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COLUMN 1−D 1210
平成22年1月9日・記
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このところ活字が多い日記になっています
〜昨夜、中部大学5年間の聴講を振り返る〜
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昨年の今頃も活字が多かったのではないかと思います。
外気温が低いので外に出る機会が少なくなっていることもあるでしょうが、散歩などは継続していますから、他の理由があるのでしょうか。
昨年は中部大学のオープンカレッジの事務局から4月のカレッジの開校式に話をしてみないかと持ちかけられ、それを受けました。
何を話そうかなと整理していましたら、子供の頃からの記述になり、更に書き加えているうちにこれはそのまま「自分史」になるなと思いつきました。
性格的に通り過ぎた過去のことをグタグタと並べるのは嫌いな性分ですので、この時代の大転換の時をどのような気分・気持ち・考え方で通過しようとしているのかを記録しようと思いました。
それ以降は、その事を意識した記述はしておりませんが、冬季に入り室内での時間が長くなり、同時にこのコラムの日記も活字が多くなりました。
さて、今月の末で中部大学の後期の講義が終了します。 一般の学生は試験やレポート提出がありますが聴講生にはありません。
そこでというわけではないのですが、聴講を始めて5年が終わろうとしています。
初めにどのようなことを考え、そして学び、何を疑問に思っているのかを記録しようと昨夜考えました。
思いつくままに箇条書きというのでしょうか、順番に項目をつけてみました。
毎度のことですが、イッパイやりながらですので(飲まなくても同じですが)大項目も、小項目も入り交ざっています。
翌朝、見直しましたらもう一度整理し直し、書き換える、書き加える所がイッパイと思っていますが、出版するわけでもないのでそのままここに掲載することにします。
中部大学の5年間何を学んだか
平成22年1月8日・PM、8・00
0、はじめに
1)平成21年度の中部大学の5年目の「オープン・カレッジ」が終了しようとしている。
2)新年度(平成22年)の実行してみたいことを列挙し、重要度、緊急度、難易度で点検してみた。
3)結果、能力と容量オーバーと認識・確認。
4)そのことを判断しないまま、「イイカゲン修行僧」の姿でスタートすることにした。
T、中部大学の聴講生になった動機
1)これからの日本、世界はどのようになるのだろうか。歴史に学ぼう!
どのようにしなければならないのか。
2)講義内容を振り返る。
(1)5年間の講義を振り返る
@記憶に残った講義(良かったと思える講義)
A途中で受講を中止した講義(講義面白くなかった、レベルが低い等) Bどちらともいえない講義
U、求めた答えは得られたのだろうか。
1)歴史上、どの時代が、どの思想がどのように参考になったか。
2)これまでの体験してきたこととの問答であったような気がする。
V、今という時代を考える。
1)資本主義とその思想、それを乗り越えようとした社会主義・共産主義の現状は・・。
(1)1989年にソ連崩壊、冷戦構造の終焉。
(2)一極支配のアメリカの実情
@9・11事件の発
Aイラク戦争の展開
Bアフガン戦争のこれから
(3)多極化に向かう世界
@新興国(ブラジル、ロシア、インド、そして中国)の今とこれから Aヨーロッパ連合のこれか
Bアジア・アセアン・東アジアのこれから
(4)どの国が長期展望と戦略を持っているのだろうか
(5)日本の現状分析と評価
@マスマスあらゆる病状が吹き出る。対処療法では済まされない。
A総合・トータルな発想で対処する考えを持っているのか。
B新たな哲学・理念のもと、社会も、個人もあり方を問われている。 C新たな構造、仕組みの構築なくして明日は無い。
W、世界の歴史のどの時代、どの思想・哲学に学ぶものはあるのだろうか
1)時代はスパイラルに進化発展している
2)同時に、相似形で循環しているようにも思える。
3)何処に焦点を当てるのか。
X、新たな思想・哲学・理念は何故出てこないのだろうか。
1)ヒエラルキーで固まった政・官・財・学界・マスコミは硬直化してしまった。 そこには、新たな発想も、展開も期待できない
2)それは自己保身の世界
3)新たな可能性は「横型リーダーシップの時代」(同心円状に連なった世界)
4)具体的にはNGO、NPOの活動時代
5)試行錯誤の行動の中から新たなモデルが出現する。そこには新たな横型リーダーが・・
6)それは大衆・庶民の時代を引っ張るリーダーの時代であろう。
Y、日本辺境論を読む
1)内田樹氏が語る「日本辺境論」
2)日本人は辺境人である
3)辺境人の持つ特性
4)果たして、辺境人は世界に一つのモデルを提供できるのか
Z、終わりに
1)一番刺激を受けた教授の来期の講義が「歴史の方法」
