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NO.80
                                              平成16年8月31日

名古屋ドーム、ドラゴンズの応援に行ってきました。

1年ぶりでしょうか名古屋ドームに行ってきました。
 8月の後半は中日の打線が少し湿り勝ち、スッカとした戦い、勝ち方がなく気になっておりました。 その間、巨人・読売ジャイヤンツもモタモタとしており、ヤクルトがジワジワと追いかけ巨人を追い抜くという状況になり、大砲の巨人より繋ぎの強力打線と投手力のあるヤクルトのほうがいやらしいと気をもんでの対阪神戦24回戦の応援に出掛けました。 先発は川上、彼なら負けるはずがないと・・・
 当日券は有るかと名古屋ドーム・中日ドラゴンズサイトのホームページで調べ、電話で訊ねてみると、外野席は売切れであるが内野席ならあるとのこと、出掛ける事にしました。

 地下鉄名城線が名古屋大学まで延長されて初めてのドームです。
 大曽根駅の乗換えでは“ゆーとりーバス”でドームへの案内もあり、戸惑いましたが予定どおり地下鉄にてドームへ。
 長い連絡橋(300メートル)を渡って入り口に、その間ダフ屋さんが何度か呼びかけてきましたが、一直線に総合案内所で訊ね、そしてチケット販売所に。
 これまで当日券を購入しての観戦は初めてなので、実際チケットが手に入るまでは気がかりでした。

 入場したのは4時少し過ぎでした。4万5百人収容の客席はまだ1〜2割程度のお客さんです。  年に1〜2回しか球場に足を運ばない者にとっては、このくらい時間的余裕をもってくるのが良いと改めて感じました。
 阪神の練習を見やりながら球場全体を見渡し、持参の双眼鏡でアチコチをズームアップ、やっと身体がこの大きな構造物になじんでゆきました。
 センターボードにある大型スクリーンに観客の映像がアップで映し出されます。
 夏休み最後の日、あすから二学期の始業式というのに小・中学生が目立ちます。
 ドラゴンズのユニホームを着、手には応援のメガホン、中にはヒイキ選手の名前を書いた手製のボードを早くも掲げています。

 試合開始前のセレモニーが終わり、6時ジャストに戦いの火蓋がきられました。
 と同時に、知らない間に私の後ろに陣取った若いアベックが、メガホンを叩いての応援が始まりました。 隣の女性はほとんど野球を知らないようです。
 いや、知っているのに彼に色々と訊ねているのかとも思いましたが、耳をそばだてて話の中身を聞いてみると本当に分からないようでした。
 が、1回裏中日の攻撃、先頭打者荒木の3塁線を抜く2塁打、一死後立浪の2塁打で先取点を取ったあたりから、二人でバンバンとメガホンを叩いての大声援です。
 既に数杯のビールを飲み干した、数席離れたところの3人の男性応援団も競争するように更に大きな音でバンバン、ガンガンとメガホンをいっそう激しく打ち鳴らします。 
ヒイキのチームの得点、チャンスですので許すことは出来ましたが、それでももう少し他人のことを考えてと思わずにはいられませんでした。

 それに比べて隣の30代の男女は語るのでもなく、といって応援している様子でもなく静かにゲームの進行を見守っていました。
 そのお二人3回裏の中日の攻撃が始まるころには姿が消え、その後席には戻ってこられませんでした。 ひょっとしたらお見合いの続きで球場にでも来られたのでしょうか。
 また同じ頃、後ろの席の喧しい男女も応援疲れしたのか、中日の優勢というのにメガホンの音も静かになり、こちらも落ち着いての観戦ができました。

