COLUMN 1−D NO1230
平成22年1月31日・記
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寒中の遠山郷でしたが・・・
実に心身の癒しを感じた2日間でした
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自分で計画した課題消化に振り回された1月でした。
1月30〜31日は遠山郷に行くことが決まっていましたの、それに合わせて必死でした。
が、1月最後の週は中部大学の最終講義週、そこに27、28、29日と連続興味のある名古屋市内での政治・経済講演に参加しました。
抽選のある講演は外れればとさえ思っていましたが、そんなときは当選するものです。
29日の夜は遂に、何年ぶりかで午後の11時過ぎまでパソコンの前でした。
翌日遠山郷へ出発する前に、前夜の修正をしようと思いましたが、何処に保存したかを忘れてしまい、探し出すのに時間を使い、予定時間をオーバーして家を出ましたが、一応予定課題をクリアーしておりましたから、気分は上々でした。
が、睡眠不足で恵那峡サービスエリアで、一眠りとなりました。
予定時間を少しオーバーして旧木沢小学校に到着。
そこからなんと贅沢な時間となりました。 NPO日本再生プログラム推進フォーラムの代表理事・藤原直哉先生と二人だけの時間をタップリ頂きました。
事前に先生にお伺いしたいことをメモしてゆきましたので、大正解です。 明確に、丁寧にスラスラとお答えいただきました。 のみならず、私の思いを口にしますと、ジックリと聞いていただき、嬉しいやら・楽しいやらでした。
そればかりではなく、隣村・天龍村の温泉「おきよめの湯」にも同行、片道50分をまたまた目イッパイお話を伺うことが出来ました。


午後5時過ぎになると、地元の方々も交えての交流会となりました。 ただ単に、お酒を飲むと言うだけではなく、今年も木沢活性委員会は大きなテーマがイッパイですので、どのように対応するかの話し合いも平行線で進みました。
進めるには人財が必要です。 藤原学校・遠山事務長が居られるのですが、その彼が道の駅・ゆー楽の料理長に専任で担当することが、この数日間の内に決まり、後任者の問題がありますが、簡単には決めれることではなく、只今現在は持ち越されています。
「遠山森林鉄道の復活」、「その発着場であった停車場の土地と建物の活用課題」と限界集落の人財だけでは、手に負える課題ではありません。
更に、今年は昨年以上に遠山郷への来訪者が予測できます。嬉しい悲鳴です。
1月もアッいうまに過ぎてしまいました。 節分だ豆まきだと言っている間に2月も過ぎます。
4月に開催される「遠山・和田の諏訪神社の御柱祭り」に通じる、旧街道を歩いていますと、数輪の梅の花が咲き始めていました。
寒い・冷たいなどとは全く感じず、心身共に癒された2日間でした。
2月は「旧正月の新年会」ということで、お会いしましょうと遠山・木沢を後にしました。
COLUMN 1−D NO1229
平成22年1月29日・記
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3つの講演を聴いて
〜間違いなく、時代は大転換期です〜
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今月に入り3つの講演を聞かせていただきました。
各講演は90分であり、大変内容の濃いものでした。 詳細な資料があったものは、講演内容を活字化することはしませんでしたが、2つの講演は活字化しました。
3つの内容をエイヤーと短縮したものを掲載します。
3つの講演会に参加して 平成22年1月29日・記
1、「席巻する中国の行方」〜鳩山政権と今後の日中関係〜 中部大学 専門講座
中日新聞社 相談役・論説委員 宇治 敏彦 氏 1月15日 名古屋キャンパス
2、「21世紀は陸と梅のたたかい」 〜2010年の景気・金融展望〜 中部大学 企業経営講演会
三菱UFJ証券(株) 参与・水野 和夫氏 1月27日 名古屋キャンパス
3、「鳩山・オバマで日米関係はこう変る」 〜緊迫する日米関係〜 (株)コムテックス・経済講演会
ハドソン研究所客員首席研究員 日高義樹 氏 1月28日 名古屋ナヴィアパーク

1、「席巻する中国の行方」
・これは6回の連続講座になっており、その第1回目です。
・これからの講師陣の顔ぶれから判断して、リーマン・ショック後の世界経済・金融の混乱の中、いち早く思い切った財政出動をした中国は、
2010年にGNPで日本を追い越し、2030年には米国に並ぶと言う、成長期の中国の益々の可能性を論じる講師陣の登場と成ると予測される。
・第1回目の宇治氏も過去40数年の新聞記者として中国を中心とした取材を通じて、日中国交回復当時のような盛り上がりまでは無いだろうが、それに劣らぬ日中関係の構築が期待できるという視点から語られた。
・そこにあって目指すべき日本の方向性として、「ポスト工業国家のモデル国家」となる。
具体的には@高齢化のモデル国家 A高技術のモデル国家 Bサービス国家・高いサービスのモデル国家と提言された。
・第2回目の講座は翌週(1月22日)、30代半ばの中国人女性講師の「中国の経済現状と人民元の行方」についても、基調的には今後の中国の成長発展は間違いないであろうと語り、その口調にはどこか誇らしげに感じた。
2、「21世紀は陸と海のたたかい」
・当面の景気の二番底は避けられないと語りながら、グローバリゼーションとデフレについて、デフレ脱却は出来ないと断定しておられた。
・それよりも、モット長いレングスで時代を眺めて居られ、21世紀は「陸と海のたたかい」という観点に多くの時間が費やされた。
・「成長とインフレが全てを解決した時代」は終焉したと談じられ、過去16世紀以来=陸の国(スペイン世界帝国)からイギリスそして米国と展開されたヨーロッパのグローバリ化・資本主義化は地球上の10億人の豊かさをもたらしたが、21世紀の全地球的なグローバリズ化・資本主義化は57億人の成長「期待」であり、これは不可能な願いであると言う。
・では、高齢化・少子化で成熟社会した日本のこれからはどうすればよいか。
一部口を濁していたがこれまでの海を支配していた欧米・米国追随一辺倒から脱し「陸の国」へと転換=東・南アジアとオセアニアの共同体を目指す。
・そこでの方向性は近代を卒業(ゼロ成長モデル=脱近代モデル)の日本を創り上げてゆく事と提言した。
3、「鳩山・オバマで日米関係はこう変る」
・講師は求められたテーマ=タイトルに拘らず、オバマ誕生から1年間の米国の状況についての見解が多く時間を費やした。
・その内容は「オバマの景気回復策は失敗した」よって、国民は冷たい目で見ている。では、その失敗の要因・内容についての詳しい解説があった。
@金融機関のコントロールに失敗した A新しい「健康保険制度」は失敗した B対中国との関係では左に行きすぎた。 C中東問題は泥沼に入り込んだ。
・このままでは、本年の中間選挙で民主党は負けるであろう。 オバマ、民主党が負けることによって米国は政策転換できるかどうかが問われている。
