COLUMN 1−D 1540
平成23年3月4日・記
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ブータン王国のことで目覚めました
そして、インターネットで出会いました。
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ほとんど夢を見ることはありません。が昨夜真夜中に一度トイレに起き、直ぐに眠りに入りました。
今朝は5時頃に何やら夢を見ながら目覚めました。 何の夢かは判然としていませんでしたが、ヒマラヤ、カトマンズそしてブータン王国のことが混在していました。
朝食後、パソコンを操作していて、船井本社の主宰する「にんげんクラブ」の相部多美さんのブログから”「国民総幸福論」について”を開きました。
今朝、ブータン王国のことが夢の中に出てきたのはこの為かと・・・・
そこにはこのように書かれていました。少し長くなりますが掲載します。
『船井は「これから世の中は大きく変る。そして今、私たちはその変化の真っ只中にいる」と言っています。
これからは資本主義のような宇宙の理に反した「今だけ、自分だけ、お金だけ」の生きかたではうまくいかない世の中の流れになっているようです。
ブータン王国では、30年以上も前から、国民総生産(GNP)や金銭的・物質的豊かさではなく、精神的な豊かさや国民の幸せを目指す政策が行われています。
今の大変化の世の中で、これからの生き方のヒントが示されているように思います。
まず、ブータン王国についてご紹介したいと思います。
ブータン王国は、インドと中国にはさまれている場所にある人口70万人ほどの国です。
お顔や外見が、ブータン人と日本人はよく似ているので、兄弟のような親近感がわいてきます。
ブータンはまた、大の親日国としても知られています。
国際機関での選挙・決議等において、ブータン王国は常に日本を支持する重要な支援国でもあります。
「豊かさ」を測る代表的な指標としては「国内総生産」(GDP)が知られていますが、ブータン王国では、1970年代からこの『国民総幸福量(GNH)』を指標に国づくりが行われています。
「国民総幸福量」‥‥すてきな言葉ですね。
国のトップの人がこのような考えで国の政策を行っていることがすばらしいなと思います。
ブータン国立研究所のカルマ・ウラ所長によると、「国民総幸福量」の
指標には、
@心理的幸福、A健康、B教育、C文化、D環境、Eコミュニティー、
F良い統治、G生活水準、H自分の時間の使い方の9つの構成要素があるそうです。
特にGDPで計測できない項目の代表例としては@の心理的幸福があるとし、それには、正の感情として、@寛容、A満足、B慈愛 負の感情として、C怒り、D不満、E嫉妬を定義し、2年ごとに地域別に聞き取り調査をするそうです。
そして合計72項目を、一人当たりの面談に5時間もかけ、それを8千人から
聞き取り調査が行われるのだそうです。
このような「国民総幸福量」を基本に、1999年にブータン政府は政策として4つの指針を打ち出しています。
【1】持続可能かつ公正な社会経済学的発展
【2】環境の保全
【3】文化の保護と促進(再生)
【4】良い統治 というものです。
このブータン王国の政策は、いま世界中から注目が集まっています。』
中略
ブータン王国のGNP(国民総生産)は低く、決してお金持ちではない国です。人口約70万人のうち19%近くが国連が示す貧困レベルを下回っています。
しかし、それにもかかわらず、国民の大半は幸福を感じています。
調査によると、国民の96%は「幸福だ」、あるいは「非常に幸福だ」と回答し、「幸福でない」と回答した国民は4%にすぎなかったそうです。
先日テレビで、ブータン王国のことが紹介されていました。
「あなたはいま幸せですか?」と質問すると、「もちろん、幸せだよ^^」と多くの人が笑顔で答えていました。
また、ある人は「いま自分が持っているもので充分満足しているから、
物がほしいとはあまり思わないよ」と言っていました。
お顔がよく似ているからでしょうか、日本人の別の姿を見たような気がして、とても心が打たれました。
イギリスのレスター大学で行われた、「国民の幸福度」の調査によると、
日本はなんと、178カ国中『90位』という結果だったそうです。
ちなみにブータンは『8位』でした。
このことからも、「物があること=幸せ」 では決してないということがよく分ります。
ブータン国民は、身近な人との関係を大切にし、地域が家族のように
支え合っているそうです。
ブータン国王が行った演説で次のようなものがあります。
「わたし(国王)は、世界の支配者のようになりたいのではなく、国民の兄弟のように、また、親のように、また息子のようになりたいのである」
まわりの人とつながり合い、家族のように信頼し合えたら、たとえ貧しくてもみんなで助け合うことができ、そのため不安もなく幸せに生きることができるのではないかと思います。
ブータン王国で行われた国家的な式典で、若いブータンの国王は、用意された玉座にほとんど座ることなく、その行事に参加している国民の子供たちと一緒に座り、終始国民と触れ合っていたそうです。
日本人の幸福度が低いのは、人とのつながりが低いからではないか
と思います。 そして、人と支え合ったり、分かち合ったりする喜びをあまり感じることがないからではないかと思います。
ブータン王国のように「自分だけ、今だけ、お金だけ」の生き方ではない、
幸せな生き方を目ざしたいものですね。』
〜ところで、本日から愛知県名古屋市の市議会選挙が始まりました。
河村市長が打ち立てた減税党が「市民税の10%引き下げ」、「議員報酬の半減」、を柱に定数75名に対し41名を推薦をしました。
国政では参議院の本会議が平成23年度の予算案を中心としての議論が始まりました。
上記に紹介したブータン王国の幸せ論議とは天地の違いです。
が、これは私たちがこれまで良しとしてきたことの現れです。 私たち自身でどのように再生し、変革してゆくかの意思が問われています。
今回は名古屋市民ですが、東京都知事選挙も、次に控えた統一地方選挙と続き私たち自身の考え、思いが問われています。
追記
この内容は”コラム 2−N 「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」”に掲載すべきでした。
COLUMN 1−D 1539
平成23年3月3日・記
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また、造成が完了しました
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ここ数年、高蔵寺ニュータウン・高森台、自宅から数分のところで数十軒分の戸建ての造成が盛んです。
↓以下の造成が完了しました。40数軒分あります。

