COLUMN 1−D 1319
平成22年5月18日・記
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立てば芍薬(シャクヤク)
座れば牡丹(ボタン)
歩く姿は百合(ユリ)の花
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↑↓芍薬が咲きました。

場面変りまして

↑先回、望遠で撮影した光景を近くで撮影できました。

↑真剣にエンジンの調整をして、宮滝大池を滑走していました。
池の中央でエンジン・トラブルが起こったら、どうするのでしょうか。
今度は定点観測、「築水池」から

↑大谷山の中腹です。盛り上がるような黄緑の木々はなんでしょう。
次回、登って確かめてきます。
COLUMN 1−D 1318
平成22年5月17日・記
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情けないと言ったら・・・36時間の東京で・・・
〜大谷川の「タニウツギ」に癒されております〜
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5月16日、品川発20時47分発「のぞみ」に乗り、うつらうつらしておりますと、1時間40分後の22時31分には名古屋でした。
愛知から車で行かれた仲間が居られましたが、夜間何時に帰宅されたのでしょう。
改めて、東京は私の住むところではないと思いました。
体調が悪くなったわけではありませんが、体調整備の為に歩いてきました。

↑↓「タニウツギ」が満開です。


↑大谷川を下ってみました。 10メートル幅の大谷川を葦が覆い茂っています。
遠くには春日3山が見えます。

↑葦の葉陰で水鳥が羽を休めていました。近づくとユルユルと波紋が広がりました。
COLUMN 1−D 1317
平成22年5月17日・記
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「日本再生プログラム推進フォーラム」
第1回「総決起集会」開催される。
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渋谷のホテルを11時チェックアウトして、隣駅の「恵比寿駅」に向かう。
建物や人ごみの中では昔から方向音痴になります。
全く知らない土地でも、野山の中ですと不思議と勘が働き道が開けるのですが、都会はダメです。 特にビルが建て込んでいる所では絶望的です。
恵比寿は山手線沿線では住宅地でしょうか、駅前商店街を少し離れますと中小のマンションが乱立しています。
時間にユトリを持っていましたのでユックリ探せばよいと高を括っていました。
駅から歩いて5分とありましたので、駅前のベンチに腰掛けて持参の地図を取り出して方向の見当を付けました。
が、いけません。 どうやら迷い道に入り込んでしまいました。 こうなると、それほどの気温でもないと言うのに、額から汗が流れ始めました。
緑の小さな空間が目に入りました。「恵比寿公園」でした。 日曜日と言うこともあって小さなお子さんと親御さんが砂場で遊んでおられました。
(写真を撮る余裕が無かったのでしょう。何もありません)
汗が引いた所で再び、地図を見比べるのですが、持参した地図はあまりにも大雑把過ぎたようです。 2枚目を括ると大きな配置地図がありました。 ヤレヤレとそれに従いますとマスマス細い道の小さなマンション軍に入り込むました。
その地図は昼食を取る予定の為にコピーしたものでした。
これはダメだと広い道に出て店頭で自転車を洗っておられる美容院の方に尋ねました。間髪をいれずに美容院の奥から周辺の細部が印刷されてた地図でもって探していただきました。
方向が約120度それた所を歩いていたのです。
こうなると、今度は大丈夫と思っても自信が持てません。
坂道を昇り始めると、汗がポタポタです。

↑このように、車の通行量も多くは無いのですが、目的の建物を行過ぎて、360 度一周することとなりました。

↑「SPAZA]はエビスから徒歩5分、「エビスガーデンプレイス」から徒歩3分の場所にあります。 直ぐ側にはアメリカ橋から駒沢通りに抜ける通りがあり飲食、ファッションなどの個性的なお店が点在する注目の一角です。
と紹介されていますが、私にはそのようなモノは一切目に入りませんでした。

