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COLUMN 1−D 1400
平成22年9月5日
・記
午前6時からの農作業 9月5日のこと
〜お天道様は何かを知れせている・・・〜
9月4日は名古屋市内に行きました。最高気温が38度、室内のクーラーを最高に効かしていたのですが、一向に気温が下がりませんでした。
波動の会の例会でした。何時もに増して話は盛り上がりました。 その為でしょうか。
翌日、9月5日は瑞浪の百姓学校の作業を午前6時から致しましょうと、仲間が提案してきました。 私が不在であった8月22日の炎天下の作業に懲りたようです。
果たして、そんなに早く来ることができるのかなと思っていましたが、時間どうりに到着・久しぶりに3人が揃いました。。
が、彼らが8月22日に蒔いた種は全滅でした。 モロヘイヤ、ブロッコリ、カリフラワ、レタス、キャベツ、アフリカンマリーゴールド、青シソ、レモンバーム、バジルです。
↑何が植えてあるか分かりますか。 ネギです。
↑秋じゃが芋を予定していた所は御覧のようです。
草を刈り・耕転したのですが、カラカラで砂塵が舞い上がります。
↑この草の下に何が隠れているかお分かりですか。
↑スクナカボチャです。殆どほったらかしでしたが、御覧の様な収穫です。
その後、タップリと水を撒いてオーソドックスに大根、人参、飛騨の紅カブ、聖護院かぶ、と菜根類の種を蒔きました。 ホウレンソウを実行。
が、小松菜、レタス、白菜の種は持参しましたが、今後1週間の天気予報を調べると、マタマタ全滅になろうと判断し、それは次回としました。(水遣りは毎日出来ません)
カラカラの地に少しばかり山水を導水して、秋のじゃが芋2Kg,、ニンニクの植え込みをしました。
午前6時、山間の畑にはまだ陽が差し込んでいず、夜露が地下足袋を湿らし気持ち良かった。
が、直ぐに汗と代わります。 と言うものの午前10時頃までは作業がはかどりました。
その後は、写真を撮影する余裕・気力もなく、午後2時に帰宅しました。
COLUMN 1−D
平成22年9月2日
・記
お知らせ
8月15日〜22日「中国ツアーの後半」アップしました
有り難い事に、急がしていただける方があり、予定より早くアップできました。
旅から帰って11日目なのですが、既に記憶が薄れています。 今回は事前情報を生かした形で写真を挿入しましたので、撮影した順序ではなく苦労しました。
現地でその時の感じた事、考えたことを時間を置かず入力するのではないので、写真紹介と言うスタイルになりました。
なを、旅の前半が「エッセイ D 24」で、後半が「エッセイ D 23」です。
24の「コノページ以前のカラムはこちら」をクリックしてください。23に移行します。
COLUMN 1−D 1399
平成22年9月1日
・記
2週間ぶりに築水池周りの散歩
〜連日の猛暑日ですが、確実に時は流れています〜
8月31日、お恵みの雷雨で一息つきました。
↑その雷雨に叩かれて落下したのでしょう、未熟なドングリがアスファルトの上に。
↑築水池になにやら構造物が立ち上げられています。
まさか、石油が採取されるわけではないでしょうが・・・。
↑半年前には池の堤防自体のボーリングを行なっていました。強度調査?
