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 COLUMN 1−D 1200
                                平成21年12月31日・記

  「ゴミ屋敷」の住人から教えられたこと

   〜消費社会が「人間疎外」を生み出した〜  


                

         ↑退職した翌年・平成11(1999)年の私の年賀状です。

 『時折、車で走り抜ける道を  リュックを背に横切りました

          ススキ、せいだかあわだち草の根本に 


       空き瓶、空き缶、もう一歩 横道に入ると
                         冷蔵庫、洗濯機、マットレス・・・・・

       蝉しぐれの木影、紅葉の山道
            薄雪化粧の自然歩道を歩いています。

                       99・01.01           修行僧』


                              と書かれています。


 確か今月の29日の夕刻のNHKテレビだったと思います。
  「ゴミ屋敷」がふえる消費社会”というタイトルであったと思います。

 ゴミ屋敷は親子、親族、あるいは地域社会との繋がりが少ない、あるいは断絶した方が殆どとの報道でした。

     

 10年前・1999年の私の年賀状は、人通りは殆ど無く、車も時折の田舎道の光景を書きました。 
 私自身その前年まで周りの風景や様子に目を配るゆとりのないまま、車で通過するだけでしたが、1998年・春に退職し、健康回復のために散歩や低山の山登りをしたことにより、それまで目に留まらなかったことに気付かされての年賀状の一文であったのでしょう。

 既にそのときに「ゴミ屋敷」の問題は発生していたのかもしれませんが、社会問題、NHKが取上げるまでのテーマにはなっていなかったと思います。

         バブル崩壊して10年、それからまた10年が経過しました。
     特に、後半の10年で日本はどうしようもない状況に追い込まれてしまった。

      この状況を嘆いても、恨んでも、泣いても問題は解決しません。
 あとどれ程の時間的余裕があるのかは定かではありませんが、タダ座して待っていただけでは明るい先の展望は開けてきません。

 一人ひとりが自らのこれまでに培った知識と体験を生かして一歩前に進みだすことではないか。 すると、意外と自分の隣に、又その隣の友人とご縁が出来るのではないか。

    少子高齢化社会はマイナスではなく、熟成された知恵の宝庫なのです。
 新しい成長分野の開発・育成は必要です。 
    が、大量生産〜大量流通〜大量消費の時代は終焉しました。

 今この時、勇気を持って試行錯誤する中から新たな光が見えてくる、創り出す。
 その過程の中から新しいリーダーの姿が浮かび上がってくるのではないかと考えます。

   ゴミ屋敷の住人にならないばかりではなく、ゴミ屋敷の住人に声を掛けましょう。




 COLUMN 1−D 1199
                                平成21年12月31日・記

   5年半、活躍してくれたデジカメが壊れました
 
   〜長い、長い 年末のコラムとなりました〜  


                

  ↑このカメラはこのホームページを飾ってくれた撮影カメラの一つですが、本日をもってこのカメラ本体が登場することも、また、このカメラで撮影した映像が掲載されることもありません。 このカメラの登場の経緯を書いて、これまでの活躍に感謝しようと思います。

 このホームページを書き始めて約10年が経過しております。 当時は原稿をFAX送信、入力は「高蔵寺地域ホームページ」の担当の方に入力して頂いておりました。

 私自身が原稿入力を始めたのは下記のようなことが記録にありますので、多分その頃のことと思います。 当時のままのレイアウトです。
 
 (平成14年頃からパソコンに触れてはいましたが、原稿の入力は平成16年から・・?。
 当時は原稿を書いてから入力していました)

 
NO.1                              平成16年4月26日

はじめに

 このコラムは「大体毎日 時にまとめて 休日多々あり 修行日記 〜イ 一事(時)が万事(時)、万事(時)は凡事(時)」を独立させたものです。
 ・庭の草木の変化  
 ・散歩時に見たこと・感じたこと  
 ・書斎から眺めた大谷山・道樹山のこと  
 ・近所の子供たちのことなど
を書いてみようと思っています。
 短い文でまとめてみたいと思っていますが、さてどうなりますことやら・・・

      平成16年は西暦2004年ですから、丸々5年8ヶ月です。
 数人の知人・友人から活字ばかりで疲れてしまう写真を掲載せよとの要請を受けていました。 そこで写真掲載が始まったのはその年の11月19日が最初でした。