2)人生に正解な答えなどあろうか。学び続けること、そのことが重要。
3)今年も「好きなこと」、「納得できること」に時間を当てよう。
以上・一気に項目を入力した。大項目、中項目、小項目、グチャ・グチャであるが、その一つ一つのタイトルに私の感じた事、考えていること、言いたいことが入っているのだろうと思います。
女房は「南遊の会」で名古屋へ。 イッパイのグラスが空になったのでこれにてお仕舞い。
COLUMN 1−D 1209
平成22年1月9日・記
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貴方の息子を信じなさい・・・ その2
〜定見と信念無き行動に悔やみ、そして回復〜
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さて、昨日の続きです。
私には定見が無い。それらしいことは言うが信念が無いから、直ぐに調子に乗って、時には欲に引かれて考えや思いとは異なる行動を起してしまう。
正に「イイカゲン修行僧」そのままである。 言い訳は後にして、では私の定見とはどのようなものであったか。 内容は”今という時代をどのように認識していたか・いるか”です。
何度も書きましたが、既に10数年前から私は「狼爺」と揶揄されていました。
それは今みたいというのでしょうか、昭和初期(1930年代)の世界大恐慌のような時代が到来するという予測を殆ど勘で口にしていました。
唯一つ,勘だけでなかったとしたら、難波田春夫先生の書籍『日本再建の哲学」他数冊と昭和40年代後半に出会い、それを読ませていただき、なんとなく納得していたことでした。
それは17世紀後半からの資本主義体制は崩壊に至るものになるであろう。
MORE&MORE=物的豊かさが幸せと考え、物・金を追いかけるシステムは崩壊するという指摘でした。
1995年頃から、先生のご指摘のことが何度も脳裏を横切り、離れることが無くなりました。口にし始めました、その頃からです。「狼爺」と言われだしました。
失われた10年といわれながらも時代は21世紀に入りました。
日本だけが取り残されるように、モタモタとした政治・経済・社会でした。
冷戦構造が終焉しアメリカの一極支配が固まったと思いきや、9・11事件が起こり、続いてイラク戦争が始まり、アメリカはかってのベトナム戦争のごとくに泥沼へと引きずり込まれてゆきました。
軍事力、金融システムの最先端を支配して圧倒的な力を誇示していたアメリカはジリジリとおかしくなりました。
それでもわが国の政治リーダー達は「アメリカ詣でしかありませんでした」
「自民党をぶっ潰す!!と言って、登場した小泉首相には、3ヶ月間騙されました。 が、その後はこれはアメリカ追従で魂を抜かれ主体性・自主性無きままに従属し、お金を貢ことによってしか評価されない日本国になるのかなと思わずにはいられませんでした。
いくら思っても、考えても、緒戦は雲の上のことです。 自分にできることは何かと考えました。 「歴史を学び」これからの世の中どうなるのだろうとか考えたり、百姓をする事によってイザの時のために少しばかり技術・技能を学ぼうと考えました。
とは言え、資本主義社会、および高度経済成長時代に成長してきたものとして、お金があれば何とか生き延びられるのではないかと、貯金通帳を眺めました。
話の前段が長くなりました。 ここからは具体的にどのように考えて、貯金通帳の額が少しでも目減りするのを遅くしたらよいかを考えました。
今から26〜7年前、香港で仕事をしていた時に、中国大陸から香港に逃げてこられた方のお話を伺ったことがあります。
その方が言われました「香港に渡る最後の川のところで捕まってしまいました。どのようにして渡るか思案に暮れました。そのとき、救ってくれたものは一枚の金貨と娘の耳たぶにつけていた宝石でした。それで川を渡してもらったのです」
そのお話を聞いてから、毎月の給料の中からアメリカのイーグルコインを買い始めました。 日本円で為替が140円前後で、1グラムが2500円でした。
(今は1グラム3000円を超えていますが、一事は1000円を割り込みました)
5年間香港に在住して確か、イーグルの1ドルコイン(グラム数は忘れました)が5枚が日本への土産品でした。
枚数がどうの・こうのというよりは、それ以降も日本で「最後の頼みはゴールドだ」と知人・友人に言い続けました。
(その後、土から教えられてことの外には、最近の世相とお金の動きを見ていますと、見ていたところは間違っていなかったと思っています。残念ながら、溜め込むことは出来ませんでしたが・・・・ )
ドルの終焉も感じていました。そして今も感じています。
(アメリカは世界NO1の金保有国だから、ドルが崩壊しても金本位、あるいは金、石油、穀物、などの資源等をベースとした金融システムを考えているから、アメリカ支配は変らないとか聞いていますが、一方アメリカの金は既に保管場所にはカラッポとも聞いています)
