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COLUMN 1−D 1260
平成22年3月21日・記
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「崩壊と破壊」の後に、創造の時と昨日書きました
〜花木・花々は穏やかに春を伝えてくれます〜
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昨日で時差ボケは終わったかと思っていましたが、今朝も午前1時半に目覚めてしまいました。 思いつくことを整理したりしているうちに腹が減り、そこでチーズを取り出してイッパイ始まってしまいました。
4時ごろに睡魔遅い、起床しましたのは午前8時を廻っていました。
昨日のこのコラムで「崩壊と破壊」などと書いたからでしょうか、今朝の中日新聞のトップ記事に目が留まりました。


毎朝、一枚一枚チェックする折り込み広告の中に、上記のチラシが入っていました。
このお店はまだ体力の残っている間に「店じまい」の決断をされたことでしょう。
追い込まれ夜逃げしてゆく前のチラシ内容ではないと感じました。
このチラシは春日井の一商店のものですが、表面上はなんら変らずに見える大会社の裏側ではどのような状況になっているのだろうかと想像してしまいます。
崩壊と破壊の水面下で新たな芽生え・創造が進展していることも感じます。
転換し・去り行くものに心晴れぬ惜別の情が湧きますが、新たな息吹に目を向けたい。
昨日の夕刻の散歩は、雨風を感じさせカメラアングルの向こう側は暗くはありましたが、
命芽生えた花々は心休ませてくれました。