廻間町(はざまちょう)、6月上旬に植えた稲が実り始めていました。
↑宮滝大池ではヨットを自動操縦されていました。
数ヶ月前はエンジン音を響かせたモーターボートでした。
なんともノンビリした連日猛暑日の夕刻のことです。
COLUMN 1−D 1398
平成22年8月29日
・記
遠山藤原学校・8月28・29日開催
〜農園担当スタッフの報告〜
8月27日のこと
今月・末は秋・冬野菜の種まきの時期です。 28・29日に予定している行事に参加していますと農園どころではありません。 そこでスタッフ4名とボランティア募集に応募していただいた方1名の5名で27日午後から作業スタートです。
遠山郷とは言え、日中の気温は都会と変りません。 後でお分かりになれますが(29日の作業内容で)、月1度の農作業では夏草は容赦なしです。
それでも先月、マルチシートと寒冷紗でカバーしておいたところはそれなりの効果があり、大雑把にお客様を迎える準備を急ぎました。
初日のことですので体力はあり、恒例の夜の盛り上がりもそれなりでした。
8月28日のこと。
陽は登っておりましたが午前中2時間強、前日のメンバーでカラカラに乾いた畑に灌水して、何とか畑らしくなりました。 急ぎ本日の集合場所に移動です。
↑道の駅「遠山郷」内、アンバマイ館で自己紹介とスタッフ紹介。
↑↓ 昼食後は八重河内地区の陶芸館へ陶芸の実習
↑陶芸館から祭り会場・和田地区へ。 上本町と中本町の組に参加させていただきました。 お酒の勧め方がお上手でツイツイ飲みすぎてしまいました。
↑揃いの法被もお貸しいただきました。ここから約1Km離れた「諏訪神社」まで
旧の秋葉街道をワッショイワッショイと、掛け声は地元の方にヒケを取っていません。
↑張りぼての子供神輿が行きます。 その外「和田小学校」の神輿、和田中学の神輿と続きます、どれも絢爛豪華どころが、神輿としてはみすぼらしいと言えます。
でも、親しみがもてます。 他人行儀のところが感じられません。
↑諏訪神社に全ての神輿が集結しました。
ここで組ごとにお払いを受け、お守りの木札を頂きます。
↑今度、行列は新秋葉街道とでも言うのでしょうか、国道152号線で和田地区に戻ります。 全行程約4キロ当初は威勢が良かったですが、後半は疲れ気味でした。
和田小学校のグランドで手筒花火が始まりました。
(私はここまで、足を運びませんでしたから、写真はありません)
さて、午後7時半、本番の「打ち上げ花火大会」です。
写真撮影はせず、足湯に浸かりながら見上げていました。
1時間の間に、6回のスターマイン。期せずして拍手が起こりました。
この集落でこれだけの花火を上げることが出来るとは、『何か』と考えてしまいました。
山間にコダマする大音響は身体の芯まで揺り動かしました。
8月29日のこと
一般の参加者は午前8時に宿を出発、和田地区の見学をされ、埋没木、「気の出る熊野神社」を参拝して、旧木沢小学校へ。 校舎裏の畑で農作業実習。
↑前日遠山スタッフが整備した所にはニンニク、青首大根、人参、ホウレンソウ、チンゲンサイの種まき、そして秋じゃが芋の植え込みをしました。
↑一方、草ボウボウの畑に挑戦していただきました方もいました。
↑たった1時間の作業でしたが、午前11時前後の太陽は厳しく、
冷えたトマトに塩がタップリ、冷たいお茶がこんなに美味しいとは思わなかったと・・・。
↑次は和田地区を通り過ぎて、天仁の杜で、ソバ打ちの実習です。
↑「お母さん、早く切ってよ。僕お腹空いちゃった」
↑最後は藤原先生の講演「遠山郷の未来を創りために」
藤原事務所の「ロハスで愉快な仲間たち」 2010年8月29日 藤原直哉講演 「遠山郷の未来を創るために」 飯田市南信濃自治振興センターにて
lohas100829.mp3をダウンロード
午後4時、遠山観光農園から持ってきました、バジルを新聞紙に来るんでお渡ししました。 多分、気持ち和む香りに包まれながら、ご無事にお帰りになられたことでしょう。
8月30日のこと、
本日まで残ったスタッフ4名で、朝食前・2時間最後の仕上げをしました。
↑午前6時過ぎにヤット、畑に朝日が届きました。
↑サトイモには、抜いた草をタップリ敷き詰め乾燥防止をしました。
