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NO.130
                                        平成16年11月25日

四国遍路(平成13年5月)の旅を読み返して

 
 全部を読み返した訳ではないが、徳島から高知に入るところまで読み返した。
 随所に誤字脱字が目立つ、それは旅先で(疲れと酔いの中)原稿を書き、それを自宅に送った。 女房が点検して入力してくださる方にFAXし、その後FAXが送り返されてきたものを、再度女房が校正していたのであるが、生来の悪筆なので読み取るほうは大変であったことだろうと容易に想像できました。
 また、「て・に・を・は」が間違っておったり、表現も回りくどかったり、主語・述語が抜けておったりで、本人だけが分かる文章になっておりました。
 それどころか、3年強の月日が経つと、書かれていること自体について、本人も何を言っているのかと考え直すところもありました。

 今まで、遍路経験など大したことはないなどと口にしていたが、改めて読み返すと、「ではもう一度やってみますか」と問われると、簡単に「はい、そうですか」とは言えないとの感じを受けましたというのが素直な気持ちです。
 何か違う方の旅日記とも感じました。
 
 今日も初冬の四国遍路道を旅している方がおられることでしょう。 様々な思いと願いをこめて、どんな旅をしているのでしょうか。
 晩秋とはいえ暖かな日が続く当地ですが、明日はどんな一日になるのでしょうか。
 初めて遍路道に歩を進めた時、時間の経過と共に“今、其の時だけに集中していた”自分を思い出しています。






NO.129
                                        平成16年11月24日

再び、サトイモ堀りをしました。
 〜収穫高と販売について(目算と期待)〜

 
11月21日(収穫祭の日)にサトイモの来期用の種芋として埋め込んだ物を23日に掘り起こしました。 十分に乾燥させてから埋め込まなくてなら物を、掘り起こした当日に埋めてしまったからです。
 サトイモ畑の耕転、畝作り、植え込み、土寄せ、収穫などには参加しているのですが、収穫後、来期用の種芋を埋め込む作業は何時も校長の奥様がされておられ、気づく者がいないまま埋め込まれてしまったのです。
 
 その後の事ですが、再び失敗をしているかもしれません。 といいますのは、種芋は親芋と分離せずに乾かし、埋め戻すのが正しいのかもしれませんので・・・
 この作業、私が一人でしたのですが、掘り起こしながらどうせ乾かすなら分離したほうが早く、しかも確実に乾燥するだろうと思ったことと、どうせ来期掘り起こした時に、分離するのだからと考えての事です。
 奥様の収穫された芋は親芋と小芋がついたまま裏返しで乾してありました。
 来期、再度掘り起こされた時、如何なる結果になっているのでしょうか?

 さて、サトイモの今年の収穫高について。 
あくまでも目算ですが作付け面積は約2・5畝(75坪)、 収量は親芋を除き、衣被ぎ(きぬかつぎ)と来期用の種芋を含んで約150Kgと計算しました。
お米と同様に換算すると反当たり、4倍して600Kgということになります。という事はお米10俵分ということになります。

ところで、サトイモの販売ですが女房の知り合いに一部販売することになり店頭価額を調べてみました。 お店の方針、銘柄によって様々ですが、春日井ニュータウンの中では、一番なんでも安いと評判のお店で(但し一級品ではないといわれていますが)、500gで198円、この地方でナンバーワンの食品スーパーV社では500gで248円でした。
有機栽培となるともう一段高価になっているようですが、見当たりませんでした。
そこで、1Kg(手もみで土は取り除きましたが、まだ土が少々付いていますので、1・1Kgとしました)、300円でお願いしようかと思っています。
昨年11月23日鳳来町の「モミジ祭り」で販売したときは地元で生産している方が多く、200円でも高いと言われ、最後は100円か150円で販売する羽目になった記憶があります。
 全品この価額で販売できたとすると、300円×150(Kg)=45000円となります。 反当たり600Kgとなるとなんと18万円にもなり、どこか計算が間違っているのではないかと疑っています。
衣被ぎも含めての事ですので、実際は5〜6掛けで約10万円ですが、それでも大きな金額になり驚いています。 
一方、お米(玄米)の販売は10Kgで3000円です。反当り10俵(600Kg)とすると18万円になります。 やはりお米は良い収入源になるのですね。 
日本のお米は外国産に比べ高いと言われています。(これは事実です。 が総合的な国の政策としてどう考えて言ったらよいのでしょうか?) 
といいつつ、サトイモの整理をし、袋詰めをしている時農家の収入は大変だなとおもいました。 多分出荷時点ではサトイモは1Kg当たり4〜50円ではないでしょうか?