↑シデコブシとサンシュの競演です。

↑我が家のサンシュは今年はキツイ剪定で一休みでしたので、一層目に留まりました。

↑ユキ柳、これ以上花は付けられませんと言う賑やかさ

↑好きな花の一つ、「水仙」、仄かに香っていました。

↑一度通り過ぎたのですが、生垣の間から顔を出している「ボケ」の愛らしさに惹かれて、数メートルバックしました。 真っ赤なボケの花と違って引き戻されたのでしょうか。

↑毎年この時期には登場します、この周辺では一番大きく見事に花をつけます
「モクレン」です。 薄暮より暗いのに、周辺は明るく感じました。
COLUMN 1−D 1259
平成22年3月20日・記
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本日は長い長い、反省文となりました
〜転換=変革期に生かされていることへの感謝〜
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・これまでの視点・観点・価値観・生き方では限界が来ていることが分かっているのに・・
限界を感じながら自ら進んでその視点・観点・生き方・行動を変化させていないことを自戒する。
今、享受している生活を捨て去ることが出来ないでいる。行き着く所までは行くより仕方ないのかと自笑する。
誰かが、どこかで変化を起してくれるのではないかと人頼りになっている。
縦、横、斜めに入り組み・交差した政治・経済・社会の仕組み、シルテムは限界に来ている。ここから先に進むには、「崩壊と破壊」の後にしか、新たな創造はなしえないのだろうと考えている。
この十数年、幾度とその仕組み・システムの改善と修正が試みられたが、それらの施策は全てそれまでの延長線上であり、延命策であった。
結果、国家財政を最悪状況に追い込んだ。国民資産は活かされなかった。
権力を握った者、あるいは既得権益を放さないというのが人間の業、欲というものなのだろう。
それは庶民においても同じである。 世界・地球レベルで眺めてみれば、世界人口の十数パ^セントの民のみが
物的豊かさの恩恵に与り、更にMORE&MOREと喉を涸らしている。
それは私自身のこと。 自ら進んでその蟻地獄から抜け出す行為をしているのだろうかと自問する。
・それ故に、「崩壊と破壊」の到来を待つこととなる。
「崩壊」とは内部からであり、「破壊」とは外からの力による。
内部崩壊しない為に、又停滞はいやといい、日々改善・改良が行なわれてきたし、今も行なわれている。
とは言え、改善・改良=IMPROVEMENT(インプルーブメント)では、ことはすまなくなった。
縦・横・斜めに入り組んだ仕組み・システムはあらゆる側面で金属疲労し、限界に達した。
その事すら認識することが出来ない人もおり(幸せか)、否定する人もおり、居直っている人もいる。
ここまで来ると「改善・改良」では済まされない。
革新・刷新=INOVATION(イノベーション)がもとめられている。
革新・刷新には痛みを伴う。旧来の視点・観点・価値観・生き方を継続しようとする人には、個人の努力を超えた苦痛と痛みを伴う。
受け皿を用意するには、財政が逼迫しすぎた。金の使い方が下手糞だった。
座してその時を待つのか、自ら進んで変革・転換の流れに漕ぎ出してゆくのかが問われている。
どうやら、今わが国は座してその時を待っているように感じる。 それが世の常でもあろうかとも考えます。
このような時こそ(個別対応ではすまされぬ、なしえない。トータルに根本からやり直す)政治の登場であり、役割であるが、その政治自体が内部崩壊の危機にある。
結局、新たな時代の到来の為には「崩壊と破壊」というトンネルを潜らねばならない状況に追い込まれた。
数パーセントの人が努力と幸運に恵まれた。努力の人の大半はこの十数年前、前後に苦労した人たちだった。 会社の倒産、リストラ・首切り。事業失敗等。
ここに、二つの選択に道がある。
1)進んで「革新・刷新」の道を選択する。
世界における日本の位置づけはライフスタイルで表現するならば、 少子高齢化社会が示すように斜陽期あるいは成熟・後期である。
それは人口の減少や高齢者の増加ばかりでなく、産業においても同じことが言えます。
戦後これまで日本社会・経済を引っ張ってきた産業は次々と転換してきましたし、技術革新をしてきました。
そして、今この社会を支えている主たる産業は自動車であり、家電製品であります。 この中心産業は既に国内需要はピークを過ぎております。
優れた技術でグローバル企業として世界で活躍しています。
が、それらの産業は世界の地に乗り出し、その地・国の人々の生活向上に貢献すると同時に、その国の人々・企業がその物を生産するところとなりました。
その国の方々の生活レベルはまだまだ低く、低賃金です。 先進国の私たちの欲求を満たす賃金とは比較になりません。 同じものを生産していたのでは、その先は見えています。
そこで、私たちは技術革新する、あるいは全く新しく産業への転換・刷新を図らなければなりません。
これまでの延長線上での改善・改良では追いつかないのです。
2)価値観・生き方に「革新・刷新」の道を選択する。
「ロハス」な生き方=健康で持続可能な生き方です。 地球環境に優しく、低エネルギー生活です。
これまでのMORE&MORE=物的豊かさが幸せと思う、観点・視点からの脱却です。
本・雑誌を読む、様々な媒体で紹介されているロハスな生き方。 と言うことは、それらの生活実態が珍しく、稀有な事柄だからこそ、読み物、関心事としてマスコミは取上げている段階と考えます。
が、私の身辺でも幾つかの事例が見られ、その生活ぶりに触れることが出来るようになりました。
正直に言えば、現在の私の生活レベルや希望から判断して、本当にそれらの生活で楽しめるのか、満足するのか、耐えられるのだろうかと自問してしまいます。
後2年後ならなどと、言い訳していますが、果たしてそのときになったらどうでしょう。
そんなことを言っている間に、時代は進展し、否応なしに追い込まれてゆくのでしょう。
その時を予測・予見し、慌てない、焦らない、オロオロしないだけの準備はしておきたいと考えています。
この程度の決心・覚悟ではおぼつかないと思いつつ・・・
半分よそ事のように眺め、分析・判断していましても、刻々とその時が迫っています。
正しく状況を認識していない故に、決心・覚悟が出来ず、それ故にトンネルの向こう側に見え隠れする灯り=曙に向かって踏切りの行動が取れていません。 イイカゲンな日々の生き方となっています。
身近な年下の方々と語るときには、口先ばかりで「現状の社会状況になったこと」に反省と責任を感じているとは言うのですが、それならば残された時間で責任の一端を自覚し、どのような役割が果たせるのだろうか、果たしているのか。
大したことはできないにせよ、まだまだ残されている心身の機能の全てを生かして、できる範囲のことはしてみたいと思っています。
ここに列挙し戒めとします。 これらは本年初頭に整理した課題に集約されます。
@11年目の百姓学校〜若者仲間とともに。
A遠山郷で「中山間地・限界集落の活性化」に参加。「日本再生」の一環。
B地元高蔵寺ニュータウンのNPOに参加。
C事業経営の端くれに参加し、過去の反省の経験を語り、参考にしてもらう。
D「歴史に学び」、「友に学ぶ」姿勢で、中部大学の6年目を活かす。
Eインターネットを活用する。
F国民健康保険への厄介は最小限になるよう健康留意、元気に過す、旅する。
今のところは、自己採点で及第点と考えています。
COLUMN 1−D 1258
平成22年3月19日・記
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彼岸の墓参りに豊橋へ
〜こんなことをしてはいけないのですが〜
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今年に入っても、次から次へと走り回っています。 御蔭さまで何事もなく過させていただいているのはご先祖様の御蔭と、毎日の神棚の礼拝だけでは済まされないと行ってまいりました。
豊橋・大村町の市営墓地は数年前に全面的に整備されて、大変気持ちの良い墓地となりました。それに合わせたかのように、各家の墓地も綺麗になったように感じます。
彼岸のお花や榊などが新鮮なものに取り替えられており、一層その感を深めてくれます。
楽しみの「なめし田楽の・きく宋」で昼食。 お酒がいただけないのが寂しいですが、それでも大満足です。
お会計の時、何時頑張っているお婆さん居られません、お孫さんのお嫁さんでしょうか、お尋ねすると「足が不自由になって」との事、「お大事にしてください」と声を掛けてきましたが、私が誰であるかは分からないでしょう。
この日記にも数回書いたことがありますが、中学生から高校生の頃、この家=店にお世話になりました。 友人が現在の店主なのです。 もう一軒出店したと言っていたから、こちらは息子さんが経営しているのでしょうか。
お婆さんとは当時の、女将さんです。 もう90歳は越えられたのではないでしょうか。
このように代々家業が続けられてゆくと言うことは、素晴らしいことです。
客の私までまで嬉しくなってしまいます。
本日姉は仕事で出ています。 実家の鍵を間違えて持っていったために、中に入れず豊橋公園のトイレに世話になりました。
高校球児は練習試合ということで、その前のノック練習中、すれ違いの球児の一人は「今日は」と挨拶をしてくれました。 気持ちよいものです。
そこで、大学時代の友達に電話を入れてみましたら、本日は岡山県の方に出掛けているとの留守番さんの返事。 更に、携帯電話で呼び出してみると、懐かしい声が一発で分かりました。
4月になったら一度、名古屋で会いましょうと言うことになりました。
マタマタ、楽しみが増えました。
帰りは眠気をもよおし岡崎「美合」のサービスエリア一眠り、スッキリしたところで再び本線へ。
春日井IC近くで、植木を運ぶ車を追い越す、その後スピードを落として植木運搬の車を前に、何時も持参しているカメラでパチリ。