・オバマはこの間失敗したこと(特に1年間で300兆円というアメリカ建国以来の200年分以上の財政出動をした)再び実行しようとしている。
・大衆からの支持があると見られているオバマを真に支持しているのは、大企業であり、マスコミを支配している一部の企業である。
戦争を避けると言いながら、アフガンへの介入を止めないのは、かって支持率が低下した時、ルーズベルトがとった選択「戦争」に向かうことによっ
て、国民の目をそらす事である。
・対中国に関しても入れ込みすぎである、中国の実態は@共産党の顔の無い官僚支配であり A中国の老齢化は進んでいる B資源、一番肝心な「水」資源は枯渇している。西部大開発で成長と言うがその先にはロシアがおり、回教徒の国である。
・その中国に顔を向けている鳩山・小沢政権にアメリカは怒っている。沖縄等の外交問題でも外交交渉の要=秘密裏に事をまとめると言うことが出来ない鳩山首相に何を考えているのだと言う思いである。と語った。
・最後に、日本は「自分の事は自分で守る」(これは憲法を改正し、軍隊を増強して国を守るということではないと注釈)
・小さな技術の開発は日本が優れている。世界の先端技術である。それはアントレプルナー=小さな会社が生み出している。
・直ぐはよくならないが、米国は変る。鳩山・小沢は米国が良くならないと思っているのか。 すると・・・
(注。加藤)〜日高氏はオバマ政権誕生に反対であった。 その意見のために米国民からは良く言われなかったが、「私が間違っていたのではなく、オバマを選んだ米国が間違っていた」と数回語られた。
と言いつつ、アメリカをこよなく愛している、米国の良さを評価している。思い通りにならない現状に苛立ちを覚えているのだと感じた。
さて、3つの講演を聴いて、勉強して私の思い、考え方を纏めなければ意味がない。
1、世界は、時代は間違いなく数百年に一度の大転換期の中にある。更にこの現象が我々の生活面にも直接影響してくる。
2、それは素晴らしいことである。 これまでの矛盾が行き着く所まで行き着いた結果なのだから、素直に反省し、生き方をかえること。
3、一人では生きられない。誰かを頼っていてもこの矛盾や問題点は解決されない。
4、よって、自ら動き出さねばならない。それは試行錯誤の日々である。
5、同じ方向性や思いの仲間・ネットワークの中からこれからの生き方や集団のあり方の成功モデルが出てくる。それを見習う。
6、足を引っ張る、あるいは傍観者になることではなく、それぞれが持った得意分野で参加すればよい。
7、今年の初めにあげた「私の本年の課題」を確実に実行してゆこう。
8、「健康第一」心身共に明るく・温かく・楽しく・愉快に、そして穏やかに。
COLUMN 1−D NO1228
平成22年1月28日・記
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本日、出会った言葉
〜天木 直人さんの「メルマガNO28」より〜
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かって、自民党政権が下野した時、首相に就任されたのは細川さんだった。
その細川さんに、天木さんがデトロイト総領事をされていた頃の昼食時、あまりにもアッサリと総理の座を投げた細川さんに「もう少しあの時粘っていれば・・・」と話されたことを語った後に、以下のことを紹介しています。
「・・・古代ローマが外敵に攻め込まれ全滅の危機にさらされたとき、元老院はこの危機を救いうる人物は川の彼方で農作業をしているキンキナトゥスしかいないとの結論に達し、彼を独裁官に任命して全軍の指揮権を与える。
おそらく彼はそれ以前になにかの折に軍事的才能を発揮したことがあって見込まれたのだろうが、彼はその期待に応え敵を撃破する。ローマは彼の働きで救われた。
それを成し遂げたあと、キンキナトゥスは半年の任期をわずか半月で返上して、さっさと元の農民に戻ったという。 誠に見事な胸のすく行動ではないか・・・」
政治に恬淡とし、大事を成し遂げずに首相の職務を手放し、以来一切の政治から縁を切って恵まれた晴耕雨読の世界に安住する、そんな恵まれた細川氏が何を言っても、いまひとつ私の心響かないところはある。
しかし、彼がこのエピソードで例示する指導者像は、1月26日発行のメルマガ第で書いた私の
指導者像とつながる。
「様々な分野で活躍し、その道で実績を上げ、評価される者たちが、人生の一時期において政治家に
なり、私利私欲を捨てて国民のためにその能力とエネルギーを燃焼する。 その後は、後に続く有能な
者たちに次々とバトンタッチしていく」
いま国民がなすべきことは無数のキンキナトゥスを見つけていくことである。
それが可能な政治の仕組みが必要であるということだ。
小沢、反小沢の権力闘争にのめりこむ時ではない」
〜私は目先の出来事や新聞記事に惑わされながらも、このところは”行く所まで行かないと、この現状から脱皮することは出来ない。崩壊こそ創造の始まりではないか”と時間の経過と共に、その思いが強くなっています。
キンキナトゥスのような人物が出てくる、隠されている可能性はあると考えていますが、それにはどれ程の時間が必要なのでしょうか。 天は意中の人物を送り出すでしょうか。
少なくとも、その人物はこれまでの政治家や官僚、学界、マスコミ界等の既存の権力からではなく、外野の人物ではないかと思っています。
一般大衆と共に試行錯誤しながら、創り上げてゆく息の長い運動展開のネットワークの中から選ばれた者、その人ではないかと考えています。
平成22年1月26日・記
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お知らせ
コラム 2−N NO 312に
「牛乃宮ウィークリー」NO763を読んで
〜父親の心情・愛情・そして勇気を感じた〜
を掲載しました
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COLUMN 1−D 1227
平成22年1月26日・記
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「修行僧日記」を書く効用
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3日間この日記帳を開きもしなければ、書きたいとも思いませんでした。
昨年末から、自分でもどうなっているかと訝るほどに、この「修行僧日記」に入力しました。
この3日間、睡眠前、枕元にメモ用紙をおいてあるのですが、お呼びではありませんでした。
今年の初め作製した今年の優先課題の消化が仕切れずでいます。
テレビ視聴の時間を殆ど削減しましたが追いつきません。
従来は午後の8〜9時には就寝でしたが、連日9~10時となり、時に深夜に目が覚めてしまいますので、睡眠不足となります。
そんな日が続きますと、今度は8時間タップリと熟睡でき気持ちのよいものです。
その辺にもこの日記帳の存在価値というのでしょうか、効用があるようです。
