COLUMN 1−D 1240
平成20年2月22日・記
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「おはようございます」と声掛けたい朝の陽光です。
〜「旅」づき、今度はキャンピングカーでの計画です
車旅計画に関する第1弾
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「おはようございます」 、こんな挨拶から始まる日記を書くのは何年ぶりでしょうか。
今朝も「壁あてキャッチ・ボール」をしましたが、普段の重ね着では直ぐに暑くなるほどの陽光が降り注いでいます。
通学路の「サクラ草」もスッカリ、卒業式や入園・入学に合わせて背丈を伸ばし、花を咲かせ始めました。


とは言え、人間界の方は相変わらずで、長崎県知事選挙は与党民主党推薦候補が、自民系の候補者に敗れています。
予測していたこととは言え、政治と金の問題ばかりでなく、時代が大きく変革していると言うのに、目先の対策に汲々としているのですから、根本的な課題の解決はマダマダということでしょう。
夏の参議院選挙で更に、政治の混迷は深まることと予測しています。
世界の情勢を見ていても、何処の地域も・国も相似形のような状況と言わざるを得ません。
1930年代の世界恐慌と同じように、サブ・プライム問題から端を発した今回の恐慌も今年で3年目にとなり、如何ともしがたい状態に追い込まれてゆくことでしょう。
こんな時には一層学ぶことの重要さを感じないわけにはいきません。
独りよがりに喚いていても所詮は「遠吠え」ですから・・。
実力をつけ、次に供えるなどと言える年齢ではありませんが、少なくとも人頼りの精神だけからは脱却し、心穏やかな日々が修行だと言える心構えだけはしていたいものです。
10期5年の中部大学の聴講生を終えて、そこで得た知識も参考に座学一辺倒から、実体験をしてみたくなっています。
5年の終了を記念し、修学旅行として3月9日より一番学んだ「中欧の旅」に出かけます。
一方、実学としての百姓の春の畑の耕転に時期となりました。 既に、今春散布する計画の「根を元気にする・ひのき酵素」、「土地改良プラス油粕資材」、そして「茎を元気にする・ヒノキのミネラル」も容易万端です。
鼻かぜ気味が直ったら、来週にでも瑞浪に出かけようかと思っています。
この辺で辞めておけば良いものを旅の計画をしていますと、次々に行きたい所が浮かんできます。 今度は国内旅行です。
キャンピングカーで4泊以上の長旅は、平成16年以来実施していません。
全て、旅行社任せの「お誂え旅行」でした。
6年ぶりの計画ですので、効果的・能率的な旅の計画手順の仕方を忘れてしまい、昨日から始めたのですが、行きつ戻りつでサッパリ前に進みません。
このように計画を立てているときが一番楽しい時とは心得ている積りですが、自分でも情けなるほどの段取りの悪さです。
既に1ヶ月前、8年間前のキュンピングカーを購入したときに備え付けたカーナビのソフトが古くて近場の旅でも新たな道路が出来ており、迷うことがありましたので買い替えをしました。
と言っても、既にこのカーナビ機種の販売は終了しており、一番新しいソフトで2007年版でした。
丸2年が経過していますので、新しい道路も出来ており戸惑うのでしょうか。それともここ数年は公共投資が削減されておりますので、新たな道路は少ないのでしょうか。
本日も図上での車旅を楽しみます。
COLUMN 1−D 1239
平成20年2月21日・記
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本当に便利ですね、インターネットは・・
〜中国の人口の歴史を知りたくて調べました〜
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13億の民の中国は何時からそのように大きな人口を抱えることになったのだろうか。
かって、中国の一人当たりGDPは世界のトップ10に入っていたと何かで読みました。
今年中に日本を追い越して世界第2位のGNP国になることは間違いないでしょう。
それどころか、このまま行くと第1位の米国すら、10年といわずに追い越す視野の中に
入ってくるのではと思います。
中国の歴史を見た場合、順調に長い間右肩上がりで発展してばかりでもないと気付き、「中国の人口の歴史」を調べてみたくなったのです。
結果、インターネットからこのような記述に出会いました。
「貝と羊の中国人」広島大学 加藤 徹・著 より
中国の人口の歴史から学ぶこと
人口崩壊という現象自体は、実は、世界的に見れば珍しいものではない。中世のフランスは百年戦争の戦禍と黒死病の結果、人口が半減したと言われるし、近世のドイツも三十年戦争の結果、全人口が三分の二に減少した。
近代における南北アメリカ大陸の先住民の激減と、タスマニア先住民の絶滅は、人類史上最悪の人口崩壊であった。
われわれ日本人は、一度も全国規模の人口崩壊を経験していない。縄文時代の最末期に人口崩壊があったと主張する学説もあるが、それも有史以前のことである。
日本は、16世紀の戦国時代ですら、各地の大名の富国強兵策によって人口が増加していた。あの過酷な第二次大戦のときですら、日本人の人口損耗は一割にも達しなかった。人類史上の例外といえる。
一方、中国は何度も人口崩壊を経験してきた。飢饉や戦乱による直接的な死者数もさることながら、乳児死亡率の急上昇と出生率の低下で、人口は短期間に減少してしまったのである。その「もろさ」の原因は、人口の構造的不安定さにあった。