 球場全体の入りは結局最高時で6〜7分の入りでした。
 レフト側の外野席、負け試合というのに最後まで阪神タイガースのフラッグと声援が轟いていました。 大阪からのファン・応援団と地元名古屋の阪神ファンなのでしょうか、たいしたものだと感心してしまいました。
 勝った試合の話をしながらの帰路は気になりません。 球場から大曽根駅までは歩く事にしました。 もって行くのを忘れてしまったトランジスター・ラジオがあれば耳にあてて、満員電車の中央線の中でも聞いていた事でしょう。
 9対3の勝利で、終始安心して観戦していられた久しぶりドームの野球観戦でした。
 今期の中日ドラゴンズの優勝は間違いないでしょう。
 が、中日優勝の年はなぜか世の中騒がしい事があるという記憶があるのですが・・・

NO.79                                               平成16年8月31日

台風16号が通り過ぎて

 大型で勢力の強い台風と報道されていたが、心配していた8月28〜29の百姓学校の定例会にはそれほどでなかったので、多寡をくくっていた。
 30日の夜も早々と床に就く。 それでもと思いスラット雨戸を雨が振り込まない程度に閉めておいた、が夜半を過ぎ頃にガタガタと音を立てると同時に風が舞うように進入してきているのを感じつつ又眠りに入っていく。 時折飛ばされてきた何かが雨戸に吹き付けられているのを聞いたように思える。 そんな事を数度繰り返しながら朝を迎えた。

 雨もやみ、風も収まっていた。
 玄関ドアーを開けると吹きだまった枝や葉が散らかっている。
 ノーゼンカズラを支えていた支柱は飛ばされている。
 道路に出ると、前の家の門のところに栗のイガをイッパイつけた枝が横たわっている。
 それを引きずって溝のところに持ってゆくと、溝には栗のイガが50個は落下していた。
 栗の木を見上げると、昨日まで重たげに釣り下がっていたイガがほとんどないではないか。 さらに坂道の上に歩を進めて遠めに眺めてみたが、栗の木の天辺の辺りはイガはほとんどなく、全体でも8〜90%のイガは風に吹き飛ばされた姿である。
 中には、枝が二股に分かれているところから裂け、宙ぶらりんとなっているものもある。
 坂の下のほうまで眺めてみると、イガは流され、吹き飛ばされていた。
 栗のイガにばかり気をとられていたが、茎の長い花々も全て倒れている。
 半眠りの中で聞いていた雨・風であったが我が家の栗に限っては収穫がほとんどゼロに近い大被害である。
 今年はこの下を通過するときは落下する栗イガにご注意くださいという紙札を出さなくてすむが、学校帰りの子供たちの楽しみがひとつ無くなってしまった。

 ベランダから麻紐をたらし、巻き上がった沖縄朝顔かベランダのところまで顔を出した茎と葉は大半吹き飛ばされていた。
 スラット雨戸を開けると、ピンクの花が何も無かったかのように3輪咲いている。
 「昨夜は良く眠れましたか?」と言っているように・・・
NO.78                                               平成16年8月27日

 処暑すぎて、秋の虫鳴く

 8月26日の散歩の時に気づきました。秋の虫の音を・・・
 普段はこの時期5時〜5時半頃に散歩に出掛けるのですが、昨日はアテネ・オリンピックの男子トライアスロンを見入っていたために6時を回ったところで出発しました。
 陽の沈むのが午後7時前になっていたことは分かっていたのですが、いつものコースを反対回りした事と薄曇であったこともあったのでしょう、廻間の岩船神社から築水池に至る地道は大きな木々に覆われて、辺りは薄暗くなっていました。
 その直前、元気牧場の3頭のお馬さんも夕食を終えたのでしょう、遠くの裸電球の光が何とか届くところで、空桶の周りでのんびりと蝿を追ってシッポをユッタリと左右に振っておりました。