JA高蔵寺に立ち寄り、3月22日、植え込み計画の「ジャガイモ」の種を購入。
その他、ニンジン、大根、ほうれん草、インゲンなどの種と、自宅用の牛糞堆肥と花壇用の土を購入。
たったこれだけのことですが、本日を持って時差が解消されそうな予感がします。
この間、本日の深夜から朝にかけて横切ることあり枕元にメモしました。
高速道路でもその続きあり、豊田JCT付近で車3台の事故に出くわノロノロ運転。
事故の偶然性や必然性と今この時<変革期、転換期>の関係性は・・・などと考えてしまいました。
明日にでも、その一部を活字化してみたいと思っています。
COLUMN 1−D 1257
平成22年3月18日・記
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やはり肌に合います、この風、この色、この香り
〜庭の花木・花々がドンドン芽生え、成長します〜
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たったの8日間だけでしたが、異文化と歴史の中で過していて疲れたのでしょう。
今朝は時差もあって午前2時に目が覚めました。 一昨日はそのまま起床してしまいましたが、今日は床の中でグズグズしていました。
空腹を覚えて「ニンジンジュース」にウオッカを注ぎ、プリンとレーズンチーズで一息つきました。 眠気を覚えましたので、消灯。
目覚めたのが午前9時でした。
障子戸とカラス戸を開け放ちますと、本日は春の陽光です。
中欧の旅が最高温度7度、最低0度以下の地で、しかも三分の一は雪景色とユキ&時雨でしたので、たった8日間とは言え、冬から春への大転換でしす。
パジャマ姿にジャンパーを着こんで庭に出ました。

