| NO.70 平成16年8月 9日 |
愛・地球博のボランテイア研修に
行ってきました。
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8月8日の日曜日です。
1万5千人の募集に対して2万4千人の応募があり、更に団体の応募があって総数約3万人となった、愛・地球博のボランテイアの事前研修です。
当日は落合公園「グリーン・パレス」で開催されました。 この会場では今回第2回目とのこと、全部で6回総数約7〜800名の方が参加されるとのことです。
予想に反して若い方が多かったので係りの方に尋ねてみたら、「本日は日曜日のことで、若い方が多い」との事でした、全体としては男女比4対6で女性が多く、また大半が60歳前後の方とのことです。当日は高校生から大学生までで12〜3人でした。
本年5月に作成された百ページにも及ぶボランテイア手帳が配布されました。
阪神・淡路の震災の時には何も組織や仕組み、リーダーのいないままに駆けつけたボランテイアの活動がなされたと聞いていますが、それ以後各地の事例を参考に積み上げられてきた経験の結集の「愛・地球博のボランテイア手帳」なのでしょう。
最終版は来年の2月に配布とのことですが、これから出来上がってくる各パビリオンのことや、イベント日程、交通手段・時刻表を除いてはほとんど完成版ではないかとおもいました。
当日参加の約100名の方のうち7〜80%の方がボランテイア活動始めてとのことでした。
『愛・地球博の概要』に続いて『愛・地球博におけるボランテイア活動の基本理念と運営システム』の説明がありました。
・ 市民によるボランテイア活動が、来るべき社会のモデルのひとつとなること。
・ 地域のボランテイア活動のさらなる活性化やネットワークづくりのための有形・無形の資産を継承すること。
・ 自らが地球的規模で考え、身近なところから行動を起すことの大切さや、ボランテイア活動のすばらしさを社会に発信してゆくこと。
この実現を目指していること提起されました。
『基本理念』は
・ 博覧会の来場者に思い出や満足感が残るような活動をめざす。
=高齢者も障害者も外国人も子供も・・・
・ ボランテイアが自らかんがえ、責任を持って行う活動を基本します。
=主体的に!自主的に!
・ 誰もが楽しく参加できる活動をめざします。
=それぞれの特技や特性を活かそう。
・ ボランテイア活動を一過性のものとせず、地域社会に継承させることをめざした活動とします。
=博覧会終了後も地域で活動しよう!
以上、午前の部はスライド等で紹介され、まだ見た事のない会場やパビリオンの紹介でしたが、座学でやはり硬いものでした。
午後からは参加者同士の話し合いにより進められました。
自己紹介から始まり、各自が来場者とボランテイアになって、ミニ芝居をして、どんなことに心がけたらよいか? どんな気持ちで接したか? もっとこうしたほうが良かった。
こんな事に気づいた。などの意見交換や立場の理解を通じて、「おもてなし、思いやりって何」を学んだ。
更にボランテイア同士の気遣い、活動のありかたについてもグループ討議をして気づき、学んだ。
午後が始まり、ほとんど始めての出会いの者同士であるが、アット言う間に打ち解けて有意義で楽しい時間がすぎた。
会期が長く(180余)、しかもその間5回しかボランテイア活動日がなく、会場も広く
持ち場も色々なので、本日のメンバーが再び顔を合わす機会はほとんどないのであろうが、それでも帰り際には、『じゃ〜またね』と声掛け合って別れていた。
ボランテイアに参加しようと言う動機のあるもの同士による波長の同調もあろうが、
色々厳しく、暗く言われる世の中であるが、いざとなれば(いやそれ以前から)力を合わせた、助け合いによる新しい時代、社会を作る精神、行動が既に芽生え、育っていると感じた。
キット素晴らしい驚きと発見があり、思いやりのある愛・地球博になる事だろう。 |
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| NO.69 平成16年8月 7日 |
たまには、若くて綺麗な人が良いですね
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今、二階のこの書斎は34〜5度になっているのではないでしょうか。
高校野球の初日、第2戦と3戦の入れ替え休憩時間にクーラーの効いている部屋からクーラーが壊れてまだ購入していないこの部屋にきています。メールの受信を調べにきました。 その数分後には首から背中にかけて汗は滝のように流れています。
蝉も鳴き止むほどの暑さです。
隣のS家から普段聞きなれない声が聞こえてきました。 2人おられるお嬢さんのうちの次女の声のようです。 「おバーちゃん、おばーちゃん」と呼んでいますが、おバーちゃんの返事はありません。 何度目かの声の後に一人で屋上に上ってきました。
着ているものは黒地に動物柄のようで、片肌脱いだカッチング・デザインの丈の短いワンピースです。
素肌の右肩には海水浴で焼けたのでしょうか、ラインが入っているのがクッキリと見えます。
