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COLUMN 1−D 1030
平成20年4月30日 記
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ジャスミンの香りが部屋一杯に侵入してきました
〜庭に立てば、風に飛ばされながら、次々と〜
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窓を開けてストレッチを始めました。 ジャスミンの香りが南の窓から北側の玄関ドアーを通り過ぎてつきます。
今朝はこの香りに囲まれて、40分のストレッチを終えました。
掃除道具を取りに二階に上がりますと、ベランダも香りに包まれています。

↑ ベランダから撮りました。 遠くに霞む大谷山までは届いていないでしょうが・・・


↑1時間半後、正面から撮影。5月4日にお客さんが来るというので、古い枝の剪定です。
今年は5年ぶりに見事な花付きと成りました。 この枝から分株したジャスミンが西側の壁でも這い上がり始めました。 2〜3年後には、これほどにはならないでしょうが、通学路で子供たちを見送ることになるでしょう。
その前に、テッセンが壁伝いに花を咲かせました。↓

ゴールデン・ウイーク中の学校、毎年この時期は小学生が「春日井緑化植物園」へ遠足です。 今朝も新一年生でしょう、ワイワイガヤガヤと通り過ぎました。
「行ってらっしゃい」と手を振りますと、「何処の人、何処の人」と隣の子に聴いていました。 ”悪いおじさんではないよ」と小声で言いましたが、伝わったでしょうか。
COLUMN 1−D 1029
平成20年4月28日 記
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本当はこの街道を掲載したかったのです
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昨日は散歩の道を一筋違えました。 お目当ての「はなみずき道り」を行きすぎてしまい、新興住宅のハナミズキを紹介することに成りました。

↑ これが、そのハナミズキ街道です。
今度は陽も落ちて逆光と成りました。

それでも、両側を花に囲まれて、満足な散歩と成りました。
本日と明日は、中部大学の聴講生として一番時間に追われる曜日です。
「加藤さんのまとめたものを読み返すと、理解できる」などと言われ、その気になっています。
書き留めたものを読み返し、活字にして、コピーする。 やれやれです。
頂いていただける方があると思うと張りが出てくると言うものです。
女房曰く「良くも頑張りますね」と、皮肉でしょうか。
”やると決めたら”、続けたいものです。 今、午後の10時です。 床に入る時間を過ぎています。 もう、限界です。
COLUMN 1−D 1028
平成20年4月27日 記
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風の強く・寒い一日でした
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北海道・太平洋側は積雪が40センチメートルのところもあるとの報道です。
一昨日まで滞在した日本海側・新潟・佐渡島も雨のマークが出ていました。

↑定点観測地点・築水池から弥勒山を眺めれば新緑が進んでいます。

↑4月29日からは「春日井緑化公園」の植物園祭りです。

↑一昨年・暮に入居された若い夫婦ばかりの分譲住宅には、初めて「はなみずき」が咲きました。 こいのぼりも泳いでいます。
COLUMN 1−D 1027
平成20年4月23〜25日 記
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日本で一番大きな島”佐渡が島”へ
第一日目 快晴の太平洋側から時折雨の日本海へ
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直江津港を小木港に向かってフェリーが出航しました。 2時間40分の船旅の間に新パソコンを前にしました。
2等客船から、1等客船にランクアップしたことは正解のようです。 ジュータン敷きの船室ですが、寝そべることもできますし、何よりも13人分に5人しか乗船していません。
ここまで、カメラに収めてある映像を引っ張り出してみます。

↑ 信州中野で「新 佐渡 グルメの旅」第1回目の昼食です。

↑ 牛と黒豚そして馬(馬刺し)の造形物、旗がひらいめいています。
ところで、ここまで入力するのに1時間かかりました。
まず、軽い船酔いというか気分がすぐれません。 直江津港を出港してしばらくすると、高波とは言えませんが、船がローリングしていました。
同船の方が「船酔い止め」を購入に行きました。 皆さん。横になっています。
私も小さな活字を相手にしているからでしょう。 目眩というか、吐き気までしてきましたので、そこで中止しました。
午後8時、自室に戻り入力を始めました。 船の上よりは、快調に入力しています。
とはいうものの、写真の掲載には苦労しています。

小木港への入港です。 雨は上がりました。 時折、日差しが射しておりますが、風は冷たいです。 衣裳の選択を間違えました。少なくとも、スプリング・コートは必要でした。



↑本日から2連泊・湖畔の宿「吉田屋」から、佐渡で一番高い山「金北山(1172M)を望む。

↑ 加茂湖に点々と広がる筏は、牡蠣の養殖です。海に通じている湖です。
「新 グルメの旅」とは,名付けられたが、少しばかり名前負けするツアー名称ではないかといいながら、写真紹介のイメージどおりの食事内容であったら体重がどれほど増えるか心配していましたが、そちらの心配はなさそうです。
さて、夕食後、毎夜9時05分から始まる地元有志連(?)による「佐渡民謡」の開演となりました。 ”数撮ればなんとかなるさ”精神で、俄かカメラマンです。