 軽く汗が滲んできた頃でしたので、歩く速度を緩めてタオルで顔を拭っていると、梢のツクツクボウシの声に混じって、草むらからリーンリーンという音が聞こえているのに気がつきました。
 立ち止まり耳を澄ましました。間違いありません秋の虫の音です。
 暑い暑いといっていた今夏ですが、知らぬ間に秋が忍び寄ってきていた事に気づかされました
 相変わらずツクツクボウシの鳴き声のほうが数多く、また大きいのですが私の耳は虫の音のほうに引き寄せられていました。
 急にもの寂しさを感じ、深呼吸をし、両手を上げて背筋を伸ばすように左右に強く振りぬくと、背骨のところがボッキと音をたてます。 
気を取り直して軽い登り勾配、雨でえぐられ溝の出来た地道を速度上げ、築水池まで一気に早足でした。

 築水池の湖面は何時もの残光の照り返しはなく、薄暗く静まりかえっておりました。
 プロ野球の実況放送を共にしていましたので気がまぎれておりましたが、秋到来を感じずにはおられませんでした。
NO.77                                               平成16年8月23日

感動、感激、そして寝不足です。

 今、パソコンの前に座りました、時刻は8月23日・ジャスト昼の12時です。 普段ならばボツボツ昼ごはんという時間です。
 本日、午前1時に目覚まし時計のベルで起きだして、アテネ・オリンピック女子マラソンを終了まで視聴していた結果、起床が遅れたからです。
 併行して書いている、コラム2−N「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」で書いています、「アテネ・オリンピック 勝者・敗者の一言」に、その一部として入力しようかと思いましたが、独立してこのコラムに書くこととしました。

 本当に「感動、感激、そして寝不足」です。
 その1つ高校野球がやっと(いや、早くも)昨日8月22日終了してしまいました。
 この試合、高校野球・決勝戦に多くの新記録を残しました。
 (強打の駒大苫小牧は、大会最高チーム打率を塗り替えた。5試合を174打数78安打で4割4分8厘。第83回大会優勝の日大三(西東京)が記録した4割2分7厘を上回った。 決勝戦の打撃戦。両チームの2けた得点は決勝戦では始めてで、計39安打、23得点と計26残塁も決勝史上最多である。
 駒大苫小牧は毎回安打を達成し、20安打は決勝史上最多タイ。)

 連投となった両軍の投手が疲れていたこともあるだろうが、5対1で済美(愛媛)がリードしたときは、これで勝負あったと思ったが両軍の粘りはそんなものではなかった。
 結果、初めて真紅の優勝旗が"白河の関"どころか、一気に津軽海峡を渡ることになった。 北海道勢が春夏を通じて初めて甲子園を制したことになった。
 昼間の試合とは言え、連日のアテネ・オリンピックの観戦の延長戦であり、時に半分目を閉じてのテレビ観戦であったが、後半眠気は何処にやらの感動、感激であった。

 続いて、女子レスリングの予選、ソフトボール準決勝、野球の予選最終戦対ギリシャとチャンネルを廻す。 一方、ラジオでは中日対横浜の一戦に耳を貸しているという状態であった。
 中日対横浜は雨でコールドゲームとなり、ヤレヤレと一眠りして冒頭の女子マラソンの観戦となった。
 優勝の野口みずき、5位の土佐礼子、7位入賞の坂本直子の活躍にハラハラ・ドキドキであった。 追いかける世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ(英国)が36キロでリタイヤーした姿に過酷なレースの現実をみた。
 一時39秒の差をつけていたヌデレバ(ケニア)がヒタヒタと野口を追いかける、その差が12秒と迫る。 最後の給水のボトルを取る、「それ行け!」とテレビの野口に声援をおくる。
 ゴールのパナシトナ競技場に身長150センチ小柄な身体で大きな走り、躍動感あるスライドで入ってきた。 野口が手を振る、そんな余分なエネルギーを使わずに速くゴールに飛び込めと思わずにはいられない。
 太く・青いゴールテープをきった。 感動、感激どころかこちらも疲れを覚えていた。