私の目線とバッチリ同一線上にあるのですが、外からはガラスに反射して私の存在にぜんぜん気付いていません。
普段、この屋上には盆栽が約50鉢ほど置いてあり、S家のおじいさんが上ってきて作業をするか、盆栽購入のお客さんが上ってくるぐらいです。
ほとんどが60代過ぎの方たちばかりです。
さて彼女、手にデジカメを持っていまして、しきりにポーズをとってシャターを押しているようです。
首を傾げたり、右の人差し指をホホにあてって、軽く笑っていたりしています。
背景が気に入らないのでしょうか、場所を色々と変えておりました。
最後に決まった場所とポーズは道樹山をバッチリ背景にした、私の好きなビューポイントと同じところでニッコリした笑顔でした。
たまには、こんな若くて、綺麗な子を目の前にするのも良いものですね。
その間、暑さを忘れていました。
そして姿が消えると同時に再び汗の存在に気づき、早々と階下におりました。 |
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| NO.68 平成16年8月 6日 |
寝不足気味です。
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年間を通じ遅くとも午後10時までには床に入るのです普通ですが、このところ10時を過ぎても起きている事が多いです。 理由は野球ナイターが長引いているからです。
先週、ヒイキ球団・中日の対阪神戦7月27、28日は両日とも5時間、4時間半を越える延長戦でした。
第3戦は何とか勝ったものの、その疲れからでしょう、続くヤクルト戦は連敗です。 第3戦はこれまた長い試合となって、やっと勝ちはしたものの、こちらも疲れてしまいました。(翌朝の目覚めが悪いです。)
お得意様・横浜との第18戦は楽に勝たせてもらえましたが、19回戦はヒヤヒヤものの逆転でした。 テレビ放送は終了しており、枕もとにあの真っ赤なトランジスター・ラジオで聞いておりました。
11回表、横浜に1点先行されて大魔神佐々木の登板です。 これで万事休すとラジオを切って、例の扇風機(前回、27年ものと書きましたが、現在の家に引っ越してくる前からのものである事が判明、35年ものと訂正します)の安らかならぬ音を聞いて、目を瞑ったのですが再度ラジオ年のスイッチをいれました。
井端が中前打で出塁、立浪の初球に盗塁。 立浪が内野安打で出た直後、重盗。
無死2・3塁です。 もう目はパッチリで眠気など何処へやらです。
アレックスの同点打に続いて、井上のサヨナラ打で4時間39分の試合は終了しました。
こんなときは勝利のお立ち台の言葉も聞きたいもの、井上が少し遠慮勝ちに喜びと今後の活躍を誓っているのをきいて、マクラ元の飲み残しウイスキーを飲み干した時、柱時計は12時を打っていました。
翌日、中日戦はありませんので早目の就寝かと思いきや、巨人・ヤクルト戦がもつれて延長戦になりました。 1週間前に痛みつけられたヤクルトを応援してこれまた最後までラジオです。 さすがに時折寝入るのですが、ピンチ、チャンスにはハッと目が覚めるのですから不思議です。
と言う事でこの2週間は野球のナイター放送で寝不足となりました。
野球の事などに関心のない方はそんなに無理してまで起きていなくてもと思うでしょうが、これがファンというものでしょうか。
あと7日でアテネ・オリンピックです。 時差のこともあり更に不規則な時間帯に起き、興奮しての応援で今夏の夜は寝不足となることでしょう。
皆様も体調にお気をつけて、お楽しみください。 |
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| NO.67 平成16年8月 4日 |
この秋の発表会には間に合いそうです。
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いつもの散歩コースのひとつの青少年の森・多目的運動場の脇に、今年の4月中旬頃からデイープ・グリーンの軽自動車が夕方駐車するように成りました。
そして横笛が聞こえるようになりました。 聞こえる・吹いていると言っても当初はスースーという音ばかりで、旋律などなにもありませんでした。
吹けるというほどでもありませんが、豊根村"花祭り"のお囃子の一部くらいは音の出る自信がありましたので、寄っていって手ほどきをしてあげようかと思ったほどです。
お歳は50代後半でしょう。 多分今年の4月、何処かの文化教室か、横笛クラブに参加したのではないでしょうか。
いつも多目的運動場の隅のベンチに腰掛て一人で練習をされていました。(蚊に刺されはしないかと心配しておりました。虫除けでもつけていたのでしょう。)
私が通り過ぎるときは一時練習を中止して行きすぎるのを待っておられるのが分かり、ついつい足早になるのでした。
6月末頃になると、調子外れの音階ではありましたが、それでもスースーという音は聞こえなくなりました。
あるとき、お上手になられましたねと声をかけました。
数日後、またお会いしたのですが練習場所が代わっておりました。
