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 COLUMN 1−D 1220
                                平成22年1月18日・記

      予感、推測、閃きを書く  (その1)  


 前置き

 昨年の4月、中部大学のオープンカレッジの開校式で話をしてみないかと誘われ、これも良い経験と引き受けることにした。

 何を話そうかと生い立ちや経験・体験してきたことを纏めてる間に、3年後に「自分史」を
書こうかと思った。 

 なぜ3年後かというと、これからの3年間で、時代は大きく変ると思ったからです。
 その3年間をどのように過ごすか、行動するかを考えました。

 ならば過去の過ぎたことを纏めるよりも、これからの3年間、およびその先に何が起こる、どのような世界になるかを考えたり、予想したりすることの方が面白いと思ったからです。

 どうせ、独創的なことを思いついたり、考えたり、発想するわけではありません。 どなたかが発せられた情報の中から、何か感じるものがあった時、それを取上げることになるだろうと予測していました。

 それから、アッという間の1年間でした。その間、殆ど何も感じず・書かず。 が、今年に入って、昨年より少しばかり日々の生活時間の配分が変化してきました。

 以上、前置きが長くなりましたが、では本日感じている世の中の変化の一端を書きます。


  本日感じていること

 ・「中国、韓国はこれまで日本に対して、国民感情として好感度を持っていたとはいえません、(国民のパーセントとして) が、これからはその感情が変化してくると思います」

 理由など 挙げると「予感、推測、閃き」の掟に反しますので、書かないこととします。

 と言いながら、一つ・二つ
 @中国は自信を持ち、更に深めている。 上海等の沿岸部ではハードな豊かさや、それに伴う幸福感からでは満足できず、ソフトな価値に目覚め始めている。

 A韓国は国家経済的には、決して順調な流れではないと思います。 韓国人にとってはあの忌まわしい日本統治時代ですが、歴史の事実を冷静に分析・判断するとそこに見るべきもの、教えられる事柄があったことに気付き始めている。

    他にもあげれば、思いつくこと・感じることはありますが、以上にて止めます。

 最後に、両国にとっては歴史的にみて、日本を指導してきた国、日本より進んだ国としてのプライドを持っていました。 それが・どうして、このような状況になったのかの悔しさからの脱皮にもがいていました。

 その時、近代〜現代の日本において東条英機や近衛文麿そして田中角栄、海外ではヒットラー、スターリンなどの猛々しい指導者の没落や崩壊を見てきました。

 国で言うならば、スペイン・ポルトガル〜オランダ、そして近代に入りイギリスからアメリカに覇権が移行していったが、全て猛々しいものの行く末は同じ道筋です、なりそうです。

    周りめぐって、地球の中心はユーラシア大陸の東に注目されている。

 その注目されている国々が、この歴史に学び、どのように立ち向かってゆくのか、英知が問われ、試される時代となったと感じています。




 COLUMN 1−D 1219
                                平成22年1月17日・記

     ラブレターではありません

 〜時間に追われながらも、また計画外を・・〜 


 私の実家があります豊橋市曲尺手町(かねんてちょう・と読みます。昔の豊橋=吉田は東海道の城下町で、呉服町、鍛治町というように、曲尺手町は家具の製造をしていましたので、そのときに使う物差しを曲尺(カネジャク)という所からきました)

 豊根村に疎開していました私は、小学校卒業と同時にこの曲尺町の家に移住しました。
 その家のお隣に多分5歳下の「みどりちゃん」というクリクリした大きな目の女の子がいました。

 何十年ぶりかでお会いして時は、みどりさんのお母様がお亡くなりになった時の葬儀のときでした。 それまで、豊橋に住んでいる姉からはみどりさんはドイツで結婚されたとは聞いておりましたが、全くお会いしたことはありませんでした。

 10年前の葬儀のときにでも、みどりさんのメールアドレスを貰ったのでしょうか、メーリングリストには記録しておきましたが、1回しかメールは送っていなかったと思います。

 そして、今回です。 以下のようなメールを送信しました。

 『 みどりさんへ

・ 突然お邪魔します。 メーリング・リストを整理していましたら、トップページに貴女
のメールアドレスが飛び込んできました。

・私のことを書きます。春日井市にある中部大学の聴講生になって5年が経過しました。一番刺激を受けている教授はベルリンの壁崩壊前の10年間、ハンガリーを中心として東欧で生活されており、ハンガリーで博士号を取得しました。