そもそも中国に限らず、前近代社会の人類の平均寿命はおおむね二十歳代であり、子供を5人生んでも大人まで育つのは2人か3人というのが普通だった。ヨーロッパでさえ、たとえば産業革命期のイギリスの労働者階級の出生時平均余命は20歳程度にすぎなかったという(エンゲルスのあげた数字)。
前近代の人口構造は、どの国でも、本質的に不安定で崩壊しやすかった。
ただ、近世のヨーロッパ人は「捨て子」によって(童話のヘンゼルとグレーテルがその典型)、近世の日本人は「間引き」や姨捨によって人口増加を抑えようと試みた。江戸時代の日本では「田分けは、たわけ」という論理で、次男坊以下に遺産を分けないことまで行われた。
しかし中国では、儒教思想の影響で、財産は均分相続が原則で、老人は大事にされ、子供の数は多いほどよいとされた。人口増加を抑制する歯止めが存在せず、結局、いつの時代も行き着くところまで行くしかなかった。
かくて、中国の人口崩壊は、他の地域に見られぬ特徴を持つようになった。すなわち、
1.周期的に繰り返したこと
2.歴代の王朝政府があらゆる知恵を結集して人口崩壊の予防策を講じた にもかかわらず、結局、人口崩壊の回避に一度も成功しなかったこと
3.人口崩壊のあと、中国は必ずよみがえったこと の三点である。
近代以前の中国は、他の文明圏からほとんど孤立状態にあり、人口の出入りも少なかった。残酷な言い方をすれば、この巨大な「金魚鉢」の中で、中国人は人口崩壊と回復のサイクルという壮大な実験を、生物学の法則どおりに繰り返してきたわけである。
ただし、中国は毎回、必ずよみがえり、現在に至るまで世界最大の人口規模を確保した。これは、シュメールやローマなど他の多くの文明が一度の人口崩壊のあと二度とよみがえらなかったのと対照的であり、驚くべきことである。
中国が不死鳥のようによみがえった理由は何か。いろいろと考えられるが、最大の理由は、「農業」という再生産可能な資源を、ともかく確保できたからである。
例えばシュメール文明が一回かぎりで滅亡したのは、千年以上にわたって灌漑農業を繰り返したため、地下水位上昇による塩害をまねき、農地が荒廃したからである。
中国の場合、南中国では水田稲作、北中国では灌漑によらない小麦栽培を行うことで、なんとか数千年にわたって耕地の地味を保全してきた。
日本人が弥生時代以降、一度も全国規模の人口崩壊を招かなかったのは、島国という地理的条件もさることながら、水田稲作農業という地味保全型の農業を行ってきたことが大きい。その日本の水田は今日、どうなっているのだろう。−−−
現在、われわれが住む地球は、小さな金魚鉢になってしまった。これまで急増する人類の人口をかろうじて支えてきたのは、近代的灌漑農業技術の技術革新であったが、それも限界に近い。
現に、北米大陸ではコンピューターと連動した巨大スプリンクラーを使って灌漑農地を行ってきたが、近年、急速な地味低下が報告されている。
人類は、かつてシュメール文明がたどった滅亡の過程を、フィルムの早回しのように繰り返しているだけなのかもしれない。
どうやら、人類の人口は、あと一世代か二世代で限界に達しそうである。
そのとき、一体なにが起きるのか。こんな不吉な問題提起で筆を置くのは残念であるが、中国の人口史を振り返ることは、同時に、人類の未来を考えることにもなるのである。 (1999.5.20)

↑アセビも色付きました。2月21日撮影
〜こんなに長々と紹介する積りはなかったが、切り貼りするよりは分かり易いと考え、全て掲載しました。
私は中国は西欧の近代化前までは、世界的にみてもGDPが高い国であったが、近代化の遅れが30年前までの中国を形成していた要因ではなかったかと推測したのです。
上記の論文を読むと、そうばかりではないようです。
が、ケ小平首席が「白いネコでも、黒いネコでも、ネズミを取る猫が良いネコだ」との談話から、「先富論」となり、今日の中国の躍進(?)となった。
果たして、そのことが良かったのか、人々を長きに渡って幸せとするのかは、これからのことのように思えてならないのです。
私の考え方・感じ方は、このコラム1−D NO1236に掲載しました。
「席巻する中国の行方」の連続6回の専門講座に刺激されて、俄然、隣国中国に関心がむき出しました。
上海万博も行かなければ、西部大開発の地も見てきたい、更に奥地に入りウイグルもチベットもそして中央アジアまでも足を伸ばしてみたいものだと思っています。
そのためには、一にも二にも「健康ですね」
COLUMN 1−D 1238
平成20年2月21日・記
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平成22年春期の中部大学 オープン・カレッジ
〜 受講科目の選択に 苦慮しています〜
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2月17日の中部大学・オープン・カレッジの修了式で今期・春期の公開講義の発表がありました。
そして、本日新聞折込で一般公募が始まりました。 申し込み期間は3月5日から11日までですが、私は3月9日より「中欧の旅」ですから、休日を挟むので5日しかユトリがありません。
今年の私の課題と優先順位を再チェックすると、学校に向けられる時間は、これまでの経験上では最大4教科ですが、3教科までが無理の無いところと分かっています。

↑外来種の押しやられている日本タンポポ、我が家の庭で保護されています。
人気講義、人気教授には受講希望が集中し定員を超えると抽選になってしまう。
