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COLUMN 1−D 1344
平成22年6月18日・記
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6月17日 急遽の百姓へ
〜梅雨の時期、人間様の都合どおりには行きません
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6月19日 OR 20日予定していました瑞浪の百姓学校、天気予報を見ていますと18日からは連続の雨模様です。
17日・午前中1時限は大学の講義がありましたので急ぎ帰宅、昼食もソコソコに出かけました。 最高気温・名古屋は32度を越えておりまして、汗は滝のようでした。
途中の水分補給は1・5Lでした。
(夕刻に体重を量りましたら、普段から2Kg落ちていました。

↓↑いつでも刈り取りOKの麦秋です。


↑珍客を捕獲しました。「野うさぎ」です。 畑の草むらで見つけました。
キット、餌を捕りに来て親兎と離れてしまったのでしょう。 初めは驚いて逃げ出そうとしていましたが、そのうちに手のひらの上で静かになりました。
手のひらの方の家では兎を飼育しているといいます。 持って帰って大きくなったら放してやるといっていましたが、野生の兎、果たして餌付けが出来るでしょうか。

↑自宅で今年初めて雨よけシートを張りました。 瑞浪でも実施してみました。
シートから外れたキューリ、シシトウ、ピーマン、ナス、落花生も順調です。

↑こちらは「小ナス」です。5月4日に「地蒔」した種からです。大きさ6センチです。
一部間引きして移植しました、写真の後ろ側が枯れた様に写っています。 数回、水撒きをしましたら、帰るころには背をピンと張っていましたので、大丈夫でしょう。

↑一部のトオモロコシから早くも穂が出てきました。 昨年はイノシシ君でした。
順調に成長してきました、電柵が今年は今のところ効果ありです。

↑カボチャです。良くしたもので手前の葉は虫に喰われていますが、その後は全く平気です。 てんとう虫も葉にはついているのですが、喰われた様子が有りません。
ここから一気に成長してゆきますので、峠は過ぎたと思います。

↑4本を植え込みましたが、残ったのは1本だけのスイカです。
カボチャ畑と同じですから、交配してスイカ・カボチャ、あるいはカボチャ・スイカになるのでしょうか。

↑ササゲが伸びてきました。 支柱が一本では耐えられそうにありませんでしたので、4本組みに補強しました。

↑4月25日に植え込んだサトイモがヤットここまで来ました。
1回目の土寄せを実施。 収穫は11月です。夏場の日照りに弱いです。
後、2回は土寄せと敷き藁等の乾燥対策をしなければなりません。
昨年は水不足で葉が黄色くなってきた時に、山水を誘導しました。
結果は、他のグループとの大きな格差がでました。 手当てが必要です。

