルーズの出会い、笑い、想いが繋がった101日間。そして新たな旅の始まり、があり。

 続いて、22時から24時までの「ファイナルパーテー〜このまま終われNAGHT]があるのみで、その他は「下船説明会」だけです。


 その前に、昨夜の「キャプテンズ、フェアウエル・パーテイー」の模様を紹介しましょう。
             
                     

              ダイニングのシニアー・フロアーマネジャー

    

                 総勢20数名の料理担当者

                

                   男性軍も背広姿で登場です

    

                     着飾ったお嬢様たち

                

    

        お料理をそしてジョニーウオーカーを運んでくれたウエーター

                   

             ハウス・キィパーのムハンマド君とその相棒マリルー

    

                  ハウスキーパーとウエイトレス

    

                       歌が始まり

        

                       指からませて 

    

                 お客さんも乗ってきました

                

        

                      ペンライトが揺れて

              

      

                    お客様は大満足です。

    

                「ありがとう、毎日お世話になりました」

   翌日(6月3日)早速、フォトショップに行き現像・焼き増して、差し上げました。
 
 二部制実施されました「フェアウエルパーテイー」と並行して、「フォーマルCDダンス」が開催されていましたが、パスしてキャビンで飲みなおしました。(6月2日のこと)

 
 やっと戻ってきました海の青と空の青(6月3日、午後13時)

   



   

 この2週間で、チラッと日の光りを見たことはありましたが、本日の午後やっと「青い海と青い空」が戻ってきました。
 
 このまま横浜港に入港できるのでしょうか、八丈島の辺りはもう一度揺れると聞いていますが・・・
 下船準備が始まりました。 宅配便の用紙を購入してくる、ダンボールの箱の販売が始まりました、通路のアチコチにはガムテープが設置されまして、折りたたんであったダンボール箱が再び立体化されています。

 耳にする会話も、「又あいましょう」  「どうぞ00に来てください」と、名残を惜しむ内容になってきました。
                  いまから、下船説明会です。

 午後6時に入力
 
 1週間前から朝食に「お茶漬け」を最後に食べているためでしょうか、本日の昼食も初めてご飯のお代わりをしました。 そして、現在午後の6時ですが、空腹を感じています。 
 それとも、日本が近づいてきたことの安心感、里心でしょうか。

 ザーとトランクに荷物を詰め込んでみました。 来た時よりは少なくなっている感じです。




 
                              平成19年6月2日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 97日目 6月2日

 〜クルージング8日目です、横浜まで4日です〜
 ”早起き鳥、ウオーキング7人衆”を選びました。 


 一昨日に続いて本日も8Fオープンデッキには出られない。 風強く、少し雨も降っているようだ。 クローズドの空間は気温は一定であるが、すぐに汗が滲んでくる。
 
 船の航路を確認すると、北緯40度の線上にある。 手元にある昭和61年発行の高校生用の社会科地図では、この位置を確認するのに適した記載地図がない。
 やはり、航海用の地図は分かりやすいし、見やすい。 日本が近づいてきました。
 
 
 私が選んだ「早起き鳥、早朝ウオーキングの7人衆」を紹介します。写真を撮った順番です。

       
         @                A                B

       
          C               D                 E
                    
                           F
 残念ながら、失礼ながら誰一人お名前も存じ上げません、同時に訊ねもしませんでした。
 この90日強の間の印象を書き添えます。

 @多分、この方が平均して一番早い早起き鳥と思います。身体は大きいのですが、小走りな歩き方をされます。「徘徊しています」とご自分のことを言っておられましたが、確かに船内での歩く順路は変形自在でした。
 四国88箇所の遍路をしたいと言っておられましたが、あの足取りなら出来ることでしょう。
 また、この方の食欲とその量は間違いなく二人分でした。

 Aこのお嬢さんもT、Uを争う早起きでした。 大半がスポーツ・デッキのカウンターに座って、ウオークマンを聞きながら書き物をしておられました。 歌声が聞こえる時もありました。 その後、軽い体操をしてから、ウオーキング・タイムとなります。
 歩くスタイルは背筋を伸ばし、私より広い歩幅(多分80センチメートル)で真っ直ぐに歩いておられました。

 B大変なヘビースモカーとお見受けしました。 ウォーキングをするというよりは、ブラブラとオープンデッキをタバコを燻らせながら歩いておられます。
 こちらから挨拶をしないと返事が返ってこない方でした。 この写真を撮らせていただく時に見せてくれたこの笑顔は、大変な照れ屋さんではないかと思いました。

 C私と前後してデッキに登場する方です。 ご挨拶は何時も帽子に手をかけて、生真面目な挨拶をされます。 この写真を見て改めて几帳面で、真面目な生き方をされてこられたのではないかと想像しました。  歩く速度は早いほうです。
 ウオーキングの間に体操グループが始まると、そちらにも参加されていました。

 D本格的な登山靴がまず印象的です。 靴が重過ぎるのか、それとも年齢・体力から来るのかは分かりませんが、左右に揺れながら歩かれていました。
 私が寝転んでストレッチをしているときなどは、ドスン、ドスンというよりはドタンドタンという足音で直ぐにその存在を意識することが出来ました。

 E関西方面の方です。 一度ツアーのときにご一緒したのですが、お名前を忘れてしまいました。 毎朝、顔は会わしますので互いに顔見知りではありましたが、会話をしたことはありません。 そのツアーのときに、「私も香港で仕事をしていました」と言いますと、中国で仕事をされたことがある(合弁で)。
 「が、最後は全て持っていかれた」と語っておられたのが記憶にあります。

 Fピースボートの船旅は確か3回か4回目と言っておられたと思います。
 そんなに早起きではありませんが、必ずステッキを持ってユックリと歩いておられました。
 お足が少し不自由のようですが、この毎日のデッキ・ウオーキングが効果的なのでしょうか。 写真を撮らして頂くとき「被り物はそのままで良いですか」と、人柄のよさが感じられる言葉を口にされました。

