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 中部大学「オープンカレッジ」の聴講生、1年を終えて
             学籍番号 YG05047 加藤 大喜

20005年、秋期で受講した3教科の一つに「ヨーロッパを知る B」あり、ヨーロッパと言っても中欧を専門分野に研究されてこられた、小島 亮教授の講義でした。 
中欧を中心テーマとする研究者・学者は日本全体で10人程との事、数少ない研究者である。 その上に小島教授の経歴がユニークなばかりでなく、性格も発言も一般的に想像する大学教授とは大分異なる個性の持ち主と拝見しておりました。
だが、勉強をしようと思っている学生や聴講生にとって大変ありがたい教授で、疑問・質問があれば即座にお答えや返事をいただける(講義の開始時間10~20分前には教室にこられている)。 しかも直通のメール・アドレスを公開されているので、いつでもOKである。 私など限られた書籍と辞書、それにインターネット検索ぐらいしか持ち合わせがないので、困った時・疑問が湧いてきた時・その日の講義で理解できなかったことなど、気をつけないとついつい辞書代わりに送ってしまうことになる。 12月20日の最終講義の後、お礼と質問をメールしたら、何時ものように早速返信がありました。 その中にこんな一文がありました。
『毎年、学生が「クリムゾン」という雑誌を出しております。 一冊送ります。この小冊子に原稿を書きませんか。 中部大学徹底批判など大歓迎です。』とありました。』
 「クリムゾン」を辞書で調べると「深紅色、濃紅色、顔が真っ赤になること」とありました。この意味のクリムゾンかどうか分かりませんが、パソコンに向かいました。

はじめに、お断りと弁解と言い訳。 私の性格は良くも悪くも、思いつきヒラメキ型であります。 よって気付いたこと、感じたことをストレートに口にしてしまいます。 推考して慎重に文を書こうとすると全然前に進みません。  其れゆえに「おもねたり」「かっこうをつける」事はしていないつもりです。 さらに、後輩から嫌味もこめて「年金暮らしの国家公務員の強み」と言われて居ます。
 感情的・感覚的・直感的になることを予めお断りとお許しをお願いします。

A)話には聞いていましたが、本当に10%から良く見て20%の学生しか勉強していないと思います。 勉強しないのならまだ良いのですが、講義中の私語の多いこと、更に前夜のアルバイトで深夜まで働いていたのか、眠っています。(この方があり難いですが・・)
 訊ねてみました「授業料はいくらか?」と、確か年間で120万円とか140万円とか言っておりました。 私たち聴講生は1教科1万円ですから、彼らにとっては年間20教科を受講していても6〜7万円という事になります。 私が訪ねた人の平均が13〜4教科でしたので、1教科当たり10万円近くになることになります。 「貴方達授業料払う人、私たち勉強する人」と言ったら、“何をこの叔父さん言っているのだ”という反応をしておりました。 親御さんが払っているから関係ないのでしょうか?
「大学はニートとかフリーターとかアルバイターという定職を持たない(持てない?)若者の養成機関ということなのか? 一時の保護預かり機関の役割なのか?<決して全ての学生ではありませんので、特殊が目に止まるのかとも考えました>
 当初、こんな学生達を目の前にしたとき将来の日本、これから先の日本を思うと亡国の現象化とも思いましたが、約1年経過した近頃は異なる思いが湧いてもいます。
 
21世紀に入って5年経過しました。15年前、バブル崩壊して政治・経済・社会は右に左にローリングしました。 既得権益にしがみつく、あるいは問題の先送りで時間稼ぎをしてきましたが、どうにもならなくなって構造改革の「小泉政権」の登場、これもある面の改革が中途半端な姿で進むと同時に、新たな社会構造問題が表面化してきており、国民的合意形成による「国家の将来像」は見えていないと考えます。(歴史の示すところによりますと、国民は裏切られ、鍛えられ、不満が蓄積した国民(大衆、庶民)は反抗するか、抵抗するか、勉強をして時代は変化、進展してゆく事を教わりました)
この間、感覚的にこの実体を見ている彼ら若者=学生はこれから彼らによって形成されるであろう21世紀型の生き方の前触れ現象を示しているのか、あるいは其れを実現・実行する前にチャンスがめぐってこないことに対して日向ぼっこしているのだろうか?
といいながら、身近にこんな動きをしている若者も目にすることが出来ます。
ロハス=「健康で持続可能な循環型社会」的考え方や生き方をしている(愛・地球博のボランテイアーをした時に多く見られた。 また、下宿している学生に聞くとスーパーの買い物袋を出来るだけ貰ってこないなど)とか、スローライフとか、近頃は地域に根ざした「観光と農業」に関心を持っている若者にも多数出会いました。
 20世紀型とでも言うのでしょうか、近代社会を形成してきた「合理的」「効率的」「科学的」といわれるキーワードは、時間・空間・人間・自然価値を隅に追いやり、その反動に気付き始めております。 若者はその時代の先鞭をつけてきた時代、社会、人々に背を向けているのだろうか? 前時代の生き方に染まる事を拒否しているのだろうか?
 新たな社会の価値観、秩序、社会構造など私には予測不可能な事であるが、彼らの若く新鮮な感覚は来るべき時代(築き上げる時代)に必要な感性や感覚を失わないために、今は日向ぼっこしているのだろうか?  親御さんの小言に首をすくめ、我慢しスネをかじっているのだろうか? 仮の姿を見せているのだろうか?

 縦社会、管理社会で生きてきた私には頭で知識としては理解しているかもしれない「横型のネットワーク社会」が到来、形成されつつある今、明治維新後にパッと花開いた「文明開化」のような時代が展開されるのだろうか?(注意*富国強兵もあり)
その主役を果たすのが彼らではなのかと期待と願いを込めてみようかと教えられた1年でもありましたが、これは私の希望的楽観体質のためか。 いやマンザラ100%の間違いではないのではないかと思っている2005年末の事です。

B)ここで、数人の学生から訊ねられたことにどんな返事をしたか書きます。
「叔父さん(最初は私の髭面からだろう、教授と思っていたようでなかなか叔父さんとは気軽に呼ばなかった)、何故学校に来るの?何を学ぶの?面白い?そして、どう?」
 
私、「これ程までに“不信、不満、不安”に満ちた声が聞かれる時代にどうしてなってしまったのだろうか? こんなに一生懸命努力してきたのに。 
 と同時に、大きな時代の転換期=変革期に生まれめぐり合わさったことは大変ラッキーではないかとも思っています。 
ならばこれからに時代、社会がどうなるのか? どうあらねばならないのか? その道筋はどうなのだろう? 誰が・どのような役割を果たすのだろうか?との思いが、6年前からの「四国88ヶ所遍路の旅(通し打ち・43日間の歩き遍路)」、「百姓学校への入学(瑞浪・日吉で開校)」「キャンピイングカーで日本1周の旅」を終えた頃から持ち上がってきました。
 2005年・早春、放送大学の「人間の探求専攻」から前・後期で10教科と中部大学は前・後期で6教科、合計16教科を選択しました。
 両校会わすと、ダブリの地域・時代も含め、オーストラリア、インドは全く触れず、ロシア、中近東もその一部ですが、それでもザーと世界に触れることが出来ました。
 あと、1年続けてみようと思っております。 
 1年の成果は何かと問われると直感的・感覚的なお答えも出来ませんが、こんな事を夏ごろメモしておりました。
『 @歴史には短いスパン、あるいは長いスパンで変化してゆく。 EX、中国・・隋は短く、次ぎの唐の時代は長い。モンゴル(元)は短いし、明・清は長い。
  ヨーロッパ・・ローマは長く、その前後は短い。
A  外的要因(環境、気象状況、競合関係)にもよるが、決定的なことは内部からの崩壊である。 (親子、兄弟、主従、有力者間の戦い、争い)
歴史を後から眺めてみると、全てが定められた運命のように見えてくる。
必要な時に必要な人(集団)が登場してくる。
B どの時代にもサイクルがある。誕生〜成長〜最盛期〜下降線〜衰退〜消滅
どの時代を見ても早い・遅いはあるが、ひとつの時代の波の中で、あるときを境に次ぎの時代の波(流れ)が内包され、育まれている。
 やがて入れ替わる。力で奪い取る事もあれば、熟して枯れ落ちるように切り替わる事もある。大抵は武力(力)であるが・・・
C 国家運営(経営)、特に他民族支配の場合は、「緩やかで、非支配層の文化を認め・許した運営をした場合は長続きしている。 時にはその文化を吸収し、混合同化することもある。 これはゲルマン民族の大移動後のヨーロッパ中世〜近世に見られるが、歴史の大きな流れから見るとさほど大きなエポックとはなっていない。」
D 意外と無力に思っていた庶民大衆はしたたかであり、時代変革のカギを最後には握っている。

