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 COLUMN 1−D 1100
                                  平成21年9月4日・記

     「シラタマホシクサ」の湿原へ

 〜トラノオ(虎の尾?)も咲き始めました〜


 昨日、豊橋市・東海のミニ尾瀬「葦毛湿原」がテレビで取上げられたした。

 ということは、私の散歩道の一つ、築水池に流れ込む西高森山の小さな湿原でも「レッドデータブック・絶滅危惧種U類」 .のシラタマホシクサが咲き始めたことだろうと、本日がいつもの夕方とは違い、午前中に出かけました。

          


               

                           ↓
               

   ↑ぼかし撮りとなった、シラタマホシクサは万華鏡でピントを合わせてくれました。



               

      → 

  ↑爽やかで・柔らかく・透き通った・淡いピンクはとてもトラノオウ(虎の尾)の名前に似つかわしくありませんが・・・

              私の花の名前の勘違いでしょうか?



 COLUMN 1−D 1099
                                  平成21年9月3日・記

     散歩道は「ウグイ川」の沿って

 〜本日、夏野菜の最終収穫(我が家の庭1・5坪)〜



              

                          ↓
              

        ↑クズの花が咲いていました。 紫色は品が良いですね。

   →

                  ↑フヨウの花の蕾と万華鏡に

   →

             ↑開花のフヨウはヒラヒラと舞っているようでした↓

              


           

                  ↑瑞浪の田圃が気になります。

 

   9月3日、午前中の作業

             

 ↑2本のカボチャの蔓の長さは、45Lの一番大きなゴミ袋に5杯の長さ(量)でした。

 既に直径25センチメートル以上のカボチャは2個収穫していますので、プラスです。
 但し、本日収穫の小さなものは、目方が軽いので食するには未熟と思います。

 黄色の長いものは、瓜です。 収穫見落としてこんな姿に成りました。

 皿の上のものはナスとトマトです。 トマトは赤く熟れるのではなく、この色で充分美味しくいただけますが、このナスは秋ナスとはいきませんね。

 今朝、3時間の作業で汗ビッショリです。 ジン・トニックを美味しくいただきました。

 生石灰、牛糞堆肥、エコ堆肥、少々の混合肥料、そしてタヒボ茶(健康ブラジル産の茶)の出涸らしを散布して、耕転しておきましたので、数日後に大根を蒔きます。

 兎に角、お休みなしの1・5坪の庭の畑です。 投下堆肥・土地改良には惜しみなく資本(?)投資です。

 それにしても、松に絡んでいた蔓取れて、少し暑苦しさが治まったように感じます。
 後は、夏草の手入れが待っています。



 COLUMN 1−D 1098
                                  平成21年9月2日・記

   まだ、時差ぼけから抜け出せない


 帰宅してから10日も経過したのに時差から抜け出せない。
 
 今朝は午前3時に目覚め、その後頑張って(どうも変な表現ですが)床に横たわっていたが、4時には置きだしました。

 前夜はこれまた頑張って午後の8時過ぎまで起きていたが、その間も何度かウトウトとソファーで居眠りをしていた。

 仕事をしていた時には2〜3日で元に戻ったように記憶しているが、加齢と共に、また時間をそれほど気にしなくて良い身分になってからは、どこか時差を楽しんでいるような気もしない訳ではない。

                

                散歩道にドングリの実が落ちだしました。

 2ヶ月前程に、我が家の庭の栗の実が例年以上の実をつけていると書きましたが、その後の自然摘果は凄く、つけた実の半分以上は落下してしまいました。

                

  ↑上記のドングリの写真を数段クリアーに仕上げたところ、カサの部分が強調されて
 万華鏡はドングリの渋が撒き散らかされたように成りました。

 ドングリの実は「スダジイ」、「マテバシイ」、「クヌギ」、「シラカシ」、「アラカシ」等の種によって大きさは異なりますが、同じ種ならば、殆ど大きさは変わらず、そこから「ドングリの背比べ」という言葉が出来たということです。

