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NO.90
                                          平成16年9月 14日 記

[どなたかは知りませんが、ありがとうございます。



COLUMU2−N NO77の更新がおかしいと連絡を受けました。
前半の部分が掲載されていませんでした、修正いたしましたのでよろしく。 更新ができるようになったと言うものの、今のところの実力はこんなもんです。
 ところで、COLUMN1−Dが今回でNO90になります。 
ここで、新たな操作が入ります。 ページを変更しなければなりません。
 さて、教えられたように更新が出来るかどうかでございます。
 
本日はここまでとして(既に午後9時を過ぎました)、明日朝このNO90を掲載して、その後にページ更新の操作にチャレンジしてみます。
 慣れておられる方にとっては何を言っているかとの事柄でしょうが、私にとっては大変なことでございます。
 また、前回「おまえさんが更新しているのか」との呼びかけもありましたので、リアル・タイムとはいきませんが、現在の私の気持ちを書きました。

 窓を閉めたままでの入力でしたので、首筋から汗が流れている秋の夜でございます。
 遠くで犬の鳴き声がします。 床に入れば秋の虫の音が聞こえるのでしょうか。
  では、おやすみなさい。

 さて、翌朝のことでございます。 朝の御酒がいささか定量オーバーだったのでしょうか、正午を過ぎてパソコンの前に座りました。
 如何な事になりますか。 さてと・・



NO.89


                                           平成16年9月 13日 記

[
  ここまでくれば、間違いはなかろう。


 数分前に、「いいがげん問答=BBS」に“ここまでくれば・・”とのタイトルで中日ドラゴンズの優勝は間違いないと書きました。
 もう数週間前から心のうちでは「これだけのゲーム差がついたのだから・・、残り試合の勝ち星を考えればと・・」と計算は出来ても、一敗すると油断大敵と気を締めなおして、“優勝”の二文字は胸深く仕舞い込んでいた。
 また、これなら何とかなりそうだなと思ったころから、ストライキの話が急に現実味を帯びてきて、スッキリと素直な気持ちで感情を表面に出す事が出来ないでいた。
 が先週の巨人戦から昨日までの広島3連戦、楽でない試合に勝って4連勝、やっと“ここまでくれば”との気持ちになった。
 昨日の名古屋ドームの観衆の声援もやっとお祭り気分が出てきたように感じた。 (が、これも8回の裏、中日が2点を入れてからであったが)

 これに大きなオマケが付いた。 山井の完投完封である。
 一回表、先頭打者にストレートのフォアー・ボールを出したときには今日は負け試合かと思わずには入られなかった。 それが完封なのであるから、波の乗っているチーム、目標のあるチームというものだろう。 負けてもまだゆとりがあるとまでは思っていなかったかもしれないが、この起用は予想できなかった。(皆にチャンス?)
 意地でも残り試合を白星でと言う、大砲揃いの巨人との違いであると感じた。

 中日の優勝は嬉しいが、野球ファンとして今回のプロ野球の再編・改革劇、それに応えた選手会のストライキ権の確立と進んでいる現状は悲しい。
 以前より指摘されていた事柄が表面化したというのが実態であろうが、その進展・対応の仕方があまりにもお粗末である。
 選手会もここまで来て危機感の表れで立ち上がり、問題の中身を明らかにしていることからこの決断には賛意を表したい。 が、年棒等に関しての見解も聞きたい。
(体育系の体質で一直線にストライキになるのではと心配もしていた、いる。)
 これは長い間、プロ野球が国民的スポーツとして定着、人気があったために時代が、環境が根本的に変化している事をリーダー達(特にオーナー)が正しく認識していなかった事によるのだろうと考えます。
 認識の仕方と対処の心根は自分達の権利、保身を一番に考えたもので、大きく変化しているスポーツ界のみならず、あらゆる分野の状況変化に遅れてしまった結果であるとおもいます。
 この際、限られた利害関係者だけでなく、多くの方々の意見に耳を貸して、子供、若者(いや、おじん・おばんにも)に夢と希望を与えてきた国民的スポーツとしての役割を更に一段と高いレベルで果たしてもらいたい。

