エッセイ D-22 旅日記
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 COLUMN 1−D 1390
                            平成22年8月7日・記

    お知らせ

 このコラムNO1384からNO1389までの6日分は

 「車旅 東北」と題して、5泊6日の記録を掲載しています。
 読みやすいように、時間経過で並べています。



  8月7日、午前11時現在は8月5日までしか掲載していません。

      持参した小型パソコンはここまでです。

         8月6日分はこれから入力します。



 COLUMN 1−D 1384
                            平成22年8月1日・記

     車旅  東北へ

〜初日、まずは600Kmを走り、会津若松に入る〜

      道の駅 「喜多の郷」、「蔵の湯」


                

 ↑長野県松本市、安曇野市までは「中日本」の管轄、特に雰囲気が変わったわけではないが、更埴市から上信越自動車道となり、北長野に入ると車のナンバー・プレート、関東圏名が多くなったように感じた。

         

  ↑上信越道も上越市から北陸自動車道となり、日本海が臨めるようになる。 「浜焼き」の看板につられてイカを購入したが、味は今一どころか、今3であった。

            

   ↑北陸道を新潟中央JCTで磐越自動車道と東にハンドルをきる。

              

  ↑会津若松ICで高速を降りる。 予定どうり日曜日で1000円なり。

              

     ↑隣の御仁が信号待ちでパチリ、ICBMではありません。
  会津藩もこのような装備をしていたなら、明治維新も変わっていたことでしょう。
           

          

  ↑前回も別の道の駅・会津若松でお世話になりました。其の時にはオープンしていなかった(?)「道の駅・喜多の郷」で一晩明けた、朝の道の駅です。

          

          ↑道の駅の隣に渡り鳥の池がありました。
              寝起きの散歩と一周しました。



 COLUMN 1−D 1385

                            平成22年8月2日・記

     車旅  東北へ  第2日目

〜喜多方市周辺を回り〜米沢経由〜山形・西川へ〜

   山形県・道の駅「西川」、「水沢温泉館」                        本日走行200Km


               
   
         ↑↓「立木観音菩薩堂」」に立ち寄りました。

             

    ↑後で判るのですが、ここがKさんの生家のあった所でした。
       この観音堂の前にも、記念歌碑がありました。
  
              

   立木観音に立ち寄ると、遠くから聞こえてくるものがありました。
 気になり立ち寄ると、そこは当地方最大神社「会津大鎮守・神社」でした。

        この地もKさんの遊び場所だったことでしょう。

 同時に、時代が時代ならば、録音テープを流しているような神社ではなかったことだろうと深く頭を垂れました。
 

             

   ↑無邪気に走り去った子らの背に、蝉の声が追いかけていました。




           

       ↑このマップの一か所に目がとまれば、貴方は・・・・
      
      このマップなど関係なし、どれほど迷って探したことか。

           

             ↑↓この風景はなんでしょうか?

           


            

      ↑この看板で直ぐに判れば、貴方は間違いなく・・・・・

             

        ↑この画面で分かったとしても、間違いなく・・・・

    一本杉も、石の地蔵さんも彼が遊んだ頃のままということです。

            

        ↑ヒョットしたらこの画面で、思い出しましたか?


               

     ↑これで判らないならば、どこまで行っても判らないことでしょう。


                

      ↑これで判った!、隣のおじさんのことではないですよ。

 石原裕次郎の記念館、北島三郎の記念館、あるいは、大相撲・千代の富士の記念館などを訪問したことがあります。

 それと比べますとこの「思い出記念館」。私の思い出や記憶に対してなんと小さく・質素な作りなのでしょうか。

 春日八郎さんは昭和の20年代後半から活躍した大衆スター、上記3人は高度成長後のスターとの違いなのだろうかと考えました。

 が、これからに時代のことを思い・想定すると「春日八郎の思い出館」が、間違いなく私の記憶に残る事だろうと想うのでした。





           

 ↑話変わってまたも、記念館から迷いに迷って到着、「中田観音」です。

 (当地域の道は田んぼと畑の間の農道を走る感覚です。農家の屋敷に入ってしまいました。 本道を行かず近道を選択したカーナビにまかせっきりでした) 

             

    ↑観音堂の「ハス」が、春日八郎の心にも通じると感じた。

                

             ↑大黒様もお見えになりました。


  福島県・喜多方市から山形県へ

               