そして、2005年末にはこんな事がメモに加わっています。
@ 覇権の頂点におり衰退の徴候にあがくアメリカ・・内部の混乱が見え隠れする。
A 15世紀〜16世紀歴史の最先端を走っていた中欧は海洋に面し世界の富との交易を可能とする・西欧にその地位を奪われた。 其れを取り戻すべくさまざまな行動は内部に内包する解決不可能=矛盾が矛盾を生む構造になっている民族問題と宗教・文化が争いの種となり、混乱と混迷の中2度の大戦を経験する。 その悲劇の中から
EU=ヨーロッパ連合を形成しつつある。 中欧が加わり、更に異文化の国家の加盟が検討されているが、其れは過去の歴史を踏み越えられるだろうか?
B ユーラシア大陸の東、「中華思想」「華夷思想」=(「天下」の中心には高い文明をもつ「中国」があり、その周辺にはいまだ文明の恩恵に浴さない「夷狭」が住んでいる。 徳の高い君主が出現すれば「夷狭」も次第に感化され進んで「中国」に従属し、「中国」の領域は無限に広がってゆく)という思想を持つ国・強大な中国が驀進している。
その国が口にし、主導権をとろうとしている「アジア共同体連合」はどのように進展するのだろうか? その時、アジアの日本は如何なる国家戦略を持って臨むのか?
C 大きな大陸、暗黒の大陸、奴隷の国、未開の地、そして民族紛争と飢餓の大陸=アフリアとの先入観を持っていたが、今年「愛・地球博」のステージで単調ではあるが力強い太鼓のリズムに乗って踊るアフリカの人々に何度かお会いする度に、かの大陸に親しみを持つと同時に、可能性を感じた。 大きな大陸の東と西、しかも歴史の一部しか学んでいないと深く感じた。(他の地域や国のようなに歴史研究がなぜ進んでいないのであろうか? 其れとも関心を持つ人々が少ないからなのだろうか?)

C)授業中、私語が多く、眠っている学生に対して、教授の対応
@初めから受講態度に注文をつける教授
 イ)叱る、注意する。→但し、一度も「出てゆけ」という言葉は聞いた事がなかった。授業料でも返せという学生がいるのだろうか?→そんな骨があるというか、論理で対抗する意欲がありそうな者はいないように見たが・・・
 ロ)初めから、出欠席は問題としないから来ないでと注文つける。
A我慢してなのか、無視してなのか、自己のノートに従って講義を進める。→聴講生
にとってはこれが一番厄介。何度「だまれ!」と口にでかかった事だろう。
B授業に遅れて教室に入ってきた場合
 イ)「どうしたの」(嫌味的に)と声を掛ける教授
 ロ)何も言わない教授。
→これは途中退席(生理現象も含めて)も同じである。→一言何か言うのがエチケットだと言って、教えてやってやりたかった。→私も何故やめてしまったのだろうか?無視

D)時折開催されるシンポジューム、講演会について
 イ)普段の講義に増して素晴らしい会やシンポジュームが開催される。
 ロ)これまた、会場はガラガラである。何とか関係教授が参加している様子だが、ゼミの学生ぐらいは参加してもよいと思うのだが・・・
 ハ)学校全体、学部全体の連携はどうなっているのだろうか。

E)聴講生の価値(学校経営者にとって、あるいは学生にとって、教授にとって)
@聴講生は学校経営にとって頼りになる収入源とはならない。
A学生には少しは刺激になっているのだろうか?→自分の親以上の年齢差のある叔父さんや叔母さんをみて、どうなのだろうか?
B教授には少しは刺激になっているのではないだろうか?→少なくとも一般の学生より宿題の提出率や講義に対する姿勢は真面目であるから・・
D 聴講生にとっては同じ土俵の学部生は物足りない。 研究生か大学院生ならどうなのだろうか?

F)春のスポーツ大会、秋の学園祭で感じたこと
@他の大学の事は知らないのでなんとも比較のしようがないのですが、講演会、シンポジュームよりは参加率が良いように感じました。
A真面目に調査・研究をして発表しているグループもあり、時間をかけて話を聞くと大変面白かった。
B努力はされているのだろうが、もっと地元の方々も参加してもらえるイベントにしたら、楽しく賑わいのあるものになるのではないだろうか? 地元には発表する場を求めているグループが多くあります。
C別に期待して送ったわけではないですが、「学園祭」の記録をデジカメで撮り、編集して実行委員会に送りました。 予想どおり何の返事もありませんでした。
E 何時もゼミ等ではコンパ(私たちの学生時代はこのように言っていました。ようは飲み会です)など行っているのでしょうが、芝の上で出入り勝手の宴会を企画したらどうでしょう。→やはりダメかな?→少なくとも聴講生は参加するのでは?

G)最後に、平成13年10月12日 に私のホームページに掲載したものをコピーしました。
『大学は街のシンボルである 〜私達市民も参加して創ろう、心豊かな春日井を〜』

 ホームページNo(129)平成13年10月7日記の追記で「2〜3年前より中部大学がこの春日井に誘致された価値を感じている。」と書きました。
10月11日中日新聞の夕刊に、日本人10人目のノーベル賞受賞者(化学賞)野依良治教授のインタビュー記事が掲載されていた。
その中に研究者、生活者として考え、感じた「名古屋論」をとの問いに「まちにとって大学はシンボリックな存在であってほしいと思うし、はたして名古屋における名大の存在はどうなのだろうか。名古屋にとって、名大がどうあってほしいか、市長さんらと議論しなければと思う。」と答えられていた。

少々“我が意を得たり”というか、私が春日井の地にある中部大学に抱いている気持ちと通ずるものを感じました。
 結論から言えば、大いにその存在価値はあり、それは近年増加して来ている。
多くの方々の、色々の意見のある中で“文化の香りある街”のシンボルとしての中部大学であってほしいという願いがあると考えます。
 私達市民もただ求めるだけでなく、自ら参加して創りあげてゆくという心構えと行動が求められる。
ところで、9月6日からスタートとした“演劇ワークショップ”、第6回目の10月11日のことである。 来年3月の発表会の方向性が決まった。 “台本がない”のである。
「うりんこ劇団」の指導講師からの提案はこれから17名のメンバーで共同して創り上げてゆこうというものである。
「人は自分がやりたいこと、発信したいと思うことを発信することが、相手にとっても一番感動するものだ。 既存の台本で、セリフの行間を読み取り、それを表現するのも芝居であるが、自分達の思いを発信する、自分達の言葉で、これも芝居である。」と
 指導講師には見通しはあるのだろうが、皆思いもかけない提案に2〜3人の発言はあったが“これ!”という意見はなし、というか見当がつかないというのが本音のところだろう。
私は次のような発言をした。 「今、我々は暗中模索の中に居る。更に暗ヤミの中に突っ込むことになるだろう。早くて5年、遅ければ10年はこの状態が続く。(17名の平均年齢35〜40歳?)
 生まれてからこの方、祖父母や父母が築き、用意されていたレールの上を走って来たが、どうもこのまゝでは行かぬとは感じているが、ではどうしようという考えを持ち合わせていない。しかし、次の光は自分で見つけ出してゆかねば誰も指し示してはくれない。
と同じように、どんな展開になり、発表会時の終着駅はどうなるか分らぬが、この時代を生きている者として良いチャンスではないか? 初めて体験することへ足を踏み出すことは面白いし、意義あることではないか、なにもないところから、創り上げる喜びを味わってみようではないか。」と

 指導講師は言った。 発表会のギリギリまで意見が衝突し、混乱するだろう。が心配はいりません。 面白いと思って取り組みましょう。と
さて、この件も今後このページを開けて下さる方に報告を続けさせてもらうことになります。どうぞおつきあい下さい。
<追記>
息子より払い下げのノートパソコンで、やっとインターネットに接続し受信出来るようになった。 中部大学にアクセスした。 技術系でスタートしただけあってか(私にはホームページの表現レベルは分らない) 内容は豊富に思えた。「地域情報」講座案内をクリックした。 “平成13年度春講座”しか探し出せなかった。私の検索能力、操作能力不足なのだろうか? この秋も中部大学教授の春日井フォーラムのステージで数度講演を聴いているのだが・・ 私のミスでないのなら『新鮮なシンボルになってほしい』

□ No.129  平成13年10月7日 記
 『心豊かさとは究極、自己実現すること』
 〜「かすがい市民文化振興ビジョン」策定記念シンポジュウムに参加〜

物の豊かさが文化、心の豊かさを実現させると思っていたが、世の中の情況はその逆の様相を呈している。 心の豊かさとは究極“自己実現”であるととらえ“自己実現できるまち春日井”というメインテーマとしたと概要版パンフレットに示されていた。(なお、各公共施設にゆけば、100数頁の本文を読むことが出来る)
当日は元N.H.K解説委員、現世田谷文化生活情報センター館長永井多恵子さん、中部大学文化部教授の小中陽太郎さん、同大国際関係学部教授の都築正道さんのお話とパネルディスカッションがあった。
その中で、今回の米国中枢テロにふれながら、私達はイスラム文化をどれ程知っていたのか、「貿易量に比例して文化の交流の必要性」。
今、若者と語る時、あるいは高齢者が自分史を書く場合、いかに現代的な関心をもって歴史を見、語ることの必要性が語られた。
Q&Aでは「文化の香る街」とはとの問いに対して、ハードな建物を紹介するのでなく、文化の人、団体の名を語れること、人の会話の中に文化の話があること(ゴルフ、野球、サッカーだけでなく)又、遠くに出なくても日常的なところ、手近なところで文化に触れる機会の多いことと語られ、私自身が普段使用している単語で、分り易い言葉で語られ、大いに刺激となった。
その中で永井さんが東京(世田谷)はコミュニティーがない。そこで“地域ものがたり”を演劇と写真をつかった企画をして、取材〜台本づくり〜舞台発表までと、その間の過程を記録した映像を作製したV.T.Rを視聴し、直ぐに私も提案してみようと本日まとめた。

