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COLUMN 1−D 1450
平成22年11月18日・記
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藤棚にクレオソート塗装
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11月14日に藤と松の剪定が終了。 本日は藤棚の塗装です。

この藤棚は3代目です。
1代目は30年前に、松の剪定をお願いしていた方に、杉の丸太で作っていただいた。
塗装もしなかったためか、8年ほど朽ちてしまった。
2代目は鉄製のパイプに塩化ビニール巻きの組み立て藤棚でした。。
確か、1998年の台風の時に吹き飛ばされて使い物にならなくなりました。
そして、3代目です。1998年の秋、ホームセンターから資材を調達し、組み上げました。
この年は、この他に電動ドリルを購入したことのあり、庭の机や椅子を製作しました。
それ以降3〜4年毎に上質な塗料でもって上塗りを繰り返しており現役です。
私が上に乗っても問題なしですが、さすがに土台の部分に腐りがきはじめました。

↑今回はこれまでの上質塗料からクレオソート塗装に格下げ(?)しました。
ところどころに軽い割れ目や腐りが来ており、其処に充分に塗料を流し込みました。
これで、本年の庭作業は終了かと休憩に入ると、残っていました。

↑ これです。
更に、10日ほど前に刻んだ花の棚段です。
駐車場の隅に積み上げてあります。 本年中に仕上げれるのでしょうか。
ここから12月末まで向けて、有り難い事にお酒が飲める機会が続きます。
例年のことですが親戚の家の出張庭師の仕事もあり、年内完成はどうなりますやら・・
COLUMN 1−D 1449
平成22年11月17日・記
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大学の欅も紅葉し・そして、落葉盛ん
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二日前より朝晩の冷え込みが一段と厳しくなりました。
1週間ぶりに大学の学生用駐車場から御幸橋を渡り、出席のカードを登録をして校舎に向かいますと、
欅の落葉が盛んでした。↓

教室に入ると、カメラ片手だったので同僚が何を写してきたのかと尋ねます。
『入り口の欅が綺麗だったから』と答えると、間髪を入れずにニ方向から『本当に綺麗だった』と共感の声。
同じ年代のこともあろうが、それだけでなく、心に感じるモノは同じなのだなと思う。
当日は「フランスの歴史と文化」を学んだ。
フランス、ドイツ、イギリスというと進んだ西欧の文化・文明のことが横切るが、現在のヨーロッパがキリスト教と結びついたのは9世紀以降のことであり、それまでは樹木に覆われた地であったことを学ぶ。
どの様な木々で覆われていたかはしりませんが、牧畜で定住が始まり、その後開拓が進み、そして土地不足となり十字軍の遠征となる。
聖なる戦いと言うよりは、領土拡張、あるいは略奪の遠征と言える。
当時の西欧よりは進んだイスラムの文化を取り入れることによって、その後のヨーロッパの発展と繋がる。
私がこれまで教えられていたこと(学んだこと)とは大いに異なった内容の講義であった。
現在、 ヨーロッパ、EUの各国は様々な面で困難に出くわしている。 果たして、この危機をどの様に乗り越えるのだろうか。 800年周期で東洋の時代とも言われている。
落下盛んな欅の落葉、美しくもあり、目の前にきた冬の到来を告げる。
COLUMN 1−D 1448
平成22年11月15日・記
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間もなく古希を迎える会 11月14・15日
〜豊城中学第8回・卒業生「無限の会」同窓会〜
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昭和29年に豊橋・豊城中学に入学、昭和32(1957)年に卒業した10クラス・587名。
1986年に「あれから30年」と題して、第1回の同窓会が開催され、それ以降4年に一度の開催で今回・第7回目の同窓会が蒲郡・三谷・明山壮で開催されました。
タイトルは「間もなく古希を迎える会」と言うサブタイトルが付いていました。