バックネットのある隅のほうから散歩の人が通過する事が多い、築水池周回道の入り口になっていたのです。
7月下旬"荒城の月"のメロデイーが二重奏で聞こえました。
周回道入り口・坂を登りきったところで、いつもの方ともう一人の方でした。
決して素晴らしいといえるほどではありませんでしたが、旋律は確かに荒城の月です。私が近づき通過しても演奏はやみませんでした。
きっと今年の秋10月頃には発表会でもあるのだろうと想像しました。
今あのレベルならもっと素敵になって、発表会には間に合うのだろうといつか応援している私でした。
私の文化活動はストップしています。 愛・地球博の宣伝をかねて、ニューヨークのカーネーギー・ホールで第九を歌う計画があるが同行しないかと誘われましたが、いまからドイツ語と歌の勉強では追いつかないとお断りすることにしました。
暑い暑いと言っていても後3日で立秋です。 が私には殊のほか残暑も厳しく、さわやかな秋・菊薫る文化の秋とは程遠くご縁のない状況です。 |
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| NO.66 平成16年8月 4日 |
弥勒山に久しぶりに登る
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8月2日久しぶりに春日井市の最高峰・弥勒山(437M)に登りました。
岐阜県との県境でもあり、愛岐3山とも呼ばれているようで、JR中央線の定光寺から、東海自然歩道になっており、弥勒山のほかに何時もここに登場します道樹山(429M)、大谷山(425M)です。
普段は3山の麓と南側にある西高森山(215M)が中心で、眺めてはいるのですが登ろうとするときは「今日は登るぞ!」と気合をかけてからの出発です。水筒ももちました。
途中の休憩小屋で一休みして、大谷山側から昇ると最後の300メートルが急坂になるので、北西側に回りこんで内津峠側から昇る事にしました。 私の足で1時間でした。
やはり215メートルと437メートルでは苦労した分眺望がちがいます。
しかも前回来たときよりも北から東側の眺めが良くなっています。(毎年、初日の出をここで迎える方々がおられます。 2年前、初日を拝む会に参加したとき、邪魔な木々があるなと思っていました)。 落葉樹を残してヒノキと松を切り倒してあったのです。
<帰宅後、又聞きの又聞きで、あの山のところは県有林ではなく私有地で、弥勒山大好き人間達が所有者に掛け合ったところ、ご自由にと言われて整備されたとの事です。>
多分その方々によるのでしょう弥勒山の展望台には数年前より記帳ノートが設置されています。 今回は登頂記念用にスタンプも置かれていました。
ブリキ製のお菓子の箱の中に納められたノートNOが13とあります。 存在は認めていましたが開いて読んだこと・書きこんだことはありませんでしたが、汗が止まらないので椅子(これも新たに設置されていた)を引き寄せてパラパラとめくってみました。
紹介したい内容のものがいくつかありましたが、書き写してくる物を持ち合わせておりませんでしたのであきらめました。 次回はここで紹介できるように用意してゆきます。
が、ひとつだけメモしてきたことがあります。 弥勒山山頂から撮影したパノラマの写真に"この写真は以下のアドレスで見る事ができます"と紹介されていたホームページ・アドレスです。
最後にそのHTTPを紹介しますが、この弥勒山を愛する会のホームペ−ジを見れば、弥勒山の素晴らしさは全て感じていただけると思います。
私も早速、「お気に入り」に登録しました。
ではhttp://page.freett.com/mirokunosato/index.htm |
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| NO.65 平成16年8月
1日 |
「貴方はどんな感動をしましたか?」
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良く質問と言うか訊ねられます。 「良くも毎日書くことがありますね」と。
以前にも同じような質問に対し、何か書いた記憶がかすかにありますが、その内容はまったく忘れてしまいました。
書いているほうもその程度ですから、読んでくださる方も同じようではないかと思っています。(失礼)
毎日24時間が繰り返されるのですが、毎日刺激的なことばかりであったのでは多分たまったものではないかと思います。
と同時に24時間あれば何か、何処にひとつくらい気がつくこと、教えられる、感じる事、考える事があるものではないでしょうか。
そんな24時間のある時、ある場面を切り取って書いています。
ある集団の責任者をしていたとき、年度の終わりに反省と次の年度の希望を整理してみましょうと紙に書いてもらうことをした事がありました。
それは出来る限り会社とその方に関係した事でなく、私的に1年を振り返ってもらおうとの考えからでした。
質問項目は以下のようなものであったと記憶しています。
・今年あなたが楽しかったことは? 悲しかったことは? 嬉しかったことは?
