COLUMN 1−D 1430
平成22年10月18日・記
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瑞浪・百姓学校では稲刈りです。10月17日
〜やはり、実りの秋の農作業は一番楽しいです〜
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↑百姓学校で秋の進行を教えれくれるモミジです。

↑この地区では一番遅い稲刈りが16日から始まりました。

↑稲架づくりです。 第5子の出産を11月に控えた方も大きなお腹で参加。

↑子供も6〜7人参加していました。子供がいると賑やかです。
一方、私達のグループの方はネギ、じゃが芋の土寄せ、人参の間引き、ニンニクの草取り。
少し遅いかと心配しつつ、そら豆、水菜、ホウレンソウ、時期が早いか思いつつ・絹さやえんどうの種蒔き。 白菜、ブロッコリーの苗を植え付けをし木酢を施す。
前回、マルチ・シート敷きしたところに、一部「早取り(来年3〜4月)のタマネギの苗」を100本程植え込みました。 通常の苗はまだ、JAでは販売していませんでした。
今月末からということでした。

↑イチゴにネットを張りました。 このイチゴ、昨年の秋に植え込んだのですが、寒冷紗なしでは冬を越すことが出来ず、もちろん収穫はゼロ、8株の内の1株が生き残りました。
Iさんがその株を他の場所に移植し、今夏、草取りをしておりました。 そこで、2週間前にランナー(子苗)が伸びたものを移植したところ、全部生き延びていた10株です。
今、あるイチゴ栽培農家の1年の作業内容を検索しましたが、夏の間に草取りをする程度の作業内容どころではありません。 そのことと比較すれば全くの野生育ちイチゴです。
果たして、越冬し、来春には実を付けるのでしょうか。

↑これは3度目の種蒔きとなった大根です。 2週間前にタマネギ用のマルチに坪蒔きしました。 90%の発芽率となり、今のところ成功です。
以前に書きましたように、1回目は夏場の乾燥で発芽せず(水不足)、2度目は発芽はしたものの虫の発生で全滅でした。
毎日、手入れを行き届かせるには、片道1時間では遠すぎます。運任せです。
とは言うものの、数日の違いでスクスクと育っている畑もありますから不思議です。
過去2年間、私達の畑は他と比較して順調でした、出来すぎでした。 遠隔から”気”を送っていたからと偉そうなことを口にしていましたが、反省です。
今回も秋ササゲは大収穫です。 3家族分を有に超えるできばえですので、そのまま成長させて豆で収穫する予定です。
サトイモは先回に続いて2度目の試掘り、大きさは殆ど変化しておりませんでしたが、今朝(18日)、味噌汁の具でいただくと2週間前よりはサトイモの味が深まりましたが、まだまだです。 やはり11月下旬頃が堀時です。
冬を越して、春3月に耕転が始まり、畝作り、種蒔き、苗の植え付けの時期もウキウキしますが、秋の実り・収穫の時期は爽やかな気候と相まって一番楽しい農作業です。
11月下旬には感謝の「収穫祭」です。
COLUMN 1−D 1429
平成22年10月16日・記
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知多半島の知人はハイポニカ農法
〜久しぶりに、トマトハウスで癒される〜
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10月14日、知多半島の農地を見学に行った折、紹介してくださった知人のハイポニカ農法のトマト・ハウスも見学してきました。
今年で13年目とのことですが、その間、様々なトラブルが発生してことは折々にお聞きしていました。 (月一の波動の会でお会いできる)