↑一区画が約50坪前後です。写真の後方の建物は賃貸住宅です。
上記の所から約200メートル離れた地で、現在売り出し中の住宅は敷地面積約70坪弱、総面積約35〜38坪で4000万円前後です。
前にも書きましたが、このような社会・経済情勢の中、購入する意欲があるものだと感心します。
4000万円前後の住宅も20数軒を売り出しで、既に10軒近く成約が完了したようです。
と言うのも、毎週のように折り込まれるチラシを見ていますと、売約済みの印がつけられているところから判るのです。
と同時に、30数年前にこの地に移住されてこられた方、お子さんが独立し、夫婦のどちらかが亡くなられた家の売却チラシも毎週のように配布されます。
3月3日、ひな祭り、寒波が南下、本日は薄氷がはり、霜が降りました。
本日、春の農作業に出かけようと思っていましたが、部屋の暖房温度を上げて半冬眠です。
COLUMN 1−D 1538
平成23年3月1日・記
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3月の声を聞きますと・・・
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「3月」と言う声を聞きますと、気分はメッキリ春になったように感じます。が、

↑定点観測地の築水池はドンヨリと重たい景色です。

↑ 馬酔木(アセビ) ↑クリスマスローズ
とはいえ、庭の赤色馬酔木がビッシリと咲き揃い、サツキの根元でクリスマスローズも知らぬ間に花をつけていました。

↑香りを漂わせていたロウバイに代わりサンシュが膨らみ始めました。
国家予算のことなど何処の話ですかと、春を告げてくれます。
COLUMN 1−D 1537
平成23年2月28日・記
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2月の遠山郷
〜映画鑑賞、電柵の設置
そして、「遠山みんなで歌おうBAND」結成
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浜松・秋葉神社から長野県・諏訪神社へと続く秋葉街道
遠山郷も其の街道に位置します。
秋葉街道信遠ネットワークの若者たちが「アンバマイカ」という自主映画を作成しました。
アンバマイカとは”一緒に遊びましょう”という遠山郷の方言です。