↑↓ シデコブシが満開です


↑2種の水仙が柔らかい風に揺れています。

↑お隣で「私をお忘れではないですか」と、貴重種「日本タンポポさん」

↑通学路に出てみると「サクラ草」が御覧のように入学式を待っています。
春の風は巻き込むように強いため、桜草の背丈を抑えてあります。
肥やしを少なくしただけですが、栄養過多の時代、これだけで効き目があります。
改めて、何気なく日々を過ごしているのですが、離れてみて定地の「風、色、香り」の存在を認識しました。
時代が大きく変る時だけに、今回の旅はその落差を一層大きく感じさせてくれました。
COLUMN
平成22年3月17日・記
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おしらせ
中欧の旅日記、一応アップしました。
「エッセイ D 旅日記」です。
全く、気乗りがしていません。
長い間、待ち・期待していた旅だったので、終了して 気が抜けてしまったのでしょうか。
間違いが多いと思います。お許しください。
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COLUMN 1−D 1256
平成22年3月16日・記
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中欧の旅から只今帰国しました
〜出来上がりの順番に掲載します〜
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現地時間3月15日12時30分(日本時間3月15日、午後8時30分)にハンガリー・ブタペストを飛び立ち2時間半後にはフィンランドに。。
フィンランド・ヘルシンキでの乗り継ぎ時間1時間半、所要時間約10時間後には中部国際空港です。 到着は予定どうりに午前10時でした。
往路のヘルシンキ国際空港はハブ空港、ヨーロッパで一番乗り継ぎが便利と宣伝しているが、通関に1時間以上も待たせたのには苛立った。
それに対して復路・中部空港は正確には午前10時05分到着、午前11時45分には自宅に到着していたのですから、気分最高。
気分最高の理由はヘルシンキを飛び立った後、夕食でブランディーを4杯と白ワイン1杯で、その後グッスリ、到着前の朝食の時間も眠り続けていました。
毎回、時差ぼけ修正には時間がかかるほうですが、今回は短期のうちに戻りそうです。
ところで、旅日記の方ですが、現地で入力したものから、順次掲載します。
掲載は「エッセイ・D 旅日記」です。
当面の感想です。
1、予測どおり、聖堂、教会、古い石・レンガ、コンクリートの建造物でごちゃ混ぜで す。 私だけかと思いましたが、大半の方の感想でもあります。
2、その場で、気付いたことを入力した積りですが、事前に資料として入力していった情 報量がその数倍です。
現地での感想や考えたことは斜線体で入力しました。 紫の色もそうです。
後は、写真だけでも見てください(素人写真などよりは、モット素晴らしい記録あります)
例により、読み直しはしていません。校正もしていません。 誤字脱字は多々あり、
後日、楽しみながら修正します。
まずは、早いのが取り得で参ります。
COLUMN
平成22年3月8日・記
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おしらせ
明日(3月9日)より、中欧に旅します。
イイカゲン日記は10日間ほど、お休みです。
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COLUMN 1−D 1255
平成22年3月8日・記
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「波動の会」3月は、江本先生を迎えて
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「波動の会・東海」の定例会は毎月の第一土曜日ですが、
今回は”水と平和” グローバル・フォーラム 2010 びわ湖 を 3月20日、21日、22日に控えて、大変お忙しい江本先生が名古屋で講演されました。
人は水である。 水は情報伝える。水はエネルギーである。
その水の構造を結晶写真で捕らえたことによって世界的に注目された。 日本で1999年6月に初版発行されて以来、世界数十各国 で「水からの伝言@、A、B」が大ブームを巻き起こしています。
近時は中国、台湾でも発行され100万部を突破したと聞いています。
私も参加しましたが、1997年7月25日、びわ湖に向かって「大断言」の唱和しました、その年のびわ湖は水が臭いという苦情が少なくなったと地元新聞が発表しました。
そのことの再現を狙ったものではありませんが、今地球上で発生しているあらゆることに対して、「水と平和」という視点から、世界から著名な先生方を招いてフォーラムが開催されます。
3月8日はその滋賀県に行かれる予定の江本さんが名古屋で一泊されました。
江本さんは名古屋とは深いかかわりがあり、「波動の会・東海」にも注目されておられ、昨日は会のメンバーと一席持つこととなりました。