 平常は午前4時〜4時半に配達される朝刊、オリンピックの期間は遅れますとの案内があったが、今日は何時に配達があったのか知らない。
 しかし、<12 尾張版>には"野口 死闘「金」"と最大の活字で印刷されていた。
 テレビは5時間ほど前に終了した「女子マラソン」の録画を放送している。
 それを横目で見ながら、新聞の「野口 栄光へ疾走 "速さの申し子"発祥の地で挑む」とあるのを、ロック・ビールを飲みながら、ゆとりを持って読んでいる。

 今日の午後は女子レスリングのLIVE放送である。 昼寝をしている暇はない。
 こんな事を数日前、電話をしてきた知人に話していたら、「最高に楽しみ、感動、感激しているのはあんただよ」といわれました。 
 そのとおり言い訳などなにもありません。 血を流す戦いよりも五輪オリンピックこそ
平和の祭典です。
 競技に望んだ選手達は戦いの場の何十倍、何百倍、何千倍の練習・訓練の賜物を惜しみなく披露してくれます。 観衆の応援も盛り上げてくれます。
素直に・純粋に感動、感激を味合わせてくれます。
今夜も簡単には眠らしてくれそうにもありません。
NO.76                                               平成16年8月22日

赤松が枯れる?

 今年の夏は殊のほか暑い。 とはいえ、まさか松が枯れるとは思ってもいなかった。
 2週間前から一部の枝の葉が茶色に変色しだしたので、大分疲れている(水不足)とは思っていたが、時間の経過と共に全体に広がってしまった。
 これは赤松の方で黒松は5本あるが青々と茂っているので、今のところ心配なさそうである。 それどころか晩秋の剪定が大変になりそうなほどの茂りようである。
 
 赤松は親戚の家の庭に自生していたものを掘りあげて、移植したものである。
 自分で松の剪定をするようになる前、植木屋さんが入っていた頃、何度も「この赤松はどうしようもない」と毎年言われていたので、私がなんの知識のないままに、「どうにでもなれ」と思い切って剪定した。 とこらが2〜3年たったころに少しは見える姿になった。
 植木屋さんも「ましな形になったものだ」と認めてくれたものである。
 
10年ほど前、弱めの剪定をしなければならない赤松の事を忘れて、もみ上げを強めにしたために数本の枝を枯らしてしまった。 
枯れた枝もそのままにしておけばそれなりの風情があるものだと教えられ、そのままにしておいた。 確かに切り取ってしまうよりは全体のバランスは取れていたが、年月と共に枝先から腐って一枝・一枝と減っていった。 
そして今年の暑さと乾燥である。 取り囲むようにある乾燥に弱いサツキが枯れずにいるのだから、水不足だけの理由でもないのかなと思ったりしている。
が、やはり水遣りをサボったためかなと反省しつつ・・・

手塩にかけたとまでは言わないが、年に数度面倒を見ているこの赤松がこのまま枯れてしまうのか思うと、いささか寂しい。
百姓学校に行く道すがら、瑞浪・日吉で樹齢100年とも思われる見事に手入れされた黒松が枯れ葉色になって、既に2年ほどそのままの状態に置かれてある。
きっと、色々の思いがあって切り倒す事が出来ないままでいるのだろうと通るたびにみていたが、比べ物にはならない我が家の赤松であるが、少なくとも来年の春までは切り倒すことなく、新芽が吹き出しはしないかと毎朝・毎晩眺める事であろう。
一時の猛暑は去ったとはいえ、それを思い起こさずにはいられない赤松の姿である。
NO.75                                               平成16年8月16日

冷蔵庫・製氷室の水垢を洗う

 今年の夏は例年に増して冷蔵庫のお世話になっている。 特に製氷機は朝・晩、ペットボトルから水を追加してフル回転である。 それでも不足してコンビニエンス・ストアーからアイス・ブロックを買ってきているほどである。  特に、製氷機能が悪く製氷時間が長いとは思えないので、やはり使用頻度が高いのであろう。

