「頑張ります、努力します、勉強になります、反省しています」こんな言葉を連発する最近の内外の新入社員達を見ていると、身震いがしてきます。言葉だけで、世を渡っていけると思っているのだろうか?
その場限りの言葉の対応で、本質的な解決は一切されることなく・・・・・拙速(スピード処理)対応すればそれなりに身に付いてくるものがあるのですが、耳に心地よい言葉を発して終わらそうとするスタンス、それが問題だと気付かない本人達・・・・・
こんな光景を内外問わず随所で見かけます。こんなことが通る社会や会社ではいけない!
<追伸>
以前から思っていたのですが、間違った採用面接技術が世の中を闊歩しているのでは・・・・・採用者側は、これを見抜く眼力を身に付けなければ・・・・・もっと、純粋で単純な採用が出来ればと願っています。
ヒラメキで書きます。お許しを・・・
彼らがそのよう言葉で、その場繕いを口にする背景には、社会や、会社に夢や希望を感じない・もてないことの現われではないでしょうか。
あるいは、それで許されてきた、あるいは許されると感じさせてきた社会や会社の実体ではないでしょうか。 その現われが彼らの姿勢であり、態度でしょう。
其れゆえに、彼ら自身が自らの意思や思いで方向性や向かうべき港が見出せない、見つけようとしない指示待ち人間にしてきてしまったのではないでしょうか。
甘えていると切り捨てることも出来ますが、振り返ってみると、私達の育った次代は、自分で切り拓いたものでなく、たまたまの時に恵まれたのでしょう。
同時に貧しいが故に、あるいは努力すれば何とかなりそうだと感じてもいました。
が、今一度今というこの時を眺めてみますと、稀に見る恵まれた、自己を活かすチャンスイッパイの時代と感じないわけにはいきません。
既成の価値観や制度、仕組み、制度などが否応なく崩れ・壊れてゆく時と考えます。
人生を先に歩んだ先輩として、今という時は素晴らしい・可能性に充ちた時と場面であることを伝え、感じていただくことが素直に伝わるかどうかが問われていると思います。
彼ら自身で自らの道を切り開いてゆく勇気とそのための行動こそ今求められていることを理解し納得してもらえる方向性を示すことと、日々の指導育成ではないかと考えます。
その点から見て、貴社の新入社員への対応は、及第点以上と評価しています。
その思いが彼らにどのように伝わってゆくかどうかが問われていると考えます。