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 COLUMN 1−D 1550
                            平成23年3月15・記

    東海自然歩道の支線を歩きました

     〜白モクレン、白タンポポ〜



 東北関東大地震、津波で被災された方々、その親族・友人・知人関係者にお見舞い申し上げます。

  また、犠牲者となられた方々に心より御冥福を申し上げます。
 

 このような状況を具体的に想像していたわけではありませんが、ある種の予測をしていましたので心構えはそれなりと思っていますが、それにしても現実となると離れた地にあり、テレビ、ラジオ、新聞情報に接しているだけですが気が重くなってゆきます。

     何が出来るのだろう、何をしなくてはいけないのか。


 気分を変えるために昨日は春日3山の道樹山〜大谷山〜弥勒山を横断する東海自然歩道に通じる支線を登りました。

           

           ↓↑  途中の小さなお稲荷さんの祠
           


  久しぶりに山道を登りましたので、息切れがしてしまいました。
           平地を歩くのとはわけが違いました。


    3月15日

 
13日に白モクレンの蕾を掲載しました。 早くも顔を覗かせました。
 

             

                  ↓↑白モクレン

           


            

             ↑白タンポポも咲きました。
    


 COLUMN 1−D 1549
                            平成23年3月14・記

       様々な情報がメールで届きます



  茨城県水戸市在住の方から被害状況。 電気の復旧が遅れていること、水道が使えない、ガソリンも不足している等々

 「いざという時にお役立てください」と原子力事故が起きた時の対処法。
 {原発事故に備えての常備して置くもの」「原発からの距離で逃げ方が違う」 「放射能漏れと聞いた時の対処法」等。

 放射性物質セシウム137の消失実験を行った時の資料。

 そして、そのセシウム137は放射能による人体被害をおよぼす元凶なのですが、なぜか理由は判らないが消える「EMBC」飲料のこと。

 愛知県にいますと福島県とは距離的に離れていますので、実感が今一つですが、今回の地震・津波のことを考えると他人事ではありません。

 また、身近なことでは3月20日に東京で予定されていました姪の息子の結婚式が延期になりました。


     お隣の盆栽職人・88歳のおじさんの作品を掲載します。


          

        ↑盆の中に埋め込まれたものではありません。

 この写真で高さ1・3メートル、横幅が2・5メートルですが、この写真の下側に地面を這うように、後2メートル程右下に伸びています。↓

          

  名前を尋ねたら「コナレ」と言われましたが、検索しても出てきません。

           
 
         ↑同じものを今少し下から見上げてみました。

         

      ↑これも到底カメラに納まりきれません。玄関先の松です。

               

 ↑この紅葉も横枝が3メートル程伸びていましたが、切り落とされました。
  今枝づくりの途中です。芽吹き前で枝ぶりが良くわかります。




 COLUMN 1−D 1548
                            平成23年3月13・記

     東北・太平洋地震・津波そして原発 

        〜A社の社長への返信〜 



  昨夜、A社の社長からテレビ映像を見ながらの電話がありました。 
 地震、津波そしてそれに続く福島原発の刻々と入る情報に反応しながらの電話です。

 私は努めて冷静に受け答えをしていたつもりでしたが、果たしてどうだったのでしょうか。

 其の後、直ぐに風呂に入り先程のやり取りを反復しているうちに以下の文面が浮かび、その後メールを送信しました。

 『・今回のことをどのように認識するか

 ・1989年、世界に先駆けて日本のバブルが崩壊した。 その事は日本が世界の最先端を走っていることを示すものと理解しています。

 ・3年前のリーマンショックを契機として覇権国アメリカの一極支配は更にハッキリと揺らぎ今後も止まらない。

 ・EUも加盟国・ギリシャの破綻を切っ掛けとして次々に行き詰まりEU自身の破綻も免れない状況です。

 ・中東・アフリカの混乱は今後も更に拡大してゆくことでしょう。

 ・BRIC、Sを先頭とする新興国も結局は先進国の後追いであり行き詰まりは時間の問題と考えます。

 ・今、時代は大きな変革期にあり避けては通れない状況と認識します。

・そんな中、今回日本に地震・津波、そこから派生した原発の惨事(?)と言うバブルに続く2度目の天意が降りたのです。

(まだ、被害の全貌は判らない状況にありますが、被災者にお見舞いと犠牲者に心よりお悔やみ申し上げます )