↑ジャガイモを試掘りしてみましたが、例年に比べて大きさは小さく、収量も少なく感じました。 後、2週間で特別に成長することも無いのでしょうから、あまり満足のゆくものでは有りません。
夏大根は間引きの状況ですが、今朝「大根おろし」をしました所、夏大根独特の辛味があり、少し疲労感のある身体をシャンとしてくれました。
写真は忘れましたが、タマネギは満足のゆくものでした。 駐車場につる下げました、当分スーパーから購入してくる必要はありません。
21世紀は「スローフード」の時代だそうです。
自分で育て、収穫し、料理を楽しむ、20世紀とは異なったライフスタイルを取り入れる、あるいは変更できる生き方が求められているようです。
百姓を始めて11年目、(自宅の庭なら33年目)、いつの間にか当たり前になりました。
今朝、採りたてのキュウリを家の前の双子の幼稚園児に「塩をつけて食べてごらん」と渡しました。 母親に送られてゆく車の中でニコニコと食べていました。
初穫りのナスを1本神棚に上げました。
昨日収穫のジャガイモ、人参、大根と神棚は満タンです。
COLUMN 1−D 1343
平成22年6月17日・記
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上海・万博に行ってきました。 その3
「デカイ・多い、騒がしい」の印象です。
〜その他。雑感〜
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↑中国のイメージといえば昭和40年代半ばの「広州交易会」でも、その後昭和50年代、北京を訪問した時も自転車であった。 広い道路をひっきりなしにリンリンと鳴らしながら、横に10列にも並び自転車が次から次へと湧き出てくるようであった、
1978年「開放改革」のケ小平が登場しました。 が、「文化革命」で停滞、後退した経済の復興は簡単ではなかった。
私は1986年から5年間香港に駐在した。その間、解放区「深セン」、「珠海」等を何度か訪れたが、そのたびに急速な経済的発展を感じるようになった。
解放区の交通手段の変化は目を見張るものがあった。
解放区以外でも1990年代になると乗用車は見受けたが、交通手段の主流は自転車だった。 公共交通機関といえばバス、それもオンボロの汚いバスに超満員の乗客であり、。夏でもクーラー車とクーラーなしのバスの料金は別料金だった。
タクシーといえば乗車すると洋服が汚れるのではないかと心配したものだった。
2000年代に入り、それまでの中国のイメージは一新した。
2009年に中国は世界一の自動車販売台数となった。
おびただしい数の人力のシャベルとモッコで道路整備と建設をしていた光景が嘘のような、夢ではなかったかと感じる今のの上海です。

↑上海では昔を忍ばせる住宅は探さねばならなかった。この住宅は高級住宅に入ることだろう。というのはビルの上に飾りの塔が積み上げられているからの想像です。
↑万博会場第4号入り口の近くの住宅ビルです。

↑開場は午前9時ですが、続々と団体が揃いの帽子を冠ってやってきます。

↑ 並ぶのが苦手な彼らもガッチリガードされた通路に整列しました。

↑別に日本の国旗を撮影したわけではありません。 この入場口で1時間以上待たされたのです。 それは列が長かった訳ではありません。
どの様に考えても中国人ガイドのミスであったと思います(このツアー日本人の添乗員はいませんでした) 多分、ホテルに入場券を忘れてきたのではないかと想像しました。
言った言葉は「団体券を購入してきますから」でしたが、15分、更に30分待っても現われません。 同じ時間に到着した他の日本人団体は既に入場を終えています。
ここで写真撮影を忘れてきたのですが、待ち時間に座れる折りたたみ簡易椅子の販売がなされていました。 1個、10元(日本円150円です) これがなかなかの品物でした。
待ちくたびれて、次々と購入してきます。 15元の品も登場しました。
私は帰ってきたガイドからは「ゴメンナサイ」も、「その理由も聞けないだろう」と息子に言いました。 それから更に30分の時間が経過しました。
案の定、「お待ちどうさま」も言わずに、「さ〜、ゆきますよ」と、汗が吹き出した赤ら顔でした。 蘇州出身の頭の回転が早い、日本語も達者なガイドさんでした。
予測どおり、ここに中国人を見たと思いました。

↑第2目、初めからバビリオンの入場は計画していませんでした。 1箇所のみ訪れました「北朝鮮館」です。 展示物は直径5メートルの噴水と大型写真の建造物の写真のみでした。 お土産館の彼女を盗み撮りして終わりです。

↑昼食時間を早めにとる事としました。 コカコーラがセットになって並丼が日本円で380円でした。 吉野家は中国で既に多店舗展開しているようです。
そのほか日式の寿司店もウドン店も有りました。益々日本の出店は増えそうです。

↑何処の国も同じことのようです。「お疲れ様です」

↑1分間、行き先不明の貸切りのような会場内電気バスに乗車しました。

↑スーベニアショップです。ここではサンダルと子供服、マスコットが展示されていました。 カメラを構えたら、撮影するなと注意を受けました。
海賊版が出回るこの国ですが、自国のものはガードするようです。
2日目の計画は終日・万博見学になっておりましたが、早々と引き揚げ上海市内の見学としました。
上海市内の繁盛振りは万博会場にも負けず、劣らずでした。