 「平成の市民革命」後の、政治・経済はどのように展開されることでしょう。 ドングリの背比べでは困るような気もしますが、そのドングリたちが(選んだ我々も含め)渋味を効かした時代・社会の創出としたいものです。

 今しばらく、時差ぼけの身と脳の状態で時の流れに身を任せてみましょうと・・・・。



 COLUMN 1−D 1097
                                  平成21年9月1日・記

   花の名知らず
 
 〜根分けしていただいたこの花、 初開花〜


   →


                 

                           ↓
                

                    ↑水滴を落としてみました

                

          ↑縁取りをして、万華鏡仕上げにしますと、全く違った姿に



 COLUMN 1−D 1096
                                  平成21年8月31日・記

  第45回 衆議院選挙が終わった

 〜やっと、平和裏に凄い「市民革命」が起こった〜 



 ”時代・体制がひっくり返る、”ドスンと仰天の時代の到来”、”資本主義の時代の終焉=モア・アンド・モア、物的豊かさの時代の行き詰まりと崩壊”などと口にしていた。
 
 思い出すと日本のバブル崩壊の数年後から「狼爺」と言われて始めているので、既に約15年以上・20年近くが経過した。

 「自民党をぶっ潰す」と言って、国民に眼くらまし加え、自民党の延命に成功した小泉政権が行き詰まった頃から、「狼爺」とは言われなくなった。 では、次はどのような世の中、時代、政治が始まるのかとの質問も貰った。

 終わりを予感し推測し、新たな時代の到来を期待はしたが、次はどうなる、このようにする、どのようになるべきとの答えを持っていたわけではなかった。

     2009年8月30日は、一つの時代の転換期となったといえる。

 それは国民の不満と不安そして不信の「3不」の気持ちがもたらしたものと考えます。

 個々人にとっての「3つの不」は色々でしょうが、身近なところでは老後の年金や医療の不安であり、それを司っていた政治、行政の仕組み、制度、そしてその運用のイイカゲンさに対する不信であった。

 、失業者350万、加わるに企業内失業者が650万と言われている。この雇用に対する不安は日々刻々と身近に感じていた事柄であり、まだ深刻になってゆくと予測できる。

 それなのに、高級役人の天下り、天下り先への特別融資や補助金。 
  何度でも手にする退職金。
 政治・官僚さらに財界までもがつるんだ馴れ合いとしがらみの政治への不信、不満は頂点にまで達していた。

 さらに付け加えれば、教育にも及ぶ格差社会の不公平を実感せざるを得ない中、不信であり、不平等と感じないわけにはいかない。

 気付くままに身近な課題を列挙しても簡単に以上のことを記述することが出来ます。

 さらに、外交や国防に関する秘密協定等隠されている事項が次々に露呈し、国民の不信、不安は高まるばかりであった。

 ところがこれぞ国民性なのか、ギリギリまで追い込まれないと行動に起さない保守性。
 良くぞ、ここまで国民は暴発せず絶え忍んできたものと思わざるを得ない。

 テロもなく、暴力も、一揆もなく平和裏に実行された「平成の市民革命」が起こったのだ。

 数字の上でも戦後の日本政治史上、革命的なことが起こったのであるが、その結果全ての不信、不満、不安が解消される、又解消されてゆくということではない。

 国民の不信、不満、不安が積りに積りして起したこの結果は始まりを意味し、ここから新たな時代の創出が始まる。

 結果を示した国民一人ひとりは、ここから依頼心ではなく、自主性と主体性を持って新時代を生み出す運動に一人ひとりが進んで参画し、自らの手と足で行動し作り上げて行く、記念すべき「平成の市民革命」であったと認識、覚悟して歩み始めなければならないと考えます。


 世界の政治、経済、金融等は2007年のサブ・プライムローン問題、、2008年リーマン・ブラザースの倒産ショックに続いて、2009年版・第3のショック、恐慌の時が日増しに近づいていることを腹に治めていなければならない。