     何度も何度も失敗後、やっと掲載できた時は嬉しかったです。
 
     当時、デジカメの購入時のことを下記のように書いております。↓

 
NO.122                                   平成16年11月11日

 やっとデジカメを購入してきました。

 27年間使用したエアコンは今年の夏に故障しました。 この夏だけでもエアコンなしで過ごしてみようと決心して、なんとか秋を迎える事ができました。

 11月に入っても最高気温は20度前後と高く、暖房がほしいというほどでもありませんが、北向きの書斎は冬場になると暖房なしでは過ごせません。

 もう何週もチラシ広告には目を通しておりましたが、現物を見ない事にはと出向くことになりました。

 27年前のエアコンの価額は忘れましたが、13年前のエアコンは22〜3万円だったと記憶しています。 接客してくださった方に訊ねると、やはり性能が上がり、省エネルギーになって、しかも価額は約半分になったとのことでした。

 そこでと言う訳でもありませんが、かねて懸案のデジカメもこの際と思い購入する事にしました。 
 「兎に角、操作簡単、余分な機能は入らない」と注文はつけたものの、「これだけ、覚えれば写せますし、再生も消去も簡単」と言われて、そのところだけ書き出してもらって購入してきました。

 
 本日は午前中から雨です。 午後から書斎に入り込んで分厚い説明書(178ページあります)と取り組むことになりました。 

 約3時間、現物を手にして説明書と首っ引きです。 やっと、基本編撮影〜応用編〜再生〜消去をクリアーして、“パソコンでフィルムを見る”ところまではたどり着きましたが、そこまでが限界でした。

 パソコンに読み込んだ画面をホームページに転記(?、説明書には活用すると書かれているようだ)するまでには、道のりが遠いようです。
 
 だって、今日何とかたどり着いたところの事も、今晩の晩酌と共にかなりの部分は飛んでしまうことでしょうから。

 I・Cコーダーのこともあるし、再び悔しい思いにならぬよう、ホームページを通して皆さんに画面をお届けできるのはいつの日のことでしょうか。 

 <
注、「I・Cコーダー」とありますのは、テープ・レコーダーではなく、まさしく「I・C」の録音機のことです。 小型で軽いのですが当時は使いこなせませんでした。

 
キャンピングーで旅するときに(2002年から)、通過する周りの風景・状況を吹き込み、その後日記を書くときの参考にしようとの思いつきで購入したものでした。

 その後、5年が経過し、現在は大学の授業の録音で活躍しています。録音は素晴らしいのですが、その講義を活字化するのに多大な時間を要し時間に追われています>


 話戻って

 
そして、ホームページに掲載できた最初の画面を調べてみましたら、「NO124、平成16年11月18日」のようでしたが、残念ながら写真の部分は既に消えていました。 多分、その後の操作ミスで消えてしまったのでしょう。
 

      そして、翌日の平成16年11月19日のページが下記のものです。↓

 
NO.125
                                平成16年11月19日 記

何度目かの苦労の後に、No124が送れました

 〜ではと、もう一回の挑戦です〜

  
            

         ↑新聞に掲載された豊根村の「花祭り」の映像です。


       当時、カメラのお値段は5万円ほどだったと記憶しています。

 兎に角、「値段のことよりは簡単な操作であること、機能は余分なもいらない」という注文をしましたら、発売されたばかりのカシオの上記の機種を勧められました。

 友人から1年ほどの時間が経過したとき、写真の腕が上がったなと煽てられました。
 
  デジタルカメラの持つ機能の何千分の一ぐらいしか利用してないことでしょう。
 
 この間、ピース・ボートの船旅の時に「一眼レフのオート・デジタル・カメラ」を購入しましたが、重いばかりでこれまたそのカメラの持つ能力の何千分の一の機能しか活用していないことでしょう。                ↓

              

       もっぱら、普段はカシオのデジタル・カメラが活躍しております。

          そこで、今回のデジタル・カメラの購入となりました。↓

             