↑第3日目、上海博物館の見学です。
入場して分かりました、前回も入場していることを・・。 ここの入場は一日の入場者数が5000人と限定されておりますし、開館と同時に入場しましたので、ゆったり見学できました。
やはり興味がありますのは、万博後の中国の姿です。
北京オリンピックまでといわれたり、上海万博までと言われながら、世界経済の牽引の一国としてここまで来ました。 世界情勢が何時可笑しくなっても不思議でない状況にあります。 果たしてここまで走ってきた中国は、このまま進み続けることが出来るのでしょうか。
自動車が世界一の販売高といいます。上海の高速道路は片道4車線でしたが、もうこれまでと言っていい状況でしたし、あの運転マナーでは死亡事故が飛躍的な数値になることでしょう。
自動車保険に加入しているのでしょうか。(上層部は加入しているようですが・・)
戦争に100万人を動員する「人民戦争論」時代とは違います。
「近代戦」の中でも人権軽視の成長論だった気がします。
その国独自の伝統、習慣、文化があります、先に歩を進めてきた者の価値観を押し付ける気はありませんが、先を歩いた者として反省に立たされている私達の体験は参考にしていただきたいものです。
COLUMN 1−D 1342
平成22年6月16日・記
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上海・万博に行ってきました。 その2
「デカイ・多い、騒がしい」の印象です。
〜明代「豫園の庭園」と現代中国の近代建築〜
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上海万博に行かれた方から報告がありました。 同じ時期に行っていたようです。
『1、内容がなく悪かった。ガッカリです。
2、エコとか環境問題の表示には殆ど出会わなかった・
3、兎に角大きく、経済発展のみが強調されていた。
4、建物デザインのショウのようだった。建物のみで中味なし』
との内容でした。 ということは私が感じたことと殆ど、いや全く同じだったといえます。
年齢的には私より若いですが、報告いただいた方が女性ですので、男女ともに同じということが出来るでしょう。
若い方の意見も聞いてみたいと思いますが、今のところ情報はなしです。
私自身バビリオンを全く見学していませんので想像ですが、映像、音響、表現方法、その技術等はどれをとっても「愛知万博」を越えていないと思います。

↑昨日はプランツのマスコット海宝を紹介しましたが、こちらが本物マスコット「海宝」さん

↑この建物を見れば直ぐにお分かりの方が多いことでしょう。 中国の明代の庭園「豫園」の周辺に中華的な高層建築物「豫園商城」」と呼ばれている観光地です。
「豫」は愉を示し、「楽しむ園」、1559年から1577年の18年間をかけて造営された。