     ↑↓ 米沢市に入る前の道の駅「なごみの郷・田沢」です。

     なぜ、目にとまったかと言いますと、↓この石碑です。

             


        
  

           ↑ 「草木碑=塔」を初めて目にしました。
            会津・上杉藩なるが故でしょうか。 

             

        ↑↓ 道の駅「西川」・水沢温泉館」にて宿りです。

           







 COLUMN 1−D 1386
                            平成22年8月3日・記

     車旅  東北へ   第3日目

 〜10年念願の出羽三山、月山と湯殿山へ〜

 山形・「道の駅・庄内みかわ」、なの花温泉・田田」
          本日の走行110Km


  出羽三山・月山
           
          

       ↑↓夏スキーができるだけのことはあります。

         

 ↑月山1984メートルは諦め、姥ガ岳山1670メートル経由・2時間半かけて周遊高山植物を堪能。タイミングがピッタリでした。

       


        



      


              


           


     

                 ↑姥ガ岳山頂から

 追記(8月5日)
 読み直してみましたら、月山の神社は一枚もなし。頂上に行けない方の為に、正式な御神体が姥ガ岳の登り口にあったのですが・・・

 お花の方に目が行ってしまいました。 いや、神社の写真撮りを控えました。


    湯殿山へ  1504メートル、出羽三山の奥の宮
         平成17年、開山1400年を迎えた。

             



           


           

         ↑御手洗場、ここからは御神域で撮影禁止。

                 よって、隠し撮り

          

     ↑正面が御神体の岩。岩を覆うようにお湯が流れている。
    子供が熱い熱いと泣くほどの温度、湧きどころは50度以上か。

 ここで、履物を脱ぎます。 と、そこに神主登場し、御神体岩に入場の前に御払い、一人当たり(子供も同額・500円)、小さなお札をいただき、有難い御神体岩に登る。

         

      ↑御神体岩の裏手から、社務所(お札等の販売)を望む。

           

    ↑岩の色から判断して滑りやすいと思うが滑りはしない。
      竹の手すりはあるが、足の弱った方には難しい傾斜。

           

 ↑神域内を流れる「梵字川」。 臍曲がりの私にはこちらの方が爽やか。
     


         

           ↑大鳥居から眺められる目の前に大岩。

  この後、羽黒山を計画するが、あわてることもなしと、本日の宿、「道の駅・庄内みかわ」「なの花温泉・田田(でんでん)』に、早々と到着。

   この3日間、夜は車の冷房をかけないと熱くて眠れなかった。
     一晩10リットル近く、ガソリン消費。CO2排出・ごめん。

      (道の駅はコンクリートの駐車場の為に特に厚いか)

 山形県の高速道路は全線(と言ってもブツ切れですが、「社会実験」とかで無料です。 よって、8月1日、日曜日に1000円の通行料金のみで、他はなし、ガソリン代のみです。




 COLUMN 1−D 1387
                            平成22年8月4日・記

     車旅  東北へ   第4日目

 〜出羽三山、羽黒山へ〜宮城県・石巻市へ
 
  道の駅「上品(じょうほん)の郷」、「ふたごの湯」 
   本日の走行200Km、累計1110Km



          

   ↑湯殿山の大鳥居より更に大きな鳥居が道路を跨いでいます。

 約1400年前の推古元年(593)第32代崇峻天皇の第1皇子・蜂子皇子が羽黒山を開かれたのが出羽三山の始まり。

 羽黒山は三山の神々を合祀する。と同時に「羽黒派・古修験道」の道場として今に伝えている。


          

 ↑隋身門、元は仁王門と称していたが、明治の神仏分離で仁王尊を他に移し、隋身像を安置した。

   

       ↑豊石窓神              ↑禅石窓神

         


     ↑樹齢300~600年の杉木立が羽黒山の頂上まで続く。

        

       ↑滝の名前、失念          ↑掛桜の木を通して

              

             ↑樹齢1000年という、「爺杉」

             

        ↑一の坂の登り口に、東北一の五重塔。国宝。

 さて、石段が約2Km・2446段あると言うが、ここまでで300段か?
         相方は「御利益があるから歩いて登る」という。

             私は引き返して、車で頂上に。

      ここから4枚は2446段を上った相方が撮った映像

               


           


           

              ↑二の坂茶屋「名物力餅」。
   ここで食した「かき氷」が美味しかったとその後、数度聞かされた。


           

     本人が撮った登りきった所の鳥居。 鳥居は数か所ある。

              