 各いう私自身はと我が身を振り返えさせられます。
 “スポーツの秋”の到来でもある。
損得銭金関係なし、純粋で後味スッキリな汗を流しての修行と参ります。


NO.88

                                           平成16年9月 11日 記

[お前さんさんが更新しているのか?」との問いに答えて
  

9月9日3回目のホームページ更新の勉強に行ってきました。 
そしてその場でNO85をホームページに掲載する事ができました。
 先生のいるところでの作業でしたので、出来たともいえます。
 帰ってきた翌日、夕刻に「コラム1−D NO86とNO87」を更新、掲載してところ、覗いていたのではないかと思うタイミングで「本当に、お前さんが更新したのか?」とのメールが送信されてきました。 
 多分、友人で彼(彼女)もホームページの立ち上げを計画しているか、既に立ち上げたものの更新がママならない状況にあるのではないかと想像しました。 (息子か娘にホームページの立ち上げはやってもらったものの、更新までは手伝ってもらえないのか?)
 
 その気持ちは良く分かります。 私も他人様のお世話にならずに何とかならないものかと気にはしていたのですが、我が息子の今までの教育実習で簡単でないと思っていたからです。 
が、変化に対応する、新しいことに挑戦する気力がなくなってはいけないと反省・自戒して、習いに行く事にしたと言う背景をもっていましたので・・・
 今後、この更新作業が順調に出来るようになれば、まだ人様にゆだねている事がありますので、その事の習得と“デジカケ片手に 大ちゃんが行く”の勉強が残っています。
 
先生にコラムの本文中に写真を挿入したいのだが、大変かと訊ねると、これまでの私の実力を知っているので、笑って答えてくれませんでした。
 どうも、活字を更新することとは大分レベルが違うようですが、ここまで来たからにはやってみようかと思っています。

 習う方より教えるほうが大変であるということを、十分認識して申し込まねばいけないかと思っています。
 さて、次のレベルのことを書きましたが、果たしてこのコラムを掲載できるかどうかが、当面の問題です。
 本日メールをくださいましたMrorMrs・Xさん貴女も(貴君も)やれば出来ます。
やってみてください。

 ではその前に、私が実行してみましょう。  あっれれ、あれあれ・・


NO.87
                                           平成16年9月 10日 記


  初秋の我が庭 〜その2〜

 台風15号で庭の栗イガは飛ばされ、枝も折れて宙ぶらりんになっておりました。
まだ枝には栗のイガの付いているものもあり、何とかそのまま一人前の栗の実になってもらえないかと思っていましたが、日増しに枝は茶色に変わってしまいました。
 18号の風で枯れ枝を吹き落としてくれないかと期待しておりましたが、思い通りにはゆきませんでした。
 道路に半分以上はみ出している栗の木の枝はこの辺りで一番高い所から坂道を下ってくる時、また近くによって見上げてみても枯れ枝がぶら下がっているのは絵になりません。
 8〜90%は振り落とされたと思っていた栗のイガも風の通り道であった道路側だけで、反対側には十分イガが残っています。
 学校帰りの子供たちがもうボツボツかなと見上げるようになってもいます。 (例年9月20日ごろに、初物が落ちます)

 そこで、昨日枝を切り落とす作業をしようと、一年ぶりに栗の木に登ることになりました。 更に一段と幹周りが大きくなったように感じます。
 その分大枝が十分張っており折れる心配も無く、枝の先も方まで進んで作業をしていますと、坂道をY君が自転車で駆け下りてきました。
「おじさん、何しているの? 怖くないか?」といって切り落とした枝を運び出しましたが、「今度はどれを切るの?」と見上げて訊ねる。 
「登ってみるか」というと、「ほんとにいいの、登ってのいいの」と言うから、「ああいいよ」というと、待ってましたとばかりに登ってきました。
 木登りなんかしたことがない、させてもらえないというのが実態なのでしょう。

