COLUMN
平成23年4月26日・記
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お知らせ
コラム 2−N
「新聞を読んで 眺めて 切り抜いて」
をお読みください
「大震災を考える (3)梅原 猛 さん「思うままに」を掲載しました。
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COLUMN 1−D 1590
平成23年4月26日・記
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昨日の散歩道から
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晴れたり曇ったり、時には雷を伴ってサァーと雨も降ってきました。
花ミズキの街路樹が見ごろと思い、何時もとは異なる散歩道でした。

↑↓赤と言うのでしょうか、ピンク色でしょうか。


↑↓これは間違いなく白色です

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COLUMN 1−D 1589
平成23年4月26日・記
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東日本震災から1月半が過ぎました。
〜新しい時代のモデルは東北から始まる〜
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東日本の大震災から1月半が過ぎようとしています。
様々な復興計画や意見が述べられていますが、どの意見も見解も間違っているとは思いませんが、”そうだ!”と理解・納得することができません。
何故でしょうか。何処かに復興が元の姿を思い起こさせてしまうからでしょうか。 それと旧来の利権の延長・復活を感じさせるからでしょうか。
と言って、、これだと提案する発想力や構想力は持ち合せていないのですが、賛同できません。

↑壁当てキャッチボールの壁面、咲き始めから3カ月楽しませてくれた桜草も種が飛び出しました。 藤の花とライラックに代わります。
(本日の写真は文面とは全く関係ありません)
1965年に学業を終えて就職しました。 1960(昭和30年代)年から日本はもっと豊かな生活をしよう、したいと走り続けました。
64年の東京オリンピック、70年の大阪万国博覧会、所得倍増、日本列島改革の波に乗り遅れるなとの思いでした。。
私の就職した業界もその波に乗って「良い品を、より豊富に、そしてより安く」と全国に隈なく店舗を張り巡らす競争をしました。
疑っていませんでした、「私たちのあるところ幸せあり、私たちの行くところ幸せあり」とのスローガンで突き進みました。
多くのお客様に支持されていると疑っていませんでした。
1973年・第一次オイルショックを経験して、一時は立ち止まりました。
その時出会った「MORE&MOREの終焉」と言う言葉が気になり、何処かに矛盾を感じながらも負けるな、負けたくないと走り続けました。
とはいえ、昭和50年代(1975年以降)に入り消費者の要望、行動様式に変化を感じていました。 具体的には もうこれまでのような店舗はいらないという声でした。
それは平均より高い所得を得ていた人々と所得とは関係なしに若い感覚の若者と30代のニューファミリーと呼ばれた高学歴で、時代の先を感じている「感性」を持っていた層の人々でした。
彼らはそれまでの量や数を多く持ちたい、消費したいという欲求ではなく、自分に合った気に入った高価なブランド品、あるいはシンプルだが本物を手にしたいという欲求でした。
その声に応えるためには旧来のイメージから脱却する必要がありました。 器=建物、提供方法、宣伝広告、そして人的サービス等の変化でした。

↑↓ 我が家のライラック(リラの花)、バックは栗の木

そこで一つの仮説がたてられ登場することとなりました。
それは昭和40年代に合併によって誕生した「ユニー」と言う店舗名から「アピタ」と言う店名へあたらな展開です。
単に店名が変わると言うだけではありまん。所得の拡大に伴う消費の第2の山(消費は第1の山と一段高価な第2の山と表現された)と日常生活の必需品においても量や数では測れない「感性欲求」に応えるストアーコンセプトの実現でした。
仮説を追及してゆくとその本質はそれまでの組織集団、あるいは働く人々の意識変革運動が必要であるということが判ってきました。
その結果、海外視察勉強のために飛行機に乗せること、東京を初めとする先端的な変化が生まれている街をぶらつかせること、そして本物の職人と出会い、その作品を見せていただく、触れる、あるいは作っていただくとと言う実践行動でした。
この試みは資金がかかるということだけでなく既存勢力との戦いでもありました。
ランチェスターの本をよく読みました。正確な数字が忘れてしまいましたが、全体組織の中で4〜5%のシェアーを占めれば無視されない。
11%を越せば存在が認識・認知され、20%を越せば地位が安定して来るという数値目標で、非難・罵声を背に遮二無二に前に進む以外ありませんでした。