 ふたたび「狼爺」と言われてもいい、「馬鹿か気違い」と言われても良い、今回国民が起したこの結果=市民革命が次の時代の展開に結び付けなければと考えています。


 追伸

 先程、藤原事務所のホームページを開いたら、私も昨日まで滞在していた遠山藤原学校の生徒が藤原先生を囲んで、「ロハスで愉快な仲間たち」と題して、8月30日の選挙の開票速報を視聴しながら、座談会をしている「インターネットラジオ」が収録・放送されていました。

 

2009年8月30日 (日)

藤原事務所の「ロハスで愉快な仲間たち」 2009年8月30日 南信州遠山郷で歴史の断層を越えた  久志さん、yuponさん、yuponさんの息子さん、ワイノさん、藤原直哉

南信州遠山郷で歴史の断層を超えた

lohas090830.mp3をダウンロード





 COLUMN 1−D 1095
                                  平成21年8月31日・記

  8月の「藤原遠山学校」は和田地区の

 「御射山祭り」(ミヤママツリ)に参加してきました
    


              

        ↑夜に開催される遠山川の川原で打ち上げ花火の設営が終了

                

           ↑藤原学校の総勢9名も法被を締めていざ出陣です。

    かって地元の観光協会会長(現、飯田市市会議員)のお願いし参加しました。

             

                ↑上本町の祭典場の入り口です

    

  ↑座るやいなや「鯉アライ」のもてなしです  ↑新人市会議員も飯田市内から参加

             

  ↑なんでもない商店街の万国旗の飾りのように見えますが、隣に座ったオバサンが教えてくれました。

 商店街の両側を挟んで、ジグザグに万国旗が張られているところと、手前はありません。

 ないわけではありません、商店の軒先を縦に張ってあります。 ここに秘密があります。

 上本町商店街のメンバーは年寄りばかりで、高いところに昇るのは危険ということで、町の役員会で今年は万国旗を止める事にしたというのです。

 ところが、隣のオバサンを中心に「昨年25000円も出費して購入したのに、やめるのはもったいない、それに寂しい」ということで、ジグザグに張ることはやめて、軒先に縦に張ることにしたということです。

 この方法ですと例年、半日以上かかっていたが1時間で終了、賑やかで・活用も出来たと反対していた人も最後は互いに喜んだと教えてくれました。

             

    ↑午後・3時半から約2時間弱、ビールとお酒、「恋のアライ」、自前の漬物に、海苔巻きと稲荷ずしで盛り上がってきたところで、記念撮影して、諏訪神社へ出発です。

    

    ↑13(?)地区に分かれて、子供神輿が運ばれてゆきます。
        毎年、新しく夏休みの作品として作られているようです。

    

  ↑何度か遠山郷(和田地区)には来ておりますが、突然道幅が4メートルも満たない狭い道に入りました。 「旧街道」ということです。 

 家々から祭り見物で帰って来た息子や娘、親戚縁者のお客さんも交えて、軒先で眺めておられます。 実に素朴だなと感じました。

 ↑「中本町」と書かれた太鼓は、タダの木箱です。 木箱を打ち鳴らす音は、皮で張られた太鼓の音と違い、ベッタッとしたというか、力強さと軽やかさがありません。
 
 貧しかった頃の名残でしょうか、それが又この旧街道の板壁や雨戸の戸袋とマッチしています。

             

    ↑集落の一番外れ、諏訪湖・「諏訪神社」との関係がある諏訪神社に到着。

   一番外れと言っても、国道152号線〜青崩峠トンネル(開通が待たれる、ここで一度152号線は遮断している)から水窪を経由して、秋葉神社と続く秋葉街道と、遠山川沿いに下り天龍川へと続く国道418号線の分岐点に位置しています。

        かっては、交通の要所であったことが、容易に想像できます。

             
 
          ↑境内は早くも大木に覆われて、暗くなってきました。

   

         

  ↑各地区の子供神輿がお払いを受けています。子供たちが飛び跳ねています。

    