特に中欧(東欧)を中心としての歴史や社会思想史が専門ですが、それがそこに留まらず物凄い博学で・勉強家ですので、講義は実に幅広いものになり、受講生は振り回されております。

・昨年の後半からドイツ人の教授による「日独文化比較」(主に明治以降の女性と家庭、教育)を学びました。その中で、ドイツは大都市もありますが、中小の
地方都市および都市郊外も発達し日本とおおきく異なり、生活環境や価値観に差があるとも学びました。

・ここ数年、インド、エジプト、トルコ、ペルー・アルゼンチンなどを訪問しています。3年前にはピースボートで世界一周の船旅も経験しましたが、あとから考えると世界遺産の訪問のオプショナルツアーへの参加が多かったです。 (特に世界遺産に関心があったわけではありませんが・・)

・歴史や世界遺産に関心が向いたのは、また、中部大学の聴講生になったのも、一番の関心ごとがこれからの世界はどのようになってゆくのだろうか。 どのような価値観や理念、思想の社会が創造されゆくのだろうかということでした。

・近代から現代を学ぶ時にはヨーロッパを外しては考えられません。それ故にヨーロッパには大いに関心があるのですが、少しでも歴史を学んでからと残していたとも考えています。

・私のヨーロッパの旅の経験は、20~30年前以上になります。今、机の引き出しを開いて見ますとヨーロッパの10数カ国のコインが封筒に入れてしまってあります。
1972年ドイツで開催のオリンピックの記念コインも3枚あります。発行は1969年と1970年と彫られた10・DMコインです。(購入価額は14・90・DMと印刷されています)  ユーロに大変革している今では通用しないことでしょう。 かえって、価値が出ているかな?

・日本へ帰国?(訪日?)の折に、ドイツおよびヨーロッパのお話を伺ってみたいものです。 現地で生活されれ居られる方の生の声を聞かせてください。

・今年の2月には夏のニュージランドを計画しています。 昨日の中日新聞の夕刊にフィンランド航空で行く、ビジネスクラス利用の体験モニターで「中欧4カ国」の旅の広告があり、少しばかり心動かされています。(そういえば、貴女は旅の関係のお仕事だったかな?)

・80歳になる姉は本当に頑張り屋というか、現役を続けており嬉しいやら・驚くやら・学ぶ所イッパイです。
口数少ない姉のことですのであまり貴女のことは聞いていませんが、年に数度帰国(訪日)されておられるご様子なので、事前にお知らせいただければ嬉しいです。

・ついつい、長くなってしまいました。 ところで、このメールが届くかどうかが心配です。』
  

 送信ボタンを押しますと、流れて行きましたのでキット届いたことでしょう。



 COLUMN 1−D 1218
                                平成22年1月16日・記

  改めて、今年の課題の優先順位とウエイト付け

 〜一日当たり、14.5時間が拘束されることになる〜


 1月3日に、今年の課題というよりは実行したいことを書き出した。 そして、能力(質)と容量(量)が完全にオーバーしていることを認識・自覚しました。

 その後、昨日までにしたいこと(実行したいこと)は減じるどころか、増え続けましたので改めて書き出し、必要時間を割り出してみました。

 その結果、一日当たりに換算しますと14・5時間が拘束というか、必要時間となりました。

 もちろんその中には、朝のストレッチ〜礼拝〜掃除も含まれますし、夕方の散歩も入っておりますし、国内・海外の旅行も入っており、毎日・毎時・生産活動(?)をしているということではありません。 配分時間は20%強となりました。

                

        ↑やりたいことのウエイト付をしましたテーマと計算数値

 大きな所では、インターネット関係です。 要はパソコンの前に座っている時間です。
 
 A,その中には、メール通信の他、「イイカゲン日記」、「ツイッター通信」を入力する時間も入っていますし、インターネット上からの情報入手の時間も含まれています。30%強

 ,中部大学の聴講とその後の復習の時間はこれまでの6割程度に削りましたので、復習で現在活字化しているまとめ方の修正を余儀なくされます。

 が、受講科目は増やそうというのですから、無理があるのですが、事前情報や前年のシラバスを読んでいますとどうしてもという気になっています。 以上が20%弱です。

 C, 対外関係とのお付き合い・楽しみも削るわけにはいかず、充分とまでとはいきませんがそれぞれに時間配分しました。 10%です。

 D、 自然との対話=百姓の時間がギリギリになりました。自然はこちらの都合では行きませんので、天からの声に素直に従うことになると考えています。一応配分時間は5%

 E,唯一とでも言うのでしょう、インターネット関係の会社への出入りの時間が年々多くなってきました。 この会社に行きますと時代の先端を勉強しているように感じます。

  もう一つの理由は、ここの社長が30数年前、毎年200〜300人の新規学卒=団塊の世代の一人として入社されてきました。 彼らより5〜8年早く入社していた私は、先輩として優秀でフレッシュな力を思う存分に活用させていただきました(踏み台としました)。

