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COLUMN 1−D 1250
平成22年3月2日.記
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このまま春とは行かないでしょうが・・・
〜この雨で、庭の花木、花々が芽吹きました〜
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「寒さ・暑さも彼岸まで」と言いますから、このまま春の陽気になることはないのでしょうが、本日は名古屋地方19度まで気温が上がるとの予報です。 4月上旬でしょうか。
昨夜来の雨も上がり、庭に出てみますと、顔ぶれが変化していました。

↑昨年の12月末より、楽しませてくれた「ロウバイ」はご覧のようになりました。

↑替わって、「小梅の花」が満開です。 湿った空気の下で柔らかく香っています。

↑1週間目に、「ヒノキの酵素」を散布した「絹さやエンドウ」に一番花です。

↑例年ですと、ここから数度登場する「サンシュ」は昨年の剪定が悪かったのか、
切り残した枝からしか、花が見えません。 昨年のサンシュを開きます・↓
↑先端の枝を切り詰めました。 来年は倍返しの花々となることでしょう。

↑10日前に登場しました「アセビ」も花咲き始めました。
ここからは、「私の登場は何時ですか」と、自選他薦の花々が競演します。
昨日入院していたカメラが回復・退院しましたので、受け取りに来てくださいと連絡が入りました。 中欧への旅に間に合いました。
簡単操作の「デジカメ」に手こずっています。 本日の写真も思ったように撮影できません。 カメラ頼りですので、こうなると手に負えません。
COLUMN 1−D 1249
平成22年3月1日.記
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インターネット業界の変化を感じました
〜一六社(インターネット)の会社で一日過すと〜
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昨日は「遠山郷の休日」で心身ともに癒され、一層元気になって帰宅しました。
本日は疲れた訳ではありません。 朝から一日中「頭がオーバーヒートするのではないか」との刺激を受け続けました。 (普通の方ならどうと言うことは無いでしょうが・・・)
一六社の社長は頭の回転が早く、しかも常に勉強され・変化を肌で感じ取る感性もお持ちの方です。 その上に、「拘らず・柔軟に素早く変化対応」をされます。
その社長がビジネス・フェアーに参加されインターネット業界は変化したと感じられました。
これまでの取り組み内容と方法でいま少し成長して行けると思っていたが、そのような状況ではないと感じたと言うことです。
そして、2月25日にその事を感じて取られてから本日の朝の会議開始までに、戦術の変更を纏められ、その発表がありました。
1年半が経過し、私がヤット単語と仕組みの内容が理解できてきたと安心していましたが、使われてる単語は同じでも、組み立て方、優先順位、その後の展開と発展してゆく過程が、今までとは異なり、しかもスピードは上がり、頭の切り替えが必要と感じました。
私は話を聞き、何とか理解しようとするレベルなので気持ち的にはユトリがありますが、それを具体的に仕組みに、絵図・画面に落とし込み、販売商品とする作業をされる方の厳しさを感じないわけにはいきませんでした。
その彼らと言えば、何もしない私が感じているプレッシャーよりは、もっと静かに・ことの手順の話し合いをしている姿を見て、嬉しくなると言うか、逞しさを感じました。
本日、一日勉強した内容を私の理解レベルでまとめ・レポートを社長に提出しました。
(見当違い、理解不足は教えてくださいと書き添えました)
月2回の一六社での一日は本当に刺激を受けます。 身体は動かしていないのですが、それなりに、いや、分からない故に一層神経は一生懸命に集中しています。
そのためでしょうか、普段は昼食は控えめで充分なのですが、一六社に出入りする日は空腹を覚えるのです。
そして、「遠山郷の休日」とは異なる感触の充実感を感じ持って帰宅しました。
今晩の晩酌もすすむことでしょう。
COLUMN 1−D 1248
平成22年2月28日.記
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2月の「遠山郷の休日」
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↑春霞を思わせる「中根集落」を、木沢集落から眺めました。
2月末の遠山郷は寒さを予測して厚着で出かけました。
それがどうでしょう27日は春の日の様相です。 一枚、二枚と脱ぐことになりました。

↑旧木沢小学校の裏手の山は梅が満開です。

↑「霜月祭り」の熊野神社から子供たちの声が聞こえます。 この集落で子供の声を聞いたのは初めてです。 集落のある家の「法事」があったそうで、親戚一堂が集いました。
兄弟・従兄弟同士なのでしょう、子供の元気な声は本当に嬉しいものです。

