中部大学「オープンカレッジ」の聴講生、1年を終えて 学籍番号 YG05047 加藤 大喜 20005年、秋期で受講した3教科の一つに「ヨーロッパを知る B」あり、ヨーロッパと言っても中欧を専門分野に研究されてこられた、小島 亮教授の講義でした。 中欧を中心テーマとする研究者・学者は日本全体で10人程との事、数少ない研究者である。 その上に小島教授の経歴がユニークなばかりでなく、性格も発言も一般的に想像する大学教授とは大分異なる個性の持ち主と拝見しておりました。 だが、勉強をしようと思っている学生や聴講生にとって大変ありがたい教授で、疑問・質問があれば即座にお答えや返事をいただける(講義の開始時間10~20分前には教室にこられている)。 しかも直通のメール・アドレスを公開されているので、いつでもOKである。 私など限られた書籍と辞書、それにインターネット検索ぐらいしか持ち合わせがないので、困った時・疑問が湧いてきた時・その日の講義で理解できなかったことなど、気をつけないとついつい辞書代わりに送ってしまうことになる。 12月20日の最終講義の後、お礼と質問をメールしたら、何時ものように早速返信がありました。 その中にこんな一文がありました。 『毎年、学生が「クリムゾン」という雑誌を出しております。 一冊送ります。この小冊子に原稿を書きませんか。 中部大学徹底批判など大歓迎です。』とありました。』 「クリムゾン」を辞書で調べると「深紅色、濃紅色、顔が真っ赤になること」とありました。この意味のクリムゾンかどうか分かりませんが、パソコンに向かいました。 はじめに、お断りと弁解と言い訳。 私の性格は良くも悪くも、思いつきヒラメキ型であります。 よって気付いたこと、感じたことをストレートに口にしてしまいます。 推考して慎重に文を書こうとすると全然前に進みません。 其れゆえに「おもねたり」「かっこうをつける」事はしていないつもりです。 さらに、後輩から嫌味もこめて「年金暮らしの国家公務員の強み」と言われて居ます。 感情的・感覚的・直感的になることを予めお断りとお許しをお願いします。 A)話には聞いていましたが、本当に10%から良く見て20%の学生しか勉強していないと思います。 勉強しないのならまだ良いのですが、講義中の私語の多いこと、更に前夜のアルバイトで深夜まで働いていたのか、眠っています。(この方があり難いですが・・) 訊ねてみました「授業料はいくらか?」と、確か年間で120万円とか140万円とか言っておりました。 私たち聴講生は1教科1万円ですから、彼らにとっては年間20教科を受講していても6〜7万円という事になります。 私が訪ねた人の平均が13〜4教科でしたので、1教科当たり10万円近くになることになります。 「貴方達授業料払う人、私たち勉強する人」と言ったら、“何をこの叔父さん言っているのだ”という反応をしておりました。 親御さんが払っているから関係ないのでしょうか? 「大学はニートとかフリーターとかアルバイターという定職を持たない(持てない?)若者の養成機関ということなのか? 一時の保護預かり機関の役割なのか?<決して全ての学生ではありませんので、特殊が目に止まるのかとも考えました> 当初、こんな学生達を目の前にしたとき将来の日本、これから先の日本を思うと亡国の現象化とも思いましたが、約1年経過した近頃は異なる思いが湧いてもいます。 21世紀に入って5年経過しました。15年前、バブル崩壊して政治・経済・社会は右に左にローリングしました。 既得権益にしがみつく、あるいは問題の先送りで時間稼ぎをしてきましたが、どうにもならなくなって構造改革の「小泉政権」の登場、これもある面の改革が中途半端な姿で進むと同時に、新たな社会構造問題が表面化してきており、国民的合意形成による「国家の将来像」は見えていないと考えます。(歴史の示すところによりますと、国民は裏切られ、鍛えられ、不満が蓄積した国民(大衆、庶民)は反抗するか、抵抗するか、勉強をして時代は変化、進展してゆく事を教わりました) この間、感覚的にこの実体を見ている彼ら若者=学生はこれから彼らによって形成されるであろう21世紀型の生き方の前触れ現象を示しているのか、あるいは其れを実現・実行する前にチャンスがめぐってこないことに対して日向ぼっこしているのだろうか? といいながら、身近にこんな動きをしている若者も目にすることが出来ます。 ロハス=「健康で持続可能な循環型社会」的考え方や生き方をしている(愛・地球博のボランテイアーをした時に多く見られた。 