帰宅して過去の記録を探してみましたら、第1回の1986年は参加者177名、
第6回・2002年が還暦の年で初めて蒲郡・竹島ホテルにて1泊で開かれ124名の方が参加しました。
第7回目の2006年は豊橋グランドホテルにて開催、参加者は97名でした。
そして、第8回目の今回は101名の参加者と言うことで、前回と変化なし。
(宿泊者67名と日帰りの方34名がいました)
と言うものの、物故者を除き、住所が判明している方約480名に通知を出したそうです。
その葉書には今回何の連絡もない方には今後通知を出しませんと書かれておりました。
返信があったのは320名とのこと、と言うことは約160名の方からは何の連絡も無かったということになります。
今、記念写真をお眺めてみます、2006年から今回の4年間が一番頭や顔そして足腰・背筋に変化が感じられます。(どんな記念写真が送られてくることでしょう)
60歳を過ぎた所から見た目年齢差が広がると聞いていましたが、それを見せ付けられたようです。

↑次回、開催2014年の再会を誓って「万歳三唱」をしました。
高度成長期を突っ走り、オイルショックに翻弄され、バブルに踊らされ、そしてバブル崩壊後の20年、それぞれが悲喜こもごもの人生を体験しました。
このところの世の中の変化は見えるところで崩壊が、見えないところで溶解が進んでいるように感じます。 次回の同窓会はどの様な思いを持って参集するのでしょうか。
COLUMN 1−D 1447
平成22年11月14日・記
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今度は足長蜂の巣を見つける
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昨夜、スズメ蜂の駆除をしていただいた業者の方が、「戻り蜂」が来るから、『2~3日は近づかないでください』と言い残されていった。
巣を撤去したのだからそんなことはないだろうと前日の続きの剪定を始めた。
その時、ブーン・ブーンと巣のあった金木犀の枝の周りを飛んでいる。
やはり「戻り蜂」はいたのです。 働き蜂は遠くに出稼ぎに行っていたのでしょうか。
暫く飛び回っていましたが、数分後戦闘機が飛び立つように舞い上がって消えました。
その後のこと、昨日のスズメ蜂の巣から1・5メートル・門かぶりの松の枝にありました。


↑こちらは既に幼虫から成虫となり、全て巣立っていました。
この足長蜂の巣の真下と、昨日のスズメ蜂の横を毎日行き来していたのですから、悪さや意地悪もせず、意識もしないで蜂と共生できるということです。
人間社会では俺のものだとか、苛めてやろうかとか、懲らしめてやろうとか、自我や欲に駆られた悪さを仕掛けるから混乱や破壊が生じるのですね。
このところ「意気地が無い」とか、「腰が据わってない」とか、「根本的・長期的な視点・戦略が無い」とか言われているどこかの国の政権です。
目を転じて見ますと、軍事強国と言われる米国も、ロシアも、そして中国もそれぞれに国内問題や私欲を抱え、よそ様にチョッカイをかけているようにも思います。
蜂の一刺しという、天罰が下るのではないでしょうか。
COLUMN 1−D 1446
平成22年11月13日・記
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剪定中にススメバチに刺される
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簡単な松の剪定が順調に進む。
取り組み甲斐のある門被りに取り掛かる。 その下の金木犀が邪魔になる。
剪定していると右人差し指に痛みが走る。 軍手の上から蜂がもがいている。
一刺しして逃げようとしているようだ。 次の蜂の姿が目に入った。
これはかなわ無いと脚立を降りる。 最期の一段を踏み外して鉢に尻餅をつく。
数メートル追っかけられたが逃げ切る。
蜂の毒を吸いだそうと刺された指を銜え込む。
一息ついたところで、巣の位置の確認に行く。