 まだ、数人お見受けしている方が居られますが、100日近くを通じて、毎朝ほとんどお顔を合わせる方で、しかもウオーキングをされている方は以上の方でした。

 朝食時に、ダイニングの給仕係”SASED”(エジプト人)君から
 

  朝食はバイキング方式ですから、自分で盆、皿、箸などを取りに行くと、突然に給仕係Sased君が、黒い袋を私に差し出し、「あげる」というような仕草をしました。
 私が「Send for me?」というと、コクリとうなずく。
 テーブルで袋を開いてみると、「エジプトのヒエログラフィー」です。

                

 キャビンに戻って、袋の中を見るとポスト・カードに何か書いてあります。

                 

 私だけでは読みきれませんでしたが、ハウスキーパーのムハンマド君の知恵も借りて、
 以下のように読みました。

  《 ”All The Best”    SASED   2007年6月2日 第56回クルーズ》
 
 なぜ、SASED君が私にプレゼントしてくれたかの意味は分かりません。 その間、特別に会話を交わしたわけでもないのですから・・・。
 でも、悪い気はしませんでした。 何か返礼になるものを考えましたが何もありません。
 引き出しを開けましたら、「ユカタと豆絞りの手ぬぐい」がありましたので、頂いた黒のビニール袋に入れて、ダイニングに行き、手渡ししてきました。

 帯はあげられませんので(帯は親父の形見)、彼はどのようにして着るのでしょうか。


 本日は「フォーマルナイト、キャプテンフェアウエル・パーテイー」

 一度に800人はダイニングには入りきれないので、2班に分けてのデイナーとなります。
 別会場では「フォーマルCDダンスタイム」もありますが、どうもダンスはする気になれない。  船に乗った最初のダンス会場の印象がよくなかったためか・・。 
 
 それに今回改めて、自己認識できましたが、私は群れるのは好きでない。 我儘からでもあるのでしょうが、穴倉までとは言いませんが、ある程度の生活空間が満たされていれば、かなりの時間孤独と言うか、一人で過ごす事ができる。 人様を気にしながらの時間は長くは耐えられない性格のようです。(子供の頃は寂しがり屋で、一人では怖かった)
 
 この年齢になって今更なのでありますが、この認識を忘れないようにして、グローバル化が進展する中、様々な価値が共存する多様化・多文化社会時代に向かう日々を過ごしたいものと思っています。

 「キャプテインズ フェアウエルパーテイー」の様子は、6月3日に掲載します。
 
 



 
                              平成19年6月1日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 96日目 6月1日

〜クルージング7日目です、一気に6月になりました 


 6月1日からは日本本土より、この船が3時間先行することになりました。

 3日連続で、今朝も一度1時半に起きだしました。 部屋の丸窓から見える月は満月でした。 昨日までの荒れた海の波で丸窓のガラスは曇っており、ご覧のような写真しか撮れませんでした。
                

  そこで、ウオーキングするには早すぎますので、カメラを持ってオープンデッキに
 
    

                         満月です

    

 6Fレセプションの横にあります世界地図   日本列島まで一直線に航路が引かれてる

               

   5月30日に日付変更線(縦の線)を通過したことを示しています、斜めは航路線

 7Fに戻り、中央の広場に行くと、6月1日のイベント「いっさい、がっさい収穫祭」の準備をしています。 時間は深夜2時を廻っています。 
 これでは、翌朝10時、12時まで起きてこられないはずです。 こうしてイベントはつくられているのです。
 
               

    

 この収穫祭のために新たに製作されている物もありますが、大半は実施された時の
 作品やポスター、バナーなどです・

        

    

    

     


      
   収穫祭の一つとして「アンケート」をしました、その結果です。読めますか?

 1、一番良かった寄港地は?→   @ケニア   Aカナダ   Bイタリア
 2、一番印象に残る自主企画は?→@美術鑑賞 ATAEBO Bチェーンダンス
 3、一番心に残ったイヴェントは?→@運動会   Aファションショウ B24時間企画
 4、今、一番食べたいものは?→  @寿司    A刺身    Bうどん
 5、船内でお気に入りの場所→   @キャビン  A前デッキ  B7Fフロアー
 
 6、貴方が思う56回船内流行語は?→@いちゃりばちょうでー Aツアーデスクの前井です(これはツアーデスク=ジャパングレースの責任者で、寄港地の説明会をするときの、一番初めの挨拶です。マジメで誠実な感じが受けていました) 
 B船マジック(ボート・マジック)
 7、56回クルーズを一文字で表すと?→@和    A楽     B愛・友
 8、出航してからの体重の変化は?→@ゼロ    A+2Kg  B+1、+3、−2、−3 

 キャビンに戻って一眠り、そして午前5時起床

       

     

 
日の出こそありませんでしたが、日付変更線を通過して北緯42度の辺りで、昨日のように波・風はなく、気温も上昇してきました。
 
快適なオープン・デッキウオーキングができました。

 
その午後からのことです、再び船がおおきく時間の経過と共に揺れ始めました。
 
以下に掲載します収穫祭の第1部はまだよかったものの、第2部の時間になりますと、
 舞台の上は大変でした。 片足で立って踊る時や人形劇の時などは、舞台裏が狭いこともありますが、黒幕から人間の足が飛び出すやら、台本にはない「アッ危ない!」などという声が発せられました。

 「いっさい がっさい収穫祭」のスナップです。 第一部

   
 

        
午前8時から『劇団紅っぱじ』の公演”レンザとキンバリー”から始まる

   
 
 南中ソーランは寄港地で何度か交流 津軽三味線を握って25回目、見事に音程外れる

                    

        民謡を踊ろう会         クラシックコンサート、夜も1時間のコンサート
                                     かって、プロだった

   

    「真向法」春日井・西山町の方     「手話」、看護師、介護師の方が多かった

               

                        フラダンス

        

                        ウクレレ

 第一部ではこの他に、「アカベラで行こう」「レッツジャクリング」などが発表された。


 第2部です

             
  