↑既に10か所の会場で上映会が開催されてきました。
この街道は長谷村、大鹿村等御多分にもれず過疎地域です。
地域の方々に観客動員は全く期待できないよと言われていたようですが、参加者の多さに製作スタッフは声を詰まらせていました。
http://www.youtube.com/watch?v=aAW11udlqnM
上記をコピーして開いてください。デモテープがご覧いただけます。
電柵の設置

↑昨年末、玉ねぎとニンニクの芽を鹿(?)に食われました。
その後、防御のシートと気温の上昇で、再び順調に芽が伸びてきました。
今年大いに成果が期待していますエナジー水の施肥もしましたので、来月はどのような姿を見せてくれるか楽しみです。
「遠山みんなで歌おうBAND(仮称)」の結成
夜の部の映画が終了して午後9時にやっとメンバーが揃いました。
私などは地元の方との交流会で出来上がっておりました。
集まって、30分後にデジカメ収録となりました。以下がそれです。
↓コピーして開いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=NTGQVTZ_2z4
なを、このバンドは出入り自由、当日飛び入り参加大歓迎です。
現在の選曲は・翼をください、・少年時代、・栄光の架け橋、・乾杯、・ありがとう、ということですが、50代前後の主力メンバーと一回り以上の年齢差のある私には聞いたメロディーではありますが、歌詞は判りませんでした。
パーカッション担当などと言われましたが、パーカッションで何なのか判らず辞書を引きました。
遠山郷での毎回の懇親会において、マラカス、タンバリン、ボンゴを叩いていたことから、お呼びがかかりました。 リズムをはずさないか心配です。
COLUMN 1−D 1536
平成23年2月26日・記
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私本・太平記を読み終わりました
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今月5日より読み始めた、吉川英治「私本太平記」を読み終わりました。
吉川英治はこの作品で何を書こうとしたのだろうか。
「建武年間、正平以降にかけてまで、半世紀の血みどろを地上で現じ出してしまったのは一体誰の所業か、何の作用か、
私は人間同士の住むこの世には、何か”誰れ”と指摘できない摩訶不思議な素因が何処かに跳梁している気がしてならない。
小説の中で、そんなものを突き止めたい意欲がするのである。
ー南北朝の世を借りて、ひとつその、この世の影なき魔物の正体を、読者と共に、考えてみようというのが私の意図でもある」
最後に、「その正体は一言にしてしまえば権力の持つ魔力である。
権力欲とは何か。摩訶不思議な魅力をもって人間共を操り、世を動かす恐ろしいものだ。
と最終の「黒白問答」で語っています。
其の最終項は、足利尊氏の親族と伝わる琵琶法師・盲人覚一をして「桐陰軒無言録」の語録をもって語らさせています。
その語録の中には、尊氏の生前の批判やら世上の悪声などにも及び、それが供養となるから良いのだと覚一が応答している中に、多くの事柄を学び・教えられるとものがあります。
其の一、問い、「何がこのような凄まじい世の中にしたのでしょうか」
答え「全土に素地が出来ているから始まったことなのです。
源平、鎌倉、北条と長い世を経てここまで来たこの国の政治、経済、宗教、地方の事情、庶民の生業、武家のあり方、朝廷のお考えーーまでを含ん
だ歴史の行き詰まりというものが、どうしても火を吹いて、社会の容を改めなければ、二ッ進もさっちも動きがとれない、そっして次の新しい世代を迎える事が出来ない、いわば国の進歩に伴う苦悶が何よりな因かと思われま
す」
「何十万の死者もその犠牲か」と問われ、「そこが智恵だが、人間にはまだ悲しいかな、そこまでの智恵の持ち主ではない」
其の二
「必ず朝は来ます。朝の来ない夜はない・其の曙の兆しは、地の下、つまり庶民の中にある。 中略
自分の力に自覚を持って来たからです。 中略
長い歴史の流れから見れば、私たちの見た半生の巷など一瞬の間に過ぎません。大地とはそれ自体、刻々として易(かなう)ってゆく生き物ですから。 其の地上には、時に従って時代の使命を担った新しい人物が出現して来る。」と。
〜毎度のことながら言い聞かすことは、時代がその使命を帯びた人物をこの世に送り出してくることだろうが、それのみをあてにする人頼りの姿勢で時を過ごすことだけは自戒しなければと思っています。
地の下、庶民の不満、不安、不信が日に日に怒りとなり、爆発しているのが今、世界各地で繰り広げられている情勢と考えます。
本日から遠山郷です。
「遠山郷から日本を変える」との想いを持って出かけます。
COLUMN 1−D 1535
平成23年2月25日・記
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切り倒すより方法がなかったようです
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楢の木が「カシノナガキクイムシ」の被害で、ドンドン枯れています。
当地も3〜4年前ごろから見かけるようになりましたが、一昨年からは一層被害が目に留まるようになりました。
予防手段としてビニール巻きや殺虫剤が散布されていましたが、本日は写真のように切り倒され始めました。