↑羽織・紋付袴の藤原直哉さんです。

↑理事、監事の皆さんです。

↑一般会員も、「日本再生」にかける思いを発表しました。
集会の報告は割愛させていただきます。
本日(5月17日)このフォーラムの会員間の交流・情報メールを開きますと、多くの皆さんが興奮気味に語っておられます。
時は当に「乱世」に突入です。 裸一貫で生き延びてゆく覚悟と実力が試される時が来ました。
「このような時代に生あることに感謝する」(修行の場として)などと書いてきましたが、果たしていかほどの認識と見識を持って口にした言葉でしょうか。 問われることの怖さがないといえば嘘になりますが、怖いもの見たさの興味もいっぱいです。
COLUMN 1−D 1316
平成22年5月15〜16日・記
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夕食から帰ってきました。
〜この表現や使い方はツイッターみたいですね〜
(このタイトルは5月15日、午後9時に入力)
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ということで、ツイッターに書き込んでみます。
http://twitter.com/k_taiki
とここまで、入力したところで睡魔が襲いました。
5月16日 朝食後
乱立した新党の代表者が集まったテレビ討論をみる。 選挙前だからそれぞれに自己主張している。
司会者が盛んに新党同志の大同団結はないかと話を向けるが、互いにけん制して話は燃え上がらないまま終了した。
其の後に放送は霞が関を辞め、故郷に帰った長崎県武雄市長が登場。「暴走市長」との名前がつけられているということだが、なかなかユニークな市長。
一言でいえば「経営者感覚の市長」ということができる。
今年の参議院選挙後は各地で自己主張する県、市町村が現れることだろう。 だれも指示もしてくれなければ、援助もしてくれない、補助金も来ないのだから・・・
平成の二宮金次郎が各地に誕生すればよいのだが、なかなかそのような人は見当たらず、経営感覚を持った首長さんが今後各地で登場するだろう。武雄市長はその一つの姿だと思う。
昨夜も御酒がすすむに従ってコントロール不足というか、舌がなめらかになり暴走までには行っていなかったと思うが、かなり東京の方には辛辣なことを口にしたと記憶している。
今も22階の部屋から山梨方面、埼玉方面、茨城方面が一望できる。
足元にはNHKのビルも見え、ここから全国に電波が・情報が流されて、、日本をコントロールしているのかと想像したりする。
昨日、渋谷の駅前周辺を歩いた、表参道の「竹下通り」などは、土曜日と言うこともあろうが、狭い道路一杯で原宿駅から大回りして目的地に歩くほどでした。
このホテル「エクセル東急」は渋谷の「マークシティーEAST]の中にあり、1〜3階の商店街の数か所で、人気店舗なのであろう長い行列ができていました。
この街にいれば、日本の僻地までとは言わなくても、地方の県庁所在地であっても、活気に乏しく元気のないを姿を想像することはできない。
若者はぞろぞろいるし、着飾った姿も見えるし、よれよれのルンペンスタイルもいる。 日本全国から富を集中しマンモス化した東京だと思った。
この東京もあとどのくらいで大転換の渦の中に巻き込まれるのであろうか。
どれほどの人々が東京を後にして、緑豊かな故郷へ足を向けるのだろうか。
富を集中し作り上げられた箱もの、交通網、情報網、若者の集積などの仕組み、システムは次の時代への橋渡し役としての役割の為に、知恵ある人々によって活用されることだろう。
ある意味でのゼロから富を生み出した知恵の集積地だったのだろう。
が、しかし、それはほとんど実体のない「虚構」ではなかったのだろうか。
「マネーゲーム」の世界ではなかったのだろうか。
本日、午後から渋谷のとなり恵比寿に全国から160人が集まる。
どのような顔触れの人々が、どのような思いを持って参集するのだろうか。 この集会は残された私の人生に於いて、忘れがたい時と場所になることだろう。
この日記に、今、眼前に展開される眺望を添付・掲載すれば、もう少し異なった感想や気持ちを表現するのだろうかと思いつつ、5月16日 午前9時半の入力を終える。
COLUMN 1−D 1315
平成22年5月15日・記