感謝したいことは? 感激しいたことは? 等でした。
あるとき、一人の活発で・自尊心も高く・個性的な女性の方から質問をうけました。
「加藤さんの今年の感激した事は?」と。 突然なことでもありましたので、「特別何も無かったナ〜」と応えると、手紙が届きました。
『何も無かったとのお答えに失望しました。 私だって特別に何があったということもないのですが、それでも何かなかったかと一生懸命に思い出して書こうとしているのに、
何も無かったという態度に失望しました。』と
この手紙をいただいた時は少々堪えました。
この投稿も8月で丸3年になります。 当時これほど続くとは思ってもいなかったのですが、まさに「いい加減 精神」で24時間のうち、起きている時、眠っているとき(時には夢を見た事も加えて)の何かを気軽に書いてきました。
学校を卒業して40年、会社人間を終了して6年。 それまでに関係した方との交流を一度断って、新しい関係の輪を創ってみたいと思ってやってきました。
それでも、疎遠になりがちな方から、手紙、メール、FAXをいただいています。
旅先で出会った方からの便りもあります。(長くは続きませんが・・・)
何かの折にお会いすると、「読んでいますよ」と言われ何の事かと思うこともあります。
何も発信せずにいたら味わえない事を感じています。
毎日、特別な感激や感動があることが特殊なことだと考えます。
退屈な(?)24時間の平凡な時間の中から(最高の幸せ)、ありきたりの事柄をこれからも書かせていただきます。(これが感動なのでしょうか?)
炎天下の蝉の声と共に、身の回りの事から始まり様々な事柄に思いが広がってゆく8月となりました。
遅くなりました。 暑中お見舞い申しあげます。
御身体ご自愛のことお祈り申し上げます。 |
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| NO.64 平成16年7月31日 |
台風10号が通り過ぎてゆきました。 その2
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「その1」「その2」と書くほどのことではありませんが、「その1」で「もみじ葉琉球あさがお」の愛らしい淡ピンクの花を眺めた後に、朝定番の神棚の礼拝です。
何時もの散歩コースのひとつ道樹山の中腹から榊の枝をいただいてきています。 (自然を大切にしましょうには反するのかなと思いつつ・・・ が、次々と自生えしても来ますし、時折山道の整備のために、切り倒してもありますし、枝の整理もしてあります。 言い訳はこれくらいにして・・)
昨年11月から今年にかけての冬場、神棚の榊は週に1回の水替えで最長4ヶ月半青々としていました。
春、秋は2ヶ月ぐらいでしょうか。 今年の春4月以降は週に2回の水替えをする事にしました。 それでも特に春の新芽の時期のものは弱く2ヶ月は持ちませんでした。
7月に入り夏葉に変わったところで、毎日の水替えに切り替えています。
毎日の水替えによって葉は生き生きとしているように思えるのですが・・・
神棚には灯明をあげます。 今朝は台風10号の影響でいつもより強い風が吹き込んできます。 普段、灯明が消えると言うことなどありませんが、今日はなんと3回も消えるではありませんか。 と言って別に不吉な事など感じませんでしたが・・
吹き込む風に影響されてロウソクの蝋が右側に吹き流されていきます。 そのために普段の倍の速さで芯が減ってゆきます。 流された蝋が灯明台の皿の部分に溢れてきました。
今にも溢れ落ちるというところで本日の礼拝が終了しました。
明日はこの残された灯明からの続きとなります。
遅い朝ごはんとなりました。 ビールロックは変わりません。 美味いです。
既に時間は11時を過ぎております。 普段はこのまま二階に上がるのですが、眠気がさしてきました。 歯を磨き、和室で寝転びました。
目覚めた時間は午後の1時半でした。 やはり昨夜は熟睡していなかったのでしょう。
起き出して、冷たいウーロン茶を一缶いただきました。
と書きつつ、これは小学校時代の夏休みの日記のようだと思っています。
台風一過のすがすがしさ、さわやかなお天気とは参りません、サアーと雨音です。
道樹山を煙らすように横殴りの雨がながれてゆきます。
台風10号は本当に通り過ごしたのでしょうか。 7月31日の日記です。 |
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| NO.63 平成16年7月31日 |
台風10号が通りすぎてゆきました。 その1
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今回の台風はいつもの沖縄・九州方面から北上してくるのではなく、小笠原諸島から北上して西北に、あるいは西に進むと言う進路でした。