 カメラの選定方法は簡単です。 1)これまでと同じ機種であること(多分操作が同じであろう) 2)余分な機能はついていないこと 

 これだけなのですから簡単です。 それでも二機種ありましたが、連射撮影をする時に、操作が必要との事でしたので、簡単な方にしました。

    お値段は25000円です。 5年半前の時の半分の価額です。

 ですが素人が見ても直ぐ分かることで、画面の粒子のことでしょう前回は400万画素(当時は一番の粒子の細かさであった)それが今回の機種は1200万画素だそうです。

 綺麗に撮れすぎて困ってしまうのではないでしょうか。 その他にも、取扱説明書を斜めに読んでみましたが、旧機種には付いていない機能もありますし、同じ機能でも多分数倍、いや数千倍の機能がアップしていることだろうと想像しました。

 充電装置も新たに付加されており、一度使用済みになって仕舞っておいた電池を取り出して充電しております。

      どうも、予感では再度利用可能になるのではないかと思われます。

 もし、可能になったならば、当時私が知らなかっただけなのか、それとも進化したのでしょうか。

 CO2の問題、地球環境の課題が求められている時、新しい技術が開発されたのでしょうか。

 私のメカに対する知識や技術は進化しませんが、カメラの性能や機能が素人にも使い勝手がよくなるという研究をしており、その成果でしょうか。

 デフレ経済社会といわれています。 新興国の追い上げは待ったなしです。同じものを大量に生産し、大量に消費するという発想だけでは成熟したわが国の先はありません。

 新たな考え方、視点で新しい産業の開発が求められていますし、一人ひとりにおいても新たな価値観に基づく生活スタイルが求められていると、デジカメの新旧入れ替えに伴い改めて考えさせられました。

       2009年、平成21年も後、十数時間終わろうとしています。

  色々と励ましや、お諌め、そして忠告や助言を頂きましてありがとうございました。

         







 COLUMN 1−D 1198
                                平成21年12月30日・記

      空の青さに引かれて西高森山へ

 〜「マンサク」の新旧を撮影し、何かを感じました〜



           

 普段より少し早目に散歩に出かけました。 空の青さに引かれていつの間にか大回りで
 西高森山に向かっていました。

            

            ↑西高森山から、春日井・名古屋方面を望む

          

    ↑我が町、ニュータウンが夕陽に照らされています。穏やかな年末です。
 
   冬至を過ぎたばかりですが、陽が沈むのが遅くなっているのが分かります。
       夕陽が沈むのを待たずに帰りの道も遠回のコースを選びました。

            

             ↑雑木林の向こうに夕陽が沈んで行きます

                

                 

    ↑落葉が幾段にも積み重なった雑木林の斜面に陽が差し込んでいました。

                (A)

   ↑そこに、東北地方の方言「まんず咲く」がなまって、”マンサク”と名づけられたという春早く、寒いころから咲く花木を見つけました。

                (B)

   ↑このような花芽もあります。 今年春早くに咲いた花が花柄で残っています。。
 
その間を割って花芽が開き始めた平成22(2010)年の早春に満開となるマンサクです。

       新旧の姿をカメラに残そうと何度も角度を変えて撮影しました。
 人間社会は間違いなく、来年は今年以上に更に大きな変革の時となりことでしょう。

     が、このマンサクは新旧が揃ってこのような姿を示してくれました。↓

                (A)

                (B)

  1ヶ月ほど前からカメラの調子が今ひとつでしたが、この撮影の後、パタリと動かなくなりました。 

                そのカメラのことは次に書きます。


 COLUMN 1−D 1197
                                平成21年12月29日・記

      天竜川水系は同じような門松か

    〜遠山郷の杣師のメールを読んで〜 


             

 松飾
       遠山郷の自称「杣師」 松下勇さんのメールを読みました。
    
                                  12月27日

  『今年も後5日ばかり各家で松飾が始まります、9のつく日また一日松は嫌います、我が家も朝から松飾です。

            IMG_0006

                飾り方も家によって少しづつ違います。

                IMG_0004

           
IMG_0001

   昔は松、竹、ヤス、シンプルな飾りでしたが最近南天が加わり賑やかになりました。』

 加藤が返信を書きました。

 『おはようございます。

     懐かしい門松の飾りを拝見しましたのでメールしました。

  私の子供の頃、天竜川の支流、豊根村の大入川の水系も同じような門松でした。

   竹に松、中心に栗(?)の木が支柱のようにあったように記憶していますが・・?

