COLUMN 1−D 1270
平成22年4月2日・記
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Web2.0マーケティングをリードする
「一六社」の入社式
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〜私の新入社員への「奨励の言葉」を掲載します〜
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昔からの友人から「どうせ入社式で一席ぶった事だろうから、その内容を掲載せよ」と指令が来ました。
確かに、昨日(4月1日)の午前2時に目が覚めまして、そこで枕もとのメモ用紙に書き留めました。
本番ではそれに付け足してお話させていたが来ました。
記憶にある限りのことを加えまして、掲載することとします。
『・御入社オメデトウゴザイマス。
・私は昭和40年(1965年)に社会に出ました。
・当時、入社した小売業界のキングは東京では三越、高島屋、大阪では大丸、そして名古屋では松坂屋でした。それらは百貨店でした。現在名古屋の三越は「オリエンタル中村」と言いました。
・それを追いかけていたのが、スーと出て、パーと消えるから「スーパー」といわれていまし。
大阪のダイエー、東京の西友、今は「セブン・イレブン」の方が有名になったイトー・ヨーカ堂、現在はイオン・グループといわれるジャスコであり、地元ではユニーでした。私はユニーの前身「西川屋チェーン」に入社しました。
・その百貨店もスーパーも既にこの世から消えていった会社もあれば、消えそうな会社もあります。
今という時代は100年とも、500年とも言われる時代、歴史の大転換期・変革期です。
・皆さんが選ばれたインターネット業界もまだ誕生して20数年ですが、その間、常に変革期であり、進歩・発展の連続で今も続いています。
・グーグルという先進大企業もあれば、ヤフー、楽天、ぐるナビ、ソニーの「ペタ」等の企業も世に認められる存在となりましたが、この間、昔のスーパーと同様にスーと出てはパーと消えていったI・C企業は枚挙に暇がありません。

・どのようにして生き残り、安定した企業に成れるのでしょうか。
・売り上げが上がり、利益が出、働く社員の収入も上がるにはどうしたらよいのでしょうか。
→それは、お客様に、あるいはお客様に商品やサービスを提供するお店の方が、便利で喜んでいただけること、豊かで価値ある生活をしていただけることによって成り立ちます。
・私たちの使命は良い商品、サービス、システムを提供し続けることですが、それを開発し、営業活動をしてゆくのは人間・私たち自身です。
とするならば、私たち自身の質・レベルが向上しなければ達成しないこととなります。
・では、どのようにしてレベル向上を図るのでしょうか。
・勉強することです。 勉強とは机に向かっているばかりが勉強ではありません。
一番大切なことは、一番レベルが上がり、実力がつくのは「実践行動」です。
・現実の仕事を通じて実力をつけることです。そこには成功もあれば、失敗もあるでしょう。
たとえ、失敗しても成功するまで「めげず」に次々と様々に工夫しやり続けることです。
大変革期・転換期の今は、勇気を持って「試行錯誤」する者が次の時代を創り上げます。
・あなた方が選んだ一六社のモットーは「拙速、自由、自立」を掲げています。
「責任感という自覚を持って行動する」、「失敗を恐れず、挑戦すること」を大切と考えています。

・もう一度言わせていただきます。
・今、日本の社会は政治も、官庁も、産業界の大会社も、マスコミも、教育界も、すべて真の意味の役割を果たしていないと思います。
旧来の既得権益に固守し、自己保身し、新しいことへの挑戦をしていないのです。
・日本は先進国に位置づけられます。 様々な組織、制度、仕組みは成熟期を過ぎました。
新たなステージへの挑戦をする時なのです。造り替えの時です。
・一例をいいますと、これまで日本の産業を牽引してきた自動車産業、電機業界は、これから需要が飛躍的に伸びる中国やインドなどの新興国がドンドンと需要の伸びに合わせて参入してきます。
そして、それらの国や人々にこれまで先進国の人々が享受していたと同じような物的に豊かな生活を提供してゆくこととなります。
彼らの年間収入は私たちの十分の一、二十分の一です。それらの国と同じ商品を製造し提供していたのでは太刀打ちできないことは明白です。
私たちの生活態度、レベルを変更できますか。低エネルギーに切り替えること出来ますか。

