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コラム1−D NO123
                                               平成16年11月13日

「「振動=波動の世界」の波が再びくるか。
 〜波動の会に参加して〜


10数年前に一度“波動”という言葉が流行して、『波動の何々』という書籍が多く出版されました。 私もその頃興味を持って数冊の本を読みました。
 その中に江本勝会長率いる株式会社「I.H.M」(I=意識、H=波動、M=水)の「国際波動友の会」というのがありました。
 波動理論の研究およびその教育を基幹とし、会員相互が平和で健康的な生活に寄与する事を目的とした会でした。
 そこに波動インストラクターの資格制度がありましたので、平成8年に受講し認定をうけました。
 私はその21期生でしたが、多分30数期生までおり、定員の500名強になったところで、募集は終わったと思います。
 当時は全国に渡って1万名を越える会員とインストラクターが存在しましたが、その後1〜2年で、波動ブームは静まってゆきました。
 結果、全国各地にあったインストラクター支部も活動が下火となり、今ではほとんど活動が休止になっているようです。
 私の所属する東海支部はその後も細々と会の継続をしており、ほぼ3ヶ月に2度の割合で、名古屋・伏見にあるKインストラクターのマンションをお借りして意見交換をしています。

 ところが、1999年の6月に出版された「水からの伝言」という水の結晶写真集が大ヒットしました。 今では結晶写真掲載の出版物は10冊、その合計部数は60万部を越えています。
 しかも、「水からの伝言」の写真集は11月1日現在で海外出版は13カ国、今後数ヶ月のうちに20カ国を超えるという勢いです。
 言葉では伝えにくかった見えない世界の感情、思いが水に伝わり(振動=波動)、その水を凍らし、その結晶を写真に撮る事によって、水に転写された感情、思いが様々な姿になって目で認識できるようになった、その事により一気に反響を呼んだものと思えます。

 ここ1〜2年は日本よりも海外での注目度のほうが高く、発明し開発した研究者の江本会長は一年のうちの半分は海外の招待講演の日日と聞きます。
 昨年はドイツ圏を中心としたヨーロッパが多かったが、今年に入って5月に13ヵ所(セミナー参加者約5000名)で行われたアメリカでの講演に続き、9月には国連の中で関係者向けのプレゼンテーションも開催された。

 この講演と前後して、江本会長が撮影した「水の結晶写真」が挿入された映画が出来上がった。 その題名は「What The Bleep Do We Know!? 」(私たちは、一体全体何を知っているというの!?)
 私はまだ見ていないのでなんとも言えないが、この映画は現在、日本の各地で上映されている、龍村仁監督の「地球交響曲=ガイヤシンフォニー」同様に市民レベルによる地方の映画館か、集会場等での映写会を当初は予定していたようである。
 が、それがここにきて、大反響を呼び、一気に全国配給の状況になったと聞く。
 手元にあるこの映画についてのコメントを紹介しましょう。
 「この映画は、文化史上の画期的な出来事になる可能性をも秘めています。 フィルム製作者のこのような向こう見ずの大胆なテーマに挑戦した彼らの勇気はノーベル賞に値するものです」とあります。
日本では来年3月の公開と聞いています。

このような話を聞きながら思ったことですが、「水の結晶写真集」やこの映画に反応するアメリカ国民は変わりつつあるのではないだろうかということです。
いや、前からそれらの事に関心を持つ人々はいたのでしょうが、今回のアメリカ大統領選挙を通じても、大きく報道される事は「イラク攻撃の是非、正当性云々」が前面に出、私たちの目耳を取れえていましたが、リベラルな市民のレベルではこのところのアメリカのやり方、あり方に疑問を持っている人々が多いのではということです。

振り返ってわが国の事を考えたとき、「水の結晶写真集」はヒット(二十数万部?)したとは言うものの、各地で開催される江本会長の講演会への参加者は、伝え聞く海外と比較すると雲での差のようです。
日本の歴史、伝統、文化を省みると、日本こそもっと自然、水に関心を持ち、行動が発生しても良いと思うのですが・・・・
今回名古屋にこれらの情報とI.H.Mの今後の活動方針を説明に来てくれた社員の方によれば、来年の3月以降は再び10年前のような「波動ブーム」の波が押し寄せると期待し言っておられましたが、どうでしょうか?

誰しもあまりにも自分の近辺にあることには正しい認識ができず、かえって海外から逆輸入されたときに気づかされるということが今までも多くありました。
今回もそのような現象が起こるのでしょうか? 
たとえそうだとしても、先行き不透明で不安と不信そして不満の今の社会に一つの光が差し込まれ、その事によって反省し、行動が変化してゆくならば大歓迎です。
という、私自身が以上のような情報に接しながら、どう取れえ、考え、行動するのだろうかと自問しているところです。
追記
「波動友の会」、その会が取り扱っておる本・商品、あるいは「波動相談」などは、このホームページにリンクしています「HCC愛知 波動クリエイテイブセンター・愛知」に問い合わせください。

  
NO.
                                               平成16年9月1日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

  よろしくお願いします 

 NO570を持ちましてコラム(CLUMN)の項目別への掲載は中止とします。
 今まで、この項目別でお読みの方はコラムにアクセスください。

 コラム以外の内容については従前どおり、日付順と項目別にもにも掲載します。









NO.570
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 COLUMN 2−N
  NO41 平成16年7月9日 記
 【7月8日 朝刊より
     2組目・・・球界急転  新たな合併
       衝撃の発言   1リーグへ踏み込む プロ野球オーナー会議】

  『あまりに拙速な流れだ。前もってシナリオがあり、そのレールに乗って話が進められているように思えてならない。 ファンは不在。 選手もまた蚊帳の外。
 プロの野球が瀬戸際まで追い込まれている事は容易に想像がつく。 企業合併、企業吸収など、縮小に向かう世の中と無縁でいられなくなったのだろう。
 球団経営者たちが重い腰を上げざるをえない状況に追い込まれていたのだ。』

 〜「夢を売る世界」も、ゆきづまりの時がきた。
 いや、分かっていたことなのであるが、面子でここまで来たが、旧体制・旧組織運営ではどうしようも無いところまできてしまった。
 新聞報道などから判断して、登場してくるオーナーとか、実力者の発言から判断して、まだまだ混迷の度(低落度)は深まるのであろう。
 いくら勝負の世界とはいえ、観客が一番で、2番は現場の選手、と言う順番であろうに、企業(会社)が一番にきている。
一昔前に役割が終わったような小父さん達があたかも自分の持ち物のような顔をして、威張り腐った言い方でものを言っている。
「強いものが強い」、「勝ったものが全て」、俺があるからお前達も恩恵をこうむっているとでも言いたげな発言である。 
 そんな奴のチームを負かす事は実に気分のよい事であるが、それには一定の力・技が必要であり。 そのための仕組み、ルールが必要である。
 今のままの制度、仕組み(ドラフト、F・A制等)では足きりと同じである。
 弱い者から順番に消えて行き、「最後はだれもいなかった」ということになるのだということが分かっていない。
 
 今までの利権に固守し、新規参入に対して閉鎖的なこのプロ野球組織はファンから見放され、落ちぶれるまで根本的な手は打たないだろう。
 私のようなオールド・ファンは冷えたビールに枝豆・冷奴で気炎を上げ続けるのであろうが、新しい少年ファンがどこかに行ってしまう。