どちらにしても、信用という名で成り立っている紙幣(紙)の金融システムは行き詰まる、既に行き詰まっている、あとは破綻という形で表面化するだけではないかと考えています。
長くなりましたので、結論に向かいます。 (自己防衛はどうするか)
1)一般庶民でも安易に手に入る金を手元に置く。
2)消去法で行くと、経常収支が黒字の日本が欧米よりはその破綻が遅くやってくる、故に「日本円」の現金で、大手銀行、郵貯銀行に預ける。
3)国債、社債などは手にしない。 ソブリンマーケットにも手を出さない。
というのが、年金生活者の篭城を考えた対策でした。
が、どのように考え・やりくりしても数年で食いつぶすということに行き着き、今年で11年目に入る百姓学校が一番これから心身ともに貢献することになると考えています。
さ〜長くなりました。以上の話の展開と「自分の息子を信じなさい・・・(その2)」と関係があるのでしょうか。
箇条書きにて簡単に進めます。
・1)上記の考え方、見方を持って世の中の動きに対処してきました。
・2)そこに、35歳の我が息子と同年齢の証券営業マンが現われました。
・3)長年、言い聞かし、守ってきたつもりの自分で決めていた掟を破った。
なぜか、「欲に目がくらんだ」、「元来の調子者の性分に上手いこと火をつけられた」という所でしょう。
昨日から本日の朝まで反省しきりです。 定見が無い、信念が無いから・弱いから直ぐにフラフラとしてしまう。
なぜふら付いた。たまたま40数年前、アジアの国で一旗あげるならどの国かと考えていた頃の候補国家のひとつがその営業マンの推奨国家だったのです。
かっこよく言えば、応援したい、しかも儲かるかもしれないというスケベ根性がもたらしたものだったと認識する所となりました。
最後に、昨日からの自己嫌悪的状況から脱することができましたのは、朝の礼拝のときに「天国に通じる生き方・10か条」を朗読します。
その中の第8項目に「禁欲や戒律に走らず、適度な欲を持っていること」というのがあります。
「適度な欲」かどうかは分かりませんが、その一環であったと思えばよいのではと思うことにしました。
そして、最後は我が子ではありませんが、我が子と同世代の営業マンのトークに対して「貴方の息子を信じなさい・・・・」とのフレーズでお年玉を提供したと思うことにしました。
COLUMN 1−D 1208
平成22年1月8日・記
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貴方の息子を信じなさい
〜全国高校ラグビー優勝・東福岡監督の言葉〜
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我が家は前期高齢者二人暮らしですが、時折「貴方の息子を信じなさい・・・」のワン・フレーズがどちらからともなく流れます。
我が家の息子と言っても小学生や中学生でもなく長男は39歳、次男が37歳です。
次男は同一資本グループの会社に勤めていますが、長男は既に私の認識している限りでも、4回会社を変えております。
長男が正月休みに我が家に立ち寄った昨年の日記・2009年1月4日にこんなことが書かれています。
『「転職も休職もなにも恐れることは無い。 そんなことは当たり前の時代である。
それよりは、ここでジックリと再出発の充電とリフレッシュをして、自己の強み、体験したこと、技術、技能を再点検と確認をすること。
向こう10年、20年の計画を作り思考錯誤を始める時である」と伝える』と書いてあります。
思い起こしますと、私も38歳の時に、組織のある役職に付き、これで一応先が見えることになったものだと安堵というか、一安心した年齢のことを思い出します。
昭和30年代後半から40年代の高度経済成長後の昭和55年頃のことです。 それでも第1次、第2次石油ショックを経験し・低成長といえども右肩上がりの時代でした。
バブル経済を挟み、失われた10年どころか、20年今やこれまでの(昭和の時代の延長線)考え方や、価値観では全く先が見えないと誰もが考え、感じるようになりました。
物的豊かさを求めMORE&MOREと行動していた昭和の体質を持った私が39歳になる息子にアドバイスできることがあるのでしょうか。
反省することが多く、失敗の経験ぐらいは活きてくるのでしょうか。
昨日、全国高校ラグビー大会があり、東福岡高校が優勝しました。

今年51歳になる谷崎重幸監督のことが中日新聞のコラム「この人」に掲載されていました。 
そこには『「監督生活27年。転機は1999年。妻ひとみさんをガンでなくした。享年38歳。
命の重みを感じ「明日死んでもいいような生き方をしよう」と、ニュージーランドに渡った。
コーチ留学も兼ねつつ、「自分の子供はほったらかしだった」という一男二女と向き合い、3年間を過ごした。
「人生のハーフタイムという3年間で、それまでの細かく選手を管理する指導から、自主性を尊重する指導に変った。
勉学も重視し朝の練習は行なわず、放課後も個人練習の時間を多く取る。 決勝戦直前も戦術的な指示は一切せず、「迷ったら前に行け」と言って送り出した。