 現在の冷蔵庫は10年前・前後に購入したもので、結婚以来3代目のものである。
 初代は昭和43年、勤務していた会社のお店が閉店する事になって、処分のバーゲンセールが実施されたとき、電化製品一式(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫、扇風機とアイロンであったと思う。 扇風機はこのところ時々このコラムに登場している、アレである)を総計10万円なりで購入した。(この10万円は確か結納金相当であったと思う)
 当時の冷蔵庫の大きさは80リトッル前後のものであった。(1DKの借家アパート)
 2年後、高蔵寺ニュータウンに引っ越したとき、知人からお古の冷蔵庫を貰いうけ、同じ大きさの80リトッルのもの2台を使用していた。

 5年後、現在地に移転するときも、この2台の冷蔵庫は同伴であった。
 確か、1年後ぐらいにそのうちの1台が調子悪くなり、この際と思い2台とも処分して、2代目280リトッルの大型冷蔵庫に切り替わった。 この冷蔵庫には製氷機能は装備されていなかったと記憶する。
 2代目から3代目に切り替わるときの事はほとんど記憶がない。
 その3代目の冷蔵庫は4室に区切られ、下段2室が冷凍室、その上が野菜室、最上段が冷蔵庫となっている。 

時には冷蔵庫の内部は掃除がなされているようだが、近年冷凍室は常に満タンに溢れ、不測の事態のときに対応されているのだろうと認識し、口をつぐんでいる。 (ジントニック用のライムがスライスされ、ラップに包まれて冷凍されている限りは・・・)
 我が家で取れたトマトが冷凍されて冬場に発見、冬場作った干し柿がカチコチになって夏に出てくる。  更に旅先で購入してきた干物を懐かしく手にしながら・・・(こんな事を書いているのが発見されたら・・・・)

 さて、その続き製氷機の水を貯めているタンクが汚れている事に気づき洗う事になった。
 簡単に洗えると思ったら、それがどうして狭い溝がありキッチンのタワシでは役にたたず、歯ブラシから綿棒まで使って20分もかかった。
 翌日、「美味しい氷が出来ているぞ」と開けてみると、出来ていないではないか。
 どこか接続でも悪かったのかと簡単な部品の接続をいじってみた。 8時間後、覗いてみたがこれまた一向に氷の姿が見えない。  再度、分解(と言っても部品は5個)して取り付けなおした。 
 翌日、これまたアイス・ブロック室は空っぽである。 其の時気がついた、管の配線が間違っているのではと・・・
 翌日、数個ではあるが出来上がっていた。 成功である。(ここで掃除時の留意点、部品の配置、配管を確認しておく事。以外と落とし穴あり)

 ここまで読まれた方、最後の落ちは何かと思われたでしょうが、これでおしまいです。
 終戦(敗戦)時、暑い炎天下に水を求めてさ迷っていた人々があったであろうに、
59年後の今、私は冷蔵庫の製氷室と水タンクの話をしている。
 せめてこの暑さを我慢してみようと、壊れたエアコンの購入を我慢。 
また36年前購入、羽が壊れ、油切れの音がする扇風機を見やりながら・・・・
NO.74                                               平成16年8月13日

お盆休みに入って

 今週から帰省ラッシュが始まって、渋滞距離の長さが報道されている。
 現役時代、現場は逆に稼ぎ時とあってなかなか休日が採りにくかったことをおもいだします。 また、こんなに込み合うときに帰省しなくても良いのにとも思ったことでした。
 と言って、一般的には皆が休むときに一緒に休むのが、仕事上も都合が良いのかなとも思っていましたが・・・・
 
お盆のときとあって、やはり我が家の周りも少し静かなように感じます。
 2日前には前の家のO氏一家が関東・埼玉に家族8人で里帰りしされました。
 交通ラッシュを避けたのでしょう、午後の9時過ぎに我が家の玄関チャイムがなりました。 4歳の子供からおばあさん・おじいさんまでワゴン車は満員でした。
 野球少年Y君の離れの部屋から元気な声が時折聞こえてきます。 このところ、今年から中学1年になった姉・Kちゃんとの一緒の声はしなくなっていたのに、昨日・今日と二人の話し声がしてきます。
 遊び友達がどこかに出掛けてしまった後の姉弟でしょうか?
陽がのぼり蝉の鳴き声も止み、姉弟の声が聞こえる開け放った窓を通り過ぎる風は心なしか涼しく感じますが、後2時間をすれば、33〜4度となることでしょう。