 その時の、団塊の世代の方々に満足どころか、失望させたことが多かったと記憶にあります。その折の罪滅ぼしの一環としての感覚があり、それなりのお手伝いをしなくてはとの思いがあります。 この社長を通じて、毎年定年退職者の年齢に達した方々にお礼の意味も込めて、お役に立てればと考えているのですが・・・・

 かえって、足を引っ張ることになっているのではと反省しつつ、(昭和時代のですが)多くの失敗の体験・経験者としてのアドバイス・助言が出来ればと思っています。15%配分。


 緊急度、難易度、重要度で優先順位付をしましたが、テレビ視聴時間を短くし、睡眠時間をこれまでの7〜8時間から、6〜7時間に短縮しないと全てはやり切れないと自覚しています。 

 これまでは、午後の9時までに床に付くことが5〜6割、午後10時なら確実100%でしたが、どうなることでしょう。

 そこらへんは「イイカゲン修行僧」の好い加減でして、何とかなるだろうと高を括っています。

  

   おしらせ

  双方方向のコミュニケーションツールとして、今注目されているTWITTER=ツイッター
 を始めてみませんか。加藤のアドレスはhttp:twitter.com/k_taiki です。




 COLUMN 1−D 1217
                                平成22年1月15日・記

  今度は愛知県も職員給与4%減の提案

   〜国も変る、地方も変る、私たちも変る〜


 コラム1−D No1213、で、「名古屋河村市長は、数年先に改革者として評価される」
 を掲載しました。 そこではまず市長自らが身を削って、その上で職員、市会議員の給与等の削減を提案していることは、庶民感覚からして心情的に納得・賛同できると書きました。

 本日の中日新聞を読んでいますと
 「1999年度から3年間以来の提案、給与・ボーナスが4%カット、既に合意の地域手当7・5%カットも実施。
 
 実質職員一人当たり09年度対比24万減で、全体として308億円。
 職員の平均年収は08年度比10%減で651万円」
 と書かれていました。

     ところで、この平均年収651万円をどのように見ますか、感じますか。

 多分、県の人事院が愛知県の民間企業の給与体系、実質給与実態に照らし合わせての勧告であり、支給であろうが、感覚的には高額と感じませんか。

  現今の経済・社会情勢から鑑みて、従業員数5人未満や自営業者の数値と比べるとどのような実体だろうか。
 
 年収650万円は大手企業でも産業や職種によって異なろうが、平均的には40代の働き盛り係長、課長代理クラスの年収ではないだろうか。

 中小零細企業ならば、650万といえば部長クラス、間違うと業績が厳しい会社では役員クラスの年収とも聞いています。

 決して、年収が多すぎる、低くすれば良いと言う積りはありませんが、公務員は恵まれていることだけは事実であろうと考えます。(公務員は首をすくめています)

 そこで、河村市長にも提案したのですが、当面策としての年収削減、事業縮小、無駄や天下りへのメスを入れると同時に、名古屋の将来構想、名古屋の20年、50年、100年先の「都市構想」を打ち出してくださいと。


     それと、同じことを愛知県の神田知事にも提案したい。

 新政権民主党になってから、充分ではないが国と地方の関係が大きく変ろうとしています。 口先だけの「地方分権」から本格的に政治・行政のスタイルが変ろうとしています。

 「道州制」も論議のテーブルに上がっていますが、それらを含めてこれからの国と地方の関係を考えますと、「県」は中抜きされてゆくのではないかと思われます。

 だから、存在価値を示す為に「県」よ頑張れと言っているわけではありません。

 国と地方の関係の新たな方向性において、その実現過程で「県」が不要ということならば、その過程においてどのような役割を果たしてゆくかの道筋をつけるのも政治・県行政の役割ではないかと考えます。

    更に、同じことが各市町村においても言えることと考えます。

    近いところでは半田市が市民税の10%(?)削減の決定をしました。 

 わが、春日井市も昨年末辺りから、どのようにして税収をあげようかという観点からではなく、これまでも実施していましたが、更なる行政のリストラをしなければならず、そのため