↑世界を駆け巡っている江本さん、昨夜は久しぶりに英気を養ってもらえたでしょうか。

と
↑昨日は日曜日、名古屋・錦のお店はお休みが多いのですが、普門山 吉祥院 「聖徳寺」の松村和尚の計らいで、特別貸切営業をしていただきました。
昨年12月、知多半島で行なわれた時の「忘年会」と負けず劣らずの盛り上がりでした。
COLUMN 1−D 1254
平成22年3月6日・記
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ウグイスの初音を聞きました
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一六社の「NAVI タウン 全国版」が完成したと言うので、アチコチを旅しました。
そのために、ツイッターに今朝は「イイカゲン修行僧日記」を書くタイミングが狂いましたので、午後からでも気分が改まったら書きましょうと入力し終え、まずは「写経」から始めましょうと、気分を入れ替える為に窓を開けました。
窓の前は4メートル離れてお隣で、かって盆栽職人であったSさん家の屋上です。

↑屋上の紅梅の盆栽は満開です
雨の降る中、その屋上に若奥様が傘をさされておられる、窓を開けると同時に目が合いました。
そして、奥さんが言われました「ウグイスの声が聞こえたので、つられて昇ってきました」と。 「何処にいるのか見つからないのです。綺麗な声でハッキリと聞こえたのですよ」と。
私「ウグイスの声にひかれて、雨の中屋上に昇るとは、ご趣味が良いですね」
「日記の題材で困っていましたので、写真を一枚撮らせてください」と頼みました。

↑ダメダメと言っている間に、一枚シャッターを押しました。
奥さんと隣に引っ越してこられた方のお話を一言二言交わしました。
小さなお子さんが来られてので、この周辺も元気な声が聞こえるようになるから楽しみだといいますと、「近頃は子供がいなくなって近所づき合いも希薄になりましたからネ」と。
窓を開けたままにしていますと、確かにウグイスの声が聞こえました。
まだ、幼稚というか、サエズリは「ホーホケッキョ」とは鳴けないようです。
私が口笛で「ホーホキッキョ」と返すと、「ホーケッホ・ケッホ」と鳴き返してきました。
数度繰り返している間に、「ありがとう」も言わずにどこかに飛んでゆきました。
そして、ここまで入力し終えたところで、再び階下で「ホッケ・ホッケ」と呼んでいるようです。 「法華、法華経」ではなく、私は今から「般若心経」だと言って、窓を開け放ったまま、筆を取りました。
気持ちよく「写経」が出来そうです。
COLUMN
平成22年3月5日・記
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おしらせ
本日はコラム2−N NO313 に「けさの言葉」を掲載しました
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COLUMN 1−D 1253
平成22年3月4日・記
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「新生活探査の時代」とは・・・
〜変る世の中、変る生活者、変る消費行動〜
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最初に、お詫びと修正
昨日、このコラム( No1252)で、四大広告宣伝媒体中、「新聞媒体」が「ネット広告媒体」の売上高で下回ったと書きましたのは間違いでした。 お詫びし訂正します。
第1位がテレビ、第2位が新聞、そして第3位の雑誌が2009年度においてネット広告に追い越されたと言うのが正しい内容でした。
消費者=生活者の意識は
昨日のこのコラムでは上から、あるいは一方方向から流されてきた情報、商品、サービスを単に取捨選択する生活者=消費者から、自ら参加し創り上げてゆく生活者=消費者の仕組み、システムがこれからの時代を作ってゆくとの考え方を示しました。
では、その消費者=生活者の意識、行動はどのようになっているかを、電通総研・未来気分2010 ”「新生活探査の時代」へ”と題した調査結果から、眺めてみることとします。
・「部分最適から全体最適へ」という社会フレームの大転換に伴い、生活者も「自分にとって最適解とは何か」という問題を意識するようになった。
・「今の時代の最適解」とは、「お得(ECONOMY)で、安心・簡単(EASY)で、エコ(ECOLOGY)」は、当たり前、付加的な心動かす魅力(EMOTION)]が差別化の切り札になりつつある。
しかも、個人の指向性に応じてメリハリが明確になる。「4Eメリハリ消費」と呼ぶ。