           ↑2446段野石段を踏破した認定書。


      頂上で待つ間に

            

               ↑鳥居より境内を望む

          

               ↑羽黒山三神合神殿

          

 ↑鏡池から本殿を望む。この池からが埋納されてた銅鏡が発見されたことから「鏡池」名付けられた。

         

             ↑国宝を守る消防鉄砲

          

                 ↑大梵鐘

     広い境内、数々の神社・御神体を回るが、相方登場せず。

              

           ↑約1時間、汗・噴き出して御到着。


 最上川を遡り、宮城県石巻に向かう。
     
          

    ↑
道の駅「とざわ」韓国と姉妹都市関係で全体が韓国の建物
           昼食は韓国料理の「石焼ビビンバ」

         

  ↑道路から40メートルほどの高台からユッタリ流れる最上川の眺め。

         

  ↑宮城県大崎市に入ると、「伊達な小京都・」岩出山の看板
 
 江戸時代の岩出山・伊達家の家臣子弟の学問所・「有備館」と庭園に立ち寄る。 上記の写真は其の御庭。

          

   ↑分水嶺を越えて、「北上川」の流れに沿って本日の宿へ
        「道の駅・上品の郷」、フル装備の道の駅。

 コンビニ、天然温泉(ふたごの湯)、足湯、農産物直販売、レストラン、もちろん道路情報センター、トイレ。お隣はもう一軒コンビニとガソリンスタンド。

   

   全国を車で旅しながら「竹竿売り=物干し竿売り」の隣に駐車。

 本拠地は横浜と言う。毎年、秋からは九州を回り、正月は船で神戸に上陸し、横浜に帰るのがこの数年のパターンと言っていた。

              

                ↑真夜中の看板

      缶ビールで乾杯する。平成・車旅版・寅さんです。


 山形県・道の駅・「庄内みか」からカ−ナビが有料道路経由を誘導しましたが、頑固に下道を選択して石巻市・道の駅「上品の郷」に到着。

 本日まで、高速道路料金は1000円なり。



 COLUMN 1−D 1388
                            平成22年8月5日・記

     車旅  東北へ   第5日目

 〜道の駅「上品(じょうほん)の郷」〜
   福島・国見S・A〜茨城県・袋田の滝〜 
   
      「道の駅・奥久慈だいご」
     
         本日の走行320Km、累計1440Km



  

 ↑福島県・国見サービス・エリア  ↑特産「桃」の販売、1個400円

         

      ↑福島盆地一望の看板に導かれて≪食堂の宣伝≫


 茨城県に入る、相方の長年の御希望地・「袋田の滝」へ

            


      ↑滝にはトンネルを歩いて向かいます。期待深まる。

         

        ↑↓何度かグラビアでみた、お定まりのアングル

             


         

         


              

     ↑4段になった滝の高さを感じていただくために、滝横の崖

           

      ↑滝の展望台より下流のつり橋を望む。帰り道。

 帰り道に「滝研究コース」の表示。「生瀬滝」とある。
 300段弱の急峻な鉄製階段、続いてコンクリートの階段

 片道20分、前日の出羽三山で自信を深めて登ることとしました。

              

          ↑途中で袋田の滝を横から眺めます。
 
         

       ↑これが「生瀬滝」、苦労と比してはいささかなり。

 
早々と本日の計画終了、国道に出ると「竜神大吊橋」の看板

          

 ↑常総太田市・竜神ダムの上にできた長さ375M、ダム湖より100M

 16年前に完成。ダム建設の地元への見返りに作られたのでしょう。
           「灯篭祭り」が開催されていました。

         

        
         


           

           ↑渡り終えた正面には巨大な竜神が

       


         

        ↑駐車場で来客の調査が行われていました。

     ヤンバダム・前原大臣の顔と言葉が思い出されました。

          

 ↑本日の宿「道の駅・久慈だいご」、真っすぐ進むと栃木県、右の折れると茨城県へ、左折すると福島県へ

          