どこか計算間違いをしているでしょうか?
しかも、お米と異なり、特に収穫後の手間は倍どころかそれ以上にかかります。
こんな計算をしながら、何でも数字やお金に換算している自分に、少々嫌悪感を抱いています。
自然や土と接する事ができたこと、教えられた事は到底数字には換算できないのですから・・

追記
当日は校長家の氏神様である、“巻平神社”に今年の五穀豊穣を感謝し、報告する日でした。 校長夫妻が一臼御餅を搗き、お鏡を作られました。
陽が沈みかけた午後4時、裏山の大きな花崗岩の下に鎮座します神社に手を合わせました。 焚き火に手をかざし、暖をとり「今年は本当にいろんなことがあった。 雨が多く、台風も上陸した数は史上最高であり、被害も大きかった。 各地では熊が出没し、この地では例年以上にイノシシに荒らされた。 新潟・中越地方の地震に見舞われた所はこの寒空のもと大変なことだ。  あと一月あるが、まだ何が起こるか知れない。」との話となった。 昨日は小雪、豪雪地方という被災地の方々に思いを寄せました。






NO.128
                                        平成16年11月22日

やはり、“飛騨金山”の蜂屋柿は全滅でした。
 〜来年こそはと、剪定をしてきました・・・〜

 
昨年は3本の木で600個以上の収穫があり、今年は数ではなく質で勝負と勇んでいたのですが、なんと収穫はゼロでした。
 9月末から10月上旬に栗拾いに行った時はまだ数個が目に入り、残っておりましたので、内心は葉に隠れて2〜30個はあるだろうと高を括っていましたが、全ての葉が落ちた柿の枝には何もなく、まったくのゼロの状況でした。
 収穫時期を逸していたこともあり(いや、昨年のことを参考に、今が時期と思っていたのですが・・)、カラスにでも食われたのだろうと思うことにしました。 というものの、原因はナンだったのでしょう。
 昨冬の剪定が悪かったのでしょうか。 それとも今夏〜今秋の台風による被害だったのでしょうか。

 来年こそはと持参した有機肥料を撒き、改めて剪定をしてきました。
 十分ではありませんが、樹形は何とか開心型となりました。(かなり思い切った剪定をしたつもりです)
 柿の木のみでなく、隣の梅の木も開心型に剪定し、収穫しやすい樹形にはしましたが、飛騨金山の冬は厳しく、野鳥が梅の花芽を全て食べつくしてしまいます。
 このことは今年知ったことです、年明けに梅の蕾が開く頃、網を張ってみようかと思っていますが、寒くなるとなかなか行動が出来なくなります。どうなりますことやら・・

 帰り道、蜂屋柿を路上で販売しているお店に立ち寄りました。
 「時期が遅いよ」と言われましたが、やはり今秋は出来が悪かったようです。
 最後の、最後の売れ残りの蜂屋柿で、肌に皺が付き始めていましたが、「あっただけで、感謝してもらわなければ」と言われてしまいました。
 小粒の蜂屋柿20個で1300円は高い買い物かと思いましたが、持ち帰って丁寧に皮を剥いて、焼酎で消毒をして軒先につるしました。
 日増しに庭木の葉が枯れ落ちて、寂しくなっていく庭に一色が加わり、晩秋の艶となりました。




NO.127                                         平成16年11月22日

残念です、出来ませんでした。

 
 20〜21日の収穫祭の写真を載せるつもりでしたが、やはりというべきか、出来ませんでした。 よっていつものように、活字だけで日付順に「NO616」として掲載しました。
 また、収穫祭2日目の集合記念写真は私のデジカメで撮影したのですが、それをどのように記録を保管していただいている方に転送するなどという事は皆目だめです。
 
 疲れて早々に床に入りましたが、気になっていたのでしょうか、夜中に起き出して色々操作している間にパソコンが唸りをあげだしそうです。
 入力したものを消してしまいました。 再び床に戻ります。おやすみなさい。
 