 夏の甲子園に向けて、地方選が始まる。 
麦わら帽子に、団扇、水筒を持って出掛ける事にしよう。
 トンネルエラーに、暴投、振り逃げ三振で2塁まで、ボテボテゴロが弾かれて、本塁突入幕切れも、プロの世界など関係なし、汗と泥に包まれた涙なしの彼らに拍手を送りたい。


 COLUMN 2−N
  NO42 平成16年7月12日 記
 【民主躍進 自民越す勢い  50台二大政党化鮮明
      不信と不満 民主に風  独走小泉流 待った】

 『第20回参院選は11日、投票がおこなわれ、全国一斉に開票された。
 自民は目標としていた51議席を割り、小泉純一郎首相は有権者の信任を得られなかった。 首相は続投を表明したが、政権基盤の弱体化は必至だ。
 民主党は昨秋の衆議院に続き、自民党を抜いて比例代表で第一党になり、当選数でも自民党を脅かす存在に躍り出た。 自民、民主両党による2大政党化が定着した。』

 〜私の期待としては物足りないものであったが、結果としては前進と思う。
 もっと、劇的な予測をしないわけでもなかったが、「したたかさとバランス感覚」の国民の判断としては予想範囲であった。
 多分、ではどんな期待をしていたのかとの問いがくる事でしょうから、先に言ってしまいましょう。 民主×自民 55〜60×45〜40でありました。
 そんな私の期待予測からすると、まだまだ民主への期待、信頼はいまひとつであり、離合集散の右から左の集まりの集団が、今後どのような意見集約を経て党運営がなされるのか、また政権獲得への道筋をつけられるのかを拝見しましょうと言う、“期待しても良いかどうかの様子見”の国民の審判であったと考えます。

 また、何度も書いていますが、次の衆議院選挙で民主党が更に議席をのばし政権を獲得し得るところまで行ったとしても、政治が・日本が劇的な変化をするとは考えていません。                 今までの(55年体制)の完全崩壊であり、政官業の癒着した旧利権政治の終焉というだけです。
 今までの政党・政治家はガラガラポンと再編成されることでしょう。
 と言って新たな集団(政党)もその時点では21世紀、新時代の方向性を示し、多くの国民に支持されうる政党とは成りえないではないかと考えます。 なぜならば、今までの歪さの修正にすぎないからです。
 同時に、国家財政の完全行き詰まりはどうしようもないところにあり、その解決策としてのハイパーインフレの発生を持って債権債務を一度チャラにするということになるのではないでしょうか。
 
そこからが始まりです。 多分、国民の多種多様な各層の中から、様々な価値観、生き方の取り組みがなされ、試行錯誤の末に小さな成功例が出てくる事でしょう。(既にそれを予測して、いや予測しないまでも旧来のやり方の行き詰まりや価値観に疑問を持って、新たな取り組みが始まっています。 その一端は目に見える形になってきているものがあります)
 それがヨコに連携し、更に輪が広がってネットワークが出来てゆくのではないでしょうか。 その輪・ネットワークがひとつの緩やかな連携を持った集団を形成してゆく事になるのではないではないかと予測・予感しています。

 バブル崩壊を世界で一番初めに体験し、21世紀以降の新たな国家目標や価値観を模索している日本、集団、個人が、日本の歴史・伝統・文化・宗教に目覚め、ひとつのモデルを世界に提示する役割を果たす事になるのではないでしょうか。
 目先の不満や不信など取るに足らぬものであったと気づき、新たな理念・価値観のもと、目的、目標に向かって活力ある行動を始める前夜の一時としての、今回の参議院選挙であったのではないか。
 それに気づいていた(始めた)からこその行動が今回の選挙結果であったと思うのですが・・・

COLUMN 2−N
  NO43 平成16年7月13日 記
 【参議院選挙結果をみて (上)   北海道大学教授 山口 二郎
     小泉政治の限界を示す  民主は簡潔な政権構想を】

 『今までに無かったいくつもの不思議
@ 2ヶ月前まで高い支持率を得ていた小泉政権、自民党にとって負けるはずが無かった状況であった。 それが投票1ヶ月前あたりから支持率が急速に低下した。
「人生色々」と応えた事が逆風のきっかけになった。 小泉流のパフォーマンスのいい加減さが露呈し、鼻についた。
A世論調査の結果ある程度の敗北は織り込み済みの自民党に敗北感が乏しいこと。
今の自民党に議席減を敗北と受け止めようとする政治家がいない。
この敗北感の欠如が自民党という政党の退廃の現れである。
B自民党の政治の転換を待ち望んでいた国民に、3年前に「自民党をぶっ潰す」という威勢のよい啖呵に国民が期待したが、叫んだほどに自民党の本質は変わらなかった。
   結局小泉首相も、自民党という権力維持本能だけを持った怪物に利用されただけである。
  小泉と言う最終兵器の神通力が衰えると、自民党は瀬戸際に立たされる事になる。
  敗北を認識し、ポスト小泉を担う気概と見識を持った政治家がいない事を示す。

・政権交代に向けた野党の出番が近づいたといえる。
民主党の課題も多い。 雑居性という点では自民党と同類である。
つぎの総選挙で政権交代を起すための政策を準備しなければならない。
国のかたち、などと大言壮語はやめて、国民が切実に関心をもっている課題、
 社会保障と雇用を中心に、簡素な政権構想を作る事である。』

 〜長々と引用した。 山口教授は6〜7年前より注目していた。 その分析が簡単明快で理解されやすい事と新たな政治体制への変革の必要性を語っていた事による。
 当時はテレビにも良く登場していたが、近頃はあまりお目にかかることが無かった。
 小泉人気でどちらかと言うと、民主党系の応援学者であったように思えたから控えていたのであろうか?
 今回の分析の中NOBなどは私も小泉政権発足後、3ヶ月は期待し騙されていたが、この人本物でないと感じたときからの私のひとつの持論でもあり、改めて共感するところである。

 政権交代に至るため、今後の民主党への提言については今のところ私にはこれと言った意見も提言も無い。
 昨日の「コラム2−N NO42」で書いたように、民主党への政権交代も結局は時代変革の繋ぎでしかないと思うからです。 
 転換は時に一気にやってくる事もあるのでしょうが、日本・日本人の過去の変革の姿を見ていると、強力な外圧でも起こらない限りまず有り得ないでしょう。
 すると、手順を踏んでと言うか、少々時間を掛けて進んでゆく事になるとおもいます。
 民主党(野党の力)と言うよりは旧権力・保守・自民の退廃によって事が進んでゆくと言ったほうが適切かもしれません。

 どちらにしても他人事ではありません。 
 毎度言っている事ですが、今日、このような社会にした責任の一端を負っているのですから・・・





NO.569
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 
  COLUMN 1-D
  No62 平成16年7月30日 記
 井戸の話です。

 このコラムを読んでくださっている方は“井戸ってなんだ”という方はいないと思います。 一昨日の“ケロリンの桶”の話しよりはまだ身近に見たり、利用したりしておられることでしょう。
 確か今年の6月、早目の台風6号が到来したとき、豊橋の実家の塀が風で壊れて、取り壊しに行ってきたことを書いたと思います。
 其の時、枯れた榊の木の後に自生えした、名前も分からないのですが、隣家の電線にまで枝を伸ばして青々と茂った木を剪定しました。
 そのまま捨てるのも惜しく、束ねてお墓参りの榊の代わりとしました。
 その木の隣にある井戸のことです。(長い前置きでした)
今朝、姉に電話をするとその井戸が壊れてしまって水が上がらないとの返事です。
水道の蛇口をひねれば別に良いのですが、長年利用しているのでやはり直したいというものの、かってお願いした井戸屋さんに連絡すると、親父さんが入院中との事で困っているとの返事でした。