・どうしたらよいのでしょうか。
これまでの製品のインプルーメント=改良、改善ではもう太刀打ちできないのです。時間の問題です。
イノベーション=改革、革新、刷新しなければなりません。 全く新しい商品を技術革新で持って開発しなければなりません。
空を飛べる乗り物はどうでしょうか。 高齢化がマスマス進みます、からだの不自由な方が増えます。空を飛べる乗り物なら1階から2階へ簡単に移動できます。みんな欲しがります。
・一六社はこのIC業界でこれからもインプルーブメントも常に続けますが、先程、社長が発表したような、新しい商品、サービス、システムを開発し提供し続けます。革新企業です。
・本日は、入社される皆さんを心からお待ちしておりました。
皆さんを大歓迎します。 その事をお伝えすると同時に、先輩社員も心新たに、一人でも多くのお客様に便利で・楽しく・豊かで価値ある人生を過していただくために、商品とサービスそしてシステムを開発し・提供します。
そのために皆さん同様に先輩社員としても自分自身を向上させることを誓う日でもあります。
・各人が自分の個性、特徴、長所を一層伸ばし・発展させることを誓う「旅立ち」の日です。
・私も仲間に加えていただき私自身も心新たに、一緒に行動してゆきましょう。
皆様を心より歓迎し、改めて「おめでとう」と言わせていただきます。
ありがとうございました。』

COLUMN 1−D 1269
平成22年4月2日・記
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Web2.0マーケティングをリードする
「一六社」の入社式
〜第2部 「新入社員・歓迎立食パーティー〜
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↑自分達で準備しました。 出来上がりです。

↑ カンパー〜イ


↑本日のコンパニオンの「彩乃ちゃん」


↑ビールと缶酎ハイが中心のパーティーですが、こちらは日本酒党のようです。
舞台裏の様子が少し違います。 覗いてみました。
誰かの誕生日。いや、違います「ハッピー・ウエディング」とあります。




↑この日の前日、3月31日に結婚入籍しました「樋田さつきさん」。
今日から「廣中さつき」ですと、発表・挨拶されました。

↑ 「ワーイ・イイナ。 私は後何年先かな」

↑「わぁ〜い、どうしようかな。まだお勤めしたばかり。ずーと、このままで・・??」

↑社長の祝辞。 さつきさん、もう、涙があふれ出そうです。
ここから二枚は蛇足ですが、どうしても
この手の話になりますと、この二人の登場となりました

この後も和やかなパーティーは続きました。
最後の一本締めの時は、カメラマンも任務を忘れて手を合わせていましたので写真なし。
明日も勤務があります。 午後8時でお開きとしました。

↑パーティー終了後、本日一日お疲れの様の社長とコンパニオン「彩乃ちゃん」です。
お知らせ
本日、コラム 2−N 「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」に”けさのことば”掲載。
COLUMN 1−D 1268
平成22年4月1日・記
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Web2.0マーケティングをリードする
「一六社」の入社式
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↑↓一六社のある高蔵寺駅北口のバス・ステーションにて


↑北口駅前の公園の桜も咲いています


↑7名の新社員を迎える用意は出来上がっています。

↑多くのご来賓の方々、先輩社員も迎えてくれました

↑少しは緊張しましたが、昨年の夏より研修を受けていますので、落ち着いたもんです。

↑↓社長から夢と希望の持てるお話を聞かせていただきました。

御来賓から、そして先輩社員からもイッパイお話を聞かせていただきました。
一人ひとり、決意を語りました。

↓↑記念撮影です。カメラマンは早撮りで緊張している暇もありませんでした。


↑皆で昼食を取り、午前の部は終了です。
就業時間後に第2部として、歓迎パーティーが予定されています。
COLUMN 1−D 1267
平成22年3月31日・記
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花冷えの中、「桜」のウグイ川を下る
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↑今月26日に咲き初めと紹介しました、西尾街道から細野街道の辻に咲く桜。
花冷えでユックリな開花です。ここがウグイ川の出発点でもあります。