@、これまで一番刺激を受けたK教授の講義を中心にして、ヨーロッパの歴史(特に中欧、東欧、そして宗教=ユダヤ教・キリスト教)と社会思想史を選んできました。
この教授は今回、国際関係学部より文学部歴史・地理学科に移籍され、すでの今春の講義内容のあらましは聞いているので、一つは外せない。 ロシアの歴史です。
A、今、関心ある中国、これまで「中国の宗教」と「近代・現代の中国の歴史」の2教科しか受講していない。 前期、中国歴史のI教授の講義内容は良かった。
そのI教授が担当する今回の講義タイトルは「中国の歴史研究」となっているだけで、どの辺りが中心テーマなのか分からないが外したくはない。
この教授はもう一つ「歴史学特殊講義」も担当される。これまた、内容が分からずで残念だ。「特殊講義」と名づけられている講義は、一段レベルを上げた内容であるから・・。
B、前記のS教授は東欧・中欧から見たヨーロッパの歴史であり、社会思想史であったので、西欧から見た歴史の教授の講義を聴きたいと思っている。
この担当のW教授は昨年、数回シンポジューム等の司会を担当されていたが、興味をそそる切り口で語り、切り込んでいたので期待している。
と、ここまでで既に3教科です。
その他、数教科受講したいものがありますが、講義時間が重なりますので、諦めざるを得ません。
重らないものに「日本の古代、中世、近世、近代、現代」があります。「日本思想史」もあります。「世界の中の日本」という講義もあります。
知らないのは日本こと、もっと日本のことを勉強しなければとこのごろ強く思います。
後、1週間悩んで決めることとします。
COLUMN 1−D 1237
平成20年2月21日・記
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「席巻する中国の行方」 質疑のその後
〜ダライ・ラマの発言、スターリンの復権?〜
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昨日、「席巻する中国の行方」の最終講座のことを書きました。
最後に、私の講演者への質問と意見を掲載したのですが、それに対して教授がどのように答えたかが掲載しなかったために、知人より質問と同時にどのような発言がなされたのかを紹介せよとのメールを頂きました。
お答えします。と言っても正直なところ、教授の回答と言うか考え方はどのようなものであったのかの定かな記憶が無いのです。
1、「MORE&MOREの中国の30年間の政策が、中国に様々な矛盾と問題を起しているのではないか」との問いかけに、教授は大きく頷いておられました。
2、では、今後もこれまでの政策の継続で行くのか、それとも政策の修正がなされるのかについては返事が無かったと記憶します。
3、これまでの価値観から、新たな価値観への移行についても、長い中国の歴史の中に
大いに参考になるべきものがあるから、それらを取り入れてゆくことになろう。
と言うような応答であったとき記憶します。
その応答の間で感じたことですが、講演中教授が自信を持って語った、中国のこれまでの経済成長とこれからも継続し大国になってゆく。 しかし中国の思想として他国に攻め入ることは無いと語ったときの、勢いと明快さが掛けて、少しシドロモドロの姿勢が感じられま
話し変って、本日の中日新聞の朝刊より
訪米中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が全米民主主義基金の民主主義功労勲章授与式で演説した内容が報jられていた。その内容を箇条書きすると
@「今日の中国共産主義者は腐敗している」と批判し、「清く引退すべきだ」
A1950年代の中国には「真の社会主義と階級の無い共産主義社会があった」
B現在の共産党指導部は「社会主義ではなく、金を稼ぐ資本主義でしかない」
C「私はマルクス主義者だ。中国の指導者よりも脳みそは「赤い」。
D現中国共産党は「民衆に支持もなければ、確固たるイデオロギーも無い」
「共産主義的イデオロギーのない共産党」だと。
ここでの、私のコメントは差し控えさせていただきます。

↑気温が上がった21日・日曜日福寿草が満開です。
スターリン”復権”? プラカード掲示がモスクワで計画
この記事も、上記の記事と同日の同紙面に掲載されていたものです。
・ロシアの首都モスクワで、旧ソ連の独裁者スターリンの肖像入りプラカードを、街頭に掲示する計画が市当局により進められている。
実現すれば公式行事での「再登場」はスターリン批判以来、約半世紀ぶりとみられ、人権団体などが猛反対している。
これに関しても私のコメントは差し控えます。 が、
西欧近代化を持って世界を引っ張ってきた欧米の先進国がここに来て、行き詰まり崩壊の危機にあります。
それを批判し対峙してきた社会主義あるいは共産主義も、約20年前にソ連は崩壊しました。
異なる道を歩んだ中国共産党もマルクスやマルクス主義者が提唱した理念や社会のあり方とはかけ離れた姿になり、その矛盾と問題に苛まれています。
資本主義、社会主義、あるいは共産主義のどのイデオロギーも、すべからくどのようにしたら物的豊かさデモって多くの人々を幸せに導く、それ故に物の豊かさを如何に満たすかの論争であり、施策でした。
が、その考え方の延長線上ではこれからの世界は成り立たないのではないかというのが、私の自論です。
では、どのような理念・哲学なのか、それを具体化する価値観、方策はと問われますと、答えは持ち合わせていません。
何時も言っていますように、一部の指導者によって唱えられ、引っ張られて行く社会の構造や仕組み、システムではないということだけは強く感じています。