1、思いつく、感じる、考えることが次々に脳裏を走ります。 が、なかなか整理が出来ません。 そんな時、何が言いたいのか、中心点は何かと自問します。
左右・前後に思いや感情が揺れて、一向に整理できないとき、書き始めるというか、入力を始めます。 あるいは書き直している間に、何が言いたかったのかの全体像が浮かんできます。
時に、突然入力していた文字が全て消えることもありますが、消したり、付け加えたりが自由なワープロは実に便利です。
2、それなりに納得して書き終えて仕舞えば全くたいしたことではないのですが、しかし私自身にとっては、気持ちが落ち着きます。
それで出来上がったとか、完成したとかでは無く、まして実行計画が出来たというものでもありませんが、今現在気付いていること、考えていること、忘れてはいけないことが活字化され残されたという安心感が持て、「苛立ち」が治まります。
殆ど、その程度のことで終了します。
ただ、近頃はこれら日記はパソコンに保存しているだけなので、何時飛んでしまうかを心配、気がかりでもあります。
息子に時折バックアアップの作業をしてもらっていますが、その保存したものが何処にあるのか、どのように引き出したらよいのかは別問題になっており、新たな危惧の種になっております。
本日は他に書きたいことが数枚メモされています。 プライベートなメールもあり、ここに
登場する事柄でもないのですが、相手さんにご迷惑にならないと判断できるものは掲載します。
この日記は知人、友人へ当方からの「生きている情報」であると同時に、少しばかりは刺激材料になっているようなので・・・・
COLUMN 1−D 1226
平成22年1月23日・記
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予感、推測、閃きを書く (その5)
中部大学 専門講座「席巻する中国の行方」第2回
〜中国の経済現状と人民元の行方〜
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『世界は800年に一度・東西の覇権が変動する』との説を発表したのは誰か忘れてしまった。 近時では浅井隆氏が時折この説を紹介し、今がその変動の時であると説いている。
その説を我流で解釈すると、11世紀の末(1096年)の第1回十字軍の開始から始まるエルサレムでの東西戦い、14世紀のイタリア・ルネッサンスとその後の大航海時代から、近代・産業革命を通じて世界の覇権を掌握していたのは、地球の西側ということになります。
そして、今その覇権が西から東に移行しつつあるという。
一極支配者であったアメリカの衰退は日増しにその色を鮮明にしています。
そのアメリカに抗しようと犬猿の中でもあった独仏が手を結びEU連合を引っ張ってきましたが、2007年の米国プライム・ローン問題、続いて2008年の「リーマンショック」でアメリカ以上に大きな痛手を受けています。
その間にBRIC,S(ブラジル、ロシア、インド、中国)の新興国の躍進が伝えられていましたが、2008年後の世界金融混乱と経済停滞後に、思い切った財政出動で、いち早く手を打った「中国」の勢いが連日報道されています。
さて、昨日開催されました「中部大学・専門講座の2回目は”中国の経済現状と人民元の行方”」でした。

↑中部大学・名古屋キャンパス・6F大ホールは定員オーバー(180人)立ち見あり
横浜国立大学卒業、経済学博士で、中部大学の国際関係学部の講師の羅 立新さんでした。 年齢は分かりませんが、まだ30代半ば(?)の小柄な女性の先生でした。
多くの中国出身の教授を知っているわけではないですが、私の心情がそのように感じさせるのでしょうか、中国出身の教授たちは現在の自国の現状を誇らしく思い、自信を持って将来を語っているように感じます(客観的で冷静に事柄を見、分析、評価する学者にしては・・・)
取上げられたデータは最新の(2009年)経済指標でした。ここでもGDPのことでは、2010年は日本を追い越し世界NO2に、そして2020年には米国に追いつくと言うものでした。
その他「税収」、「外貨準備高」、「貿易収支」、「小売売上げ高」、「不動産」、「消費物価」など、細かく見れば問題点はありますが、どれも元気イッパイの成長数字です。
納得させられる内容であると同時に、危うさも無いではありませんが、冒頭に書きましたように「世界の覇権が800年で転換する」という説を思い浮かべながら、そのときはやはり中心となるのは中国なのだろうと思いながら講演を聴いていました。
私が参加・登録している政治・経済関係の各種会の先生の中には、中国に関して全く異なる意見を持っておられる方がいます。
方や、「5年後に中国が世界の覇権を握る」。 方や、「中国のあらゆる面での危うさは、間違いなく火を噴いて、中国は分裂する」、というようにです。
最後に、加藤の予感。推測、ヒラメキからは・・・・・
天気予報方式で書きます。
中国は次世代の覇権国家となる。
・イエス→60%、
・経済開放派と軍事力を背景とする勢力の衝突、あるいは調整不備により混乱する(ここには少数民族の不満が爆発するも含める)→20%。
・残りの20%はこれからの世界情勢と中国の国内問題(少数民族、農村部と都会の貧富の差)
人民元は世界通貨となりうるのか。
・イエス→60%、現在水面下で、静かに条件整備を続けられており、かなり進行しているとも聞いている。 米ドルとの綱引きが当分続く。
・発展途上国へのアプローチ。資源国へのアプローチ。 一党独裁だけあって、民主主義国家とはその決定のスピードと大胆さに大いなる差がある。
・どちらが良いの問題ではないと考えますが、私はジックリが良いと思う→成長段階の国ならば可能でも、成熟した国家では出来ない。問題が起こる。
「東アジア連合体」、「アジア連合体」はなしうるのか→30%、中国の政治の安定、経済の発展画前提。
・周辺国への経済支援・繋がりと政治的・社会的な影響力は益々強化される。
・インド、日本とどのような共同歩調がとれるか。どちらにしても、アジアと言っても先頭集団と後発との差はあまりにも大きい、同時に歴史的・文化的背景も異なる。
・主導権の争いで難航。日本が新しい「高齢化社会モデル」、「環境・資源・低エネルギー社会のモデル(生活スタイル)」、「伝統・文化の位相差モデル」を築くと可能性高まる。
・インドの人口70%に該当する貧困大衆が目覚め・立ち上がるか。インドは世界の注目。
「予感、推測」には立場や期待・希望が混ざり合う。
その意味においては、私の立場上からはなんら配慮した発言はいらないのであるから、どの設問に対しても 期待・希望からは60%以上の数値を掲げてもよいと考えます。
「閃き」は純粋な直感とすれば、80%以上で、中国を中心としたアジアの時代となろう。
COLUMN 1−D 1225
平成22年1月22日・記
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我が人生で 一番面白い時を歩いている
〜 何故そのように、 感じるのだろうか〜
写真の掲載がないと指摘されました、日記とは直接関係ありませんが、ここ数日のカメラから・・・