         ヤスというのでしょうか、これも確かにありました。
     12月31日の晩にこのヤスにご飯をお供えし、翌朝は雑煮でした。

  おっしゃるように、竹と松のシンプルなのもでした。南天はやはりありませんでした。

     松竹梅で梅も欲しかったのでしょうが、無かったように記憶します。
         南天が入りますと確かに、明るい彩りになりますね。

        このような門松は天竜川水系のスタイルなのでしょうか。
 飯田市内、伊那地方は? また天竜川を下って水窪、佐久間、そして秋葉神社あたりはどのようなのでしょうか。

 あと残すところ3日となりました、今年は何度も遠山郷を訪問させていただき、その度に楽しく・明るく、美味しいお酒を頂きました。

                         来年もよろしくお願いします。』



 数年前までは春日井の我が家の玄関先にも、簡単な飾りがあったのですが、ここ数年見かけません。 自家用車の飾りも・・?

 それでも神棚には毎年、少し大きすぎるのではないかと思うくらいのしめ縄が渡されます。
 本日くらいに購入してくるのでしょうか。 庭に赤と黄色の千両の実がなっていますので、それを色添えに飾ってみようなと思っています。



 COLUMN 1−D 1196
                                平成21年12月29日・記

      よし、お正月は和服にしよう
 
 〜「虎年」、絵柄の虎が呼びかけたのでしょうか  


 
      何がその気にさせたのか、特に動機になるものは見当たりません。
         衣紋掛けが何処にあるのかも全く記憶にありません。

 女房に尋ねると、めんどくさい顔をして出してきました。 それでも「自分で最後まで始末をしなさいよ」とは言いませんでした。

 前回、私が最後までたたみこんで、タンスに収納しました。 そして、春、秋の防虫剤の入れ替えも実施しているからでしょう。
    (もちろん、女房殿のお召し物の方が数倍タンスを占拠しています)

 最後にタンスから取り出したのは10年以上前でしょうか?。 そのときは親父の形見の紋付袴で近くの秋葉神社に初詣をしたと記憶しています。

 私の背丈はこの年齢では平均身長です。 親父よりは数センチ高いので、袴を思いっきり下に摺り下げて何とか格好をつけたと記憶しています。

 今回取り出しましたのは、それとは異なり確か30数年前、この家を新築した年の翌年に購入した「ウールのお召し」です。

                  

               ↑この長じゅばんは、親父の形見の品?
         いや、違います。親父のものは襟が擦り切れていましたから・・・

               

               ↑絵柄は「虎」です。来年の干支です。

 とうことは、虎が「俺の年だ。タンスに仕舞いこんでいないで、出してくれ」と、私にサインを送ったのでしょうか。

 豊根村の「花祭り」に登場します数々の面は、必ずその祭りの時に誰かが面をつけて踊らないといけないと教えられていました。 面の神が起こって災難をもたらすと言い伝えられていました。

     12月に行なわれた遠山郷の「霜月祭り」も多くの面が登場します。

 集落によっては人口減少で、舞い手が少なくなり「特別氏子」の募集がなされ、藤原学校のメンバーやその関係者が今年も参加しました。

 私も一昨年は特別氏子として参加しましたが、今年参加した神社は別な神社で、面をかぶり舞うことはありませんでした。

    話、戻って

                  

     ↑写真を撮るのにも、合わせがどちらだったのかと考えてしまいました。

               

              ↑羽織の裏の絵柄は「富士山と鷹」です。

           諺の「一富士・二鷹・三茄子」を思い出しました。
 縁起の良い夢を順に並べた語。 駿河の国の諺で、一説に駿河の名物を言うという。

 この絵のように、猛々しく・勢いの凄さなど望んではいませんが、(出来ませんが)、穏やかに・楽しく・明るい一年を過ごさせていただいたことに感謝し、来る年も健康で・元気な日々が過ごせることを願って、努力することを誓って羽織りたいと思います。




 COLUMN 1−D 1195
                                平成21年12月28日・記

   「サクラ草」の一番花が咲きました

       〜年の瀬が迫ってきました〜


            