日々の生活があります、可能な限り楽しく・愉快で有意義な日々を送り、人生を終えたいとの願望があります。
それに向けて、各自が、あるいは同じ思いを寄せ合ったグループがそれぞれに試行錯誤して創り上げる新たな時代が始まっていると考えています。
その中から、多くの人がそれは「いいね。 素晴らしいね。」というモデルが生まれてくると考えます・期待しています。 それが横に広がってゆくのではないと考えています。
COLUMN 1−D 1236
平成20年2月20日・記
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「席巻する中国の行方」 最終講座
2月19日・中部大名古屋キャンパス
「日本への攻撃 ありえない」と中日新聞に掲載
〜私はこのような質問・意見を出してみました〜
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中部大学の専門講座「席巻する中国の行方」の最終講座が開催された。
講師は中国の元外交官で中部大学教授の曾 文彬さんでした。同教授の講演は既に2回ほど拝聴しているので、事前に配布されていたレジメより今回も基調となるところは変化がないと予測できていました。」
当日の会場は定員を大幅に超え、立ち見席までと言う盛況でした。
ここで、講演内容の全てを掲載出来ませんが、中日新聞に掲載された内容は以下のようです。
「曾教授は中国大使館の参事官や長崎駐在総領事を歴任。日本の一部にある中国脅威論にふれ、「全く根も葉もないこと」と断言し、思想的、軍事的な根拠を示した。
思想的な理由は「中国には儒学にある和の哲学を尊び、他国を侵略する国論は起きていない。 日本への攻撃は哲学的にありえない」と指摘した。
軍事的な理由としては「19世紀の列強による侵略を受けて以来、根本的には防衛一辺倒」と分析した。
日本の鎌倉にあった元の襲来にも言及し「お天道様が許さず、天候悪化で失敗した」と話し、笑いを誘った。
其の上で、「両国が今以上に交流を深め、東アジア全体の発展につなげるのが理想」と提言した。」
以上の講演内容に対して私は以下の質問と意見をさせていただいた。
「教授の講演は数度聞いています。毎回明るく・温かく・教授の持つ雰囲気・態度と相まって前向きな希望あふれる話に安堵しています。
教授が指摘された両国の歴史認識、信頼関係、あるべき協力関係についても人並みの知識と理解はしているつもりです。
また、10年の年月を要せずに、中国は政治的にも、経済的にも、軍事的にも世界の1等国・リーダー国になるとの予測もしています。
其の事を前提にしてお尋ねします。
「日本がライフサイクルのおいて成熟期・少子高齢化社会に入っているから、青年・成長期の中国を羨んでいるという気持ちで申し上げているつもりはありません。
ケ小平主席以来の中国の物的豊かさが幸せという「MORE&MORE」の国の政策がここにきて、中国内部に格差問題、民族問題、エネルギー問題、環境問題・等々のあらゆる分野での矛盾と問題を惹起し拡大しているのではないか。
それは今や国内問題にとどまらず、世界的・地球的規模での課題を提起しているとさえいえるのではないか。
中国の沿岸先進都市の様子を見ていると、ニューヨークのマンハッタン、日本の霞が関とも勝るとも劣らない様相を示しています。
西洋近代文明の行きついた先の矛盾の最高潮に達したところとなんら変わらない現象を示していると感じないわけにはいきません。
1.2億の人口の日本でさえ、家庭が、職場が、地域が、社会全体の絆がズタズタとなり、どのように修復、再生してゆくかの道筋すら付けられず、
私は一度創造の前の破壊と崩壊なくしては再生への出発は難しいのではなかとさえ考えています。
そこにあって13億の民を抱える中国が過去60年間・日本が歩んできた道、あるいは現今、金融問題から端を発した欧米を中心とする先進国、更に新興国、途上国も包含した物的豊かさが幸せ、金も持った者が強者との思想が支配する軌跡を歩むとどうなるのでしょうか。
このままMORE&MOREを続けるならば、中国国民にとっても、また、更に一層の世界のリーダー国になることはほとんど予見できる中国として長い歴史の中で評価されることから流されることになるのではないか、それゆえにここで一度立ち止まり考え直す時ではないかと考えます。
国の進路・方向性を見直す、物的パワーに強い国だけではなく、文化的にも尊敬される国としてのリーダーとしての道を歩む中国になることではないかと提案しますがどのようにお考えになりますか。
中国に6000年との言われる歴史の数々の教訓があるのですから・・

↑オキザリスの白と赤が咲きそろいました
↑ この写真は2月21日です。この日は気温が上がりました。
(その場で、発言はしませんでしたが、
これまで30年間の中国の歩み、方向性を止めるとなると、国内政治は大変なことになるだろうと予測しています。
それは経済成長を前提とし、「社会主義市場主義」を打ちだし、今日までの成長を引っ張ってきた政治リーダーと、常にそれに反発するた形で見え隠れしている政治・軍事集団、そして歴史的に「盲流」とも言われる下層生活に強いたげられている数億の民の群れ。
其の上に民族問題を抱える中国は、これまでの路線を推し進めざるを得ないのだろう。 其の事がさらに取り換えしのつかない事態を招くとしても
・・・・。 中国にそれを可能とする新しいリーダーが生まれるのはいつか。
翻って、日本にも現状の事態から脱却の旗を振れるリーダーは出現するのか。当面は日本は大衆の横の連携から運動が始まることだろう。