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30代前半、いや後半の38歳までは「躁鬱症」の性格で、春と秋の2回悩んでいたと言うか、苦しんでいました。
その症状がやってくる、近づいてくることを意識する所から始まりました。
欝の時が過ぎると、今度は時に自己コントロール不可能となり、はしゃぎ過ぎる自分を「イイカゲンにしなさい」と言い聞かせましたが、これまた制御不能でした。
40代以降は、躁鬱症からは解放されたと自己認識はしていますが、他人様からみれば相変わらずの「調子者」に見える・感じておられたかもしれません。
責任ある立場・仕事を担っていたときは、躁鬱どころではなかったということでしょうか。
その代わり、ジワリジワリとストレスがボディーに効いてきていたのだと思います。
45〜6歳で「頚椎症」の症状が発症、それ以来今も、手足が痺れることからは解放されていません。 しかし、あの激痛からは1998年・春の3ヶ月の入院治療をもって、解放されています。 (この年に、退職しました)

↑↓例年なら数度登場します「ロウバイ」です。 新しいデジカメの操作が充分習得 されていず、ピンボケやカメラ角度が悪いです。
1月21日の冬の雨の中。 今月イッパイは甘い香りが広がる庭です。

当時60歳前で、まだまだ奴らには負けないぞと悔しがったり、恨んだり、嫉妬しているとき、 ”痛みの前兆が走り”警告を発してもらい、反省したものでした。
61歳から65歳は移行期だったのでしょうか。
65歳過ぎ頃からは、体調も良く、頭もそれなりに活動しますし、親族・知人・友人との関係も問題なく平穏な日々を過ごさせて頂いております。
昨年末、少し何事も順調過ぎるのではないかと心配となり、「四柱推命のよる運気」リズムも調べました(このことはすでに、この日記に書きました)
さて、何故今が一番面白い時と感じるのか、思いをめぐらせてみました。
毎朝、礼拝の時の後半に読み上げる「天国に通ずる行き方」という、「日月神示」中矢伸一さんが書かれた一文が有ります。
天国に通じる生き方」
1、何事が起こっても感謝で受け止める。
2、自らを省みる、 己の至らなさに気付く心を忘れない。
3、良い友達がたくさんおり、家庭に争いがなく、人間関係に恵まれている。
4、努力を惜しまず、人の倍以上働く。
5、そこそこの富がある。
6、基本的に健康で、病気にならない。たとえ病気になっても、感謝で受け止め、前向き にとらえる。
7、いつも謙虚な心をお持ち、神仏(サムシンググレード)に対して素直である。
8、禁欲や戒律に走らず、適度な欲を持っている。
9、食の節制がある程度出来ている。肉類は避け、ご飯と野菜が中心、腹八分で満足す る。
10、生きていて毎日が楽しく、希望に満ちている。
全てとはいきませんが、自己採点で60点程度は達成していると思っています。

↑ 1月21日、散歩時に
本日、書こうと思ったことから反れてしまいました。
テーマは”人生、今、何故面白いか”でしたので、話をそこに戻します。。
「今」と言うこの時、「狼爺」と言われた私としては、その狼が口にしてた時代が到来したと思えるからです。 が、ゆとりを持って、喜んでいるわけでは有りません。
天意に添った時代に造り変えるには、物的豊かさのMORE&MOREが行き着くところまで行き着きました、「我欲の果て」です。 それでも尚、反省する様子は一向に見えません。
ここいたっては、一度創造の前の崩壊が来なければ気付かない・目が覚めない。
気付かないから反省もしないし、進路も変更しないという状況・状態になってしまった・なっているということです。
別な表現をすれば「大転換期」に直面していると言うことです。
大げさに言えば、有史以来の大きな変化のときではないかと考えます。
14世紀のイタリア・ルネッサンス、大航海時代を経過して、近代・産業革命以降の欧米が支配した時代から、地球を一巡りしてアジアの時代へと転換し始めたと感じています。
近代を表す「合理的、効率的、科学的」がキーワードとしたならば、自然科学から発した思想や研究・開発・発展した技術が社会を支配してきましたといえます。
いまひとつの社会科学の分野である「思い」や「想念の世界」は、時間の経過と共に現実の世界から切り離され、不可視なるが故に、宗教や神の世界と位置づけられ(ときにオカルトの世界として)分離されてこの数百年を経過しました。
本来はバランスよく融合していなければならなかったと考えます。
私には全く理解の出来ない分野ですが、量子力学の世界の発展が、その間の溝を埋め始めているとも言われています。 ここにも新しい時代の到来を感じます。
私の直感はそのような時代の到来を歓迎しています。

↑↓ 毎朝、朝食後、約20分間、素振りと壁あてキャッチボール

今、一つ、私の70年弱の間に蓄えられた知識や体験を活かす何かの役割がありそうだと伝わってくるものがあるのです。 ”自分のものだなどと思うな!”と言われているような気がするのです
そこには精神的ユトリがあると言うか、昔のようにMORE&MOREと追いかけている、あるいは達成したいと言う「焦り」があまり無いのです。
ソコソコで良いではないか、行ける所まで「イイカゲン=良い加減」でよいのではないかと思っていますし、自問したとき、内部から反発してくるもの・「何を言っているのか!!」が昔に比して少なくなったと感じ穏やかな気分でいられます。
それは具体的にどのようなものか、これからの日々の過ごし方、行動で分かってくるだろうとこれまた楽しみなのです。
「面白い時を歩いているのではないか」と感じている自分を眺めてみました。
COLUMN 1−D 1224
平成22年1月21日・記
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K教授への送信したメール
〜一度崩壊なければ・・して天意の添っているか〜
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来週で中部大学の平成21年度秋期の講義が終了しますので、その関係の日記と言うか、記録、レポートの類が続きます。
今回も数日前に、この5年間で一番刺激を受けた教授宛にイッパイ飲みながら、一気に入力したものを、読み直しも・修正もせずに送信しました。
先週と今週の講義の折に朝のご挨拶はしましたが、メールのことに関しては、私も教授も触れませんでした。 (1月13日の朝は突然の吹雪で遅刻しました)
が、心なしか講義中に私と目線が多くあったと感じたのはなんだったのでしょうか。
中部大学の5年間で何を学んだか
平成22年1月8日・PM、8・00
0、はじめに
1)平成21年度の中部大学の5年目の「オープン・カレッジ」が終了しようとしている。
2)新年度(平成22年)の実行してみたいことを列挙し、重要度、緊急度、難易度で点検してみた。
3)結果、能力と容量オーバーと認識・確認、どうしようかと思案中。
4)そのことを判断しないまま、「イイカゲン修行僧」の姿でスタートすることにした。
T、中部大学の聴講生になった動機
1)これからの日本、世界はどのようになるのだろうか。歴史に学ぼう!
