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COLUMN 1−D 1340
平成22年6月11日・記
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上海万博・出発前に
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5月6日、「波動の会」の翌朝、枕元にメモして有りましたが、整理する気も起きずそのままにして置きました。
が、本日なんとなくそのメモが手元に舞い降りました。
ただ、単に上海に行くのではなく、いま少し勉強してから行きなさいといわれているようで、パソコンの前で「中国・上海万博」と検索しました。
ワープロ化した、メモのタイトル「崩壊する世界とそれからの日本」を、エッセイ B 「政治、経済、社会」に掲載しました。
COLUMN 1−D 1339
平成22年6月11日・記
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水無月・6月は「アジサイ」です
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「ジューン・ブライド」なんて全く関係ないですが、入梅前の気持ちよい日が続いています。 頑張っていた高気圧も今日辺りから追いやられ蒸し暑い本来の気候になるようです。
そんな時は散歩にでかけるのも億劫になりますが、庭のアジサイが目を楽しませてくれます。 我が家のアジサイを紹介しましょう。


↑名前などとっくの昔に忘れています。何処からか頂いてきたものには間違いありません。

↑鉢植えになっておりますので、購入してきたものでしょうか。

↑アジサイにとって一番適した場所を選んだ積りでしたが、20数年一度も花を咲かせませんでした。 それが今年は初めて花をつけました。 やはり異常気象なのでしょうか。


↑30数年、毎年咲き続けています。 切花としてバケツに投げ込み「どうぞご自由にお持ちください」と紙札をつけて道路の角地において置きますと、いつの間にか姿を消しておりました。 今年は背丈が伸びて腰窓から眺められますので、そのままです。

↑リビングからこのように眺められます。
(明日、早朝より中国・上海万博です。 日記は6月15日以降となります)
COLUMN 1−D 1338
平成22年6月10日・記
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今週、大谷川沿い・廻間町の田植えが終了
〜植物園のハナショウブの定点観測〜
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↑ 今週、大谷川沿いの田植えが終了しました。
写真は数日前に終了した田圃ですが、昨日終わったばかりの田圃では、水が濁っていました。 その田圃は虫が取りやすいのでしょうか、アオサギが歩いていました。

↑5月28日、定点観測でお伝えしますと言ってから、既に2週間も経過しました。
側を通過する時に首を伸ばし眺めても花が咲き始めた様子が無いので、入園しませんでした。 が、ボチボチ花が咲き始めた様子です。



↓↑上下4枚の写真は手入れされています植物園の中のハナショウブです。
↑これは「ノハナショウブ」と表示されており、植物園外の土手のありました。


次回紹介する時には、菖蒲園は賑やかなことでしょう。
COLUMN 1−D 1337
平成22年6月9日・記
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”静かに行くものは 遠くまで行く”
〜先輩、安江さんの「糟谷磯丸ー伊良湖の歌ひじり」 の自費出版を祝す〜
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昭和39年、初秋と言ってもまだ暑い9月の頃だったろうと思います。
名鉄電車神宮前より半時間ほどかけて降り立ったのは、名古屋市港区築地・名古屋市の市電「築地駅前」の近くの木造の旅館の一室だったと思います。
何度目かの就職試験の面接会場でした。

当時としてはこの時期にもなって就職が決まっていないものは残された30%の中に入っていたと思います。 が、鼻っ柱が強い私は「俺みたいな人間を採用しない会社は見る目が無い、採用しなければ損をしている」との思いを持っていました。
その時の筆記試験は実に簡単なものであったと記憶します。 ”俺を馬鹿にするのか”と思えるような内容だった思いました。
「試験と言っても、通り一遍のものですから・・」と、座布団を勧めてくれたのが本日紹介する安江さんです。