このところ雷雨が予測されても、このニュータウンにはほとんど雨が降らない毎日でしたので、少々雨乞いの願いを込めていたのですが、時折のパラツク雨程度で適度のお湿りとまでは行きませんでした。 期待しては朝、夕の水やりを控えていたのですが・・・・
本州に近づいた30日の夜から31日の明け方までは低気圧の関係でしたのでしょうか、寝苦しい夜を過ごされた方が多かったのではないでしょうか。
私も夜中に目が覚めてしまいました。 和室は南北の戸とドアーで風が通りぬけるようになっていますので強めの風が吹きぬけていましたが、それでもジャマの襟ぐり辺りが汗で濡れているのをハッキリと感じるほどでした。
マクラもとの茶を飲み再度寝つきはしたものの、起床はいつもより2時間ほど遅く時計の針は7時を回り、朝のマクラは汗ばんでいました。
テレビは和歌山県から四国方面に警戒を呼びかけています。
いつも通りに朝の定番の行動をすすめて、雨戸を開きました。
ベランダまで3メートル以上も紐で誘導した、「もみじ葉琉球あさがお」の4輪の花が咲いていました。 まことに愛らしい淡ピンク(クリスタル パールピンク)で、多年草との事ですが今年の初咲きです。
昨夜は夜通し風に吹かれて、彼女も目が覚めてしまったのでしょうか? それにしては眠気眼の様子ではありません。
寝苦しかったと言っている者がいる反面、綺麗で涼しげな花を咲かすものもいる。
台風10号の通り過ぎた日のことでございます。 |
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| NO.62 平成16年7月30日 |
井戸の話です。
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このコラムを読んでくださっている方は"井戸ってなんだ"という方はいないと思います。 一昨日の"ケロリンの桶"の話しよりはまだ身近に見たり、利用したりしておられることでしょう。
確か今年の6月、早目の台風6号が到来したとき、豊橋の実家の塀が風で壊れて、取り壊しに行ってきたことを書いたと思います。
其の時、枯れた榊の木の後に自生えした、名前も分からないのですが、隣家の電線にまで枝を伸ばして青々と茂った木を剪定しました。
そのまま捨てるのも惜しく、束ねてお墓参りの榊の代わりとしました。
その木の隣にある井戸のことです。(長い前置きでした)
今朝、姉に電話をするとその井戸が壊れてしまって水が上がらないとの返事です。
水道の蛇口をひねれば別に良いのですが、長年利用しているのでやはり直したいというものの、かってお願いした井戸屋さんに連絡すると、親父さんが入院中との事で困っているとの返事でした。
豊橋の街中で井戸など使っているところはもう少ないだろうと思っていたら、数年前その親父さんが言っていたそうです。 「そんな事はない、この辺はアチコチにまだまだある」そうで、新しく井戸を掘った立替新築の家もあるそうです。
実家のあるとこらはかっての城下町・町人町です。
私の実家のある町は家具屋さんの町で曲尺手町(「かねんてちょう」と読む、)の他に、呉服町、鍛治町、札木町(何の商売をしていた町でしょうか? 両替商?)と続いています。数年前からこの町内を含んで、豊橋市街の都市景観整備もすすめられているようです。
さて、この井戸は戦前からのものです。 周りを掘ってみると昭和20年・豊橋の空襲の時に焼けた瓦や焼夷弾等で焼けた赤い土であることからも分かります。
昭和34年の伊勢湾台風の時は水道が断水してしまい、この井戸が活躍したものでした。
水質は良くありませんので、飲み水にするには一度煮沸する必要がありますが、この井戸水を使って行水や朝の洗顔をしたものです。
スイカを網に入れて縄で吊るして冷やしもしました。 冷蔵庫が一般家庭に無いころでもありました。 贅沢なというよりはそれしか出来なかった生活の一断面でもありました。
木の蓋が腐り、飛び降りた猫が水死したこともありました。
などと、次々に思い出します。
車で高速道路を走れば一時間半の距離ですが、年々訪れる回数が減っています。
井戸が壊れたと言う事は一度水神様にご挨拶に来なさいと言うサインかなと思っています。
水の大切さ、重要さを口にはしているものの、普段の生活上ではどうだろうかと反省させられるところです。
台風10号が太平洋上を西に向かっているようで、朝からの快晴の空が少し怪しくなってきました。
庭の一坪半の畑のナスは水不足でフニャフニャで張りがありません。
適度なお湿りであってくれれば有難いのですが・・・・ |
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| NO.61 平成16年7月28日 |
湯銭の"ケロリンの桶"ご存知ですか?