また、下宿している学生に聞くとスーパーの買い物袋を出来るだけ貰ってこないなど)とか、スローライフとか、近頃は地域に根ざした「観光と農業」に関心を持っている若者にも多数出会いました。 20世紀型とでも言うのでしょうか、近代社会を形成してきた「合理的」「効率的」「科学的」といわれるキーワードは、時間・空間・人間・自然価値を隅に追いやり、その反動に気付き始めております。 若者はその時代の先鞭をつけてきた時代、社会、人々に背を向けているのだろうか? 前時代の生き方に染まる事を拒否しているのだろうか? 新たな社会の価値観、秩序、社会構造など私には予測不可能な事であるが、彼らの若く新鮮な感覚は来るべき時代(築き上げる時代)に必要な感性や感覚を失わないために、今は日向ぼっこしているのだろうか? 親御さんの小言に首をすくめ、我慢しスネをかじっているのだろうか? 仮の姿を見せているのだろうか? 縦社会、管理社会で生きてきた私には頭で知識としては理解しているかもしれない「横型のネットワーク社会」が到来、形成されつつある今、明治維新後にパッと花開いた「文明開化」のような時代が展開されるのだろうか?(注意*富国強兵もあり) その主役を果たすのが彼らではなのかと期待と願いを込めてみようかと教えられた1年でもありましたが、これは私の希望的楽観体質のためか。 いやマンザラ100%の間違いではないのではないかと思っている2005年末の事です。 B)ここで、数人の学生から訊ねられたことにどんな返事をしたか書きます。 「叔父さん(最初は私の髭面からだろう、教授と思っていたようでなかなか叔父さんとは気軽に呼ばなかった)、何故学校に来るの?何を学ぶの?面白い?そして、どう?」 私、「これ程までに“不信、不満、不安”に満ちた声が聞かれる時代にどうしてなってしまったのだろうか? こんなに一生懸命努力してきたのに。 と同時に、大きな時代の転換期=変革期に生まれめぐり合わさったことは大変ラッキーではないかとも思っています。 ならばこれからに時代、社会がどうなるのか? どうあらねばならないのか? その道筋はどうなのだろう? 誰が・どのような役割を果たすのだろうか?との思いが、6年前からの「四国88ヶ所遍路の旅(通し打ち・43日間の歩き遍路)」、「百姓学校への入学(瑞浪・日吉で開校)」「キャンピイングカーで日本1周の旅」を終えた頃から持ち上がってきました。 2005年・早春、放送大学の「人間の探求専攻」から前・後期で10教科と中部大学は前・後期で6教科、合計16教科を選択しました。 両校会わすと、ダブリの地域・時代も含め、オーストラリア、インドは全く触れず、ロシア、中近東もその一部ですが、それでもザーと世界に触れることが出来ました。 あと、1年続けてみようと思っております。 1年の成果は何かと問われると直感的・感覚的なお答えも出来ませんが、こんな事を夏ごろメモしておりました。 『 @歴史には短いスパン、あるいは長いスパンで変化してゆく。 EX、中国・・隋は短く、次ぎの唐の時代は長い。モンゴル(元)は短いし、明・清は長い。 ヨーロッパ・・ローマは長く、その前後は短い。 A 外的要因(環境、気象状況、競合関係)にもよるが、決定的なことは内部からの崩壊である。 (親子、兄弟、主従、有力者間の戦い、争い) 歴史を後から眺めてみると、全てが定められた運命のように見えてくる。 必要な時に必要な人(集団)が登場してくる。 B どの時代にもサイクルがある。誕生〜成長〜最盛期〜下降線〜衰退〜消滅 どの時代を見ても早い・遅いはあるが、ひとつの時代の波の中で、あるときを境に次ぎの時代の波(流れ)が内包され、育まれている。 やがて入れ替わる。力で奪い取る事もあれば、熟して枯れ落ちるように切り替わる事もある。大抵は武力(力)であるが・・・ C 国家運営(経営)、特に他民族支配の場合は、「緩やかで、非支配層の文化を認め・許した運営をした場合は長続きしている。 時にはその文化を吸収し、混合同化することもある。 これはゲルマン民族の大移動後のヨーロッパ中世〜近世に見られるが、歴史の大きな流れから見るとさほど大きなエポックとはなっていない。」 D 意外と無力に思っていた庶民大衆はしたたかであり、時代変革のカギを最後には握っている。 そして、2005年末にはこんな事がメモに加わっています。 @ 覇権の頂点におり衰退の徴候にあがくアメリカ・・内部の混乱が見え隠れする。 