NO.126                                           平成16年11月19日

どうにも、上手くいきません。
〜そこで、もう一度です。 道樹山です〜

  
 NO124、そしてNO125と繰り返しましたが、納得行く手順では行きません。 そこで、もう一度の挑戦です
 この画面はいつも私が眺めている書斎から真正面に見える景色です。 手前の緑は隣の屋上の盆栽です。
 この秋も70数歳(80歳になったか?)になる、職人のおじさんが日がな一日、盆の上に盆栽をおいて手入れをしていました。
 その向こうに見えるのが道樹山です。
 良い眺めでしょう、それにつけても今の私はここに画面を掲載する事に傾注しています。
 では、只今よりはじめます

  




NO.125
                                           平成16年11月19

何度目かの苦労の後に、No124が送れました
 〜ではと、もう一回の挑戦です〜

  
 
この画面は私の心の故郷、北設楽郡の「花祭り」の映像です。 中日新聞から転載しています。
 ご存知の方も多いかと思いますが、室町時代(?)修権道者によって伝えられ、広まったと言われている、天竜川沿いの村落に伝わっている祭りです。
 私も小学生の時に子供の舞「花の舞」を踊っています。 そのリズムは今も身体に残っており、横笛も吹く事ができます。 
 夜を徹しての祭りです。 眠い目を擦りながら(同時に松明の煙が目に沁みて)何時しか舞堂の太鼓と笛の音の中に眠ってしまったことを思い出します。
 五穀豊穣を願う民衆の祭りです。 私の拙い文章よりも一枚の映像がその願いを込めた「鬼様」によって感じられるのではないでしょうか。



NO.124                                           平成16年11月19日

初めての画像を送ります。
 〜果たして、如何なります事やら〜

 

11月11日に「やっとデジカメを購入しました。」と書いて、9日目です。
 本日、勉強に行ってきました。 操作が実に煩雑そうで、これは一日ではダメだと感じましたが、一応最後まで教えられたとおりの記録はしたつもりです。
 また、先生の前では画像の挿入は出来たのですが、毎度自宅に帰ってから、いざ始めてみるといつも悲しいかなその通りにゆかずにストップしてしまいます。
 ここまでの入力はいつもの通りですので良いのですが、では果たして画像は挿入できるのでしょうか。
 なお、現在我が家の庭には4〜5種の菊が咲いています、そのうちの一つを選びました。
 また、可能ならば何時も話しに出てきます、散歩道の頂上、西高森山から春日井市〜名古屋方面を眺めた夕陽を送りたいと思います。
 夕陽の沈んでゆく先は伊吹山方面です。
 では、只今より習った事を復習しながら、実践します。

一応、菊の一枚は挿入できたようです。
 欲張って、これを消してしまうといきませんので、「西高森台からの夕陽」は次の機会とします。
 さて、この次の操作に移らねばなりませんが・・・




再度、挑戦してみました。 画面の配置、大きさなどに注文をつけないでください、そのうちに順々とレベルアップをしますので・・
 本当はアップロードが出来ず、二枚目の写真を試したというのが実態です。 再度アップロードの挑戦です。



NO.123                                           平成16年11月13日

「振動=波動の世界」の波が再びくるか。
 〜波動の会に参加して〜

  
 10数年前に一度“波動”という言葉が流行して、『波動の何々』という書籍が多く出版されました。 私もその頃興味を持って数冊の本を読みました。
 その中に江本勝会長率いる株式会社「I.H.M」(I=意識、H=波動、M=水)の「国際波動友の会」というのがありました。
 波動理論の研究およびその教育を基幹とし、会員相互が平和で健康的な生活に寄与する事を目的とした会でした。
 そこに波動インストラクターの資格制度がありましたので、平成8年に受講し認定をうけました。
 私はその21期生でしたが、多分30数期生までおり、定員の500名強になったところで、募集は終わったと思います。
 当時は全国に渡って1万名を越える会員とインストラクターが存在しましたが、その後1〜2年で、波動ブームは静まってゆきました。
 結果、全国各地にあったインストラクター支部も活動が下火となり、今ではほとんど活動が休止になっているようです。
 私の所属する東海支部はその後も細々と会の継続をしており、ほぼ3ヶ月に2度の割合で、名古屋・伏見にあるKインストラクターのマンションをお借りして意見交換をしています。