↑3月3日の散歩時に「沈下花」が満開、むせ返るほどの香りでした。
2009年の生活態度変化を振り返る。
1、「賢く節約(=賢節)」は現代生活者の基本マナー
→日常的に節約を意識している人(常に+時々意識)は、80%弱と安定している。
一方、廉価のみを追及する態度は徐々に弱まってり、日常生活の様々なシーンで節約をスマートに織り込む「賢節」的な消費スタイル。
2、「節約と贅沢」のメリハリで、節約時代の最適解を探る動き
→節約基調の中にあっても、非日常的な贅沢を適時楽しむことで、巧みに生活の質をあげている。
2009年12月の調査では、日頃の節約を気にせず、時にチョット贅沢なお金の使い方をするは、良くあるは7・5%、時々あるは35・6%、たまにあるは44・4%と合計87.5%です。
2009年2月の調査では、それぞれ6・7%、24.4%%、30.6%、トータル61.7%です。
3、2009年・生活者が選ぶ、「話題・注目商品」ランキング
→ハイブリッドカーや電気自動車に代表される、「5年、10年先でも主力商品として存在していそう」と思われる骨太感のある大型所品。
・第2位以下は「マスク」、「国内低価額ファッション」、「エコカー商品、エコカー補助金対象」、「エコポイント省エネ家電」と続きました。
・最後に、4つのE=ECONOMY(お得)、EASY(安心・簡単)、ECOLOGY(エコ),EMOTION(心動かす魅力)が今日の総合消費態度ですが、時に差別化の原動力となる要素「心動かす魅力」からの。「話題・注目商品」は・・・
1、「次世代定番」力
→5年、10年を先取りした「失敗しない」安心感や「人より進んでいる」優越感が消費意欲を後押しする。
2009年→ハイブリット・カー、省エネ家電、粘着性ポリマー整髪剤
2010年以降のブレイク商品と現象(以下同じです)→電気自動車、電動スクーター、スマートハウス(ITで電力消費を極小化の家)
2、「衝撃価額」力
→これまでの常識、相場感から大きく外れ、衝撃的な価額設定。
2009年→千円高速道路、ファストファッション、千円未満ジーンズ、アウトレットモール
2010年→0円テレビ(ネットサービス加入が前提)、立ち食いフレンチ、0泊2食旅行プラン、値切り通販サイト
3、「ゆる繋がり」力
→近すぎない、適度な距離感、瞬間的に盛り上がり、情報交換を楽しみたい気持ち。
2009年→コメント付き動画共有サイト、ツイッターのつぶやきサイト、「ドラクエ9」のすれ違い通信
2010年→政治のネット活用(参議院×ツイッター)、シェアリングサービス拡大
、会社員のアフター5ボランテイア
4、「等身大共感」力
→現代人の夢や不安に共感し、応援する商品や企業姿勢が好感を呼ぶ。
2009年→「IQ84」、「小悪魔ageha」「I love mama」、贅沢巣篭もり(高級アイス、高級おせち)
2010年→パパ育グッズ(男性的デザインの育児グッズ)、強気応援グッズ(例えば、戦国武将気分になれるグッズ)
5、「言い切り」力
→複雑・情報過剰の社会、効用を絞り込んだ「シンプルで直感的な「言い切り」が納得させる。
2009年→メモ取りに特化した電子メモ帳、蒸気の出ない炊飯器、ワンコイン弁当
2010年→ワン札サービス(千円、一万円ポッキリ) 羽なし扇風機、羽田空港発着の海外ツアー
6、「えっ、本当?」力
→「水と油」の組み合わせ、常識を超える力、予測を裏切る番狂わせが、独特の興奮を呼び起す。
2009年→柔らかいチューインガム、ツンとこない酢、朝カレー、実物大ガンダム
2010年→ハイブリッドエンジンのスポーツカー、洋食系ネタの寿司(焼肉×寿司)、3D映画/テレビ
7、「不動原点」力
→揺ぎ無い絶対的存在感、今の原点、貫き通す信念に触れて、癒されたい、感動したい
2009年→仏像ブーム、戦国武将ブーム、富士山ブーム、ハイボール、主人公が熱いビジネスドラマ
2010年→坂本竜馬ブーム、平城遷都1300年、テント泊の「本格おとな登山」
如何ですか。私には理解できない単語や現象がありますが、感覚的にはなんとなく納得できます。