 の財源確保の一環として市職員の年収・給与問題も遅れ気味ですが、名古屋や半田の決定事項、そして同じ課題での近隣市町村の動向に目配り始めました。

 もう一度言いますが、私は職員の給与・年収を下げればよいとだけ言っているのではありません。 「市」ならば、どのような春日井市の将来構想、どのような都市にしたいかの論議が上からのみでなく、市民各層から盛り上がってくるような施策を講じるべきと考えます。
 安易に将来構想がまとまるとは思えません。 時間をかけ市民参加で検討し、その実行も市民のNPO等の活動に組み込み、互いに連携してレベルを高めてゆくことです。

  そのように考えるに至った背景は、旧来の選挙目当てとまでは言いませんが、市行政の一部のものがまとめた上からのお仕着せの将来構想やビジョンでは、紙に書かれたもの以上にはならないと考えます。

 また、同時に現在の市議会議員の中で、国と地方の関係が見直され、正に多額の一括交付金が直接市の財政資金として手にしたとき、何をどのように優先順位を付け、市民に納得のいける決定過程公開し決定する。 

 同時に結果に対して責任が取れる、市民の付託に足る意思決定が可能な議員さんたちが何人いるのであろうか。

 私たちはそのような観点から市長や市会議員を選んだろうか。と最後は私自身への問いとなりました。

 ここからは、私たち自身が自らの責任と義務として参加し、提案し、議論し、創り上げて行く時代の到来と考えます。 権利の主張、自分善しの時ではないと考えます。


  新しい双方向コミュニケーション・ツールとして、「TWITTER]=「ツイッター」に参加しました。

   私のアドレスは「http://twitter.com/k_taiki
です。一度、アクセスしてみてください。 そして、貴方も参加してください。参加は無料です。



 COLUMN 1−D 1216
                                平成22年1月14日・記

 面白かった、刺激された最終講義(シンポジューム)

 〜神領駅前のイッパイで更に盛り上がる〜


 昨日、中部大学で70歳・定年退職される二人の教授の「最終講義」というよりは、”きかせたい独り言 約2つの 〜史と詩の狭間から” と題したシンポジュームがありました。

 お一人は「思想史」のS教授(60年代の学生運動にリーダー的な役割を果たした学生であった)と、もうお一人はコミュニケーション学科のI教授(同時に詩人でもある)です。

 そこに、I教授と同じ大学、大学院そして博士となられ、今は同じく中部大学に勤務されている68歳のW教授の3人の絡み合いでシンポジュームは進められた。

 これまで中部大学の色々なシンポジュームや最終講義に参加したが、一番面白く・興味をもって拝聴することが出来た。(私だけでなく、他の聴講生も同じ意見)

   内容と構成に工夫と時間がかけられていることが良くわかりました。

 特に、取上げられた内容が昭和60年代~70年代というレトロな時代であり、聴講生にとっては殆ど同世代の青春時代と関連していたことも、時間を忘れて聞き入った・時には懐かしい映像に目が奪われた要因であったと思います。

 そこに、今春卒業される学生の60年代と70年代を取上げた「卒業論文」の内容が披露された。

 50年の時間を隔てて、同じ時代をすごした者が当時影響を受けあるいは研究された事柄と行動の内容と、一方は高度成長後の物的豊かさが当たり前の日本の環境の中で育った若者が、調査・研究した結果の私見の発表との比較インタビューも面白かった。

 ここに、その内容の全てを記録する事は、出来ません(録音はしてあるが・・・)


 その後

 新年会を兼ねて、聴講生4人と中部大学の中央線の神領駅(中部大学のスクールバスの発着場)の赤提灯でイッパイやりました。

 これまた、沢山の話の内容があります。
 1、まずは本日のシンポジュームの感想と評価。他の最終講義や普段の講義における教授、学生の評価

 2、私が数日前に書いた。「数年後、河村名古屋市長は改革者としての評価を受ける」という日記に対する感想と批判。一人が名古屋市民で現在、町内会の役員、河村市政についての一言を持っている方。
 