それは文化フォーラム春日井の中にある、演劇、戯曲、映像の3つのワークショップが統一テーマで取材〜台本〜舞台化まで計画するものである。
テーマは春日井商店街を取りあげてみたい。というのも今年、全国で21のモデル商店街活性化として鳥居松商店街が既に種々の活動を始めていること。
 又、勝川商店街については昭和54年、一枚の新聞折り込み広告があり、それが私のファイルにズーと残して置いてあった、今はまったく変化した勝川駅前商店街(その当時の顔写真の方々)に興味があること。  高蔵寺商店街も時折、若手商店主を中心とした活動が新聞等で紹介されていること、などによる。
 自分達の街のことを、自ら取材し、その歴史やなにか忘れかけているものが発見できるのではないか?そして映像化、舞台化してみることは面白く、又意味のあることではないかと考えるからです。
(財)かすがい市民文化財団か、市の企画調整部文化課に提案書を出してみようと思っている。 なお、本年も9月6日より私にとっては3回目の「演劇ワークショップ」がスタートして、毎週木曜日夜の2時間半を楽しく過ごしている。このことは又報告します。

 
改めて、小島教授へ
最後に、学生のレポート提出テーマをメモしてきましたが、教授の講義内容を整理するだけで精一杯で、自説を書くなどということはとんでもない事です。 よって、レポートの代わりに以上のことを書かせていただきました。
蛇足ですが、「クリムゾン」の原稿に採用する、しないは問題外です。 また、何かの折、どこかを切り取る、繋ぎ合わせることがありましても、全く問題外ですので申し添えます。
ありがとうございました。





 COLUMN1ーD NO.418 より                                                                       平成17年12月22日 記

「野球の何が好きか」と問われたら何と答えます?
  〜アフリカの少年はこう答えました〜

 今週で中部大学の講義が終了します。 昨日は「アフリカを知る」の最終講義に、「JICA(国際協力機構)中部の・提携促進チームのリーダー・友成 晋也さんがこられ、お話を聞かせていただきました。
 彼は学生時代(高校〜大学)から野球が大好きでした。 大学の時は補欠にもなれずベンチに入れなかったということです。 卒業後、1996年から8年間、アフリカ・ガーナのJICA事務所に勤務され、ガーナ・ナショナルチームとの出会いがあり、その体験を通じて国際協力観が劇的に変わったお話を聞かせてくれました。
 
 ナショナル・チームと書きましたがこの国には1チームしかありません。 ガーナからはキューバ(世界的に野球の強い国です)に技術研修に行ったメンバーが帰国後、野球チームを作って楽しんでいた。 友成さんにコーチをしてほしいと依頼があった。 土・日曜日が練習日となった。
 <なを、この話は数年前、フジテレビが1998年から3年間バラエテイー番組「アンビリバブル」で取り上げられていたそうですから、視聴された方もいるかと思います>

 さて、色々と興味のあるお話が聴けたのですが、その中での最高のお話が、「野球の何が好きか?」と問われた少年が何と答えたかということです。
 この後を直ぐに読まずに一度考えてみてください。

 
 答え「バッター・ボックスが好き」と答え、其れはバッターボックスに居ると皆が応援してくれる、皆が注目してくれる。といったそうです。
 また、このようにも答えたそうです。
 「Baseball is democratic sport!」 野球は「民主的」なスポーツだ。
 皆がヒーローになるチャンスが公平に来る。というのです。
 彼らの父親は50%が失業している、だから子供達は学校にやれない。故に子も知識不足で就職できないという「貧しさの連鎖」が続いているという事です。

 話は少しそれますが、その子の家を訪ねたら1家族は父母、祖母・祖父、兄弟にとどまらず親戚・知人まで同居していたとの事です。 失業率が50%なのでこうして共生社会の構成になっているとの事でした。 
 また、豊かな家庭は少子で高等教育を受ける事が出来ますが、貧しい家庭は乳児死亡率も高く、多産ということです。

 友成さんは”スポーツの持つ可能性と恵まれない地域の子供達こそスポーツを”と帰国後も様々な活動をされておられます。
 道具がなくても出来る「三角ベース」の普及プロジェクトやアフリカ野球の自立発展のための野球道具の生産をアフリカで産業化するということなどです。

 最後に「アフリカの2ウエイ アプローチ」という事を語られました。
 「開発」其れは「人権問題」と「環境問題」。 開発問題で見逃していけないのは「人間らしさ」という視点であると。そして人間の安全保障=人間が生きてゆくためには
  「人間として生きてゆく権利」と「人間らしく生きてゆく権利」、
 これが、2ウエイ・アプローチと。


 以上のような素晴らしく・良い話を掲載した後に載せるのは気が引けるのですが、聴講生には提出義務はない、『「アフリカを知る」の講義を聴いて、新たに発見したことや感想を書きなさい』と宿題が出ておりましたので、教授にお礼の意味をこめて以下のような一文を提出しました。

 
    アフリカを知る B
1、 氏名 加藤大喜
2、 学籍番号 YG05047
3、 「新たに発見したアフリカ」レポート

A) アフリカはやはり大きな大陸である。
 今春期と秋期、“アフリカを知る”を受講したが地理的にも、時間軸に換算してもほんの一部を撫ぜたに過ぎない。 正に「群盲象を撫でる」の如し。 愛・地球博のステージで単調な太鼓のリズムに乗って体全体で表現された力強いダンスから感じた感覚が思い出される。 其れも時間の経過とともに薄くなり、忘れ去られてしまうのだろうか。

B)サハラ砂漠以北のアフリカは、地中海に面した地をギリシャ(オリエント文明)、ローマ帝国、そしてイスラム勢力が通過し、拠点化した都市・国とは全くサハラ砂漠以南のアフリカは別ものであることを改めて感じた。

C)そのサハラ以南のアフリカはきっと外部の勢力が押し寄せてくるまでは、数知れない民族と言語からなる人々が穏やかな生活をしていた事だろう。 また、海の海路を中心として友好的な交流を通じ、豊かな文化が育まれていたことだろう。
 西欧の膨張が押し寄せてきた時、殺戮と収奪によってその様相は一変する。 其れは売買の対象としての奴隷貿易の時代にとどまらず、先進国の利害・利権丸出しの政策が、アフリカ民族同士の対立と抗争にと尾を引いてゆく。 →余り意識せずに講義で使用された同じ番組を見ていたが、授業で取り上げられたことにより、その意味するところを考えさせられることとなった。

D)日本とアフリカの関係についても新たな発見をしました。
 文明開化に続く「富国強兵」の下に、アフリカが研究され、地元豊橋の中村直吉なる人物の事も初めて知りました。 大恐慌前の大正10年には「からゆきさん」が存在したことも、日本商社の進出の事も今回初めて知ることになったことです。

E)「ジンバブエ遺跡」のことも発見でした。
 「アフリカは人類のゆりかご」という単語は使っていたものの、実態は「暗黒の大陸」「未開の地」「奴隷の国」という言葉で教えられた事以上のことは知りませんでした。 ジンバブエ遺跡のことは驚きでした。
 きっと、まだまだ知らない事、発見されていないアフリカが眠っていることなのではないかと思います。 既成概念でことを判断してしまう事の危険を教えられました。
 
 ありがとうございました。 

  平成 17年11月6日 記・掲載

  中部大学国際関係学部」シンポジウム
       ”文化の壁をよじ登る”
 〜「基調講演 ”異文化と付き合う方法”〜
      続いて、パネルデイスカッション
            「他文化理解の落とし穴」

 基調講演 「異文化と付き合う方法」  朝日新聞社・編集委員 松本 仁一さん

 中部大学では”異文化”と言わず”多文化”と言っている。 違う部分もあるが、同じ部分のある。 という事で学びました。
 * 文化をどう見たらよいか私の付き合い方
 「エっ食べれるの!」文化
 
(A)・マサイ遊牧民との生活・・ケニア・タンザニア北部の人々=サンブルグマサイ族
 ・遊牧生活をしている彼らをどのようにして見つけるか?
   若者(14・5歳〜22・3歳)結婚前の集団、牛の放牧5〜600頭、ヤギ4〜500頭を管理している。小高いとろろに登ると砂煙が見える、そこは牛、ヤギで砂煙。
 長い槍に赤い腰衣とショール、腰に山刀、結婚すると3人ぐらいの妻と小屋に住む。