↑3月3日の散歩時に、「ユキ柳」が咲き始めました。
ここで、一言、「世の中変る、生活者も変る、消費行動も変る」ことは、世の常です。
ですから、面白いと思うのです。
何度も書きますが、これまでの一方方向の流れの時代は終わったと言うことです。
同じ価値観を共有するものが同心円状に集い=横に手を結び合って、それぞれの個性、持ち味を生かして創造してゆく時代になったと言うことです。
閉塞感漂うこの時代にあって、今のところ多くの成功体験を見たり、聞いたりはしていません。
しかし、アチコチで試行錯誤の行動が聞こえますし、見えてもきました。その中から成功
モデルが登場することでしょう。
その成功モデルの一つ一つが一気に暗く・冷たいこの閉塞感を打ち破ってくれると期待すると同時に、私自身も一つのモデル創出に参加したいと考え、行動しています。
COLUMN 1−D 1252
平成22年3月3日・記
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偉大なる田舎名古屋の東北30Km
〜濃尾平野の隅に位置する企業が羽ばたくとき〜
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4大広告宣伝媒体(テレビ、新聞、ラジオ、雑誌)に於いて、2009年はテレビは前年売り上げを下回り、雑誌、新聞も同様であります
特に売り上げ第3位の雑誌は遂にネット広告に追い越されたと報道されています。
本日一六社の新しいビジネス戦術(一六社では”第3世代のホームページ”と呼んでいます)の勉強会が開催されました。
その内容はこれまでの扱ってきた、あるいは世にあるあらゆるネット媒体を網羅・関連付けた内容であると認識しました。
SMBS(ソーシャル・メディア・ビジネス・サイト)と呼ばれるものです。
世の中に既に存在する、ホームページ、地域SNS、ブログ、ユーチューブ、ツイッター、ヤフー・グーグルの検索を活用したシステムです。
これは単にネット媒体の発展・前進というよりは、生活者も参加する生活情報システムと言えるものです。
このシステムによって生活者が情報を得るのみならず、自らも参加し情報を発信してゆきます。(そこに生活者の要求する商品・サービスが見えてきます)
ということは、それを生産する、提供する生産者も流通業者も無視することはできないということになります。
皆がそこに参加して同心円状に(別な表現をすれば横型に並び)位置することとなります。

