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NO.100

                                      平成16年9月30日

 今秋はヒグマの出没が報道されます。 
百姓学校では・・

今月の25〜26日の百姓学校の定例会の報告は「日付順 NO595」にそのうちに掲載される予定です。(この項のホームページ更新・掲載の方法はまだ勉強していませんので、時間的に遅れます)
 その折、イノシシのことは触れませんでしたが、実際は少々サツマイモを掘り起こされていました。 張り巡らした魚網のところに少し窪みがあってそこから侵入したようです。
 校長夫妻によって修復がなされ、裸電球も灯されてその後の被害は食い止められています。 野菜担当責任者は「このくらいはイノシシにも分け前をやらねば」と横行な事を言っておられました。
 
 さてその後のことです。 9月29日に西側の畑がやられたとの連絡が入ってきました。
 対応したサツマイモ畑は母屋を挟んで東側、今回被害にあった西側も魚網は張ってあったのですが、定例会の作業の折、大半の畑の収穫が終わったので一部網を撤去してしまいました。そしたらタチマチです。
10月10〜11日に稲刈りの予定をしていますので、丁度食べごろと侵入してきたのでしょうか。
 3年前刈り取り、稲架がけしたところを串り食べられたことがありましたが、稲刈り前でまだ良かったとも言えますが、どんな被害状況なのでしょうか。

 今年は各地で頻繁にヒグマの出没が報道されています。 
 昨日から今未明、日本を縦断した台風21号、三重県では異常な雨量で被害が出ています。 自然災害というものの環境破壊に手をこまねいている人間への警告と思われて仕方ありません。 まさか、イノシシさんがその先鋒ともおもいませんが・・・
 忘れた頃にやってくる事とはいささか異なる思いにさせられます。
 マサに、気を抜いたところに侵入とは言い訳が出来ない反省です。
  



NO.99

                                      平成16年9月29日

  悔しいので挑戦しました、「IC レコーダー」

 
 以前といっても昨年の3月31日に「IC レコーダー」を購入しました。
 目的は車旅で運転している時、気が付いた事あるいは周りの風景などの印象をそのたび毎、車を停めてメモする煩わしさから逃れられるかと考えたからです。(その場で書き留めないと直ぐに記憶はどこかに飛んでいってしまいます)
 昨年の4月九州を一周したとき、初日に第一回目の使用をしましたが、2日目か3日目には4個ある録音メモリーのうちの一つが満タンになり、次のメモリーまでは進めることが出来たのですが、取り扱い説明書と首っ引きのことで疲れた身体には厄介なことでした。
 結局、其の旅では早々に使用をあきらめてしまいました。

 その後講演会に持参して録音をしたつもりが失敗をしていまして、投げ出してしまいました。 それでも気を取り直して、旅ごとにポシェットに入れては行ったのですが使わずじまい、いつか電池も切れてほったらかしでした。
 1ヶ月前より、ホームページの更新を自前で出来るようにと勉強を始めました。
 行きつ戻りつですが何とかその一部は出来るようになってきました。
新しいことにチャレンジする気持ちを失ってはいけないと考えた事から始まりましたので、「IC レコーダー」の存在は気になっていました。

 3週間ほど前、机の上までは持ってきたのですが、触れる気が起こらずそのままでした。
 本日は終日雨との予報、外に出向く分けにも行かずレコーダーを手にする事にしました。
 電池の交換からです。 気分も落ち着いていましたので、時間を合わせる、録音する、再生する、編集するというところまでは一応完了しましたが、パソコンと接続して使うなど、まだ他の機能もあるようですが一瞥もせずそこまでと終わりにしました。

 ところで、車の運転中の録音を目的に購入したのですが、運転中の携帯電話の使用が
11月から禁止されます。 レコーダーなら良いと言う訳にもいかないでしょうから、再びこの「IC レコーダー」は使用されないままになってしまうのでしょうか。
 パソコンもそうですが何時も使用し、活用している機能、作業以外は直ぐに忘れてしまいます。
 悔しいから再度手にして使用可能になった「IC レコーダー」ですが、またまたお蔵入りという事になるのでしょうか。
 雨が上がったら虫の音でも録音してみようかなと思っています。

NO.98
                                      平成16年9月24日

直接入力しています。 

 別にこれということはありませんが、初めてホームページ・ビルダーに直接入力しています。 
これまでは、ワードに書き込んだものをコピーして貼り付けていましたが、そんな面倒なことをしないで直接入力すればよいとは教えられていましたので、初めて挑戦しています。
 何か間違いが起きたときには大丈夫かという心配です。 (過日息子が来て、バックアップシステムとか言っていましたが、私が抜いてはいけないコンセントを切ってしまったようで、「全部パーになるかもしれない」と驚かされているからです)