先月の末、中日新聞の県内版で見つけ、切り抜いていたのです。

手紙を書こうと思っていたのですが、その後、風邪気味で今日になってしまいました。
手紙はまだ書いていません、このコラムの記事をコピーして投函する予定です。
安江先輩は今年72歳です。私より4歳上です。
私の知る限りでは若い頃に病気をされ、長い闘病生活の後に西川屋チェーン(後のユニー株式会社)に入社されました。
私が入社試験を受けた頃はまだ入社して1年くらいしか経過していなかったのではないでしょうか。 実に控えめで・静かな方で、今で言う「イケ面」の好青年でした。
その後、長く教育関連や人事畑を歩かれ、人事部長からグループ会社の定年退職者の会「友和会」の専務理事をされ、定年退職されたと記憶しています。
その間、実に様々な場面で関係を持たせていただきましたが、常に冷静で、穏やかで、直ぐにカッと来る私を穏やかに静めてくれたものでした。
安江さんが退職されて10数年、直接お会いしたことは無いと記憶します。
年賀状ぐらいは出さなければと思いつつ、年月が過ぎました。
今、アドレス・カードを調べましたら1999年から賀状の交換をさせていただいています。
5^6年位かと思いましたが、既に11年も経過しているのです。
そして、今回の新聞での再会だったのですが、私の脳裏に浮かんだのは、「静かに行くものは、遠くまで行く」という、一語でした。
「糟谷磯丸」の紹介文には以下のように書かれています。

『江戸末期の地方歌人。 30歳すぎで読み書きを学び、家内安全や病気回復などを祈る通称「まじない歌」を多く残して名を広めた。
各地を旅したが伊良湖を生涯離れず、地元では「漁夫歌人」と呼ばれ親しまれている。
田原市・伊良湖町の伊良湖岬遊歩道には、磯丸の61首を楽しめる歌碑が並ぶ』
安江さんは「今では知る人も少ない磯丸だが、郷土にとって忘れてはならない一人。
多くの人に興味を持ってもらいたい」と語ったと記事に書かれていました。
安江さんを知る私としては、糟谷磯丸とダブって感じました。
静かで・穏やかな安江さん、それでいて深くに尽きない情熱を持っておられる安江さん。

大きく時代の変革が進行している今、安江さんに紹介された糟谷磯丸は時代をどの様に眺め、私達の日々の行動をどの様に洞察しているのでしょうか。
私の抱いていた安江さんのイメージとは異なりますが、この一文をしたためた昨日の散歩道でカメラに収めた写真「ゆりづくし」を添付しました。
いや、これは秘められた情熱の魂が乗り移って、シャッターを向けさせたのかもしれません。

↑このユリの蕾たちが、一斉に咲き時代の転換を告げてくれるのではないのでしょうか。

↑安江先輩は何も語らずに、「元気でね」と声を掛けてくれたように感じました。
安江さんは現代歌人協会員です。
安江さんから頂いたこの5年間の年賀状の短歌を掲載します。
平成18年 当たり年を迎えた犬ビリーが一番元気です。と書かれた後に
・腹這ひて 見たる野の景色 わが犬は この高さより 世を見て生きる
・眼が合ひて ひるみしは わが不覚にて それより先は 犬に従ふ
・川原に 鎖を解けば わが犬は 枯野の風となりて駆けゆく
(*賀状に愛犬の眼差しを正面にした写真が掲載されていました)
平成19年 前年に大腸がんの手術をされた。と書かれた後に
・静かなる敵と思ふよ ひそと来て 身の内ふかく 棲みつきし癌
・遅々として 進まぬ時間 癌ゆゑに 見え来るもののあらば見据ゑむ
・氏名確認といふ大仕事 もつれる舌ひきあげて 名を告げむとす
・煩らはしきは 常に避け来し 人生に 避けきれぬものありて 病み臥す
・病む日々は 明るくあらむ 人に頼り生きてなし得る最善として
平成20年 偽ものが氾濫し、嘘がまかり通る寂しい1年も終わりました。
癌手術後1年の検診も異常なし、ぼつぼつながら畑仕事も始まりました。
・初明かり 畳に射し来 胸中に充ちくるもののなきしもあらず
・病みて過ぎし一年は夢 若水に口漱ぐとき 気力よみがえる
・言葉尽くして 貧しき生を飾らむか 病みしうつつも 彩として
・いま少し 露の世にゐて 果たすべき 野暮用思ひ 灸すえており
平成21年 あかつきの闇が深いほど夜明けが近いというけれど、本当に朝はくるのだろうかと不安なこのごろです。 欲をすてれば満足度が上がると心得て、望みは小さく、志をひくく、ぼんやりとした毎日を送っております。と書かれた後に
・犬の尿 終わるまでわれも片足を上げて 励むなり バランス体操
平成22年 ・・・、定年後の生甲斐に少しずつ書きためて来た『伊良湖の歌ひじり・糟谷磯丸』という、幕末の郷土歌人の評伝が、本阿弥書店から4月刊行の運びとなり、ただ今その準備中です。と書かれた後に。
近詠 三首
・わが膝を 奪ひ合ひ 泣く孫5人 つかの間の 幸と人は言ふとも
・幼子は 兄と呼ばれて 兄となる 妹の涙ふく 仕草へ
・この子らの 離れゆく日に 備えおく 爺の覚悟ぞ 歌詠むといふは
COLUMN 1−D 1336
平成22年6月8日・記
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今年も、ササユリが咲きました
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何時もは定点観測地の 築水池の堤の上から弥勒山方面を眺めていますが、本日は反対です。