既にその走りは各所に散見される。私も参画しようと思っている)
また、こんなことも考えました。
「米国の世界戦略上重要な役割を果たした日本、やがて成長し可愛い・貢物をいっぱい持ってくる娘となった、娘はいつの間にか妾・日本となった」と大男アメリカは思い安心していた。
それが近頃、大男の勢いと力がなくなると、言いなりになる妾と思っていたが変化が現れた。 資金のほしい大男は”妾を抱き込み心中”しようとしているかに見える。
綺麗で利発、手先が器用で技術も開発能力もある娘をいつか娶りたいと思っていた西の太国・中国があった。
西の大国はここ10数年の間に、力をグングンとつけた。
妾としてではなく娘と良い仲になりたいと思っている。 娘の心はそれまでの大男との関係もあり、心穏やかでない日々である。
一方、大男・米国と西の太国・中国の関係は 大男にジャブジャブと買い物をしていただき、懐が豊かになった中国は、米国の国債をドンドン購入した。
其の結果米国を脅かせるまでの力をもったが、ジャブジャブとまではいかないまでも、お買い物をしてくれないと困ってしまうことには変わりはない。
大男同志はハリネズミが抱き合っているような関係であろうか。
3者の関係は二等辺三角形から正三角形にこのところ変化したといわれる。 さて、これからどうなるか。
どうなるかではなく、娘でも、妾でのない、自立した・主体性のある女性としてどのように生きてゆくかの時にある。」
待てよ、其の時、娘らと同居する息子・男性の存在と役割は如何に・・)
其の時には申し上げませんでしたが、本日、以上のことをを書きながら、思いました。
こんなことを言っておられるのは、、あの戦後の混乱からの再生・復興を切り抜け、数々の幸運に恵まれるとともに自らの努力も加えて高度経済成長を成し遂げました日本。
国民全体が物的には豊かになり、そしてあのバブル崩壊と、その後に続く「失われた10年とも20年とも」言われる時を体験し、昨年の8月30日「市民革命と言われる政権交代」という体験をしてきたからこそ口にできることなのでしょうか。 でも、今のところなにも変化していません。
中国と言わず、世界の70%の人々は物的な満足はなく、それどころか日々の食料にさえ困窮されています。
そんな立場にいる方々に、先行した者としての言い草なのであろうかと・・
ニュージーランド旅行に続いて、3月9日より「中欧4カ国への旅」の事前勉強と準備をしています。
書物や講義から学んだ知識だけでは飽き足らず、この目で、耳で、肌でそれぞれの国の歴史と今に続く今日の現状を直接体験してきたいと、痛烈に感じるこの頃です。
COLUMN 1−D
平成20年2月19日・記
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お知らせ
エッセイ「旅日記」を開いていただきますと、「ニュージーランドの旅日記」が見当たりません。
次回の旅日記の準備に入りました。
「このページ以前のコラムはこちら」表示をクリックしてください。
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本日は「席巻する中国の行く行方」の最終回です。
6回の講義で分かってきたことですが、中国人の教授による講演は、いささか話の内容が見えてきてしまいます。
明るく・前途洋洋の成長と発展の可能性を語るのは良いですが、中国の数字統計に対しての信憑性が色々言われています。
同時に定性的な評価・分析に於いても思い込み・期待・希望が先行しているのではないかと思えまてなりません。。
アジアの隣国として其の成長・発展は羨ましいというよりは、先行した日本の負の側面を十分に参考にしてもらいたと感じています。
予見を持って講演を聞かないように留意しつつ、同時に勢いに押されないようにとも思っています。
COLUMN 1−D 1235
平成20年2月17日・記
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本日中部大学・オープンカレッジ修了式
〜缶コーヒーを飲みながら、教授と談笑〜
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私は本日を持って10期・5年間を終了しましたが、本日、学校からW皆勤賞として5名の方が表彰されました。
W皆勤賞とは通常大学は4年間で学部を卒業です。 中部大学の場合は最大8年間在籍できます。
その8年間、ご自分で選考された受講科目の単位を修得された方の表彰でした。
4年間の皆勤賞は13名の方でした。年々その数は増えています。
今期は337名(469科目)の方が受講され、修了証書を受けられた方は276名でした。
計算してみますと一人当たりの受講科目は1・4科目です。 私は今期は3科目でしたので、平均受講科目の倍となります。

来期の開講科目が同時に発表されましたが、受講したい科目が多くて的が絞りきれていません。
近時発表されるシラバス(講義計画内容)を読んでから、決定しようと思っています。
これまでの経験上、3科目までが予習・復習の限度と感じていますので、そこまでにしようと思っています。
修了式後、仲間と昼食を取りました。 終了式後の華やかさよりも、既に来期での受講科目に関しての意見交換が中心でした。
その時、過日、「席巻する中国の行方」の講演をされた教授が缶コーヒー販売所に現われました。
講演時の感想を述べますと、気楽に隣に座っていただき歓談することとなりました。
教授は今年の9月より「北京外交大学院」で教鞭をとられることが決まっています。