 もう1つ今気づきました。ワードに入力するよりも反応が遅いです。
 やはりワード専用の方が単機能になっていて早いのでしょうか。

 話が変わります。
 COLUMN2−NにNO78〜80まで、今回のプロ野球の再編問題を
きっかけにその現象をもっと広く国民世相の意識・心理として捉えてみた内容になってしまったようです。
 ご一読いただき、ご意見をください。

 やはり、ホームページ・ビルダーに直接入力するのはタイミング、スピードが合いません。 調子が狂ってしまい、何を書いているのか分けが分からなくなりそうですので、これでやめます。

 なお、このコラムNO95〜NO97の編集間違いで、読見づらいとのご指摘を受けました。 今回で元に戻れると思いますので悪しからず。
  




NO.97

                                    平成16年9月21日

今年、初の栗拾いに行ってきました。


春日井・我が庭の栗は台風15号と18号で、大きめのイガが風に吹き飛ばされたためか、例年より第一粒が落ちるのが遅れています。(今朝1粒が車に押しつぶされていました)
 この栗の木の実が落ち始めると、飛騨金山の栗は落下盛んの知らせです。
 9月21日に行ってまいりました。 昨年は9月18日で収穫8Kgでしたが、昨日は22Kgの収穫でした。
 既に1週間ほど前から落下していたのでしょう、虫に食われているもの、少々干からび始めているものもありました。
 
 同じ土地・土壌に同種の“利平”の3本の栗の木ですが、それぞれに特徴があります。
 1本は一番初めに落下を始め、実の大きさは他の2本の中間です。 
次は若木の頃台風で倒されてしまい植え直しました。 「桃栗3年、柿八年」ですからもう十分に10年を経過した大人の木なのに、結ぶ実は他の2本と比べると小ぶりです。    味は変らないと感じるのですが、実を包む皮の色が他のものと比べて薄茶色で見た目にはどうしても見劣りがします。
最後の一本、これが量、質共にナンバーワンです。大げさにいえば中には赤ちゃんのコブシ大の大きさのものもあります。 色も輝いたこげ茶色をしていて丸々と見るからに美味しそうです。

21日、太平洋側は30度を越す真夏日、その上湿度が高くイガを拾い集め、栗の実を拾うという作業だけなのですが、2時間あまりの間に全身汗ビッショリになりました。 着替えを持っていかなかったので気持ちの悪い状態、昼食に入った食堂はまだ冷房が入っており、寒さを覚えてしまいました。

栗の木の畑の上段にある「蜂屋柿」のこと。
今年は名古屋の老舗百貨店の店頭に並ぶという、箱入り1つ1500円也にも負けない蜂屋干し柿をと目論んでいました。
昨年の暮れ強めの剪定をして実の成る数を少なくしたつもり、今夏7月施肥に行った時は摘果をしなくても良い数になったと喜んでいました。
それがこれまた台風の影響でしょうか、ほとんどその姿がみえません。
同じ台風で東北地方のリンゴも多大な被害を被ったと報道されていましたが、蜂屋柿の状況を目の前にして、さぞや気の滅入る思いをされている事だろうと想像しました。
自然の脅威といいますが、本当にアッという間に人間の費やした時間を吹き飛ばしてしまいます。
このところ、天が私たちに何かを啓示しているのではないかと感じていますので、蜂屋柿の木を眺めて、改めてです。
と思いつつ、それにしては利平栗は今年もよく恵みを下さったものだと感謝しました。


NO.96

                                    平成16年9月20日

27年前の化学モップとお別れできず。 


二人の子供が手を繋いだ絵柄と、“アズマ家庭用品JOY”とプリント印刷されたところだけを残して、この“ホコリとりモップ”の出生、歴史を示すものはあと何処にも無い。
 この“ホコリとりモップ”は27年前、この家に引っ越してきた時以来、活躍してくれたモップであろう。
 数ヶ月前から継ぎ足しのところにヒビが入りだし、セロテープやガムテープで補強しながら使っていた。 最後には紐でグルグル巻きにしてみたが、ついにその部分がおれてしまい、短いままでは腰を曲げての動作となり、新調することにした。

 毎朝の修行道具の一つでもあり、どうせ購入するなら納得できるものをと思い、ホームセンターに自ら足を運んだ。 連休のお店はなかなかの人の入りである。
 教えられた場所でアレコレと品定めした。といってもこれかなと思うものは1種類しかなく、もう1軒回ってみようと思ったが説明書を読んでいる間に、「これでいいか」と購入することにした。
 お店で手に取っていたときも軽いなと思っていたが、家に帰りそれまでのモップと重さを比べてみたら、なんと800gと250gの違いである。