↑ケヤキの新緑です。
1989年バブルが崩壊しました。 1998年退職しました。
その後、2年間で2度の長期入院を経験した時、これまでと違った生き方をしたいと考え、それまでの知人・友人関係を見直しました。
(年賀状の往来は今もあります)
そして、この13年間のうちにそれまでとは異なったネットワークが出来ました。 そのネットワークに参画している方々はそれまでの物的な豊かさ中心に疑問を持ち、同時に権力やお金の力に否定的な方達です。
自然や精神の世界に関心があります。
心の豊かさや日本の伝統、文化に関心を持ち、そして自然との対話を重視し、実践行動を起こされておられます。
今、被災地の方々は必死の思いで生きようとしています。
日々の礼拝時にお悔やみとお見舞いの言葉を口にしている自分に何処か苛立たしさとこれで良いのかと自問しています。
忍耐強いとか我慢強いと言われる東北の方々のこれまでの生き方やこれから立ち上がってゆく姿に学ぶものがあると考え・感じています。
「がんばりましょう!!」などとは言いません。教えてください。学びます。
これまでとは違ったモデルを日本・東北の地から発信してください。
東京も名古屋も大阪もそして日本中変化なしでは生き残れないのです。
バブル崩壊後の「ユニー」と「アピタ」のその後のお話をします。
「ユニー」と言う店名の店舗は現在1店舗もありません。
バブル崩壊後も「アピタ」と冠をした店舗も勢い良く展開されました。が、
21世紀の声を聞く頃から急速に業績が低下しているようです。
今から振り返りますと、アピタも大量消費社会の延長線上にあって厚化粧で塗り替えただけのものであったと認識することとなりました。
すなわち「MORE&MORE=もっと・もっと多く・豊かに」と言う発想の延長線上にあったのです。
今回の大震災そして原発事故は「MORE&MORE終焉」をお示し頂いた天意なのではないかと思えてなりません。
日本の中にあって大量消費社会とは無縁とは言いませんが、一番遠くの地にあった東北、伝統・文化が多く残っている東北から新たな時代のモデルが創出される時なのではないかと考えるのです。

↑4月16日 このコラム NO1580で、後10日経過すると新芽で大谷山が見えなくなるでしょうと紹介しました。 4月24日の状況です。
COLUMN 1−D 1588
平成23年4月25日・記
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統一地方選挙後半の日の朝
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↑障子を開け、ガラス戸を開くとサツキの中にツツジが咲き目に鮮やか。

↑この画面にケヤキの木の存在を見つけれますか。

↑そうです、茶色の苔の鉢にあるのがケヤキです。
これは10数年前、高山・清見のオーク・ヴィレッジでミニホレストを製作した時の名残です。 同時に数種の木々も植え込んだのですが、手入れ悪く他は全て枯れてしまいました。
その後、ケヤキは鉢一杯に広がった苔に助けられて生き延びています。

↑投票所の向かう「子豚公園」のケヤキの緑が光っていました。
COLUMN 1−D 1587
平成23年4月24日・記
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新芽が雨に洗われて
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↓↑ 出来上がった花台に、花が主役で台は縁の下


↑↓4月23日は春の雨、色鮮やかに藤、紅葉、桜の葉

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COLUMN 1−D 1586
平成23年4月23日・記
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昨日の散歩道から
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↑↓春日井」都市緑化植物園に珍しく竹で作庭です。

今回も、緑化植物園のシニアーパート職員が実施しているようです。
GDP指数への貢献度としては半減でしょうが、春日井市の経費としては半額で済まされるということになるのでしょう。
GDPの成長指標で示されることの見直しの時にある事をこのことからも教えられます。
追記
その後、一連の植物園内の新たな試み(植物園のシニアー・パート職員による作庭等の作業))は4月29日、「第22回・春日井ウオーキング・イベント」に間に合わせるようになされていることが判りました。
その内容は、「万葉苑の生垣」→これは植物園内の竹をきりだした。
其の二、竹で出来たプランター(今回も登場するようです)
其の三、今回の竹庭と枕木活用の庭です。

↑1年ほど前に、コンクリートブロックの製造工場の在庫が積み上がってゆくのを見ていて、経済不況によるのではないかと散歩道・田圃の一角にある工場を紹介しました。
その後、工場の前の田圃が掘られ、砂利が敷き詰められ、そして先週アスファルト舗装が行われてました。
不況で不良在庫の積み増しではなく、備蓄在庫の敷地の様子です。
まさか、ここから東日本へ運送するのではないでしょうが、どうなんでしょう。