 豊橋の街中で井戸など使っているところはもう少ないだろうと思っていたら、数年前その親父さんが言っていたそうです。 「そんな事はない、この辺はアチコチにまだまだある」そうで、新しく井戸を掘った立替新築の家もあるそうです。
実家のあるとこらはかっての城下町・町人町です。
私の実家のある町は家具屋さんの町で曲尺手町(「かねんてちょう」と読む、)の他に、呉服町、鍛治町、札木町(何の商売をしていた町でしょうか? 両替商?)と続いています。数年前からこの町内を含んで、豊橋市街の都市景観整備もすすめられているようです。

さて、この井戸は戦前からのものです。 周りを掘ってみると昭和20年・豊橋の空襲の時に焼けた瓦や焼夷弾等で焼けた赤い土であることからも分かります。
昭和34年の伊勢湾台風の時は水道が断水してしまい、この井戸が活躍したものでした。
水質は良くありませんので、飲み水にするには一度煮沸する必要がありますが、この井戸水を使って行水や朝の洗顔をしたものです。
スイカを網に入れて縄で吊るして冷やしもしました。 冷蔵庫が一般家庭に無いころでもありました。 贅沢なというよりはそれしか出来なかった生活の一断面でもありました。
木の蓋が腐り、飛び降りた猫が水死したこともありました。
などと、次々に思い出します。

 車で高速道路を走れば一時間半の距離ですが、年々訪れる回数が減っています。
 井戸が壊れたと言う事は一度水神様にご挨拶に来なさいと言うサインかなと思っています。
 水の大切さ、重要さを口にはしているものの、普段の生活上ではどうだろうかと反省させられるところです。
 台風10号が太平洋上を西に向かっているようで、朝からの快晴の空が少し怪しくなってきました。 
 庭の一坪半の畑のナスは水不足でフニャフニャで張りがありません。
 適度なお湿りであってくれれば有難いのですが・・・・



COLUMN 1-D
  No63 平成16年7月31日 記
  台風10号が通りすぎてゆきました。 その1

 今回の台風はいつもの沖縄・九州方面から北上してくるのではなく、小笠原諸島から北上して西北に、あるいは西に進むと言う進路でした。
 このところ雷雨が予測されても、このニュータウンにはほとんど雨が降らない毎日でしたので、少々雨乞いの願いを込めていたのですが、時折のパラツク雨程度で適度のお湿りとまでは行きませんでした。 期待しては朝、夕の水やりを控えていたのですが・・・・
 本州に近づいた30日の夜から31日の明け方までは低気圧の関係でしたのでしょうか、寝苦しい夜を過ごされた方が多かったのではないでしょうか。

 私も夜中に目が覚めてしまいました。 和室は南北の戸とドアーで風が通りぬけるようになっていますので強めの風が吹きぬけていましたが、それでもジャマの襟ぐり辺りが汗で濡れているのをハッキリと感じるほどでした。 
 マクラもとの茶を飲み再度寝つきはしたものの、起床はいつもより2時間ほど遅く時計の針は7時を回り、朝のマクラは汗ばんでいました。

 テレビは和歌山県から四国方面に警戒を呼びかけています。
 いつも通りに朝の定番の行動をすすめて、雨戸を開きました。
 ベランダまで3メートル以上も紐で誘導した、「もみじ葉琉球あさがお」の4輪の花が咲いていました。 まことに愛らしい淡ピンク(クリスタル パールピンク)で、多年草との事ですが今年の初咲きです。
 昨夜は夜通し風に吹かれて、彼女も目が覚めてしまったのでしょうか? それにしては眠気眼の様子ではありません。
 寝苦しかったと言っている者がいる反面、綺麗で涼しげな花を咲かすものもいる。
 台風10号の通り過ぎた日のことでございます。
  
 
 COLUMN 1-D
  No64 平成16年7月31日 記
 台風10号が通り過ぎてゆきました。 その2

 「その1」「その2」と書くほどのことではありませんが、「その1」で「もみじ葉琉球あさがお」の愛らしい淡ピンクの花を眺めた後に、朝定番の神棚の礼拝です。
 何時もの散歩コースのひとつ道樹山の中腹から榊の枝をいただいてきています。 (自然を大切にしましょうには反するのかなと思いつつ・・・ が、次々と自生えしても来ますし、時折山道の整備のために、切り倒してもありますし、枝の整理もしてあります。 言い訳はこれくらいにして・・)
 
 昨年11月から今年にかけての冬場、神棚の榊は週に1回の水替えで最長4ヶ月半青々としていました。 
 春、秋は2ヶ月ぐらいでしょうか。 今年の春4月以降は週に2回の水替えをする事にしました。 それでも特に春の新芽の時期のものは弱く2ヶ月は持ちませんでした。
 7月に入り夏葉に変わったところで、毎日の水替えに切り替えています。
 毎日の水替えによって葉は生き生きとしているように思えるのですが・・・

 神棚には灯明をあげます。 今朝は台風10号の影響でいつもより強い風が吹き込んできます。  普段、灯明が消えると言うことなどありませんが、今日はなんと3回も消えるではありませんか。 と言って別に不吉な事など感じませんでしたが・・
 吹き込む風に影響されてロウソクの蝋が右側に吹き流されていきます。 そのために普段の倍の速さで芯が減ってゆきます。 流された蝋が灯明台の皿の部分に溢れてきました。
 今にも溢れ落ちるというところで本日の礼拝が終了しました。
 明日はこの残された灯明からの続きとなります。

 遅い朝ごはんとなりました。 ビールロックは変わりません。 美味いです。
 既に時間は11時を過ぎております。 普段はこのまま二階に上がるのですが、眠気がさしてきました。 歯を磨き、和室で寝転びました。
 目覚めた時間は午後の1時半でした。 やはり昨夜は熟睡していなかったのでしょう。
 起き出して、冷たいウーロン茶を一缶いただきました。
 と書きつつ、これは小学校時代の夏休みの日記のようだと思っています。

 台風一過のすがすがしさ、さわやかなお天気とは参りません、サアーと雨音です。
 道樹山を煙らすように横殴りの雨がながれてゆきます。
 台風10号は本当に通り過ごしたのでしょうか。 7月31日の日記です。




NO.568
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 
COLUMN 1-D
  No59 平成16年7月27日 記
  マムシを生け捕りしました。

 7月24〜25日の百姓学校の定例会の事は「日付順」NO563で掲載されています。
 
この定例会の日に校長の奥様が一升瓶に入れたマムシを見せてくれました。
 私は初めて見ると言うわけでもないので特別のこともありませんが、それでも4年間この地で目にするのは2回目です。 初めての方もおられ、これがマムシかと特徴を覚えるために縞の形に色、頭部が三角である事を確かめていました。  

 「こんなのがいるから気をつけてください」と言われる奥さんに、「どこで捕まえたのか。 どのように捕まえたのか」と質問がありました。
 お風呂の横、臼のあるところに潜んだ事を確認して、挟みバシを持ってきて首根っこを押さえた。 一升瓶も側にあったのでそれに入れようとしたが、くねくねと動いて入らない。 右手に挟んだマムシ、左手に一升瓶をぶら下げて、校長を大声で呼んだ。
 校長は近くあった棒切れでマムシの頭をチョンと叩いた。 (するとマムシは軽い脳震盪を起すらしい) その隙に指で首根っこを摘まんで一升瓶に入れたと言う。