 以前のものは柄の芯は鉄製でその上をPP(?)コーテイングしてあり、モップ布を装填するところは鉄製枠で出来ており、それをモップ布で覆い、紐で縛るというものである。
 さて、新モップはというとハンドル(柄)のところはスチールパイプ(PPコーテイング・防菌加工)と表示されている。 モップ布はプレート(ポリプロピレン)に万能マジックテープで貼り付けるように出来ている。
 モップ布自身も旧来のものと比べて実に軽い。 このところの工業製品は全てといって良い位、「軽く、小さく、早い」が売り物のようである。

 早速今朝より使い始めである。 軽いのは良いのだがどうも手ごたえがなくて、これでホコリがきれいにキャッチされているのだろうかと疑ってしまうほどである。
 再生タイプ、テクノ・クリーン(ECOマーク付)脱塩ビ・環境対応と表示されているから、旧来の物と比べ時代環境・要請に応えたものなのであろう。
 多分、次回「ホコリ取り用 化学モップ」を購入する時には私はこの世からオサラバしているか、購入者は私ではないことだろうが、今回購入したモップの説明書を残して置き、どれほどこれから後、人間が自然・地球を愛し、生活を変化させたか比べてもらうことにしてみようと思っている.

 



NO.95
                                    平成16年9月20日

9月19日 我が庭の秋の手入れ
 

雨が降らなければ鳳来町の下草かりに出掛けようと思っていたが、18日夜・名古屋で定例会となっている波動の会より、普段より大目のお酒をいただいて帰り、床に入った。
 夜半に起きだしてタヒボ茶を頂き再度眠りについて直ぐ、「鳳来町も良いけど、お庭が大分大変になっておりますよ」と声が何処からか聞こえてきた。
 
 翌朝(9月19日)スラットサッシから覗いてみるまでも無く、1・5坪の畑は秋ナスというにはいささか疲れた実を数個つけた四方に伸び放題のナスの枝、キュウリの蔓は既に跡形も消えているが、トマトはわき目がボウボウと伸び、それら全てどころか松の木にも、イチイの垣根にもニガウリの枝が絡まっている。
 その間を掻き分けるように、昨年捨てたカボチャの種から伸びた蔓が半分枯れかけながらも、小さな実をつけていた。
 これを始末するのに1時間以上も要してしなった。

 当日は東京・大阪で真夏日が年間最高日数とのこと、名古屋ももちろん30度を越していた事だろう。 汗は長シャツからズボン、地下足袋までグッショリである。
 途中タヒボ茶をゴクゴクと1リットルは摂取したがそれでも足りないほどである。
 苦土石灰、元肥、タヒボの出がらしを撒いて耕転、畝作りをすれば見違えるようになった畑。 あと1週間後には絹さやエンドウに、抜き菜用の大根を蒔けば1・5坪の畑の秋作業は終わりである。

 昼飯を食べずにはじめたので腹が減ったが、バナナと菓子パンをほお張って8月22日「COLUMN 1−D NO76 赤松枯れる」で紹介の赤松、その後、日が経つに従い結局赤茶色に全ての葉が変色してしまったままで、畑以上に気になっていた。
 庭の中央にあるのでどうにも目障りである。 ほとんど再生は不可能とおもいつつ、来年の春まではこのままにしておこうと思っている。 
が、ただでもいい加減な庭が夏以来、更に放ったらかしで、愛情の1つもかけられていない庭にみえ、毎朝気になる事であった。
 そこで、一気に枯れた葉をむしり取った。 案の定、細い枝はポリポリと折れてしまったが、残った枝だけでも結構絵になるものである。

 早く実施しておけばよかったと思ったり、時間が経過したから踏ん切りがついたのであろうと、心に残る故人の閊えた思いを吹っ切った時のことを感じたりした。
 この松の枝に今冬雪が積もったときはどんな思いで、鑑賞するのであろうか。
 其の時までにはまだ時間があるなあ〜と思いながら、少し冷たいシャワーを頭から浴びた。
 体重は普段の3キロ強の減であった。 その後のビールの美味いこと、美味しい事。




