このページ以前の
                                        コラムはこちら






 COLUMN 1−D 1290
                            平成22年4月23日・記

    ゴールデン・ウイークを前に

  本格的に「夏野菜」の苗の販売が始まりました


 スッキリとした晴天ではありませんが、本日「JA高蔵寺」の大きな折込広告が入りました。
         この時期の農協の混みようは尋常ではありません。

    早々と購入予定の苗をチラシにマークをつけて開店早々に駆けつけました。

          

      ↑堆肥、園芸用の土、プランター用の資材やらが野積みされています。

               

             購入者は殆どが60歳以上の高齢者です。

    『お前さんは何を購入するのかね』、 『トマト、キュウリ、ナスだがね』

    『お前さん、接木の苗を購入されなさったかね』、『いいや、それが良いかね』

   『値段は高いが、それのほうが良いぞね。 毎年接木は早よう、売切れてしまうので、今年も一番で買いに来たんだがね』

 『そうかね、それじゃワシもそれにしようかね』、『よう分からんが、そのほうが良いぞネ』

 『今年は寒ぶいで、一回で植え込むとダメかもしれんね』、「そうかもしれんネ~』
 と備え付けの購入申し込み用紙に書き込みながらの会話です。

  (トンネル、マルチで充分に防寒対策をしてくださいと表示して有りました)

 販売のお手伝いの方も、同じような年齢の方です。 まず、レジで計算をします。

 計算済みの用紙が渡されます。『お客さんもよう見ておいてくれ』と声を掛けて、ダンボール箱に苗を取り入れてゆきます。

 書き込まれた数字は小さく、目元怪しく瞬きながら丁寧に取り入れてゆきます。

               

 我が家の1・5坪の庭隅の畑、本日は雨こそ降ってはいませんでしたが、寒く感じましたので、暫く車の中、午後になって植え込むことにしました。
        
          明後日は瑞浪の百姓学校で夏野菜の植込みをします。

   5月1〜3日は遠山郷・木沢の農園でサトイモ、落花生、その他の種播きです。
 遠山郷でのトマト、キュウリ、ナスの夏野菜の代表選手は5月下旬を予定しています。

  気候が違い、土壌が異なるそれぞれの地でどの様な成果が出るか楽しみです。
 

 COLUMN 1−D 1289
                            平成22年4月23日・記

         庭の藤が満開です



           

             ↑↓この写真は4月22日の夕刻です。

 散歩に出かけようとしたのですが、濡れたベランダがソボソボと降る雨を教えてくれます。

                   その向こうに藤の花です。

     花が終わった山桜の若葉との組み合わせが、目に鮮やかでした。

           

   今朝はまだ、熊ン蜂は来ていませんが、直ぐに蜜を吸いに来ることでしょう。




 COLUMN 1−D 1288
                            平成22年4月22日・記

  ロシア思想史の講義はロシア語から始まった。



   担当教授がゴ−ルデン・ウイークを挟んで本論の講義をすると、話が途切れてしまうので、その前の3週はイントロの時間とするということで、本日はロシア語の勉強となった。

       ロシア連邦の国語表記は、キリル文字が使用される。

 この文字はロシア連邦と旧ソ連構成国のベラルーシ、カザフスタン、キルギスで公用語となっている。ウクライナ等その他の旧ソ連諸国でも、公用語にはなっていないが、ロシア系住民を中心に広く使われている。

 上記に出てきた国名はかっては殆ど知られることは無い国であったが、このところ大統領が逃げ出したキルギス。
 ウクライナ、ベラルーシはロシアからの石油の輸入の問題でヨーロッパを巻き込んで騒がしい。

 1999年のデータではイスラエルへの旧ソ連からの移民は75万人といい、ロシア語のテレビ・ラジオ放送局もあるという。

            

              ↑キリル文字使用のロシア語の大文字。

  担当教授はハンガリー語、英語を初め数ヶ国の言語が原書が読め、日常言語には苦労しない。 ロシア語は一番初めに出会ったときから好きだったという。
 
 当時、教授は英語が大嫌いで受験勉強のためにイヤイヤ勉強していたが、ロシア語を習得した後は、その言語習得の方法から英語をマスターしたという。

 私自身英語だけは何とかしようと数回チャレンジしたが、結局モノになっていない。
 今でも「お金を支払う時には通じるが、貰おうとなると通じない」という情けなさです。

             