A 15世紀〜16世紀歴史の最先端を走っていた中欧は海洋に面し世界の富との交易を可能とする・西欧にその地位を奪われた。 其れを取り戻すべくさまざまな行動は内部に内包する解決不可能=矛盾が矛盾を生む構造になっている民族問題と宗教・文化が争いの種となり、混乱と混迷の中2度の大戦を経験する。 その悲劇の中から EU=ヨーロッパ連合を形成しつつある。 中欧が加わり、更に異文化の国家の加盟が検討されているが、其れは過去の歴史を踏み越えられるだろうか? B ユーラシア大陸の東、「中華思想」「華夷思想」=(「天下」の中心には高い文明をもつ「中国」があり、その周辺にはいまだ文明の恩恵に浴さない「夷狭」が住んでいる。 徳の高い君主が出現すれば「夷狭」も次第に感化され進んで「中国」に従属し、「中国」の領域は無限に広がってゆく)という思想を持つ国・強大な中国が驀進している。 その国が口にし、主導権をとろうとしている「アジア共同体連合」はどのように進展するのだろうか? その時、アジアの日本は如何なる国家戦略を持って臨むのか? C 大きな大陸、暗黒の大陸、奴隷の国、未開の地、そして民族紛争と飢餓の大陸=アフリアとの先入観を持っていたが、今年「愛・地球博」のステージで単調ではあるが力強い太鼓のリズムに乗って踊るアフリカの人々に何度かお会いする度に、かの大陸に親しみを持つと同時に、可能性を感じた。 大きな大陸の東と西、しかも歴史の一部しか学んでいないと深く感じた。(他の地域や国のようなに歴史研究がなぜ進んでいないのであろうか? 其れとも関心を持つ人々が少ないからなのだろうか?) C)授業中、私語が多く、眠っている学生に対して、教授の対応 @初めから受講態度に注文をつける教授 イ)叱る、注意する。→但し、一度も「出てゆけ」という言葉は聞いた事がなかった。授業料でも返せという学生がいるのだろうか?→そんな骨があるというか、論理で対抗する意欲がありそうな者はいないように見たが・・・ ロ)初めから、出欠席は問題としないから来ないでと注文つける。 A我慢してなのか、無視してなのか、自己のノートに従って講義を進める。→聴講生 にとってはこれが一番厄介。何度「だまれ!」と口にでかかった事だろう。 B授業に遅れて教室に入ってきた場合 イ)「どうしたの」(嫌味的に)と声を掛ける教授 ロ)何も言わない教授。 →これは途中退席(生理現象も含めて)も同じである。→一言何か言うのがエチケットだと言って、教えてやってやりたかった。→私も何故やめてしまったのだろうか?無視 D)時折開催されるシンポジューム、講演会について イ)普段の講義に増して素晴らしい会やシンポジュームが開催される。 ロ)これまた、会場はガラガラである。何とか関係教授が参加している様子だが、ゼミの学生ぐらいは参加してもよいと思うのだが・・・ ハ)学校全体、学部全体の連携はどうなっているのだろうか。 E)聴講生の価値(学校経営者にとって、あるいは学生にとって、教授にとって) @聴講生は学校経営にとって頼りになる収入源とはならない。 A学生には少しは刺激になっているのだろうか?→自分の親以上の年齢差のある叔父さんや叔母さんをみて、どうなのだろうか? B教授には少しは刺激になっているのではないだろうか?→少なくとも一般の学生より宿題の提出率や講義に対する姿勢は真面目であるから・・ D 聴講生にとっては同じ土俵の学部生は物足りない。 研究生か大学院生ならどうなのだろうか? F)春のスポーツ大会、秋の学園祭で感じたこと @他の大学の事は知らないのでなんとも比較のしようがないのですが、講演会、シンポジュームよりは参加率が良いように感じました。 A真面目に調査・研究をして発表しているグループもあり、時間をかけて話を聞くと大変面白かった。 B努力はされているのだろうが、もっと地元の方々も参加してもらえるイベントにしたら、楽しく賑わいのあるものになるのではないだろうか? 地元には発表する場を求めているグループが多くあります。 C別に期待して送ったわけではないですが、「学園祭」の記録をデジカメで撮り、編集して実行委員会に送りました。 予想どおり何の返事もありませんでした。 E 何時もゼミ等ではコンパ(私たちの学生時代はこのように言っていました。ようは飲み会です)など行っているのでしょうが、芝の上で出入り勝手の宴会を企画したらどうでしょう。→やはりダメかな?→少なくとも聴講生は参加するのでは? G)最後に、平成13年10月12日 に私のホームページに掲載したものをコピーしました。 