↑年に一度の「山の会」の総会が開催されてておりました。 午後4時から始まった懇親会に「藤原学校」のメンバーも同席させていただきました。
山の会からは鹿肉、イノシシ、「キムチ鍋」、北京から嫁に来られた奥さんによる、「ギョウザ」等、盛りだくさんです。
そこに、藤原学校からは、荒井食堂(荒井さんは今年の4月からは、道の駅・食堂部門「ゆ〜楽」の料理長になられます)さんはアジのタタキを初め、これまた手が込んだ料理が出てきました。
前夜から仕込み、春日井から持参した「トン汁」もなかなかの出来映えで、他の鍋料理との競演でした。
1次会は6時半終了、そして恒例の2次会です。 相変わらずのカラオケです。
私は体温が上がり、ジャンパーを脱ぎ捨てました。 そして、それが忘れ物となりました。
車のキーと携帯電話が入っており、翌日はそれを取り戻すまではイライラしました。
2月28日の午前中は雨です。 雨が降ると一気に気温が下がりがりましたが、正午過ぎ から青空が見えてきました。 気温も上がりました。

↑連日、超多忙の藤原先生も「遠山の休日」です。 ネコのタカネちゃんの日向ぼっこを写真に取り、御自分のツイッターにその写真を送信し掲載しておられました。

↑、雨も上がり、今年の3月から9月までの大よその計画もまとまりました。
小学校の裏手の畑も再び手を入れることにしました。茶畑も収穫する計画です。

↑木沢集落の小高い所=中世には城があったところ昇り記念撮影。

↑最後はかって森林鉄道の終着駅であり、切り出した材木の集荷場でもあった「梨元・ていちゃば」を見学しました。
ここは、今年から「木沢地区活性化協議会が管理・運営している旧木沢小学校、と加えるに「梨元ていしゃ場」を管理する管理組合が今後の管理・運営を行なう「木沢地区企画戦略委員会」の元に、一括集約されるようです。
昨夜の「山の会」で、お酒の勢いもあり参加していた飯田市の市会議員の方に、「木沢が蘇れば、飯田市が蘇る、飯田市が蘇れば日本が蘇る」と3度も強調しておきました。
これは満更その場での口からでまかせではなく、昭和43年頃から数年間、名古屋から清内路峠を越えて飯田市、駒ヶ根市に仕事の関係で2月に一度の割合で泊り込みの出張をしておりました。、
その後、中央道「恵那山トンネル」は開通しました。(片側一車線は昭和50年、2車線になったのは10年後の昭和60年)
その時、「伊那谷の夜明け」であると、飯田市の従業員の方と語ったものでした。
その後の、ことについては言うまでもありません。 南信州は一層名古屋圏との関係を深めました。
日本三大秘境のひとつと言われる遠山郷も約19年前に飯田市と遠山郷を結ぶ「矢筈トンネル」が開通し、秘境からの脱皮をしました。
そして、3年前(?)飯田市と合併し、遠山郷は飯田市となりました。 市になったと言っても遠山郷、特に木沢集落は平成17年人口が341名、世帯数151件でしたが、平成21年は人口は290名、世帯数は135と減少しています。
のみならず、私が頻繁に出入りするようになってから感じるのは、年々高齢者が目立ち、また杖を突いておられる方が目に付きます。
縁を持ったこの木沢が元気になれば、キット日本の中山間地域のモデルの一つになるのではと思っています。
毎月、お酒を飲みに行くことぐらいしか出来ませんが、枯れ木も山の賑わいとこれからも足を運ぶ予定です。
COLUMN 1−D 1247
平成22年2月26日.記
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(車旅計画に関する第5弾)
〜 首都高速道路は通り抜けるれるのか〜
計画しながら、バブル後の公共投資のことを・・
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本日で、車旅計画が6日目となりました。
茨城県・「袋田の滝」経由で東北地方に入ろうと、東名高速道路から首都高速に入り、都心環状を迂回して更に、首都高速000線を**JCTで小菅まで行き、更に首都高速6号00線から三郷、そして常磐道に入ると高萩ICに到着と教えてくれています。
土地感はサッパリありません。 カーナビをセットすれば、素直に連れて行ってくれるのでしょうか。
数回観光バスで、首都高速の渋滞に出会っていますので、それを思い出すと同時に、道路の分岐でウロウロしている自分を思い出してしり込みしています。
東京の都心を通過せずに行ける路線は無いものかと調べてみましたが、東京から放射線状に伸びている高速道路は東西に横切る道路はどこかで途切れてしまっています。
と、ここまで入力して、調べもせずに入力してはいけないと調べました。