↑タカキビは背丈が3メートル以上にもなりましたが、何時頃収穫か、又その後どの様に対応するのか誰も知らないのです。
地元の方に訊ねましたが、これまた自信がある返事をいただけません。
「長老に聞いておきます」とのご返答です。
昭和20年代には貴重な食料だったと思うのですが・・・
今のところ、「山の若い衆=猿」様も、飛びつく様子は見えません。 まだ、食べごろではないと言うことでしょうか。
↑お土産にと思っていたのですが、忘れてしまいました。ピーマンとじゃが芋
どうしようかと思案し、フリーマーケットの棚のところで袋詰めしていました。
木沢小学校の駐車場に車を停めて、近くの葬儀に参加された方にお持ちくださいと差し出すと、「タダで貰ってゆくわけには行かない」と豚の貯金箱に小銭を入れてくださいました。
人情と気遣いの遠山郷を今回も堪能しました。
COLUMN 1−D 1397
平成22年8月26日
・記
お知らせです
中国・九寨溝・黄龍の旅・前半を掲載
旅の間のみならず、帰国してのパソコンの調子は回復せず、しかも新旧二台のパソコンに翻弄されています。
兎に角、今回の旅の前半の一部を「エッセイーD 旅日記」に掲載しました。
この間、パソコンの師匠のところで入り浸りです。
一つ解決すれば、次の問題が発生します。
なを、旅の後半は当分先になります。お待ちの皆様すいません。
明日から遠山郷で帰宅は7月31日、その後も計画は詰まっていますので、早くて9月6日以降になります。
旅を終えて、2週間後に感想を書くのは初めてです。
腹の調子は相変わらずです。 久しぶりに体重が72Kg台となりました。
COLUMN 1−D 1396
平成22年8月25日
・記
帰宅して3日間のこと
8月23日の事
〜
今、思い出して入力しようとしますが、2日前のことが思い出せないでいます。
やっと、予約の歯科医院に行ったことと、関係する会社の会議に出席したこと、その後は迷惑メールを含めて約500通メールの取捨選択。
直ぐに返信しなければならないものには反応しましたが、疲れていることから気分が乗りません。
それでも、人間は腹が減りますと動くものです。 女房が不在なので近くのスーパーに買い物に行きました。 簡単に口にすることができるものを選んできました。
8月24日の事
〜
なにはともあれ、動く手段の自動車の免許証です。 30年ぶりに名古屋・平針に行きました。
↑愛知県自動車免許関連のセンター(正式な名称は??)
運転免許試験、免許の更新、講習、再交付、国際免許等様々な方たちが訪れています。 建物は30年前と同じと記憶します。 内装を見ても、施設を見てもそのままで、官庁の雰囲気です。
手続きの流れ・仕組みはほぼ完璧と感じました。 意識して「お願いします」、「ありがとうございます」と口にすると、態度に少しばかり柔らかさを感じました。
前日購入してきました買い物で夕飯です。 刺身、納豆、削り鰹節(醤油をまぶして)、甘煮の豆、生ハムとデザートは梨。
この日の午前中より腹の調子が怪しく感じておりました。 軽い頭痛もします。
高蔵寺駅で葛根湯を購入、自宅に帰ってからは食あたり・腹下りの生薬「百草丸」を服用、夜になると腹の調子は完全にパンクです。
食あたりなら、もっと早く現象が出るのでしょうが20時間も経過した後です、多分体力が弱まったことにより発生したのでしょう。
30年前にアフリカ・チュニジア・チュニスから帰国した時と同じです。 が、約1週間続いたあの時よりは症状は軽いです。何でも経験があると驚かないものですね。
8月25日の事
〜
前夜、2〜3度トイレに行っています。 半分眠気まなこで確かな記憶はありません。
24日に続いて普段の三分の一の朝のストレッチ・体操時間です。
それでも、今朝は朝の掃除をする気になりましたから、少しは疲れが回復したのでしょう。 礼拝は普段の四分の一で失礼しました。
これまた24日同様に、朝のポリフノールを頂いて一層シャンと背筋が伸びたと感じました。
本日はキャッシュカードの再発行申請です。 3行に行きました。
前日の運転免許場とは雰囲気が違います。 と同時に3行それぞれの対応で企業の社風・風土が異なることを感じました。