    ↑昨夜からの雨で、南側のナンキンハゼの通学路には、栗の葉が落下です。

        学校もお休みになりましたので、子供たちの通行はありません。

 10年ほど前からニュータウンの小学校に通学するように変更になった細野集落の子供たちは、毎朝集団で通学して行きますので賑やかだったのですが、今年は昨年の半分ほどに人数が減ってしまいました。

   特にリーダー格の背が高い6年生が見当たらずで一層列が小さく見えます。

           

      ↑家の西側の通学路の栗の葉を掃きました。発見しました第一輪花。

               

               ↑ 今冬のサクラ草の初咲きです

       ↑寒いこの時期から咲き始め、4月の下旬まで咲き続けます。
 幼稚園、小学校、中学校、そして高校生の通学路です。 もちろん大人も出勤します。

    お別れ会、卒業式、そして入園、入学式と新調の制服姿が見られます。

 移住が始まって30数年経過した高森台6丁目、じいちゃん、ばあちゃんが多い町内会となりましたので、子供たちの声が元気で華やいだ気持ちにしてくれます。

    30数個のプランターはそのお礼の気持ちも込めて、毎年花を絶やしません。
               (殆ど、女房殿の担当ですが・・)

     → 


             

↑サクラ草の上の生垣に絡むように殆ど1年中咲いていました、チロリアンランプ(名前?)
が、「私だって花切れの時には貢献していましたよ」と訴えてきました。

     → 

 ↑、その通りです。秋、プランターに植え替えた小さな苗のサクラ草がプランターを緑色で覆うまでは、彼女が一番の、いや彼女しか色目のものはありませんでした。

 これから一層寒くなり、一度は枯れてしまいますが、3月になると再び元気を取り戻すチロリアンランプです。


  年の瀬が迫り高速道路も込み合っている中、豊橋の墓参りが出来ていず、気になっていました。 

 今朝、姉に電話を入れると「昨日済ませてきましたよ。温かな日和で2時間もかけて綺麗にしてきましたよ」と元気な声で答えてくれました。

 80歳にして現役の姉、「3月下旬には発表会で年明けからはお休みなしで頑張りますよ、風邪など引いていられません」と、毎度の事ながらの返事です。

 歳が一回りも違う私にとって、何時もの嬉しい返事であると同時に、”よ〜し俺もこれからだ”と気合が入ります。
 



 COLUMN 1−D 1194
                                平成21年12月26日・記

   早速のご意見 ありがとうございます

  〜コラム1−D NO1192 に対して〜  


 凄い早い反応です。 このコラム 1−D No1192 は昨夜アップしたばかりなのに、今朝にはメールとFAXが入ってきました。 (読まれている方は10数人ですが・・・)

 どちらも、同感との所もあり、また君の見方・考え方は思慮不足と感想を述べられた上で、「貴君は”NPO 日本再生プログラム推進ファーラム”に参加しているとのことだが、日本再生が可能ならば、政治がどのようになろうとも問題は無いのではないか」と書かれていました。 

 私自身このところ「NPO 日本再生フォーラム」に参加された方々のメールの内容を読むたびに感心し、私は「枯れ木も山の賑わい」であるなと感じています。

 が、誰かが何かをやってくれるという人頼りだけの行動はとりたくないと思っていますので、 何が今後できるのか、このファーラムがどのように活動してゆくのかをシッカリと見つめて、何かできることを見つけて行動に移してゆこうと思っています。

 NPO日本再生プログラム推進ファーラムは、参加者同士で勉強・研鑽すると同時に、横の連携プレーをとることによって試行錯誤の中から成功体験、あるいは成功モデルを広げてゆくことだと思っています。

 また、中央や地方の政治家に働きかけて、新しい時代の道筋を自らも参加して創造してゆくことと私は理解しています。


 そこで、 まずはお願いしたいことは、どうぞこの一文を読まれたら、貴方様も「NPO 日本再生 プログラム推進ファーラム」にご参加ください。

 先日代表理事の藤原直哉さんの事務所に伺った折、担当の方に「NPO 日本再生 ファーラム」の簡単な紹介冊子を作成してくださいとお願いしてきました。
 出来上がればお送りすることも可能と考えます。

 インターネット上からも取得することが出来ますし、参加することも可能です。

      http://www.fujiwaraoffice.co.jp/     http://nipponsaisei.jp/
     ↑シンクタンク藤原事務所         ↑ NPO日本再生ファーラム