↓↑ まずは、現代歌謡曲から始まりました。


↑ 踊りは足さばきがポイントですの言葉を思い出しまして・・・

↑ いやいや、腰の備えこそ重要なのですと

↑ そんなこと、どうでもいいじゃんと、爺ちゃん、婆ちゃんと参加も00ちゃん


↑ やはり最後は「佐渡おけさ民謡」で終わりましょう。
平成20年4月24日 記
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終日佐渡にて観光 第二日目
〜兎に角、乗り降りしました。 全部紹介します。
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↑ 佐渡と言ったらまずは、「朱鷺」でしょう

↑ 素晴らしく,飛び立つ姿をお見せしたかったので剥製です。

↑ おまけに、なんと骸です。でも、人間さまは灰となります。

↑ 妙見寺 順徳天皇に供奉した阿仏房日得とその妻千日尼開基と伝えられ、流された日蓮に篤く仕えたという。
↑ 県内唯一という、五重塔

↑ 境内が城のように感じられる。かって、竹田本間氏の居城にためという。

↑ 佐渡に現存する最古の能舞台へ

↑茅葺の能舞台、周囲の松と芝生の緑と相まって、建物を見るだけでも十分に鑑賞にたえていました。
もちろん知りませんでした。 能舞台に太陽が輝いているのはこの舞台だけとは↑

↑ かって、佐渡には200軒程のの蔵元があったそうです。今は7軒の蔵元。
「アルコール共和国」と名づけられ、なかなかの商売ぶりでした。
佐渡は金山と流刑地ぐらいとしか、知識がありませんでしたが、対馬海流の関係で本島より夏・冬通じて気温が数度安定しており、果物はみかん、リンゴ、ブドウ、柿、梨などほとんど収穫でき、米も収穫の三分に二は出荷しているとのこと。
新潟県の三大銘酒「越しの寒梅」、「久保田」、「八海山」に勝るとも、劣らない酒蔵地であることを知りました。

↑ここに、拉致事件の曽我ひとみさんの二女「ブリンダさん」が勤めていました。

↑ゴールド・パークで砂金採りの体験ができます。
初心者コース、中級、上級とあります。 中級は人工の川で、上級はほんとに川に入る。

↑ はじめは渡っているが、そのうちに目が輝いてきます。 男性よりも女のほうが時間を過ぎても頑張っていました。 その場でペンダントなどに加工してくれます。

↑ こんな「大黒天さま」の姿に魅せられて、集合時間オーバーとなりました。

↑ 佐渡歴史伝承館へ
ここでは拉致事件の曽我ひとみさんの旦那様が働いておられました。 かって、タラップを降りてきた時のような、痩せて電気のない表情とはまるで別人jでした。
ふくよかで、ゆとりのある表情でしたが、記念撮影の対象となり、無表情に売り物の「焼きせんべい」の宣言マンとして活躍されていましたが、どこか違うなと感じない分けにはいきませんでした。 私は写真を撮らないことにしました。


↑一体が一番高価なものは4500万円という蝋人形で精密にできています
。
↑昔話をしている爺さん、婆さんの話を聞いている坊やは蝋人形
お隣のお客さんは最後までそのことに気がつきませんでした。

↑願いの叶う「ご利益橋」を渡って終わりです。

↑七浦海岸の「夫婦岩」


↑ 紺碧の海に屹立つ弾劾、波静かに見えますが、当日は1~1・5メートルのなみです。 絶壁の岩肌に船が近づいた時は、少しばかり緊張しました。

↑大崎灯台にかかる遊仙橋は、映画「君の名」の舞台となったところ、別名「真知子橋」とも名づけられている。
↑最後は「佐渡金山」の見学です。
乗り降りが多く、ここまで来た時にはいささか疲れてしまい、写真を撮る気にも成らなくなっていました。 それとも、流刑地の作業場を敬遠したのでしょうか。
いや、決して犯罪人だけでなく、石川県能登の方面からも、賃金がよいので働きに来ていたようです.。 が、仕事はきつく長生きはしなかったようです。
「新 佐渡グルメの旅」と名付けられていましたが、一度もご紹介されないお料理です。
どこにでもある旅の料理といったら失礼でしょうか。
「おけさ柿の柿酒、食後のシャーベットのデザート」、特にというわけではありません。
「佐渡のエビ・カニ」海が荒れてカニは二日目に口にできました。 エビは豊漁なのでしょうか二日目の10数品の料理のうち6品エビが利用されていました。(甘エビでしょう)
「佐渡産牛」「佐渡の牡蠣」塩が採取できるので、それをタップリとアジにまぶして焼き上げた料理と思い出せば、結構なものです。
その他、海藻のエゴ草をトコロテンのように煮詰めて固めたソバのようにきざみ、ネギとワサビなどの薬味をつけ、醤油をかけて食べる「いねごり」。サッパリとした磯の風味。
佐渡の代表的な食品。
忘れてはいけないのが、佐渡さんのコシヒカリです。これは佐渡の中央部に広がる国仲平野の穀倉地帯、山間部の棚田でも作付されており、銘柄米としても一級のおこめでした。 このお米に味噌をつけて食べたのが一番・・・
平成20年4月25日 記
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佐渡の名物「たらい舟」に乗って
〜第三日目 何とか大ぶりになる前に満喫〜
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雨模様の朝が来ました。 「たらい舟」が終わるまでは何とか降らないでと願いましたが、乗船間近に降り出しました。