               司会進行の、高山さんと上島さんです

    

                 
和太鼓から始まりました。

               

        指導者、先生ではありません。 なかなか堂にいています。

    

                 

 チェーンダンス、人気があるとは聞いていましたが、楽しくってついシャッターが多く・・

                  
 
     矢野ママです。 ピースボートには何回か乗船しておられるようです。
    大きなキャビンでも使っているのでしょう。兎に角、自主企画が豊富です。
 「矢野 ファミリーショウ」「ママの部屋」「般若心経を書きましょう」「矢野ファミリーダンス教室」「矢野ファミリー歌とおしゃべり」「50代集まれ」『人生なんでも相談」などなどです。

    

             矢野ファミリーの「黒猫のタンゴ」でした。

    
  
   人形劇、船上で新聞紙で作りました     合唱団です、ほとんどが年配者でした

 そのほかにも、「かっぽれ」 「詩を読もう」「三線」「エイサー」「社交ダンス」と「ハニカミ」〜これはハニカミ屋からきております。 初めて会う男女が、夕食を共にするという企画でした。 当に、ハニカンダ笑顔のツーショットが次々に写真紹介されました。



                 



 
                           平成19年5月30日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 95日目 5月31日

 〜クルージング6日目です。そして、
   時差調整のために5月31日は「消滅日」です。 

 5月31日は「消滅日」となります。

 時には1週間で、あるいは数日で、はたまたここのところは毎日のように、1時間のユトリ時間が発生しておりました。
 大半は睡眠時間に当てられていましたが、特に深夜族には好都合の1時間の戻し時差でした、が、5月30日時差が発生し、日付変更線通過と共に5月31日は「消滅日」となります。 5月30日24時に、1時間戻すと、その日の時間は5月31日の23時となります。

 何でも企画にしてしまうピースボート、時差後の1時間を31日に見立てて「5月31日消滅企画」が行われます。
 1日が1時間になったらどうなるのでしょうか? こんな貴重な体験は船ならではのものです。 どんな内容の企画になるのでしょうか?

 持参のファイル・ブックは大いに役立ちました

 4冊持ってきましたファイルは大変に役に立っています。
 「地球一周の旅・寄港地の情報(ほとんどWikipediaからのもの)とその後の寄港地紹介として旅行会社「ジャパン・グレイスからの情報と少々の現地資料のファイルは既に5センチメートル以上の厚みとなり壊れそうにパンパンです。

 次の一冊は、ピースボートとの契約関係書類と「たびごろ」のファイル。こちらも厚さが5センチメートルに近づいています。
 他は地球大学のために持参した資料と勉強中にファイルしたもの。
 最後が、毎日持ち歩きするファイル(講座の内容のメモのファイルや本日の計画資料を入れておく)も知らぬ間に、重たくなってきました。

 最後に荷造りする段になって、重量オーバーにならないかと心配しています。(ワントランクの重量は30Kgまでです。来る時も数キログラムオーバーで、ダンボール箱が一つ増えました)

 
 



 
                           平成19年5月29日と30日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 94日目 5月30日

〜世界を斬る映像「日本人はるかな旅・シリーズ」〜
   日本人はどこからやってきたのか? 


 5月30日、午前2時に入力を始めた

 昨夜(5月29日)も午後9時にベットに入り、今朝(5月30日)は午前2時に起床した。
 ここ3日間、このパターンです。 日中にワンクール分睡眠を取るからだろうか。
 それとも今朝は昨日から続いている船の大きな揺れのためだろうか。
 今も、前後左右に回転しているのではないかと思えるほどにパソコンのうえで、指がキーを捜している。(タイプ・タッチ入力でないためであろう)

 1時間ほどパソコンに向かい、下記の「世界を斬る映像」〜日本人はるかなる旅」を、独立させて、ピースボート講義ファイルに転載、収納しました。
 もう一つ、5月29日、「夕食時に話したこと」を寝る前に途中まで入力したのですが、何処かに飛んでしまいました。 少しばかり探してみましたが見つからず、急に意欲がうせてそのままにして寝込んでしまいました。
 今朝、其処を開いてみましたら、元どおりに回復しておりましたので、嬉しくなって書き続けることにしましたが、軽い船酔いでしょう「冷や汗」が額に滲んできましたので、”シーバンド”を腕にしてベットへ、そのまま1時間ほど眠りました。

 4時半に目覚め、先ほどの続きを入力、またもや途中で入力分が飛びました。
 検索している内に、元に戻り「5月29日、夕食時に話したこと (桑野君のことと若者達のこと)を書き上げれることが出来ました。 
 
 シーバンドの効き目でしょう、気持ち悪さもなく、スッキリしています。
 5時15分になりました。 今朝の日の出は5時45分です。
 今から、オープン・デッキに着替えて行く事にします。 気温は? 風は?揺れは間違いなくあります、このキャビンでもローリングしているのですから・・ 高いデッキはなおの事です。 が、そこはここまで続けてこられたことと、なんと言っても「修行僧」と口にしているのですから・・・

 ということで、8Fのオープン・デッキに行きましたが・・・
      
                                                        

  
との張り紙がしてありました。 仕方なく7Fのアッパーデッキに戻り、ウオーキングを始めました。 このデッキでのウオーキングは2度目です(前回は雨降りだったか)
 屋根付ですので、5周ほどしますと汗が滲んできました。 カーデイガンを腰に巻いてトレーニングウエアーです。 
  やはり寒くても、風があっても、雨が降っていてもオープンデッキの方が気持よいです。 何処か修行をしている気持ちにさせてくれます。

 特に、ダメなのが、屋根のあるところの喫煙場所を通過するときです。 7〜8メートル前後まで、あの臭いが追っかけてきます。
 また、今夜の「ピース・コンサートのためでしょうか、60歳代の男性と女性が2台あるピアノで早朝からの練習をされておられました。 その部屋を通過するときには気持ちが良かったです。 難しいところ、スピードが求められる曲のところなのでしょう、集中して練習をされておられました。