『大学は街のシンボルである 〜私達市民も参加して創ろう、心豊かな春日井を〜』 ホームページNo(129)平成13年10月7日記の追記で「2〜3年前より中部大学がこの春日井に誘致された価値を感じている。」と書きました。 10月11日中日新聞の夕刊に、日本人10人目のノーベル賞受賞者(化学賞)野依良治教授のインタビュー記事が掲載されていた。 その中に研究者、生活者として考え、感じた「名古屋論」をとの問いに「まちにとって大学はシンボリックな存在であってほしいと思うし、はたして名古屋における名大の存在はどうなのだろうか。名古屋にとって、名大がどうあってほしいか、市長さんらと議論しなければと思う。」と答えられていた。 少々“我が意を得たり”というか、私が春日井の地にある中部大学に抱いている気持ちと通ずるものを感じました。 結論から言えば、大いにその存在価値はあり、それは近年増加して来ている。 多くの方々の、色々の意見のある中で“文化の香りある街”のシンボルとしての中部大学であってほしいという願いがあると考えます。 私達市民もただ求めるだけでなく、自ら参加して創りあげてゆくという心構えと行動が求められる。 ところで、9月6日からスタートとした“演劇ワークショップ”、第6回目の10月11日のことである。 来年3月の発表会の方向性が決まった。 “台本がない”のである。 「うりんこ劇団」の指導講師からの提案はこれから17名のメンバーで共同して創り上げてゆこうというものである。 「人は自分がやりたいこと、発信したいと思うことを発信することが、相手にとっても一番感動するものだ。 既存の台本で、セリフの行間を読み取り、それを表現するのも芝居であるが、自分達の思いを発信する、自分達の言葉で、これも芝居である。」と 指導講師には見通しはあるのだろうが、皆思いもかけない提案に2〜3人の発言はあったが“これ!”という意見はなし、というか見当がつかないというのが本音のところだろう。 私は次のような発言をした。 「今、我々は暗中模索の中に居る。更に暗ヤミの中に突っ込むことになるだろう。早くて5年、遅ければ10年はこの状態が続く。(17名の平均年齢35〜40歳?) 生まれてからこの方、祖父母や父母が築き、用意されていたレールの上を走って来たが、どうもこのまゝでは行かぬとは感じているが、ではどうしようという考えを持ち合わせていない。しかし、次の光は自分で見つけ出してゆかねば誰も指し示してはくれない。 と同じように、どんな展開になり、発表会時の終着駅はどうなるか分らぬが、この時代を生きている者として良いチャンスではないか? 初めて体験することへ足を踏み出すことは面白いし、意義あることではないか、なにもないところから、創り上げる喜びを味わってみようではないか。」と 指導講師は言った。 発表会のギリギリまで意見が衝突し、混乱するだろう。が心配はいりません。 面白いと思って取り組みましょう。と さて、この件も今後このページを開けて下さる方に報告を続けさせてもらうことになります。どうぞおつきあい下さい。 <追記> 息子より払い下げのノートパソコンで、やっとインターネットに接続し受信出来るようになった。 中部大学にアクセスした。 技術系でスタートしただけあってか(私にはホームページの表現レベルは分らない) 内容は豊富に思えた。「地域情報」講座案内をクリックした。 “平成13年度春講座”しか探し出せなかった。私の検索能力、操作能力不足なのだろうか? この秋も中部大学教授の春日井フォーラムのステージで数度講演を聴いているのだが・・ 私のミスでないのなら『新鮮なシンボルになってほしい』 □ No.129 平成13年10月7日 記 『心豊かさとは究極、自己実現すること』 〜「かすがい市民文化振興ビジョン」策定記念シンポジュウムに参加〜 物の豊かさが文化、心の豊かさを実現させると思っていたが、世の中の情況はその逆の様相を呈している。 心の豊かさとは究極“自己実現”であるととらえ“自己実現できるまち春日井”というメインテーマとしたと概要版パンフレットに示されていた。(なお、各公共施設にゆけば、100数頁の本文を読むことが出来る) 当日は元N.H.K解説委員、現世田谷文化生活情報センター館長永井多恵子さん、中部大学文化部教授の小中陽太郎さん、同大国際関係学部教授の都築正道さんのお話とパネルディスカッションがあった。 その中で、今回の米国中枢テロにふれながら、私達はイスラム文化をどれ程知っていたのか、「貿易量に比例して文化の交流の必要性」。 