NO.94
                                      平成16年9月20日

  CULUMN2−N NO78 に書きました。
 “新聞を読んで 眺めて 切り抜いて”というよりは
 

ついにプロ野球がストに突入しました。 野球ファンとしてこのまま見過ごしていては行けないと、思うこと、感じることを書きました。
 新聞を読んでというよりはあまり読まずに自分の見解、意見を書いてしまったようです。
 野球ファン、それ以外の方も気軽に感じていること、思うことを「掲示板=いい加減」に投稿くださることを歓迎します。

 以上のことを入力して、今日は9月20日です。 
 9月18日の夕刊を読んでいると、「セ・パ6球場閑散」「スト理解、でも見たい」「 ファン寂しい週末」とあり、9月19日の朝刊には「選手 不安抱えて自主練習」「祈る球界の”脱皮“」「古田会長の覚悟を見た スト賛成61%」とあります。
 そして9月20日の朝刊には「スト2日目 ファン、選手場内外交流」とあり、東京・銀座で労働組合・プロ野球選手会がファンと選手の集いを緊急開催。 
 あるいはナゴヤドームでも中日・巨人の選手が参加しての交流会が開かれ、他の球場でも同じような催しが開催されている。

 今朝、テレビでアメリカ大リーグのファンサービス、チームが生き残るための数々のイベントを見ているとそれはまさに21世紀において求められている、地域社会再生、連携のモデルのひとつではないかと思うほどの数々の試みである。
 決してそれは海の向こうの話でなく、サッカーJリーグにおいても、新潟の成功例が紹介されていた。
 勝ち組、負け組などと言われているが、新時代の勝ち組は新たな視点で、着実に成功モデルを世に示している。
 
 保身の立場、旧来の利権にとらわれているとこの変化・転換の時代は如何にそれまで大きく・強いものと思われていたものでも、容赦なく置き去りにして行ってしまってゆく現実をみせつけられる思いになる。
 我が愛する野球会もその時である。 
 子供達に、そして多くのファンに夢と憧れ、燃える思いをたぎらせてくれる夢の球宴に脱皮してほしい。

 

NO.93

                                      平成16年9月17日

 久しぶりに、神式葬儀に参列して

豊橋の実家、同じ組の方の葬儀に参列した。 私の家の宗教は神道であるが、この十数年いや20年以上神式による葬儀には参列していなかった。
 故人は今年81歳であったが実に達者な方で、今月の上旬も友達を車に乗せてドライブに出掛けているのを、何時も墓参りの時お世話になっている姉が見送ったというのである。
 さて、前夜は遷霊祭、通夜祭が営まれ、翌日は葬場祭=神道による本葬儀となる。
 先祖よりの神々と合祀し、家の守り神とする。故人の生涯においての最後を飾る儀式であり、死の穢れを清め、御霊をなぐさめ、そして神霊として祭る事になる。
 
 神霊となるそのおばさんの事はほとんど何も知りませんでしたが、斉主が奏上する故人をしのび、生前の功績をたたえる趣旨の祭詞を聞いていると、戦前の生い立ちから、軍人の妻となり、夫が傷痍軍人となられてからのご苦労、娘達の成長と旅立ち、その後夫を亡くされて25年、明るく元気に振舞われたことなど、まさに激変の昭和を生き抜いてきたのだなと感じずにはいられませんでした。

 吉田城の城下町(町人街)通りと言っても、今は何の面影も無い豊橋旧市内です。(豊橋は歩兵18連隊が駐屯した都市であったので戦災で徹底的に破壊されてしまった)
 豊橋にはお墓があるので時折訪ねることはあるが、名古屋に出て39年、極一部の方とはお会いする事はあったが、隣家の3人の娘さんはお嫁に行ってことでもあり、その間一度もお会いした事はない。
 その3人娘のあとに生まれたご長男(彼は実家に住んでいる)が「お久しぶりOOです」と声を掛けてくれなければ知らぬままに帰ってきたことであろう。
 立ち話をしているとその笑い顔から昔の面影を引き出す事が出来、次々と話題が広がってゆきました。
 4人兄弟姉妹が集まる事はほとんどないが、電話では何時も長話をしているという姉妹、今は故人となられたお母さんにそっくりな大声で、大笑いしての長女が、「今年90歳になった。 顔色、艶がいいでしょう」とニコニコ笑っているお父さんを指差した。

 「まだ、魚釣りには行っているのですか?」と訊ねると、「昨日、自動車を運転してOOに行き、ハゼを釣ってきたばかり」と実に嬉しそうに応えてくれた。
 9月とは言え日中の日差しは強く、汗が滲んできたが話題は尽きなかった。
 後ろ髪を引かれる思いで、「またお会いしましょう」と別れたものの、次回お会いできるのが、また葬儀の場になるのかなと寂しさが横切った。
 彼岸入りには数日早いがお墓参りをする。 
榊を取替え、打ち水をすると周りが青々と、いきいきしてきた。
 神式の祝詞を奏上し、手を合わせ、見上げるとさわやかな秋空が広がっていた。    
 