↑来年の春には収穫が始まる若い木です。1本です。

↑この木(木と表現するのでしょうか)には、実が付いていました。↓

縦・横1・5M×4M(?)の床には栄養素が入った水が循環しています。
(上の写真の白いカバーの所です)
床全体がシートで覆われていますので、地面は全く見えません。
(ハウス内の草取りはなさそうです、が、ハウスの外周の草刈はあります)
しかし、成長と共に枯れた葉を次々と取り除かなければならず、又、縦横無尽に伸びる蔓を常に剪定しなければならないから、朝から晩までの作業と言うことです。
種から育て、若木となり、収穫可能まで世話をしても、何処から浸入したかも分からない目に見えない虫によって全滅になったことも聞いております。
収穫されたトマトや加工されたケチャップを頂いている分では裏側は分かりません。
このハウスでライブ・ミュージックが開催された時には、楽しませていただきました。
久しぶりにハウス内を見学し、いろんな出来事に出会いながらも成長してゆくツヤツヤ顔のトマトを眺めていると元気をいただきそして心癒されました。
COLUMN 1−D 1428
平成22年10月15日・記
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知多半島の農地を見学してきました
〜こんな豊かさがアチコチに転がっているのでは〜
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10月14日、知多半島の知人から電話が入りました。
その知人が親しくしている方から相談を受けたと・・・・。
『跡取りがいないご家庭で、71歳になられるご主人の体調が悪くなって、奥様一人ではみかん畑や農地の管理が出来ない。 誰か心当たりはないか』と言う内容でした。
お話を聞くとかなり広大な土地のようです。 心当たりがあるわけではなかったが、現場も踏まないのでは話にならないと思い、他の用件も無かったので車で出かけました。

↑知多半島は30年前(?)頃、愛知用水が引かれて水の心配が無くなりました。
その後、圃場整備がなされて、小高い丘陵地は広大な農地へと転換されました。
が、その後は後継者不足で多くの田や畑が放置されたままです。
知人曰く、『この地区で一番整備が行き届いている』。その地を案内していただきました。

↑主にキュウリ栽培をされているハウスの全景です。

↑ハウスの外回りも良く手が入っています。

↑9月に定植したキュウリ ↑既に収穫が始まったキュウリ

↑今、品不足の白菜も順調に成長していました。
目測で、ハウスのみで600坪強(2反)はあります。 キュウリのハウスはもっとあったのですが、手が足りないということで、奥さんが半分近く抜いてしまったとのことです。

↑敷地の近くには愛知用水の”山田水揚機場”がありました。

↑敷地内の休憩所兼機械置き場 ↑燃料タンクもあり、もちろん簡易トイレも。
知人も詳しいことは知りませんでいたが、水不足で緊急の時のため、敷地内に広大な貯水タンクが埋蔵されているとのことでした。
ハウスに隣接して一般の畑があり、あらゆる野菜や様々な果物が収穫できるようになっています。 ハウスを含めこの敷地だけで目測1500坪以上と思いました。
知人もみかん畑は何処に、どれ程の地があるのか詳しくは知らないということでした。

↑帰り道、田圃を案内していただきましたが、これまた圃場整備され1枚が1000坪前後の田圃で、百姓学校・瑞浪の山間部の段々畑や田圃とは比べのもにならない広さです。
このところ、若者が将来の食の不安、 雇用の流出、農地の荒廃、あるいは地域の老齢化で農村に移住するとの話が聞こえ、記事を目にすることが多いです。
ところが知人曰く、いざとなると地域住民との付き合いや農法の違いから長続き、定着は難しいようです。
そんなことを言っていられるのは何時までの事だろうと考えるのですが・・・。
大きく時代が転換しているのに、どこかに不安と不満を抱きながら何とかなるとこれまでの惰性で日々を過してしまっていると言うのが実態のようです。
他人事でなく、自分自身の生活を振り返る知多の農地見学でした。
COLUMN 1−D 1427
平成22年10月14日・記
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2週間は遅い、自宅庭の栗
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↑例年この時期になれば栗の実の収穫は終わっていると言うのに、数日前から落実盛んです。 2週間は遅れています。
今年は公道に大きくはみだした大枝を9月になってから切り落とした為に遅れているのかなと思っていたがその性ではなさそうです。
例年ですと、『栗のイガの落下にご注意願います』の札を取り付けますが、その点に関しては心配がありません。
が、栗の実拾いを楽しみにされている近所の方からは朝の楽しみが無くなったなどといわれています。
(大枝を切り落としたのは、どなたからの市役所への進言・苦情からでした。
6メートルの公道に4メートルもはみだしているのですから、言い訳は出来ません))