↑写真の左の白い構築物が堤の配水口の施設です。右の建物は休憩所。

↑今のところ、例年とは異なり有るべき所には咲いていませんでした。


↑花もよいですが、葉の形とソックリな蕾の状態も密やかで好きです。

↑久しぶりに万華鏡にして見ました。
↓

↑その万華鏡に「波」の効果を指示してみました。↑右は万華鏡前の状態に「波」効果。
昨日からは梅雨前の気温、湿気になってきたのでしょう。 築水池一周の小さな上り下りの散策路でシッカリ汗をかきました。
COLUMN 1−D 1335
平成22年6月7日・記
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瑞浪・百姓学校・6月6日の農作業
〜久しぶりに、3人揃って作業をしました〜
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例年、この時期は夏草の勢いが増してきますし、収穫間近の物もあり、ハタマタ芽吹き始めるものもありと作業は多岐にわたります。

↑赤球タマネギです。 2週間前からタマネギの収穫は始まりました。 本日も2畝の収穫をしました。 一度に持ち帰ることが出来ませんの分けています。

↑ヤット、「サトイモ」の芽が出ました。草取りをした後なので、スッキリ見えていますが、強い夏草の間から芽を出してきますので、見落としてしまったり、草と同時に刈り取ってしまったりします。 2週前には何もなしでした、まだ地中で眠っているものもあります。

↑、トウが立ち始めた春大根に代わって「夏大根」です。
春大根は太い所で直径5センチメートルほどにしか成長しませんでした。
それでも、収穫本数は30本以上、3分割して全て自宅に持ち帰りました。

↑ナスです。夏野菜はこのほかトマト、キュウリ、ピーマン、シシトウが順調です。
畝の上の茶色は牛糞の追い肥です。

↑スイートコーン ↑ポップコーン
この段階では見分けがつきません。 スイートコーンは苗を購入、ポップコーンは種から作りました。 年々、種代、苗代の値段が上がっています。 自宅に温室もあることですから、積極的に種からに切り替えようと思っています。

↑落花生です。今年はトマトとの相性が良いということで、自宅でも、実行しています。

↑5寸人参。間引きの人参も食します。葉はここら辺りまでが食べごろです。
何時ものことですが、この状態に「カラマツ」林を想像します。

↑最後に周辺で一番出来が良いと思われるジャガイモ畑に「恵愛ファーム」の看板 を設置してきました。
本日は2ヵ月半ぶりに仲間3人が揃いました。 一人作業と違ってより楽しめます。
今回からはお土産も持ち帰れます。 奥さんやお子さん達に喜んでもらっていることでしょう。
COLUMN 1−D 1334
平成22年6月5日・記
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好天に恵まれて、日に日に成長します
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↑6月1日、4日前に我が家の庭の夏野菜の花を紹介しました。トマトです。