 ところが、1999年の6月に出版された「水からの伝言」という水の結晶写真集が大ヒットしました。 今では結晶写真掲載の出版物は10冊、その合計部数は60万部を越えています。
 しかも、「水からの伝言」の写真集は11月1日現在で海外出版は13カ国、今後数ヶ月のうちに20カ国を超えるという勢いです。
 言葉では伝えにくかった見えない世界の感情、思いが水に伝わり(振動=波動)、その水を凍らし、その結晶を写真に撮る事によって、水に転写された感情、思いが様々な姿になって目で認識できるようになった、その事により一気に反響を呼んだものと思えます。

 ここ1〜2年は日本よりも海外での注目度のほうが高く、発明し開発した研究者の江本会長は一年のうちの半分は海外の招待講演の日日と聞きます。
 昨年はドイツ圏を中心としたヨーロッパが多かったが、今年に入って5月に13ヵ所(セミナー参加者約5000名)で行われたアメリカでの講演に続き、9月には国連の中で関係者向けのプレゼンテーションも開催された。

 この講演と前後して、江本会長が撮影した「水の結晶写真」が挿入された映画が出来上がった。 その題名は「What The Bleep Do We Know!? 」(私たちは、一体全体何を知っているというの!?)
 私はまだ見ていないのでなんとも言えないが、この映画は現在、日本の各地で上映されている、龍村仁監督の「地球交響曲=ガイヤシンフォニー」同様に市民レベルによる地方の映画館か、集会場等での映写会を当初は予定していたようである。
 が、それがここにきて、大反響を呼び、一気に全国配給の状況になったと聞く。
 手元にあるこの映画についてのコメントを紹介しましょう。
 「この映画は、文化史上の画期的な出来事になる可能性をも秘めています。 フィルム製作者のこのような向こう見ずの大胆なテーマに挑戦した彼らの勇気はノーベル賞に値するものです」とあります。
日本では来年3月の公開と聞いています。

このような話を聞きながら思ったことですが、「水の結晶写真集」やこの映画に反応するアメリカ国民は変わりつつあるのではないだろうかということです。
いや、前からそれらの事に関心を持つ人々はいたのでしょうが、今回のアメリカ大統領選挙を通じても、大きく報道される事は「イラク攻撃の是非、正当性云々」が前面に出、私たちの目耳を取れえていましたが、リベラルな市民のレベルではこのところのアメリカのやり方、あり方に疑問を持っている人々が多いのではということです。

振り返ってわが国の事を考えたとき、「水の結晶写真集」はヒット(二十数万部?)したとは言うものの、各地で開催される江本会長の講演会への参加者は、伝え聞く海外と比較すると雲での差のようです。
日本の歴史、伝統、文化を省みると、日本こそもっと自然、水に関心を持ち、行動が発生しても良いと思うのですが・・・・
今回名古屋にこれらの情報とI.H.Mの今後の活動方針を説明に来てくれた社員の方によれば、来年の3月以降は再び10年前のような「波動ブーム」の波が押し寄せると期待し言っておられましたが、どうでしょうか?

誰しもあまりにも自分の近辺にあることには正しい認識ができず、かえって海外から逆輸入されたときに気づかされるということが今までも多くありました。
今回もそのような現象が起こるのでしょうか? 
たとえそうだとしても、先行き不透明で不安と不信そして不満の今の社会に一つの光が差し込まれ、その事によって反省し、行動が変化してゆくならば大歓迎です。
という、私自身が以上のような情報に接しながら、どう取れえ、考え、行動するのだろうかと自問しているところです。
追記
「波動友の会」、その会が取り扱っておる本・商品、あるいは「波動相談」などは、このホームページにリンクしています「HCC愛知 波動クリエイテイブセンター・愛知」に問い合わせください。