それでも選手は逞しく成長し、創造力溢れる自由なラグビーを披露した。
「誰でもそう。 人は信頼の中でのみ結果を残す。 信頼されたら裏切れない」。と』
ここからは蛇足です。
「自分の息子を信じなさい・・・・」の歌詞を思い出したのには、もう一つ理由がありました。 昨日、訪問してきた35歳の証券会社の営業マンの方との会話の後のことでした。
私自身の定見のなさ、信念のなさ、を思い知らされました。
何があったのか、どうしてそのように感じ、考えたのか、これからの戒めもかねてこのページに書いて、数人の読者の方に監視してもらいましょう。
ということで、その内容は明日入力することとします。
COLUMN 1−D 1207
平成22年1月7日・記
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一六社 1月4日の初出勤の日に
〜明るく・元気な集団は、方向と目標が明確〜
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このところ、しばしば登場しますこの会社。
名ばかり社外監査役として、出入りさせていただいています。

↑600円也の弁当を昼食に頂きました
その前に、社長から長期計画の発表がありました。
前向きなのです、元気なのです。 決して儲かっているわけではありませんが、次々と課題をキャッチしては、それをこれまでのインフラの中に取り入れてバージョンアップしてゆきます。
半年どころか、2ヶ月も出入りしないと(時には1ヶ月で)新しい単語や仕組みが取り入れられて話についていけません。 全員が全て同じレベルで理解され・認識されているとは思えませんが、(私が分からないだけかもしれません)、それぞれの担当者が助け合って、時には教えあって進められているようです。
聞こえてくる世間の話は厳しいです。 この会社とて同じですが、それでも向かう方向と目標がハッキリしていて、ボヤボヤしていることなくテキパキと仕事が進められており、出入りさせていただいている私自身もなぜか元気にさせてくれます。
キット、日本中のアチコチでこのような集団が活躍していることでしょう。
それらの中から成功モデルというのでしょうか、あのやり方・こんな方法でという成功事例が出てくるのではと予感し期待しています。

↑「今日の弁当の量は少ないなぁ〜、腹へってしまうぞ〜」と。
皆さんパクパクと平らげました。
平均年齢29・6才の会社です。
COLUMN 1−D 1207
平成22年1月6日・記
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判断と選択、決断そして勇気が求められる。
〜人頼りでは生きられない時代となった〜
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以下のコラムに記憶ありますか?
COLUMN 1−D 1184
平成21年12月15日・記
『栗の葉で焚き火
〜条例違反と注意を受ける〜』
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街路樹ナンキンハゼの落葉が完全に終わりました。↓

すると、毎年のことですが残るのは我が家の栗の木の落葉です。↓

3日間家を開けていましたら、家の周りのみならず、数件離れた玄関先まで枯葉が舞い散っています。 園芸をされて居られる方が、腐葉土に欲しいと大型塵袋に3個分を持っていかれましたが、残りの葉の方が多いのです。

焚き火というか、燃とやして処理してしまいました。
そこで、条例違反と注意を受けたのです。 条例違反はその通り認めざるを得ませんが、その注意をされた方のこれまでと日頃の行動をウジャウジャと書き連ねました。
今考えてみると、面白くなかったのですね。 いささか腹いせで書いています。
それが今頃になって何を蒸し返したのでしょうか。 その方が私のイイカゲン日記を見て苦情を言ってきたわけではありません。
1月4日、中日新聞・朝刊の「中日春秋」に以下のことが書かれていました。
以下要約です
「75年間草も木も生えない」といわれた広島の焦土に、いち早く花を咲かせた植物がある。 葉に毒性があり、「縁起が悪い」と嫌われる夾竹桃(キョウチクトウ)。
生命力が強く、広島再生のシンボルとして「市花」に定められている。
その花が福岡市の小中学校90校から姿を消しかけた。
この木を巡って、撤去して欲しいという意見が寄せられたからだ。 すると、「危険を知らせればよく、安易に切るべきではない」との批判が殺到し、市は当初出した撤去の通知を撤回した。
このニュースをみて、ダイオキシン問題がクローズアップされた10年前を思い出した。
正月のしめ飾りなどを焼くどんと焼きの中止が相次ぎ、幼稚園の石焼芋行事が取りやめになったなど、過剰反応もあった。
プラスチックなどを取り除き、行事を続ける神社も多いという。 伝統行事と環境への配慮を両立させるのは「分別焼き」という知恵だった。」
ところで、貴方はどのようにお考えになりますか?