                

 外の様子、状況を写真に納めようと、ガラス越しに撮りましたが、上記のようです。
 そこで、          
                 
 ドアーを押し開けて、デッキに出てみました。(風で鍵がかけてあるかと思えるほどです)

    

     風も強く、揺れも激しいので、シャッターを2回押して早々と引き上げました
  
 
 以下は5月29日に入力したものです。
 テーマを変えてシリーズで開催されている「世界を斬る映像」の今回は〜日本人はるかな旅〜NHK特集です。
 
 第1集は「マンモスハンターーシベリアからの旅立ち
」でした。
 
まだベーリング海が氷に覆われていた頃、日本海とユーラシア大陸が陸続きであった頃、マンモスを追ってシベリアの大地から日本列島にやってきた私たちの祖先の話でした。

 第2集は「百大噴火に消えた黒潮の民」と題して、
 
 黒潮にのって南の島から沖縄、そして南九州に到達した南の海の人々が、紀元前・・・年に、海底火山の大爆発で火山灰に覆われて忽然と消えてしまった話です。
 これは日本の歴史で言えば縄文時代のこと。 縄文時代といえば狩猟と採集の生活時代として、日本列島の北の方が注目されていますが、同じ時代に南九州で其れと同等か、それ以上の生活をしていた人々の話でした。

 第3集は「海が育てた森の王国」と題し、

 其れまで黒潮は南九州から太平洋の沿岸を流れていたのですが、地球の温暖化が進み、対馬海流となって日本海側にも流れ込み、北から流れてきた寒流とぶつかって水蒸気が発生し、日本列島の山にぶつかって雨を降らした。 結果、其れまでブナやコナラの森だったのが、照葉樹の森となった。
 其処に栗の実ができるようになったばかりでなく、青森県三内丸山遺跡のように、山を切り開き栗を栽培して、多くの人々が豊かな暮らしが出来るようになった。
 其ればかりでなく、海を渡って海の幸が其処に届けられ、物々交換も始まった。
 が、寒冷化再び進み、栗の栽培が不可能になり、人々は各地の森に散らばっていった。
 かくて、栗の木の山は、再びブナやコナラの森となった。

 第4集は「稲、知られざる1万年の旅」が本日5月29日に放映される。
 どのような内容が展開するのだろうか。
 
・稲作はこれまで弥生時代からというのが通説であったが、縄文の時代に稲の民であったことが分かってきた。どのようにして稲の民となったか。
・これまでは中国・雲南省が発祥の地と考えられていた。納豆、豆腐のルーツと同様に。
・が、6000年前の縄文遺跡より稲の痕跡が見つかる。
・中国・湖南省に1万2千年前、人の生存の痕跡があり、日本の縄文の時代・晩期頃稲作を始めていた。 
・それから5000年後、中国・沿岸部の浙江省に7000年前の遺跡発見。→河姆渡)(カボト)遺跡で炭化米=熱帯ジャポニカを発見。其れは佐賀県の炭化米=熱帯ジャポニカとDNAが同一であった。
・カボトの人々は漁労民で漁業もし、船も操っていた。船に竃を乗せ、米を煮炊きしており、日本に流れ着いたと思われる。

 ・漁労民と稲作の関係は対馬でも見られる。6000年前の人骨から古代米=赤米=熱帯ジャポニカ同様、中国沿岸から漁労民が対馬に渡った。
・対馬での熱帯ジャポニカの生産方法は分かっていない。
・が、インドシナ半島のラオスでも熱帯ジャポニカが今も生産されている。 其れはコシヒカリやササニシキとは異なる、餅米の食感である。
・その地=熱帯の地では、今も水田ではなく焼畑で、稲籾を発芽させている。
そこから、日本の縄文時代も焼畑で収穫していたと想像できる。
 ・6000年前、漁労民(中国から)がやってきて、熱帯ジャポニカを伝えたが、温帯気候のために、日本全体には広がらなかった。

・中国・長江流域の江蘇省から7000〜5500年前の炭化米が発見、5500年前のもので今の米と似ている。 其れは米粒が進化し大粒になっている。これは6000年前に、人工的に湿地を管理した=水田によると考えられる。

・熱帯ジャポニカは新しい温帯ジャポニカにどのようにしてなったか。其れは水田である。
・3000年前、朝鮮半島の南端(対馬より50Km)のところに、縄文人の渡ってきた痕跡がある。
・朝鮮人が縄文土器を使っていたということは、縄文人と朝鮮は交流があり、同時に稲作も日本へ伝わったと考えられる。
・九州北部、佐賀県の唐津でナバタケの水田が発見。弥生時代ではなく、縄文人によって水田は完成していた。→その後、九州北部に広がる。=水田稲作の基盤の時代=弥生時代の始まりである。

・2600年前、縄文晩期、続いて弥生時代に渡来人がやって来て、300年の間に日本全国・(本州)に広がる。 では、縄文ジャポニカの役割は?

青森・津軽で稲作が出来るようになったのは1000年前、平安時代と考えられていた。
 ところが、2000年前の水田が発見された。 それは弥生中期、北緯41度の本州最北端に達していたことになる。(世界最北の水田地である)

・なぜ、寒冷地で可能になったのか?
・熱帯=縄文ジャポニカと温帯ジャポニカとが混植されていた。両者の掛け合わされたものは、親の稲より40日も早く成長する。
・短い夏に対応し、早生の品種が必要であった。温・熱帯から生まれた早生によって、300年で最北の地まで稲作を可能にした。
・生物の多様性を2000年前から知っていたということである。北の地に稲作根付く。

中国・長江の12000年前の稲は日本列島に伝わった
1901年北緯44度33分で稲作が可能となった。
・南北3000Km石垣島から北海道まで「稲の民」=日本人の生活が続いている。



 第5集は「そして、日本人が生まれた」 です。
 
・2000年前、渡来人は水田稲作の技術をもって集落を形成した。 がそこでは、既に縄文人が生活していた。 縄文人と渡来人の戦い「激動のドラマ」があって、日本人が誕生した。 その物語である。

 ・アンノウ集落に縄文時代にはない、水田がある。
 ・1994年に福岡空港建設時に、2300年前の人骨を発見。その人骨から新しい文化をもったひとびとの姿が明確になった。
 ・縄文人とは異なっている。 顔の長さが縄文人よりも長い、側面から見たとき、鼻が扁平である。縄文人は高い。
 ・それから、100年後の2200年前の人骨が山口県の”土井が浜”で発見、福岡の人骨と同一。
→その墓は、みんな同一方向に向いて埋葬されていた。朝鮮半島、中国方面である。
→中国山東省から出土した人骨と”土井が浜”の人骨は同一。北京、西安にも同一人骨。
→2000年以前に、中国から日本列島に渡ってきた人々がいた。

・なぜ、日本列島にやってきたか?