 朝食・・若い牛を1頭連れてくる。
     牛の首に縄を巻き、大静脈を浮き上がらせて、軽いキズをつける。 血の採血。 →牛の乳を混ぜる(イチゴミルクの感じ)→かき混ぜる→新鮮なミルク(血の匂いない)
 *何故、マサイ人は生血を飲むのか?
 ・「土から生えてくものは不浄」(野菜、果物、穀物)と摂取しない・・ビタミン不足となる
 ・牛は草を食べる→血の中にビタミンあり。(間接摂取)
ーー サンブルグの地はほとんど雨なしーー年間雨量200Mlー野菜作れない。ビタミンを血で摂取。

  参考 ・トウモロコシ・・800Ml
      ・ヒエ・アワ・・・・5〜600Mlの雨量で採れる。
     
 結論ーー雨の少ない地にある人々はビタミン摂取のために牛の血を飲む。

 (B)ガボンの地でのこと・・シュバイツアー博士のいたところ

 ・トウモロコシの粉、芋の粉、味の無いバナナが主食
 ・ヤギの肉、プラス野菜の煮込みが・・・・・・・・・・・・副食

 ガボンは雨の多いところ(3〜400ML/年間)→樹木成長→熱帯雨林・再生
 ・動物タンパク質はジャングルの中の昆虫の幼虫と猿を食べる。

 ・猿を食べる文化
 ・猿とSEX(獣姦)をしたからAIDSとなったは、猿を食べない人の決め付けた事。

  ここで、何故猿を食べるのか? 牛の血を飲むかの”何故”を持つ事。


 (C)続いて、イスラムは何故「豚」を食べないかを考えてみよう。
 ・「反芻」(ハンスウ)する・・牛、羊、ラクダ
  反芻しない・・・・・・・・・・・豚、馬
 ・人間と同じものを食べる馬、豚
 ・ユダヤ・イスラムも砂漠地帯の民・・穀物を食する馬、豚は・・・人間と競合する。
 (Dその他
 「ヤギの刺身」のこと・・「ヤギの睾丸(タタキ)」は食べれるか?
 日本・長野県・・・・・・・・「蜂の子」「ザザ虫」を食べる。 皆それぞれ→
 
  →環境が文化を創る。 
 「農業」→多神教。山、川、陽、土という恵みが生産手段=土。移動出来ない=まあまま、なあなあの人間関係・・宗教・ものの考え方に影響してくる。・・訴訟しない。
 ・エジプトは農耕文化の土地・・イスラムが入っても、多神教の多神教帰りをしている。
 ・ギリシャ、ローマも農耕民族

 ”なぜ”を考えることが、異文化への対応となる。


 さて、ここからが、パネルデスカッション「他文化理解の落とし穴」です。
 中部大学・国際関係学部の論客の登場です。 
       
 *「河合 秀和教授(国際文化科)
 ・イギリスに住んでいたころ、イタリアに旅にでた。 女房に盛んにダメモトで言い寄ってくる。 イタリア人は誰にでも声を掛ける。言い寄るという先入観があった。→
      →財布がなくなっていた。
 ・国民文化は明治以降からつくられた。 国民文化と我々の身近な文化は異なる。
  例えば、食・・京都、名古屋、福岡、仙台・・今、このずれが大きくなっている。
  集団的、地域性の文化が薄まりつつある。
  我々は国民文化で育ってきたが、異文化は一人ひとりのことではないか?
 其れを理解しようというのが松本さんの意見ではないか。

 *「長島 信弘教授(国際文化科・・アフリカ専門)
 ・教授はA3の印刷物を事前に用意されていた。内容は「文化」について
 ・が、松本さんの話を聞かれ、用意されたことを破棄されて発言された。
 
 ・未開・野蛮を捨てろというのが近代合理主義の壁→ビタミンの話
   環境という事に絞り込んできたことの壁に突き当たっている。(環境が文化つくる)
  EX1、「牛の血を飲む}彼らは嬉しそうに飲む。「生き延びるために牛の血を飲むと       考えるところが壁である。
  EX2,猿の話・・たんぱく質=近代合理主義で全てを説明しようとする。
  EX3、一神教と多神教を農耕文化と放牧民族という分け方は「俗流文化論」の横行
 ・私はそういうのを「チゲエナイ論」(違い無い)と言っている。
  「合理主義の壁」「説明過剰の壁」では無いか。
 
 <この教授の講義は前期に受けた。 いささか大学教授としては型破りというか、お高くとまっているというタイプでなく、アフリカの現地で原住民と生活を楽しく共にしてきた人。 鼻っ柱が強く、自信家でもあり、自論を持っている。 自論が聞けるから面白かったこともあるが、違う見解の持ち合わせが無かった私は”チョット言い過ぎ、本当?>

『長島教授の作成された印刷物から
 1871年エドワード・タイラー(英国民族学者1832〜1917)が「文化概念」を定義している。其れは「知識、信仰、芸術、道徳、法律、習慣、および社会の成員としての人が獲得した能力、習慣の全てを含む複合体である」、すなわち「言語、観念、価値観、生活様式、習慣、芸術、宗教、社会制度、経済制度、政治制度j、法制度、技術、工芸製品、建築物」など全てを含むことになる。
 この文化概念は、数学におけるゼロの発見に似た歴史的貢献とされる。        その理由は、啓蒙主義時代の「社会は自由な個人の集合体である」という命題を暗に否定している事になったからである。
 人は生まれながらにして自文化の制約下におかれる不自由な存在だという事を含意している。 「文化の壁」の発見といえよう。

 *「高山 智教授(国際関係学科)・・松本さんの先輩
 ・風土・環境が人間生活に影響をするか?という事に対して松本説は理解できる。
 ・アメリカ主義を世界広範に及ぼすのは問題という松本説は理解できる。
 ・本日のパネリストのうち私だけが人類文化科ではないので、別の角度から話す。
 ・ユネスコは戦争は人間の心が生み出したもの、無知が衝突する。 文明の衝突で   はない。そこで・「文化多様性条約」=文化的表現の多様性の保護と促進に関する  条約が採択された。(賛成148、棄権4、反対は米国とイスラエルの2票)
 ・フランス・カナダは資本、貿易以外に文化は別と考え守ろうとした。
 ・フランスはアメリカの映画産業(暴力、SEX,こけおとし)が、資本力によって世界・   自国を席捲することを恐れる。 ハリウッドが席捲する事は英語の世界の支配。
  (アメリカの映画1本当たり100億円、日本5億円)
 ・ドイツにおける第2外国語のフランス語の後退に危機感を持っている。
 ・現在5〜6000の民族集団が21世紀半ばには半分になるとイギリスの学者発表。
  アフリカはサハラ以南で2500語。
 ・アメリカの一方的な進出は先行きに対してどうなのか?
  固有の文化、習慣はどうなってゆくのか?

 *「小島 亮教授(国際文化科)
 ・「この中で一番年少です、ヨタを言います」と断って
 ・中部大学で異文化を体験しています。
 ・学生時代の体験、大阪には関係代名詞は無かった。
  英語の”WHICH”〜何々するところのなになに〜と習った。東京の標準語と思った。 東京に出た時使った。 「寿司を食べるところの箸を欲しい」「書くところの鉛筆を取    ってほしい」と言った。
 ・ハンガリー、オーストラリア、エトニア等中欧数カ国で生活したが異文化体験はいち   ども無かった。 日本人と言う事による差別はなかった。
 ・「和菓子」は絶対に食べない。東欧の食べ物でない。
 ・文化の一定の枠は認めるが、その文化を認めよという事に危うさを感じる。
 ・文化を大げさに言うな! 「文化の壁」というのが壁。

 <この教授の講義は現在受けている。 ベルリンの壁が崩れた前後10年間、東欧・中欧に滞在していた。 そこから日本、世界が語れる数少ない学者。 が、これまた破天荒な教授、「出欠席はとらない、眠っていてもOK,弁当までは困るが飲料、軽い菓子程度はOK、…等」 若いといっても50才前後か? 講義の20分前には教室に来ている、その間、質問受ける、授業は90分ビッシリ(が、本人の自論は60分×2がベストという、90分は長すぎる。 という事で近々提案するといっている)
 授業の内容は良く検討されてきている。 横道にも反れて熱が入るので、毎回90分では足りない。 更にもう一期学んでみたい>

 *「中山 紀子教授(国際文化学科)  ・・トルコが専門?
 