アレコレ話している間に、「北京の教授を訪問させてくれませんか」と言うと、「良いですよ」と言われます。
「私は直ぐに行動に移しますよ」と3度ほど繰り返し言いますと、「お待ちしましょう、一つお願いですが一回分講義をしてください」と言われました。
いくらイイカゲン修行僧としても、「はい、わかりました」とは言えずでした。
が、上海万博も良いですが、全世界に中国の外交官を送り出す学生を養成する大学で教壇に立つとはいささか心臓が強すぎるかとも思ったり、向こう見ずと考えているのですが
、失うものはないし、肩書きがあるではなし、思い切ったことを話したら、学生がどのような反応を示すか面白いとも思っています。
晩酌後で入力中です。 勢い余ってここまで書いたと言うことでしょうが、酔いが醒めた明日、読み返してどのように感じるか楽しみです。
COLUMN 1−D
平成20年2月16日・記
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お知らせ
ニュージーランド旅日記、8〜9日目・2月10〜11日分を「エッセイ D、旅日記」へ掲載しました。
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特にこの日からの日記内容は気乗りがしておりません。
記憶は薄れてきますし、写真も慣れないカメラで思ったものが撮れていません(腕が悪いのですが・・)
誤字脱字、変換間違い等の校正をしなければいけないのですが、毎度のこと、一応の終了をしますと暫くは見るのも嫌になります。
当初の旅の計画からしますと、何度同じ所を行ったり・来たりしたことでしょう。
やはり一番は現地に立って・見て・感じた時が最高です。
1ヵ月後、半年後、そして1年後、ハタマタ5年後の日記を見直してみますと、苦労して出来上がった記録は蘇ってくるものです。
それにしても、今回のニュージーランドの旅はこれまでの内の上位に位置する旅の内容でした。 もう一度訪問したいと思っています。
さて、気分を切り替えて、2月3〜11までの新聞を読む事から始めます。
、
COLUMN 1−D
平成20年2月15日・記
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お知らせ
ニュージーランド旅日記、 5〜7日目・2月7〜9日分を「エッセイ D、旅日記」へ掲載しました。
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この後、欲を出してトラブルとなりました。
COLUMN 1−D 1234
平成20年2月15日・記
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大トラブル(?)、そのまま掲載しようかと・・・
〜わが旧友X&Yさん、努力をお認めください〜
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ニュージーランド旅日記は1日分を帰国後一日掛けて掲載してきましたが、本日は欲張って最終まで仕上げようとした所からトラブルが発生しました。
旧友にはそのまま掲載した方が喜ばれるかとも思いましたが、何が何だか内容がわからないと叱責を受けることは間違いないと判断しました。
少しばかり回復の手段を考えて見ましたが、弄繰り回せばするほど、更に問題が広がり数十時間かけて入力してきたことが無になるのではないかと諦めました。
しかし、性分上問題と分かっていることを抱え込んでいられる懐の深さはありません。
そこで、私のパソコン・トラブル解消救急病院「一六社」に電話しました。
終業前1時間弱ありましたので飛び込むこととしました。
私から見れば超・超・超プロのSさんにお願いしました。
これまでの救急処置はアッという間の解決ばかりでしたので、今回もそうなることだろうと思っていましたら、それがなんと30分ほどを要しました。
正常に戻ったことを確認し、今晩は「美味しい酒が飲めます」とお礼をしました。
と言うことで、「ニュージーランドの旅日記」第6日目(2月8日)を「エッセイ旅日記」に掲載することが出来ました。
続いて、第7日と第8日も前日よりは変化しています。
この途中でトラブル発生しました。
ところで、我が旧友のX&Yさん、ご覧の通りの経過で旅日記は書かれてゆきます。
貴方に読んでいただきたくて、一生懸命に仕上げておりますので、お腹立ちのことは多いかと思いますが、どうぞよろしく、なおお許しください。
COLUMN 1−D
平成20年2月14日・記
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お知らせ
ニュージーランド旅日記、 4日目・2月6日分を「エッセイ D、旅日記」へ掲載しました。
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腕前は素人ですが、被写体が素晴らしいので、それなりの写真が掲載できていると思います。
どれを選ぶか苦労しました。 迷った末に間違いの写真を選んだのではないかと心配しております。
ボツにするには惜しいものがありますので、又いつかどこかで、掲載する予定です。
COLUMN 1−D 1233
平成20年2月14日・記
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新しい働き方で育む高蔵寺のまちづくり
「協同労働(ワーカーズコープ」ってなに?