↑大半の実は庭に落下しているのですが、弾けた勢いで道路にも落ちています。
10月1日に飛騨金山の栗拾いで、38Kgも拾ってきましたので、近所の方に大判ぶるまいをしましたから、今年も例年どうりに収穫されているのだと思われているようです。
それにしては道路への落下が少ないので、見上げて通過されておられます。
飛騨金山の蜂屋柿は全滅でした。よって11月の干し柿作りはなしです。
毎年,同じように巡り来る事柄と出会うことが無くなると、心寂しいものです。
COLUMN 1−D 1426
平成22年10月12日・記
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10月12日の散歩道で
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10月11日、12日と当地方では夏日が続きました。 少し動いただけでも日中は汗が吹き出てきました。

↑とは言え、畦道の彼岸花は盛りを過ぎ、稲が刈り取られました。
この秋は夏の暑さの為だったのでしょうか、花数が少なく感じる花が多いです、

↑例年八重の落花が地面を覆うように敷き詰められますが、今年は一輪です。

↑萩は変わりなく咲きそろっていました。

↑↓ ススキの穂です。

COLUMN 1−D 1425
平成22年10月11日・記
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第3回 高蔵寺フォークジャンボリー
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↑春日井緑化植物園内の大久保池とコスモス
昭和30年代後半から40年代前半にかけて、東京は多摩ニュータウン、大阪は千里ニュータウン、そして名古屋は高蔵寺ニュータウンが開発されました。
それから40年以上が経過し、若かったニュータウンもドンドン高齢化が進みニュータウンはオールドタウン化してきました。 団地マンションは空き家が目立ちます。
3年前に地元のnpo法人エキスパネットが中心となって「高蔵寺 フォークジャンボリー」が企画されました。
近在の素人ミュージシャンを中心として、今夏オーデションがあり合格した個人やグループが「春日井緑化植物園」内の特設ステージで演奏会が開催されます。
46組が出演されます。

↑朝一番で出かけました。カナール(運河)前のステージです。

↑出番前、懸命に音階の調整をされておられます。

↑開演午前10時、紺碧の空の下汗が滲みます。
色付き始めたケヤキの下は絶好の指定席です。
早く写真をアップしようと帰宅しましたが、2箇所ある駐車場は既に満車です。
何時もは少年野球やサッカー場として使用されている多目的広場にドンドンと車が吸い込まれてゆきます。

↑カナール(運河)を取り巻くように出店が並んでいました。
本日一日家族連れで賑わうことでしょう。
私も再び午後から出掛ける予定です。
COLUMN 1−D 1424
平成22年10月10日・記
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本日、階段下の物置の整理をしました
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物置と言っても0・80平方メートル程の大きさです。
その前には、お酒(日本酒1升瓶)のプラチックの箱とワイン用のダンボール箱が常時置かれています。
更に、現在は収穫してきたカボチャとジャガイモ、サトイモがダンボール箱で積まれています。と言うことは、物置は殆ど締めきられたままということです。
夏の間中、チョロチョロとゴキブリの姿が見えており、ゴキブリマットやジェット噴射で退治していたが、一向に全滅する様子が無い。
本日、遂に燻り殺すことにしました。
半畳のところに6〜8畳用を炊くのだから効き目は上々であした。
物置の中に置かれたものをそのままにして炊き込んだので、その後掃除を兼ねて全品虫干ししました。
一番古いものは女房が50年前、飛騨の高山から名古屋に出てきた時、全持ち物を入れてきた木箱でした。 木箱には布は張られていました。 ゴキブリの糞がイッパイでしたが綺麗にふき取りそのまま元に戻しました。
もっと、古いものがありました。豊橋から豊根村に終戦前に引っ越し、豊根村で活躍し、その後ひきあげて来た薬局の天秤ばかりです。戦前のものでしょう。
両親が薬剤師であったことの名残です。
15〜20年前の家族の写真が数枚額縁に入って出てきました。
子供達も含めて、みんな若いです。
と書いた所で、上記のモノの写真でお見せしたら面白いだろうと思いましたが、階段下の物置を開けるには一仕事となります。
お酒やワインを飲み終えたらまた紹介しましょう。
お酒、ワインがその場から消えることは殆どありませんので、当分顔見世はできないと言うことになります。
本日は今月3度目の名古屋行きです。
どんな、お酒が飲めるのでしょうか。
COLUMN 1−D 1423
平成22年10月08日・記
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沈む太陽
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散歩に出掛ける。 何時もと反対のコースを取りました。
唯単に、西の空に沈む真っ赤な太陽を意識しただけなのですが、映像にしましたらどこか生き物が飛んでいるようです。