 どなたも時代は大きく変革の時にあると感じ、認識されていることと思います。

 待ちの姿勢もよいですが、ここは一つ一歩前に歩を進めることが肝心と考えます。
  一人でも多くの方と横に結んだネットワークを創るときと考えています。






 COLUMN 1−D 1193
                                平成21年12月26日・記

       栗の木の剪定をしました

 〜足元では、福寿草の芽が春を告げています〜


               

    ↑12月15日、NO1184に「栗の葉で焚き火」で掲載した時の写真です。

 街路樹のナンキンハゼの剪定が始まっています。 2年前にも剪定に来られていた業者の方にお願いして、栗の木の剪定をしていただきましたが、今回もお願いすることにしました。

    

  ↑思い切って剪定するようにと伝えていたのですが、私の予測より半分程度の剪定となりました。 が、12月15日と比べるとスッキリしています。

 30年を経過した栗の木ですが、マダマダ勢いが良いのでまた2年後には剪定しなければならないことでしょう。

 御近所の方の中には、街路樹の剪定業者に無料で依頼して選定していただいたと思っている方が居られるようです。

 御近所の方、あるいはこの街路を通行される方の内、どの程度の方が公道にはみ出ているから切り込みなさい、あるいは栗の毬が危ないから切り倒しなさいと思っているのでしょうか。

 私の耳には、夏場は「日陰となって休まるから良い」とか、時には「一粒・二粒頂いていますよ」、「訪問客の道しるべになっています」と声を掛けてくれる方もいます。

 切り倒してしまうのは簡単ですが、この地に移転してから一緒に暮らしてきた栗の木いま少しこのままにしておこうと思っています。


 と見上げてばかりおりましたら

              


  ↑福寿草が芽を出しておりました。今の所16個の芽です。3個から始まりました。

  

 ↑昨日(25日)といい、本日(26日)も風も無く、小春日和の温かな一日になりそうです。




 COLUMN 1−D 1192
                                平成21年12月25日・記

   このパターンで躓き・混乱してくるとは・・・
 
 〜民主党政権・夏まで持つか、持ったとしても・・〜


 この手の話は拙速で結論めいたことを書くと、大きな外れをすることになるのだが・・・

    が、それで飯を食べているのではないから、気軽に書かせてもらいます。

 長いこと、自民党政権からの転換を望んでいました。 痺れを切らしたぐらいではすまない状況でした。 小泉政権などついては何度友人と口げんかをしたことでしょう。
 
 参加している「波動の会」では毎月のように、「早く自民党政権が終わり、政権交代をすべきだ。 
 たとえ、民主党政権になっても世の中も,政治も所詮は大きくは変化せず、行き詰まることではあろうが、それでも政権交代すればこれまでとは異なり、何かの変化が起こる」と参加者で確認・合意できたものでした。 
  その場だけのことでしが「そうだ!そうだ!」と溜飲を降ろしました。

 
  2009年8月30日、大変化が起こりました。「無血の市民革命」とも言われました。
 その選挙の直前に小沢代表から鳩山代表に代わりました。 そのことは選挙結果に良い結果を及ぼしたと分析しています。(鳩山さんだからあそこまで票が伸びた)

 その時点で、今回の鳩山首相の政治献金問題もテーブルに上がっていましたので、その事をも含めて国民は民主党=鳩山政権にイエスの票を投じたと思っていました。

            そして、昨日の鳩山首相の記者会見です。

               

      ↑どう見ても冴えない顔です。 これが新聞社の選んだ顔です。

 庶民感覚という言葉を使わなくても、全く大きな金額ですし、たとえ肉親から贈与されたものとは言え(真相は不明、鳩山さんが言っているだけ)、野党の時の鳩山首相がこの手の問題追求の発言が残っていますので、苦しい答弁・弁解会見となりました。

 さて今後ですが、鳩山さんは国民の反応を待つ、支持率の変化を見てとの態度です。

 国民はどのような反応でしょうか。 マスコミは世論をどのように誘導するのでしょうか。
 
 そのくらいの気持ちのユトリと言うか、マスコミの世論誘導のイイカゲンさはかなりの国民も感じていますので、簡単には世論誘導には乗らないだろうと期待しますが、問題そのもの、その金額の多寡もさることながら、鳩山さんのこれまでの発言から判断すれば「身を処す」のが順当というか、そのようになるのではと考えざるを得ません。

