このページ以前の
                                        コラムはこちら




 COLUMN 1−D 1354
                              平成22年6月29日・記

  ネット社会の「大航海時代の到来」という

 〜地球規模では地殻変動が起こっているのでは〜


 遠山郷から朝帰宅、ひと風呂浴びて、ネット会社の一つ「一六社」の取締役会に出席しました。 

 この2年間、50%の単語と内容が理解できるようにと努力しています。
 
 昨年の中ごろには何とか無理しなくても50%はクリアーできているかなと感じ、取締役会も苦痛ではありませんでした。

 どちらにしても専門分野のことは分かりませんので、議題内容の概要を理解するように心がけ、そこから、この会社の持っているだろう力量に対して進められている事柄の、緊急度、重要度、難易度と社員の士気はどうかという観点から、役員会終了後「感じたこと・考えたこと」と題して一枚の報告書を提出しています。

 昨日も第32回取締役会が開催されました。 其の冒頭で社長から「ネット社会の大航海時代の到来」というお話がありました。

 事前に配布された資料をコピーして持参はしたのですが、ここ数カ月の資料の内容と単語が大きく変化していましたがぼんやりした参加でした。

 よって、今回の私の報告書は「当日の話をこのように理解しました。感じました、考えました」が如何でしょうかという内容となりました。

 その報告書をここに掲載します。 後半の部分はこの会社の戦略・戦術に関することなので割愛させていただきます。

 『・ネット社会に関係して大きな刺激を受け、その後の会社経営に大きな指針となった書物に、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」がありました。 

・今となって振り返るとそこで感じたものは技術論的な波の変化と刺激であり、それまでの流れの中の波事態と同レベルの波=出来事であったことに気づかされた。

・今回の波はソーシャルメディア(地域ホームページ、地域SNS,ブログ、ユー・チューブ)、からツイッターや新たなディバイスの登場となり、携帯、パソコンの時代からスマートフォン、タブレットで対応するという構造的な変化です。ライフススタイルの変化ともいえます。

・それ故に、この波はマーケットそのもの変化をもたらし、さまざまな側面変化がもたらされると考えます。

・この大きな構造変化の時代を「大航海時代」と呼ぶこととしました。

すなわち、地中海を支配する者が世界を支配すると考えられた時代から、新たな交易ルートの確保、イスラム勢力の駆逐、強力な権力を持つ王権の出現により、ヴァスコ・ダ・ガマは15世紀の末に南アフリカの喜望峰を越えてインド洋へ、

 その後の太平洋の船出と続いきました。 また一方では、コロンブスが西回りで大西洋からインドを目指しアメリカ大陸の発見となりました。

 やがて、16世紀になるとマゼランによって世界周航と大航海時代の地球的変化の時代となりました。

・ここで、どのような手が打てるか、打てないかによって大航海時代への参加者となり得るかどうかの分岐点に立っていると感じています。
・私たちは戦略的な手を打ってこの時代に出航することにします。』
 

 
と語られたのです。以上の活字に纏めるまでに同じ話を2回聞きました(同日開催の取締役会と戦略会議です)
 

 何時ものように書きとめました(大学の講義ノートも同じです。 ザアーと書きとめておいて、帰宅後に復習しまとめ直します)


 2回分の話から、ポイントと思われることを書きだしました。

 結果、何がどのように変化してゆくから、これまでの積み重ねてきたことの延長線上にはこれからはないということが語られ、社員一段の情報共有と団結が求められ、一人一人のレベル・アッップが必要となるということでした。

 ヨーロッパ近代はこの大航海時代の到来を持って幕が開けられました。

 そして今、4〜5世紀続いた欧米が世界を支配した近代から現代の社会の終焉の時になるような事件、事柄が続々と表面化しています。

 インターネットの社会は大航海時代の幕開けかもしれませんが、地球規模で起こっているこの激動と変化の時のことをなんと名付けたら良いのでしょうか。

 1930年代の大恐慌時代に比して語られる方のありますが、私にはそれどころではない根底からの地殻変動に思えるのですが・・・・

 名付けを考えているよりは、健康第一で、行動できる気力と体力が重要と思っています。


 COLUMN 1−D 1353
                                 平成22年6月28日・記

    6月の「遠山藤原学校」  6月27〜28日

〜久しぶりの雨・学校。 雨にも感謝し楽しみました〜



               

    ↑まずは、先月茶摘し・地元工場で製茶したものを袋詰めから始まりました。

    

   ↑小ぶりの雨の中作業開始。 4〜5日前にカンカン照りの天候から急に雨となり、一気に草が生長したと地元の方のお話です。

 2週間に一度の農作業なら何とかなるとの実証をしていますが、1ヶ月は無理です。

 畑の草の伸びようにいささか気分が滅入りましたが、農作業が初めての方はそのようなことは分からず。 「どうしたらよいか」と質問してきます。

 100坪の畑ですが、大勢でかかれば何とかなるものです。 2時間強で一応畑らしくなりましたが、雨の中での草抜きです、1週間もすると生き返ってくるのではないでしょうか。