↑庭の蛇口の真上だ。 殆ど毎日水遣りで蛇口をひねっていたのに、良くぞこれまで刺されなかったものだ。 直径が25センチメートルはありました。
市役所に電話、駆除業者の電話番号を教えてもらう。
陽が沈み、暗くなった午後7時半に業者が来て、30分ほどで終了。
(駆除費用18000円也、市からの補助2000円也)
数年前にはトイレの通気口から床下にスズメ蜂が侵入し巣を作っていたようだったので、通気口を網で塞ぐと、数日床下でブンブンと音がしていたが、それまでだった。
今回は家人の行き来が多い通路の側に巣作りをした。
我が家はスズメ蜂にとって、巣作りのし易い家なのだろうか。
スズメ蜂が悪者の侵入を阻止していてくれたのかもしれないなどと、思う翌朝です。
夜半まで、痛みを感じていた指は、腫れもなく、痛みも感じません。
作業途中でしたので、この後仕上げをします。
COLUMN 1−D 1445
平成22年11月12日・記
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歴史研究会 「考える」 に参加
〜2011年の手帳を購入する時期になりました〜
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中部大学・2010年春期に受講していた「歴史の方法」で、講義の終盤に学生から「歴史研究会」を発足するから聴講生の方も参加して欲しいと誘いを受けました。
スッカリ忘れていたのですが、、同大学で開催されたシンポジュウム(このシンポジュウムが歴史研究会の第2回目に当たっていた)に参加していたら、仲間の聴講生の方から「次回から参加して」と誘われ11月10日に参加しました。
会代表者の学生からこの研究会の理念・方針として、パスカルの「人間は考える葦」から『考える』としたい。 参加者が歴史・文化・宗教等様々な事柄について考えていること、感じていることの意見交換をしたいと発表されました。
当日第1のテーマは「信長暗殺を命じた男 〜新説・本能寺の変 浮上した黒幕〜(前田 哲次 『その時歴史は動いた」 KTC中央出版 2004年)
その内容をメンバーのKさんが要約したモノを読んで、意見交換がなされた。
当日の参加者は11名であったが、それぞれ・様々な感想や意見が述べられた。
新説そのものにも興味が湧いたが、皆さんの多様な意見・感想に成る程と思った。
第2のテーマは「正義について」でした。
このテーマが発表された時、イヤに難しいテーマであると、持参したデジタル「広辞苑」 に「定義」と打ち込んで索引しました。
発表に段階になって、皆さんの意見と私の頭の中の思いがリンクしません。
そのはずです。 テーマは「正義」であったのに、私は「定義」とは・・と広辞苑に書かれているそのこと自体を何度も読み直して理解しようと苦戦していたのですから・・・
それでも。2時間楽しめました。 通常の講義時間では若者との交流が難しいからです。 年齢差から来ること、興味・関心の違い、講義と講義の間の休憩時間は15分です。
週に2講座の聴講生の私と、アルバイトもしなければならない彼らとは時間的ユトリが違いすぎます。
と言う私も、今年に入りいささかオーバーペースの計画になっておることを自覚しています。何かを削らなければと思っているところです。
既に、来年の手帳カレンダーに書き入れなければならないことが増えてきました。
今日当たり2011年の手帳の購入に言ってきます。
COLUMN 1−D 1444
平成22年11月11日・記
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伝えようとする「紅葉の黄色」が表現できません
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何時も壁あてキャッチボールの角地・Oさんの駐車場の隅に名も知らない背丈1・3メートルの木が紅葉しました。