 3、ツイッター・コミュニケーションの付いて

 4、コールド・レーザーの効能。と健康問題  等々でした。

 この間、感じたことは勉強することは必要である。 そのこと自身が楽しみであり、ボケ防止ににはなるが、今日の日本を作り上げてきたのは我々の時代。

 良き点も、悪しき点もある。 が、学んだならば何か少しでもお返しの出来るように、行動を起してみなければということです。

 本年のやってみたいことの整理は済んだが、能力、容量オーバーを自覚している。
 優先度を決めて実行しなければと言い聞かせています。





 COLUMN 1−D 1215
                                平成22年1月14日・記

   パソコン正常に機能するようになりました

 〜その間にTWITTER=ツイッター=”つぶやき”コミ      ュニケーションが導入されました〜



 私がトラブル・メーカーでないことが分かって、このホーム・ページの日記の入力を中止していた間、二つの心境でした。

 @このところ、次々と浮かんでくることがありましたので、それを活字にすることにより、気分が落ち着くというか(吐き出してしまうことによって)、冷静になっておりましたので、ペー

ジが開かないことが分かると同時に、思いつきもストップしてしまったようで、毎日何かを書く、あるいは書かねばと思うことは、脳の刺激になってよいことだと改めて認識しました。

 Aいまひとつが、元のサーバーがトラブルなのだから、入力しなくても済むという気楽な気分もありました。

 現在は書きたいことが次々の状況ですので、入力できないことにストレスを感じていたほうが多いと感じておりました。

           

           ↑ 定点観測、築水池にモヤがかかっています。

                

          ↑ ↓ 廻間(はざま)町の田圃の耕転が始まりました

          

 ここでお知らせ
 
 
このホームページのトップページ、左の「COLUMN 2−N 」の下に、「TWITTER]という欄が新たに加わりました。 TWITTER=ツイッター=(「つぶやき・双方向メディア」とでも言うのでしょうか)は新しいソーシャル・メディアでこのところ注目され始めました。

 インターネット関係の会社に出入りしている者として、少しは勉強し・利用しなければと参加することにしました。

 文字数が140字と限定されておりますので、長々とした文章や写真は掲載できません。
 長いものはこのホームページに飛ばしてもらえるようにセットされていますので、実行してみてください。

 「今、何しているの?}が問いかけで、それに答える形で短文を掲載します。

 これまでよりは頻繁に、時間の許す限り何かを書き入れてみようと思っています。

 お退屈な時間は無いことでしょうが、こちらは一時の休み時に気楽に書き入れますので、お訪ねください。



 COLUMN 1−D 1214
                                平成22年1月12日・記

   大変失礼をしております
        只今、サーバーがトラブル中です


 と書きましても、なンのことだと思われる方もおられることでしょう。 その方は1月11日の午後以降、私のこのホームページにアクセスされなかったからです。

 只今、この画面が見られるということは復旧したからです。(現在の時間、1月12日、21時現在は復旧していません)

 サーバーがトラブル中ということを知らず、私は1月11日の午後からはパソコンのあちらこちらをいじくりました。

 息子にも良く注意を受けるのです、「トラブルが起きた時、アチコチを触りまくるな」と。

       考えられないような状況にパソコンがなっていると叱られます。 

 が、性格ですね。正常に機能していないとイライラします。 そこで、ツイツイ復旧せぬかとアチコチを弄り回してしまうのです。

 本日、出入りしてますWeb関係の一六社に行きますと、サーバーがトラブル中ということが分かり安心すると同時に、今度はこの間、パソコンを色々操作したことが、新しい問題を発生していないか心配しています。

 今、このようにアップ出来たということは、問題なしだったということです。


 さて、私も「Web」と言うのですか、インターネットの会社に出入りしていますので、近時注目されている「ツイッター」というものを活用してみたいと数ヶ月前から思っておりまして、本日3回目の指導を受けました。

 このホームページに今まで同様アクセスしていただいてもよろしいのですが、「ツイッター」は文字数が160字に限られていますので、その日の日記のタイトルと簡単な内容を紹介させていただきます。

 興味の無い時はそれにて終わりと出来ますので、「私のアホダラ教」にお付き合いしなくても済みますので、良かったら活用してみてください。

 なを、私が参加登録しますのは「みんなの声のつぶやき」という欄(コーナー)です。

    そして、その声の中に「年金生活者のつぶやき」という欄の提案をしました。
 
 採用されるかどうか分かりませんが、今後マスマス増加する高齢者の声が反映され、意見交換できるコーナーになればと考えています。

 ところで、私のツイッターのアドレスは、http://twitter.com/k_taiki です。 <k_taiki>のファイフォンはアンダーバー<_>ですのでお間違いのないように。