1、春日井から首都高速を利用して、茨城県高萩IC(袋田の滝に一番近い)まで、
→ 512・9Km 、5時間43分、通常料金 11550円
2、春日井から首都高速を利用しないで、東京外周を廻って茨城県 高萩ICへ
→ 523・6Km, 7時間08分 、通常料金 11350円
3、多治見(家から一番近い)中央道から北関東大田桐生経由、この後一般道路を走り、
再び佐野藤岡で高速道路〜高萩へ
→ 541.5Km, 6時間20分、 通常料金 11800円
以上のことがわかりました。文句なしに、NO3を選びます。
一見、地図を見たとき距離が最長と思い、東名高速に変えました。が意外と遠回りのようで、距離的にも30Km、時間的にも、料金もそれほどの違いはありません。
過去の経験から、東名・名神は交通量も多く、緑少なく疲れます。 それに比べると、中央道や長野道、上信越道は私好みの緑の高速道路です。
この計画実施は夏休みを予定していますので、マダマダ時間があります。
と、思っていると時間は過ぎます。思い立った時に計画は立てておくべきです。
近畿の西国33箇所・車旅巡礼、残っている寺の場所は高速道路が途絶えますし、迂回路の適当なものが発見できていません。 この計画実施が一番最初ですが・・・
今回の計画の下図は仕舞ってありました、何年前のものでしょうか。
平成18年4月13日「興福寺」が最後の朱印になっていますので、既に約4年は経過しています。
その時の「関西道路地図」では、古いのでしょうか。 「道の駅」は本年の最新版ですが・
カーナビの機種は8年前に購入したもの、今回購入したソフトは2007年度版で最新でした、その後は更新していないとのことでした。

20年前バブルがはじけました。その後、何度か右肩下がりの山・谷を繰り返し、今から考えると愚かなコンクリート公共投資をしたものです。
道路や橋の全てとはいいませんが、如何なものかと気付かされるのものが少なくありません。 その後、急速に公共投資は減額されてゆきました。
私の購入した2007年度版ソフトに書き込まれていない、道路はどれ程あるのでしょうか。
今年の車旅を経験すると、この間の日本の公共投資・道路版の実体を体験できることでしょう。
それにしても、インターネットによる検索は、6年前と比べると雲での差というようなものではありません。
実に便利になり、しかも簡単です(少しは私のレベルが上がったことにもよりましょうか)
ルート設定が出来たところで、観光地の情報も入れ込んだ車旅計画書が出来そうです。
昨日掲載しました、「道の駅・情報」を中心として、その日の「お風呂の計画」、「昼食・夕食の計画」をはめ込めば、半分以上もう旅に行ってきたような気分になれます。
やはり、旅は計画している時が一番楽しいのでしょうか。
COLUMN 1−D 1246
平成22年2月25日.記
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車旅計画で 利用するもの
(車旅計画に関する第4弾)
〜西国33箇所遍路の計画〜
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どのような手順で計画するのかとの問い合わせがありました。
前にも書きましたように、インターネットの情報提供が6〜7年前とは、桁違いな変化をしており、これが効果的とか、有効と言えるような計画をお知らせすること出来ません。
但し、今回も利用している情報はインターネットの地図情報と観光地・名所旧跡の案内の他に、手元には以下のものを置いております。

↑ロードマップの地図です。少し大き目が使いやすい。

↑「オ−トキャンパー」と言う月刊誌、毎年2月号と3月号に付録として付いている、
「道の駅達人」の情報紙、完全ガイドです。

↑地域別の観光案内ブックです。
インターネットで探すのも良いですが、手元に活字がありますと便利です。 インターネットから印刷も出来ますが、不要なものまで印刷してしまいます。一冊は手元に。
昨日から、九州、東北・北海道の計画が一応終わりましたので、「西国33箇所」の計画に入りました。