↑右下の白いところがビニール巻きした残りです。
松くい虫の被害も同じですが、これだけ科学が発達したというのに、被害を食い止めることができません。
自然環境の変化等様々な要因が重なっているのでしょうが、今のところどうも人間の知恵では対処できない何かが存在しているのでしょうか。
向かいの山の落葉樹は冬景色ですので目立ちませんが、楢の木が10%以上でしょうから、春の芽吹きと共にどのような姿を見せてくれるのでしょうか。
我が家のサクラソウ

↑我が家のプランター30数鉢のうち、一番最初に移植した三分の一は、ご覧のように4~5分咲きとなりました。
残りのプランターも咲き始めましたので、いよいよ春模様・本番となります。

↑1月9日の時、第一輪を紹介した時の写真です。

↑2月25日のサクラソウの万華鏡です。
COLUMN 1−D 1534
平成23年2月23日・記
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全8巻、最後の巻となりました
〜「私本太平記」を読んでいます〜
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裏表紙にこのようなことが印刷されています。
『「私本太平記』を書きながらもつくづく感じる。
当時もその下でみな世を考え、自分を処し、他を評し、誰もが自分を愚者とも盲目とも思っていなかった。
だが、今日から観れば、其の歴史の中に泳いでいた人間の十中八九が、
魚には河が見えない
と言える群魚でしかなかったことがわかる。
かえりみてぼくらもまた、今日の大河が見えない、雑魚と雑魚との盲仲間に過ぎないのではないか。
吉川英治 「随筆私本太平記」より
〜大作家・吉川英治氏をして言わしめた言葉です。
愚者は愚者なりに、盲目は盲目なりに、「今この時を精一杯生きること」
それが修行ではないかと入力し、今から名古屋にゆきます。
月に一度の「たまり場」です。 今回はどのような話題が登るのでしょうか。
まずは、中央線の車中で第8巻を読み始めることとします。
COLUMN 1−D 1533
平成23年2月22日・記
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今日は書くこともないからお休みと思いましたが・・
〜生まれ故郷の「豊橋の渡し船」の映像を見て〜
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昨日、出入りしている会社の取締役会がありました。
先月から、其の会社の経営理念とか、社訓とか、行動指針とかの話が議題に持ち上がっています。
今、時代は大きな変革期にあり、社会全体がこれまでの考え方、やり方、仕組みでは行き詰まり、あらゆるそ側面で再生か、新たな創造が求められていると考えます。
当の会社も同じことです。 長い歴史はありませんが創業者が心血注いでここまで引っ張ってきましたが、ここで新しい経営者への引き継ぎの時となりました。
このような議題が持ち上がるのは、実に良い機会であると考えます。
其の為でしょうか、昨夜は真夜中2度も目が覚めてしまい、枕元のメモ用紙に何かしらを書き記すこととなりました。
本日一日中とはいえませんが、それなりに私の考え方、想いを整理し、一文として送信しました。
其の為でしょうか 何時もとは異なる感覚を持って散歩を終えました。
今(22日・午後7時前)、書斎に上がろうとしましたらNHKテレビ・名古屋放送の地方番組が、私の生まれ故郷・豊橋の「豊川・牛久保の渡し」の映像を流しておりました。
20数か所あった渡しも今では1箇所となってしまったと言っています。
今、私たちの前を流れる川は幾百年も変わらなかった川でしょうか。
それとも、其の流れは一見変わることなく見えますが、大きな時代・時流の変革の流れなのでしょうか。
一艘の渡し船が岸を離れようとしています。船頭は私自身です。
COLUMN 1−D 1532
平成23年2月21日・記
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「建武社会」の非情さ
