藤原事務所 「ひなた夏祭り」にて
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| 平成18年1月20日 記 |
恒例 春日井新春経済講演会 1月19日
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| 「2006 どうなる日本経済」 〜日本を再生する“マグネット国家論”〜 「報道 2001」メーン・キャスター 黒岩 祐治 ・「どうなる発想」は好きでない→他人事みたい「観客民主主義」みたいだ。 ・民主主義はみんながプレーヤー、グランドにいる。「どうするのだ発想」がすき。 ・「ホリエモン」は高い授業料であった。 妥協の業務提携→通信と放送の融合 →ホリエモンがフジテレビに出たことくらいが変化→また、出られなくなったが・・ ・「どうなる日本」前段 〜“中西医統合医療”(中国と西洋医療)について〜 ・私の体験談から@腰痛もちであったが「カイロプラテイック」で全快。 A激痛に悩まされていた。強い薬飲む→胃痛となる→指圧師、ストレスが原因と診断、その後回復。 B父親肝臓ガンと診断→抗がん剤の副作用で衰弱→中国人に統合医療を進められる→現在、元気回復、ステーキを食べるまでになった。 ・その哲学の一つは未了を直すことが大切。 西洋医療は現象が出てから、医者の言葉「もう少し、様子を見てみましょう」 ・父親は漢方薬が届くまでの時間、「長いも」を食べよといわれた。 生薬の中の山薬=長芋は乾燥させてスライスすると漢方薬、生を蒸して食べれば「医食同源」 ・今後高齢化ますます進み医療費が高騰する、診療報酬の削減と保険代のアップだけでは根本解決にならない、予防重視が大切。中西医統合医療に注目したい。 ・「どうなる日本」後段 =“マグネット国家論“〜 ・1992年にスタートした「報道 2001」は、登場する方々に“国家ビジョン”を尋ねてきたが、答えはなかなかもらえない。 逆に、キャスターに逆質問してくる政治家もいた。 そこで私も考えた。それが「日本を再生する“マグネット国家論”として刊行した。 ・平成3年当時、救急医療のできる救急車を提言していた(医師会からは猛反対)、それが救急救命士として実を結んだ。 同じころ看護婦の不足問題が課題であった。看護婦の3K(キツイ、キタナイ、キケン)どころか、8K(結婚できない、化粧のりが悪い、等々) ・そのとき人集めしなくても良い病院があった→マグネット病院(良い看護婦が集まる→良い看護ができる→さらに良い看護婦が集まる) ・「マグネネット」という言葉がキーワードになって、発想が広がり、日本がマグネット国家になるためにはどうすべきかと考えた。 ・当時、中国での反日の動きを分析していた。→中国政府が反日教育をしているからだ。との一つの結論もあった。 そのとき中国人の友人に会った。 そして、彼はいった。 @ 反日教育は昔からあった、が、僕たちは戦後ゼロから立ち上がった日本にあこがれていた→留学をした。 今の若い中国人にはその感情が無い。今の日本人の誇り、パワーに尊敬の念を抱いていない。 A バブル崩壊後の日本は元気が無く、ショボクレテいる。(1992年から7年間米国にいたが、韓国人、中国人、日本人を見分けるのは、下を向いてショボクレタ歩き方をしているのが、日本人だといわれた) B 日本人はアメリカの子分か。 C 日本に留学し、帰国した者は日本のことをよく言わない。日本の会社に就職しても高い職階に就いたものがいない。 自由と民主主義のアメリカン・ドリームに憧れてアメリカ、アメリカである。アメリカはマグネット国家である。 が、9.11同時多発テロ事件後は変わったが・・・ D日本の社会は受け入れてくれない。嫌いになって帰る。(日本の言葉ができ、住んだこともある人たちが)、アメリカに駐在した日本の家族、奥さんと息子は帰りたがらない。 ・優秀な頭脳流失も問題→青色ダイオードの中村教授。 入ってくる頭脳が無い。 ・現在受けに入っているのは日本のアニメぐらいか。 ・観光→日本の受け入れ観光客670〜680万人、フランス7700万人、フランスというとイメージが広がる。エッフェル塔、公園、宮殿、自然、文化、伝統、等々 ・日本にもそれらのものは全てある。が、京都の駅に降りたとき古都京都が見えない。 建設時に古都京都の発想があったのだろうか。 外側(観光客)の視点があったのだろうか。 今から30年前の京都には調和があった。外の目からみる大切さ。 ・その京都の変遷を見ていた人がいた。 熊本県、黒川温泉のプロセス ・古い湯治場〜社員旅行で潤う〜人びとの興味が変わる〜客が減る。 ・その時、地元の人は言っていた。政府が悪い、もっと景気対策をすべきだと気勢を上げる→気勢があり、文句が出ていた間はまだしも、その元気もなくなった。→世代交代期だった→危機感を持った。 ・「再生の共通点」は本物の危機感。その前は「他人の性症候群」 ・例えば、日産自動車の例、就任したゴーン社長聞いて回った。各部署が他部署の悪口。 ・フジテレビ、1980年代視聴率最低。当時の鹿内社長の就任時の言葉「酒場でフジテレビの悪口をいうヤツは首にする」 ・当時、黒川温泉で1軒だけ客が絶えない宿があった。「シンメイ館」コダワリの後藤テツヤさん(この人が京都の変遷を見ていた人) ・後藤さんのコダワリ、「温泉にとって一番は風呂だ」といって、岩を3年掛りでくり貫き、露天風呂を作っていた。 他の旅館はライバルで繁盛の秘訣を聞きに行けなかった。 ・ある旅館に婿養子が来た=若旦那(ワカモノ、バカモノ、ヨソモノ)→彼は後藤さんを訪ねた。教えられたことは「客は町から来る」、「町の人の目になれ」町の人は通勤電車に何時間も費やし、疲れ、苛立ち、ストレスの塊だ。黒川には自然しかない。非日常を提供すればよい。(これは東京デイズニー・ランドの発想と同じ、一度ランドの中に入れば、外界をシャット・アウトしてある) ・若旦那は露天風呂を作った。客が来るようになった。全員が後藤さんに学びにいった。 みんな露天風呂を作った。内2軒、露天風呂ができなかった。 近所の旅館がその2軒に露天風呂を提供した。 →全旅館共通の「入浴手形」を発行することになった。 →1986年は入浴手形の発行枚数は6000枚、現在は20万枚となった。 ・この間、外から眺めると黒川温泉の各旅館の看板が汚いことに気づいた。 婿養子が委員長になり、看板撤去の活動をし、今は統一看板となっている。 ・さて、後藤さんは京都の変遷をどのように見ていたのか。 ・その前に、「客は背中で語る」面と向かっては本当のことは言わない。 @ 人は感動した時のリアクションとして“ワアー”と声を上げる。 A写真を撮る場所は一番気に入ったところである。B道を歩く客の話に耳を傾けた。 ・最初、京都の日本庭園で“ワアー”という声を聞いた。 それが「竹やぶ」の前で、叫び、写真を撮っている。 本物自然志向に変化したと感じた。帰宅後、剪定された庭木に代えて、雑木に植え替えた。 ・大きなホテルは造らなかった。限られた客室数→予約取れない→さらに行きたくなる ・これと対照的なのが「鬼怒川温泉」「「熱海温泉」。ホテルの中に客を囲い込もうと、全ての機能を備え付けた。 客はカランコロンと下駄の音が聞きたいのではないだろうか。 旅に、温泉地に必要な風情を失ってしまったのではないだろうか。 最後に、何を持って磁力=マグネットとするか。黒川温泉はオンリー・ワン 不便を売り物にしているとさえ感じる。 着く前に期待が膨らむ。 新幹線・道路で便利になった長野県、四国の鳴戸・阿波、木更津はストロ―現象 ・地域再生は磁力を持つことです。 |
| COLUMN1ーD NO.418 より 平成17年12月22日 記 |
「野球の何が好きか」と問われたら何と答えます?