 話を聞いているだけなら簡単であるが、まず素人はやらないほうが良い。
 私も小学生の頃、学校帰りに蛇を見つけると石を投げつけたりして捕らえた経験もあるし、怖いガキ大将の命令で蛇の尻尾を捕まえ、クルクル廻して地面に叩きつけて殺してしまった体験もあるが、今ではとてもそんな事はできないと思っている。
 奥様はかってゴルフ場でキャデイーのお仕事をして居られたことがあり、よく捕らえたものだと。  一匹5000円で販売できたと言って笑っておられた。

 本日会員になっておる、高知県の「四万十ドラマ」より通信が届いた。
その中にマムシの記事があり、四万十ではマムシのことを「はめ」と言うことを知った。
 この時期(6月)の「はめ」は気が立っているから近づくなと書いてあった。
 蛇に突然出くわすとドキッとするが、蛇の方もそれ以上に驚いているのかもしれない。
 前回、ツキノワグマに出会ったらどうするかで、“立ち止まって話しかける”と良いと教えられたが、さて蛇君に出くわしたときは?
 “立ち止まって、目を押さえて見ないこと”なんていうのはウソです。
 まず、ほとんどの方が一目散に逃げる事でしょう。
 その後、冷や汗がタラタラというところでしょうか?
 涼しい話でなく、気持ち悪い話になってしまったようです。 ゴメンナサイ
 
 COLUMN 1-D
  No60 平成16年7月28日 記
 重宝しています、真っ赤なトランジスター・ラジオ

 いつ、何処から、どのようにして我が家にやってきたのか真っ赤なトランジスター・ラジオ。 今朝、かみさんに訊ねてみたら、10数年前に息子が親戚の家から貰ってきたものという。
 まったく使われないまま、玄関の下駄箱の上におかれていた。 あるとき電源をいれてみると、グーと一度唸っただけでそれ以上の反応が無い。
 さび付いたネジを緩めてみたら、電池のシルが洩れていた。 電池を取り替え、ダイヤルを廻すと甲高い声の放送を聞くことができた。

 サイクリング、ジョキング、散歩などでウオークマンを耳にしているのは見かけるが、トランジスター・ラジオを手にした人はまず見かけない。
 そのラジオを片手に日が西に傾く夕方の5時半前後、散歩で家をでる。
 6時から放送が始まる「ドラゴンズ・ガッツ・ナイター」にスイッチが入る。
 ひいきのチーム、ドラゴンズがこのところ快調なこともあって、気分のよい汗を流しながら背を伸ばし、足早に歩いているつもりである。

 得点圏に走者がでると一段とボリュームがあがる。 すれ違う方が振り返る、各家でのんびりと寝そべっていた犬が急に吠え出したりする。
 歩く方向に合わせて時折ラジオの向きを調節すれば、十分聞き取れるのであるから、役目ははたしているのである。 
が、時に無遠慮に振り返る視線はラジオの音量だけでなく、髭面の小父さんが持っているこのトランジスター・ラジオの色から来るものでもあろう。

と言うのは、いかにも色相の持つ品というか、センス、深みがまったく無い事である。 
MADE IN CHAINA と刻印されているが、現代の中国産ならまずこの色合いの物にはならないであろう。 
多分、黒、白、グレーというところだろうし、たとえ赤系のものであったとしてもこの色相のものではないであろう、実に単純でストレートな真っ赤である。
今、この色合いのものを探そうとしても決して見つけることは出来ないだろう。
日本ならば、昭和30年代後半から40年代前半まで、それまであった木製、竹製、ブリキ製、あるいは塗りものの家庭用品(バケツ、桶、柄杓、お盆、洗面器等)が石油製品・化成品に変わっていった時代の色合いと思う。

丈夫で便利、安価な化成品もこのところ自然志向で再び昔ながらのものが求められている。  
が、このトランジスター・ラジオと出掛けるとひいき筋のチームの成績は順調、快調で、今期は優勝と言う事になるのではと期待している。
当面散歩の友、真っ赤なトランジスター・ラジオは私と共にあり、勝利のお導き役を果たしてくれる事だろう。
 
 
  

 COLUMN 1-D
  No61 平成16年7月28日 記
  湯銭の“ケロリンの桶”ご存知ですか?

 「コラム1−D NO60」で化成品・真っ赤なトランジスター・ラジオのことを書いているときに、“ケロリンの桶”のことを思い出していまして、横道にそれて書いてしまおうかと思いましたが、長くなりそうでしたので、あらためてNO61として書きます。 と言って特別な事ではありませんよ。
 だって COLUMN 1−Dは「一事(時)が万事、万事は凡事(時)」なのですから・・・

 昭和30年代、私の実家・豊橋には自家風呂はありませんでした。(当時は自家風呂を持っていた家庭は50%未満だったでしょうか?(30年前半〜40年前半)
 各町内にはそれぞれ湯銭がありました。 手元にある昭和38年の東京都内の公衆浴場商業共同組合が湯銭の原価計算の結果をお客様に「急告」して掲示した資料によると、大人24・61円、中人19・43円、小人10・36円とあり、値上げを申請したとあります。
 内風呂が普及する前で、暮らしに欠かせない湯銭の料金の値上げは社会問題になっていたことをしめしています。
 豊橋・曲尺手町の“石巻湯”では中学生(昭和29年〜32年)であった頃、確か9円だったと記憶しています。大人12円。

 ここで湯銭を通じて経済を語ろうとしているのではありません。
 当時、私の利用していた浴場も木製の椅子と桶だったのですが、頭痛薬“ケロリン”の宣伝マークが入った桶が新規に入ってきたのです。 それは化成品・真黄色の鮮やかな色でした。 (ここで真っ赤な化成品・トランジスター・ラジオと結びつきます)
 多分この頃を境に化成品がそれまでの自然製品の家庭用品を席捲していったのでしょう。
 
ところで今、このケロリンの桶を見る事はできるのでしょうか?
 <できます。> 飛騨・高山の湯銭に行けばまだ現役です。
 それから、昨年九州の車旅のときにお世話になった「佐賀県・古湯温泉センター」(旅日記 九州 NO323で紹介しています)でも出会いました。

 車旅では町営・村営のOOセンター、△△保養所、××温泉などにお世話になるのですが、施設は全て近代的で湯と水がフンダンに使えるだけでなく、様々な浴槽やスチーム、あるいはサウナ・バスまで揃っています。
 ところが、高山市内の湯銭の話に戻せば、公衆浴場法(?)が厳しくなり、設備改善の追加投資が求められたのでしょうが、私がお世話になる湯銭は採算上大きな投資はすることは出来ず、基準を何とかクリアーするための対応として、むき出しの配管となっている状況です。タイルもアチコチはげています。
 私の知る限りではそれらの湯銭は年々閉鎖が進み、あと3軒のみとなりました。(高山市内にはもっとあるのでしょうが・・)
 あの黄色のケロリンの桶もアチコチ磨り減って、黒ずんだところがイッパイです。
 今度訪ねた時まで残っているのでしょうか? 
 昔ながらの湯銭に入ると、その土地の訛りと共に人情味が伝わってきます。
 それは決して味気の無い石油製品・化成品のものではありません。
 真黄色のケロリンの桶も私にとっては情緒あふれる一品です。