 が、ここで、個人的に鳩山さんの持つ、雰囲気、理想主義、優柔不断・リーダーシップの無さと批評される性格等についての私の見解・期待は、現在の世界の情勢、日本の立場

、抱える課題(普天間基地問題、政権公約・マニフェストと予算編成、アフガンへの石油補給にからむ日米関係・防衛問題等)を考えると、即決、決断というよりは少しモタモタとした粘り腰 、時間稼ぎ、強かさが必要と考えますので、鳩山首相の性格、思考、決断の姿勢は捨てたものではないとも考えています。 

 
 話し変って、
 一方、どうなるかはサッパリ見当がつきませんが、本日の新聞報道で来年7月の参議院愛知選挙区に、社民党の青山光子氏が立候補することになったと報道がありました。

 現在愛知県は定員3人に、現職の民主党議員が2人で 自民党が1人です。
 民主党は2人の擁立を考えているようですが、一人は現職、今一人は新人候補であり、残された現職議員一人も立候補を考えているようで、政党推薦候補とならなくても立候補すると意思表示しているようです。 3人の当選は難しく、共倒れもありです。

 また、自民党も現職議員では無く、若い新人議員の擁立を考えているようで、これまた推薦議員の絞込みに苦労しているようです。

 定員3人に有力候補が7人となりますと、前述の社民党の候補者が当選する確率も出てきます。 共産党の可能性もありです。

 今後の政治状況を予測しますと、このようなことが各地で起きてくるのではないでしょうか。 年明け後に始まる通常国会において、鳩山政権の動向によっては更に各地で、民主党有利の予測は薄まり、混迷の度が深まるのではないかと予測しています。

 すると、小沢民主党幹事長が考えているような、次回の参議院選挙で自民党を徹底的に解体の状況に追い込むどころか、過半数を取ることは難しくなるのではとも予測します。

 そうなると、参議院は少数政党の寄せ集め状態となり、利害・主張が入り混じり、何も決定できない状況になるのではないか。 民主党は衆議院で3分のニの議席は無いから、かっての自民・公明のような決定方式をとることは出来ない。

 現在の先行きに対する道筋は、政治主導でしか解決できない状況にありながら、逆に混迷を深める状況になると予測できます。 
 
 (経済界は保身の事業縮小とリストラばかりで現状打破の積極的な姿勢は見られない)

 さて、そこに更に、民主党の小沢幹事長が西村建設問題・献金問題を抱えながら、首相の座を本格的に狙いだしたとのこと。  どうなるやら混迷は深まるばかりです。
 
 (小沢氏と距離を置く、民主党の渡部恒三元衆議院副議長は「小沢氏は絶対やらない」と牽制の言葉を発しているが、果たしてどうなることやら)

 
 話し戻して
 「波動の会」で話していたことは、「どうせ、民主党が政権をとってもたいしたことは出来ない、直ぐに行きづまる。すると、”ゴハサンデ・ネガイマシテハ”と解散するしかない」との予測をしていましたが、どうやら可能性が高くなってきた、その目もありと感じます。

 民主党は4年間は解散なしと言って居るようですが、中身(展望力・洞察力・構想力)と覚悟の無い政治家の集団では、時間をいくらかけても同じことのように思えてなりません。

 これまでの政治家の半分くらいは入れ替えをしなければいけないのではないでしょうか。
  数も思い切って衆参合わせて、半分位減らすことを提案したいと思います。

 肝心なことは、今夏、「無血市民革命」を起した国民自身も何とかなるのではとの人頼りの精神が根底にあり(もちろん私自身も含まれる)、各自が肌に実感としてこれまでの社会の崩壊と冷たさ、そして追い詰められることによって、覚悟をもった決断に至るまでは、この国が新しい考え方や価値観で次の時代への歩みは始まらないのだろうとの予測は的を得た所となるのではないかとの感じずにはいられません。