↑自宅のベランダから少しだけ見える「細野のしだれ桜」
今年は賑やかさがなく、寂しげに見えました。

↑ウグイ川を約1Km下った、外原付近の桜です。

↑帰り道はウグイ川から高蔵寺ニュータウンの方面に道をとりました。
夕闇が迫った石尾台の法面のユキ柳と桜
ほんの数分歩いた所でこれだけの景色に出会えます。
駅に出かけるには、路線バスの停留場までには7~8分を要しますが、毎日、弥勒山、大谷山、道樹山を眺め、そしてウグイ川や大谷川、内津川を下る散歩道は最高です。
COLUMN 1−D 1266
平成22年3月30日・記
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たった二日間、家を空けただけなのですが
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メールが届いていますし、郵便物も届きました。
銀行に行けば、持参した通帳が間違いで引き返し、再度行くとキャッシュカードが「停止」
となっているという。
以前、何度も反応しないのでプッシュしたから、問題ありと停止されてしまったようです。
新たにカードを作ると1週間はかかりますという。
「身体認証対象口座」は実に安全に出来ていることは認識できましたが、本日現金が必要です。
仕方なく自宅に戻り、身体認証対象口座から普通の口座にお金を移動振込み。
そして、3度目の銀行に行くこととなった。
親切には対応していただけるのですが、窓口の方もこの口座対応は頻繁に無いらしく、マニュアルをチェックしながらの対応です。
最後は何とか目的を達成しましたが、資本主義・金融システムは進歩しているのか、し過ぎて不便になったのか、半日潰れることとなりました。
JA(農協)に種の買出しに行きますと、春野菜の種が豊富=花盛りでどれを購入したらよいのか戸惑ってしまいました。
サトイモも既に発売されています。
サトイモといえば、自宅の階段下の玄関に昨年11月に収穫し、一冬好きな時に食してきましたが、まだ残っています。
例年ですと畑に埋め込んで一冬越すのですが、冷え込みの厳しい瑞浪とは異なりますので、昨年は自宅で過させました。 一部は腐っていますが、充分に発芽しそうな顔をしています。
在庫を確認しましたので、買い増し分を明日にでも購入してきます。
残高を気にしての銀行行きよりも、こちらの方が余程楽しいです。
残った作業もその後順調に終了、今から散歩です。
COLUMN 1−D 1265
平成22年3月29日・記
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3月の「遠山藤原学校」 3月27~28日
〜ジャガイモの植込み、お茶の刈り込みなど〜
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↑先日の強風で注連縄が切れ国常立尊が鳥居を潜られたという「熊野神社」にお参り、ご挨拶をしました。

↑飯田線を乗り継ぎ遠山郷の道の駅に来られる方々をお迎えに、「花モモ」が咲き揃い、お出迎えです。


↑3月22〜23日先発隊が準備していただいた畑に、畝作りしジャガイモを植え込みました
作業終了後は温泉に入り、お宿「島畑」へ。 地元の方もご参加いただき懇親会、その後の二次会へと恒例のパターンです。
明日の作業があるからと、午後の10時過ぎにはお開きとしましたが、地元の方は昨年10月に閉鎖となった木沢活性化を担うこととなる「梨元ていしゃば」の再開・記念式典が午後の2時からあり、連続してのお召し上がりで、終始出来上がっておられました。
さて、翌日は

↑地元のベテレンの方にご指導をお願いしました。昨夜のことはサッパリ覚えていない言いながら、手元は↓、御覧のようです。

↑ポケットに手を入れて眺めておられました医師のT先先も、面白そうで・やってみたくなったと言われ、この後実践され、お話いただいたときには「「真実」を感じることが大切で、茶狩りをして通じて、「止まっていない人間の生命」と同じ相似形を感じたといっておられました。