どのようにしなければならないのか。
2)講義内容を振り返る。
(1)5年間の講義を振り返る
@記憶に残った講義(良かったと思える講義)
A途中で受講を中止した講義(講義面白くなかった、レベルが低い、等)
Bどちらともいえない講義
U、求めた答えは得られたのだろうか。
1)歴史上、どの時代が、どの思想が、どんな視点が、どのように参考になったか。
2)これまでの体験してきたこととの問答であったような気がする。
V、今という時代を考える。
(1)資本主義とその思想、それを乗り越えようとした社会主義・共産主義の現状は・・。
(2)1989年にソ連崩壊、冷戦構造の終焉。
(3)一極支配のアメリカの実情
@9・11事件の発生
Aイラク戦争の展開
Bアフガン戦争のこれから
(4)多極化に向かう世界
@新興国(ブラジル、ロシア、インド、そして中国)の今とこれから
Aヨーロッパ連合のこれから
Bアジア・アセアン・東アジアのこれから
(5)どの国が長期展望と戦略を持っているのだろうか
(6)日本の現状分析と評価
@マスマスあらゆる病状が吹き出る。対処療法では済まされない。
A総合・トータルな発想で対処する考えを持っているのか。
B新たな哲学・理念のもと、社会も、個人もあり方を問われている。
C新たな構造、仕組みの構築なくして明日は無い。
W、世界の歴史のどの時代、どの思想・哲学に学ぶものはあるのだろうか
1)時代はスパイラルに進化発展している
2)同時に、相似形で循環しているようにも思える。
3)何処に焦点を当てるのか。
X、新たな思想・哲学・理念は何故出てこないのだろうか。
1)ヒエラルキーで固まった政・官・財・学界・マスコミは硬直化してしまった。
そこには、新たな発想も、展開も期待できない
2)それは自己保身の世界
3)新たな可能性は「横型リーダーシップの時代」(同心円状に連なった世界)
4)具体的にはNGO、NPOの活動時代
5)試行錯誤の行動の中から新たなモデルが出現する。そこには新たな横型リーダー が・・
6)それは大衆・庶民の時代を引っ張るリーダーの時代であろう。
Y、日本辺境論を読む
1)内田樹氏が語る「日本辺境論」
2)日本人は辺境人である
3)辺境人の持つ特性
4)果たして、辺境人は世界に一つのモデルを提供できるのか。
Z、終わりに
1)一番刺激を受けた教授の来期の講義が「歴史の方法」、何が又学べるか。
2)人生に答えなどあろうか。学び続けること、そのことが重要。
3)今年も「好きなこと」、「納得できること」に時間を当てよう。
以上・一気に項目を入力しました。大項目、中項目、小項目、グチャ・グチャであるが、その一つ一つのタイトルに私の感じた事、考えていること、言いたいことが入っているのだろうと思います。
女房は「南遊の会」で名古屋へ。 イッパイのグラスが空になったのでこれにてお仕舞い。
そして、翌日の日付で、以下のことが追記されていました。
追記 平成22年1月09日・記
・マルクス主義は復活するのか。今時、評価すべき視点は何か。 主義、思想で生かせるところは何か。
・資本主義の矛盾や問題点の克服以外にも、何処に見るべき思想があるのか。
結局失敗した、価値無いものと葬り去っていいのか。
・縦型組織は(あらゆる組織、政党、官僚、会社、労働組合も)トータルあるいは俯瞰した視点でもって現実を見ていない。現象面にとらわれ、対処しようとしている。しかも、それは本人自身の保身からの発想と行動である場合が殆どである。
よって、一度組織が崩壊してしまうことのほうが早く問題解決をするのかなとも考えるが、その状況になった時の社会の混乱との度合いはどうであろうか。
その判断は天がすることなのであろう。 天意に沿っていなければこの時は過ごせない。
COLUMN 1−D 1223
平成22年1月21日・記
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予感、推測、閃きを書く (その4)
〜 歴史から何を学んだか、学べるか〜
5年前、1年前、そして本年・現在のこと
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平成17(2005)年4月、中部大学のオープンカレッジの聴講生に応募した動機は、「これからの世界はどうなるだろうか」と言うことだった。
その年の秋にこのような感想を書いています。。
「世界歴史を学んで」 記 2005(平成17)・11・11
@ 歴史には短いスパン、あるいは長いスパンで変化してゆく。
EX、中国・・隋は短く、次ぎの唐の時代は長い。モンゴル(元)は短いし、明・清は長い
ヨーロッパ・・ローマは長く、その前後は短い。
A 外的要因(環境、気象状況、競合関係)にもよるが、決定的なことは内部からの崩壊である。 (親子、兄弟、主従、有力者間の戦い、争い)
歴史を後から眺めてみると、全てが定められた運命のように見えてくる。
必要な時に必要な人(集団)が登場してくる。
B どの時代にもサイクルがある。誕生〜成長〜最盛期〜下降線〜衰退〜消滅
どの時代を見ても早い・遅いはあるが、ひとつの時代の波の中で、あるときを境に次ぎの時代の波(流れ)が内包され、育まれている。
やがて入れ替わる。力で奪い取る事もあれば、熟して枯れ落ちるように切り替わる事もある。大抵は武力(力)であるが・・・
・サイクルにも大きなサイクル(波)と小さなサイクル(波)がある。
激しく、短期に変化する波は時間の経過を待っていれば、落ち着き元の流れ
の中に吸い込まれてゆくが、大きな波の場合は消えたように見えるときもあれば、止まっているようにも見える時もある。 が、決してそのまま止まっていることは無い。
・1990年日本でバブルが崩壊した。これは世界でこの60年間に起こったバブル崩壊で世界でNO1に早い出来事であった。 日本はその意味で先頭を走っている。
・それから既に16年目、小泉政権が2006年春で(?)5年を経過しようとしている。 20世紀の古い体制、仕組みを脱し、「新たな時代を創設したか」との弁が聞かれるが、大きな間違いである。 この程度の改善・改革でことが済むようなものではない。
・これまで続いた大きな、大きな波は衰退期を向かえやがて地平線のかなたに消えてゆく。
決して混じることなく、21世紀の波が20世紀の波の下から時折顔を覗かせている。
それが見える人には20世紀の仕組みの中で、弾き飛ばされた負け組みと言われる方々もいるし、其のことをチャンスとして見たて、考え方、行動を変化させた人、自ら気づき乗り換えに成功した人たちもいる。(中にはブツブツと不平・不満を述べてふて寝をしている人もいる)
どちらにしても、この大きな波は止めようがない
C国家運営(経営)、特に他民族支配の場合は、「緩やかで、非支配層の文化を認め・許した運営をした場合は長続きしている。 時にはその文化を吸
収し、混合同化することもある。 これはゲルマン民族の大移動後のヨーロッパ中世〜近世に見られるが、歴史の大きな流れから見るとさほど大きなエポックとはなっていない。イスラムも其の傾向が強い。
そして、こんな事がメモにあった。
@覇権の頂点におり衰退の徴候にあがくアメリカ・・内部の混乱が見え隠れする。
A15世紀〜16世紀歴史の最先端を走っていた中欧は、海洋に面し世界の富との交易を可能とする西欧にその地位を奪われた。
其れを取り戻すべくさまざまな行動は、内部に内包する解決不可能=矛盾が矛盾を生む構造になっている民族問題と宗教・文化が争いの種となり、混乱と混迷の中2度の大戦を経験する。
その悲劇の中からEU=ヨーロッパ連合を形成しつつある。 中欧が加わり、更に異文化の国家の加盟が検討されているが、其の試みは過去の歴史を踏み越えられるだろうか?