 やっと我が家のサルスベリの花が咲きました。
 今年も一番高い枝に数輪の塊が栗イガのイッパイついた枝に覆いかぶせられて、その赤の色合いに比べて、密やかに見える姿はボンボリのようです。
 それに対し、その横の藤棚は2メートル以上にも伸びた蔓(6月末に一度剪定している)がどこか掴まる所はないかとばかりに、互いに絡まりあいながらユラユラとゆれています。
 この藤蔓にも負けないほどに「トケイソウ」の蔓が門柱とポストを覆い隠しています。
 4年ほど前に、門かぶりのイチイの木が枯れた後、女房が植えたものです。
 6月頃、余り見栄えのしない白色の花をつけていましたが、その後グングンと成長して庭に通じる通路をふさいでしまいそうです。
 この暑さの中に成長するのですから熱帯地方からきたものでしょうか。
 
熱せられ始めたアスファルト道に栗のイガが又1つ音もなく落下し、コロコロと溝まで転がってゆきました。
 突然、ツクツクボウシの鳴き声が一度して、直ぐに鳴き止み、もとの静けさです。
NO.73                                               平成16年8月12日

連夜の乾杯です。

 2週間前に中日は対阪神戦、2試合で10時間を越す延長戦の戦いとなり、選手はクタクタとなり、続くヤクルト戦はモタモタの戦いでやっとの1勝であった。
 先週その阪神は伝統の一戦よろしく対巨人戦で意地をみせてくれた。 結果巨人は疲労困憊で名古屋に乗り込んできた。 
巨人は3連戦3勝で一気にゲーム差をゼロにする積もりであったろうが、中日は広島との戦い後、ゆとりを持って本拠地で巨人を迎える事できた。
 と言えばかっこいいが実態は緊張を強いられた戦いであった。 第1戦先発・川下の初回の投球内容にそれが如実にあらわれていた。 
第2戦。39歳の誕生日、ワザを披露した川上が快投、結果は2連勝である。
 本日(8月12日)第3戦中日は先発ガルベス投手であろう。 巨人は投手を使い果たしており誰が先発するのであろうか。 高橋か? まさか桑田?
 本日の1戦を加えて対巨人戦、残り試合は10試合となった。 頼むぞガルベス!

ところで、同じニュータウンに住んでいる知人から、連日一杯飲にこいとのお誘いがさかんであるが、彼はほとんど野球の事には関心がない。
 テレビはついているものの、そちらのほうばかりに目を向けていることも出来ず、ならば訪問しないに限ると連日自宅にてテレビ観戦応援である。
 女房までもがドラゴンズのフラッグが印刷されたタオルをソファーにかざして応援している。 彼女が席を離れたときに中日に得点が入る事が多く、自主的に(?)チャンス到来のときは姿が見えない(?)。

 連夜の快勝で、一人で乾杯、酔いしれている真夏の夜です。
 忘れていました。 一夜あけると「もみじ葉琉球あさがお(クリスタルパールピンク)」今が盛りと咲き揃い、前夜の興奮を鎮めてくれています。
 人は一夜の戦いに酔い、花はそれを鎮める。
NO.72                                               平成16年8月11日

 来春公演
 「春日井児童合唱団によるミュージカル」
                      参加打診

 正確な記憶でないが、春日井文化フォーラムがオープンして2年目、平成11(1999)年に「創作ファーラム・演劇ワークショップ」に申し込み、参加した。(発表は翌年3月)
 その年の作品は「宮沢賢治への旅」で、・よだかの星、 ・詩 アメニモマケズ、 
・ セロ弾きのゴーシュ の宮沢賢治の作品を組み合わせアレンジしたものであった。