↑奉納経帳を開いてみましたら、最初は熊野路、第1番「青岸渡寺」、第2番「紀三井寺」を平成13(2001)年7月10日に奉納しておりました。
それ以降、平成14年、16年(15年はなし)と奉納し、そこでストップしたままです。

↑ご覧のような朱印の状況です。(虫食いです)

↑ちなみに、こちらは「四国88箇所の遍路」の時のものです。
結願成就の時のものです。
歩き遍路の翌年、車旅にても廻りましたので、2着(枚?)あります。
二度棺おけに入れるわけですが・・・
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↑四国の遍路以来、西国33箇所も肩に掛けております奉納「同人二人」バックです。

↑、さて、案内地図と解説書を頼りに、あと半分18箇所の計画に入ります。
COLUMN 1−D 1245
平成22年2月24日.記
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春の農作業始まる
〜身体を動かすって、素敵ですね〜
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↑可憐な「春リンドウ」が迎えてくれました。
この時期、土手にいくらでも次々に咲きますので、家に持ち帰るのですが、我が家の庭では根付きません。 枯れ草の中に一輪咲いているのが良いのでしょう。

↑さて、「イチゴ」、この一株のみに葉が残っていました。
心配ないと思います、気温が上がれば地中の根から頭を持ち上げてくるはずです。

↑タマネギとニンニクは順調です。這いつくばって草取りをしました。
午前11時でした。額からポタポタと汗です。 一枚一枚脱ぎ捨てて、最後はアンダーシャツ一枚になりました。

↑早く植えすぎたのでしょうか「絹さやエンドウ」、昨年の11月末で2〜30センチメートルの背丈でした。 真冬はマイナス10度近くまで気温が下がる瑞浪、長い背丈のものは枯れていましたが、その横から新らしい芽が伸びてきていました。
ガンバレ絹さや!!、ガンバレ絹さや!!

↑最後は本日の一番の目当て、3月下旬に植え込むジャガイモ畑の耕転。
この間に、昨年参加してくれたI君さんに電話をしました。 私一人で世話が出来る面積は限られているからです。 と言って、同じ場所ですと連作になります。
Iさんは今年も参加しますとの返事、もう一人にも連絡をしてもらうことにしました。
そこで、思い切って広げることとしました。
昨年の使用でよい結果を得ていますBMDの「土地の基礎改良プラス油粕資材」に加えて、根を元気にする「ひのき酵素」も持参しました。
酵素の方はイチゴとタマネギ、ニンニク、絹さやエンドウにまず施しました。
耕転予定の畑には生石灰、BMDの土地改良そして牛糞を撒きました。
撒き終えたところまでは良かったのですが、3ヶ月ぶりの農作業・パワー不足を感じましたので、優先するジャガイモ畑の耕転で終了。
と言いますのも、中型で乗って耕転が出来ます耕運機の調子が悪いと言うことで、手押し小型耕運機で実施しました。
2月とは思えない陽気、久しぶりの土の香り、滴る汗が快感でした。
COLUMN 1−D 1244
平成22年2月23日.記
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1年前はどんな状況だったか
〜瞬間、日本で資産家トップ10になった方の弁〜
(そして、私は・・・・)
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瞬間に、日本で資産家トップ10になったとご自分の情報紙で書かれたのは、日本で最初に金山会社を上場された、「ジパング・ホールディング」の会長・松藤民輔さん。