↑旅立ち寸前の白花タンポポです。
風に乗って東北の地まで、飛んで行ってくれないでしょうか。

↑白タンポポの万華鏡です。
COLUMN 1−D 1585
平成23年4月22日・記
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ヤット、出来上がりました
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↑プランター等の花台です。
昨年の晩秋から取りかかった作品です。見れば大した作品ではないのですが、資材購入後、2度塗りの塗装までは順調に進み、刻むところから怪しくなりました。
電動ノコギリを新調して切り抜けましたが、今度はドリルドライバーの調子が悪く、翌日からは寒波襲来で諦めてしまいました。
駐車場の隅に積んで置きました。 寒い間は気にもなりませんでしたが、春の陽気を感じる頃となり駐車するたびに気になっていました。
昨日から取り掛かりました、自前のドリルドライバーからレンタルのドライバーに切り替えました。
これまた、スンナリと進行しません、ホームセンターに3度往復することとなりました。 レンタルノドライバー自身にも欠陥がありました。
途中まで刻んであった少ない部材なのですが、何処の所の部材かを忘れてしまい出来上がったものは素人日曜大工とはよく言ったものです。
前回の物は約10年間使用しました。 火あぶりし焦げ目をつけた丸太はマダマダ使用可能です。 手を入れたものは長持ちします。
これで、安心してお花を楽しむ空間が出来上がりました。
10数年前、藤棚を製作しましたが、今回の作品の出来上がりを見て、藤棚は良くできていると自分で感心しています。
COLUMN 1−D 1584
平成23年4月21日・記
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今年・春の花をどれほど掲載したでしょうか
〜ドウダンツツジ、みんなで一斉〜
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↑↓ ドウダンの花が満開
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↑大谷川の土手、今年もチューリップが咲きました

↑自家のライラックではありません。

↑隣のブロックのお宅の玄関先には何時も鉢植え、あるいはプランター花が 置かれています。 平均的には1月に2種類でしょうか。
この花の名前は判りません。お会いしたら尋ねてみ酔うと思っています。
COLUMN 1−D 1583
平成23年4月20日・記
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昨日は突然の雨、雷も、気温が下がりました
〜 幼稚園児が泣きだしたと報告です〜
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↑イチハツ?、アイリス、ジャーマン関係の花が咲き始める。

↑↓ お隣の原種の牡丹の色は穏やかなり

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↑野生のレンゲ、石垣の間から↓
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↑種を頂くことになっています。

↑ひと株の時は可愛い花と思いましたが、今やコンクリート壁とアスファルトの歩道の隙間にビッシリです。
↑↓ ハナソバ
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それでも、花屋さんに行けば一鉢150円はします。
販売に行こうかと思うくらいに増えました。
COLUMN 1−D 1583
平成23年4月19日・記
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散歩道を逆に歩くと気付くモノ異なる。
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同じ散歩道なのですが、逆回りしますと気付くところが違います。
たった、1時間前後の散歩ですが、スタートと終盤では疲れが異なる?

↑御近所の桜。ソメイヨシノ種を作ったエドヒガン桜の相手オオシマ桜?

↑これまた、ご近所の早咲きサザンカ。
毎年、初冬に見事は花を咲かせますが、今年は思いっきり切りつめてあります。 ↓

↑切り詰められてはいますが、元気に芽吹き始めています。

↑ムスカリと水仙の歩道です。

↑ムスカリと芝桜のゴルフ練習場の入り口

↑ゴルフを辞めて15年(その間3回コースへ)、少しもしたくない。
ただし、時折ゴルフの実況中継は見ます。

↑角の枝垂れや桜。 2年目から通行の邪魔となるほどに垂れ下がり
ご覧のように河童頭のように刈り込んであります。↓

同じ角ですが、我が家の栗の木はイガが落ちて危ないと切り込みました。
COLUMN 1−D 1582
平成23年4月18日・記
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4月17日・瑞浪百姓学校
〜順調に、春対応の作業が進んでいます〜
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↑ネギ ↑ホウレンソウ
ネギの坊主が出てきました。ホウレンソウのトウが伸び始めましたので切り上げです。
ネギは場所を移動して植え替えですが、ホウレンソウは牛の餌です。

↑苦土石灰散布と牛糞を入れて、耕転します。
ここにはサトイモと夏野菜を植え込みます。

↑玉ねぎは順調ですが、追肥をやらず、その後エナジー水を2度散布していますが、どれほどの収穫となるんでしょうか。

↑I・Yさんご執心のイチゴニやっと花が咲きました、何粒収穫できますやら

↑昨年の残りの「三尺ササゲ」の種が残っていましたので、植え込んでみました。 これまでの経験では2年越しでも十分芽が出ます。
来週は別な仲間が、そして再来週は遠山郷ですので、私は欠席で仲間が夏野菜の植え込みを予定しています。
またまた持ち込まれました。
先週の名古屋・たまり場が借りた犬山の田圃のほかに、本日別の知り合いから三好市、東郷町方面で4ヘクタールの田圃を手配したので、手伝いに来ないかとお誘いがありました。
声を掛けていただけることに感謝、と同時に時間配分に段々とユトリがなくなり始めました。
益々、健康に留意してアチコチと出掛けれる体力の維持と健康管理に留意しなければと考えています。
COLUMN 1−D 1581
平成23年4月17日・記
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