(追記)
 ケロリンの桶の話が通じるのは60歳代以上の方でしょうか?
 50代の方ではほとんど無理なのでしょうか?
 40代以下の方は何の話かも分からない事でしょう。
  


NO.567
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 
   COLUMN 1-D
  No56 平成16年7月23日 記
 昨夜は夜中に目が覚めた。

 晩酌はビールのロックで始まるのが夏場の定番ですが、ジントニックをガブのみしました。 残っていた大吟醸が不味くなってはと飲み干して、ワインに移りました。
 このパターンが悪かったのでしょうか。 9時過ぎには一度眠りについたのですが、
多分12時を越したところで喉の渇きを覚えて目覚めました。
 何時も枕元に置いてあるタヒボ茶を飲んだのですが、まだ飲み足りなくて冷蔵庫より、今夏いただいた生リンゴジュースをタップリと飲み、枕元の扇風機のタイマーを回しましたが寝付かれません。
 扇風機はコラム2−N NO48で書きました27年間使用のものです。
 ギーッゴ・グワーン・ギーンの音が気になって眠れません。 
 扇風機を止めるか、物置まで行ってミシン油を持ってくるかだなと半分寝の状態です。
 
ミシン油の方を選択しました。 首振り、上下の位置を変える接点のところに油を注してみました。  再度タイマーをセットしたところ、サーラサラ・スースー・キュウキュウという滑らかな音に変化しておりました。 
蚊遣りの煙がその風に揺れて、室内を巻き上がってゆきます。 消灯。
やはり油切れだったのか、もっと早くに対応しておけばと反省している間に、目がさめてしまうと同時に再び喉の渇きを覚えました。

 暗闇で取り出したものは缶ジュースでした。 やめればよかったのにそれを飲み干すと更に渇きをおぼえます。 更にもう一缶、ウーロン茶を取り出して飲むことになりました。
 朝のストレッチ、昼間の高校野球観戦、夕方の散歩と本日は3度も汗をタップリとながした。 その都度十分水分を摂取したつもりであったが、不足していたのでしょう。
 ウーロン茶が胃の淵を落ち着かせ、サーラサラ・スースー・キュウキュウの扇風機音がいつの間にか遠ざかっていました。  昨日は大暑の夜でした。
 
 
  
  COLUMN 1-D
  No57 平成16年7月26日 記
 オリジナルTシャツはいい

 夏の初めに姪(といっても14歳違いの長姉の子供であるので私とあまり年齢差はない、それ故に彼女は私のことをお兄ちゃんと呼んでいる)から、Tシャツが届いた。
 彼女の長男が絵の道の修行をしており、昨年個展を開催したときに作成した物が押入れを整理していたら出てきたと言って、百姓学校などで汗をかく事が多いでしょうと送ってくれた。
 生地は中国産であるが30年数年前、私が仕入れていた頃のものとは比較になら上品質のものである。 当時は白色といっても中国産のみを見ていれば、白色であるが国産と対比してみるとそれはベージュまでとは言わないまでも、真っ白と言うわけにはいかなかった。
 打ち込みもシッカリしているし、縫製もレベルが高い。
 この上に数々の付加価値をのせるべく、刺繍、プリントが施されて店頭に陳列されるのであろうが、なんと言ってもナン万、何十万、中には何百万と製造されているのだろう。
 それゆえに、私達の手には手頃な価額で提供される。 が時に同じものを着た同士が鉢合うこともある。 鉢合ったとしてもカジュアルな場面ではどうと言う事もないのであろうが、オフィシャルな場面では気がひけることがある。

 昭和40年代後半のオイルショック後、省エネルギーの対策が次々と展開された。
 室温は28度にと言われたころである。 ノーネクタイが提唱され解禁シャツがアット言う間に、10枚以上にもなったころの事である。 
 東京で開催される協会の集会に参加することになり、会社で斡旋してくれた当時としては洒落ていたと思う、ブークレ調の半そでの上下を着ていったのであるが、なんとそれに参加した同じ会社の重役も同じものを着てこられた。
 その重役はなかなかのオシャレ紳士を自他共に認めていたから、さぞかし苦痛な時間ではなかっただろうか? 集会の間出来るだけ近づかないようにしていたことの記憶がある。
 京都議定書なる世界環境問題が話題にはなるものの、当時ほどの危機感と対策がなされていないように感じるが、私が一線を離れているからであろうか。

 ところで、送ってもらったTシャツは正にオリジナルである。 
何枚プリントとしたかは知らないが、綿100%、真っ白な半そでの土台に100枚×2種というところであろう。
 彼氏は姪(母親)に「作品が恥ずかしい」と言ったそうであるから、1年前の作品に対して、自己判断して稚拙な絵であったと認識しての発言であろうから、既に次のレベルに進化していることを示す発言であると嬉しく感じた。
 当の私は百姓学校の作業着どころか、今夏何度か大都市名古屋に出向いたときの盛装着として使わせてもらっている。
 絵のことは分からぬが、空の色“ブルー”が胸いっぱいにひろがり、背にも同色でバーコードの絵柄と共に「COPYRIGHT @2003 KENSUKE  CO・LTD」とプリントされている。 
 週に1度、時には2度も汗にしている。 
 今のところ色あせたとも思えないが、夏の終わりになれば汗をしみこませ、更に使い込んだオリジナルTシャツとなる事だろう。 
 ありがとうの返信の代わりにこの一文を送ります。
 
 
  COLUMN 1−D
  No58 平成16年7月27日 記
  栗の木で蝉が鳴いています。

 朝8時半ゴロまでは蝉が栗の木の周りで鳴いているのですが・・・ 
 この時期の花、百日紅(サルスベリ)はまだ咲いておらない我が家の庭は寂しいです。
 朝の食事を終えて二階の書斎に上がってゆく頃には蝉の鳴き声は止んでいますので、その場・其の時に感じた事を入力しているこのコラムに登場することがありませんでした。
 ほとんどが油蝉と思っておりましたが、このところの鳴き声からすると、「みんみんせみ」と「ニイニイゼミ」が多いようです。

 1週間ほど前に道樹山に登ると「ひぐらしせみ」が鳴いておりました。
 夕方で、高い木立の細い山道を歩いていると、なぜか胸にジーンとくるものがありました。 直ぐにこの鳴き声に共鳴(共振)するものは分かりました。 又も小学生。豊根村の光景です。
 7月18日の鳳来町での下草刈りに行った時「山百合」に出会い、同じように豊根村の切り立った崖に咲く、この百合を思い出しました。
 百合の仲間のうちでも香りの強い部類に入ると思います。
 都会の汗ばんだビルの中でこの香りに出くわしたならば、「なんだ、このセンス!」と感じるほどの強さですが、自然の中で草いきれと共に出くわすと“よくぞ咲きにけれ!”と感じるのですから・・・・

 後1週間もすると「つくつくぼうし」のオーシックツクの鳴き声が聞こえることでしょう。  まだまだ暑い最中のこの鳴き声ですが、秋近しを感じます。
 同時に、後夏休みは何日残っているのだろうかと気になり始めるスタートの頃でもありました。(都会より夏休みが短い)
 
 今11時半、我が家の庭の蝉はみんな昼寝中なのでしょうか、何も聞こえてきません。
 耳をそばだてているからでしょう、道樹山の麓の細野集落から蝉の合唱が聞こえているように感じるのは私の錯覚でしょう。
 夏休みの宿題中なのでしょうか、子供たちの声もまったくありません。
 時に暑く、いらだたしく聞こえる蝉の声ですが、早く鳴いてくれないかとも思い、既に乾いた洗濯物が揺らぐ、熱せられたベランダに出てみました。
 郵便配達のオートバイが角を曲がり、各戸のポストに夏の便りを届けてゆきます。
 思い出したように、一声「ミーン」と鳴いてくれました。
NO.566
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 
 NO566 平成16年8月2日 
「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
         コラム2−D?「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」?