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| 今週で中部大学の講義が終了します。 昨日は「アフリカを知る」の最終講義に、「JICA(国際協力機構)中部の・提携促進チームのリーダー・友成 晋也さんがこられ、お話を聞かせていただきました。 彼は学生時代(高校〜大学)から野球が大好きでした。 大学の時は補欠にもなれずベンチに入れなかったということです。 卒業後、1996年から8年間、アフリカ・ガーナのJICA事務所に勤務され、ガーナ・ナショナルチームとの出会いがあり、その体験を通じて国際協力観が劇的に変わったお話を聞かせてくれました。 ナショナル・チームと書きましたがこの国には1チームしかありません。 ガーナからはキューバ(世界的に野球の強い国です)に技術研修に行ったメンバーが帰国後、野球チームを作って楽しんでいた。 友成さんにコーチをしてほしいと依頼があった。 土・日曜日が練習日となった。 <なを、この話は数年前、フジテレビが1998年から3年間バラエテイー番組「アンビリバブル」で取り上げられていたそうですから、視聴された方もいるかと思います> さて、色々と興味のあるお話が聴けたのですが、その中での最高のお話が、「野球の何が好きか?」と問われた少年が何と答えたかということです。 この後を直ぐに読まずに一度考えてみてください。 答え「バッター・ボックスが好き」と答え、其れはバッターボックスに居ると皆が応援してくれる、皆が注目してくれる。といったそうです。 また、このようにも答えたそうです。 「Baseball is democratic sport!」 野球は「民主的」なスポーツだ。 皆がヒーローになるチャンスが公平に来る。というのです。 彼らの父親は50%が失業している、だから子供達は学校にやれない。故に子も知識不足で就職できないという「貧しさの連鎖」が続いているという事です。 話は少しそれますが、その子の家を訪ねたら1家族は父母、祖母・祖父、兄弟にとどまらず親戚・知人まで同居していたとの事です。 失業率が50%なのでこうして共生社会の構成になっているとの事でした。 また、豊かな家庭は少子で高等教育を受ける事が出来ますが、貧しい家庭は乳児死亡率も高く、多産ということです。 友成さんは”スポーツの持つ可能性と恵まれない地域の子供達こそスポーツを”と帰国後も様々な活動をされておられます。 道具がなくても出来る「三角ベース」の普及プロジェクトやアフリカ野球の自立発展のための野球道具の生産をアフリカで産業化するということなどです。 最後に「アフリカの2ウエイ アプローチ」という事を語られました。 「開発」其れは「人権問題」と「環境問題」。 開発問題で見逃していけないのは「人間らしさ」という視点であると。そして人間の安全保障=人間が生きてゆくためには 「人間として生きてゆく権利」と「人間らしく生きてゆく権利」、 これが、2ウエイ・アプローチと。 以上のような素晴らしく・良い話を掲載した後に載せるのは気が引けるのですが、聴講生には提出義務はない、『「アフリカを知る」の講義を聴いて、新たに発見したことや感想を書きなさい』と宿題が出ておりましたので、教授にお礼の意味をこめて以下のような一文を提出しました。 アフリカを知る B 1、 氏名 加藤大喜 2、 学籍番号 YG05047 3、 「新たに発見したアフリカ」レポート A) アフリカはやはり大きな大陸である。 今春期と秋期、“アフリカを知る”を受講したが地理的にも、時間軸に換算してもほんの一部を撫ぜたに過ぎない。 正に「群盲象を撫でる」の如し。 愛・地球博のステージで単調な太鼓のリズムに乗って体全体で表現された力強いダンスから感じた感覚が思い出される。 其れも時間の経過とともに薄くなり、忘れ去られてしまうのだろうか。 B)サハラ砂漠以北のアフリカは、地中海に面した地をギリシャ(オリエント文明)、ローマ帝国、そしてイスラム勢力が通過し、拠点化した都市・国とは全くサハラ砂漠以南のアフリカは別ものであることを改めて感じた。 C)そのサハラ以南のアフリカはきっと外部の勢力が押し寄せてくるまでは、数知れない民族と言語からなる人々が穏やかな生活をしていた事だろう。 また、海の海路を中心として友好的な交流を通じ、豊かな文化が育まれていたことだろう。 西欧の膨張が押し寄せてきた時、殺戮と収奪によってその様相は一変する。 其れは売買の対象としての奴隷貿易の時代にとどまらず、先進国の利害・利権丸出しの政策が、アフリカ民族同士の対立と抗争にと尾を引いてゆく。 →余り意識せずに講義で使用された同じ番組を見ていたが、授業で取り上げられたことにより、その意味するところを考えさせられることとなった。 D)日本とアフリカの関係についても新たな発見をしました。 文明開化に続く「富国強兵」の下に、アフリカが研究され、地元豊橋の中村直吉なる人物の事も初めて知りました。 大恐慌前の大正10年には「からゆきさん」が存在したことも、日本商社の進出の事も今回初めて知ることになったことです。 E)「ジンバブエ遺跡」のことも発見でした。 「アフリカは人類のゆりかご」という単語は使っていたものの、実態は「暗黒の大陸」「未開の地」「奴隷の国」という言葉で教えられた事以上のことは知りませんでした。 ジンバブエ遺跡のことは驚きでした。 きっと、まだまだ知らない事、発見されていないアフリカが眠っていることなのではないかと思います。 既成概念でことを判断してしまう事の危険を教えられました。 ありがとうございました。 |
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