時代が、流れが大きく変化・転換しています。 更に本格的にその流れは加速し・留まることは無いと思います。
「変化させなくてはいけないこと」、「変化しなくても良いこと」、「当面、そのままにして様子を見てみること」、個人でも、家庭でも、会社でも、社会でも選択と決断が迫られています。
柔軟な発想とそれなりの覚悟を持って事に当たらなければならない時・時代です。
”焚き火条例”は行政が提起した条例だったのでしょうか。 それとも市議会が提案し可決した立法だったのでしょうか。 (私たちが選んだ議員は、それほどの自覚を持った、あるいは知識・見識を持った人たちだったのでしょうか)
これまで同様に行政や議会に任せておけばいいことなのでしょうか。
私たち市民が勉強し、自分達の問題として考え、検討し、選択をしなければならない時代に至ったと考えます。
自ら選んだ選択であり、決断なら責任を持たなければいけませんし、間違いに気付いたならば早急に変更しなければなりません。
昨年末、12月15日の日記のことが気にかかっていましたので、正月4日の中日春秋のコラムが目に留まり、本日取上げました。
昨夜、藤井財務大臣の辞任が発表されましたが、この程度の事柄で済まされる日本や世界の状況とはとても考えられないのが平成22(2010)年の庚の寅の年と考えます。
私の家の落ち葉の焚き火に関することと、時代情勢がどのように関わるのかと絡ませた大げさな話の展開になってしまいましたが、要は人頼りはダメ、自らの勇気を持った判断と選択、そして決断と実行の年であると言い聞かせているのです。
COLUMN 1−D 1206
平成22年1月5日・記
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コラム 2−N 「新聞を読んで、眺めて、切り抜いて」
〜この記事だけは掲載しなければと・・・〜
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今年の課題というか、やりたいことを書き出して優先順位をつけたら、完全に能力・容量オーバーな希望・計画であることは自覚しました。
そして、早くもその兆候が現われました。 このホームページに掲載したいことが次々にでてくるのですが、一向にはかどりません。
というよりは積み残されています。
このホームページの「コラム 1−D ”一事が万事、万事が凡事”」と「コラム 2ーN ”新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」は、平成16年4月下旬に始まりました。
コラム 1−Dの方は既にNO1206となりました。 がコラム2−Nは310番代です。
ところが、本年に入りその「コラム2−N」に次々に興味のある記事が見当たるようになりました。 多分、年が明けて気分が変ったということでしょうが、それにしても目に止まる記事がイッパイです。
その中から、本日・1月5日の記事を紹介します。

↑ 我が故里、北設楽郡豊根村です。
同級生の熊谷村長がテープカットをしています。 記事としてはそれだけなのですが、町と村を越境してバスが運行されるという所が大いに意味があると思います。
これまでは東京・中央に陳情し・予算を貰い・それで村を何とか活気付けるという時代は終わったのです。(彼も大変苦労していたようです)
道州制が叫ばれたり、これからは都道府県が中心になるなどと言われていますが、私は一気に市町村のレベルの問題になると考えます。
自分達の町や村をどのようにしてゆくのかを考えなくてはなりません。その時、これまでのように我が村のことだけを考えていては、問題は解決しないと考えます。
同じ課題を抱えた隣村にも声を掛けて、互いの協力の下に課題解決をしてゆく、その過程の中で身近にいる政治
家や中央の政治家に「このような地域・村にしたいのだ」と構想を語り、協力者・支援者になってもらうということだと考えます。
そのように考えていましたので、我が友・豊根村村長に大いに拍手を送りたいのです。
今朝、この記事を切り抜いた時、直ぐに掲載しようと思っていましたが、後回しになっていた他の作業に追いまくられてしまいました。
するとどうでしょう、本日・中日新聞の夕刊にこの写真を見つけたのです。

↑飯田市の下栗の里です。
飯田市と言うから「市」だろう、と思われることでしょうが、合併して飯田市になったのです。 その実体は「遠山郷」の中心部からみれば、その又・その又辺境の地です。
標高1000メートルで傾斜角度30度から強い所では60度のあるという「天空の村」です。 目の前には標高3000メートル級の南アルプス聖岳等が連なっています。
この集落には100人余りの方が生活されています。
私が毎月尋ねさせていただいている遠山郷・木沢地区の平均年齢70歳、40軒の限界集落変わりないことと思います。
枯葉を肥やしとした黒土に、ジャガイモ、大豆、ソバが植えられ、蜂もブンブンと飛んで蜂蜜を提供してくれます。
昨年何度も訪れやっと11月に晴れた聖岳を眺めてられ感激したものでした。