↑この街路樹の左下の角地です。

↑ ここ数日の気温低下で一気に紅葉したのです。朝日に輝いていました。
10月31日、遠山郷の写真教室で教わったことを思い出して、露出補正などして見ましたが、私の目に映る色合い・輝きが表現できません。
今春、芽吹きの時にOさんに「何の木ですか?」と尋ねましたが、お楽しみにとの返事でした。 その後、夏の間は周りの緑の木々となんら変ることが無かったのですが・・・
この時になって、周りとは一味も、二味も異なった輝きです。
後数日でこの葉は枯れ落ちるのでしょうが、一層この木の名前が知りたくなりました。
COLUMN 1−D 1443
平成22年11月10日・記
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冬衣装への切り替えをしました
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衣装の切り替えと言っても、簡単なものです。
年に数回しか着ることの無い背広関係は吊るしたままですし、コート関係も同じようなものです。 既に着始めている外に数枚のフリース・ジャケットが吊るされました。
一番入れ替えがあるものは半そでのポロセーター、Tシャツから長袖のハイネックセーター、同時に毛糸のセーター、カーディガンの登場です。
パジャマ関係も平織りの薄手のものから、ネル関係に入れ替わります。
ここ10年以上、下着、靴下以外はそれらしい買い物もしていませんので、処分するモノもありませんが、30数年前に購入した防寒ジャケットを資源ごみ対象としました。
夏の時にも処分対象としたモノがありましたが、いつの間にか元の位置に戻っているモノがあります。 まだ、着用可能と言うことで戻されたのでしょうか。
百姓用の作業着は親戚からのもらい物と、息子からのお下がりで充分満たされており、
体型さえ保てれば、後数十年は心配なしです。
スラックス関係は登山用のストレッチを着慣れてしまうとお腹や腿、膝に圧迫感がなく、他のスラックスを受け付けません。 外出時もダブダブしたスラックスで過しています。
現役時代と比較して一番変化したモノは靴関係でしょう。
街では殆ど見かけることの無くなったメッシュの靴、10数年前まで現役で裏底も張り替えていましたので新品同然でしたが2ヶ月ほど前に処分しました。
又、先が尖った靴が数足下駄箱にありましたが、これまた今夏、処分対象になりました。
引き換えに靴の先が幅広の丸みのあるものに変化しています。
リタイヤーして一番購入した靴は踝までカバーするトレッキニング用の靴です。
後の履物はサンダルが一番です。
例年より少し送れた衣装の切り替えでした。 この間まで、暑い厚いと言っていたのに、
今朝は昨夜の強い風で庭の鉢が転がっており、気温もグーンと低下しました。
冷水摩擦のスタート時に、「エイ・ヤー」と声を掛けて脱ぐ捨てることになりそうです。
COLUMN 1−D 1442
平成22年11月9日・記
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里にも、秋色が下りてきました
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↑高蔵寺ニュータウンを訪れる方が一様に誉める片道3車線の中央で色付きましたケヤキ並木です。 本日は対象的な左側の緑色のクスノキをカットしました。

↑お馴染みの我が家の前のナンキンハゼ街路樹も色付き始めました。
毎年のことですが、西側から色付き始めます。 どうしてでしょう。ナンキンハゼ答えず。


↑御近所の奥様が毎年育てておられる菊です。

↑それに対比して、野菊のように手が入れられていない、我が家の菊です。

↑私も一度くらい登場させてよと、長く垂れ下がったハナが触れましたので・・・
COLUMN 1−D 1441
平成22年11月8日・記 |
百姓学校・11月7日
購入がダブリ、1500本のタマネギ植え込み
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メール通信の行き違いで、タマネギを1600本植え込むことになりました。

10月末に、超早生タマネギを既に100本ほど植え終わっています。
1ヶ月前に、900本ほどの畝は準備していたのですが、マルチ・シートから草が生えてきており、改めてマルチ・シートを剥がして畝作りの再生から始めました。
昨日は他のグループはお休みで、何方も参加されてこられません。
苗をもらっていただくことも出来ず、 そこで、新規に畝建てして、残りの苗を全て植え込みました。
(今朝(11月8日)、心配していました足腰の痛み、疲労はそれほどではありませんが、この年齢になりますと、その又・翌日に症状がでますので、安心していられません)
仲間の一人が『今年は大量生産し、販売をするのだ』と言っていましたが、順調に根付きますと、本当に販売することになるかもしれません。(取らぬタヌキのなんとやら・・)

↑絹さやえんどうが順調に芽を出しました。 と言って、安心も出来ません瑞浪・日吉は
盆地で冬場の気温がマイナス8度になります。 昨年もその時期に枯れました。

↑寒冷紗などしたことはありませんでしたが、今夏、植えつけた大根、白菜、ホウレンソウ、赤カブ、等全て水不足、あるいは虫に食われてしまいましたので、防虫・防霜のトンネルを一部に施すこととしました。
遠山郷・下栗のじゃが芋の試掘りをしました。 下栗特有(?)の小さく・固いじゃが芋ではなく、子供の拳大のモノが掘り起こされました。
今朝、味噌汁の具で頂きましたが、遠山郷で頂いたモノとは異なった味わいでした。
種は同じでも、育つ地が異なると、その地に合わせたモノに変化するのでしょう。
下栗は平均傾斜度40度前後の栄養分が流れ下ってしまう畑です。
瑞浪・日吉は段々畑とは言え、傾斜度はない地で育っています。
11月23日は収穫の最後です。 サトイモが大きくなっていました。
それが終わりますと、 農閑期に入ります。 自然共に1年が過ぎようとしています。
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