 COLUMN 1-D
  No53 平成16年7月19日 記
 「鳳来自然博物館」友の会。小椋さんのお話
    山でツキノワグマに出会ったらどうしますか?

 鳳来寺山開山1300年祭、下草刈りの報告は「日付順」NO562に掲載しました。
 コラムではお昼の休みにお話いただいた小椋さんの資料から、「ツキノワグマに出会ったなら、どうしますか?」を紹介しましょう。

 次の10項目からもっともいいと思うものを選んでください。
@木の枝をひろいたたく
A石を拾いぶつける。
B四つんばいになって「フーッ・クーッ」とうなる。
C動かないで、大声で「助けてー」と叫ぶ。
D地面に寝て死んだふりをする。
E走って逃げる。
F木に登って立ち去るのを待つ。
Gそおっと後ずさりしてから遠ざかる。
H立ち止まって話しかける。
I荷物を置いて気をそらせ、その間に逃げる。

さて、どれが一番良いのでしょうか? 試した方は少ないとおもいますが・・
 答えはHでした。 話しかけると敵意が無い事が分かり襲ってこないとのことです。
 話の内容はなんでも良いとのことです。 よく動物(飼い犬・馬)に話しかけている方がいますが、あれと同じ事のようです。
 また、熊は自分より大きなものに対しては恐れをなすとのこと、両手をあげる、もし傘など持っていたならばそれを広げてかざすと効果的だそうです。
 熊はフーッ・クーッしか声を出さないそうですが、フーッとクーッの声が効果的かは試した事がないそうです。
 人間が四つんばいになると小さくなってしまうのでダメとのことです。 そのことから昔から良く聴かされた、寝転んで死んだ振りをするは疑問です。
今回、参加された方の中に、2ヶ月前に熊と出くわした方がおられましたが、突然の遭遇に「そんなことを考えているゆとりは無かった」と言っておられました。

夏休みの期間中にキャンプなどに出掛ける機会が多くなります、熊に出会わない事が一番安全ですが、いざとなったときに思い出してみてください。


 COLUMN 1-D
  No54 平成16年7月20日 記
 旅先で出会った方からのメールが届きました。

 昨年九州を一周して山口県に入り、「道の駅 おふく(於福温泉)」を宿にしたときのことと記憶しています。
 この辺では評判の温泉との事でしたが、私には特別とも思えませんでした
 道の駅の食堂で食事を終えて、当日の日記を書き終えて、駐車場内を散策し車に戻って来た時、私の車と少しはなれたところに確かライトバンで停車していた方が今回メールを下さったT氏です。
 其の時何かの折にと言って、T氏は名刺を差し出されました。 私は名刺など持っていませんので、紙切れの端に住所、氏名とメールNOなどをメモして渡しました。
 その時、T氏は早めの退職後、車旅と登山そして写真が趣味です。 帰宅後ホームページを開設予定ですと言っておられたように記憶しています。
 昨年の秋のことでしょうか。 ホームページ開設とのメールが入り、過去の車旅や登山の写真が趣味を超えたレベルで編集されて掲載されておりました。
 その後も3ヶ月に一度くらいでしょうか、旅の日記が更新された事をしらせてくれます。

 この於福温泉は「秋吉台」の近くにあります、今年山陰を回った時にもお世話になろうと行きましたところ、運悪く(月に1回しか休みがないのに)お休みでした。
 その折に、既に顔かたちも忘れてしまったT氏のことを思い出しましたが、そこまでのことでした。
 そして、昨日メールにて、三重県と奈良県の境界に位置する「大台ケ原」から流れ落ちる「大杉谷ニコニコ滝」の写真と共に、暑中見舞いが届きました。 
 旅先で知りあった(と言っても、もう顔も思い出せませんが・・・)方の便りが届きました、しかも素晴らしい映像つきです。 旅はこんな付き合いも作ってくらます。 
 T氏の便りは活字ばかりのものより余程その光景が分かりたのしいです。
 やはりデジカメが必要かと感じさせてくれた便りとなりました。

 昨日既に2年半使用した携帯電話の電池切れで、DO CO MOに行きました。 機種が古く電池が存在するかどうか確かめてもらいました。
 ある事はあったのですが、それでも使い勝手の良い新たな機種を訊ねた所、「今は全て写真機付きです。」といわれました。 
現在使っている機能は電話の受送信と留守電だけなので、ひとつ新たな機能を習得する事の面倒さを思って、(カメラと電話、更にメールの機能、等々)電池のみ注文してきました。 
 新たな事への取り組みが面倒に感じるようではダメであると感じてはいるのですが・・・・

 T氏のホームページはhttp://nantaisan.sakura.ne.jp/ です。 一度ご覧ください。
 

 COLUMN 1-D
  No55 平成16年7月22日 記
 熱戦、夏の高校野球 愛知大会に行ってきました。

 春日井球場は私の家からは車で10分とかかりません。 
 好試合が期待できそうな時に、バタバタと用意して出掛けます。
 今日からは二回戦に入りました。 一回戦を勝ち上がった「明和高校」と「豊橋商高校」が組まれておりました。 これは見所がありそうと出掛けることにしました。
 長ズボンに履き替え、バスタオルとタオル二本。 クーラーボックスを引っ張り出して
缶入りの茶3本に、凍らせたペットボトルのお茶、スライスして凍らせたライムも入れました。

 試合は予定どおり午前10時にプレーボール。 試合内容は予測どおりシーソーゲームです。 豊橋が先行すれば、明和が追いつくと言う展開です。 
 試合内容ばかりではありません、座っていない椅子に手を触れると太陽光で熱せられてアッチというほどです。
 熱中症になってはいかぬと補給する水分はアット言う間に汗となって流れ落ちます。
 白球を追う選手達の顔は日ごろ炎天下での練習で真っ黒、笑うと真っ白い歯だけが目立って、カルピスのポスター(昔のものか? 黒人がストローでカルピスを飲んでいる)を思い出しました。
 <バント決まり ファーストアウトも 全速力 白き歯のぞかせ ベンチにかえる>

 6回を終わり、互いに2点ずつです。
 ここでグランド整備です。 トンボでグランドを均します、微風に砂煙が舞い上がりバックネット裏まで届きました。 グランドの選手とは比べものになりませんが、なぜか私も埃まみれになって、一緒に試合をしているような気にさせてくれます。
 整備が終わると両軍の選手がグランドに向かって「ありがとうございました」と深々と頭を下げた姿勢に嬉しくなりました。

 試合は10回延長戦に。
 豊橋商、好投の投手に代えての代打が成功して逃げ切りました。
 2回戦(?)からは勝者の栄光をたたえての校歌斉唱です。
 ホームプレート上に並んだ18人の選手は身をくねらせて罵声を張り上げて、アルプス席の応援団と歓喜の合唱です。
 球場内では涙を見せていないと思った明和の選手達ですが、球場の外に出ると目を真っ赤にしている者、まだ泣きじゃくっている選手もいました。
 その脇を選手の父母達でしょうか、用意した飲み物の後片付けに走り回っています。
 額から汗が流れているばかりでなく、揃いのTシャツは絞れるほど汗で光っていました。    その母の二の腕の黒光りがやけに印象的でした。
NO.565
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 
 