今、若者と語る時、あるいは高齢者が自分史を書く場合、いかに現代的な関心をもって歴史を見、語ることの必要性が語られた。 Q&Aでは「文化の香る街」とはとの問いに対して、ハードな建物を紹介するのでなく、文化の人、団体の名を語れること、人の会話の中に文化の話があること(ゴルフ、野球、サッカーだけでなく)又、遠くに出なくても日常的なところ、手近なところで文化に触れる機会の多いことと語られ、私自身が普段使用している単語で、分り易い言葉で語られ、大いに刺激となった。 その中で永井さんが東京(世田谷)はコミュニティーがない。そこで“地域ものがたり”を演劇と写真をつかった企画をして、取材〜台本づくり〜舞台発表までと、その間の過程を記録した映像を作製したV.T.Rを視聴し、直ぐに私も提案してみようと本日まとめた。 それは文化フォーラム春日井の中にある、演劇、戯曲、映像の3つのワークショップが統一テーマで取材〜台本〜舞台化まで計画するものである。 テーマは春日井商店街を取りあげてみたい。というのも今年、全国で21のモデル商店街活性化として鳥居松商店街が既に種々の活動を始めていること。 又、勝川商店街については昭和54年、一枚の新聞折り込み広告があり、それが私のファイルにズーと残して置いてあった、今はまったく変化した勝川駅前商店街(その当時の顔写真の方々)に興味があること。 高蔵寺商店街も時折、若手商店主を中心とした活動が新聞等で紹介されていること、などによる。 自分達の街のことを、自ら取材し、その歴史やなにか忘れかけているものが発見できるのではないか?そして映像化、舞台化してみることは面白く、又意味のあることではないかと考えるからです。 (財)かすがい市民文化財団か、市の企画調整部文化課に提案書を出してみようと思っている。 なお、本年も9月6日より私にとっては3回目の「演劇ワークショップ」がスタートして、毎週木曜日夜の2時間半を楽しく過ごしている。このことは又報告します。 改めて、小島教授へ 最後に、学生のレポート提出テーマをメモしてきましたが、教授の講義内容を整理するだけで精一杯で、自説を書くなどということはとんでもない事です。 よって、レポートの代わりに以上のことを書かせていただきました。 蛇足ですが、「クリムゾン」の原稿に採用する、しないは問題外です。 また、何かの折、どこかを切り取る、繋ぎ合わせることがありましても、全く問題外ですので申し添えます。 ありがとうございました。
一六社 「地域ホームページ100ヶ所達成記念講演」 “ユーザーからみたインターネット” 名古屋経済大学短期部講師 末岡 仁 ・ <2001年 IT基本法成立> “E-JAPAN戦略”スタート 2005年までに世界最先端のIT国家へ → 2004年 “U-JAPAN政策” キャッチアップからフロントランナーへ ・ <インター−ネットの起源と利用者動向> インターネット・・ネットワークを相互に結びつけた巨大なネットワーク 米国の軍事活用研究から商用利用へ 90年代に爆発的に発展、 今日のインターネット社会へ 理由 @商用へのオープン A wwwシステムの開発・・・情報・検索 Bwindows‘95・・・・・・・パソコンに市民権 Cjapa言語・・・・・・・・・・家電製品目的の言語 日本の普及率(何年?) 世帯浸透率 83% 世帯普及率 55% グローバルバンド世帯普及率36% 世界21位の普及率 ・携帯電話のみの利用者10代多かったが、高校で必須科目になり携帯以外もアップしている(2004年) ・ ・ブロードバンド化と共に生活スタイル変わる。 1日2時間以上 半数超 ・ 情報を得るテレビ60% 、インターネット25%(この率上がっている) ・<“U−JAPAN”ユビタニ・ジャパン> 何処でも・いつでも・誰にでも使える 社会の様々な課題がITによって解決される、2010のわが国の姿 ユニバーサル・・人に優しい、世代・地域を越えて ユーザー中心・・利用者の視点に立って ユニーク・・・・個性的な発信が出来る、個人の活力がアップ、地域再生 ・ 2010に向けて取り組むもの ・ 安全・安心な生活環境 ・ 介護・福祉 ・ エネルギー分野 等々具体的な絵図で持って紹介された。 ・ ・ 最後に、5年前には考えられなかったスピードで今日まで来た、今後の5年間はそれ以上のスピードで進展するだろう
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