・当時の中国は春秋戦国時代で、7つの強国に統合されてゆく時代。
 500年間の戦乱が続いた。国を捨てる人々が居た。 また、楽土へ行くという新天地をもとめた人々も居た。
・日本列島に@中国から朝鮮半島を通じて A中国の黄河の辺りから B南の長江の周辺から渡ってきた。
→それは弥生以降も渡来し、新たな文化を生み出した。

 ・数百年に渡って西から東へと進み、やがて縄文人が暮らす地に到達した。
・大阪平野には、シカの足跡、角、あるいは貝塚などが見つかり狩猟採集の縄文人のものである。
・その大阪平野に2~300人の渡来人が暮らす集落が出土、其処には水田があり、やがて平野全体に広がった。
→縄文人を数十年で上回った。 しかも、強力な武器を持っていた渡来人。戦いの始まりとなる。

 ・春秋戦国時代の渡来人は戦いをもたらした。武力でトラブルを解決するという、良し悪しの問題でない行動様式を持って、さらに東へと進む、濃尾平野に到達したところで留まる。
→其処には、深い森があり、多くの縄文人が暮らしていた。(東海、北陸以北では、水田の開発が困難で渡来人が入り込めない森林があった。

・この状態が200年続いた。
・兵庫県の遺跡より、文様のついた土器が発見された。(渡来人は無紋様の土器)長野県を中心とする縄文系のであった。

これは何を意味するのか?
・材料=粘土を調べると長野県のものではない。 とするならば、東の縄文人が西に行ったこととなる。 東の縄文人は稲作に関心を持っていたと考えられる。
 ・交流が促された。
 ・2100年前、関東平野、小田原・中里遺跡に最初の200人もの人々が暮らしていた遺跡がある。広大な水田がある。
・其処には縄文系のひとびとも暮らしていた。 しかも中里では縄文人の人数が多かった。
・戦いの武器は見当たらない。縄文人の開墾のわざと、水田の技術の持ち寄りである
→弥生時代の文化が生まれた。

・弥生文化は融合したものであり、今の私たちにつながる日本人である。
・2000年前、アバクチトウフク(?)の人骨は縄文人のベースに渡来人の西方系の人骨で、今の日本人の始まり。

・どんな生活をしていたのであろうか?
・歯の特徴から判断すると、西には渡来系が多く、東は縄文系、また地域によってその混ざり合いはそれぞれである。
→小さな国が発生した。
・古代国家、大和盆地には様々な土器が発見される。一つの国家形成をしていた。
・戦いを避け、ゆるやかに交流する日本の原型が出来上がった。

21世紀の日本は新しい文化を受け入れ、新しい文化を造ってゆく事になる。

 
 




 
                              平成19年5月29日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 93日目 5月29日

〜本日も、午前1時半に起き出すことになりました〜
      日本へのクルージング4日目です 


 5月28日21時15分ベッドに入る。 きっと、起き出してしまうでしょうと入力して、直ぐに寝入ってしまいましたが、今・現地時間5月29日午前1時半です。
 昨夜も24時に時差が発生していますので、体内時間は2時半ということになり、実質5時間は眠ったことになます。

 起き出すことになったのは、昨日から「”まとめ”『101日の船旅を終えるに当たって』」を気づくままに書き始めた。 スラスラと出てきたタイトルは以下のものでした。
 

1)人間は大きな責任を持つが、ちっぽけな存在だ。地球環境、地球温暖化について

2)掌中にある「輝ける宝石」=日本国憲法を知らなかった。

3)世界は多様性、多文化社会に向かう。様々な人々・文化を認める。

4)食の安全(遺伝子組み換え)と貧困問題(世界的な格差問題)

5)『貴方が隣人を殺す時!』戦争の作り方。旧ユーゴスラビア(ボスニア、サラエボ、モスタル)に学ぶ

 本日(29日)読み直してみると、旅の後半の部分の講義や質疑応答が記憶に残って、それが影響していることが分かります。
 無理して、上記の5つに入れ込むことはないと思いますが、ヒラメキ型の私としては、それはそれなりに重要視することにします。

 旅の前半にあった講義録を改めて読み直して、書き加えようと思っていたら、寝付かれず起き出したという訳です。
 5月28日の初日に入力したものと、それ以降に入力するものとは異なる文字形態で入力してみようかと考えています。

 それから2時間半、今現地時間3時半になりました。眠気を催しましたので、再度眠ることにします。 ワンクール眠れば5時半、本日の日の出は5時1分とありましたから、間に合いそうもありません。 ところで本日は日の出があるのでしょうか。
 丸窓の外は真っ暗です。 低く波を切って進む船音が聞こえてきます。 小さく軋み音を立てて船が揺れています。 揺りかごの役目をしてくれるでしょう。

 1時間ほど横になっていたが、結局眠りにつけず4時半に起きだし、着替えをしました。
 外が少し明るくなってきたようですので、デッキ・ウオーキングに出かけることにします。


 1週間ぶりの日の出となりました

   

        

      