 COLUMN 1−D 1213
                                平成22年1月11日・記

  名古屋河村市長は
     数年後、改革者との評価を受ける人になる

  〜気付いた事、入力すれば、気治まる〜


 今年の課題、実行したいことを書き出し、緊急度、重要度、難易度で点検してみたら、完全に能力・容量がオーバーしていると認識したのは1月3日のことです。

 なのに、外が寒く書斎に閉じこもっているためか、次々に色々な想いや思い付き、考えが飛び出してメモ用紙に書きとめられています。

 たいしたことではないから、そのままにしておけば良いとは思うのですが、それが出来ない。 大変ありがたいことに、このホームページに入力をすると気が治まります。

 私の思考・行動パターンはジックリ考え、計画してから実行するというものではない。
 それなりに整理したら、直ぐに実行に移したくなる。 自己弁護のためにそれを試行錯誤によって固まってゆくと弁解しています。

 

 今朝、脳裏を走ったのは、名古屋市長・河村さんの”地域委員会”のことです。
 市民税の10%削減が市長の公約どおりに議会を通過したが、市会議員の定数の削減、議員報酬の削減、そして「地域委員会」の設置など、マダマダこれからです。

 結論から言って、私は河村さんは数年後、日本の政治・行政の改革・先駆者の一人であったと大きな評価がなされる方と考えています。

 各地に革新の首長が活躍されていますが、あの名古屋弁で、到底スマートとはいえない身振りと様相で、怒りを押さえ込込んだ目の奥から発している視線と姿を見て、

 私は名古屋市民ではありませんが、同じ愛知県に住むものとして嬉しくなってしまう。 愛知県・名古屋を田舎者と侮る友人にそのうちに目に物見せてやろうと密かに思っている。
 
   (本当は「田舎者」と呼ばれることに、安堵とどこかに優越感(?)を感じている)

 
 ところで、「地域委員会」のことですが、これは我が町の町内会のことで女房と会話していていた時のことです。

 女房曰く「そんなに言うなら、来年、貴方が町内会長をすれば・・」と言われた。
 私「それはダメだ。 10~15年に1回やってくる組長の集まり、1年間、無難にやし過ごせば・・・と言うのではダメだ」

 が、アッと気付いことがありましたので続けて言いました「その人たちも重要です。皆さんのご苦労で町内会はまわっています」と。

 とは言え、やはり意識ある方の集まりでないと、新たなことは進んでいかない。
 今年は「みんなでつくろう青空市、高蔵寺 和っか市」を計画しておられるNPO・エキスパネットに参加しようかと考えています。

 そこから、考えるだけでなく、言うだけでなく、何か行動をしてゆこうかと思っています。

 それにしても、能力・容量オーバーを自覚していますので、どうなりますことやら・・

        少し気が治まりました。ありがとうございます。

 
  追記

   とここまで入力して散歩に出かけましたら、続きが浮かんできました。
 そして、今朝、再び河村市長のことを報じた小さな3面記事が目に入りました。
  
 それは、私が昨年末に「NPO法人・日本再生プログラム推進フォーラム」に”枯れ木も山の賑わい”と思い、参加・登録したことによって学んだことに関係していました。

 『河村市長は市長のマニフェストを支持する市議選の候補を公募すると発表しました。
 
 議員定数や報酬を半減する議会改革案が否決された場合、議会の解散請求(リコール)に着手する構えです。 議会側にプレッシャーをかける為でしょう。

 「ボランティア精神で議員をやれて家業にしない人を選びたい」と選考基準を示している。


 河村市長自身報酬を年800万円に減額し、退職金も辞退することを表明しています。
 
 この経済状況下、中小企業・零細企業の経営者、そしてそこに勤務する一般のサラリーマンの給与実体と心情を推察し、河村人気が持続していることはもっともでしょう。

    
         そこで、提案です。

 新しい名古屋の都市構想、これから目指す名古屋の姿の提案を示して、信を問うて欲しいのです。
 
 バブル崩壊から20年、充分でない政府・地方の行財政改革はマダマダと考えます。 
 
 政権交代して幾ばくかの変化はありましたが特殊法人、公益法人の数値は全く不明瞭といえますし、そこに天下りしている役人に至っては、自ら改革を始める様子など全くなく、それどころか逃げ回り、酷いのになると隠しおおせると考えているように見えてなりません。