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上記のタイトルの「市民学習会」が開催された。
今年の私の対外活動の一つとして高蔵寺「NPO法人 まちのエキスパネット」が企画する「和っかの市」への参加というテーマがありました。
そのNPOの主催で上記の学習会は開催されました。
高蔵寺でイキイキと活動する団体10団体の名も参加していました。
NPOではなく「協同労働」って何かの学習会です。
ここで「協同労働」とは何かを説明するには、3時間の学習会での私の理解では不可能ですが、この日本労働者協同組合連合会の活動は30年前から行なわれていました。
今年中には「協同労働法制化」が実現されようとしています。(民主党政権が法案化に賛成しています。自民党政権であったなら取上げられていなかったでしょう)
これまでの都道府県の許認可が必要なNPOとは異なり、働きたい人(職がない人)が、自主的・主体的に働く場(仕事)をつくり、出資し、自らも働く、同時に顧客でもあるという当に参画型ということになります。
「生活協同組合」とは何処が異なるのか。 組合員が出資することは同じですが、自らは働かず消費者=顧客としての利便を受けることとは異なります。
私はこれはいける、素晴らしい内容であると感じると同時に、自分もかかわってみたいと思いました。

しかも、これが高蔵寺ニュータウンの衰退状況に関して、「町づくりに協同労働を使う」
「コミュニティー協同組合」へと発展させようとの構想と結びつきます。
*高蔵寺ニュータウンの衰退状況は@人口減 A少子化 B高齢化 CJR高蔵寺乗降客の減少 D名鉄バスの利用減 E団地の空室率アップ F戸建住宅の空家 G更地の増加 H公示地価の低減 Iマルシェ・ショッピングセンターの売り上げ減 Jガソリンスタンドの閉鎖 K名古屋市内への人口移動 など等、明白です。
今回の学習会で他の方からも発言がありました、高蔵寺ニュータウン中、及び周辺には、空き地と空き畑・田圃があります、そこで農業を始めたらどうかと。
全く賛同です。「和っかの市」は生産物を販売しようと考えていましたが、私は自分達で畑を耕す事から始めるべきと考えていました。
すると農家の方との関係が出来、指導のしてもらえるし、余ったものを分けてもいただける、それを販売する。
それだけではなく10年間農業の真似事をしてきて、土と接することで教育となり様々なことを教えられ、そればかりか健康になり、元気になった。
農業から引退した年寄りに教えを請えば、彼らの知恵をいただき、同時に小遣い銭も稼いでもらえる、ニュータウン内でゴロゴロしている定年退職者・高齢者にも参加してもらう。
この間、このようなチャンスはないかと思い、一度は動いたことがありましたが、時期が熟していないと判断し諦めました。
それが一昨年のリーマンショックから様相が一遍してきました。 企業の倒産、事業縮小でリストラ、他人事と思っていた事柄が例外なく身近な親族にも及んできました。
財政出動で何とか凌いでいますがもう限界です。これは日本に限らず世界の動向です。
これまでの仕組み、制度、組織、システムは殆ど一度、破壊か崩壊することとなると考えています。

そのような時には、必ずと言って良いほどに新しい芽が台頭してくるものです。
昨年の8月30日は「流血無き市民革命」でした。 この革命は終わったのではなくここから始まっていると考えています。
古い政治家のことなど、放かって置けばよいのです、自然と消えてゆきます。
「NPO 日本再生プログラム推進フォーラム」は猛スピードで横に広がっています。
そして、わが町「高蔵寺の新しい街づくり」も、これまで以上に動き出します。
本日はその思想、理念、方法論の幾つかのモデルの学びました。 モデルを真似るところから始めれば良いと考えていますが、協同労働と街づくりを組み合わせた動きは、日本でも初めてではないかとのお話でした。
当に試行錯誤のこととなりますが、横に連携して創り上げてゆくことが、新しい地域、そして新しい日本に脱皮してゆくことになると考えます。
COLUMN 1−D
平成20年2月13日・記
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お知らせ
ニュージーランド旅日記、 3日目・2月5日分を「エッセイ D、旅日記」へ掲載しました。
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それにしても、現地で時間に追われていた・時間がなかったとは言え酷い日記を書き、写真を選んでいたものです。
それが実体ですので、そのまま掲載しております。
一日で、何とか一日分が掲載可能かと思われるごちゃ混ぜの記録を整理しながらです。
止めようかと思いますが、時間が経過した後に見直してみると、本人には良く理解できることですので、続ける事とします。 悪しからず。
COLUMN 1−D 1232
平成20年2月13日・記
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「カントクする」とは・・・
〜「席巻する中国の行方」専門講座。第5回〜
中藤 康俊教授
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講義の終盤で、中藤教授は「先生から教えられたこと、何度か言われたことに”カントクする”ことの重要さ」を何度も教わったと話された。
「カントクする」(監督する?事かなと思いましたが・・)何のことか分かりませんでした。
それは”感じ取る”事の重要さと言うことでした。
中藤教授も文献、統計、データーは参考にするが、それだけでは読みきれないものがあると言われ、肌で感じることの重要さを指摘された。
教授の語り口、しぐさ、態度から湧き出てくるホノボノした温かさ・優しさに包まれていることと相まって、数十年前から自ら現場にたって中国を中心に、ロシア、朝鮮(韓国)をウオチィングされ、そこで実感され感じ取ることの重要さを説かれる姿勢に強く納得させられました。

↑↓ 我が家の庭の「福寿草」もご覧のように咲き始めていました

ケ小平から始まった「先富論」による中国の開放経済政策=「社会主義市場経済」は、その後江沢民の「西部大開発」、そして現在の胡錦トウ政権の「和諧社会」などと発展してきましたが、全ての時を通じて経済発展と格差拡大の政策との相克の歴史であリました。
その実例を教授が中国の地で体験されたことを交えて語られる姿勢や口の端から、教授が中国を愛していると言うか、好きでたまらないということが感じられました。