 切り落とした枝の後始末です。 ノコギリ、鉈、剪定ハサミを使い分けている間に、彼は別な遊び(工作)を始めました。 おぼつかない手つきですが、そのまま見ているのが私の流儀で、時折「こう知恵を使えばこんなに上手に出来る」と手本を示して、後は任しておきました。 
 「痛い!」と一言、鉈で左の親指を叩いてしまったようです。 指を握り締めて泣きもせずに我慢しています。 「見せてみよ」と診断し、「よし、家に行ってバンドエイドを貼って貰え」と言うと走ってゆきました。
 そして、直ぐに引き換えして来ました。 その10分後、お母さんが車で通りかかり「いつも、お世話になっています」とそれだけのご挨拶です。
 確かに対した怪我・キズではありませんでしたが、大切な一人息子のこと、「もう駄目ですよ」とでも言ったのではないかと思っていましたが、意外な反応で嬉しくなりました。

 私の左手の人差し指を見せて「ここには1ダースの切り傷がある」と見せ、「全部ノコギリ、ナタ、鎌、小刀等で怪我したものだ。この体験があるから今でも上手に道具が使える」と言うと、「今度は怪我しないようにやってみる」と答えていましたが、自転車を引いて帰ってゆきました。
 
秋の実り、栗を使った“栗きんとん”が八百津、恵那、中津川の老舗から発売され始めたと報道されています。
 我が家の栗の実とイガもあと10日もすれば、落下が始まります。
 『頭上注意、イガが落下します。 落ちているものはどうぞ、お持ち帰りください』と下げ札を今年も用意する頃となり、秋到来を感じるこのごろです。  
 


NO.86
                                           平成16年9月 10日 記


  初秋の我が庭 〜その1〜

 例年夏の終わりの我が庭は伸び放題となった夏草で残暑が一層厳しく感じます。
その上、今年の夏は猛暑で庭に出る回数も少なく荒れ放題が例年以上に増しております。 
更に、台風15号と18号の影響で街路樹・ナンキンハゼの葉や自分の庭の栗、桜、ハナノキ、1・5坪の畑の野菜の葉などが他の草々と混ざって散らかっています。
 台風襲来の予報で机、椅子、バーベキューの資材も風に飛ばされないように縛り付けたり、横に倒したりで、どう見ても様にならない庭になっております。

 そんな中、トラノオウの紫とピンクを掛け合わせたような花が咲きそろいました。
 百姓学校のトラノオウは夏草と競争して背丈が1メートルにもなっておりましたが、我が庭のトラノオウは小さなものですと30Cmに満たないものから、大きくても40Cmまでです。 周りに競争するものがないので可愛い丈でも一人前の花になったのでしょう。

 洗面所の横では八重のヤマブキが二輪咲いています。 これは春に切り戻したために今花をつけたのでしょう。 
「七重八重 花は咲けども ヤマブキの 実の1つだに 無きぞ悲しき」だったでしょうか。 この時期、庭にはこれといった花もないので、真黄色(明るいオレンジに近い)の二輪のヤマブキも曇り空の下、辺りを明るく照らして輝いています。