 ・トルコ人は豚を食べない。イノシシも食べない。
 ・トルコ人はドイツに移民多い。 ソーセージを食べる。 その時ドイツのヒツジという。
  イノシシのことは山ヒツジという。という事は見・聞したことと影では別か?
 ・「けがれ」を問題にしている。 家畜と非家畜
 ・「反芻」(はんすう)する家畜と反芻しない家畜
  「蹄」(ひずめ)が割れている家畜(牛、ヤギ、ヒツジ、豚)と割れていない(馬、ラクダ) 「豚」は蹄は割れているが、反芻はしない。 中間にある=境界線にあるからダメ?
 ・説明過剰の壁、で理解できない。

 *「松本 仁一 朝日新聞社 編集委員
 
 ・読者の立場から見ている。 説明過剰といわれるのが楽しい。
 ・文化は環境によって決まる。 故に高低はない、優劣もない。生活の中で決まる。
 ・「文明」は進歩した文明と野蛮な文明がある。
  「文明」とはあるルールがあり、其れを守る。 守れる社会は文明社会、ルールを守  れないのは野蛮な文明。 文明=約束事=約束守れる社会
 ・文明社会は刃物を持たなくても歩ける社会=約束守れる社会
  文化は其れとは違う→だから”なぜ”と考える。

 *「小島 亮
 ・日本文化の代表→電車の中の痴漢(女性専用者は日本だけ)
 ・都合のよいところだけが文化と言っているのではないか。
  文化論に距離をおきたい。

 *「長島 信弘
 ・@衛生観念、A時間観念、B感情強要社会(してあげたい〜”ありがとう”と言われ     たいが日本の特徴。   ヨーロッパでは慈善団体は要求しない。

 *「河合 秀和
 ・日本に留学した韓国人の話
 ・日本人は親切な社会だと感じる。百貨店では頭を下げる、直ぐに「ありがとう」という
  3ヵ月後、その娘が母親に「ありがとう」と言った。母は水臭いと言った。
 ・日本の親切さは金儲けのため、韓国人母娘の間では情を崩す。

 「まとめ」に代えて
 
・日本文化の特徴は「受容能力」の高さ。 →適応能力、好奇心
 ・あんぱん→パンを教えられ、そこにアンをつめる
  カレーうどん→カレーにうどんにかける。 この受容能力、器用さ
 ・文化は比較できない。
 ・テレビの発展が地方文化を発展させる。
  EX、NHK朝の連続テレビドラマ「風のハルカ」は大分弁と大阪弁がなければ成立し  ない。    国民文化の中に隠されていた文化=方言が見直される。


 聞き漏らし、聞きそこない、聞き違いもあるかもしれない。 其れは話の展開が面白くて聞き入ってしまった時に発生している。(文責 は私、加藤です)
 ・なお、司会は国際関係学科の「高 英求教授でした。
               

 追伸  文中に「異文化」と「他文化」と使い分けています。
 中部大学国際関係学部国際文化学科が「異文化」を「他文化」に変更した理由 が長島教授の印刷物の中にありますので、紹介します。

 理由@ どちらも基本的には「自文化」との対比において用いられているものの、「異文化」は「違い」を前提にしているのに対し、「他文化」は「似ていること」も含みうるのでより一般性があるから。
 理由A 英語圏人類学において”Other Culture"という表現はしばしば用いられるが、違いを強調する時は”Cultural difference"という表現になる.
”Different Culture"という表現は希であるから。





                       平成17年11月6日 記 掲載

 中部大学国際関係学部シンポジウム
   ”文化の壁をよじ登る” 11月5日、
            三浦幸平メモリアルホール

 留学生が語るパネル討論「日本という他文化」

 国際文化学科の渋谷 鎮明教授の司会によって始まった。
 @日本に来て驚いたこと。
 
趙さん (中国)・男)
 ・「桜」のイメージできた。 来日1月で桜なし。 3月末「花見」に参加。 50代の男の  人、「日本の国の花は桜という」、菊ではなかったか。50代のの男性で・・・
 ・女性は着物姿と思っていたが、ほとんど見ない。
 ・アパート暮らし、大家さん優しい、頂き物多し。 あるとき、言われた「いらないもの、  余分なののをくれるのだから、心配するな」と言われた。

 金さん (中国・男)
 ・イラクで橋田記者が殺された。 その奥さん人前ではいつも笑っている。強い日本人
 ・電車では多くの人が新聞、雑誌、漫画を呼んでいる。 あるオジサンの読んでいたも のはHなものだった。

 塩野さん(日本人・女)
 ・答えて言う。イ、 「つまらないものです」と言って差し上げる。
          ロ、「権力に弱い。(上の人)に丸め込まれる。言う事を聞く国民性、小  泉自民党が圧倒的に勝ったのはブーム・熱情のため。

 A日本の大学、大学生をどう思うか?

 鄭さん(韓国・女)
 ・韓国は遊び、そして良く学ぶ。→生きている。 日本死んでいる。(中部大学)
   名古屋のある大学同じ。 東京のある大学少し違っていた。 生きている。
 ・韓国の大学は入学しにくく、出ぬくい。 

 ダカール(ネパール 男)
 ・入学難しく、卒業は50%

 チャンドラ (ネパール 男)
 ・社会に出て行く用意のときでもある。教室は100人しか入れないから、早く行く。

 福島 (日本・男)
 ・答えて→学問の場であると同時にエネルギー発散の場所。勉強プラススポーツ、芸 術の発散・発信の場でもある。
  
  B日本での文化交流行事は意味があるか?

 鄭さん
 ・意味ある。 知らない文化・習慣を知れる。
 ・各国にはそれぞれの常識と非常識がある。 中国内でも東北と上海の差別あり。
  「出身東北というと話し相手が少なくなる、以後上海出身という事にした」
 
 チャンベラ
 ・祭りに参加は日本の文化を学ぶ良い機会となった。 私の学んだ文化、日本の文化  はどうかという自分の意見を報告する必要がある。
 ・差別という事ではなく、知っている国や地域の事に関心が持て、親しみが湧く。
 
 金さん
 ・必要だが、華道と茶道ばかりで疲れた。
 
 福島さん
 ・この大学に来て各国との文化交流が出来た。 上からの押し付けでなく、自発性に  基づく事が大切、自分の興味のあることから入ればよい。

 C日本(日本人)の宗教観をどのように思うか?
 
 
鄭さん(家庭の中で独りだけキリスト信者、家族は儒教系)
 ・日本は多神教、自然(山、川、海、木、石)系への信仰が深い。
 
 ダカール
 ・寺を見たとき変わらないと思ったが、あらゆる所での祈りで手を合わす。不思議
 
 塩野さん
 ・宗教の事が出たから「靖国神社」の事に触れないわけには行かないと発言。
  侵略戦争ではないといった軍人が祀られている。アジアの人が納得できるか。
  ドイツ首相メンケルがヒットラーの墓に祈るのと同じ。
  日本がドイツに学ぶべき事。 @ 「ホロコースト」のモニュメントを建設した
                     A 空襲を受けたドイツの教会の再建にヨーロッパ中   の資金が集められた。 この動きを日本がしたとき、近隣諸国からの反応は?
 <この発言の時、会場が少し静まった>

 D 日本(人)は豊かと思うか? (幸せか)
 
趙さん
 ・物質的には豊かであるが、精神的な豊かさを求めるべきではないか。
  下宿の学生が正月に両親に居る実家に帰らない。親がいるから頑張れるのでない   か。
 チャンドラさん
 ・物資面が進みすぎると、心が小さくなる。
 ・精神的におかしくなっているのでは、親殺し、子殺し、兄弟殺し、
 ・豊かさが失うもの、中国、韓国においても発展とともにみられることになるのでは・・

 金さん
 ・豊かではあるが、幸せとは思えない。
 ・時間的余裕が無い。 結婚も出来ない。 子供の寝顔しか見られない父親なんて・・

 ダカールさん
 ・何を基準にして豊かというのか。物理的なものを基準、幸せ?
  ”人間生きてゆければ幸せ”

 鄭さん
 ・日本はゆたかであるが、其れは国家的な豊かさ。
 ・日本人としては豊かでない。 生活の豊かさが無い。
 ・韓国は家庭中心、日本は会社・社会が先で、次に家庭

 福島さん
 ・経済は回復しているというが、自殺者は減っていない現実。
 ・
 
 という内容で約1時間が終了した。 
 特別な事を聞いたわけではないが、素直な意見を聞かせてもらったように思った。
 また、出身のお国の事情も所々感じられた。
 司会の渋谷教授は歯切れも良く、テンポが良かった。 韓国専攻の教授で前期一度だけ受講した、後期は他の講義とダブリ来年受講する予定で居る。 楽しみだ。





  平成 17年10月8日 掲載

  「地域ホームページ100ヶ所達成記念講演」
 “ユーザーからみたインターネット” 
       名古屋経済大学短期部講師 末岡 仁


一六社 「地域ホームページ100ヶ所達成記念講演」
 “ユーザーからみたインターネット” 
                名古屋経済大学短期部講師 末岡 仁

・ <2001年 IT基本法成立> 
“E-JAPAN戦略”スタート 2005年までに世界最先端のIT国家へ
 → 2004年 “U-JAPAN政策” キャッチアップからフロントランナーへ

・ <インター−ネットの起源と利用者動向>
インターネット・・ネットワークを相互に結びつけた巨大なネットワーク
    米国の軍事活用研究から商用利用へ
     90年代に爆発的に発展、 今日のインターネット社会へ
     理由 @商用へのオープン
        A wwwシステムの開発・・・情報・検索
        Bwindows‘95・・・・・・・パソコンに市民権
        Cjapa言語・・・・・・・・・・家電製品目的の言語
      
     日本の普及率(何年?)
        世帯浸透率  83%
        世帯普及率  55%
        グローバルバンド世帯普及率36%  世界21位の普及率
       ・携帯電話のみの利用者10代多かったが、高校で必須科目になり携帯以外もアップしている(2004年)
・     ・ブロードバンド化と共に生活スタイル変わる。 1日2時間以上 半数超
・      情報を得るテレビ60% 、インターネット25%(この率上がっている)