日本の使命

・世界の最先端を走ることを教えてくれたバブル崩壊後、20年という時間を日本人に与えてくれました。

がその間、私たちのものの考え方、見方、行動は新たな生き方のモデルを世に示すことができませんでした。

そして今回の天意となったのではないでしょうか。
 (犠牲者に心より哀悼の意を申し上げます)

・日本、日本人には21世紀、いや22世紀以降の世の在り方を目指す試行錯誤の使命を仰せつかっていると思います。

・A社について

・昨年後半に決意し設定された向かうべき道と、その実現に向けて歩を進めています。

 その目指すところは近時の「経営理念」、「社訓」、「運営方針」に示されているように、時代の方向性にマッチし、自社の体験、歩みから積み上げられたもので地に足がついたものと考えております。

・世界も日本も次々に既存の秩序、仕組み、システム、制度等が溶解、あるいは崩壊してゆく事であろうと考えます。

 A社の目指す方向は社会にとっても、顧客(消費者)にとっても、そして従業員にとっても納得と賛同を頂けるものと考えます。

・焦らず、慌てず、着実に前進することが今求められていることと考えます。
・時代は大きな滝の前で行く手を阻まれている状況と考えます。 無理して一直線に滝をよじ登るのではなく、回り道でも迂回し目指す道を試行錯誤しつつ着実に目指すべき時と考えます。』
  


  そして、今朝、その社長より電話を頂きました。 「やっと、今回の地震、津波等の被災地の方々に貢献できるだろうことを思いついた。

 今、休日であるが担当者に急遽対応するように指示した」と。


              

            ↑白モクレンの芽が膨らんできました

            

     ↑シデコブシも気温上昇で、綿帽子を風に揺らしています。




 COLUMN 1−D 1547
                            平成23年3月12・記

         大地震が発生しました  



 東北・太平洋地震の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 と言っても、テレビ・ラジオの報道を視聴していますと、今もって被害の全容は把握されていません。

   どれほどの被災者、被害が発生しているのかもは判りません。

 福島原発が停止され、半径10Kmの方々が避難とも報じられています。

 余震が発生していますし、本日になり新たに新潟方面での地震の発生が報じられています。 

 それらに影響されて「東海地震」、「東海南地震」が発生しないことを祈るばかりです。


 活字で心配していたり、お見舞い申し上げているだけでは何ともなりませんが、私の記録として書き留めています。

 地震直後にラジオの報道内容を聴きながら、”遂に来たか”とついつい口に出してしまいました。

 近時の世界、そして日本の状況を見ていますと、このような時に限って天災が発生するものだと教えていたからです。

 このことを契機として、これまでの考え方や行動を反省して、新たな時代の再生と創造に向かわなければと改めて考えています。

 明日は名古屋市会議員選挙です。どのような判断を名古屋市民はするのでしょうか。

 東京都知事選挙は石原現都知事が不出馬を翻意して、4選出馬すると報道されました。


 一方、小田原在住の遠山藤原学校のスタッフ仲間の一人が本日遠山郷へ移住します。 早朝、愛知県の仲間が引越しの車を繰り出しました。


  何の行動も、お手伝いもしない私の家の前の通学路の桜草です。

         

                 ↑3月1日、撮影

           

                ↑↓ 3月11日、撮影

           


    昨日までとは異なり三寒四温の「温」の巡りに入った本日です。



 COLUMN 1−D 1546
                            平成23年3月11・記

        ツバキ、落花してジュータン



           

              ↑ツバキ、落花してジュータン↓

           

               

   ↑ウグイ川に沿って下りました。 空家かと思われる一軒の民家の入り口です。 主がいないのかヒッソリとしています。

 数カ月前、ここを通過した時にはキャンキャンと犬に吠えられました。

 何もしないのに吠えられるのは気分が良くないものですが、落花したツバキのジュータンはなにも語ってくれませんでした。

           


         

         ↑ツバキの屋敷とは全く関係ありません。
        ビルの大きな窓ガラスから眺められた風景です。

   陽光は暖かさを感じさせてくれますが、風は冷たい3月中旬です。




 COLUMN 1−D 1545
                            平成23年3月10・記

       外の原の「いなり神社」へ



   年に2〜3回登る外の原集落の「稲荷神社」へ足が向かった。

           

    ↑神社に向かう小道の横に6〜7段の石積みがしてあります。

 多分、以前は田圃か畑であったろう。 間伐もされない檜が辺りを暗くしています。

  檜の幹周りから判断して25年以上前のことだろうと想像しました。

             

 ところどころに初午に奉納された旗がはためいているが参道は寂しい。

    この当たりが畑や田圃の頃は稲荷神社も賑わったことだろう。

             