〜「私本太平記」を読んでいます〜
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登場人物を紹介します。
後醍醐天皇〜御自分の子、尊雲親王(大塔の宮)の手で足利尊氏を亡ぼそうとしておられる。
土壇場で尊氏に迫られて、陰謀のとがを大塔の宮一人の罪にかぶせる。
准后・三の宮・廉子〜天皇との間に恒良親王がいる。 自分の子・恒良が皇太子となっているものの大塔の宮の存在が気になっている。
尊氏方へ廻って大塔追放に加わる。
尊雲親王(大塔の宮)〜足利尊氏を嫌う。 尊氏を亡きものしようと画策している。 が、尊氏にさとられ、捕えられ壊滅する。
千種忠顕、新田義貞、名和長年等十指にもまさる大塔の味方の武門であったが、大塔の宮が立ち上げり・倒れるも殉じょうせず。
足利尊氏〜後醍醐天皇が准后・廉子に弱いことを承知し、しかも恒良親王の身を廉子に耳打ちし、天皇の尊氏に対する思いをかえさせる。
以上のような登場人物の中、大塔の宮は捕えられ、獄中へそして死。
私本太平記はここでこのように書かれている。
『大塔の宮のお味方武門が、誰ひとり宮に殉じょうせず。 言い合わせたように、当夜以来は弓矢も鉾もなりをおさめている。
凋落の権門にまま見られるところの、人情紙ノ如シと言うにすぎないのか。
あるいは、後醍醐のおむねが内々降って彼らの妄動を固く抑えたのだろうか。 おそらく後者であろう。
むしろ中には、急進過激な大塔の宮の没落を、喜ぶ風で、内心はほッとしている者がないとは言い切れない。
中略
余りもの非情さは、人個々のものよりは、建武社会そのものの非情と観るのが正しいのかも知れない』
〜さて、今の時代は鎌倉・北条幕府の崩壊から南北朝の時代に酷使しているのではないかと言うことで「私本太平記」を読み始めました。
もちろん、「建武社会」のようになっては欲しくないとは願うのですが、近時の社会情勢を見ていると、権力闘争をしている者たちのことだけと済まされないのではとも感じるのです。
それなりの覚悟を持っていなければと本日の日記となりました。
COLUMN 1−D 1531
平成23年2月20日・記
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近頃、どこかで聞いたような話
〜「私本太平記」を読んでいます〜
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鎌倉北条幕府が崩壊し、後醍醐天皇も京にもどり親政が始まった。
ところが、何をしようにも先立つ「金」がなし、そこで土地に課税するとのおふれが出る。
次には新政府発行の「楮幣」(チョヘイ)と言う、兌換の保証がない紙幣の発行。
刀も帯びず、権力もなし、頼むは銭のみの庶民にとって、受け取れる代物でなし。
河原にそれを皮肉る楽首となり、瓦版となる。
『この頃、都に流行るもの 夜討ち、強盗、偽せ綸旨
召人、早馬、から騒動 生首、還俗、自由出家
俄か大名、迷ひ者 安堵、恩賞、虚戦さ 本物離るる訴訟人・・・』
戯れ歌を口にすれば、しょっ引かれて打ち首となる。
裏書き、兌換の保証のない紙幣が市中に出回ればどのようになるか。
リーマンショック後の世界は金融緩和でお金はジャブジャブ。
昨年、米国オバヤ大統領は49兆円のお金を放出した。
結果、現在米国の株価は史上最高値となった。
そればかりではなく、天候不順もあって、小麦、トウモロコシ、大豆の価額は跳ね上がった。 エネルギー価額も高騰。
日本の株価を見てもこのところジワジワと上昇、景気は下うちしたとマスコミは無責任情報を流し続ける。
リーマンショック後、最後の酒宴が始まったようだ。
世直し、新時代の到来、建設前の狂った溶解と破壊の乱舞の時と認識すれば、これまた通過しなければならない必然と必要なことなのだろう。
12年目となる岐阜県・瑞浪・百姓学校の段々畑の土もボツボツ溶け始めたことだろう。 来月、早々にも鍬を下ろしに行ってみようか。
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