↑会計士のN先生も、おっかなびっくり一度茶刈機を手にした後は、重くて怖いといわれその後は、剪定後の葉を手で払いのけておられました。

↑薪割りも体験しました。

↑「中央構造線と神社・仏閣・霊場」の存在と一度も民族として滅んだことのない日本の不思議さと、これからの乱世に何を継承し残してゆくべきかの勉強もしました。

↑最後に旧木沢小学校で今も現役のピアノ伴奏で、「故郷」を合唱し、帰路につきました。
3月末とは言え、太陽が雲に隠れると急速に気温が下がりました。
「恵那山トンネル」を越えた時には一事、みぞれ交じりでした。
COLUMN 1−D 1264
平成22年3月26日・記
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春嵐と雨で足止め
ヤット3日目に散歩に出かけました
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高校野球が雨で連続2日間順延になったのは、20数年ぶりとか報道していました。
3月27・28日の遠山藤原学校は本格的に農作業が始まります。
それに先駆けて先発隊が3月22・23日に土作りに出かけていただきました。
その報告の中で、遠山郷・熊野神社の注連縄が強風でぶっちぎれていましたという報告に、藤原先生は国常立尊が鳥居を潜られたたと表現されていました。
世界の情勢からも、頼りなく報道される日本の情報、いや報道されないインターネット情報の飛び交う中、それらに目を通していますと、いよいよかなとの思いをしないわけにはいきません。
3日間、風や雨やなにやらで家に閉じ込められておりましたが、ヤット昨日夕方雨が上がり、散歩に出かけました。

↑毎年紹介します。かって、愛知県・瀬戸市にある代官所通じる中仙道の裏街道、細野街道の分かれ道の桜が開き始めていました。

↑こちらは春日井緑化植物園のハナモモです。
手前左の赤色は「カンヒ(寒緋)・ハナモモ」 中央のピンクは「ヤグチ(矢口)・ハナモモ」 そして白色は「カンパク(関白・寒白)ハナモモ」です。 右手前は「ボケ」の花です。
全く知らないうちに満開になっていました。

植物園の外周散策路を歩くことにしました。
↑普段は水量も少ない道樹山からの沢水ですが、本日は御覧のようです。

↑治山・砂防ダムからも勢い良く音を立てて流れ出ていました。

↑ここでも強風が吹き荒れました。 大木は傾いていました。
春嵐の跡と雨上がりの散策路で胸いっぱいに新鮮な息吹を頂きました。
COLUMN 1−D 1263
平成22年3月25日・記
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こんな風にして、友達が増えてゆきます
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今年の2月にニュージーランドの旅したときのことです、日本語が通じるお土産屋さんで「魔よけの木彫り」を購入した時のことです。
対応してくださった方と一言二言会話をしていると、愛知県・東郷町の出身の方と分かりました。 同時に目に見えない世界の話となり、話は進みました。
時間もなく「今年の秋には日本へ一度帰る」と言われましたので、互いのメールアドレスを交換しました。
まだ、2度ほどのメール交換ですが、本日は以下のようなメールが届きました。
『 加藤さん
お元気ですか?
最後にメールをいただいてから、気づいたらもう1ヶ月もたってしまいました。
メール不精お許しください。
日本は今、春ですね。
こちらにも春休み中の学生さんがたくさんいらっしゃっています。
農業いいですね〜。私も理想の生活は自給自足の生活です。
野菜やハーブをいくつか育てていますが、素人の手抜き栽培ですので、
生活の足しになるかならないか程度の収穫です。
彼が釣りをするので、釣ってきた魚を食べたり、
知り合いの方が猟で狩ってきた野豚の肉をくれたりしていますが、
やっぱり、まだまだスーパー通いは続きそうです。