旅の前、本日は秋・冬野菜の種まきと思っていましたが、体力が回復していないことと、連日の猛暑で畑はカラカラ、毎日水遣りの出来ない距離にありますので、いま少し天候の変化を見ていたいと考えました。
とうことで財布を失ったことにより、帰宅後の計画していた事柄や通常の生活のリズムが狂いました。
また、現金の事、キャッシュ・カードの事、クレジットカードのことに思いをよせる機会となりました。 便利なこと、信用のこと、金融市場は今後どの様になるのだろうか。
日本は円高・株安です。 米国も、ヨーロッパも、元気だった新興国も資本・金融市場のみでなく、産業に影があり、失業問題が深刻です。
と言うことは生活者にとっては死活問題です。 その上に世界的に異常気象、自然が荒れ狂っています。
この暑い夏は今ここ、とこれからの時代への対処を心せよと教えてくれているのでしょうか。
COLUMN 1−D 1395
平成22年8月23日
・記
お知らせ
中国・九寨溝・黄龍の旅から帰りましたが・・
今回の旅は財布の紛失から始まり、パソコンが変調を起すやら、最後はナケナシのお金で購入しようとしたJR・TOICAカード発行でトラブル発生で汗だくになりました。
本日、欠席できない会議を終えてから対応していますが、運転免許証も紛失していますので動きが取れません。
ここ数年、調子に乗って動き回っていましたから、お灸がすえられたのでしょう。
と素直に受け入れている積りですが、何かしようと思うと失われたものから行動を制限されています。
兎に角、明日は平針運転試験場に行き、当日発行の運転免許証を受けてきます。
旅の報告掲載の予定が立ちません。
と言うことで、このページを御覧いただきているか方に当面のお知らせです。
COLUMN 1−D 1394
平成22年8月15日
・記
「サギソウが舞う」
〜今年は「春日井緑化公園」の”サギソウ展”にて〜
↑雨の合間を見つけて築水池を一周しサギソウの撮影と考えていましたが、一向に雨がやみません。 それに、昨日の農作業の疲れが残っていました。
↑春日井緑化公園で「サギソウ展」が開催されていました。
乱舞するサギソウを撮影できました。 築水池の周辺ではとても無理な映像です。
↑閉館まじか、ライトをつけていただいてサギソウの映像を残すことが出来ました。
本日より、中国・四川省の旅に出かけます。
その報告は8月24日以降となります。
残暑厳しいです。お元気で
COLUMN 1−D 1393
平成22年8月14日
・記
夏休み・遊びの間に秋・冬野菜の耕転と種まき
〜トウモロコシ関係が全て山のお方に・・〜
↑ゴーヤが収穫期に入りました。先週、仲間が収穫して行ったはずなのに、本日も
御覧のような(長さ約30センチメートル)が10本収穫。
ゴーヤといえば「青のゴーヤ」と認識、が、これは「白、いやオフ・フォワイトのゴーヤ」です。
残念なのが、ポップコーンです。
↑この一本を残して、全て喰い尽くされていました。ハクビジンでしょうか。
これで先々週のスイートコーンに続きて、トウモロコシ関係は全て山の民に奉納しました。 悔しいと言ったらありません。 人間社会でも同じようなことが起こっているような・・
↑悔しいといって怠けているわけには行きません。 ポップコーン畑も含めて秋・冬野菜畑用に耕転をしました。
左右並べましたのは、幅1メートルの道を隔てた畑の土の色です。
左の黒い土が良いとばかりはいえませんが、両方とも10年間休耕田でした。
左は既に5〜6年利用しています。右はそれより2〜3年後からです。
何をどの様に活用したのか、そしてその後の観察力が知恵を深めてゆきます。
自然と向き合っていると、簡単には答えはいただけません。
話
変わって
↑散歩コースの一つ「東高森台小学校の西側のヒマワリ」です。ケヤキ通り。
↑これまた、続きのヒマワリですが、組み合わせでイメージが異なります。
10年日記の8月中旬から下旬を開いていますと、「サギソウの花」の撮影とあります。
この後、築水池を一周してきます。
COLUMN 1−D 1392
平成22年8月12日
・記
豊橋に墓参りに
〜久しぶりに、豊橋公園を散策しました〜
お盆の帰宅ラッシュが続いている・始まったのでしょう東名の上りでは豊田JCTの手前から渋滞になり岡崎付近までノロノロ、帰路は音羽・蒲郡を過ぎて岡崎ICを抜けるまで渋滞していました。