   ↑国道152号線に入り、和田地区(商店街)を抜けて、花火会場へと向かいます。

 田舎の国道と言っても、当日は交通量が多く、おまわりさん、警備員、地元の関係者が汗だくの交通整理です。

 時折、商店の一角で「振る舞い酒やジュース」が配られます。そのたびに渋滞です。

            

 ↑1時間半後に商店街に戻ってきたところで、雨雲が破裂しました。 ちょうど、先程までイッパイやっていたところです、雨宿りを兼ねて、出店からツマミを買ってきて、飲みきれなかったビールとお酒で又始まりだしました。

 小学校の花火会場まで出かけた連中が、ビショ濡れで還ってきました。
 
 ちょうど30分すぎたところで、広報車が今から花火が打ち上げられるというので川原に向かいました。

  囲まれた山々にコダマして、ドーンと打ち上げられた花火の音は凄いです。

 花火撮影よりは、「かぐらの湯」に早々と駆け込んで、汗を流し、露天風呂から打ち上げ花火を眺めていました。  極楽・極楽です。


 翌日(8月30日)のことです

            

 ↑飯田市・遠山地区(旧・南信濃村)の青年団による、各地区への持ち回り演芸が7箇所で開催され、この木沢地区にも宣伝車が廻ってくると、平均年齢70歳の方々が三々五々集まってきました。

    

               

   ↑地元のお嬢さんによる歌謡舞踊が披露されました。 昔はもっと色々あったのでしょうが、今は若者の姿が殆ど見えない遠山郷です。

               

      ↑録音したテープを持ち込んでのミキサー係も青年団自らです。

            

 ↑さて、そこで登場しましたのが、藤原学校の関係者です。 昨年は藤原遠山学校の事務長が「憧れのハワイ航路」で出演、ヤンヤノの喝采を浴びたということです。

 今年は、藤原先生の教え子で、遠山郷で木材工場に勤務して1年半の本多君が登場しました。 

 遠山藤原学校の荒井事務長が出場予定でしたが、「かぐらの湯、ゆ〜楽」の食堂部門に勤務しており、稼ぎ時で到底時間がなく、本田君にお鉢が廻ってきたということです。

 
 3年前からの彼を知っていますが、舞台に立ち堂々と踊りきった姿を拝見し、嬉しくなってしまいました。

                  

                ↑どうです。この凛々しい顔と姿は・・・

           

                ↑影までが、絵になっていました。




 COLUMN 1−D 
                                  平成21年8月29日・記

  今から、8月の「遠山郷」へ行きます。

 「御射山祭り」(ミヤママツリ)で、朝6時に
    祭りを告げる、花火があがったということです。

 夜には本格的な花火が打ち上げられるといいます、
山間に響き渡る花火の音は、なかなかのものという。







 COLUMN 1−D 1094
                                  平成21年8月28日・記

  停滞と混乱を覚悟しなければならない

      〜政権交代後の日本の姿は?〜


 今、8月28日、午前2時です。

 時差の関係でしょう目覚めました。 しばらく床に横たわっていましたが寝付けず起床することにしました。

         同時に脳裏を横切ったことを記録しておきます。

 衆議院選挙の結果は民主党の圧勝の予測どおりになることだろう。
 勝った、勝ったとの祭りの酔い。醒めた後には一転し秋の空はさわやかさとはゆかない。

 (程ほどの勝ち方、それは何とか過半数か、他の野党を加えての過半数と考えていたが、現在の世論調査を見ていると、300議席も超えようとしている。 果たして、そのことは良かったのであろうか。 当初ギリギリ過半を予測し、来年ふたたび総選挙を予測していた私には、意外な方向に進んでいる)

 そんな勝ち方をする民主党にどれ程の覚悟と準備が出来ているのであろうか。
 
 又、その結果をもたらせた不満、不安、不信の意識と感情を持った国民は、新しい体制の持つ意味と新たに創出する政治・経済・社会の姿・形が落ち着くまでの間に起こるであろう停滞と混乱の予測と覚悟が出来ているのであろうか。