↑ ニュージーランド・マウントクック
この間、機会があって「ダヴィンチ・コード」を読みました。
何年か前に映画は見ていたのですが、今回は原作を日本語で読んだので、
理解が深まると共に、もう1度映画を見たくなりました。
加藤さんは、ごらんになったことありますか?
加藤さんのホームページの記事をいくつか読ませていただいたのですが、
ダヴィンチ・コードの中で取り上げられているキリスト教の歴史や象徴学は、
加藤さんがお勉強されていることと重なることがあると思いました。
私は、世界史は苦手な科目でしたし、今でもたいした知識もありませんが、
こうやって物語から知識を得るのは、私にはとても有効のようです。
何千年もの歴史はとても興味深く、神秘的なものを感じます。
実は、最近自分自身あまり心の状態が良くないと感じていました。
小さいことでイライラする上に、それをいつまでも引きずったりしていたんです。
ダヴィンチ・コードの中で、キリスト教の「赦し」に触れている部分があったのですが、
自分自身は無宗教ではありますが、この赦す心をもつ人間になりたいと思っています。
この一見シンプルなことが、本当にすごく難しいですね。
私の修行もまだまだ続きそうです。
では、また。』
さて、なんと返信をしましょうか。
比較的時間の余裕のあった2月・3月も終わりに近づきました。 今月末からは、自分で立てた計画で、少しばかり追いかけられそうです。
これで中部大学の聴講が始まったら、どうなることでしょう。
本年当初に計画した内容は実行・遂行できるのでしょうか。 健康ですねポイントは・・
COLUMN 1−D 1262
平成22年3月24日・記
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高校・大学と同期であった友人と
懐かしの豊橋・松葉小路「ラテンガイ」で
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大学職員を定年退職してから沖縄の大学で「考古学」を学び、卒業した友人が豊橋に帰ってきた。
豊橋で会計事務所を経営している今一人の友人と豊橋で落ち合った。
名鉄電車に乗ったのは十数年いや20年以上前かもしれない。その証拠に名古屋・金山駅でJRに乗っても豊橋に行けることに気付いたぐらいであるから・・
私もこのところ頻繁に国外旅行をしているが、沖縄からの友人はその数倍の頻度で国外をまわっている。 しかもイラクだレバノンだと少しばかり危険な所と思われる国にもいっている。
会計事務所の友人も既に息子さんに事務所の跡を継がれているようで、気楽に働きながら、これまた国内、国外旅行をしている。
3人だから良いけれど、次々と話題が飛んで、話が弾む。
なめし田楽のお店で、飯なしでイッパイが出来上がった所で、昔の広小路の飲み屋街に繰り出すこととした。
私が19〜21歳まで、バーテンダーのアルバイトをしていた所にも行ったが、そこは立ち退き他の場所で喫茶店を開業していると会計士が教えてくれる。
50年前のことである。 が、その時のマスターとママは現役という、「生きているのか」と私、会計士は「元気だ」という。80歳は有に超えておられるはずだ。
残念ながら、喫茶店は閉まっていた。
昔ならした飲み屋の名前を思い出して、小雨の小路をうろつく。
私の記憶には既に無かった「ラテンガイ」の看板を沖縄が見つける。
客一人いないカウンターでこれまた80歳を過ぎたママが座っていた。
ママ曰く「息子がお母さんが仕事をやめると、すぐにボケると言うし、嫁と同居しなくても良いから、店の二階で寝起きしているという。
ビール注文すると、少し手が震えながら栓を抜いてくれた。
カウンターの後の棚には分厚い文学作品の本が数冊並んでいた。
一頻り話し込んだところで、夜間高校の時の先生の話を出したら、「まだ。ご尊命か」とママも知っておられ友人2人も驚く。
年賀状の行き来だけはしているので、「今年も年賀状が来た」といい、春日井に電話を掛け女房に先生の電話番号を調べてもらう。
10分後に番号判明する。牛川町の先生宅に電話する。 代わる代わる電話で話す。
お顔は見えないが、お元気そうであった。
話は尽きないが、互いにいくら酒には強いといってもメートルが上がり、お開きとした。

豊橋の実家には帰らず、小雨降る中、豊橋駅「アソシア・ホテル」にチュックインするまでは、記憶にあるがその後は分からず。
珍しくお酒が残っていることを自覚、朝風呂に入り朝食へ。
小瓶のビールをいただき、新聞を小1時間かけて読む。
駅から徒歩で実家に立ち寄り、帰りは豊橋の市内を走る電車に乗って豊橋駅に。
今度はJRの快速に乗って帰って来ました。
COLUMN 1−D 1261
平成22年3月22日・記
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