      
 アリューシャン諸島・キスカ島の7〜800Kmの洋上を西南に向かっています。
 北緯50度をきった辺りで、甲板に出た直後は寒いですが、デッキを3周もすれば、暖かくなってきました。 航海地図が入れ替わり日本列島に向かって地図上では一直線上です。
 
 地図の右下にはミッドウエー諸島やハワイ諸島も見つけることが出来ます。
 今夜辺りが日付変更線を通過するのかなと思っていましたが、明日になるのではないかと推測しています。

 
 オープン・デッキへの出入り禁止の放送

沿岸から遠く離れた太平洋上に出たからでしょうか。 本日の昼過ぎから船が大きく揺れています。 慣れてきたためでしょうか船酔いはありませんが、パソコンが左右・前後に傾くのを感じながら入力しています。
 7Fのウィンジャーマールの会場に参加していましたが、講師の方が途中話をストップすることもありました。 
 
 「六ヶ所村の再処理工場」の内容で、タイトルは「キャンドル・ナイトがお寿司を救う!?」でした。
 私たちのできること、身近なこと、自発的なムーブメントと言う事で、夏至と冬至の日には電気を消して、その代わりに「ローソク=キャンドル」を灯してみませんかとの呼びかけです。 これなら、直ぐにでも出来そうです。 年々盛り上がってきたイヴェントです。

 今年は6月22〜24日に開催されます。 帰国して最初の「地球環境への取り組み」としたいと思っています。

 本日の夕食時に語ったこと (桑野君のことと若者達のこと)

・話している途中で気がついたが、彼は「たびごろ」NO77”旅語録に登場していた。
 今から、その彼を紹介する記事をここに書きます。

『桑野雄介(21歳)大学4年生。通称ヨン様。 24時間企画で、デイレクターを務めた。
 例え苦労しても、その向こうに生まれる「絆」で繋がれるはずとの思いが24時間企画を成功させた。
 「自分で何か新しいことを始めたい」と起業に興味があった。 何か新しいことをしたい、自分と同じ考え方の人たちと出会えるのではないかと、この船に乗った。
 一番大きな影響を受けたのは水先案内人の吉岡 淳さんの講座であった。

 自分のため、環境のためになることならば、続くのではないかとヒントを掴むことができた。 何かを吸収して帰りたい、彼ほど有意義で確かなものを掴むことのできた人は少ないだろう。 彼の今後が目に浮ぶようだ』
 と書かれていた。

 ご両親は団塊の世代、その子供、選択可能な時代に育っていることに感謝するといっていた。 私が「この世界構造・秩序は、そして日本の社会構造は何時いかなる時に、突如崩れるかも知れませんよ」との弁には反応が薄かった。
 『それでも帽子とメガネがトレード・マーク。柔らかな笑顔と強いリーダーシップで注目されている。』とも紹介記事に載っていたが、確かに穏やかな話しぶりと静かな対応は年齢以上の落ち着きと思考力を秘めているのだろうと感じさせた。

 ピースポートに乗船前に書いた「参加動機」ほどには、若者達の中に入り込み、話し合ったり、語り合ったりは出来なかった。(この面は50点)が、それでも意識して彼らの言動を注意して眺めていたから、それなりの観察は出来たと思っている。 

 体育系の若者が目立つ企画や文科系の若者が活躍している場面にも良く出合った。
 もう一つ付け加えるならば、芸能関係の若者も多かった。 ただ、目立ちたいというだけではなく、先輩に教えを受けていた若者も居れば、自分達で試行錯誤しながら創作をしていたグループもいました。

 何時の時代にも、先輩から見れば「今の若者はなっていない」と言う評価の言葉が出ますが、今回も数人の方からそんな言葉を聞かされましたが、地球大学に参加したことで、その若者達が短期間の内に学び、習得し、さらに自分たちのこととして未来をどのよう考え、展望し、行動してゆくべきかと彼らなりの現時点での考え、回答を出していったその過程に同行できたことは、大いなる収穫でした。

 
 





 
                              平成19年5月28日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 92日目 5月28日

 〜この旅の”まとめ”的なことを書き留めました〜 


 昨夜は船内企画の「ファッション・ショウ」が開催されていたが、見に行く気にも、写真を撮る気にもなれず9時には床に入った。
 そのためか、今朝は3時半(時差が24時に発生しているので、体内時間は4時半で、充分な睡眠時間)であった。
 
 そのまま、起き出して以下のタイトルでメモを取った。
 @人間は大きな責任を持つ、ちっぽけな存在。地球環境、地球温暖化について
 A掌中にある「輝ける宝石」=日本国憲法を知らなかった。
 B世界は多様性・多文化社会に向かう。 様々な人々・文化を認め合う。
     グローバリゼーションは問題を解決しない。 強者の論理である。
 C食の安全(遺伝子組み換え)について
 D「貴方が隣人を殺す時!」
    旧ユーゴスラビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、サラエボ、モスタルに学ぶ
 以上です。

 スラスラと出てきたタイトルでした。 ということは今回の「地球一周101日間」で、特に感じたこと、考えたこと、聞いたこと、見たこと、学んだことということになります。
 タイトルに少しばかり付け加えたコメント、意見を書き添えました。(別紙に入力)
 時間の経過と共にどのようにその内容が変化するのでしょうか。 
 また、更に付け加えることが出てくるのでしょうか。
 
 5月28日朝のデッキより

   

     

 ご覧のように本日も日の出はありません。 これで連続6日間です。最後は5月22日のアラスカ・フィヨルドの初日でしたから。

 北緯55〜58度のアラスカ半島の南洋上から、北緯50度のアリューシャン諸島の南洋上に入ってきましたが、今朝のデッキ気温は前日と変わりがありませんでした。
 が、本日はデッキに雨の跡がありません。 そこでデッキ・ウオーキングの12周終えたところで、これまた1週間ぶりにデッキで、寝転びを入れたフル・ストレッチを行いました。
 やはり、身体を全て動かすことは気分最高です。 