        と、イイカゲン修行僧の久しぶりの政治談義でした。


    12月23日に中部大学の講義が終了しました。2週間のお休みです。

 復習に追われることが無くなったためか、気分的に楽になり昨日からこのホームページに勝手なことを次々と書き始めました。

 その分、正月休みを挟んで、読みきろうとしていた本がマタマタ積読だけになりそうです。




 COLUMN 1−D 1191
                                平成21年12月25日・記

まさか私の書いたものを読んだのではないでしょうが

  〜どちらが、宣伝効果? 訴える力は?〜
  時代が変る、流れが変る、試行錯誤の時・・・


                  

         ↑12月22日、「コラム 1−D No1186」 で掲載した写真
 
   「ここにも時代の変化を見ました」 〜「小売の輪」 コンビニも斜陽期〜
     というタイトルで掲載した、あるコンビニエンス・ストアーの記事と写真でした。

    同じ店舗の本日(12月25日)の折り込み広告、↓以下のものがありました。

                   
 
  ↑コンビにの本部よりご指導があったのでしょうか特別に良く出来たチラシとは思いませんが、手書きのものよりは間違いなくきれいに仕上がっています。

 こちらの方が信頼性があるのでしょう。 でも、私には店主の手書きのチラシが身近で・店主の顔や立ち振る舞いが感じられます。 (いま少し、洗練されれば・・・)

                   

 ↑同じく12月25日に折込まれてきました、同じ店舗の「おせち」の予約販売の案内です。

    これは間違いなく、コンビニ本部が一括して企画・計画・印刷したものです。
              「おせち3段重」15750円の販売価額です。

      きっと、味も一定のレベルをクリアーしたものが提供されることでしょう。
 簡単にはこれだけの材料をそろえて、この価額で提供することは大変な努力がいることでしょう。 

 
 ところで、遠山郷の道の駅「ゆーらくの食堂部門も今年初めて、「おせち3段重」を50個限定で、確か15000円で売り出し、直ぐに予約完売となった聞いております。

 (今、ゆーらくに電話をして聞いてみたら、予約殺到で75個まで受け付けたとのことです
 これで手イッパイで打ち止めとのことです)

 日頃の「ゆーらく」の営業姿勢が認められての実績と推測されます。 ということならば、決して大手ばかりが強いのではなく、日頃の地域のお客様との信頼関係があれば、同じような結果が期待できるのではないかと思いました。

 時代が急速に変わりつつある今、確かに強者と弱者の力の差はハッキリあります。 
 しかし、これまでの強者がこれからも強者でいられるのでしょうか。
 
     資本力・宣伝力を駆使してマスマス弱者を蹴散らしてゆくのでしょうか。

 それはこれまでの延長線上の基準で、視点・観点を変えて、通り客や不特定多数の顧客を相手にするばかりではなく、身近で毎日接する人々が安心し親しみを持っていただける営業活動をすれば充分に太刀打ちしてゆけるのではないでしょうか。

 本部(上)から言われたことだけを忠実に実施していれば良いと言う時代ではないと考えます。

 
 昨年のリーマン・ブラザーズ・ショックで、ガタッと各足が減った遠山郷ですが、その後、確実に客足が戻ってきました、感じでは以前より増加したのではないでしょうか。

   人情溢れる人々との触れ合いを求めてリピート客が増えていると感じます。

 それは道の駅「ゆーらく」ばかりではありません。 1年半前に「お客さんがこれから来てくれるであろうか」と半べそかいていた宿のご主人に先月お会いした時の言葉です。

 「女房に文句ばかり言われます」とニコニコ顔です。、訳を聞いてみましたら、「忙しすぎて休みがとれない」とのご不満だそうで、壁に掛けられたスケジュール表は11月予約でイッパイ、そして12月も詰まりつつありました。

 「寒くなれば、お客さんも減るでしょうから、奥さんと温泉にでも行って、ご機嫌を直すことですね」と言っておいたのですが、果たしてそんなお休みが取れるのでしょうか。

 時代の変化はこれまでと同じことをやっていたのでは、道が開けてきません。

 試行錯誤でよいのです。 ピン来た、あるいはこれはと思いついたことを一つでも二つでも実行してみることではないでしょうか。

   立ち止まっていると、身体も・気持ちも萎縮して動かなくなってしまいます。
   本日は小春日和で、他人事を言っているつもりではないのですが・・・・

  
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