    ↑風呂ありの道の駅ですが、洗い場4人の小さな温泉です。

 ここで、特別に記録して置くことがあります。夕食です。

 道の駅で「アユの塩焼き」を販売していた小父さんに、「大子町で推薦する食事どころは?」と尋ねましたら、少し困って「朝日寿司」と教えてくれました。

 風呂あがり後、売店の若い方に「朝日寿司」の場所を尋ねると首をかしげます。 調べてもらうと其の店は既に閉鎖されていました。

 そこで改めて推薦料理をお尋ねすると、「奥久慈しゃもマップ」を渡されました。 大子町奥久慈はしゃもの特産地だったのです。

 38店舗が大集合しています。道の駅にも「しゃもがらベースで煮込んだカレー」があるのですが、5時半で閉店です。

  「蔵のある割烹・弥満喜でしゃも鍋」を注文。 これが素晴らしかった。

 2人前からと言うので注文、どうせ残すと思っていましたが、全て平らげました。 暑い時に熱い鍋料理。  後から来た若い夫婦にも推薦しました。

 車旅の楽しみは食べることでもありましたが、飲酒運転が厳しくなって駐車から遠くに行くことは諦めていますので、近くで済ますことが多くなりました。
     期待していなかった分、一層の感激ものでした。


 本日、遂に高速道路料金支払い、三陸自動車道〜東北自動車道路矢吹ICまで、4050円なり。(割引とのこと5800円が)



 COLUMN 1−D 1389
                            平成22年8月6日・記

     車旅  東北へ   第6日目

 〜 「道の駅・奥久慈だいご」茨城県〜東北自動車道・栃木県〜群馬県〜埼玉県〜長野県〜岐阜県〜愛知県へ
     
       本日の走行563Km、累計2003Km


   
            

   ↑「道の駅・久慈だいご」に宿泊しない場合は、この「道の駅・喜津川」と考えていたので立ち寄ることとしました。

            

  ↑朝8時半過ぎ到着、早くも物産販売所に生産物が次々に運び込まれて行く。

   地元の小父さんも買い物に来ている。 具がイッパイのトン汁200円はお値打ち。

              

 
        

        ↑この地で生活したら豊かな食材をいただけると思いました。

 トマト、キュウリ、トウモロコシ、大好きな子ショウガ、スイカ、瓜、ナス、ササゲ等、直接帰宅する・運ぶのは車とばかりに買い込んでいる。 出来たてのパンを見つけて追加購入。

 スイカ、トウモロコシは生産県名・ブランドが付くことは無い、自宅で賞味すると、甘みは柔らかく素朴な田舎の味。 (スイカは枕を敷いていないために、白くなっている)

              

          ↑駐車場のサルスベリ花が力いっぱい咲いていました。


              

  ↑東北自動車道「矢板IC]から羽生ICまで(1600円なり)、いったん高速を降りて、埼玉県熊谷市、深谷市を通過して、関越自動車道・花園ICで高速に。

   藤岡JCTで上越自動車道に入り、上記の「横川サービスエリア」で休憩。

                  

  ↑平日と言うのに駐車場は満タン、この大照明塔とカラマツの写真を人影なしで撮影するのに苦労する。左下・隅に人物が入ってしまった。

               

    ↑名物「横川の釜飯」には行列が出来ていました。「味噌おでん」とする。

               

   ↑更埴JCTで長野自動車道へ、松本市「梓川サービシエリア」で最後の休憩。

          

               ↑ここで、一気の夕立に出会う。

 西の空が明るくなった所で出発、岡谷JCTで中央自動車道に入る、そこから自宅までの
 約150Kmの間に3度雨雲と出会う。

        本日の走行距離は560Km,時間にして9時間でした。

 


  今回の車旅で計画していた秋田・青森の県境「奥入瀬渓谷」は中止しました。

 今までなら、計画すると何が何でもと言う所ですが、疲れたら休憩、思いついたら・あるい出くわしたら、それが必然とばかりに、そこに立ち寄ると言うスタイルとなりました。

      このスタイルと現在の体力ならば当分車旅も可能と自信が持てました。






 COLUMN 1−D 1343
                                   平成22年6月17日・記

     上海・万博に行ってきました。 その3
     「デカイ・多い、騒がしい」の印象です。

           〜その他。雑感〜


             

  ↑中国のイメージといえば昭和40年代半ばの「広州交易会」でも、その後昭和50年代、北京を訪問した時も自転車であった。 広い道路をひっきりなしにリンリンと鳴らしながら、横に10列にも並び自転車が次から次へと湧き出てくるようであった、