今はこの写真のように雪化粧です。
許されることなら、今からでも飛んで生きたいところです。
やりたいことが能力と容量オーバーです。
明日から大学の講義が始まります。
2教科受講してきて、復習で活字化しますと最低12時間は必要です。
今期の講義はこの1月下旬で終了します。 さて、来期はどうしたものかと思案します。
この所「思案」という単語を使うことがおおくなりました。
既に今夜も就寝時間となりました。講義中にうたた寝は出来ません。
では、オヤスミナサイ
COLUMN 1−D 1205
平成22年1月4〜5日・記
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これからを案じるよりは歴史に学ぶ
〜中日新聞1月元旦の新聞を読み直しながら〜
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6年目に入る中部大学の聴講生。 受講科目は殆どヨ−ロッパの歴史(東欧・中欧を中心として)とアジアの歴史(特に中国・韓国の東アジア)と社会思想史でした。
社会思想史と言っても哲学なのか、歴史なのか、思想史なのか、判然としない。
どちらにしても、そのときは復習し・活字化するからそれなりに理解したつもりであるが、半年もすると殆ど記憶の外です。
それでも、これまでに刷り込まれていた歴史認識とは異なることに出会うと、大いに刺激を受けてこれまでの思い込みを反省することが多く、その箇所はウッスラと脳裏に新情報として埋め込まれます。
昨年辺りからでしょうか「もう一度読む山川日本史」(山川出版社)とか、「大人のための近現代史」(東京大学出版部)を新聞広告で見、インターネットで検索です。
購入するも相変わらず積読ですが、パラパラと「はじめに」と「終わりに」そして、目次の中の関心事に目通していますと、過去と現在そしてどのように未来に繋がってゆくだろうかと予測みたいなことをして楽しめます。
例えば、中国と日本の関係。 考古学的には色々と説があります邪馬台国の卑弥呼まで遡らなくても、遣唐使の時代から日本は中国に学んでいた。影響を受けていました。
それが17世紀初頭から続いた清朝は西欧列強の幾度の浸入にも耐えてきたが、1840年のアヘン戦争を期につるべ落としに国力が低下していった。
明治27(西暦1894)年には日清戦争が勃発し、巨人中国は明治維新からたった30年弱の日本に敗北することになる。
1905年、日本に留学していた孫文らは東京で中国革命同盟会を結成する。
そして、彼らによって1911年からの辛亥革命が始まり、蒋介石の南京国民政府の樹立に至る1927年に至る間をどのように見るか。
中国に学んでいた日本が中国よりいち早く西欧化=近代化し、日本で学んでいた孫文等の留学生とのその後の関係や、日本が果たした事柄や役割をどのように見るか。
また、1949年の中華人民共和国成立までの日本とのかかわりをどのように見るかは、人それぞれでしょうがGNP・世界第2位の地位が日本から中国に移行することは、時間の問題となっています。
今後どのようにアジア、東アジア、そして中国、韓国、加えるにロシアを含めて、それぞれのおかれた状況を自分なりにどのように分析・評価し、対処してゆくかを考える時、歴史の事実から反省したり・新たな展開の可能性に気付いたりしますと、ことさら危険視や不安感を持つよりは、明るい展望も開けてきそうな気もしないではない。
噛み切れない話題になってしまいましたが、歴史を学ぶとそこにスパイラルに繰り返される近未来が見え、何か感じ、そして案じることは無いと思えるようになります。
互いに歴史を学び、過去を反省し、これからに活かす。 当たり前のことでですがこれをいかに真摯に実行に移してゆくかで国も、個人も道が開けてくるように思えます。
1月3日・夜、イッパイ機嫌で入力を始め、昨日は別件で一日が終了。
本日改めて このコラム1−D NO1205に取り掛かりましたが、サッパリ入力の指が進みません。
私は推考して書くということは、苦手というか出来ません。
今回も書き初めから本日まで時間が空きすぎて、スーと入力できませんでした。
どっちにしても,大したことを書いているわけではありませんが、時間を取らせてすいませんでした。
COLUMN 1−D 1204
平成22年1月3日・記
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このままでは
完全に容量・オーバーです
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箱根駅伝が終わりました。 毎年この二日間はテレビに磔になってしまいます。
正月には馬鹿笑いの「お笑い番組」もよいですが、やはり真剣勝負のスポーツが面白いです。 特に、マラソン・駅伝は次々とドラマが展開されて席を離れられません。
そんな時、年賀状をいただき、出し忘れは無いかとチュックをすると数枚は必ずあります。 急いで書いて郵便局に走ります。