 思いもよらない足元の微動から弱震、そして強震と激震を感じ・見舞われることだろう。
 
 吹く風もさわやかで、涼やかな秋風とは裏はらに、思いもよらなかった台風の到来を実感することだろう。

 
・民主党の言う「国家戦略局」、「行政刷新会議」の方向性はまだ見えない。誰がメンバーとなるかの準備は既に出来ているのであろうか。

・外交・安保・国防に関して米国との話し合い、合意はどの辺で決着するのか。 経済の問題と異なり、足して二で割るとはいかない。 新たな世界秩序、アジア・とりわけ東アジアとの信頼関係は築けてゆけるのか。

・無駄な予算を切り込み、削減、何処まで掘り下げて、約束しているマニュフェストの実行が可能であろうか。

 60年続いた自民党政治との決着であるのだから、暫しの停滞と混乱は避けがたいことであるが、思いもよらない圧勝は国民の不満・不信・不安の現われであり、其れゆえに期待が大きく、その反動もあろう。

 
 この間、政治リーダー・政治家は当面の自己保身=当選第一=政権交代であり、時代を担う見識と覚悟が出来ているようには思えない。

 官僚=霞ヶ関は、やり手や目先の聞くものは既に逃げてしまったという。 体制転換で彼らは抵抗するのであろうか。 それとも無責任な役人資質丸出しでへりくだり・当面はサボタージュとなるのか。 多分指示待ち族の典型となろう。
 そんな彼らの尻を叩いて、政党から送り出すという100人の政治家が実を挙げてゆけるのだろうか。

 財界は小泉・竹中政権時代の取り巻きは、その後のたらいまし政権の間に、徐々にその姿を隠していったが、何処に潜んで風を通り過ごそうとしているのか。
 世界恐慌の中、新たな時代・社会に対処した変化の方向性を示し、行動を起し始めた企業・特に大企業の意思・姿は感じられない。 これまでの延長線上で日々を過ごしている。

 マスコミはどのような論評を持って、新しい政府に対処するのであろうか。
 これまでの経緯があるから手のひらを返したようにはいかないところもあろうが、彼らの節操のなさ、変わり身の早さから窺うに、恥ずかしげもなく変身するのであろうか。
 当面はこれまでのこともあり、新政権に対して辛口の論評をし、彼らからの提案・提言は期待できない。

 気付くままに国内の権力者の立場を分析してみたが、現在進んでいる「世界恐慌」の進展のほうがさらに大きなインパクトを持っている。
 
・持ち直したとか・底を打ったとか言う世界経済(アメリカ経済他)は全くのイイカゲンな発言であると考えます。

 ・各国の金融支援、財政出動、企業の粉飾決算を可能とする基準の見直しなど、さらに傷を深くしている実体であることは素人の私でも感じるところです。

・それらを受けて、株価が上がってきていますが、いつ何時再暴落の(これまでにましてさらに大幅な)エネルギーを内蔵しているといえるのではないでしょうか。

・それに世界各国の貧富の差は広がり、貧しい人々の不満のマグマは高まっています。
 いつなんどき、暴動やテロとなって吹き出るか分かりませんし、既に起きています。
 それを力で押さえつけようとする度に、危険度は増しています。


 不透明な時代の中、さらに不安を抱くようなことを書くべきではないと思いながらの入力です。 これは私自身の不安を入力することによって吐き出しているのではないかと感じないでもありません。
 
 同時に、自分自身に覚悟が出来ているかとの問いかけでもあります。

 何がどのように変化してゆくのはサッパリ想像もできないのですが、これまで先送りされてきたあらゆる矛盾がテーブルの上に子供のおもちゃ箱のように投げ出されることでしょう。
 この時の到来をくることを夢みいた政治的リーダーも、現実となりその場に立って、唖然とし棒立ちの状態になるのではないでしょうか。

 何も知らされず、日々を過ごしていた国民大衆は茫然自若の状態になる方が半数以上になるのではないかと予測します。(一方、意外と醒めているかとも・・・)

 誰が、どのようにいち早くその状況から生気に戻り、次の行動に移るのかの度量が試されるのではないかと考えます。(既に、新しい道を歩んでいる方もいる)