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只今、東京・渋谷「東急エクセル・ホテル」です。
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現役のころから東京は苦手というか好きになれませんでした。
新幹線で川崎を越えたあたりから、気分をワン・オクターブ上げないと、東京のリズム、ペースとマッチしないように感じたからです。
東京を越て千葉県の緑を目にするようになりますと、また違った気分になったものでした。 東京から更に北の方面に向かい、群馬県に入ると血圧が下がるようなイメージを抱いたものです。
今回も「日本再生プログラム推進ファーラム」の総決起集会が明日16日、恵比寿の「SPAZIO」で開催されることに対して、直前まで出席するかどうか躊躇していました。
が、”奮い立たせた”と言うほどでもありませんが、知人からの問いかけがなかったら来なかったことでしょう。
そのくせに、決まったとなったら東京でも1、2を争うのではないか「若者の街、ファッションの街」に宿をとっています。
「どうせなら」という気持ちと、30数年前、大手広告会社から紹介されご指導をいただいたマーケッター(市場分析・評論・提案者)の方とお会いしようと連絡を取ったところ、今も現役で活躍されて居られました。
今、チュックインし入力している段階ではお会いしていません、数時間後に御約束の時間となります。
年賀状のやり取りしていますが、それ以外は20年ぶりの再会となります。
最初にお会いしたのは昭和48年の第1次オイルショックの衝撃が少し収まった、昭和50年代前半です。
昭和30年代後半から続いた高度経済成長もオイルショックでとん挫し、これからは「低経済成長」の中で如何に成長してゆくかが問われると言われていたころのことです。。
当時としては数少ない女性・マーケッターの紹介をいただきました。
『男発想の時代は終焉した。これからは女性発想の時代」だと、具体的な事例を挙げて語られたことを思い出します。
その後、「高齢化社会発想」という視点でも書物を発表されて居られました。
さて、時代は「男発想などではなく」、バブル崩壊後は「女性発想」も、「高齢者発想」も、全てが行き詰まったような失われた20年が経過しました。
どうも、これまでの歴史上でも稀な時代に突入したと感じられるのです。
これまでの世界の秩序、あらゆる体制、制度、システム、仕組みは溶解し、崩壊されてゆくように感じています。
新しい視点、思想、価値観で持って、ゼロから作り上げてゆく時の到来のようです。
新しい創造の時と言うならば、これまでの発想の始まりである「東京」ではないのではという思いもありますが、戦争によって全てが物理的に破壊されたのではありません。
日本の隅々から集合し、溜まり場で語り合い、これからの道筋を見出し、それを実験し、其の成果を持ち寄り、更にそれを全国に・世界へと発信してゆくためのインフラはこれまでに積み上げられてきたものを活用するとなるとやはり東京かなと思たりします。
時間の経過とともに「首都・東京」の役割や位置づけも変化してゆくことでしょう。結論的には「地方の時代」=自主性・主体性を持った体制、仕組み、制度が進行し・完成されてゆくことでしょう。
今日は一先ず、その東京の最前線で50年近く第一線で活躍されてこられた方の御話を伺うこととします。
限られた時間での御話になると思い、私が現役をリタイヤーした後の12年間のことは、活字に整理してあるものを持参しました。
この整理したもの自身が役に立つのかどうかの判断もできることだろうと期待と不安と言うよりは有効かどうか自己判断してみたいと思っています。
案の定
上記のことゆとりを持って入力したわけではありません。
このホテルにチェックインするまでにどれほど持参した地図と見比べ、それだけでは分からず数人の方にもお尋ねしました。
それらしい人を選んで(たとえば、分煙指導のおじさん、渋谷駅前で街頭演説をしているグループ等)、が東京と言うところは、皆さん分かっているようで分かっていないのではないとの感触を持ちました。
今一つ、22階からの都心の眺望を掲載しようと考えていたのですが、肝心のパソコンへ繋ぐコードを忘れてきてしまいました。
活字だけでアップしておき、帰宅してから写真を掲載します。
ビルばかりですが目立ちますが、緑の「代々木公園」が、心癒してくれます。