では、その彼はどのようなことを書いたのでしょうか?
「1年前、世界の株式市場が暗くなっていた頃、ドイツの大金持ちが自殺した。 資産1500億円目減りしたと言う理由だった。
それでもまだ1000億円の資産家なのに。 何事かな、金持ちの気が知れないと思ったものだ。
実にこの2ヶ月で、僕の株式資産は800億円目減りした。 (中略)
この2ヶ月間は資本主義の勉強になり、心に染みる教訓だった。 世界はこれから再び巨大なか株価下落と、デフレの中でもがき始める。 (中略)
お金があるや、頭がいいや、地位や名誉は楽しい生活にはあまり関係ない。
楽しい生活の基本は食、そして健康であると納得する受験生の息子達だった。(中略)
たった1年前の世の中の総転換、年末の総強気という市場の動きに翻弄される大衆、国家、企業。
同じ年のトヨタの社長の写真を見ながら、20年前の彼との1兆円の取引を思い出した。
世界最大の企業になり、世界一の栄誉を得た2年前のトヨタ。 そのトヨタですらこんな状況に追い込まれるものなのだ。
歴史の冷酷さに驚く。 そして歴史を今一度眺めるのだ」
ここまで入力して自分の事を書くのが少しイヤになった。が、直ぐに思い直した。
金の高ではない、どのように日々を修行として過ごしているかが問題なのだ。と。
1年前の自分を思い出してみようと・・・・
・平成21年2月は、中部大学の21年度のオープンカレッジの開講式でお話(講演・1時間)の原稿を毎日書き直していた。
・書き直している間に、3年後に「自分史」を書いてみようと思うようになった。
それは、講演の原稿が自分の過去の記録から始まったことによります。
・何故、3年後としたかは、「自分史」はそれまでの過去のことの整理で、この大転換期に生活している自分がどのように感じ、考え、予測しいるかが記されていない。
よって、これからの時代がどのようになるかを予測し、自分はどのように生きて行くかを書きとめようと考えました。
・何が書きとめられたのだろうか。 平成21年8月30日の「無血”市民革命”」によって、50数年続いた自民党政権が終焉した。
・と言って民主党を中心とする政権で持って、大きな変化や創造が生まれるとは考えられないと記録したと記憶している。
それから、既に半年が経過した、予測は当たらずとも遠からず、いや的中です。
・時代はまだまだ変革の入り口です、今年に入ってこれからの世界や日本の針路やあり方をこの日記にかなり記録したと思っているが、読み返したことはない。
・このところは、中国のことに大いに関心が向き、その方面の勉強の機会に恵まれている。 この日記にも多くの字数を取ったと思います。
また、10期・5年間、中部大学で中欧を中心とする歴史、社会思想史の受講をしてきました。 5年一区切りとして3月9日から「中欧の旅」に出かけます。
・先読みしての「自分史」など、到底書ける状態でないことをマスマス認識させられる毎日です。
が、世の中は確実に良き方向に流れているのに、旧勢力の最後(?)の抵抗に戸惑い、 目先と身の回り3メートルの事柄に翻弄されている自分を自戒しています。
COLUMN 1−D 1243
平成22年2月23日.記
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春が来た、春が来た、何処に来た
〜もう、待ちきれない私達です〜
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↓なんなのか、分かりますか?