事故は起きていず、またノロノロでも動いていましたからイライラも何とか治まっていました。
↑墓参り後「味噌田楽」を食して、久しぶりに豊橋公園に足を運びました。
豊川です。 吉田城の下で流れが90度曲がります。
東から流れてくる朝倉川もここで合流し、一見流れは穏やかなようですが、表面と水面下の流れは異なります。 またこの付近は満潮時には約1メートル程水位が上がります。
↑江戸時代、いやそれ以降も、城の下に舟が横付けされていたことでしょう。
イタドリで覆われたこの石垣を競争して上り下りしたものでした。
↑満潮時には川幅50メートル以上になるこの川を赤フンドシで泳いで渡っていました。
と言いますのも、私の豊城中学校は公園の敷地と燐り合わせ、お城を見上げていました。
旧大日本帝国陸軍・18歩兵連隊の木造の校舎で学んでいたのです。
↑親父の社会活動(?)に一つに、「草取り隊」と言う行動がありました。
戦後日本の復興のために、緑豊かな国を造ると言う活動でありました。
公園内の一角にあるこの銅像の前でも「草取り=雑草抜き」をした。
日清戦争に勝利した日本が、天武天皇を模して創建したものというが、太平洋戦争で立場を失い、この場にヤット一市民によって再建されたと記録されていました。
↑喉の渇きを覚えた所に、茶屋があり一服いただきました。
茶店の障子の前に筆。そうです、豊橋は筆の産地でした。
↑また、茶店で「とよはし ふるさと双六」の版画のポスターに目がとまりました。
18場面を指差し確認してゆきました。 お店の方に少し助けられましたが、15箇所は思い出すことが出来ましたし、鮮明に記憶が残っているものもありました。
豊橋で生まれ、終戦の年・昭和20年の??月まで在住、戦後、豊根村で小学校を卒業し、再び昭和29年から豊橋に戻り、昭和40年まで暮らした町です。
昭和で数えれば今年は昭和85年。既に45年が経過しています。
街中で駐車場を探しても、思うように探すことは出来ない年月が過ぎていました。
↑再建された隅櫓(鉄櫓)の前に、このような根張りの木(名前?)
この木はかつて中学の写生大会の時、描いた根本ではなかったのだろうか。
COLUMN 1−D 1391−2
平成22年8月11日
・記
画面が一定しません。 その2
〜ページを括り、画面を変えてみました〜
1391−1からページを括り、1391−2と画面を変えてみました。 順調に入力できます。なんだったのでしょうか。
↑これまた、何時ものように挿入されました。
1391−1の画面はそのままにして置きます。 次回パソコンの指導員が来た時に原因を訊ねるためには、そのままの状態にしておくことが一番ですから・・・。
さて、明日は豊橋に墓参り。 12日OR13日は秋・冬野菜の第1回目の種まきです。
大好きな高校野球もなかなかテレビ観戦が出来ません。
8月15日から「中国・四川・九寨溝、黄龍とフラワー・ウォッチング」に行って来ます。
8月23日帰国です。
帰宅後は瑞浪百姓学校の第2回目の秋・冬の種まきと秋じゃが芋の植え込みです。
8月27日からは遠山郷のお祭り参加と、秋・冬の種まきです。
9月の声を聞けば秋期の中部大学オープンカレッジの開校式です。
” アレ〜いつの間にか夏休みが終わってしまいました”と言うことになりそうです。
↑再び、彼の登場で心穏やかに本日の日記の入力を終わります。
COLUMN 1−D 1391−1
平成22年8月10日
・記
画面が一定しません。 その一
夏休みがドンドン過ぎてゆきます。 小学生が指折り数えているようです。
休みに入ったと同時に瑞浪にて百姓し、翌日ニュージランドからのお客さん、8月1日より「車旅」、帰宅した翌日は「波動の会」」、8日の日曜日はその間に溜まった
もの
の整理。
9日は歯科医院から、一六社の定例会議へ→発言記録と提案書の作製。
その後、久しぶりに散歩に出かけました。
↑形はササユリに似ていますが、
高砂ユリ
です。
本日のホームページビルダーの調子が可笑しく、背景に線が入ったり、文字の色が黒になったり、青となったりで一定しません。
↑造花に包まれたタヌキ君で、一休み。
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