  
NO.122                                            平成16年11月11日

 やっとデジカメを購入してきました。

 27年間使用したエアコンは今年の夏に故障しました。 この夏だけでもエアコンなしで過ごしてみようと決心して、なんとか秋を迎える事ができました。
 11月に入っても最高気温は20度前後と高く、暖房がほしいというほどでもありませんが、北向きの書斎は冬場になると暖房なしでは過ごせません。
 もう何週もチラシ広告には目を通しておりましたが、現物を見ない事にはと出向くことになりました。
 27年前のエアコンの価額は忘れましたが、13年前のエアコンは22〜3万円だったと記憶しています。 接客してくださった方に訊ねると、やはり性能が上がり、省エネルギーになって、しかも価額は約半分になったとのことでした。

 そこでと言う訳でもありませんが、かねて懸案のデジカメもこの際と思い購入する事にしました。 「兎に角、操作簡単、余分な機能は入らない」と注文はつけたものの、「これだけ、覚えれば写せますし、再生も消去も簡単」と言われて、そのところだけ書き出してもらって購入してきました。
 
本日は午前中から雨です。 午後から書斎に入り込んで分厚い説明書(178ページあります)と取り組むことになりました。 
 約3時間、現物を手にして説明書と首っ引きです。 やっと、基本編撮影〜応用編〜再生〜消去をクリアーして、“パソコンでフィルムを見る”ところまではたどり着きましたが、そこまでが限界でした。
 パソコンに読み込んだ画面をホームページに転記(?、説明書には活用すると書かれているようだ)するまでには、道のりが遠いようです。
 
 だって、今日何とかたどり着いたところの事も、今晩の晩酌と共にかなりの部分は飛んでしまうことでしょうから。
 I・Cコーダーのこともあるし、再び悔しい思いにならぬよう、ホームページを通して皆さんに画面をお届けできるのはいつの日のことでしょうか。 




NO.121                                             平成16年11月10日

 脚立の上から眺めました。

 今年の松の剪定が終わりました。 その事は「日付順 NO613」に掲載しました。
 我が家の敷地は表通りから2メートル近くの高さがあります。
 その上に、脚立の上に乗っていますので、更に1・5メートルほど高くなります。
 その下を通る人には私の存在には気づきません。
 今日までの3日間で句を読みました。

・ 「帰り道 半べそかいて 兄を呼ぶ」
〜学校帰りです、朝は一斉登校ですが帰りはばらばらです。(夏休み以降)
 学校を出たときは一緒だったのでしょうか。 3〜4年生と思われる男児が帰ってゆきました。 それから30秒も経たないうちに女の子(1年生か)の声がしました。
 「お兄ちゃん、お兄〜ちゃん」と叫んで追いかけてゆきました。 が兄貴は振り向きもせずにドンドンといってしまいました。

・ 「子が4人 送り迎えは 数拾回」
〜働き者でおおらかなお母さんです。  自動車の免許を取ったばかりという長男を送っていきました。 その前に高校生の長女を送っていったはずです。
次女は友達とリンゴをかじりながら出てゆきました。
9時半を回ると幼稚園児が飛び出してきました。
昼前後は買い物でしょうか。 午後になって食材のアルバイトの配達なのでしょう、駐車場に停まっている時間はわずかです。
午後2時半を境に子供達のお迎えです。 その後も塾通い、バレー、スイミングクラブ、英語塾などのようです。
夕暮れまじかも、日が暮れても駐車場への出入りは止まりませんでした。
そして、アルバイト帰りの長男を迎えに行って、最後の駐車音がした時は午後9時を過ぎていました。

・ 「派手色の バッグ背にした ババ3人」
〜解説の要はないと思います。 ニュータウンの中心街から歩いてきたようです。
 見かけない顔でした。 各家の垣根や家並みを観察しながらベチャベチャと話しながら通り過ぎてゆきました。 背にしたバッグには昼のオニギリでも入っているのでしょう。
 都市緑化公園でキット止まる事ないお喋りを続けながら、昼休憩でしょう。

・ 「とぼとぼと 連れ従う老犬も ヨタヨタと」
〜毎日見慣れているお婆さん(70代後半)です。 私が散歩に出掛けるときに良くすれ違います。
お婆さんの体力、速力に老犬が合わせているとも思われません。 
特別な坂道とは思われませんが、最初に見かけた頃は夏でしたので、このまま本当に二人ともその場に倒れこむのではないかと思える足取りでした。
秋になり気候も良くなったにもかかわらず、二人の足取りは変わりません。
そして、今日も同じペースで登ってくる二人を、剪定の手を休めて見送りました。
 

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