それ故に時間が進むごとに世界の中の中国を意識し、今後も経済発展を中心とした外向きの姿勢が強く出て、経済発展の継続を意識した資源エネルギーを求めての政策が展開される。
内需主導の経済に転換すべきであるが、国内問題に対する政策姿勢が充分でなく、経済格差が教育、医療・社会保障、民族問題、環境問題等の問題を高め、更に提起されてくるのではないかと危惧されていると感じる発言が随所に隠されていたように感じた私でした。
「東アジア共同体構想」は、数百年前の中華思想を根底とした大国意識ではないかとも考えている私には、日本を初めアジアの他の国との協調をいかに取るかだ重要と考えていますが、教授はこの点に関しては多くを語らずでした。
横道に入ります
「感じ取る」との意味において、現在の日本の医療現場のことを思い出しました。
今、医師の大半は健康診断やレントゲン、心電図、そして血液検査からしか、判断していないのではないか、出来ないのではないかと医師への信頼が薄れていると思います。
それらの結果を参考にするのなら良いのですが、それが全てのように感じます。
もっと、人間をトータルに俯瞰して問診し、心身全体から患者=人間を見て判断し、処置対応が必要と常々思っています。
痛みや切り傷、骨折などの現象面に対応することは可能でしょうが、人間の内面からの根本的な治療には、今の医療は対応できていないと感じずには要られません。
よって、自己管理、自己診断の必要性を感じるのです。
私自身の過去の経験から、全てとは言いませんが、現在の私の健康回復、その後の健康維持は「ストレス」からの解放で50%は達成されたと思っています。
それ故に、健康維持・管理には先手管理をしています。
一番はストレスを持ち込まない事。 と言って、現実の生活の中でストレスなしなど余程の修行を積まないことには無理と考えます。
世捨て人ならイザ知らず、損得抜き、金銭に無頓着かな静寂な奥山で暮らしている方ですらストレスに悩まれてる実体を目の当たりにしています。
ストレスからの解放など到底出来ない生臭修行僧は サプリメントのお世話にはなっていますが、意外と効果があると感じ続けていますのが朝のストレッチ、掃除、礼拝です。
少なくとも起床して約2時間はスガスガしく、心穏やかに時を過ごしています。
大いなる健康維持・管理の金銭不要の最大の妙薬と思っています。

↓↑我が家の「寒アオイ」が福寿草の隣で咲いております。

話が反れてしまいました。
中国の経済発展と地域格差の講義内容もさることながら、「感じ取る」事の重要さ・必要さを朴訥に語られた教授の講義内容に満足しました。
鋭く切り込み、切り取りと言うよりは、愛するモノへの労りの気持ちをもち、成長してゆく国の姿に喜びながらも、その発展のスピードやそこから生じてくる課題や矛盾に危惧しながらの提言に今後も優しい思いやりを持って見つめて行く姿勢を強く感じられました。
本年3月で中部大学を定年退学されますが、その後も特任教授として席を置き、しかも中部大学の姉妹校「北京外交大学院」に出向され、新しい中国を見つけて「北京の春」と言うタイトルで、かってより見る事も、語ることも自由になった中国を感じ取って著書を出したいとの抱負を語られました。
この「席巻する中国の行方」の専門講座は来週で終了します。
来週の講師は中部大学の曾教授ですが、中国人でかって日本で中国大使館勤務もされた経歴もあります。
一度、中国関係のシンポジュームでお話を伺ったことがありますが、そのときは20分ほどでした。
その時の話で記憶に残っていることは、長い間(と言っても、アヘン戦争から約170年くらい)中国は歴史舞台では主役の座を奪われたばかりでなく、先行した近代国家に蹂躙され、その後も苦難の道を辿りました。。
それがここ30年で再び世界の中の中国として浮上・復活してきたことに、自信と誇りを持って大いに中国賛歌を語りあげた内容であったと記憶します。
昨日の中藤教授のトーンとはまた異なったものになるだろうと期待が大です。

↑通学路の「サクラ草」も全てのプランターで咲き始めました。
壁あてキャッチボールもサクラ草に見守られ、キャンプインの気分です。
この日の「感じ取る」に刺激されて、私の旅日記のことについても、脳裏を走るものがありました。 そのことは明日にでも書くことにします。
こんなことに時間を要していますので、旅日記の整理が全く出来ません。
その上に、本日からバンクーバー冬季オリンピックに目が奪われています。
COLUMN 1−D
平成20年2月11日・記
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お知らせ と お断り
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本日ニュ−ジーランドから帰ってきました。その旅日記はボチボチと掲載する予定です。
その前に友人から、出来上がったものではなく、どのような経過を持って日記になってゆくのかを知りたいから、途中も全て見せよとの事です。
そこで、旅たつ前に入力したもの、現地で入力したものなど、ごちゃ混ぜの段階のモノから掲載することとしました。
旅たつ前に入力をしてもそのとおりのコース手順では進みません。そこで入れ替えたりするのですが、それが現地で飲みながらの入力作業であったり、全く入力時間が無かったりでと、時間の経過と共にムチャクチャになります。
特に、今回は訪問地から次の訪問地までの走行距離が長く、その日の内に画面処理がされておりません。
その上に、カメラにトラブルを起しました。 予備のカメラも使用していますし、何処に行っても羊や牛の写真ですので、何がなんだか分からなくなりそうです。
カメラは名古屋到着と同時に入院です。 よって、何時ゴロまでに日記が書き上げれるかの見当が付きません。
活字は修正も校正もしていない、そのままの状態から掲載させていただきます。
忘れないようにと、思った事柄のみは活字にしておきましたが・・・
確定申告も済ましておりません。
破損したスーツケースの保証手続きをしなくてはいけません。
旅の同行者に約束をしたことが多々あり、そちらを優先します。
この間、イタズラ、迷惑メールも含めて1000件以上が入っています。返信もしなくては・・
2〜3の請求書も散見されます。
各種・FAX通信情報が山のようです。
楽しみながら、整理することとします。
肝心なパソコン操作手順がチグハグです。
次の旅などと考えていましたが、このままでは完全にパンクです。
COLUMN 1−D 1231
平成20年2月1日・記
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