↑万華鏡に仕上げ、更に渦で囲んでみました。

↑乱気流に巻き込まれました。。

↑蜃気楼に見舞われ、ノイズがはいり、そこに水滴が落ました。
COLUMN 1−D 1422
平成22年10月06日・記
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アイガモ農法のカモを捌くということ
〜胎を据えて、生きてゆき時代の到来のようです
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メールでこんなやり取りがありました。
『300羽飼われていたのですが、毎年仕入れしてくれる売り先から今年はキャンセルされ、それでも100羽はなんとか売れたそうですが、残り200羽、引き取り手がなくて、このままいくと10月中に処分されるとのこと。(ただ、と殺して埋めるのか?詳しいことはわかりませんが)
それで「食用に持っていきませんか?」というお誘いがかかり、今般の経緯になったのです。』(斜線文字はXさんからの文面です。
遠山・藤原学校のメンバー・Xさんが自宅でも捌くと同時に、遠山郷・藤原学校でもしませんかと、問いかけたところ、色々は反応がありました。
そこで、私は以下のようなメールを送りました。
『鴨のことは色々と反応がありますね。
Xさんのネライはこれから来る時代に向けての心構えとでもいうのでしょうか。
植物も含めて人が生きてゆく上で多くの命を頂いていることに感謝することを認識・実感することにあるのでしょうか。
同時に、綺麗ごとで過ぎているこれまでに対し、生きてゆくための技術も持ち合わせなければということかなと思っていますが・・。
私自身は昭和20年代半ばでしょうか、川原で鶏を捌く父の姿と、多くの羽が舞い上がってゆく光景を思い出します。
また、冬に炊事場から入り込んだスズメを追いかけて捕まえ焼き鳥にしたことも脳裏にあります。
当時、鶏を一羽捌くということは大変なお料理でした。となり近所にお裾分しました。
正直に申し上げて、目の前で鴨が捌かれるのをどの様な気持ちで居られるのだろうかと考えています。
命を頂くことへの感謝をする機会と思っていますが、捌かれることを見続けることができるかとも思っています。
いや、見続けなければと言い聞かしています。
それにしても、息子さんが積極的に活き活きと対応されたとの一文には芯の確かさと強さを感じ嬉しかったです。
さすがに、Xさんの息子、家族だと思いました。
Xさんの思いやネライとかけ離れているのかと思いますが、私の気持ちを述べました。』と。
今進行している時代は、安穏と暮らしていたこれまでと比較すると、桁違いの流れで社会が、そして個人の生活に変化がもたらされと考えます。。
同時に、生きてゆくために胎を据えて、対応しなければならないと思っているのですが、それは所詮不鮮明な映像でしかありません。
何度か、其の時になってオロオロ・ウロウロするなと言い聞かせてきましたがどうなります事やら・・・
しかし、これまでが正常でなく、天の意向に反した行為であったのならば、今度は素直に・真摯に・明るく・元気に取り組めば力も湧いてくるのではとも考えています。
COLUMN 1−D 1421
平成22年10月06日・記
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