昨年末はデジカメが故障し新品に買い替えましたが、今度はプリンターが故障です。
これまた、「修理するよりは新しく買い替えしたほうがよいです」といわれてしまいました。
買い置きのインクがありますが、そのインクに該当する機種はもう販売していないとのこと。 2年に一度ぐらいのモデルチェンジがあり、4〜5年で新機種に代わるそうです。
新しい技術や性能が研究・開発されての新製品なのでしょうが、私にはメーカーの売らんかなの販売政策に感じられました。
息子に電話し誘導してもらいながら、悪戦苦闘でやっと稼動にこぎ付けました。
バンザイがしたいほどでした。 旧のインクは息子の機種で使っているものと同一のことが分かり、捨てずに済んでヤレヤレです。
電気店で「勿体無いから、持参しますので、どなたかにあげてくださいよ」といいましたら、「販売していない機種のインクを上げることは出来ません。」といわれましたが、インク自体は販売しているものです。
「持ってきていただいても、リサイクルに出すだけです」との返事には、これまでの商売感覚からの脱出は出来ていないなと感じました。(無理も無いですが、行き詰まりです)
プリンターが稼動した所でプリンターを使って、例年この時期に「今年の自分の課題の優先順位」付けをします。 緊急度があるわけではありません。 重要度と難易度を考えてエネルギー配分、時間配分をします。
大項目は@中部大学の講義と復習の活字化 2〜3教科(歴史中心)
A出入りさせていただいている、インターネット会社の各種会議や、勉強会への出席と1枚の意見書の提出。
B「自然との対話」と題した、百姓学校の農作業関係
C対外関係と題して、遠山郷、波動の会、 高蔵寺のNPO活動(本年から)、そしてNPO日本再生プログラム推進フォーラムへの参加
毎日のインターネット関係では、メール通信、「イイカゲン日記」の入力、各種評論家・コンサルタント等入会している会のメールチュック等
更に、その他なのですが、健康と題して〜ストレッチ、礼拝、掃除と来て、旅と題して今年は再度車旅計画(九州・北海道)、その上、夏休み(女房ベトナム植樹中)に、どこか海外へと
以上を入力し、時間配分をしましたら、どう考えても容量オーバーです。
昨日、息子にも言われました「良くやっているよ」と・・・。
(イイカゲンにしておかないと、知らないよとでも言いたげでした)
運気が良い時だからと言って、調子に乗ってはいけませんよと、身近に在る品や機械類が壊れてそれとなく教えてくれているのかなと感じないわけにはいきません。
明日は正月4日、有り難い事に、上記の課題の中からお呼びがかかっています。
さて、どれを削ろうかと思案が始まりましたが・・・。
COLUMN 1−D 1203
平成22年1月1日・記
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サンメイ学(?)で2010年を予測する(未来予測術)
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藤原学校では毎年12月の最後講義の日に、藤原直哉さんの話の他に、田村(?)さんといわれる方が、サンメイ学(私は漢字を知らない)という学問(?)で未来予測のお話があります。
そのお話のテープが届きましたので、活字化してみました。 聞き間違いや漢字への落とし込みが間違っている所もあろうかと思います。
あくまでも文責は加藤です。
平成22(2010)年とはどのような年か。未来予測術。
・干支(かんし)上は「庚(こうきん(かのえ))の虎(とら)」
・「庚」は西の方向を示し、戦争・武器を示す。
ものごとを更新する、世代交代、継続と同時に新しい変化が起こる。大きな変化の切欠 の年となる。
・「寅」は東の方向を示す。 平和主義、マイペース、頑固。
→寅にサンズイをつけると「演」となる。よって、国家も、企業も、個人も演ずることが重要。 →2010年は前年の物事が継続するが、一部を改めて新しい道をつけてゆく。
・「庚」は戦い、「寅」は平和を示す、「戦い」と「平和」。という相矛盾したことが起こる。安定と波乱。
→そのことは次々と矛盾したことが起こる。「大波乱」「大動乱」が起こることをあらわしている。
・過去の庚寅を参考にすると
→1950年(昭和25年)・1月、マッカサー元帥は年頭に「日本国憲法」は自衛の権利を否定せずと発表。
GHQは沖縄を恒久的基地設置表明。
3月に自由党結成。 4月熱海大火災・1000人以上焼死 6月参議院選挙、朝鮮戦争開始、特需。
7月金閣寺全焼 8月警察予備隊が公布。
9月朝鮮の仁川に国連軍上陸、韓国軍38度戦突破北へ 10月、中国義勇兵の出動、朝鮮戦争本格戦争となる。
・キーワード、60年前「アメリカと日本」、「沖縄」、「自衛隊」、「新党結成」
・「庚寅」の過去を見ると1350年、倭寇が高麗の沿岸荒らす
1530年、江戸幕府 徳政令
1830年、中国凶作 、伊勢神宮参りが大流行
1890年、明治憲法施行、富山県で米騒動、自由党結党、教育勅語発布。
→「政変」「動乱」が起こっている。