平成12年は同ファーラムの脚本講座のメンバーのよる創作から、「アクシデントはうららかに」と「桜の木の下で」との組み合わせで、タイトルは「春の情景」であった。(発表は13年3月)
平成13年は地元の作家、北村 想さんの「HELLO! こちらウオーキングポスト
私の青空」を発表した。(同じく14年3月)
この年で演劇の発表は5回目であり、文化フォーラム・オープン後ひとつの役割は終えたということで休止となった。
私もセリフ覚えが大変で、しかも本番となると突然セリフが消えるという体験をしていたので、"頃はよし"とこの楽しみからは引退した。
が、当時の若い仲間は既存の劇団や新たに仲間同士で設立した劇団で年1〜2回の公演を今も実施している。

8月9日朝、当時指導をしていていただいた、劇団「うりんこ」の方から電話をいただいた。 それが「春日井児童合唱団・ミュージカル」への参加打診であった。
当時大変お世話になった方でもあり、また日ごろ地域社会活動への自主的参加などを口にしている者として簡単に断る事もできず、"桜守のおじいさん"役でこれは子供には出来ませんのでといわれ、内容をあまり聴きもせずに受ける事になった。 
お受けしたと言っても歌あり、お芝居ありであろうから、適役でないと変更もあろう。
が、今のところ最後の演劇発表より2年半ぶりに文化活動に参加することになりそうです。  どんなことになるか、またこのコラムで時折報告します。
NO.71                                               平成16年8月10日

クーラー崩壊、頑張る気持ちは何か?どこから

 高蔵寺ニュータウンの賃貸住宅から、子供が大きくなり、団地サイズの2DKでは狭くなり、現在の家に移転して27年になります。
 住宅を建てる自己資金はもちろん不足、年収の4〜5倍も借金しての建設でした。
 その翌年に少しはリッチにと自分の部屋にのみクーラーをいれました。 が、電気代節約で、かなり我慢していた事をおもいだします。27年前です。
 大体が我が家の電気製品の購入は世間様と比較するとかなり遅いほうです。
 結婚前ですが、昭和39年の東京オリンピックの時にはもちろんテレビはありませんでした。 昭和45年に長男が生まれ、小学1年の頃、友達の家に遊びに行きカラーテレビを見たのでしょう、「内のテレビにはなぜ色がついていないのか」と言われた記憶があります。 扇風機で十分と頑張ったものです。それがクーラーですから・・・

 香港から帰国したその年(1991)、車内でも、室内でもガンガンに冷やすのがサービスであると考えている香港社会に慣らされてしまったのか、日本の湿度・気温に我慢できず、リビングと子供の部屋に導入してしまいました。
 便利で快適なものを身近にしてしまうと、もうだめですね。年々消費電力はアップしてゆきました。
 近年まれに見る暑さの中、そのエアコンが壊れた事は何を意味するのか。
 何度か毎週折り込まれてくるチラシを見ては機種の選定をしていますが、既に1ヶ月以上が経過しました。 いまは、今年はこのまま頑張るぞとの気持ちです。
 この気持ちは何処から来ているのでしょうか?

 朝のストレッチ後の汗を拭いた後、 夕刻の散歩の後にシャワーに入ったあと、身体中にシッカロールを撒き散らしております。
 当初はジョンソン製品でしたが、今は日本・和光堂の製品です。 ジョンソンは軽く香りがありましたが、和光堂のものはジョンソンに比べて香りなく、肌理が細かく感じます。
 どちらがどうと言う事はありませんが、はたき、撒き散らした後はサラサラとして気分よいです。 
 電気代と比較してどうなのかは計算していませんが、シッカロールの方が値打ちで価値あるように思っているのですが・・・ 赤ちゃん・幼児趣味でしょうか?
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