     ↑花文字と言うのでしょうか、筆記体を書き写しましたが、これが自由に使いこなせたら、日本語の「悪筆」文字と言われる私の文字も少しはマシに見えるのかなと思いました。

 半年の講義が終わるうちに、固有名詞ぐらいはロシア語で表現できるようになりましょうといわれたが、こればかりは御免蒙りたいとアッサリ投げ出しています。




 COLUMN 1−D 1287
                            平成22年4月20日・記

   「古川起こし太鼓」に遭遇  その2

     平日でも日付変更しない自信?


 4月19日、飛騨高山に来た時には定宿のようになっている「道の駅・飛騨古川」。
 昨夜、道の駅・宿泊自家用車20台。

 内、キャンピングカーは4台でした。 後は中型・大型ワゴン車が8台、
  他は小型、中型の普通車。

           コンビニでユッタリと座って朝食をとる。

 午前7時半から8時までは通勤時間帯であり、朝食と多分昼食のための立ち寄りで次々と車が入ってくる。

 一人当たりの帯店時間は平均3分です。 コンビニが日本の朝の家族の朝食のスタイルを大きく変えたことだろう。

 家族の一体感や連帯感の為には、芳しくない方向に進んだといえそうだ。


 8時半、古川の指定駐車場に停める。 一番かと思いきや・・・

  ここからは写真で紹介しましょう。

            

            ↑飛騨古川駅・渡線橋から北アルプスを望む

            
    
          ↑祭りの主広場、普段は左の建物に神輿太鼓が格納されている。

                

                      ↑広場の入り口

                     


             

                 ↑ 太鼓よりこちらの方が気になった

             

                     ↑提燈で飾られた通り

             

             ↑屋台はこのようにして町内を引き回される

             

              ↑町内によってはこのような行列もあります。

                 

                  ↑メイン会場の到着しました


            

               ↑↓ からくり人形が披露されました。

             

           

       ↑古川ギャルも本日は学校がお休み(月曜日)トップファッションで

               

               ↑青春の絶叫とでも言うのでしょうか

             

     ↑更に若衆は屋台の上で「子供歌舞伎」です。ダブルキャストの牛若丸

           

                

                ↑その屋台の下では「ワシャ・眠いぞな」

             

    ↑飛騨の古川といえば、この写真は1枚は入れておかねばならないでしょう。
            白壁と瀬戸川。川には多くの鯉が泳いでいます。

  

          祭りは夕刻からが本番です。が高山に戻りました

              

                 ↑義兄のお店の看板です

          

             ↑乗鞍岳(?)でしょうか。 帰路につきました

 今回の高山訪問の目的は義兄の御見舞でした。 感染症が心配されるために面会は赦されないと思っていたが担当医が会わせてくれた。

   親族に病状を知らせたいという担当医の要請によるものだったからだろう。

 義兄の兄弟は遠方や高齢者になっており、今のところ元気な私の登場となった。 長い入院を2回経験しているから適任と言うことらしい。

 日本の現状と今後を考えるとこのような状況が多く発生することだろう。

 御蔭で予測もしていなかった「飛騨古川」の「御越し太鼓」を堪能できました。






 COLUMN 1−D 1286
                            平成22年4月19日・記

   「古川起こし太鼓」に遭遇  その1

        〜義兄の見舞いに高山へ〜


 義兄が検査入院ということで、入院経験者は御見舞に行くこととなった。
 
 一日で片道300Km往復するのは、少し厳しいと考えて前日出発することとした。

         

 まずは、毎秋御世話になっている「飛騨金山」の栗畑と蜂屋柿(干し柿)に立ち寄り、秋肥をしました。

 できることなら、秋、春、夏と3回に分けて、7・2・1、の割合で施肥することが理想であるが、毎年どこかTッ箇所ズルをしてしまいます。

    菜の花と桜、そして御茶畑のコンストラストが素晴らしかった。
 1本で数万枚の栗の葉をつける20数年物の栗がその存在感を示していました。

            