 私はエジプトやトルコで数十キロに及ぶ砂漠の道路の両側に、何処に草が生えているのだろうかと眼を見張りました。 そこには痩せたヤギやヒツジが放牧されているのです。

 日本で放牧したらさぞや立派なヤギやヒツジが育つことだろうと考えました。

 豊かな緑を提供してくれる自然に感謝になければと痛感したものでした。 それ以来雑草とは言わず、意識して「草」と表現しています。

              

      ↑このジャガイモは今年種芋を植え込んだものではありません。

  昨年、ジャガイモの葉が枯れて何処に植え込んだのか分からなくなり収穫せずに残った芋が種芋となり。畑のアチコチから育ったものです。それでも20〜30Kgはありました。

            翌日、お土産としてもって帰っていただきました。

 


       

 ↑お馴染みの夜の交流会はもちろん盛り上がりました。 今月は藤原先生のアコーデオンのほかにトランペッターの登場もありました。

 6月27日

             


 ↑地元の「郷土料理を楽しむ会」です。 「藤姫饅頭」でお馴染みのお母さん3人が講師としてご指導を頂きました。 

   

  ↑藤姫饅頭の餡子を使っての「あんころモチ」ですから、美味しいのは保証済み。
         二人仲良く(?)で一層、甘みが増しましたかな???

               

      ↑小田原から届いた大麦と炭、安曇野の吉田さんの手製の焙煎機。

               

    ↑最後は木沢小学校に戻り、昔懐かしい木造の机と椅子に座って、土橋先生のお話を聞かせていただきました。 医師が本音で語る内容は多くの気付きを頂きました。

   『西洋医学技術の進歩は10年位前にストップしている。 やりつくしたと思う。
 医師は臓器の変化で見えるところのものに従って病名をつけている。 病気の原因を見つけたのではない。

 結果そのものを原因とする医療は終わろうとしている。 次の段階に来た医学。

 「病気」とはどういうものか。 果たして悪いものか。 「病気には意味と価値がある」
 自分の頭で考えよとのサインです。

 微分のように点と点を見て、今何が起こっているかを見・判断するのではなく、積分のように自分の過去の歴史から今日までをトータルで見ること、気付くこと。

 そして、病気を治すためには「決断」が必要だ。 決断とは何かを「断つ」ことです。
 何かを足してゆく対処ではなく、何かを断つことです。

 決断できる人は治すことが出来る。 これからの世の中決断を迫られることが頻発する。
 新しい自分を発見し、社会と関わる。 治そうと思っている人は治せない。

  治る人は治りたいと思っているのではなく、気付き決断する人です。』

 (以上は加藤の文責です)

              

   ↑土橋先生に特別指導を頂きましたメモです。 毎回先生は遠山郷に来られるわけではありませんが、年に数回来訪されます。 時間タップリ・納得できるまで質問に応えていただけます。

              

    ↑↓遠山川が流れ下り・合流する主流・天竜川は”暴れ天竜”として有名です。

      支流の遠山川も二日続きの雨で、普段の数倍の音を立てていました。

            


       

             ↑一瞬、雨脚が止まったときに撮影しました。

 6月27日、午後3時半で「遠山・藤原学校」は終了しました。が、この後が楽しみだというスタッフ・メンバーが居残って地元の方と早々と一席が始まりました。

   6月28日、午前2時ごろ出発したもの、 4時頃にも車のエンジン音も聞きました。
          私は5時起床して、2時間で春日井に到着でした。

 



 COLUMN 1−D 1352
                                 平成22年6月26日・記

    早くも「コスモス」が咲いていました


 異常気象は慣れっこになってしまいました。 そのことが重なって生活態度・ライフスタイルを反省し、環境や人とのお付き合いにおいても穏やかさ・ユッタリ感が失わせているのでしょうか。

               

   ↑イメージでは秋の花と思っているのですが、「コスモス」が目にとまりました。
 一箇所なら特別かなと思うのですが、散歩コースの3箇所で確認しました。

               

    ↑散歩コースで目新しい・変化する自然を見つけようとするのですが、何も見つけれない日が続くと、カメラを首から提げてゆくのが億劫になってしまいます。

   そんな時、「そうだ、あの家の前に行こう!」と思い出すところがあります。
   このユリもその一つです。 このごろはユリも様々な開発種がありますが、これもその一つではないでしょうか。 淡いピンク系の色に新鮮さを感じました。

                  

   ↑このお花もその一つです。名前は分かりません。このお宅、1ヶ月に2回ほど、育て ている場所は分かりませんが、玄関に登場し、カメラを向かわせてくれます。



          

             ↑「隅田の花火」名づけられた、アジサイです。

               

              ↑花だけをアップしますと、このようです。

 
 本日(6月26日)から、遠山郷です。 ジャガイモ掘りを予定していましたが、東海地方は朝から雨です。 お山の天気も同じでしょうか。 カッパ持参の草取り農作業になりそうです。





 COLUMN 1−D 1351
                                 平成22年6月25日・記

    梅雨の合間に「クチナシの香り」漂う



               

               

            

               ↑遠くからでも甘い香りが漂ってきます。


          

           ↑夕陽に照らされて、頬を染めたように見えました。

             
  
  前のページはこちらからどうぞ