 バブル景気に浮かされ、バブル崩壊後の20年間、どのように考え、準備し、対処してきたかが問われることになるのでしょう。

 かく言う、私自身はこの時の到来を期待し待っていたのですが、どれ程の覚悟と準備が出来ているのだろうかと改めて自問します。

 とはいえ、ここから新しい時代の扉が開かれるのです。 そして新たな時代の創出の鐘が成り始めたのです。 

 このような時代に生まれあわせたことに感謝し、修行人生の歩を進めたいと誓います。





 COLUMN 1−D 1093
                                  平成21年8月27日・記

  廻間町(はざまちょう)の田圃、稲の花咲く

   我が家の庭のカボチャの葉は枯れる



               

                           ↓

               

                          ↓

               

    ↑2週間ぶりに廻間町の散歩道に行きました。 6月上旬〜中旬に田植えが行なわれたこの周辺は、今から稲の花が咲きます。 咲き始めた田圃は2割程度で、まだこれからのところの方が多いです。

 手入れの行き届いていない田はいもち病に罹っているようですし、中にはヒエがイッパイの田圃も見受けられました。

 散歩の途中で見かけるお百姓さんは、殆ど70歳以上の方とお見受けしました。
 
 この周辺の田圃は大谷山、道樹山からのお水で美味しいお米と聞いています、これからの台風の被害もなく成長すればと「岩船神社」に久しぶりにお参りしました。


               

   ↑一方、我が家の庭のカボチャですが、既に直径25センチメートルもあるものを3個収穫しました。

 10日間の旅の間に、数個成長しておりました。 大きさは直径10〜15センチメートルと小ぶりですが、味の方はどうでしょうか。

 松の木や花之木、梅の枝にぶら下がっています。 見えないところにまだ隠れているようにも思われます。 3個は確実に確認しています。

 ご覧のように葉が枯れてきておりますので、栄養が行き届くのでしょうか。 

 タダでも夏草が庭イッパイで見苦しいのですが、蚊の羽音も聞こえますので、このまま葉が完全に枯れるまで、辛抱してみようと思っています。

 勢いよく、みずみずし緑のカボチャの葉が、たった1ヶ月でこんなになってしまいました。

 昨日、気がついたのですが、あれほどやかましかった蝉の声が聞こえません。
     忘れた頃に、弱々しく遠くで鳴いている声が聞こえる程度です。

        夕方になると、秋の虫の音に代わっています。 
     好きな香りの一つ「金木犀」の花芽が日増しに大きくなっています。


   旅に持参したパソコンではなく、使い慣れたパソコンですと、三分の一の時間で入力し、日記が書けます。

   旅の間中、少し無理をして入力を続けていた性か、視力が低下したようです。

 タダでも活字と接するのが億劫になっていたのが、マスマス遠ざかるのではないかと気になります。

 今朝、壁あてキャッチボールをしていましたら、塵捨てに来れれた隣の奥さんが、足を少し引きずっています。「歩いていたら突然、半月版のところが痛み出した」という。

 筋肉を鍛えることによって各節々の保護・強化をしなければと考えると同時に、壁当ての肩の筋肉は大丈夫かと問いかけつつ、”後3球”と気合を込めて投げ込みました。

          「ストライク」で気分良く、引き上げました。



 COLUMN 1−D 
                                  平成21年8月26日・記

  コラム 2−N  NO304に

   「藤原直哉のワールドレポート」より
    ”今回の選挙の意味するもの”抜粋掲載






 COLUMN 1−D 1092
                                  平成21年8月25日・記

   南米の旅 掲載しました。



   エッセイ D、「旅日記」に掲載しました。 誤字、脱字など判読はよろしく。

     弁解〜今、8月25日、ごご3時、睡魔が襲ってきています。

            

            