Bユーラシア大陸の東、「中華思想」「華夷思想」=(「天下」の中心には高い文明をもつ「中国」があり、その周辺にはいまだ文明の恩恵に浴さない
「夷狭」が住んでいる。 徳の高い君主が出現すれば「夷狭」も次第に感化され進んで「中国」に従属し、「中国」の領域は無限に広がってゆく)という思想を持つ国・強大な中国が驀進している。
その国が口を開き、主導権をとろうとしている「アジア共同体連合」はどのように進展するのだろうか? その時、アジアの日本は如何なる国家戦略を持って臨むのか?
C大きな大陸、暗黒の大陸、奴隷の国、未開の地、そして民族紛争と飢餓の大陸=アフリアとの先入観を持っていたが、今年ボランティア参加の「愛・地球博」のあのステージで単調ではあるが力強い太鼓のリズムに乗って踊るアフリカの人々に何度かお会いする度に、かの大陸に親しみを持つと同時に、可能性を感じた。
大きな大陸の東と西、しかも歴史の一部しか学んでいないと深く感じた。(他の地域や国のようなに歴史研究が進んでいないのであろうか?其れとも関心を持つ人々が少ないからなのだろうか?)
平成21(2009)年、後期の講義の時、教授から宿題が出ました。
それは「私は歴史からどのような教訓を与えられたか。」でした。
そこで、私は平成17(2005)の11月に書いた上記の「世界史を学んで」を添付した後に、以下のことを書いて提出しました。
・上記のように4年前にメモしたことに対し、私自身少しは変化し、進歩しているのだろうか。
この歳になっても感覚人間としての資質は変化なく、深く考えることなくその場でひらめいたことを書くことになります。
同じ書くにしても、「100年に一度の出来事」と表現されているほどの、時代の転換期にあるのだから、この転換期に役に立つだろう学んだ歴史の教訓にスポットを当ててみたい。(4年前と同じ視点から眺める)
@繰り返すサイクル(誕生、発展成長、成熟、衰退、消滅)があり、長いスパンもあれば、短いスパンあり。
A栄枯盛衰(外部要因もあるが、決定的なことは内部から崩壊する)
B最後は大衆が決める。
C歴史は必然(必要な時に、必要な人現われる)
D歴史は忘れた頃にやってくる。記録の大切さ。日本は失敗の遺産の積み重ねが無いと言う。
@「繰り返される歴史、今回の歴史は長いスパンの終焉である」
・中世から近代へ。宗教改革、大航海時代から産業革命を経て資本主義社会の形成と成熟、その社会の矛盾を乗り超えようと登場したマルクスの共産主義思想とロシア革命。
・冷戦体制も含めて戦争の世紀の20世紀の終焉は、共産主義社会の崩壊と21世紀入り一極支配のアメリカン・グローバル、自由、競争、市場資本主義の破綻となった。
・このスパンは神が支配した時代(中世)の終わり、すなわち近代の始まりから500年間続いた「MORE&MORE」(物的豊かさの追求、カネに替わっても同じこと)の時代の終わりを意味する。
・世界の強国あるいは帝国の歴史には短いスパンと長いスパンの関連性や法則性は見られないが、今回は長いスパンが続いた、あるいは支配した価値観、思想、理念の下の社会=「MORE&MORE社会」であった。(資本主義であろうが共産主義であろうが物的豊かさを求めた)
・次の時代は「短いスパン」の社会の到来と歴史は示しては居ないが、「ローマ帝国」、「ビザンツ帝国」、「イスラーム帝国」に時代に続いて登場した「神聖ローマ帝国」、「オスマン帝国」の崩壊した後は、短いスパンのしかも分裂した国家の誕生となった。
・それに引き換え、アジア地域を眺めてみると、其の代表は中国であるが、長・短スパンの繰り返しの国家形成になっている。多民族国家であることが背景にあるのだろうか。中央アジア、モンゴル、東北中国、そして南の各種民族。
・なんらの法則性もないが、今回の時代の流れは統合から分散へと更に進展すると考えます。
・私が生を受けた20世紀、「戦争の時代」とも表現されるふたつの戦争とロシアと中国革命、それにヒットラー、日本、イタリアのファッシズムが思い起こされる。
その20世紀も1968年が示す数字は、1913年(第1次世界大戦前年)に痕跡は残っていない。
戦後の経済発展は急速であった。だが、それは第1次世界大戦に産業によるものだった。(ドッラガー『断絶の時代』より)
が、20世紀の三分の二経過したころより、先進諸国を激震が襲い始めた。
『・P・F・ドラッガーはこの地殻変動を、「グローバル化の時代」「多元化時代」、「知識の時代」「企業家の時代」として捉えた。
・また、P・F・ドラッガーは著・『断絶の時代』で、「今や経済も技術も断絶の時代に入っている。われわれは、この時代を更に偉大な発展の時代にすることが出来る。
ここで明らかなことは、技術、経済、産業、ガバナンス、マネジメントの全てが、断絶の時代に入るということである。
つまり、偉大な19世紀の経済的構造物の完成に精を出している間に、正にその土台そのものが変化し始めたのである』と語っている。
・ドラッガーは『断絶の時代』の20年後の1989年、『新しい現実』において、歴史には峠があると書き、更に4年後の93年には、『ポスト資本主義』において、この転換期は2020年まで続くと言った。
・が、今日の世界情勢は、2020年を超えても、今の大転換期は終わらないかもしれない。
われわれ自身が転換できないでいるから、地球規模で課題が山積し、最後は現人類がかけがえのない地球遺産を食い潰し、再び数億年の眠りの中に入り込むよりないのか。 そのような我儘は許されない。
A栄枯盛衰(外部要因もあるが、決定的なことは内部から崩壊する)
・外的要因(環境、気象状況、競合関係)により社会の崩壊はあるが、決定的なことは内部から崩壊する。
・では今回の世界レベルの破綻は、どのような外部要因が決め手であったのか、あるいは決定的な崩壊要因を内部に指摘することが出来るのだろうか。
・と考えた時、誰が栄枯盛衰の主役なのかと考えてみました。→最後の場面では一極支配の頂点に居た米国帝国ということになるのだと考えます。
その尻馬に乗ったイギリス、日本、オーストラリアが目立つ存在ですが、アメリカの意向を受けたリーダーによって国家運営していた国(グルジア、ポーランド、アイスランド等)も同じことでしょう。