 ところで、何度も書こうと思って、忘れていたことがあります。
 カナダを出航しアラスカに向かった頃より、(それ以前かも知れませんが)、気温が高かった時にはほとんど毎日のように実施されていたデッキ(甲板)の水洗い作業がありません。
 気温が低いからでしょうか。 それとも雨の回数が多いからでしょうか。
 毎朝、挨拶していた作業員の方の顔が見られず、挨拶も出来ずで一人でデッキを周回しております。

               
 
 船内最後の大型企画「地Q一周の船旅 」が午後13時30分にスタートした。
 〜始Q式〜からです。

    

 エントリーされた方は4人一組で約380人、各会場に分かれて「映像クイズ」「頭脳クイズ」など、結構手の込んだ内容のようである。
 体育系のゲームクイズは荒天のため急遽中止となりましたが、決勝戦は午後の21時まで行われます。
                

 おじさん・オバサン組み、わかもの組、ミックス組と分かれて、スタートを切りました。
 報道担当はここで一休みとさせていただきます。

 この時間を利用して、最後の活字化が遅れていました「コスタリカの平和憲法と日本の憲法第9条を解剖する」を全てタイプアップしましたので、これで残留している速記録は全て終了しました。 
 正直言って、ヤレヤレという気分です。 誰に強要されたわけでもないのですが・・・

  この後、気になる講座は残っていますが、溜め込むということはないでしょう。

      刻々と、最終地に向かっての準備が出来つつあります。

 夕食後、書き溜めてきた日記の一部を読み返しましたが、誤字脱字、「てにをは」が
 間違っております。 変換間違いなどイッパイです。
 揺れる船室の中での作業ばかりのせいだとはいえません。
 修正するのも良いが、そのままも面白いと思っていますが、さてどうしたものでしょう。
 今夜も眠くなりましたので「お休みなさい、午後の9時15分です」
 今夜も24時に時差が発生します。 1時間余分に眠れることになりますが、きっと起き出してしまうことでしょう。





 
                              平成19年5月27日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 91日目 5月27日

〜連続クルージングの2日目、アラスカ半島洋上〜 


 連続クルージング10日間の2日目です。 本日もデッキは少し濡れています。
 デッキに出る前にすれ違ったSさんが「寒い寒い」と言って引き返してゆきましたので、これは着てくるものを間違えたかなと一瞬思いましたが、そのままウオーキングに入りました。 3周目あたりから、体温が上がり気持ち良い状態にはなりましたが、風に時折白いものが混じっているようにも感じました(ここ2〜3日は同じように、ミゾレではないですが、チラッと白いものを捉えることができます。

   

       

 薄っすらと赤みが差してきたかなと思いましたが、其処まででした。 歩いている間はよかったですが、礼拝が終わる頃には背筋に寒さを感じました。
 無理もありません、北緯60度のスワードを出航してから南南西に進路を取り、今未明にコジアク島を通過し、多分アラスカ半島の半ばを通過、アリューシャン海溝に差し掛かったか、入っています。北緯56度辺りと思われます。

 昨夜に続いて、今夜も時差が発生します。 現在日本との時差は18時間です。
 明後日には日付変更線を通過して、29日と思いきや30日となります。
 さて、只今より積み残していた「コスタリカの平和憲法問題」の入力にかかります。
 



 
                              平成19年5月26日 記

 ”世界一周101日船旅日記” 90日目 5月26日

 〜さあ、今日から10日間のクルージングです〜
 どんな船旅の、フィナーレが待っているのでしょう 


 長いページも、短いページもありましたが、これが多分最後のページになると思います。
 このぺージが11枚目ですので平均すると9日に一ページと言うことになります。

 この項を入力していますのは5月25日、最後の寄港地アラスカ・スワードのツアーに出発する前です。 朝5時前後に起床しますので、毎日この時間には前日と当日の朝の日記と写真を整理、掲載しています。

 さて、まだ旅の総括は早いのですが、今朝、脳裏を掠めたことを入力しておきます。
 気づいた時にしないと、直ぐに記憶が何処かに行ってしまいますので・・・。
 
 ここまでを振り返って、この船旅は満足の行くものでした。 色々な角度からの評価の仕方があるのでしょうが、本日の評価は「自分に課したことは、ほぼ満点に近く実施できたからです」と言って、特別なことを課したわけではありません。 
 
 思いつくままに列挙しますと@毎日旅日記を書く  A朝の定番コース(40数分=約4Kmのデッキ・ウオーキングとストレッチ、そして礼拝) B各種講座をパソコンで活字化する
 C夕食時にはブレザーか背広を着用する。
  〜このことの効果は思わぬところに現れました。 ダイニングのシニアーマネージャーが早々と顔を覚えてくれ、心なしか言葉遣いも丁寧に迎えてくれたような気がしています。
 
 それは思い違いかもしれません。 乗船2日目から本日まで「ジョニーウオーカーの黒ラベル」を昼と夕食時に必ず飲んでいたからかも知れません。 1000ミリリットル24000円はチョット高すぎますが、かなり気取って最後まで飲み続けることになるでしょう。
 と言いますのは、昨夜ボトルの底が近づきましたら、ウエイトレスが「追加をしておきますか」と声を掛けてきました。 彼女にも幾らかのバックチップが入ってきますので・・・

 ということで、人様から言われていたなら続かなかったでしょうが、自ら決めたことでしたので、何とかというよりは気持よく(時には起きるのが嫌な時もあった。 ブレザーに着替える面倒くささもあった)実行できた。 今はそれが満足の内容の一面です。
 (以上5月25日に入力)

 5月26日 朝

    

 本日も午前5時には起床し、デッキ・ウオーキングから始まりました。
 雨は降っていませんが、デッキの濡れた状態からして降ったのでしょう。
 ドンヨリと深い霧に包まれています。 船の起こす白波を画面に入れなければ、何もない状態です。

 ウオーキングが終わり、ストレッチをしていると多分東の空と思われる方向に薄明かりが見えました。 そちらに向かって礼拝をしましたが、終わったときには、また元の状態に戻っていました。