 「コラム1−D NO30 6月4日 ハンギングビスカ」(百日草)を植えつけましたと書きました。 その後、この花は1か月後にほとんど枯れてしまいました。(なぜ?)
 通学路の夏の花は無しかと思っていましたら、その後植えも、蒔きもしないのに何か芽が出てきました。
 8月に入ると早いものは花をつけ始めました。  9月1日、2学期の始業式の日には20鉢のプランターのほとんど全てに小粒の赤い花が咲きそろいました。
 女房に何の花かなと聞くと、「サンジソウ」=「3時草」といい、「宵の明星」とも言うとのことです。 夕方になると咲くのでそんな名前が付いたのだろうとの事です。
 「宵の明星」というロマンチックな名前とは似合いはしませんが、強い花なんでしょう。
 花の終わったプランターの土に活性再生剤をまぜて、日干しした土から自然とはえてきたのですから・・・  
昨年の種が残っていたからでしょうか? それとも何処からか飛んできたものでしょうか? いや、昨年も他のプランターに2〜3本咲いていたようにも記憶があります。 
 どちらにしても、二学期の始まった通学路で子供達の送り迎えをしてくれています。
 もうボツボツかなと1・5坪の畑のニガウリの蔓に隠れた、東南の角を背伸びして眺めてみました。 
 スースーと数本曼殊紗華(彼岸花)の茎が伸び、その先に今日にでも咲きそうな蕾が赤色に染まっているのが分かります。
 此花に出会うと物悲しく、人恋しい秋、豊根村・大入川の川渕を思い出します。
 この想いの事は昨年書いた記憶がありますので割愛します。

 夏草がまだ生い茂り、台風の跡形が残る、我が庭にも間違いなく秋が運ばれてきています。

NO.85
                                             平成16年9月 9日

 自力更新目指して 3回目の授業です。
      

 コラムNO83で「では只今より」と書きホームページの更新に取り掛かりました。
前回の更新勉強時のファイルが1つ残っていましたので、NO82の挿入更新が成功しました。
これならいけるぞとNO83に入ったのですが、ここからなんともなりません。
翌日も挑戦しましたがやはりだめです。 本日3度目の授業となりました。
先生が付きっ切りでの更新は成功しました。 また手順を全て書き取ったつもりですが、まだ心もとないので、そのまま残り別室にて、NO85を入力しているところです。
そして今からこのコラムNO85をホームページ上に載せる作業に入ります。
さて、如何なりますことやら・・・
結果は? 


NO.84

                                             平成16年9月 7日

 怖い予感が横切る このごろです
      

 
「強く念じ、思い、行動すれば事は実現する」と言われる。
 少ない私自身の体験からも、困り果て、どうしたものかと思い悩み、苦しみつつもそこから逃れる事はできず(逃げるのは卑怯だと自分の声が聞こえた)、それならと腹が据わった時に、嘘のように問題・課題が解決したことがあったのを思い出す。
 また悪い予感がしているとき、その予感から逃げ出そう、追い払おうとすると一層追いかけられ、それが現実化するということもあった。
 思いは実現をするし、同時に予感も的中する。

 このところの自然現象の発生から怖い予感がしてならない。
 こんな事を言ったり、書いたりするとそれが伝播し、集まり、思い・考えがパワーとなって現実化することになるとの理屈も知っている。
 ならば止めればよいのであるが、ではなぜに気象庁(地震予知会)は予知情報を発表するのであろうか。 予知し発表する事で被害を最小限に食い止められる事を願ってのことであろう。 
それにならってなどと大げさな事を言わなくても、“オオカミおじさん”の話なら皆信用しないから、安心して発言してみよう。 自分自身への心の準備として・・・

それにしても浅間山の噴火、二度に亘る紀州沖地震、台風の上陸はこれまで最多だった(1990、1993年の6個)を上回り8個が既に上陸した。
日本だけでなく世界の各地でも大きな自然災害が発生している。
自然現象とは異なるが巷で言われているように、中日ドラゴンズの優勝の年は政変・政局に異変があると・・・
確か1988年の優勝の年は昭和天皇の体調が御悪く(翌年崩御)、香港に在住していたドラファンで祝賀会をと勇んでいたが自粛した事がありました。(日本国内も自粛)