・<“U−JAPAN”ユビタニ・ジャパン>
      何処でも・いつでも・誰にでも使える
      社会の様々な課題がITによって解決される、2010のわが国の姿
     ユニバーサル・・人に優しい、世代・地域を越えて
     ユーザー中心・・利用者の視点に立って
     ユニーク・・・・個性的な発信が出来る、個人の活力がアップ、地域再生

・   2010に向けて取り組むもの
・    安全・安心な生活環境
・    介護・福祉
・    エネルギー分野 等々具体的な絵図で持って紹介された。
・  
・   最後に、5年前には考えられなかったスピードで今日まで来た、今後の5年間はそれ以上のスピードで進展するだろう




  平成 17年9月29日 掲載

 中部大学 シンポジュウム
 「国家の壁 歴史の溝をどう超克するか」
 呉 建民 中国外交学院院長先生の講演
      〜東アジア共同体の可能性〜

 中部大学 国際関係学部 人文学部 国際人間学研究所 シンポジュウム
 国家の壁 歴史の溝をどう超克するか
    −中国外交学院院長 呉 建民 先生をお迎えしてー

 呉 建民 先生の講演 「東アジア共同体の可能性」

@ 東アジアは今平和の時である。 変化と繁栄の前夜である。
・20世紀は戦争の時代であったが、1980年代以降は落ち着いている。
アメリカとイスラム、そしてテロ問題が存在するが、アジアは比較的平和な時。
・東アジアの今進んでいる方向は正しい。経済の発展は続く
 1975年〜2003年東アジアのGNPの成長率は8%、世界平均は3%
 まずは日本の役割が大きかった。 1960年代に入りアジア諸国(注・加藤・・韓国、台湾の事か)が加わり、70年代インドネシア、タイ、マレーシア、等が加わった。 1987年より開放政策の中国が活躍を始めた。
 東アジアの躍進なくして、中国の躍進は無かった。
・今後30年間、東アジアはグローバル経済の中で中心的な役割を果たす。
・東アジア関係はさらに進展する。 既に“東アジア共同体”の合意がなされ、協力メカニズムを作り出している。

A 世界情勢、地域情勢の関係から見て東アジアの交流は高まる。
・ グローバル化は如何なる国も避け得ない、今後も進展する。
・ 東アジアは1997年に金融危機に見舞われ、2兆ドルを失った。 EUのような共同体があったなら、これほどの被害は無かったろう。
・ 中日が東アジア共同体の中心的役割を果たす。
中日間には困難な状況にあるが今後解決される。
2国間で問題を解決できないならば、多国間での解決を図る事が必要。
たとえば・・1000年に200回も戦争を繰り返したフランスとドイツ
 1945年、第二次世界大戦後、再び戦火を交えないためにはどうしたらよいか? 2国間の平和条約は効果が無かったことにかんがみEUという多国家での解決に踏み出した。
 両者の必要とするもの(たとえば 鉄鋼、石炭)を共同経営とした。
・ 今後も中日は意見交換、交流促進をして一層発展する。

 <このあと、中部大学の4人の教授がパネラーとなり、呉 建民先生の「東アジア共同体の可能性」に対しての意見、見解が語られた。 其れに対して呉 建民先生が答えるという形式
で進められた。>
 その内容を要約します。
  Q−1 
・東アジアに対する姿勢には中日に温度差がある。
・日本にはアメリカの壁がある。(東アジア構想にはアメリカは反対している、あるいは懸念している。
・ アメリカはイラク問題、国内問題を抱え、世界から軍を引き上げたいと願っている。 そこで日本の戦略的役割を期待している
・ 東アジア共同体はアメリカと如何なる関係を結べばよいか。
A−1
・ アジア金融危機後アジアの国は変化している。 アメリカも態度を変化させた。
・ アメリカはAPECを排除しなければNOとは言わない。
・ アメリカの学者間の会議の中で中日関係の意見は
@ 中日関係が緊張すれば嬉しい、中国の躍進が止まる。
A 中日関係が緊張することに心配をしている。 日米関係に影響する。其れはアメリカのアジア関係に影響するからである。

 Q−2
・ 明るい東アジアの画を語ったが、暗い面も忘れてはならない。
・ 日本が急速に発展して、その日本がアジアに侵略していった過去がある。
・ 今年、広州から北京、そして上海へと反日行動が広がっていった。
・ 北京オリンピックで日本の旗が上がった時に若い中国人はどのように反応するのか。 学生の反日感情はどうして生まれたのか?今後も増大するのか?
・ 日本の学生は村山首相が謝った。 その後の首相も謝った。 小泉も謝った。後は何をすればよいのかとの声が上がっている。
・ 中国の政権はこのまま続くとは思えない。 何時、誰がどのような形で収拾するのか?
   A−2
・ 中国の歴史上で1931〜45年が最大の被害を受けた。 3000万人の死者というのは中国の一つの家族に一人の犠牲者が居るという事。
・ 中国は日本人を殺す事は無かった、中国は日本を憎んでいる。
・ 日本は歴史を改ざんした。 南京事件はあったのか、無かったのか。
ホロコースト600万人、中国3000万人。 謝り続けた、疲れたというが、中国には「罪を許す」という精神がある。 日本の一部の右翼が起こしたことだと国民に説明はしているが、その右翼(戦争責任者)が祭られている靖国神社にゆき続ける、お参りに行く、思い出したくないが中国はドイツと比べる。
・ これらのことから中国人の日本に対する“憎しみ”は深いのだ。
・ 歴史認識の違い。
当初300万人の死者が3000万人になった。 南京事件の真相、死者の数は本当かどうかという問題は学術的な問題であって、その事実があったかどうか「其れは是か否かの問題である。
 第二次世界大戦はファッシズム(イタリア、ドイツ、日本)に勝ったのだ。これが世界の絶対多数意見であり、これを否定するならばこれ以降の話し合いは無い。

Q−3
・ ギスギスした中日関係を東アジア共同体で解決するという提案に賛同する。
・ 東アジア貿易圏、経済圏はどのレベルを考えているのか。 また、この構想はどれほどの中期、長期のスパンを考えているのか?

A−3
・ 共同体は長いスパンで考えている。 大切なことは共通の利益をどうするかである。 互いに協力することが可能なの事柄から始める事。
・ STEP BY STEPで、簡単な事から難しい事へと進めればよいと考えている。
・ 東アジア共同体を作ってゆく中で決してしてはならないこと。
@ 中国、日本が主導権争いをしない事。(独・仏を学ぶ)
A アメリカの利権に反さない事。日米関係は深い。中米経済関係も深い。
B ASEANを前面に立てる。 アジア共同体はアセアンが最初にあった。

活字にしてしまえばこれだけのことであるが(加藤が聞き取れた事はこれだけと言ったほうが正しい)、学者同士(と言っても 呉 建民先生は第一線の現役外交官であり、「博覧会国際事務局議長」でもある)の意見交換という枠を踏み出した、率直なやり取りであった。 とりわけ、“中国の憎しみは深いのだ」というところでは、穏健なイメージの先生の顔が紅潮していました。

 又、最後に「東アジア共同体」実現の思いには“信念”を持って取り組んでいる。 この“信念”が私を突き動かしていると言い切った言葉と表情に行動の人という印象を持ちました。

 なお、中部大学学長が呉先生を紹介した時に、「呉先生は今年起こった中国の反日運動の学生に向かい、この行動はやめるべきだ」と訴えていたテレビ画面を見たと言っておられましたことをつけ加えます。
    
                          平成17年9月1日 記

 ”森へもどろう〜生まれかわろう” 内山 節 講演
〜「森林と市民を結ぶ全国の集いINあいち」より〜

 
 レジメにこんな事が書いてありました。
 『私が東京と群馬県の山村、上野村との二重生活をするようになって、35年がたちました。 村には家と畑と裏山、村人の支えが一体となった暮らしがあります。
 その暮らしの奥には、太古から自然と人間の歴史が見えています。
 人間達は自然からはなれたとき「人間とは何か」を教えてくれる「装置」を失ったような気がします。 かっての人々は、森の木の一生と人間の一生を見比べながら、「人間とは何か」を考えていました。
 自然の生き物達の満ち足りた日々の様子をみながら、自分の人生に満ち足りることが出来なくなった人間とは何かを考えていました。
 いまわたしたちは人間とは何かを掴みなおさねばならない時代を迎えて、だからこそ自然や森とともに暮らす世界を取り戻そうとしているように、私には感じられます。』

 1、木の自由について −動けないものたちの自由を考えながら
 動くことのない生物は不自由な生活をしているのではなく、動けないからこそ虫や小鳥に来てもらえる何かを持つ。 動く生き物は動きすぎ。
 森を通して人間とは何か、社会とは何か、如何に生きてゆくかを教えてくれる。

 2、日本の伝統思想と「自然」−「おのずから」の世界に帰ろうとする意味を考えなが    ら
 ・ヨーロッパの森の人々と、日本の森の人々の生き方
  「自然」と言う語は外来語として明治30年ごろ登場した。
  近代になり自然から脱してゆく事を選んだ人間。 自然を征服し、活用する対象とし  た。 それ以降、産業文明の発展により物の豊かさは実現した。それを感じ甘受しな  がらつ今一度考え直そうとしている時代となった。
 