・鳩山政権、→沖縄、自衛隊、アメリカと日本・・・同じ問題の繰り返し。螺旋状の階段。
・昨年予測した。 民主党政権は2009年参議院選挙勝利したが、小沢さんは総理にならないと言った。色々なことあって総理にならなかった。
・鳩山さんは93代目の首相。93代目から日本経済は明るくなると言った。
→が、鳩山首相、管副総理、そして社民党の党首瑞穂さん平成22年は「天中殺」
→天中殺の総理、大臣は長く持たない。民主党政権は続くが鳩山政権は続かない。
・天中殺のリーダーの内閣は長く持たない。
・今の日本は丑寅(うしとら)の時にある。 日本は今、その丑から2010年は寅の鬼門を通過中。
・50年前の丑寅は安保闘争。その50年前は日露戦争起こる。
・93代目は運気上がり・よくなるといったが、鬼門を通貨中、余波受け上手く回転しない。
95代目頃から景気は良くなろう。余波が避けられる。経済明るくなる。
・運気もマイナスで戦い、戦争と平和という矛盾、大動乱、大波乱の時。
・アメリカは夕陽が沈むように沈んでゆく。軍事も経済も、特に経済は悪い。大統領も後半運気が下がる。
2010年は中間選挙のときであるが経済は春から混乱し、株価も低迷・ダウン。
ロウソクも最後の明かりが灯るかもしれないが、そのときが総売りであろう。
立ち上がろうとするが立ち上がれない。夕陽が沈むように・・・
・ロシア→画期的。メドレージェフは変化・変革の時。 国の構造改革をする雰囲気を持っている。
資源、エネルギーを材料として5年後から良くなる。そのために日本へ接近してくる。
・中国→2010年、経済成長は8年目に入る。日本の50年代と同じ。上海万博まではGDPは12〜13%成長。
→その後、資産バブルのこともあって、1年間は低迷するが潜在的パワーを持っており、調整期後、再び右肩上がり。
・ 庚(かのえ)寅(とら)は想像を絶する・考えられないような激しい時、夜明け前に相当。
今は鬼門通過中、3~5年間は通過中で大変。 95代目頃からよくなる。
・「演じること」が大切。 この10年間は予測できないこと起こる。 国のデフォルトもある。
〜如何でしょうか。多くの方が何か感じている所のことを干支上でも表しているのではないでしょうか。
予測は予測です。 予測に引き回されて何もしない、出来ないことが一番いけない、危ないのではないでしょうか。
私も何が出来るかはわかりませんが、気付いてこと、めぐり合ったことの中から一つでも・二つでも試行錯誤してみようと考えています。
COLUMN 1−D 1202
平成22年1月1日・記
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元旦の新聞折込で 見つけました
〜「ゴミ屋敷」にならない、作らない、声掛け合って
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このコラム1191「ゴミ屋敷」のことを書きました。元旦の折込の中に見つけました。
高蔵寺ニュータウンとその周辺のミニコミ紙「まちツボニュース」の新年号は、エキスパネットの「夢」と題して「みんなでつくろう青空市”高蔵寺 和っか市”」の記事が掲載されていました。 (NPO 法人まちのエキスパネット発行)

『エキスパネットは高蔵寺フォークジャンボリー、高蔵寺映画祭、医療講座・愛らぶライフなどの、市民参加のイベントを企画・実施しています。 イベントを通じて「世代融和」を軸に賑わいのある街づくり・顔の見える付き合いをしようとしています。
いまひとつ、生きづらいと感じている人の居場所づくりや、孤独からの脱出のお手伝いを企画しています。
夢が持てる、地域の人と支えあいながら築いていくというインクルージョン(共生)との目標を持っています。』 と自己紹介していました。
ニュータウンは誕生して41年目になります。 (私は移住して今年で39年目です)
この街に移り住んだ頃の活動は、自治会を作ること 、新鮮な魚をニュータウンに届ける為に、メンバーが尾鷲まで出かけ水産業者と交渉してきたこと、名鉄バスと交渉し深夜バスを走らせたことなどでした。
当時の私はそれらの話は聞いていましたが直接参加し行動したことはありません。
現在75歳以上の方々が全て実行されておられたと思います。
当時は何とかしなければ生活が成り立たなかったのです。
(道路は雨が降ると泥濘でした。 深夜と言っても夜の10時になるバスが無く、数台のタクシーの往復です。 待ちきれずに歩いて帰ると、なんと約1時間もかかりました)
それから40年が経過し「居場所作り」や「孤独からの脱出」という新たな課題が持ち上がってきました。
コミュニティーの原則、声を掛け合うことが街づくりの第一歩ということを改めて感じ・考えさせられます。
声掛け合って、輪になってということです。
ニュータウンのあちこちでコミュニティー市場が出来ると良いと考えています。
私も今年は畑の野菜が出来たら、持参しようかと思っています。
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