このところ報道される事柄を見ても、ロシア・北オセチア共和国で発生した学校占拠により、多数のいたいけな子供達が犠牲になった。
そればかりでなく、世界のあちこちで食料不足、医薬品不足で次々に子供の命が奪われていっている。
イラクの事は書くまでもない。 アメリカの横暴、我欲の何者でもない。
感謝、愛、思いやりの心や差し伸べられる手の数にまして、憎悪と憎しみ、破壊の思いの力が勝ってしまっているようだ。



NO.83

                                             平成16年9月 6日

 自力にてホームページ更新ができるように
                   その後

 
8月30日に「サボっているわけではありません」と掲示板で弁解をしました。
その後直ぐに、無理を押してH/P更新担当者が更新してくださいました。その後も順調に更新されていますが、これは私が実施しているものではありません。
 近頃、かってと比べると変化に対応する、新しいことにチャレンジする姿勢が弱まってきていると感じていましたので、やはりこの際自力で更新できるように勉強しなければと教えてくださると言っていただけた方のところに出向きました。
 一回約2時間を2回教えていただきました。 教えるほうは大変です、なにぶん専門用語を使うと何一つ通じないのですから。 たとえば、ダウンロード、インタープリント、インストール等々です。 前後の関係からこのようなことを言っているのだろうと判断して、言われた手順を全てメモしました。
 帰宅後、それを実施したのですが初日目のことは半分程度のところで行き詰まりました。
 教えていただいたパソコンと私のノートパソコンの表示が少し異なり、もういけません。
 
2回目は自分のノートパソコンを持参する事にしました。
初めからです。何をどんな手順でしているかはだんだん理解してきましたので、何を習っているのかの見当はつきましたが、ホームページ・ビルダーなるソフトを屈指して入力、変換、ページの更新、新ページの作成と進むうちに脳の疲れを覚えました。
 授業始まって約2時間です。 今でも大学の授業は90分なのでしょうか。
 90〜120分がワンクールの脳の働きなのでしょうか。
 私の方から「本日はここまで」とストップをかけて終了です。
帰宅後直ぐに復習をすればよかったのですが、中2日開けての本日です。
 今、入力したこの原稿をホームページに掲載する作業にはいりますが、果たしてどうなります事やら、先生は「何とかなるでしょう」とも言われず、ただ黙っておられました。
 多分ホームページをいい加減に弄り回して、また更新担当者に新たなご負担をかけることになるのではと思っていますが、この原稿が掲載されない限り、読者の方には何が起こってのか、知る由もなし。

 またまた、誰かの手を煩わせてお目にかかることになるのでしょう。
 こんな風に、新時代(私にとって)というのは試行錯誤をして進んでゆく事なのでしょう。 
「何もしなければ、何も起こらず、時代に取り残されてゆく」それもそれで良いかとも思わないではありませんが、少し寂しくもありあまりご迷惑にならない範疇でうごめいてみます。
 では、只今より

NO.82
                                             平成16年9月 4日

変化を受け止め、環境に適応する。

 
 この数ヶ月の間に、講演会等に参加するとほとんどが中・高年齢者であり、女性の参加が多くなってきたのを目の前にしてきた。
平日はもとより、週末の講演会であっても同じ現象であった。 中・高年齢者のほうが時間的余裕もあり、また政治、経済に関心があり、反面若者は将来に希望が持てずに白けてしまっているのかと、気がかりであった。
が、9月4日ある会のフォーラムでは30代〜40代を中心として、20代の方の参加が大半であった。 50代以上ももちろん参加しているのであるが、そのシェアーは20%台であり、女性は10%台であった。

講師は40代前半の方で、バブル崩壊にいたる社会からバブル崩壊後の世界、日本の情勢分析を厳しく解説し、歴史をかたり、時代は変わった、従来のものの考え方、対応では早晩行き詰まる、根本的・抜本的な改革をしなければ勝ち組にも、生き残りもできないと語り続けていた。
特に、新たなリーダーが求められ、リーダーシップのあり方が変化したと説き、そのリーダー養成の場を提供してこられた。
また、日本の金融問題に関しては早くから主張されていたとおりのことが、今まさに手に取るように目の前で進んでいる。 その間、私も活字、テープなどでその主張を聞かせてもらっていたので、その展開・物語を、当たり前のように眺めているという状況です。