 ・日本人は「自然」と書いて「じねん」と読み=おのずから=自ら展開してゆくと解した  自然界の事を指しているだけでなく、人間もジネン=おのずからととらえた。
  おのずからの世界=自然界の世界=人間の世界であり、自然界と人間の区分がな  く、双方とも「おにずから」という。
   夢・希望としておのずからの生活に帰ってゆきたい、人間が自らだけでは満足で   きず、自然の世界を理想視したから、人間を遺脱してゆく。
  
 ・上野村の4月=芽吹きの頃、「何も困る事はない・ここにいれば大丈夫」と言う気に   なる。
  秋になると白菜、大根、に始まり、マキ作りの備蓄が行われる。 充分なマキ作りが  成されないと昔からのあり方を裏切ったと言う心情になる。
  春の山菜が芽吹く時の安心感、秋・冬の準備が不十分な時の罪悪感を感じるのは  何か。 これこそ自然の生き方ではないのか。

 3、森を使いながら、森と共に生きるー山林利用の歴史をみながら
  
  ・日本は森の文化、木の文化の国と言われるが慎重に考えるべきだ
   上野村では森と木の文化は繋がっている。
   大黒柱のケヤキは100〜300年の柱として切られ、活用される。 その時、100〜   300年後に大黒柱となる木の選定がなされる。

   では、都市社会はどうか
   入手しやすいもの(手っ取り早く手に入るから)で家を作ったのではないか。
   奈良や大津の周辺を見ていると森を意識していたのか疑われる。 収奪しただけ   ではないのか。 都市文明は森に対して敵対的ではなかったか。
   木を使うことは森の文化に対する関心が薄かったのではないか。
   都市においては戦後、木以外の手っ取り早く入手できるものに移っていった。
   木を材料として使っただけで、森の文化→木の文化→生活文化との関連が薄い。
   都市は森は酸素を固定すると言う都市機能維持の観点から森をみていないか。
   都市は家を作る材料として森を見る、自分の都合で森をみていないか。

 4、森林と都市の歴史についてー「森林ボランテイア」がはじめたもの
   
   農山村文明と都市文明が共存する社会が日本
   EX  江戸期の日本
    城下町ー神と儒教論理社会ー
    農山村ー神仏混合社会 ー
    人間のむなしさを感じる人々、自然の世界に生きる人々。この2つの社会の溝     は深かった。

   現在森林ボランテイアで活躍している人たちは20万人と言われている。 都市住    民が森の文化の中に生き方を求めた、関心を持ったのは日本の歴史の中で初め   てではないかと思う。 歴史の転換期にあることを教える。
   これは色々な可能性を秘めていると思う。

 5、森林の価値を再発見する時代を迎えてー森林の価値を高める人間の行動を作る
   
   百姓は自然、森を相手にした多職の民であった。
   百姓とは農業活動をしている人のことではなく。 一つの職種で30万円稼ぎ、10の   職種を以って年間300万円の生活費を稼ぐ人。
   一つの事に集中して取り組むのでないので、一面的でなく総合的な判断が出来る   。 一人の人間が総合的・創造的視点を持っている。

  現代は多職の百姓の生活は出来ないが総合的な視点を持って生きるために、多職
  の視点、判断力を持つために森林ボランテイア活動をしているのではないか。
  「多職の民」にもどってゆく。田、畑、山に入り何かを回復してゆく、それを通じて自然  の世界をつかみ直す。 カタヨリからの回復。

 6、伝統的な森と人との関係から学ぶー森の「機能的有効性」論を超えるもの
   
   日本には「自ら」はオノズカラとも読むし、自ら(ミズカラ)とも読む。そこには区分が    なかった。 日本では双方が同じ。
   欧米は「おのずから」とはいつの間にか、自然にと解し、
       「自分から」とは主体的に意思を持っている事を意味する。
    人間が一方的に生きる。世界をどのようにとらえ、自らの意思で生き方を決める    のが欧米流の考え方。
 
 6、まとめに代えてー「人間とは何か」を問い直す時代を迎えて
  
  自然と言っても欧米と日本では大いに異なる。
  欧米の森は黄緑色でスッキリした森として表現されるが、日本の森は黒緑、ジャン   グル、うるさい=蝉の声とのイメージ。 気温、雨量の違いから森の形態が異なる。
  それは同時に考え方にも影響してくる。
  「天変地異」に対し、天の怒りともとらえる発想は欧米人にはない。
  日本人は自然は地震、津波、火山噴火など暴力的なものと受け止める反面、自然   とはありがたいもの、なくてはならないものとして双方を受け入れている。
  その双方を受け入れる生き方は”折り合い”をつけながらの生き方となる。
  百姓仕事は「草との折り合い」を如何つけるかが基本。 退治するとなると除草剤を  撒く事になる。

  日常の会話「私は良く分からないが・・」と前置きして「でも、こんな風に考えていま   す」と発言するが、これは欧米人には分からないどころか、「分からないなら黙って   いろ」と言う発想になる。
   このことは、事の本質に迫り、突き詰めはしますが”あるところで折り合いをつけ   る”という自然から学んだ生き方なのである。

 追記
  講演を聴いて7日目である。 1週間経過すれば話の7〜8割は記憶になくなるといわれるが、本当に実感します。 メモはしてあるのですが生来の悪筆で自分でも読めない字が頻繁にあります。
 よって、この講演録はかなり私流の解釈で書かれていることを申しあげます。

  ところで、大半の方がバブル崩壊後数度の悪あがきを越して、旧来の発想や行動基準ではやっていけないことを痛切に感じ、ではどのように考え、生活していったらよいのかと思いつつも安易な日々の生活にながされてしまっている。 
 誰がこんなにしたのか、誰が悪いのかと追求しても「私です」と名乗り出る権力者もリーダー(政治家、官僚、財界、学会、教育界等)もいません。 威勢の良い発言・公約は聞かせてもらっても、不安・不信・不満か消える事がありません。 ここは人頼りをやめて自らの意思で決断し、勇気を持って行動に移してゆくしか解決の道はなさそうです。
 
 ニッチもサッチも行かないところに至らなければ人間は真剣に考え、行動をとらないなんて言われるのは悔しいではないですか。
 20万人とも言われる森林ボランテイアの活動者は迷い、迷い、悩みながらも何かをつかんでおられるような気がします。
 私もアチコチに首を突っ込みああでもない、こうでもないと時間を過ごしています。
 この行為がいつか、何かの役に立ってくるのではないかと思っています。
 今のところ、間違いないのは健康に良い事です。 最後の勝負は「ピンピンコロり」です。 こればかりはまさに神のみ知るところですが、”ピンコロ”を目指す姿勢は堅持してゆきたいと思っています。   




NO.617                                   平成16年11月29日

「あなたは勝ち組?それとも負け組?
   競争社会で失ったもの、取り戻したいもの」
 〜第35回 愛知消費者大会
  神戸大学院 二宮厚美教授〜

 

11月27日、久しぶりに講演会に参加した。 この日の午前中も「雪印食品偽装牛肉告発」をされた「西宮冷蔵」の水谷社長の講演会があった。
  ここでは、二宮教授の講演内容を掲載することにします。
『・日本社会の現状
  「二方向に対立した暴力関係にある。(上と下、強いと弱いなど)
  社会が暴力関係になると人々は分断され、競争・闘う社会となる。 分裂した暴力社会の中では「詐欺商法」なども発生する。

・ なぜこのような社会となったのか。その背景と加速化の要因
小泉内閣の構造改革による。この基の青写真は1990年代の半ばに財界が描いたものである。
 財界の戦略、新しい青写真のキーワードは「国内高コスト構造の是正」である。
 財界「経団連」の奥田会長の言葉によると「今着ている服はダブダブである。身体の格好が変わったのであるから、着る服を替えねばならない。政治も、経済も、教育も・・・」 その具体的なことは以下の事である。

・「Made in Japan」⇒「Made by Japan」
国内で生産して輸出していたものを、日本人(企業)によって造られたものを輸出する。 すなわち産地は問わない。 多国籍企業になるという事。
  結果、現在の日本の国内GDPは500兆円、海外生産は10年かけて150兆となった。
   この150兆円は英国経済と同じ数値である。
   その海外生産地の一つである、中国深釧は1980年の開放経済前は人口1000人の農村であったが、10年前には人口10万人となり、2004年では600万人となった。
   その結果、日本国内での競争は激しくなった。 何が起こったか(財界の戦略)
 
@ 国内の人件費コストは高すぎる。人件費の削減。⇒正社員はとらない。⇒パートタイマー・アルバイターの採用(正社員年収417万円、フリーター等200万円)
 ⇒就職競争社会⇒中流意識の崩壊
A 税金コストが高すぎる。⇒ 法人税の減税。
法人税の最高税率43%が現在基本税率は30%となった。
県税である法人事業税を2004年4月より外形標準税率(利益に税を課すのでなく、資本金や人件費に)を導入し、法人税を下げる事になった。
 経済用語で言うと「弱小企業は市場からお引取り願う」と優しく言っていることに等しい。
B 社会保険料の法人拠出金の逓減策
  国民年金と厚生年金の二階建て分離策。 国民年金は消費税でと言っている。