 1978年「開放改革」のケ小平が登場しました。 が、「文化革命」で停滞、後退した経済の復興は簡単ではなかった。

 私は1986年から5年間香港に駐在した。その間、解放区「深セン」、「珠海」等を何度か訪れたが、そのたびに急速な経済的発展を感じるようになった。

  解放区の交通手段の変化は目を見張るものがあった。

 解放区以外でも1990年代になると乗用車は見受けたが、交通手段の主流は自転車だった。  公共交通機関といえばバス、それもオンボロの汚いバスに超満員の乗客であり、。夏でもクーラー車とクーラーなしのバスの料金は別料金だった。

 タクシーといえば乗車すると洋服が汚れるのではないかと心配したものだった。

        2000年代に入り、それまでの中国のイメージは一新した。
        2009年に中国は世界一の自動車販売台数となった。

 おびただしい数の人力のシャベルとモッコで道路整備と建設をしていた光景が嘘のような、夢ではなかったかと感じる今のの上海です。

          

 ↑上海では昔を忍ばせる住宅は探さねばならなかった。この住宅は高級住宅に入ることだろう。というのはビルの上に飾りの塔が積み上げられているからの想像です。

             ↑万博会場第4号入り口の近くの住宅ビルです。

             

   ↑開場は午前9時ですが、続々と団体が揃いの帽子を冠ってやってきます。

             

    ↑ 並ぶのが苦手な彼らもガッチリガードされた通路に整列しました。

               

  ↑別に日本の国旗を撮影したわけではありません。 この入場口で1時間以上待たされたのです。 それは列が長かった訳ではありません。

 どの様に考えても中国人ガイドのミスであったと思います(このツアー日本人の添乗員はいませんでした) 多分、ホテルに入場券を忘れてきたのではないかと想像しました。

 言った言葉は「団体券を購入してきますから」でしたが、15分、更に30分待っても現われません。 同じ時間に到着した他の日本人団体は既に入場を終えています。

 ここで写真撮影を忘れてきたのですが、待ち時間に座れる折りたたみ簡易椅子の販売がなされていました。 1個、10元(日本円150円です) これがなかなかの品物でした。

       待ちくたびれて、次々と購入してきます。 15元の品も登場しました。

 私は帰ってきたガイドからは「ゴメンナサイ」も、「その理由も聞けないだろう」と息子に言いました。 それから更に30分の時間が経過しました。

 案の定、「お待ちどうさま」も言わずに、「さ〜、ゆきますよ」と、汗が吹き出した赤ら顔でした。 蘇州出身の頭の回転が早い、日本語も達者なガイドさんでした。
        
             予測どおり、ここに中国人を見たと思いました。


               

  ↑第2目、初めからバビリオンの入場は計画していませんでした。 1箇所のみ訪れました「北朝鮮館」です。 展示物は直径5メートルの噴水と大型写真の建造物の写真のみでした。 お土産館の彼女を盗み撮りして終わりです。

               

 ↑昼食時間を早めにとる事としました。 コカコーラがセットになって並丼が日本円で380円でした。 吉野家は中国で既に多店舗展開しているようです。

  そのほか日式の寿司店もウドン店も有りました。益々日本の出店は増えそうです。

               

            ↑何処の国も同じことのようです。「お疲れ様です」

               

      ↑1分間、行き先不明の貸切りのような会場内電気バスに乗車しました。

              
 ↑スーベニアショップです。ここではサンダルと子供服、マスコットが展示されていました。 カメラを構えたら、撮影するなと注意を受けました。

        海賊版が出回るこの国ですが、自国のものはガードするようです。
 2日目の計画は終日・万博見学になっておりましたが、早々と引き揚げ上海市内の見学としました。

       上海市内の繁盛振りは万博会場にも負けず、劣らずでした。





          
               
               ↑第3日目、上海博物館の見学です。

 入場して分かりました、前回も入場していることを・・。 ここの入場は一日の入場者数が5000人と限定されておりますし、開館と同時に入場しましたので、ゆったり見学できました。

        やはり興味がありますのは、万博後の中国の姿です。

 北京オリンピックまでといわれたり、上海万博までと言われながら、世界経済の牽引の一国としてここまで来ました。 世界情勢が何時可笑しくなっても不思議でない状況にあります。 果たしてここまで走ってきた中国は、このまま進み続けることが出来るのでしょうか。

 自動車が世界一の販売高といいます。上海の高速道路は片道4車線でしたが、もうこれまでと言っていい状況でしたし、あの運転マナーでは死亡事故が飛躍的な数値になることでしょう。