これからのあるべき日本の姿、向かうべく道、そこにあっての会社、個人のもの考え方、行動のあり方を、ご自分も猛烈に勉強され、実践され時間経過とともに確信を持って語るようになっていた事が印象に強く残っています。
彼を講師として全国で開催されている勉強会の仲間で開催される、年一度のフォーラムが今年は名古屋で開催され私も参加し、他の講演会とは異なる光景を目の当たりにしてきたということです。

その冒頭の言葉が「この14年間は不況であった。 変化を止めることは出来ない。
新しい環境に適応するか、しないかの選択であった。
この不況下に勉強し、仲間を作り、次の時代に対応する努力をしたかどうかである。
 問題を隠せと指示したか? 抜本的に対応せよと指示したか?
 今、答えが出てきた。
「勝った、負けたは時代に適応して、悠々と生きていけることである」と。


NO.81                                               平成16年9月 2日

2学期が始まりました。

 朝晩はすっかり過ごしやすくなりました。 昨夜などは20度を下回ったのではないでしょうか、早々とかけ布団を引き寄せておりました。
 涼しい朝の空気の中、2学期が始まり通学の子供達の声が聞こえます。
 昨朝と今朝で気が付いたことですが、小学6年までは毎日よくもそんなに毎日くっついて遊んでいられるものだと思っていた、仲良し3人組み(A,B.Cちゃん)の組み合わせが変化しているのです。
 AとBちゃんには新たにDとEさんが加わって、Bさんの家の前で集合していました。
 Cさんには新たにFさんの友達ができたようで、Fさんが昨日も今朝も迎えに来ていました。
 Cちゃんが梨を手にして玄関から降りてきてFさんと立ち話をしています。 そこをAちゃんが"おはよう"とも言わずに走りすぎB,D,Fと合流しました。
 4ヶ月前の入学式の時には身体に馴染んでいなかったように見えたセーラー服も今は何の違和感もありません。
 たった4ヶ月の間にスッカリ中学生として成長変化したのでしょう。
 そういえば、クラブ活動などで遅くなるからなのでしょか、近頃は帰宅時に会う事がほとんどなくなりました。 ここからの成長、変化は急スピードなのでしょう。
 彼女達一人ひとりの個性、好みが形成されてゆくことでしょう。
 
理数系が得意で、虫少年と呼んでいた同じ中学1年生の男子生徒が近くにいます。   その彼アット言う間にヒョロヒョロと身長が伸びました。 あと数ヶ月で私を追い越すでしょう、いや既に追い越しているかもしれません。
 一月ほど前の学校帰り、我が家の駐車場横のバラの枝に「蜂の巣」があるから注意したほうが良いとわざわざドアーホンを鳴らして教えてくれたそうです。
 ピアノを習っているとのことで、「今はバイエルの何番をやっているのか?」と訊ねた事があるが、数日前楽譜を抱えて練習に行く姿をベランダから見送った。
 博士になるのか、それとも音楽家になるのだろうか。
 秋の気配が深まる頃には発表会でスポットライトを浴びていることであろう。
 
その彼が数年前に小学校の運動会の招待状を持ってきてくれたことを思い出した。
(敬老会への招待状は65歳以上のはずなのに)
もう直ぐ風に乗って、小学校の校庭から鼓笛隊の練習音が聞こえてくることだろう。
 Aちゃんの弟は学年で一番足が速いといっていた。其の時は彼の応援にでも行こう。
 曇り空、眼前の道樹山に霧がゆっくりと登ってゆく、昨日までの気温がウソのようである。  網戸を通って吹き抜けた風にヒヤッとし、窓を閉めた。
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