NO.92

                                               平成16年9月15日

何とか更新できましたと書いた後で・・・

画面上NO91は更新されているので、順調に更新が出来たと思われるでしょうが、実際のところは出来なかったのでございます。
 技術的なことは省きますが(説明の仕方が分からない)、前回の授業にて学んだページ更新に必要な事柄に加えて、もう1つ作業がありました。
 これでCOLUMN1−DとCOLUMN2−Nの更新は自前でできる事になったはずですが、これまでの経緯を考えますと、まだ数回問題が発生する予感がしています。

 なを、NO91で触れました項目別、旅日記の内「修行僧と称して23年 四国遍路の旅」は一応全篇、掲載を終了しました。 誤字脱字の修正はしておりません。
 あと2編残っておりますが、これを掲載する枠組み(どう表現したらよいのでしょう)がありませんので、この勉強を又いたしてからの事といたします。
 このところホームページの更新の勉強に精をだしておりましたが、いささか疲れました。
 キャパシテイがいっぱいになりましたので、当分お休みです。
 本日も電気屋さんに行き、デジカメコーナーの前に立ちはしました。 平日のためか販売員の方も近づいてこず、2〜3個カメラを手にはしたのですが、「連れてって」と言うカメラの声も聞かなかったので、そのまま帰ってきてしまいました。
 本音はキットまた一段とレベルの高い事を学ばなければならないだろうと感じたからです。

唯一の購入品目は蛸足配線の状態をみた息子がこれはやめたほうが良いとの忠告を受けていましたので、コンセントを購入してきました。
 其の時、コンセントと言う単語がでず、手まねで「差し込むもの」と言いましたところ、「はい、コンセントですね」と受けていただき、「そうそう、それです」と言う私。
 このレベルの人間が取り組んでいるのですから、Aさん、Hさん、Oさんもパソコン始めてください。
 かって車の運転免許を取ったとき、行動範囲が広がり「家が動いてゆくみたい」と表現したことがあります。 パソコンでメール交換、情報詮索などボチボチでもできると、車の運転が出来るようになったのと同じように、世界が広がりますよ。
 
 さて、NO92を掲載する作業に入ります。 今度はどうか。
NO.91
                                               平成16年9月14日

無事に何とかページの更新が出来たようです。

 このコラムがNO90に達しましたのでページの更新をすることになりました。
 言われた事は全て書き取り、その場で復習もしてきたのですが、それから4日間が過ぎただけなのに、記憶と異なる画面が出てくる、行を移動すればでてくる項目が見当たらないでアタフタ、冷や汗ものの更新でした。
その過程で「COLUMN1−D NO80」が掲載されていない事に気がつきました。
「名古屋ドーム 中日ドラゴンズの応援に行ってきました」とのタイトルです。
 中日優勝近しを感じて、一年ぶりに球場にいってきた時のものです。

 このところ、「COLUMN1−D」と「COLUMN2−N」がほとんどのために、たまにそれ以外を日付順に掲載しているのですが、見落としてしまうとのご指摘をうけましたので、この「COLUMN1−D」にて、その都度紹介させていただくことにします。
 別にコラムにと断らなくともほとんど違いはないのですが、少し長めになりそうなものを日付順に掲載しているぐらいなのです。

 また、項目別「旅日記」の内、@「修行僧と称して23年 四国遍路の旅  2001年・初夏 (通し打ち)」、A「四国88箇所 車旅 2002年・初夏」、B「車旅“北海道〜東北  2002年・初夏」の3本が未完成であります。
 特に@には時折、早く完成せよとの要望がありますが、これまた、そのための訓練を受けなければならず、進んでいません事をお詫び報告いたします。
 キット四国遍路は多くの方が計画をしておられるようで、要望も多いので早めに何とかしたいと思っています。
 その旅の頃は私の悪筆で原稿用紙に書いて旅先から送り、それをホームページ更新者が活字化していたものですから、誤字脱字が多くその修正もしなければと思っているのですが、早くも3年以上の月日が経ちましたので、記憶が薄れておりますので、更に検討違いのことになってしまうのではないかとも心配しております。

 そんな事どうでも良いとも思っているのですが、お読みくださる方がおるならば出来るだけ正しくとも思っております。
 今後とも思い違い、間違いが発生すると思いますが、ご指摘ください。
 弁解と、言い訳、要望に対してのお答えでした。

 
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