・日本は1930年代後、世界で一番初めにバブル崩壊した先進国(?)で、「羹に懲りて、ナマスを吹く」の態度で、リスクから遠ざかっていたことが今のところ「痛手は軽微といわれていますが・・」果たして・・。
本質的に「従米路線」に体の芯から染め抜かれ、抜け出せないでいると言わざるを得ない。
・決定的要因は内部の崩壊ということになりますと、ここから始まると考えます。
前回の大恐慌に学び、今のところは自国のみを考えた「内向き政策=保護貿易」にはなっていません。
・中国と米国はまるで「鵺」のように、米国の過剰消費と財政赤字、中国の貿易黒字と米国債への投資という関係がどこまで我慢できるのでしょうか。争いは起こらないのでしょうか。
・国内問題(米国内失業とドル暴落、中国は格差拡大で軍部の台頭)がいつ火を噴出すか分らない状況下にあると考えます。
・それは、たちどころに幾重にも関連付けられた世界経済の全てに飛び火してゆくことでしょう。
意図した輩による世界戦争への危険は孕んでいます。
〜余談〜 B“最後は大衆が決める”
・日本のリーダーたちには気楽なものというか、現状を正しく認識しているのか、又、問題の本質が本当に分っているのかと疑いを超えて、呆れてしまいそうです。
・「羹に懲りて、ナマスを吹く」と書きました。また「従米路線」の思考しかないとも書きました。
自主性・主体性のない個人、集団、国家は、行き詰まります。這い出すすべを知りません。体が動きません。
・遠くない時間内に「国家破綻」に至らなければ、戦前から続く官僚制度は崩壊しないでしょう。
国家に支払う金がなくなった時、初めて高級官僚は逃げ出すことでしょうから、国民は多くの要らざる犠牲を蒙りましょうが、長いスパンで見た場合はプラスということになるという解決策というか、事態に追い込まれてゆくのではと考えます。 正に国民大衆のレベルが最後に問われていると思っています。
C歴史は必然(必要な時に、必要な人現われる)
D歴史は忘れた頃にやってくる。記録の大切さ。日本は失敗の遺産の積み重ねがない。
・私自身人頼りを一番諌めているところです。 「必要な時に、必要な人が現われる」というのは、人頼りを意味するのではなく、身に降りかかったことは、何事も必然であり、肯定して受け入れたいとの前向きな思いを持って言い聞かせているところです。
・個人も、家族も、職場も、国家も天の意に添っているならば、破綻、崩壊、消滅することないということ。
逆結果がでた時は、それも必然なこととして受け入れるべしとの思いです。
いささか、宗教めいて来ましたが、日々起こることが修行であり、自分自身を「修行僧」と言って約30年、
その日その日でオロオロ、ウロウロしているのですが、それでも何とか立ち直っています。
・最後に、「歴史は忘れた頃にやってくる」。これも歴史は繰り返すという言葉と同義語です。
私も可能な限り記録を残して、反省材料にしています。 「忘れっぽい日本人」「全てを水に流す日本人」などといわれますが、他人にかけた行為は忘れないように、自分にかけられた嫌なことは、水に流せる人間になりたいと思う修行僧です。
・再び、ドラッガーの著書を取り上げます。
「21世紀の諸問題は近代合理主義では解決できず、全体を見て本質を把握すること」
「生まれ育った世界から別な世界へ移り住んできたかのような感じさえする。
17世紀の半ば以降350年にわたって、西洋はモダンといわれる時代を生きてきた。
19世紀にはその西洋のモダンが、全世界の哲学、政治、価額、経済の規範となり、秩序となった。
だが、今日、モダンは最早現実的ではない」(『テクノロジストの条件』より)
・モダンとは、近代合理主義のこと。 正に、世の全ての事象は論理の力によって解明できるとしたことから、近代は始まった。その近代が、まず西洋を支配し、やがて世界を支配した。
・ところが、そのモダンが世界を覆いつくしたと思われた20世紀の半ば、論理だけでは説明できない問題が急増し始めた。
今や、環境問題、途上国問題、人口問題、教育問題など、20世紀が直面する問題は多く、論理だけでは理解不能であり、解決不可能である。
・分解し解析するという作業に加えて、知覚の力によって、全体を全体として把握しなければならなくなった。
命あるものとして見なければならなくなった。
・ドッラガーはこの変化に気づいたのは1950年代半ばのことであった。
『われわれは、一つの大きな転換期に生きている。 昨日のものとなったモダンが、無力ながらも表現手段として、期待の基準、処理の道具として機能している。
他方、新たなポストモモダンが、手段と道具を持ち合わせることなく、われわれの行動を事実上支配しつつある』 (『テクノロジストの条件』より)
・宿題の「まとめ」というよりは、自己反省の「まとめ」になってしまいましたが、これを提出します。
・蛇足ですが、前回提出しました「資本主義の矛盾とは何か」の末尾に、「自然に学ぶ」、「土に学ぶ」と言うことを書きました、今年の年賀状には「額に汗すれば心配ない、心は配れ」と一文を添えました。
平成22(2010)年1月21日です。
本年の中部大学の講義も後1回となりましたので、まとめておきたいと思います。
1、歴史から学ぶことは多いにあり、生きてゆく上で多くの教えを貰いました。(焦ったり、怠けたり、怠惰に成ろうとした時、「それで良いのか」と尻を叩かれる思いです)
2、それにしても世界史どころか、アジアのことも、日本のことも全く知識が無いばかりか、自分の見識・意見さえ持ち合わせていないことを痛感しております。
3、学者の中にはトータルに、マクロに、俯瞰的に語ってくれる方も折られますが、多くは限られた地域、国のしかも限られた時代の研究者が多いように思えます。
そのようにしなければ、事実を把握し、分析し、評価しヤット、ご自分の見解なり、意見が語れるのでしょう。
学生はそのエッセンスを聞かせてもれえるのですから、あり難い事だと思うのですが、多くの学生の受講態度をみていますと本当に惜しいことをしていると思います。
(自分の事を棚に上げてですが・・・。もっと熱心に当時を過ごしていればと悔やみます)