「護送船団方式」=弱い者の体力・スピードに合わせて事を進めてゆくことの撤廃は教育の場に、あるいは市町村合併という政策となって進められている。
 憲法に基づく平等主義の撤廃と格差容認主義の宣伝がなされているが、憲法25条「日本人たるものはすべからく健康で、文化的な最低限度の生活を保障する」と謳われている、現憲法を重視しなければならない。
 「人権が予算を指導し、支配する」国の財政であらねばならない。』


〜ある程度は主義・主張に基づく政治的な講演内容であることは予測していたが、最後は時間の迫ったこともあり、結論を急いでおられた。
 また、ここに掲載した内容は私が聞き取ったものであり、講演者の真意を十分に理解せず、意訳したものがありますことをお断りします。

 さて、聞き終わっての感想は対立した関係の一つの極からみると、時代を・社会をそのように分析、解説できるのかというものでした。 その意味において大変勉強になった。 が、聞き終わり質問の時間があったのに誰も手を上げないので、以下の質問をした。
Q)グローバルな競争時代、政官財の癒着状況、国家財政の破綻の中にあって、如何なる国家観、価値観で新たな社会構造、産業構造を構築してゆくのか?

A) 二つの側面から答えられた。
@ 質と量の国内消費を豊かにする持続可能な社会。
    それは地域社会を豊かにする事。 
A 万人の生活に当てはまる福祉=Well-being社会づくり
従来のWell-care(福祉)とは概念が異なる。
人間の持つ潜在能力(歩く、走る、描く、考える、等)を発揮、発展させ、結合し生活の質を豊かにする。
 物や所得の豊かさにあることを福祉とは言わない。

これまた以上の2点にまとめた内容は私の意訳による。 限られた時間の中での急いだお答えであったが、更にその内容を伺い、その社会に向かう道筋についても知りたいものだと思いました。 




NO.561
                                               平成16年7月15日

大相撲名古屋場所観戦記
 〜この一番に声援をおくりました。〜

 最高気温が36度と予想された7月14日、大相撲名古屋場所11日目に行ってきました。 大曽根から地下鉄名城線に乗り換えれば近いものを、金山駅から市役所までと言うコースになりました。
 名古屋城の東門から愛知県体育館に続く道は午後の2時と言うのに人の波が続きます。
 高さ4〜5メートルの旧城址跡の石垣に囲まれて、高さ約10メートルの櫓太鼓の塔を見上げました。
 色鮮やかに各相撲部屋や人気力士の旗が生ぬるい風にはためいています。
 記念写真をとカメラを手にしましたが、なんと電池切れではありませんか。

 大相撲どころか愛知県体育館に入るのも初めての事です。
 茶店と入り口を間違えるところでした。 
 案内された西側12−7は桝席の最後席で2人用です。  砂被りと言う土俵近くから離れる事30メートルでしょうか。 その間に4人用の桝席が10〜11あります。
 東西の幅は正面と向正面(南北)の長さより枡席で4席狭くなっています。
 土俵上は三段目の後半の取り組みがおこなわれていましたが、館内の様子をまず把握することが最初でした。
 アチコチをキョロキョロ見回し、双眼鏡で確認して10〜15分ほどで全体の関係・配置がわかりました。
 いつもテレビで見ている解説者の席、向正面の解説者の位置、東西から力士が入場してくる入場通路、その他テレビカメラの配置等です。 そしていつもテレビに映る綺麗どころのアネ様の位置など・・
 持参の双眼鏡の威力はありました。 野球場と違い肉眼でも十分に土俵上のことは分かるのですが、審判、行司、呼び出しの表情をクッキリと見る事ができました。

 2時35分ごろ十枚目(十両とは言わないのですね)の土俵入りです。ここからは呼び出しも加わり、四股もふまれ、塩撒きもあり大相撲らしくなってきます。
 同時に力士の体格も一段と大きくなってくるのを感じました。
 観客席からの声援の数も増えてきます。 甲高い子供の声は可愛らしく、時折場内を湧かすこともありました。
 突然東の桝席後方のところから、ひいき力士の名を立ち上がって叫ぶ方がいます。
 となりの奥さんらしい方が上着の裾を引っ張って座らせようとしていますが、そんなことでは止りそうも無い勢いです。 隣近所の桝席の方のみならず、反対の席からも注目です。 こんなところがテレビ観戦とは一味もふた味も異なるところでしょう。

 人気力士、地元の力士には大きな声援が続きます。 
 懸賞が10本ついた人気力士高見盛の登場です。 場内一斉に歓声が湧き上がります。観客と土俵上の力士が一体となって、ため息混ざりで懸賞の垂れ幕が土俵を一周します。
 あア〜危ないという悲鳴に近い声の後に、危なっかしい取り口で高見盛が勝ちました。
 拍手と笑いでいっぱいです。 
 隣の席に座った二人連れの方が「出身地が同じの霜鳥の応援にきました」と席に座るなり話しかけてきていましたが、霜鳥登場と共に声援を送り始めました。
 快勝でした。 地元の方のみに分かる言葉で一声発していました。
 どんなに湧いた対戦も次の力士が登場してしまえば、場面は変わっていきます。

ビールに持参のウイスキーが程よく回って来ておりましたので、ここらで毎朝拝礼の時、大声を出している事の試しをしたくなってきました。
 私は今場所8日目横綱朝青龍に勝ったと判断した、幕内力士の現役最年長の琴ノ若に的を絞りました。
 掛け声は「横綱に勝っておったぞ!」でした。快勝でした。
 最後は結びの一番朝青龍と栃東の一番です。
 今場所4連覇を狙う朝青龍が有利なのは分かっています。 今場所10勝あげれば大関に再昇進できるところまであと2勝のところに来ている栃東です。

 数番前からこの取り組みになった時、どんな声援を送ろうかと考えていました。
 ただ声援を送るのでなく、どんなタイミングが良いのかも考えましたが、呼び出しの声と共に上がる歓声の中、私まで引きずり込まれそうになります。
 懸賞金は17〜8本が土俵をまわります。 その数の多さに更にボルテージが上がった歓声になってゆきます。
 仕切りは4から5回目(?)に入っています。 その間絶え間なく東西、正面、向正面から両者の名が呼ばれています。
 その中の一瞬の静寂をついて「大関 栃東!」「玉ノ井の華 栃東」と声を掛けました。

 最後の仕切りに入りました、私の声援を聞いていた隣の席の方が一緒にやりましょうかと声をかけてきました。
 朝青龍はいつものごとく、険しい顔して横褌を叩き、タオルでゴシゴシと顔を拭き、再び土俵の中央へ、一方栃東は気負う感じもなく淡々としています。
両者蹲踞(そんきょ)し向かい合いました。 
其の時「1,2、3で栃東〜。栃東〜」と掛け声です。
 場内はワ〜ワ〜の歓声です。 両手がつかれたその一瞬場内はシ〜ンとしたように感じた、其の時、私の口から「イケ〜」と発したように思ったのですが・・・・
 栃東の左からのおっつけは強烈であり、横綱は回しが取れない、右に回ったところで栃東の強烈なこれ又右からのおっつけに朝青龍の身体が浮き上がったように見えた。
 次の瞬間、横綱は土俵に手をついていた。
 座布団が飛ぶ、飛ぶ。呼び出しさんが数人で土俵上のザブトンを取り除いても、次から次である。 
土俵までは到底届かないところの桝席からも飛ばしている。 わたし耳に「これを一度やってみたかった」という、おばさんの声が聞こえてもきました。
 勝ち名乗りを上げた栃東の姿はトウになく、弓取り式も最後の所作に入っていると言うのに、座布団はまだ飛んでいた。

 隣の席の方が拍手を求めてきた。 記念写真といってその方の奥さんも混じって撮り終えたとき、数枡離れたところから、3人のおばさんも手を出してくる。「おじさんの掛け声で栃東が勝った。」と言って・・・
 いす席に座っていた、オーストラリアから観光に来ていた若者3人が何事かと興味ありげな笑顔を送って私達を見ている。
 気分良くして、出任せの英語で話しかけた。 
「これが相撲である。 朝青龍はチャンピオン、栃東は成績がダウンしている。
 そこで私は気を送った」と言うと、その“気”とは何かと首をすくめた。
 正しくは無いが「ファイテング・スピリット」と応えると、分かったと右手の親指をたてて応えてくれた。
 
 先ほどまでの興奮が収まりきれず、通路を歩きながらもまだ一戦が語られている。
「今日は来てよかった。 最高の一戦を見る事ができた。」
 外に出れば、帰りのお相撲さんを一目見ようとタクシー待機場にはイッパイの人だかり、
櫓の上で太鼓がポポンポンポン・ポポンポンポンと軽やかに西日を受けてうちならされていました。
  初めての大相撲観戦、大声での声援。 満足の一戦であった。 
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