 COLUMN 1−D 1091
                                 平成21年8月24日・記

   帰宅後、新聞を読んでいて

 〜旅先で、学生や農家の方との話を思い出して〜

 
 今回のたびに参加していた19歳の大学生がいた。 マチュピチュからペルーレイルに乗ってクスコに帰る間の車内で30分ほどの政治談義をした。

 19歳にしては政治に関心を持っていた。それでも彼の弁によれば「政治には無関心だ」と言っていた。 どちらかといえば保守的な考えを持っていた。 

 外交・国防についても「核を持つべきかどうかの論議ぐらいはしても良いのでは」との意見を口にしたので、「その通りだ。 論議することによって、核の保有がいかに危険か、意味のないことかが理解されるのではないか」との私の発言には、少しばかり不満のようであった。

 生まれた時から豊かな社会で育ち、それが当たり前と受け止めているようだ。
 与えられた環境が当たり前で、特に不満もないままここまで成長してきた恵まれた家庭、ブランド大学に進学したご子息のようであった。

 「戦争になれば、君たちが一番初めに戦場に行くことになるよ」と言っても、それはそれで、他人事のような感触を受けた。

 「東大の学者と慶応大学の学者が今日の日本を導いた。」と私の発言に「竹中が悪いのでしょうか」というので、「彼もその一人であろうが、他にも存在する」と答えた。
 どうやら、彼の通学する大学と関係しているようであった。 
 反論はせず、固有名詞はあげなかったが、口の中で何かモジャモジャ言っていた。

 
 2000年小渕首相の病気に伴い、森政権が誕生した。 この時点で自民党の政治・政権はその役割を終えていた。 

 当時の野党に力がなく、国民の信頼もなく、また政権能力と政権をダッシュするという気構えも薄かった。
 そんな時に、小泉が「自民党をぶっ潰す。」と発言し、マスコミがぐるになってもてはやしたものだから「小泉政権」が誕生した。

 そのことが自民党をぶっ潰すどころか、自民党を生き延ばさせることとなった。
 当時の国民のレベルが示されることとなった。(以上の見解は、約10年前の私の持論であった)との、私の見解については、「理解できる内容です」と彼は小さな声で答えた。

 さて、今回の選挙で間違いなく政権交代である。 どれ程の負けっぷりかに興味が湧く。 興味などとはいっておられない、民主党もマニュフェストまでは良いが、政権をとった後のこと、国家像についての考え方が聞こえてこない。

 当分はこれまでの自民政治で隠されていたこと、癒着した財政支出、司法との関係も表ざたになろう。 このことは前回、8月6日、コラム1ーD NO1084「イイカゲン・爺さんの政治談義」に書きました。

 兎に角、今回の選挙によって、10年前に終わるべきだった腐った、一部の権力者や利権者の為の政治=自民党が崩壊するとことになる。

 民主党政権なっても大きくは期待できないが、多くの国民の前に今の日本の実体だ晒されるだけでも大きな意味があると考えます。

 今回の南米の旅に参加されていた、神奈川県・三浦半島で大根を年間20万本生産されている裕福な農家の方「政治になんて期待してないですよ。 自分のことは自分で対処しなければ・・」、又「株や証券・債権なんて信用できないですよ。全部銀行ですよ」と言っておられた。

 「銀行の紙幣もどうなりますかね」と尋ねると、「農家は自分で食っていけますから、全く心配ないですよ」とも言われておりました。

 私の持論「ゴルフ場芋畑論」を言うと、「そこまでは考えていなかった」と答えられた。

 この裕福な農家の方にも、日々の生活は心配ないことだろうが、「2年一度は海外旅行に出かける」という計画はどのようになることだろう。

 今までの私なら、学生といい、農家の方といい、もっと突っ込んだ・引っ掛かるような意見を吐いたものであったが、「人の話を聴ける人間になる」と毎朝礼拝時に口にしているので、なるほど、なるほどと耳を傾けました。

、民主党がどれほどの変革をもたらす政治を実行できるかは分かりませんが、秋風と共に時代の潮流は、大きな変化が世界で・国内で、しかもあらゆる場面で展開するでしょう。

 帰宅して、新聞に目を通していたら、旅の写真の整理はそのままに、気付いたことを入力しました。

 
  
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