 自動車保険に加入しているのでしょうか。(上層部は加入しているようですが・・)
     戦争に100万人を動員する「人民戦争論」時代とは違います。

        「近代戦」の中でも人権軽視の成長論だった気がします。

 その国独自の伝統、習慣、文化があります、先に歩を進めてきた者の価値観を押し付ける気はありませんが、先を歩いた者として反省に立たされている私達の体験は参考にしていただきたいものです。

 

 COLUMN 1−D 1342
                                   平成22年6月16日・記

     上海・万博に行ってきました。 その2
     「デカイ・多い、騒がしい」の印象です。

 〜明代「豫園の庭園」と現代中国の近代建築〜


 上海万博に行かれた方から報告がありました。 同じ時期に行っていたようです。

 『1、内容がなく悪かった。ガッカリです。
 2、エコとか環境問題の表示には殆ど出会わなかった・

 3、兎に角大きく、経済発展のみが強調されていた。
 4、建物デザインのショウのようだった。建物のみで中味なし』

 との内容でした。 ということは私が感じたことと殆ど、いや全く同じだったといえます。
 年齢的には私より若いですが、報告いただいた方が女性ですので、男女ともに同じということが出来るでしょう。

    若い方の意見も聞いてみたいと思いますが、今のところ情報はなしです。

 私自身バビリオンを全く見学していませんので想像ですが、映像、音響、表現方法、その技術等はどれをとっても「愛知万博」を越えていないと思います。

             

 ↑昨日はプランツのマスコット海宝を紹介しましたが、こちらが本物マスコット「海宝」さん

          

  ↑この建物を見れば直ぐにお分かりの方が多いことでしょう。 中国の明代の庭園「豫園」の周辺に中華的な高層建築物「豫園商城」」と呼ばれている観光地です。

  「豫」は愉を示し、「楽しむ園」、1559年から1577年の18年間をかけて造営された。

             

     ↑園内です。土曜日ということもあって満員。これでも少ないほうとのことでした。

             

      ↑中央後のほうの建物は後ほど紹介。 このコントラストが面白かった。

             

            ↑人が写っていない写真を撮るのは大変でした。

               

             

   ↑この岩の価値を縷々説明を受けましたが、「穴の多い岩だな」との感想のみ。


             

   ↑ 「豫園」から一歩外に出たときのシャッター。 中国に居ると感じました。


          

        ↑↓ 場所が変わりました。 上海の金融の中心地です。

          

                  

           


                 

  ↑その又中心「上海環球金融中心」、地上101階、高さ492Mのエスカレター入り口

           

         ↑展望台からの撮影、腕もカメラも悪いのでは有りません。

         上海の気候?もあるでしょうが、環境が悪く、スモッグです。

             

      ↑天気・気候が良い時の写真がありましたので、それを撮影しました

             

                 ↑もう一枚、見下ろした写真です。

                 

            ↑この写真で上海の現代イメージを締めくくります。

 この写真は「Dior]の広告看板ですが、上海の女性は若い方も中年以上も98%は化粧をしていません。 「資生堂」は中国で好成績をのことですが、お客様は限られた階級の方なのでしょう。

     地元の方に「何故、化粧をしないのか」を訊ねることを忘れてしまいました。
 目元パチリの付けまつげは全く見かけませんでしたし、口紅すら少数でした。
     ただし、髪の毛の手入れはしておられるように感じましたが・・・

 さすがにデパートメントの化粧品売り場の方はお化粧をしていましたが、それでも数パーセントしていない方も居ました。 ましてその他の売り場でも数えるほどでした。





 COLUMN 1−D 1341
                                   平成22年6月15日・記

     上海・万博に行ってきました。
 
   「デカイ・多い、騒がしい」の印象です。その1

      気合が入っていないということは以下の報告内容で分かります。
 
 初めから期待していないというか、その後の中国・上海の様子を見に行くという気分なのですから・・・

         案の定、予定どうり混雑振りを感じに行ったようなものです。
 日本の新聞でも報道されているように、当初、入場者数が上がらず先月末から政府による観客動員がなされているようです。 

 地元のガイドも言っておりましたが、夏休みのボーナスにでも当たるのでしょうか、「毎年はお茶代が支給されるが、今年は入場券の現物支給」ということです。

 この動員で予定どおり7500万人は突破すると言っていました。 それを事自体を特に問題にする風情もなく、世界一が大好きなお国柄の中で、中国の中で一番先進地域である上海の人たちの受け止め方なのでしょう。