小木港の湾内を半径20メートルで一周です。 大きく濡れることもなく下舟。
小雨のために差した傘の色が黄色で、画面に色添えとなりました。
帰りの2時間40分のフェリーは今回知り合った可児からの小形さんとおしゃべりです。
小形さんも高血圧の薬を飲みながら、朝からいっぱいのご様子です。
「傾聴」の勉強というか、私の心構えの進展を測るお話相手でした。
↑ 乗船前に、お別れの「佐渡おけさ」をひと踊り見学しました。
5年間で4回キャンピングカーでの佐渡旅行を計画しましたが、今回やっと行くことができました。 島の様子も分かりましたので、次回はやはりキャンピングカーで行動自由な旅をしてみたくなりました。
旅行社の佐渡への旅行はほとんど2泊3日が定番のようですが、3泊4日ならもっと楽しめる事だろうと思いましたし、キャンピングカーならゆったりと5泊6日なら山登りなども楽しみ、釣り好きな方なら更にということになるのではないでしょうか。
前にも書きましたが対馬暖流の関係で、ミカンとりんごの両方は収穫できる住みやすい島とのお話が理解できました。
また、島で収穫できないものは「お茶」とのことです。 これには伝説のお話もあってのことです。 鮎の遡上もありアユ釣りも楽しめるとのことです。
観光がメインの産業でしょうが、お米は島外移出していますし、島内で全てが自給できるのではないかと、お話から想像しました。
永住のために島に渡ってこられる方の近年増えているとのことです。
帰宅後、お風呂に入っていましたら、チャイムが鳴りました。
昨日注文、宅配便のお酒が届きました。 離島からの宅配便というのになんと速いことでしょう。 今夜は疲れましたのでお休み。明日にお楽しみとします。
COLUMN 1−D 1026
平成20年4月22日 記
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キャパシティーを超えています
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明日から「佐渡が島」へ行って来ます。
その前に課題を残さないようにと、かなり計画的に進めてきましたが、中部大学、週4科目の講義の予習、復習の一部が残ってしまいそうです。
特に復習の記録が出来そうにありません。 録音してありますので、佐渡に到着する前に何とか整理できればと思っていますが、どうなりましょうか。
そんな時間があるかどうかは分りませんが、帰宅後に「旅日記」を書いている時間的余裕がありませんので、現地で慣れぬ新パソコンを操作するつもりでいますが、これまた上手く行くかどうか自信がありません。
が、やってみなければわかりませんので、挑戦はして見ます。
この年齢になると、仕事(?)は減らせと言われていますが、今年に入り逆に増加している状況です。
「年寄りの冷や水」との声も聞こえます。
やっと、これだけ入力しました、散歩に行って来ます。 カメラは持参しません。
COLUMN 1−D 1025
平成20年4月21日 記
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タンポポさんが旅立って、二日目のこと
タンポポさんからの便りが入りました。
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タンポポさんの居残り組みも皆さん飛び立ってしまいました↓


↑タンポポさんがいた隣の花壇のシラーさんに、タンポポさんから連絡がありました。

↑『フワフワと気持ちよく長旅をしてきました。 一休みのよさそうなお花を見つけました』

↑そこからの眺めは今まで見たこともない大きな大きな湖でした。
『空が急に曇ってきましたので、直ぐに雨が降りそうです。 傘を持ってきていないので、心配です。 シラーさんでは、お元気で。 また、お会いしたいですね・・・サヨウナラ』
COLUMN 1−D 1024
平成20年4月20日 記
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タンポポさんが旅立って
見送った牡丹さんが今盛りです
二階窓際で笑い声がしました。 ジャスミンさんです
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このコラム4月18日 NO1022でタンポポの旅たち前を紹介しました。