↑当日は午前1回、午後2回の勉強会は全て満員でした。
これまでの縦型情報と言える一歩方向で上から情報が流れる。
あるいは生産者の製作した商品、流通業者の取り揃えた商品・サービスの中から、単に取捨選択する社会システムから、生活者も参加して作り上げてゆく社会システム・仕組みに変化してゆくと表現した方が適切かと考えます。
物やサービスと表現しましたが、政治あるいは政治家も変わります。変わらざるをえません。 既に、その傾向は知らず知らずの内に進行しています。
(昨年8月30日の「衆議院選挙がそれです。そして、其の勝利に酔いしれた(?)民主党を中心とした与党は、数々の間違いを起こしています。
政治の話はまたの機会にしましょう))
テレビ・新聞などのマスメデイアも変わるでしょうし、教育も、医療も、変わります。
この仕組み・システムが世の中を変えると言っているのではありません。 この仕組み・システム自身も完全なものではありませんし、まだまだこれから変化発展することでしょう。
重要なことは、これまで一部の方、組織が独占していた情報が、即座に(リアルタイム)、ピンポイント(各人の知りたい情報が簡単に手に入る)と、同時に全ての方の行き渡るという発想(思想)に基づいた仕組みなのです。
しかも、そこに自らも参加し作り上げてゆくという考え方をベースにしているところが新時代が求めている具体的な仕組みであり・システムであると思います。
このところ、やっぱり「偉大なる田舎の大都市・名古屋」と揶揄されている声が耳に入ってきます。
其の「偉大なる田舎の大都市名古屋」から濃尾平野の東北の隅、30Kmに位置する春日井・高蔵寺から発信する仕組み・システムは今、閉塞感漂うこの時代にあって、新しい時代の一つのモデルを提供することになる可能性を持っていると感じた勉強会でした。
追記
消費者=生活者が参加、主役・変ると言いましたが、では、どのように進化してゆくのでしょうか。
"電通総研 ・未来気分2010、”「新生活探索の時代」へ”からの紹介は明日のこのページでして見ましょう。
COLUMN 1−D 1251
平成22年3月3日・記
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本日は「お雛祭り」 梅が香ります
〜車旅第6弾「西国33箇所巡礼」の写経を楽しむ〜
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昨日(3月2日)、夕方の散歩道で、遠くから梅の香りが漂っていました。
進むにしたがって香りは押し寄せてくるようにさえ感じました。


↑たった一本の梅の木なのですが、辺りを圧倒していました。
チラチラと数十枚の花びらが落下しておりましたので、3月3日「おひな祭り」の春風で、落下盛んとなっているのでしょうか。 この後、訪ねてみます。
昨日の散歩コースは10回に1回の割合の、反対回りをしました。
大谷川を越えて「岩船神社」の前に通りかかりますと、雀の群れが一斉に飛び立ち、耕転が終わった田圃に舞い降り、そして又、元の電線に一斉に舞い戻ります。

↑飛び立つ瞬間にシャッターを押そうとしますが、操作が分かりませんでした。
さて、3月3日、「雛の節句」は、車旅で廻る「西国33箇所巡礼」のために始めた「写経」の2日目です。
「四国88箇所・遍路」の時は、確か1年間ほど掛けて200枚は書いたと記憶します。
88箇所に番外、そして1箇所で「本尊」と「太師堂」の2箇所ですから、200枚は必要でした。
平成13年から始まった「西国33箇所巡礼」もその都度、写経して持参しましたが、予備と言うか書きためたものは残っていません。

↑平成12年4月30日・最初の写経 ↑平成22年2月26日・写経
元来「悪筆」の上に、ジックリとシッカリと心静かに筆を取るなどと言うことは、性に合いませんし、出来ません。(逆に、講演、講義を書き取ることはそれなりに出来ます)
平成12年4月、初めて筆を取った時のモノを記念に残してありました。キット「楷書」で書こうとしたと思いますが、所詮、耐えられる書き方ではなく、直ぐに悪筆乱雑な字格好となりました。
そして、今回平成22年のモノです。 初めから、楷書など諦めています。
10年の月日が心を開放させたのでしょうか。 筆を進めるのが楽しいのです。
般若心経を軽く口ずさみながら、時折、経典を目で追いながら書きました。
朝の礼拝、20分の時間の経過と共に雑念が消えて心穏やかに、豊かに、楽しくなってゆきます。 (時として、何か横切ると経文が消えてしまいます)
写経も同じようにとは行きませんが、小学校、中学校時代あれほど嫌いであった習字の時間を、墨汁ではなく、墨を摺って筆を取るというのですから、年輪を重ねたと言うのか、時代が変化しているのですね。
さて、今から始めます。
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