COLUMN 1-D
  No50 平成16年7月10日 記
 なぜかけだるい朝です。

 昨日炎天下のなかを名古屋市内に出向いたせいでしょうか、今朝はけだるくスッキリしていません。 
 朝、花曇であったのに突然のにわか雨です。 そのままにしておいた七夕飾りの一部が雨に打たれてダラッと垂れ下がってしまいました。 (子供らの願いをこめた短冊を仕舞い込んでおいてよかったです。)
 3日前に初蝉の鳴き声を聞きましたが、その後はパタリと鳴きません。
 27年間使用した書斎のクーラー、本日再度トライしてみたところ稼動しています。
 リセットボタンの押し方が悪かったのでしょうか。
 本日の折込広告、家電店のものを調べ終わってからでしたので、なんか儲かったような気分になりました。

 曽我さんファミリーの事が本日のトップ記事ですが、心なしか記事の取り上げ方が小さく、遠慮がちに感じたのは私だけでしょうか。 
明日の選挙に影響を及ぼすと判断した新聞社の考え方が入っているのでしょうか。
私も「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」に取り上げようと思ったのですが、特段のキーワードが思い浮かばず(普段もおなじであるのだが・・・)、今のところ何も書いていません。
 時間をかけて、ユックリとご家族の空白の時間を埋め合わせてください。
思いもかけない連続の出来事に見舞われたご家族の心情を計り知ることは出来ません。
 望むべきことも出来ないでしょうが、マスコミ報道が沈静かすることを願っています。

明日の参議院選挙は投票率の低さが心配されています。
 そんな状況にしてしまった政治家、政党が悪いと言ってもそれは私達が選択してきた事の結果であります。 怒る事も、恨むことも、問題転化をすることもできません。
たったの1票ではありますが、これが新たな時代を選択し、造り出してゆく1票なのです。 この行動を起さない限りこの不安感・閉塞感からは脱皮できないのです。
何処にもモデルを見つける事のできない、世界で一番先頭を走っている日本の使命・役割なのではないでしょうか。

ムクゲの花が咲き始め10日過ぎました。
毎年秋には切り詰めてしまうのですが、春には枝を伸ばし、夏になると雷雨にも、炎天下でも次から次へと咲き登ってゆきます。
 この花を眺めていたら身体がシャキッとしてきました。
  

 COLUMN 1-D
  No51 平成16年7月11日 記
 参院選の投票に行ってきました。ジージー蝉に呼び止められて・・・

 朝方雨が降ったので、行楽等の出足が止まって投票率は上がるのでしょうか。
 天気の状況によって投票率が変化すると言うのは、経済が曲がりなりにも右肩上がりのときまでで、土曜日、日曜日に家族そろって行楽に行くと言うことは少なくなったのでしょうか。
 前回の選挙の時も投票所に向かう人の年代は50代以上の方が目に付きましたが、今回も同様です。 一昔ならば年代の高い方の投票は保守・自民が有利と言うパターンであったのですが、このところ変化しているようです。
 今回の選挙の争点の最大のひとつは年金問題です。 
60代以上は今が維持されるようにとの思いを持って(?)、50代は果たしてどれほどの年金が受け取れる可能性があるのかとの思いと計算でしょうか。
 40代はかなり懐疑的で、30代以下は絶望的な思いになっているのでしょうか。
 それでもかすかな望みを持って、いや天引きされているからしょうがないと言っていた20代の方の発言が記憶に鮮明です。

 あと10数時間で結果は出ます。 毎度の事ですが選挙結果に国民のしたたかさとバランス感覚を教えさせられてきました。  かくいう私もその一人なのですが、その精神・行動がいい加減な政治、行政をゆるしてきてしまったのではないかと思っています。 
もうこの辺で腹を決め、覚悟をして新時代への移行を政治に、行政にハッキリと意思表示を出すべきときと思っているのでが、どんな判定を下すのでしょう。
 今の年金受け取り世代が良いことも、都合の悪い事も合わせて、この時代を作り出してきたと言う事実に対し、もう少し反省と次への対応をするべきと思っているのですが・・・

 投票を終えて校庭にでると炎天下の下、小学生が野球をしています。 人数が不足しているのでしょうか、2〜3人お父さん達が守備に入っています。
 この地域の少年野球には参加していない子供達でしょう。
 タオルを頭に眺めていましたが、とてもの暑さに引き返すことにしました。
 校門近くの桜の木の下、耳元近くで蝉の鳴き声がします。 しかもジージー蝉の鳴き声です。(この辺ではほとんどアブラ蝉ばかりです)
 耳を澄まし、目を凝らすとやはりジージー蝉です。 昔取った杵柄パッと手の平のなかです。 片手の平の中でバタバタと鳴きながら暴れています、両手にすると少し静かになりました。

 自宅の栗の木の下まで来ると指の間から抜け出して、青々と茂る栗の枝と葉の中に身を隠してしまいました。
 しばらく見上げておりましたが、一向に鳴き始めません。
 ジリジリと今日も30度を越す真夏日になりそうです。
 この地では珍しいジージー蝉は何を私に告げようと姿を現したのでしょうか。
 彼よりまだまだ長生きするだろう私は何を聞き分けなければいけないのだろうか。
 

  COLUMN 1-D
  No52 平成16年7月15日 記
 大相撲観戦に行ってきました。

 観戦記が少々長くなりましたので、コラムでなく通常のエッセイ「日付順」に掲載する事にしました。 コラム掲載より少し遅れる事になりますが、よろしく。

 ここでは何時もテレビで観戦しているとき、東の力士の登場口と西の登場口に名古屋場所で何時も同じ場所に陣取っている方の事を書いてみます。
 名古屋場所に限らず全場所観戦している、元NHKのアナウンサーの杉山さん、よほど相撲が好きなのかそれとも時々相撲に関する解説などに登場してこられるから、お仕事の関係でもあるのでしょうか?
 大阪場所では難波のお笑いタレントの大物の方の顔を見受ける。
 今場所の名古屋では大村 昆さんを2回ほど見受けたが、名古屋でのお芝居があるのでしょうか?
 有名人と異なって注目するのが綺麗どころです。 大阪では揃いの茶色の上張りでズラリとならびます。 九州場所は思い出せませんが、今年の11月には再び相撲とは別に楽しめることでしょう。 それに引き換え東京の蔵前では目に留まった方はいませんがどうしてなのでしょうか。

 名古屋場所・東には料亭の女将さんかと思われる方が、店の板前さんや仲居さんだろう方と観戦にきておられます。
 西には髪を大きく巻き上げて、ほとんど黒系統の着物姿、こちらは高級クラブのママさんでしょうか。
 昨日もテレビで見かける席に陣取られました。 お二人とも正座して足を崩したところをテレビでは見た事がありません。 昨日も時折眺めておりましたが、やはり背筋を常に伸ばしておられました。
 こんなに毎日出掛けるとは、よほどお好きか、はたまた穿った見方で、お店の宣伝かとも考えて見ました。 桝席A(4人分)15日間通しで67万8千円ですから、宣伝費としたら安いのではないかと思ってみたりしましたが・・・
 なんといってもN.H.Kに2時間で最低7〜8回映し出されるのですから・・・