↑園内です。土曜日ということもあって満員。これでも少ないほうとのことでした。

↑中央後のほうの建物は後ほど紹介。 このコントラストが面白かった。

↑人が写っていない写真を撮るのは大変でした。


↑この岩の価値を縷々説明を受けましたが、「穴の多い岩だな」との感想のみ。

↑ 「豫園」から一歩外に出たときのシャッター。 中国に居ると感じました。

↑↓ 場所が変わりました。 上海の金融の中心地です。




↑その又中心「上海環球金融中心」、地上101階、高さ492Mのエスカレター入り口

↑展望台からの撮影、腕もカメラも悪いのでは有りません。
上海の気候?もあるでしょうが、環境が悪く、スモッグです。

↑天気・気候が良い時の写真がありましたので、それを撮影しました

↑もう一枚、見下ろした写真です。

↑この写真で上海の現代イメージを締めくくります。
この写真は「Dior]の広告看板ですが、上海の女性は若い方も中年以上も98%は化粧をしていません。 「資生堂」は中国で好成績をのことですが、お客様は限られた階級の方なのでしょう。
地元の方に「何故、化粧をしないのか」を訊ねることを忘れてしまいました。
目元パチリの付けまつげは全く見かけませんでしたし、口紅すら少数でした。
ただし、髪の毛の手入れはしておられるように感じましたが・・・
さすがにデパートメントの化粧品売り場の方はお化粧をしていましたが、それでも数パーセントしていない方も居ました。 ましてその他の売り場でも数えるほどでした。
COLUMN 1−D 1341
平成22年6月15日・記
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上海・万博に行ってきました。
「デカイ・多い、騒がしい」の印象です。その1
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気合が入っていないということは以下の報告内容で分かります。
初めから期待していないというか、その後の中国・上海の様子を見に行くという気分なのですから・・・
案の定、予定どうり混雑振りを感じに行ったようなものです。
日本の新聞でも報道されているように、当初、入場者数が上がらず先月末から政府による観客動員がなされているようです。
地元のガイドも言っておりましたが、夏休みのボーナスにでも当たるのでしょうか、「毎年はお茶代が支給されるが、今年は入場券の現物支給」ということです。
この動員で予定どおり7500万人は突破すると言っていました。 それを事自体を特に問題にする風情もなく、世界一が大好きなお国柄の中で、中国の中で一番先進地域である上海の人たちの受け止め方なのでしょう。
万博会場を言葉で表現するならば「デカイ、大きい、喧しい」です。
会場自身の大きさもさることながら、建物も無茶に大きいです(大きく造りすぎてもてあましの建物も有りました。建設中もあり。そんな会場にしか入場できませんでした)
通路も愛知万博の3~4倍はあるでしょう。兎に角物理的に大きさが違います。
その分、言葉が通じず乗り物を的確に選べず、歩くのですから疲れることこの上なし。

↑空港でプランツ・マスコット「海宝」(ハイバオ)君が迎えてくれます。

↑8箇所ある出入り口で「日本館」に一番近い入り口から入りましたが、12日午後6時での待ち時間は5時間ということでした。

↑中国館に向かう一番広い立体歩道です。愛知万博は回路が木材でしたが、ここはピータイルです。 上海は日光が差し込むことが少なく、年中スモックがかかったような気候ですが、7・8月の最高気温は31度を越しますから、照り返しは強いことでしょう。

↑パビリオンへの入場は初めから諦めていますので、陽が沈む同時に照明された夜景を楽しむこととしました。 日中よりも数段美しい中国館です。

↑中国館の向かい側に通路を隔てて「台湾館」です。
写真は一枚ですが、連続して10種ほどに変化する映像でした。

↑UFOのような外観の「万博文化センター」イベント会場です。

↑メイン会場である「浦東園区」の混雑に嫌気が差してフリーで「黄浦江」を渡り、浦西園区に渡りました。 と簡単に言いますが、ここでも30分以上は待ちました。

↑浦西園区、当日では一番静かなL1フェリー乗り場に到着です。
一番スイスイと入場できると判断したオーストリア館、入場してからが大変でした、通路で10分刻みに3度待たされて入したのですが、当日の集合時間は午後10時です。
(なを、この待ち時間の間に中国人の気質を学ぶこととなりました。 車椅子の方が特別通路から入場した時のことです。 一人のご夫人が厳しく言いがかりました。 すると、前後して大きな罵声が飛び交い始めました。なかなか止まりませんでした。
日本へ帰ってから知りました。「ハンディキャッパー」を装って入場している健常人のことが問題となっているとのことでした。
このことに限らず、地下鉄の乗降時においても並ぶということは中国人には習慣がないようです。 レジでお金を支払う時も、こちらが支払っている時に、横から手を出してくるのです
このことをいま少し続けるならば、今回の万博で公共心・道徳心について大キャンペーンを展開しているようですが、気質・習慣は簡単に修正できないようです。)
話を戻して、結局、本番を前に歩くことになりました。
集合場所には私達が一番最後、皆さん疲れた様子で座り込んでいました。
6月12日はこの万博会場に到着する前に、上海の名所「豫園」を見学しておりますが、その豫園の昔の建物と、現代の中国の超近代建物を比較する為に、紹介は次回とします。
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