↑「休憩シグナル」で数日、ゴロゴロしていました。が、彼女はその間も・・・

↑生まれたばかりの赤ちゃんのこぶし大にまで、成長してきた物もありました。

↑キュウリは発穫りです。 早速神棚に直行しました。

↑明日、瑞浪の百姓学校で私達の畑に掲げる看板が出来ました。
{K、I、I}と左の上にイニシャルを入れました。加藤、石居、伊藤の頭文字です。
ケイ・アイ・アイをもじって、「恵愛ファーム」としました。
COLUMN 1−D 1333
平成22年6月4日・記
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休憩シグナルが出ました
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5月29日「遠山藤原学校」、何時ものように夕食懇親会のとき参加者全員大声で「小学唱歌」や「木沢小学校校歌」を歌いました。
2次会はこれまた何時もの通りでスナック「舞夢」でカラオケですが、私の担当は備え付けの太鼓を叩くことと、マラカスで盛り上げることでした。
その時、汗ビッショリになりましたが、その夜はそのままバタン・キューでした。
それが原因だったのでしょうか、翌日喉に違和感があり、声が嗄れていました。
帰宅しても、喉の違和感は解消せず、「イソジン」でウガイをしていましたが、昨日頃から微熱を感じ始めました。
昨日・午前は中部大学で通常の講義に出席、夕方にもう一度出校して「持続可能な発展のための教育」の研究会に参加しました。
特に出席する必要も無かったのですが、研究会後に仲間と一席持つこととなっていましたので、少し無理しての参加でした。 (前回欠席していたので)
という経緯を経て、本日は久しぶりに「休憩シグナル」が出ましたので、朝からパジャマのままの状態です。
朝の礼拝のときの唱えます一文の中に「基本的に健康で病気にならない。たとえ病気になっても感謝で受け止め、前向きに生きる」と有ります。
それを思い出すと同時に、このところ調子に乗って駆け回っていたことのツケが来たなと反省です。
反省も良いですが、今週は「明日は名古屋で波動の会」、6日は「瑞浪の百姓学校」、7日は「出入りしている会社の会議」、8〜10日は中部大学の講義と続きます。
12日から2泊3日で「上海万博」を計画しています。
さて、今日一日の休憩で回復するのでしょうか。
昔と違い、一度体調が低下しますと、回復に時間がかかります。
古いテレビは横腹を叩いてやりますと、消えた映像が復活しましたが・・・
COLUMN 1−D 1332
平成22年6月3日・記
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本日新しいテレビが設置されました
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昭和39年・東京オリンピックの時にはテレビが自宅にはなく、友人の家に見に行った。
昭和40年就職、会社の寮でテレビ(白黒?)を毎日視聴した。
昭和43年結婚、会社が電気製品の取り扱いを中止するということで、処分することとなったテレビ、洗濯機、冷蔵庫、等を一式10万円で調達し新婚家庭に運び込むこととなった。
その時、テレビは白黒テレビであった。 昭和45年長男誕生。
昭和46年、高蔵寺ニュータウンの団地に引っ越した。
子供が幼稚園の時、「うちのテレビには何故色がついていないのか」と言われたことを思い出す。ということは昭和48〜9年頃までは、白黒のテレビであった。
昭和52年、現在の地に移住した。確か、その時も白黒テレビを移動した。
その後、カラーテレビとなり何度買い換えたのだろう。 10〜12年は寿命があることだろうから2台くらいであろう。 最後に購入した時、私は立ち会っていない。
息子と妻で決めた。お店の店頭に展示してあったテレビをブラウン管を取り替えてもらってお値打ちに購入したと言っていた。
そして今回である。
数日前に息子に電話をして推薦機種を調べてもらった。 昨日購入してきました。
地デジとか アナログ者には 意味不明
電源を オン・オフしては 声かけて
プチンと切れ 脇腹叩いて 再映す
どの機種を 選定すればと 電話する
テレビ買う これが最後かと 相方(妻)が言う
い〜やいや 君には多分 あと2台
持ち去られ 空いた隙間に 時代見る
新操作 覚えるまでに 一苦労
空いた隅 新鮮画面に 齢 知る
エコポイント 申請書類に 時流を学ぶ
空き箱を 仕舞う納戸に ユトリなし
今日からは テレビの前で お留守番
COLUMN 1−D 1331
平成22年6月1日・記
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6月になりました
路地モノの夏野菜が出回る季節となりました 〜我が家の庭はまだまだ、ですが・・・〜
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↑ナスの一番花です。

↑トマトの一番花

↑キュウリは既に10個ほど花が咲きました。

↑キュウリの一番花は既に、5〜6センチの実となりました。

↑背丈は15センチ程なのに、実をつけたピーマンは獲りいれ神棚へ
遠山郷の次回訪問は6月の第4週です。 その間申し訳ないですが、地元の方にお願いです。 収穫して食卓に上るまでには成長しないでしょうから、ご迷惑なことです。
瑞浪の百姓学校は今月は6日と20日を予定しています。 タマネギの収穫は出来ることでしょう。
大半の時間は夏草との競争ですが草も生えない土地の旅行や見学をしていますから言い訳も・不平もいえません。
なんとも自然に恵まれた日本でないかとつくづく気付かせてくれます。
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