     ↑「ワイドビュー・飛騨」と競争したわけではありません。
 今は合併して高山市になった「久々野町」の宮峠を超えますと、川の流れは太平洋側から日本海側へと変わります。

             

        

  ↑峠の麓、「飛騨・一之宮」の「臥龍桜」は、来週が見どころでした。

   高山市内に入りました



          

  ↑4月14・15日と「春の高山まつり、日枝神社」が終わったばかりというのに、一番人気「三の宮通り」はご覧のようです。


             

         

   ↑写真スポーットNO1の「赤い欄干中橋」の桜は見頃です。

     

 ↑高山には既に40数年、出入りしていますが本当に綺麗に変化してしまいました。

 これからの長い年月を考えると、このように観光化した高山はこれで良いのかとも思います。

 写真は「飛騨牛」を中心とした、フランスやイタリアで修行してきた第2代目、三代目の洒落た御店が並びます。

             

     ↑日枝神社の有名な御みこしに訊ねても答えはなし。

              

↑神社横の芽吹きだした大柳が「心配しなさんな」と言っているようでした。


  4月19日、飛騨古川の道の駅で今回も目を覚ましました。

        


     ↑昨夜は零下までには気温は下がらなかったようですが、遠くの山並みは雪が積もっていました。

            

            

   ↑足元の宮川の河川敷には、除雪した塊はがご覧のとおりです。

            この後飛騨古川を訪問しました。



 COLUMN 1−D 1285
                                  平成22年4月18日・記

   トマトのカバー・シートはこれでよいか?

   大谷川の川沿いに花壇もあれば、警官も


 4月17日のことです

   自宅の庭隅の畑、夏野菜・トマトにも、瑞浪の百姓学校のトマトにも、カバー・シートはしたことはありません。

 雨に直接当たると、トマトの皮が固くなると言うことは聞いていましたが、3・4本のトマトにシートまではと実行したことがありませんでした。

   が、遠山郷のトマトにはシート・カバーをしましょうということとなっています。

        また、瑞浪の方でも仲間がトマト栽培に今年は気を入れています。

              

   ↑そこで、本日JA高蔵寺農協に行き、資材を購入し、自宅で試作してみました。

    これなら、20分も有れば出来上がりますので、皆さんがOKと言ってくれればと思っていますが、さてどの様な返事が返ってくることでしょう。


 4月17日夕方の散歩です。
 
           


    ↑4週間ほど前に、警察の方が宮滝大池の付近で探し物をしている様子。
 「オートバイですか」というと、「はい」といわれますので、散歩コースの大谷川に投げ捨てられていた場所をお教えしました。

       2週間前、同じコースを通過しますと、もう一台増えていました。

   そして、昨日です。 警察官がオートバイの車体番号を調べていました。

        そこから、200メートルほど下った大谷川の川沿いです。↓

             

            ↑大谷川を守る会(?)の方々による花壇作りです。

                

        ↑「夏の日も 頑張って います」と書かれた看板もありました。


          

    ↑同じ川筋なのですが、投げ捨てられたオートバイとこんなにも違います。


         本日はこれから”お見舞いで”飛騨の高山に行ってきます。
 



 COLUMN 1−D 1284
                                  平成22年4月17日・記

   春野菜、天候不順で品不足、高値

   〜絹さやえんどうの初収穫と大根の新芽〜 


            

             ↑絹さやえんどうの初穫りをいたしました

 新聞の報道に今朝も「春野菜、天候不順、価額高騰、規格外も出荷要請」と報じられています。

 我が家の今朝の味噌汁の実は、昨秋収穫のサトイモと秋じゃが芋がタップリの豊かなものでした。

 間だか・まだかと毎日眺めていました「絹さやえんどう」を少し早いかと思いましたが、収穫をしました。 指先に新鮮で柔らかい香りがします。 早速神棚に上げました。

 絹さやエンドウの横では昨年の秋以降楽しませていただいた大根が、今度はこれまた柔らかい新芽を提供してくれています。

               