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「コラム1−D NO60」で化成品・真っ赤なトランジスター・ラジオのことを書いているときに、"ケロリンの桶"のことを思い出していまして、横道にそれて書いてしまおうかと思いましたが、長くなりそうでしたので、あらためてNO61として書きます。 と言って特別な事ではありませんよ。
だって COLUMN 1−Dは「一事(時)が万事、万事は凡事(時)」なのですから・・・
昭和30年代、私の実家・豊橋には自家風呂はありませんでした。(当時は自家風呂を持っていた家庭は50%未満だったでしょうか?(30年前半〜40年前半)
各町内にはそれぞれ湯銭がありました。 手元にある昭和38年の東京都内の公衆浴場商業共同組合が湯銭の原価計算の結果をお客様に「急告」して掲示した資料によると、大人24・61円、中人19・43円、小人10・36円とあり、値上げを申請したとあります。
内風呂が普及する前で、暮らしに欠かせない湯銭の料金の値上げは社会問題になっていたことをしめしています。
豊橋・曲尺手町の"石巻湯"では中学生(昭和29年〜32年)であった頃、確か9円だったと記憶しています。大人12円。
ここで湯銭を通じて経済を語ろうとしているのではありません。
当時、私の利用していた浴場も木製の椅子と桶だったのですが、頭痛薬"ケロリン"の宣伝マークが入った桶が新規に入ってきたのです。 それは化成品・真黄色の鮮やかな色でした。 (ここで真っ赤な化成品・トランジスター・ラジオと結びつきます)
多分この頃を境に化成品がそれまでの自然製品の家庭用品を席捲していったのでしょう。
ところで今、このケロリンの桶を見る事はできるのでしょうか?
<できます。> 飛騨・高山の湯銭に行けばまだ現役です。
それから、昨年九州の車旅のときにお世話になった「佐賀県・古湯温泉センター」(旅日記 九州 NO323で紹介しています)でも出会いました。
車旅では町営・村営のOOセンター、△△保養所、××温泉などにお世話になるのですが、施設は全て近代的で湯と水がフンダンに使えるだけでなく、様々な浴槽やスチーム、あるいはサウナ・バスまで揃っています。
ところが、高山市内の湯銭の話に戻せば、公衆浴場法(?)が厳しくなり、設備改善の追加投資が求められたのでしょうが、私がお世話になる湯銭は採算上大きな投資はすることは出来ず、基準を何とかクリアーするための対応として、むき出しの配管となっている状況です。タイルもアチコチはげています。
私の知る限りではそれらの湯銭は年々閉鎖が進み、あと3軒のみとなりました。(高山市内にはもっとあるのでしょうが・・)
あの黄色のケロリンの桶もアチコチ磨り減って、黒ずんだところがイッパイです。
今度訪ねた時まで残っているのでしょうか?
昔ながらの湯銭に入ると、その土地の訛りと共に人情味が伝わってきます。
それは決して味気の無い石油製品・化成品のものではありません。
真黄色のケロリンの桶も私にとっては情緒あふれる一品です。
(追記)
ケロリンの桶の話が通じるのは60歳代以上の方でしょうか?
50代の方ではほとんど無理なのでしょうか?
40代以下の方は何の話かも分からない事でしょう。 |
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