 一方、大企業もトップ自らの責任回避のような事業縮小と従業員苛めのリストラ策ばかりで、一向に自身の首を掛けリスクを張った新しい施策への挑戦の姿は見えません。

 名古屋とその周辺は世界に誇れる伝統・文化があります、「名古屋城文化」とでも表現して、アピールしたらどうでしょうか。

 伝統・文化のみでなく、世界に誇れる輸送機器産業や機械・工業産業、更に航空産業もありと、それらを基盤とし、次ぎと繋ぐ飛躍のチャンスが多いにあります。

       そこで提案です。    新しい名古屋の都市構想です。

 これまでの行政の非効率な所に徹底的にメスを入れる、政治のリーダー達は自らの身を削ってボランティア精神で地域・名古屋の代表として活動することはもちろんです。

 が、同時に中部地方・愛知の中心都市として、30年、50年、100年先の名古屋の新しい将来都市像を示していただき、それを市民に示し・問いかけ信任を獲得して欲しいのです。 
       莫大な選挙費用を有効に生かした選挙をして貰いたい。

 削減、リストラ当たり前、それだけでは新しい力・希望が湧いてきません。
       ありたい姿、目指す方向像を示して欲しいということです。

 NPO日本再生プログラム推進ファーラムには、「都市計画研究会」、「都市再生研究会」も立ち上げられました。 おいおい、検討段階の状況も研究成果も発表されます。

 そのNPOで中身やこれから検討されることの一端を勉強させていただいたので、私の「河村市長への応援と期待・希望」に付け加えさせていただきました。




 COLUMN 1−D 1212
                                平成22年1月10日・記

  1年は早いですね〜平成21年2月のメールから
 
    〜「個の花 咲く」新年号に返信〜  


 「1年は早いですね、平成21年2月10日のメール」とは、以下の藤原直哉さんから頂いたメールを発見し見直しての感想です。

 
  「みなさん、こんにちは。藤原直哉です。
 寒い冬もピークを過ぎ、梅が咲き始め、次第に春の気配が漂ってきました。
 世の中は大変ですが、お元気にお過ごしでしょうか。
 
 遠山郷は今年は雪も積もっておらず(今のところ)、他の地域と同じように雪が少ない年になりそうです。この1月から当社の荒井茂樹が遠山郷の和田地区に住んでおり、また 木沢小学校には越冬管理人として菅原慎一さんが滞在しています。
 
 今月の遠山藤原学校ですが、特に何もないのですが、2月21、22日の土日に行くことに しました。最近本当に多忙で2月はどうなるかわからなかったのですが、行かれることに なりました。もし一緒に来られる方がおられたらどうぞお出で下さい。
 
 21日は午後3時から木沢小学校で今年の遠山藤原学校をどうやるか、いるメンバーで話を しようと思います。また夕方の6時半からは観光協会主催で「遠山郷の未来を考える」と いう座談会があるそうで、それにみんなで出ようと思います。
 
 いつものように宿泊等の手配は高橋がやらせていただきます

 上記のメールのある菅原さんは平成20年の12月より、「遠山郷・藤原学校の越冬管理人として赴任(?)しておりました。 平成21年春には越冬管理人の任務は終了したのですが、
 その後は「遠山郷 和田地区にある道の駅”ゆーらく”」と同じ敷地内にある”遠山観光協会”の観光案内人として、臨時社員(?)で勤務を始め、平成22年1月現在も勤務されています。

 なにやら、期することがあるようで、世界から遠山郷に観光客を呼び寄せる構想、企画を練っているとの噂を聞いています。

 メールの最後尾に書かれています、「高橋さん」の代わりに、現在は荒井茂樹さんといわれる方が遠山藤原学校の事務長として赴任されています。

 彼は「荒井食堂」という名称もあり、事務長の仕事をされながら、「道の駅”ゆー楽”の食堂部門で働いています。 昨年末は3段重・15000円の「おせち料理」を90食作ったそうです。

 京都のとある老舗の料理人がノンビリとユッタリと人生の後半を過ごすということで遠山郷にこられた師匠の元で荒井さんは修行中です。 楽しみです。

 彼らをここで紹介しましたのは、シンクタンク藤原事務所には「このはなさくや=この花咲くや娯楽部」が2007年8月に発足し、藤原事務所の社員全員が執筆者になっておられます。 
 本日1月新年号が送られてきました。 何時もはしばらく積読のですが、本日は一気に読み終わりました。以下のメールを発信しました。

                 

  『このはな・新年号」楽しく・面白く一気に読ませていただきました。 何時もは直ぐに開封はするのですが、ところどころをパラパラですが、今回は連続して全てを読み終わりました。
 新年号ということで、何かが起こる。起こりそう、起こりだしたという感じです。
 