↑@ 平成21年・春3月下旬植込み、6月下旬収穫のジャガイモの芽です

↑A @と同じですが、上方が大きめのもの、下が小さかったジャガイモ

↑B何時収穫したのかは分かりませんが、遠山郷・下栗の急斜面で収穫のジャガイモ

↑C @とAの畑と同じ瑞浪で、9月上旬植込み、11月下旬収穫の秋ジャガイモ
全て、玄関の横、階段下に収納してありました。 @は昨年の11月下旬から芽を出し始めました。
Aの小さなジャガイモは12月も中旬過ぎからでした。
Bはその頃は、まだ芽を出していませんでしたが、先月(平成22年1月)下旬頃から芽を出し始めました。
この品種は、今年瑞浪の畑でも収穫できるか、その場合は遠山郷・下栗とはどのように異なったものになるのか実験する計画です。
@、Aはこんなにも芽が出てしまうと、植込み計画は3月下旬ですので、それまで生きながらえないのではと心配しています。
昨年もかなり芽が伸びたものを植え込みましたが、収穫できました。が、これほどまでに伸びてしまっていると、無理ではないかと思います。
が、何事も実験してみないと分かりませんので、あと1ヶ月保管して、植え込んでみようと思っています。
このように生き物を扱う農業は色々なことに興味を持たせてくれます。 そして、毎年異なることを体験できますので面白いです。
それにしても、昨日からは急に気温が上がりました、更に彼らは「もう、待ちきれない」と芽をグングン伸ばすのでしょうか。
冷蔵庫にでも入れて成長を止めようかとも考えましたが、今度は芽が冷えすぎて枯れてしまうのではないかと心配。 そのままにして置くこととします。
COLUMN 1−D 1242
平成22年2月23日.記
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車旅の計画で気付いたこと
(車旅計画に関する第3弾)
〜北海道の経済は相当厳しいのであろう・・・〜
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昨日車旅・九州を仕上げた。
率直に言って熊本の阿蘇山周辺(大観峰)と幣立神宮(ほとんどの方は知らない神宮であろう、が、世界の5色の人種が会合した場所として、知る人ぞ知る神社)は行きたい所。
そして、女房が前回の時、高千穂渓谷では散歩道を歩いただけで、100メートル近い垂直断崖から落ちる真名井の滝を遊覧船で見学できなかったのが残念だった。
とテレビで見るたびに口にするので計画に入れたが、その他再度訪問したい所、前回見損なったから訪問したい所と探してみたが、見当たらずでした。
無理して数箇所拾い出してみたが、わざわざ1000Km以上・十数時間を掛けて車旅をする価値を見つけ出せなかった。
と言うことで、東北と北海道に計画を変更しました。
山形・出羽三山は未訪問なので直ぐに決まり、十和田湖・奥入瀬渓谷はもう一度訪問したい所でこれまた直ぐに決まりました。
さて、何処から北海道に渡ろうかと計画して分かった事です。
函館港・小樽港は数回上陸していますので、苫小牧か釧路を計画しました。
八戸から就航していました「東日本フェリー」は既に営業を終了、インターネットでは「津軽海路フェリー」に繋がるようになっていました。 一応、八戸〜苫小牧フェリーはありますが、一日一便です。
富良野・美瑛は何度でも訪問したい所、次にこれまでに2回、天候回復待ちで5日の日数を掛けているいますが天候に阻まれた「旭岳」を計画しました。
東に進み阿寒湖・摩周湖を経由して、釧路からのフェリーを計画したのですが、東京に戻る近海航路も中止となっていました。
函館から青森、大間、函館から大洗、室蘭から大洗、苫小牧から大洗の就航はありますが、到着港が気に入リません。
そこで、小樽から日本海を新潟か、舞鶴か、敦賀に新日本海フェリーで本土に入るのかなと調べました。
北海道経済は拓殖銀行の破綻以降、大変厳しいと聞き、夕張市のこともあり、今回フリーの就航状況を調べて改めて北海道経済の大変さを認識させられました。
それにしても、日本海航路が元気なのは、歴史ある北前船の歴史が示すものなのか。
それとも、現在日本海側に面する中国、ロシアの経済に勢いがあることが後押ししているのかなと推測してみました。
車旅計画でも、色々なことを感じさせ、勉強させられます。
COLUMN 1−D 1241
平成22年2月22日.記
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車旅の計画2日目に入りました
(車旅計画に関する第2弾)
〜「年齢と体力との相談をして計画しなさい」と姉〜
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「kurumatabi=車旅」(私のもうひとつのメールアドレスに”kurumatabi”と言うのがありますので、打ち込むとまずは”kurumatabi”と表示されます。
ところで、車旅の計画2日目に入り少し勘が戻ってきました。 と言うよりは6年前とは、全く異なったアプローチになりました。
まず第1は、グーグルの宇宙衛星からの地図などありませんでした。
二つ目に、これは無いだろうと思い検索しますと、出てくるではありませんか。
第3に高速道路の利用に当たって、様々な情報が提供されています。 等です。
しかし、隠岐の島町を検索し「隠岐連絡航路」の情報を検索し、印刷しようと何度も仕掛けるのですが、私の操作が悪いのか、どうしても、思うように印刷されません。
同じような検索と印刷操作をすれば、他の場合は間違いなく出来ますので、これは先方さんの技術不足ではないかと想像すると同時に、孵って嬉しくなってしまいボ−ルペンで書くことにしました。
隠岐の島への計画はしたものの、フェリーを使い車で行くには費用が高くつきます。
行くとしても高速艇を活用した方が、便利で・費用も安くつきそうです。
隠岐の島には道の駅は一つもありませんので、海岸線にでも宿泊することになるのでしょうか。 海遊びなど長い間の休暇ならそれでも良いでしょうが、2泊や3泊ではもったいないと思いました。
北海道か九州の選択が一番良いと思い始めています。
かって訪問した所で、再び行って見たいところ、その折に通過してしまった所。
気持ちだけは変っていませんが、体力が落ちてきているのだから、「無理な計画はするな!」と姉からの忠告です。
その通りとは思うのですが、ついつい欲が張った計画になってしまいそうです。
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