            

      ↑既に一回、油炒めで食していますが、満足のいくものでした。
 たった、1・5坪の庭隅の畑ですが、お休みなくつぎつぎに食材の提供をしてくれます。

            

       ↑早朝は曇っていましたが、急速に天候が回復してきました。

 本日で開花となるでしょう藤です。 まだ、熊ん蜂は来ていませんが、今日の午後からは登場することでしょう。




 COLUMN 1−D 1283
                                  平成22年4月16日・記

 体力が落ちたのか、脚力が落ちたのか、両方か
 
〜大谷山に登る、風に飛ばされ、雨に洗われて〜  



           久しぶりに春日3山の一つ大谷山に登りました。

 数年前までは標高420メートルを一気に登り切ってしまいましたが、昨日は3回も休憩を入れました。 

             

    ↑2度目の休憩で木に持たれかかっていますと、山道を雉が横切りました。

 デジタル・カメラを取り出そうとしますが、息が切れていてそれどころではありません。

 雉も何かに気付いたのか立ち止まっていましたが、ユックリと藪の中に移動を始めました。
            ヤット、カメラに収まった姿が御覧の通りです。

      久しぶりのこと大谷山への分かれ道で、道を間違えてしまいました。 

 可笑しいなとは気付きつつ、ダンダン細くなり・踏み固められていない足跡を頼りに数分後、見慣れた本道を発見しヤレヤレです。

 数年前、この山で行方不明になった高齢者が居られましたが、多分このような状況で焦ってしまい、迷われたことでしょう。

             

                   ↑春日井緑化植物園です。

      植物園を眼下に見下ろす岩の上でウグイスの声を聞いていました。
      声の聞こえ方からすると、ホンの数メートルのところで鳴いています。

 間違えて、音入りの動画を撮影しておりました。ここに掲載できないのが残念です。
  (方法が分かりません)

       

 ↑良く登る西高森山からは北に90〜120度それていますので、同じ春日井市内から名古屋方面を望んでも景色が異なります。 右の池は何時もの築水池です。

  何時も定点観測地点の一つ・築水池からは、今撮影している場所を撮影しています。

             

    ↑ニュータウン内の東高森山と集合住宅郡です。自宅の屋根が見えました


             

           ↑カメラアングルを左に取りますと、戸建て住宅です。

   中央の高座山は自衛隊・春日井弾薬庫で地下には弾薬が「収納されています。
  自衛隊の弾薬が住民を守っているのか、民間住宅が弾薬庫を包み守っているのか?

  
ここ数日、雨が降り、強風に埃が飛ばされて、気温は低いですが澄み渡った空気でした。





 COLUMN 1−D 1282
                                  平成22年4月15日・記

   月日のめぐりはかわらねど

        選べし時の違いによって・・・   


 夏が来たかと思わせたり、物置にしまったヒーターを取り出さなければならないかと思ったりと世の中の情勢と同じで目先の変化は相変わらずです。

               

                ↑固く身を縮めたままのボタンの蕾

               

              ↑もう、頃合かなと、様子を眺めたボタン

             

   ↑数日前の暖かさに、一気に開きました。 雨に風に寒気に耐えています。

 ジックリと腰を落ち着けてみていれば、急ぐとことなし、慌てることもなし、増してや騒ぐとことなし。

      何処から調べてくるのかは知りませんが、色々とお誘いが来ます。
     「気持ちもなければ、資金もありません」とお答えすれば終わりです。

 「落ち着きました。後は上しかありません」との営業言葉、心底どの様な気持ちで発した言葉なのでしょうか。  みんな、みんなそれぞれに大変です。





 COLUMN 1−D 1281
                                  平成22年4月14日・記

     桜散り、流れていった湖面の上を

    〜モーターボートを走らせていました〜


    

               

               

               

        最初は何処で操作されているのか分かりませんでした。

               

                ↑湖面はやがて静かになりました

             湖面の向こう側は萌黄色に変化し始めました。




  
  前のページはこちらからどうぞ