↑渋谷、22階からの眺望

↑ホテルの部屋に置かれていたスケッチです。
右の尖がったビルはNTTビル代々木ビルです。
そのほか「東京都庁」も「NHK」も、「新国立劇場」も一望です。

↑写真中央の緑は「代々木公園」「明治神宮」の森です。

↑御酩酊でホテルに帰りました。夜の渋谷が写っていました。
COLUMN 1−D 1314
平成22年5月14日・記
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大谷川の「タニウツギ」が満開です。
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↑5月13日は強風で、高圧電線の下は怖いくらいにビュービューと風を切った音がしていました。 その電線の下では・・・

大谷山、弥勒山から流れ降りた沢水が集まり、定点観測「築水池」に集まり、その後廻間
(ハザマ)の水田を潤し、再度「宮滝大池」に集合し、大谷川となります。
その川の始まりの所に渕が出来ております。
かって「宮滝大池」で養殖されていた鯉が大水で流れ出て、この渕で数匹泳いでおりましたが、いつの間にか姿を消しました。
数ヵ月後、上記の看板が掲げられて、再び4匹の鯉が泳いでいました。
ところが、本日それが見当たらないのです。
↑、アチコチと場所を変えて探しましたら、この写真では分かりませんが、上流で草刈をしたために流れ来た草の下に隠れていたのです。 大きな口を広げて初夏の夏草の香りを楽しむかのように突いていました。

↑左上の暗いところが鯉が泳ぐ渕のあるところです。
渕の所から続く大谷川の遊歩道からの写真です。
対岸の土手に咲いているのが「タニウツギ」〔赤)です。

↑大谷川を守る会の方々の花壇です。 青竹に仕切られたユリがもう間近です。
5月13日、遠山郷のIさんから昨日の返信が来ました。
『この二日間4月上旬の寒さとなり県全域に霜注意報がでています、収穫前のお茶が心配で皆ハラハラしてます、、、、
とは言ってもどうしようもないのですが!
K農園の件了解しました、週末覗いて見ます。』と。
ヤレヤレなのですが、今度はまたまた面倒なことを頼んでしまったと・・・
5月12日「境界線の薔薇」を掲載しました。
『隣との関係が分かる写真を掲載せよ」と、学生時代からの友人の返信に応えて。

↑バラの背後にある隣家の「アカメ」は、かって我が家の生垣でしたが、病気で枯れました。
COLUMN 1−D 1313
平成22年5月13日・記
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遠山郷の野菜たちの便りが届く
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3月上旬に植え込んだジャガイモ、4月上旬に播種した、大根、人参、水菜、ほうれん草、
が順調に成長していますと、遠山郷から画像が送られてきました。
『昨日の雨が勢いつけました。先日の手入れの成果が?

ジャガイモ
(送られてきました画像の処理方法が分からず、暗い画面になっています)
同時に、ボツボツ次の手当てをしてあげなければと言う忠告です。
「気にはなっています。心配しています。 毎日「気」を送っていますが・・・」と返信メールは送りましたが、何故か引っ掛かるものがあります。
十数分後に、こんな言い訳、弁解の一文を添えて再度メールを送りました。
『 言い出せませんでしたが 、間引き、時間を見つけてお願いします。
野菜に限らず、地域みんなで子供を育てることが重要と口にしている手前、近所のお子さんへの声かけは意識して実行しています。
遠方にいる者よりは、皆さんの方が気に掛けられておられるのではないかと、反省しました。』
言い出せなかった理由は、遠山・木沢の集落の方々は限られた人数です。
その上に、殆ど毎週と言っていいほどに、神社のこと、地域の寄り合い、共同作業などがあることを見・聞きしているからです。
分かっていて、このようなお願いをするのはどうかと思いましたが、既に3年間も遠山に出入りし、毎月楽しく歓談し、お酒も飲ませて頂いています。
口にしないことが、水臭いと言われるのではないかと思ったのですが、どうなんでしょうか。 次回、訪問した時にお尋ねしてみようと思っています。
COLUMN 1−D 1312
平成22年5月12日・記
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境界線のバラと
アスファルトの隙間に咲く花
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↑隣家との30センチメートルの境界線に咲く薔薇です。
カイズマイブキの生垣の隙間から枝を伸ばしてきています。

↑その数メートル離れた所に、名も知らぬ花がアスファルトの隙間から・・

↑こちらは表通りのガードレールの下、これまた隙間から「沖縄夕顔の花?」

↑そして、花も終わり種となったポピー。 灼熱のアスファルトの隙間で夏をすごす。

↑再び「薔薇、バラ、ばらです」

↑意地悪なのでしょうか、渦に巻き込まれました。
COLUMN 1−D 1311
平成22年5月11日・記
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