↑ 数人を除いて、皆さん旅たたれました。居残り組みもいますが・・・
そのタンポポさんを見送った牡丹さんが今が盛りと、曇りぞれの下妖艶な姿です。



二階の窓際から笑い声が聞こえてきました。 見上げてみますと・・・

↑↓ ジャスミンさんです。 あの甘い香りは階下まではまだ届きません。

「何が、可笑しいのですか」と尋ねてみたら、「ホラ、もう一度牡丹さんを見てみなさい」と。

↑ 今夜から雨が降るとの予報で、早々と傘を差してもらっていました。
ジャスミンさんは雨が降ろうが、風が吹こうが、もう10数年二階の窓に寄りかかり、いやしがみついてあたり一面に初夏の香りを振りまいています。
COLUMN 1−D 1023
平成20年4月19日 記
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百姓学校・加藤一人チームに若手加わる
石井さんと伊藤さんだから、K&I(アイ)&I(アイ)
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今春に入り百姓学校が賑やかに成りそうです。 昨年までは校長のご子息夫妻、娘さん&お孫さんにその友達チーム、そして私の一人畑でした。
もちろん、校長と奥様もご自分の耕作・管理する畑を持っておられます。
そこに、今年から百姓学校の竜吟校の生徒が本校(日吉)に移転してきました。
先週、そのお手伝いを少ししたのですが、当面5人の方がそれぞれの自営畑(自給畑と呼んでいたが)が指定されました。
まだ、参加希望の方があると言うので、今年は賑やかになりそうです。
本日の加藤&I&Iチームは、植え込んでいたジャガイモが98%葉を茂らせ始めました。
其の他ホウレンソウ、ダイコン、人参、インゲン、サラダ菜も芽吹きました。
この畑には、「万田アミノアルファ」を散布しており、本日も行ないました。
新たに追加した畑には、サトイモを植え込みました。 「大野サトイモ」 「土垂サトイモ」、「愛知産サトイモ」、そして、食べ残して我が家の玄関で一冬越したサトイモと4種を植え込みました。
I&Iさんが驚いていました。 大野サトイモが1Kg、約20個で1680円と言う価額に・・・
ちなみに土垂サトイモが1KGで1280円、愛知産が840円です。
果たして、種芋の投資分ほどの収穫があるのでしょうか。
こちらは種芋代ばかりでなく、BMD(Brilliant Mind Developument)=「生涯の健康と幸福を守る知恵の超循環」をテーマに微細領域を含む総合科学〜範囲は環境、健康、美容、農業、食、育児、教育の予防医学協会が送り出している「BMD農業用資材」の実験を始めました。
お金のことを言っては、この実験を試みることの価値が落ちるのかもしてませんが、今回は約1万円の投資をしました。 栄養化が高く、健康によく、しかもたくさん収穫が期待されます。
同じ百姓学校で5〜6種のそれぞれの方法で取り組みますので、どのような結果が出るか興味深々です。
ここに詳しく掲載しましたのは、お読みいただいている方も関心を持っていただこうとの考えからです。 今後、定期的に報告します。

左は本日で2回目参加の石井さん。右は本日が最初の伊藤さんです。
お二人とも、IT関係のお仕事のようです。 ようですというのは、そんなに詳しく尋問していないからです。
おいおい、お話をさせていただきます。 石井さんはお酒が全くダメというので困りました。
COLUMN 1−D 1022
平成20年4月18日 記
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春風に乗って、私(タンポポ)旅たちです
〜美座し 開花せんとす 牡丹さんとお別れ〜
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春霞の中、↑今朝、みんなで旅たちの前の記念撮影をしました

↑仲間の内、早立ち組みが飛び立ってゆきました

↑一人で、春風さんを待っていたら、携帯電話がなりました。
「藤棚で熊ん蜂さんたちが、楽しげに遊んでいるから、立ち寄ってきたら」と・・。

↑いくら電話をしても、熊ん蜂さんは応答がありません。 見上げるとそれぞれのカップルが、仲良く空に向かって急上昇したり、急落下したり、時には空中で「ここまでおいで」と羽をブンブン鳴らして、空中停止していました。
さあ〜、飛び出そうとしましたら、「私のことを忘れないでね」と牡丹さんが声をかけてきました。


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COLUMN 1−D 1021
平成20年4月17日 記
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その後のロウバイの実のこと
4月13日、このコラムNo1018で取り上げました
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今年のロウバイの実は例年の数十倍と成りました。 何か異変でも感知して、子孫を遺すべく多くの実をつけたのかと考えたりしています。
本日、春の雨上がり後、ロウバイの実のその後を観察しますと、昨日の春の強風で吹き飛ばされたのでしょうか、多くの実が落下しておりました。
と言っても、例年の数十倍の実がそのままであることにはかわりはありません。
人間様の世界とは異なり、必要上の蓄えはしないのでしょうか。
これからも観察を続けます。
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