     万博会場を言葉で表現するならば「デカイ、大きい、喧しい」です。

 会場自身の大きさもさることながら、建物も無茶に大きいです(大きく造りすぎてもてあましの建物も有りました。建設中もあり。そんな会場にしか入場できませんでした)

   通路も愛知万博の3~4倍はあるでしょう。兎に角物理的に大きさが違います。
 その分、言葉が通じず乗り物を的確に選べず、歩くのですから疲れることこの上なし。

            

     ↑空港でプランツ・マスコット「海宝」(ハイバオ)君が迎えてくれます。

            

 ↑8箇所ある出入り口で「日本館」に一番近い入り口から入りましたが、12日午後6時での待ち時間は5時間ということでした。

          

   ↑中国館に向かう一番広い立体歩道です。愛知万博は回路が木材でしたが、ここはピータイルです。 上海は日光が差し込むことが少なく、年中スモックがかかったような気候ですが、7・8月の最高気温は31度を越しますから、照り返しは強いことでしょう。

            

    ↑パビリオンへの入場は初めから諦めていますので、陽が沈む同時に照明された夜景を楽しむこととしました。 日中よりも数段美しい中国館です。

            

          ↑中国館の向かい側に通路を隔てて「台湾館」です。 
        写真は一枚ですが、連続して10種ほどに変化する映像でした。

    

       ↑UFOのような外観の「万博文化センター」イベント会場です。


              

  ↑メイン会場である「浦東園区」の混雑に嫌気が差してフリーで「黄浦江」を渡り、浦西園区に渡りました。 と簡単に言いますが、ここでも30分以上は待ちました。

             

       ↑浦西園区、当日では一番静かなL1フェリー乗り場に到着です。

 一番スイスイと入場できると判断したオーストリア館、入場してからが大変でした、通路で10分刻みに3度待たされて入したのですが、当日の集合時間は午後10時です。

 (なを、この待ち時間の間に中国人の気質を学ぶこととなりました。 車椅子の方が特別通路から入場した時のことです。 一人のご夫人が厳しく言いがかりました。 すると、前後して大きな罵声が飛び交い始めました。なかなか止まりませんでした。

 日本へ帰ってから知りました。「ハンディキャッパー」を装って入場している健常人のことが問題となっているとのことでした。

 このことに限らず、地下鉄の乗降時においても並ぶということは中国人には習慣がないようです。 レジでお金を支払う時も、こちらが支払っている時に、横から手を出してくるのです

 このことをいま少し続けるならば、今回の万博で公共心・道徳心について大キャンペーンを展開しているようですが、気質・習慣は簡単に修正できないようです。)

          話を戻して、結局、本番を前に歩くことになりました。
   集合場所には私達が一番最後、皆さん疲れた様子で座り込んでいました。

 6月12日はこの万博会場に到着する前に、上海の名所「豫園」を見学しておりますが、その豫園の昔の建物と、現代の中国の超近代建物を比較する為に、紹介は次回とします。


 




 COLUMN 1−D 1300 より
                            平成22年5月3日 記

  中央構造線を下り遠山郷へ
       4月30日〜5月3日  
 第1日目・美ヶ原高原、諏訪神社・上社・下社    


 構造線のツアーは5月1日と2日ですが、集合が午前9時でしたので、前日に諏訪に入りました。

              

           ↑ゴールデンウイーク2日目の中央高速道路「駒ヶ根SA」


    諏訪のインターで降り、其のまま「美ケ原高原」と向かいました。

             

      ↑ 標高1500メートル、「三峰峠」ではストーブが焚かれていました。

           

 ↑20年近く前、美ヶ原高原を訪ねたたときは霧で何も見えませんでした。
 だから、何も記憶にありませんでしたが、今回は美術館、児童館、等芸術高原でした。

             

         ↑↓ ご覧のように、場所によっては残雪です。

          

    

        ↑ 諏訪大社・下社・春宮です。今月の7,8,9が祭り

      

     ↑上社・本宮。5月2、3、4日が御祭、すっかり準備が整っていました。

      

      ↑諏訪神社と言えは「御柱祭」と言われるくらいです。
       神社の掲示板に貼られていた写真を失礼しました。

           

           ↑鳥居から本殿へと続く回廊?です。

      

           ↑大鳥居の横に、今が盛りの桜花です。
      はためいている吹流しのようなものは「御柱祭」を示すものです。


 遠山藤原学校  中央構造線を下る 5月1日

  第2日目  諏訪湖から遠山「このた民宿」まで


        