         ↑吹きさらしの祠にお狐様が並んでいました。

         
           

     ↑一番賑わしいところを選んでシャッターをきりました。

      赤の鳥居が朽ちて今にも倒れそうなものもありました。

 初午は、その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたという。本来は旧暦二月の最初の午で、立春以降であった。

 今年は3月に入っても、三寒四温などと言うよりは「寒いですね」とかわす挨拶となっています。

 



 COLUMN 1−D 1544
                            平成23年3月8・記

       2回目のサンシュの登場 



         

    ↑ロウバイと入れ替わるようにサンシュが咲き始めました。

 2年前に樹形が大きくなりすぎたために、思い切った刈り込み剪定をしたところ、昨年は寂しい花の数となりました。

   今年は最大値の時の四分の一程度の花数となりヤレヤレです。

         

           

 ↑一輪だけを取り出してみますと、実に細やかな形状をしています。
   写真の撮り方を忘れてしまい、思ったような映像ができません。

            

                 ↑牡丹の花芽

       今朝は庭に出ていても寒いという感じがしません。
         同時に、草取りに追われるようになります。



 COLUMN 1−D 1543
                            平成23年3月7日・記

        ビールに手が伸びました 



            

                 ↑耕転された田圃

  春の足音が聞こえる昨日今日、週に3〜4度通る散歩道にも変化が出て来ました。 昨日までとは異なり耕転されていました。

            

    ↑少年自然の家のアスレチック場には滑り台が設置されました。

          

                 ↑柳梅も満開です。

       →  


          本日の散歩では背中や額に汗です。

 昨年の10月下旬に購入し、今年の4月上旬に賞味期限が切れるビールに手が伸びました。



 COLUMN 1−D 1542
                            平成23年3月6日・記

       本年最初の瑞浪・百姓学校  



 例年ですと2月の下旬に耕転に行くのですが、雨と寒波襲来でノビノビとなり、本日行ってきました。

           

            ↑玉ねぎ、ニンニク、ネギの畑

     ご覧の様子です。耕転の前に草抜きから始まりました。
        時間の経過とともに這いずり回って草抜きです。


           

 お忘れになったことでしょうが、昨秋玉ねぎの苗をダブって購入したために、1000本以上の植え込みをしました。 

 寒冷地並みの気温となるこの地では玉ねぎの成長はまだ直径1センチ以下です。
 遠山郷でも今年から本格的に取り入れる「21世紀の肥だめ・エナジー水」をここでも散布しました

  これからどうなるかもわからない時に、若い仲間(と言っても30代ですが)の一人が収獲のみならず、販売し収入を得ようと考えています。 

               
       
               ↑イチゴのトンネルです。

 これまでの経験から、この地でイチゴはどうかと考えますが、これまた若い仲間はイチゴに御執心です。 上記のトンネルで越冬はしました。

  もっと本格的にやって、来年はイチゴ狩りなどと言っています。

 たった10数年先輩だけですが、ついつい保守的な考え方になります。
 怖いもの知らずで、色々提案が出ますので結構なことだと喜んでいます。

 草抜きの後には、今月末に待っているジャガイモの植え込みのための耕転をしました。 耕運機が思うように操作できません。

、今年初めての本格的な農作業でした。 約3ヶ月間の空白で身体が鈍っていることを思い知らされました。

 同時に、年々体力が低下していることも素直に認めなければいけないとも感じました。





 COLUMN 1−D 1541
                            平成23年3月5日・記

      若菜摘みの少女に出会いました   


  3月と言うのに、お雛祭りの3日は風が強く吹いていました。、
 そして4日の朝は、薄氷が張り、霜も降りて零下の気温でした。

     4日、 散歩に出かけるのに、一枚多く着こんで出ました。

           

                 ↑元気牧場にて

    馬さんも寒いからでしょう、マントをかけてもらっていました。

       遠目に右に左に走り回っている影が目に入りました。

           

   ↑近づき、「何をしているのか」と尋ねると、「馬さんにあげる若菜を摘んでいる」と答えてくれました。

 バケツを覗き込むと、北設楽郡豊根村では「スイコントウ」と呼んでいた、食べると大変スッパイ若菜が底の方に摘まれていました。

      「何時も、来ているの?}。 「1週間に一度位来ている」
 「何年生、今年の春には6年生かな?」、「ウーン、5年生」

 写真を撮らせてと言うと、フード付ジャンバーのフードを外して、ポーズしてとってくれました。

           

↑何時もは一人影で散歩していますが、笑顔の少女と出会い暖かでした。


  
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