 しかも、多分何処かの新年号と違い、年が明けてから皆さん書かれえた様子が伺え、その分、新鮮さもあり伝わるものがありました。
 
      総合的なエネルギーの高まりも感じました。
 
 NPO日本再生プログラム推進ファーラムが動き始めていることとも関係あるのでしょうか。 
 
 あの燃えるイメージのポスターも合わせて連想しました。 あれは心の内面をビジュアルに表したものでしょう。
 
 これから始まる再生の炎の行動は、メラメラと燃え上がる前のかき集めた落ち葉に、マッチの火を近づけたときの導火がやっと一枚の落ち葉に点火したした時のようなものでしょうか。 

       時には、何度かマッチをすらなければならないことでしょう。
 
 が、一度点火され炎が、縦に横に弱々しく、がジワジワと広がってゆく様を想像しています。
 
 その火がいつの間にか多くの人の中に内在していた想いに点火され、一気に燃え広がってゆく様を想像しています。
 
         今年もよろしく
 



 COLUMN 1−D 1211
                                平成22年1月10日・記

   「貴方の息子を信じなさい・・」にメールあり

   〜「みろくの世」とは、「曙近し」とは・・・〜


 メールの内容を要約しますと

 「結局、君の心の持ちようである。 が、親子の断絶、地域社会の崩壊の時代にあって”自分の息子を信じよう”とする君は幸せ者である。

、証券マンは少々の嘘を言っても手数料が欲しいか、自社の推奨株を消化したいだけである。今後の君の幸運を祈る。

 しかし、君の時代認識と出合った事柄から、蓄財の考え方・方法を決めて行ったのかは、面白かった。 それが今のところ正解であったことにおめでとうといいましょう。」


  続いて以下の事柄が追記されていました。
 
 「今後世の中はどのようになるのか。狼爺の見解を聞きたい。
 
 特に、君は平成20年の年賀状に「みろくの世近し」と書き、平成21年は「明るく・温かな”曙近し」と書いて送ってきました。 
 
        その「みろくの世」とはどのような世界か。

       また、君が「明るく・温かく”曙近し”と書いた理由は何か」


 このように正面きって質問というか、問い詰められると困ってしまう。
 イイカゲン修行僧が深く考え・検証して書いているのではなく、その年の・ある時閃いたことで、自分自身がそうだなと納得というか、「これでいこう」と簡単に決めていることだからです。

 強いて言えば、日常の生活のあっても「ああーだ、こーだと理屈を並べていることよりも、素直に・自然に・時には夢の中で閃いたこと・フト気付いたことを実行している時の方が上

手く行っていることが多いような気がしていますので、年賀状の文句もその延長線で書いております。

 「みろくの世」とは、その関係の書物を読むと色々と書かれているが、要は穏やかで・静かな世界で、得した・損した、勝った・負けた、倒した・倒されたなどと角突き合わしている現世界とは異なる世界と思っています。

 
 話少し変わって

 その世界に行く、「あの世」観、死生観について、1月9日の中日新聞・文化欄・人生のペ−ジに、柏木 哲夫さんがこんなことを紹介されておられました。

 アカデミー賞をとった「おくりびと」の中で語られている、日本人の死のとらえ方、あの世観が見事に示されている場面が在ると言われ、「死は門」との言葉で紹介されています。
  
  それは火葬場の火葬炉の前での会話で、職員は「門」という言葉で死を語った。

 『死というには門だと思う。みんなこの門を潜ってむこうへ行く。 私は門番として、この門から沢山の人を向こう側に送った。 私もこの門から向こう側に行く。

 そしたら、私が送った人とむこうで会えるだろう
』と。

          すいません、質問の答えにはなっていませんね。

 「みろくの世」とは、色々と解説できるでしょうが、私にとってはこちら側で喧嘩したり、騙したり・騙されたり・泣いたり・笑ったり・怒ったりしたことも、向こう側に行けば、みんな静かで・穏やかな世界ではないかと思います。

 他の宗教ではそのような解説も説得もしていません。モット戒律厳しく・厳格な日々を過ごせと教えているようですが、怠け者、イイカゲン修行僧には付いていけません。

               この程度で許してください。

 「曙近し」とは、多分何処にその「曙の兆し」でもあるのかとの詰問のように取れますが、これまでの私たちの行動を振り返って見ますと、反省しなさい、天に唾掛けているのではないですかと諭されているような年月を過ごしてきたのではないでしょうか。

 その辺を反省してみると、今通過している世界の向こう側に一条の灯りが見えるような気もしないではありません。

   最初にご指摘いただいたように「正に、心の持ちよう」のような気がします。

          これまた、この辺でお許しください。


  
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