 船内新聞<たびごろ>をレセプションから貰ってきましたが、最後の水先案内人が紹介されています。 「大根一本からの革命」大野 由紀恵さんとあります。
 「農薬の危険性を百万回叫ぶよりも一本の無農薬ダイコンを作り、運び、食べることから始めよう」を合言葉に誕生した「大地を守る会」の活動をしておられる方です。
 どのような考え方、行動をしてこられ、これからしようとしているのでしょうか。

 その他新聞には、「宅配便伝票の販売」「動物・植物検疫」「お土産品のカタログ販売」
「荷物を仕舞う前に」と言うような記事が目に入ってきます。
 旅の終盤を当に感じます。が、まだ、私には昨日スワードのこの船の最終出港記念の写真の整理が残っていますし、この旅で感じたこと、見たこと、考えたこと、学んだことなどの記録の整理が残っていますので、とても旅の終りとは思いません。

 と、ここまで5月25日の「アリエスカ・リゾートでハイキング」の記録整理と本日・朝の記録を入力し終えました。
 午後からは、”世界を斬る映像〜日本人はるかな旅”へ参加します。


 5月25日・午後8時、最後の寄港地・スワードの出港式開かれる

 5月26日の午後8時半から10時半まで掛かって、その出港式の写真を整理して、ここに掲載したのですが、今チュックしたら影も形もありません。
 別な場所にでも挿入したか調べましたが見当たらず、今から再掲載です。(5月27日朝)
 

              

 
 銅鑼を鳴らしているのは3月31日、チャリテイーオークション=「サナア オークション」で「出航時に銅鑼を叩く」を競り落とされた方です。

    

 後ろに続くのは「24時間企画」で200人を集めた阿波踊りのメンバーです。
 「エライヤッチャ・エライヤッチャよいよいよい。踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら・・・」

              

        前に停泊中のアラスカ航路豪華船は、避難訓練中です。

              

    

   二人の日本人女性が別れのテープを持って、何時までも手を振っていました

    

    

             

    

              

      

         やがて、タグボートが切り離され、消えてゆきました
 
 



 
                              平成19年5月26 日 記

”世界一周101日船旅日記”89日目 5月25日続き

 〜アリエスカ・リゾートでハイキング〜 


 5月25日の前のページの写真が多く、画面が重たくなり、パソコンの反応が鈍くなりましたので続きはここから始めます。

 アラスカの山々と湖 (スワードからアリエスカまでのアラスカ・ハイウエーを車窓より)

   


        

 
    

               

      

        

 ハイウエーの両側はアラスカ杉がビッシリ数百キロに渡って林立しています。
 この大森林を購入したスワードさんの先見の明に驚かされます。 植林したのではないのですから・・・  
 その林立している合間をぬっての撮影でしたが、そこで生活しておられる方の住宅がありました。 アラスカ鉄道とアラスカ・ハイウエーの除雪作業が仕事のほとんどとのことですが、数箇所のリゾート地にはモーテルや民宿のようなホテルの観光業もあるのでしょうが、それよりはキャンピングカーが主流です。

              

 小型のキャンピングカーも走っては居ますが、ほとんど中型以上です。中には家ごと移動している感じのキャンピングカーもありました。
 それが山裾の林の中でデンと腰を下ろし、生活している様子でした。

 ガードウッドの野生動物保護センター

 ここでは傷ついた動物や絶滅の危機にある種の動物が保護、飼育されています。
 体力が回復すると再び自然に帰すということで、可能な限り自然に近い環境で保護しているとのことでした。

    

 数十年前の地震の津波によって、入り江から海水が流れ込み木々は全てご覧のように枯れてしまっておりました。

   

    「灰色熊」です。 右の熊はヤマアラシに襲われてここに保護されました。

   
             
             絶滅危惧種のために保護されている「パイソン」

   

                数が少なくなっているバッファロー

   

                   ムース

   

             シカ科でNO1の大きさのエルク、角が立派

   
       
     フクロウ             凶暴で危ないからと遠くからの撮影はジャコウ牛

 
 アリエスカ・リゾートホテルにて昼食

    

     もう一度は来たいアラスカですが、このホテルにも宿泊してみたい

    

     ロビーの空間にアラスカの氷河の壁面と木彫り(?)の白熊の彫刻

          

    ここのビールは美味しかった    ミーテイングルームでしょうか、感じよい

   

                  ホテルの庭にはクロッカス

        
   
      こんな小さな芽も吹き出して           これはツクシです

 
 アリエスカ山の山麓をハイキングです


   

      タラの芽によく似ていますが、→→成長すると赤い実がなるということです

                   

     ブルーベリーの花、沢山咲いていました。動物達の好物なのでしょうか

                

     ゼンマイではありません。我が家の庭にもあるシダ(?)の一種でしょうか

   

    雪解けの水は冷たいです           ほとんど木の道を歩きます

               

                花も木々も兎に角一斉に芽吹き、花咲きはじめたという感じです。 後3週間でバックの山は緑の葉が生い茂り、見通しが効かなくなることでしょう。

            

                      アリエスカ山

           

     アリエスカ山で大きな雪崩があったために、木々がなぎ倒されました


 最後はアリエスカ・トラムウエイです。

   
   
         右のブルー、赤、グリーンの配色に見覚えありませんか。
 「そうです」西武ライオンズのシンボル・カラーです。 このリゾート地は、勿論ホテルも含め、昨年までは堤義明氏の西武グループの所有でした。 今はオーナーが変わり改装中。

   


         

       

                    ホテル全景

   

                 トラムウエイの頂上にて

      

         下山する頃になって、やっと青空が見え始めました

 再び、アラスカ・ハイウエーを2時間弱走って、スワードに戻ってきました。

   

       

 スワードからアンカレッジを経由しエクルートナまで4時間で結ぶアラスカ鉄道。
 一日に2回の行き来です。 今度はこの列車に乗ってみたいものだと思いました。
         アラスカの陸と海の玄関・窓口スワードです。
 
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