 観戦が終わり外に出たら、なんとその内の一人の方が前を歩いているではありませんか。
 「いつもテレビで拝見していますよ、お綺麗ですね」と声を掛けると、慣れたものなのでしょう「ハーイ、」と少しとぼけた返事をされました。
 私も目線を動かさずに、チラット横顔を感じ取ってみましたが、目元にお皺が多くテレビ映りのほどではないと受け取ったのは、近眼に老眼、ボツボツ白内障の兆候があらわれてきたのでしょうか。
 大相撲観戦記、その2でした。
NO.564
                                               平成16年8月22日

「だいたい毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記」
 コラム1−N“一事(時)が万事、万事は凡事(時)”と
コラム2−D「新聞を読んで 眺めて 切りぬいて」

 COLUMN 1-D
  No47 平成16年7月6日 記
  30数度の炎天下でキャッチボールをしました。

 知人への郵便物を投函に行く途中でミットとバットを持ったY君とすれ違いました。
 「元気か。 野球の練習は済んだか」と訊ねると、「相手がいなかったので帰ってきた」との返事です。
 「よ〜し分かった、小父さんが帰ってきたらやろう」というと、赤く染まった両のホッペを緩まして笑った。

 前回、今度のときは少年自然の家の下のグランドでしようということになっていたので、言わずもがなで足がむいた。
 途中、6人の同級生と思われる一団が漫画絵のカードの交換会をしていた。
 「あの中に野球をする人はいないのか」と訊ねると、「いる事はいるが、駄目だ」という。
 「どうしてダメだ」「気が合わない」という。
 「そうか、人間には相性の会うのと、いないのがあるからな〜」というと、黙っていた。

 今年、水はけをよくするために整備された多目的グランドは誰も使用していない。
 「わ〜広いな〜、僕達だけで使って良いのかな〜、バックネットもある。」と歓喜の声。
 実際はソフトボールの試合用のピッチャーマウンドであるが、少年野球のY君にはジャストなのかも知れない。
 20分もしない内に汗が噴出してきた。 持参のお茶を飲んだ後更に30分。
 Y君の暴投に走りまわされた私はもう上から下まで汗ビショリである。
 Y君の方は赤い顔してはいるが、汗はそれほどかいている様子もない。
投げる球のスピードは私のほうがかすかに速いという程度である。 あと1年もしない内に彼の方が速い球を投げる事になろう。
 Y君同級生のかけっこでは短距離も持久走も一番であるという。
「でも、小父さんのカーブは凄い」と喜ばしてもくれる。
 彼にとっては今、練習相手として適当なのであろう。

 明日は七夕祭り、帰宅後3年前に彼らが書いた短冊を引っ張り出して見せてやった。
 Y君3年前の小学1年生の時「てんさいになりたい」と書いてあった。
 今年からリトルリーグに入団したY君、なんと書くのであろうか。
 
 
 
COLUMN 1-D
  No48 平成16年7月8日 記
 翌朝には願いの短冊が増えていました

 7月7日約束どおりにY君がピーンポーンと玄関のインターホンを鳴らしました。
 お友達はいません、みんな塾や練習だそうです。 中学1年生のY君の姉Kちゃんも、行きたいけれど、宿題とドリルの学習があるとのことです。
 二人で七夕飾りをしました。 
 短冊にK君はこんな事をかきました。
・テストで100点がとれますように。
・野球が上手になれますように
・しょうらい野球選手になれますように
ここまで書いて、自分のことばかり書いていたと言い、
・世界の一人一人が同じ生活が出来ますように  と書きました。
そして、これは小父さんには見せないと言って、“恋愛”の事だと言いました。
・好きな人にこくはくできますように   でした。

翌日のことです。 洗面所の脇、黒竹の生の竹に飾りつけをしてあったのですが、短冊の数が増えているのを発見しました。短冊の形も違うのでだれのものかと確かめました。
 家の前のMさんの子供達のものでした。 紹介しましょう。
・O地のおじちゃん、おばちゃん、K地のおじいちゃん、おばあちゃんが仲良く、元気に、明るく、悔いの無い1日を送り、しあわせな人生を彼ららしく送れますように
(多分これは専門学校2年生になった、長男のものと思います。
・家族の名前を列挙した次に、父方・母方のおじいさん、おばあさんの名前が書いてあります。 そして「みんな仲良しで、明るく、元気に、毎日を送り、幸せな人生を送るぞ!! 送れますように!!
・続いて「私の目の病気が治りますように!!幸せな毎日がおくれますように!!
全てのオーデイションに受かり、大好きな演技を大人気女優として、作品を大成功に収められますように!! 
 2004年7月7日から2005年7月7日までとりあえず・・・
・中身も外見も美人で可愛く、人からも自分でも憧れられ、尊敬される女性になれますように
(以上は昨年から1年間アメリカに留学して、この7月に帰国した長女でしょう)
・美人になれますように
・テスト勉強もしっかりできますように。
・もてますように  みんな幸せに生きられますように


  COLUMN 1-D
  No49平成16年7月9日 記
 いや〜暑いですね。梅雨明けとの報道もありませんが・・

 昨日は我が家の庭、栗の木で“初蝉の声”を聞きました。 朝の事でしたがその後は途絶えています。 あわてものの蝉が登場したのでしょうか。
 連日(これで12〜3日でしょうか)真夏日が続いています。
 3〜4日前からでしょうか、知らぬ間に朝の食卓はビールに代わっています。
 ビール1缶で終わればよいのですが、それから赤ワインも少々となって、再び汗のもとになっています。
 反省をさせようと27年間使用していました書斎のクーラーが故障したようです。
 サア〜・サア〜と軽やかな音は発しているのですが、一向に温度は下がってきません。
 それでも、窓を開け放てば室内よりいくらか涼しい風が通り過ぎてゆきます。
 今夏はこれで我慢してみようかと思っているのですが・・・・

 高蔵寺ニュータウンが開発されたときから放置(?)されていた近くの空き地、愛知県開発公団(?)所有の土地が1ヶ月前から造成が始まりだしました。
 当初は病院の建設との話もありましたが、時代が変わり、経済状況も変化して長らく放置されていたことは間違いありません。
 隣接する公団(当時)の土地も、長い間の住民との話し合いの末に、住居地域より準工業地帯へと用途変更をして、既に10年以上経過しますが、土地購入の企業も経済状況悪化で、その後の設備投資は繰り延べとなり、一向に新規着工させていません。
 他の空き地に個人の住宅の建設はぼつぼつとなされていましたが、久しぶりに大型開発のブルドーザーの力強い音が、30度を越す空間をデンパして聞こえてきます。
 60軒の新たな住宅建設とのことです。

 25〜6年前は新入学児童と転入児童でプレハブ建設対応した小学校は当時の4分の1程度になりガラガラと聞いています。
 朝・夕行き交う児童の列が短くなっている事に寂しさを感じていました。
 60軒の新築ぐらいでは大きな変化も無いでしょうが、出生率がドンドン落ちている状況の中ではどんな変化を感じさせてくれるのでしょうか。

 部屋を通り過ぎていた風がパタリと止んでしまいました。 途端に額から、首から、背中から汗が滴り落ち始めました。
 七夕祭りの短冊を黒竹から外して、「2004年7月7日」とメモして仕舞い込みました。
 何年後に、彼ら・彼女らに見せる事になるのでしょう。
 暑い・暑い夏の訪れが今年は早くやってきたようです。
 後、数度のカミナリを聞くと、一気に本格的な夏となりそうです。
自然現象がどこか、何か大変化の前触れをしているように感じるのですが・・・
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