4、ということで、ヤット歴史を学ぶことの面白さと・大切さ入のり口に立ったと感じです。
今回は、学び初めて1年弱の時の感想と、学んで4年が経過した頃の『歴史から何を学んだか」の宿題で提出した原稿を掲載しました。
5、来期は@ローマ帝国から1848年革命までのヨーロッパの歴史を東欧の視点から語る講義と西欧の視点から語る講義があるというので、同時に受講してみたいと思っています。
更に「歴史の方法」と言うタイトルで歴史の学び方を取上げ、そこではヨーロッパ史観とは異なる中国の歴史観と中国に影響された日本。
影響された日本の仏教的な思想と、日本の国学へ繋がる元となる「古事記」、「日本書記」も取上げられるという科目を受ける予定。
更に、「中国の宗教」「中国の近現代史」と本年受講しましたので、この延長線で受講したい科目もあり。
更に更に、新進気鋭の博士号取立ての講師による「戦後の日本のマスコミ論」があると聞いていますので、今年の受講時間3科目でも復習に追われていますので、どうなるのだろうかと悩んでいます。
以上、ヤットここから何を、どのように学ぶかの入り口に立ち、面白くなってきたと言う感じです。
COLUMN 1−D 1222
平成22年1月20日・記
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予感、推測、閃きを書く (その3)
〜 貴方は何型、そしてここからは〜
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戦後の日本人の「家庭内における位置づけの調査」を学びました。
それは以下のようなものでした。
・日本の場合,1973年から5年毎にNHKの「日本人の意識調査」の変化から
・大きく捕らえた変化は
@男女の役割分業の意識が変化した。→「家庭理念」から「男女協力」へ(ドイツも同じ現象)
A25年間で、日本の男性は協力的になり、家庭は平等になった。
その内容を分析してみますと、以下のようです。
・イ)夫唱婦随型〜20%から低減し13%へ、
第2次世界大戦以前生まれの高齢者のウエイトが年々減少してきましたので、この型は減少してきました。と言うことは、戦前型の家庭のスタイルとなります。
ロ)夫婦自立型〜15%から20%へ漸増 、
若い世代に多い型です。自立と言っても何処がどの程度でしょうか。 対等・平等な関係の自立なのでしょうか。
ハ)役割分担型〜40%から14%へ、
1950~60年代の結婚世代、男は外出稼ぎ、女は家庭・家族。団塊の世代。
ニ)家庭内協力型〜21%から46%へ、
70年代後半から80年代に結婚。世代間の差のみならず、年々、新しい世代に影響を受けて、その前の世代にも増加している。 大きな社会変動。
さて、ここからが今度の予測、推測です。
まずは、今後どのように変化するのでしょうか。これまでの分類で済まされるのでしょうか。
イイカゲン修行僧の思いつきでの予測形態を閃きで書いてみました。
予感、予測する時、どのような要因変化が一番影響するのでしょうか。
学者ではありませんので、これまたエイヤーの閃き予測です。
・1)まずは、これからの経済状況の予測から
イ)男は外で収入と言うが、働き場所がどうなるか。収入はどのようになるか。
女は家庭でやりくりができるのか. 女が働くと言ってもパートタイマーは家庭の補助収入(養育費、友好費、小遣い)
女性の正規社員は今後も伸びるのか、 高学歴ほど高学歴者と結婚し、専業主婦になる。
ロ)価値観、幸福感がどの程度転換するのか。
社会の変動に追い込まれての変化か,自発的行動か、またそのウエイトは・・・
→ロハス(健康で持続的な生活)への転換の切り替えと速さによって生き方が異なる
→低エネルギーの生活への気持ちの切り替えと実践。
→これまでの価値観、幸福観念からの脱皮、転換、が決めて。
→蓄えが在るか、無いかの違い。
何が一番キーポイントになるのだろうか。
予測不可能な時代激変の可能性が充分予感・予測される。
(これまでの延長線感覚での調査では意味が無くなる可能性が予測される。)
全く新しい視点での分析、評価、判断項目は浮かばない。
よって、これまでの家庭の型がどのようになるのか、今後どのように変化するのか、
その上で、新しい家庭の型が生まれるのではとの観点から予測してみる。
・A)夫唄婦随型〜戦前昭和型を頑固に通す、妻はそれを許す(それしかない、諦め)
「頑固親父」と言われることだろうが、それ以外はできない。
年金で生活できるか。
・B)夫婦自立型〜それぞれの道を活かす。これまで同様にこのタイプは存続する。
知識、技能、技量のレベルと両者の価値観、生き方共通性は?
それも含めて自立型とすると、家庭は成立するのか。どんな家庭?
・C)役割分担型〜男外で稼ぎ、妻は家庭で。そんなこと不可能、一部のエリート、
安定した会社・組織の社員であろう。安定した組織なんて今後どのく らい存在・存続するのか。
・D)家庭内協力型〜弱くなった男=夢を見れない=勇気も無い=無理しない= そこそこで良い、草食系男性の増加、そこも2つの型に分化する
↓
・D−1 仕方なし=消極的・家庭内協力型〜常に小さな夫婦喧嘩が耐えないか?
ヒッソリと生きましょうとの合意が出来るか。
・D−2 積極的に協力して守り・築く(自立型で協力的な家庭)
試行錯誤して、協力して道を切り開く。
・E−1家庭破滅型〜時代の転換に対応できない。江戸時代末期の武士、プライド高く ・現実に対応できない、あるいは、頭でっかちで体動かず。
・Fー泰然自若型〜バタバタしない。悠然と構え、なるようになると過ごす。
→志ある、腹が据わった夫唄婦随型OR婦唄夫隋型。
以上、7型としてみました。 面白いテーマと思いますので、これからもこれは取上げましょう。 御意見・ご批判をください。
それぞれに対して、もう少しコメントもしてみたいですが、今日はここまでとします。
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COLUMN 1−D 1221
平成22年1月19日・記
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