     ↑諏訪湖の朝、 ヨットハーバーです、向こう側は岡谷市

         

 ↑冬なら湖面氷結してワカサギ釣りですが、この魚網はなんでしょう。

             

     ↑諏訪神社上社の入り口「こだわり横丁」に集合です。
 北は秋田県、南は兵庫県からの総勢22名です。 車8台に分乗。
         
           

        ↑横丁前では「御柱祭」の練習をしておりました。

         

↑国道20号線を右折して、国道152号線に入り急な坂道杖突峠の展望台
   から、諏訪湖と諏訪の町を見下ろします。(左隅に諏訪湖)

           

  ↑縄文人が住んでいたという山並みです。雪山は南アルプス

           

   ↑「溝口露頭」 中央構造線は関東から九州へと日本列島を東西に縦断している大断層です。 日本列島が大陸の一部だったころから現在に至るまで1億年以上の活動をしています。 

  時代が変化する時、この断層に沿って何かが起こると言われています。

              

  ↑不思議なことにこの山奥で塩が採取できます。鹿塩温泉です。

         

         ↑花桃が咲く河原に降りて、昼食をとりました。

           

    ↑中央構造線博物館で学芸員の方から説明を受けました。

    

  ↑「安康露頭」です。明日の「枯山水」盆栽の石の収集もしました。

         

   ↑計画にはなかったのですが、あまりにも御天気が良いので「しらびそ高原」約2000メートルに向かいました。 何度か来ておりますが、こんなに素晴らしい眺めは初めてでした。

      

      

 
 道の駅遠山郷・和田・ゆー楽」で急ぎ入浴し、今夜の宿「このた」へ。

 限界集落での成功例と紹介されたこの民宿は、山菜を初めとしてのロハスはな御食事と地元の方を交えての宴会はいつものように盛り上がりました。
 この後、この民宿では泊まりきれず、半数以上の方がいつもお世話になる「島畑」へ。もちろん、「舞夢」のコースもありましたが、前日からの車で疲れていまい、早々と床につきました。

 COLUMN 1−D 1302
                             平成22年5月4日・記

 遠山藤原学校  中央構造線を下る 5月2日

  第3日目 「このた民宿」〜和田地区〜木沢へ


     中央構造線ツアーの第3日目です。 (遠山藤原学校は2日目です)

      

    ↑遠山郷・このた地区の朝です。「民宿・このた」まではまだ陽が来ていません。

                                                             


             

                 ↑「民宿このた」の正面から

             

       ↑山の崩れた色は茶色ですが、青崩峠の岩石と同じということです。


      

     ↑隣の茶畑です。 深い谷と急峻な斜面を感じていただけることでしょう。

           

        ↑このように木の板で土留めをしないと土は流れてしまいます。

               

          

    ↑立派な先祖代々の碑が建てられていました。 丸に二本の箸の家紋。
                遠山家に通じる家柄のことでしょう。

    

 ↑どのお宅にも薪が高く積まれています。化石燃料はあるのですが、イザの時には・・

             

        ↑この家の方は引越しをされたようです。芝桜は今年も春です。

                

                 ↑これが本当の石垣イチゴでしょう。


  「このた地区」を降りて、遠山郷の中心地和田地区です。

 
       

    ↑和田地区は何度もご紹介していますので、今回は遠山川を泳ぐ鯉です。
 
 地元の「若い衆の会」が県の許可を取り、実現しました。 色々な地域で実行されていることですが、「若い衆の会」と言っても、限られたメンバーで大変な作業であったと聞いています。

                

  ↑今回も川原に降りて、「埋没林」に顔(鼻)をつけ、1300年前の山津波の時、
 
  樹齢700年という桧の大木が埋没しました。ところが長い年月で埋まった土砂が流されその姿を現しました。 驚いたことにはその大木から新鮮な香りをいただけるのです。。

             

    ↑藤原先生の『激動の時代と日本の未来』と題した講演を拝聴しました。

                

        ↑藤原学校・旧木沢小学校の住民「たかねちゃん」も参加しました。

 
 5月2日の午前中には「遠山郷枯山水体験研修」もありました。 が、私はその間、「遠山藤原学校・観光農園」にて、農作業をしました。

             その成果は、次の日記で紹介します。
 
 遠山藤原学校は1泊2日ですので、5月2日、午後4時終了、皆さんお車や飯田線を利用してそれぞれにご帰宅されました。

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