COLUMN 1−D 1660
平成23年7月3日・記
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瑞浪・百姓学校へ
〜第3回目(?)の卒業式でした〜
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昨日は波動の会で午後の2時から飲み始め、何時もより早めの午後7時に終了しましたが、ビール、梅酒、焼酎とタップリ頂きました。
今朝は午前5時に起床、少し体内にアルコール分を感じるが、汗を出してしまえば良いだろうと、おにぎりもなしで出発。
途中のコンビニで軽く二食分を仕入れる。

↑腹ごしらえが肝心と稲荷寿司をつまみにビールの缶が見えます。

↑↓朝露に濡れた畑を一周、Iさんが拘る3年目のスイカ。

↑直径5〜6センチに成長しています。
ここらまでは良いのですが、赤く実る頃になりますと、空からも、地上からも攻撃が始まります。 今年の防御法は如何に??
百姓学校の第3回目(?)の卒業式でした。

↑9年経過した所で第1回目の卒業式が行われました。私第一期生です。
その後、第2百姓学校の方に移りましたので、その間の事が判りません。
そして、今回の卒業生は6名でした。


↑卒業生を代表してKさんが挨拶、来月結婚式というダブル祝賀です。

↑本日の収獲のメインはジャガイモです。メークイーン。
上記に男爵も混じっています。男爵はまだ葉が枯れていませんでしたので、後1〜2週間後に収獲としました。
ところで、下栗のジャガイモ(昨年の掘り残しです)
大きさと言い、固さと言い下栗のジャガイモに戻っていました。
が、同じ畑の男爵の掘り残しには、小指第1間接程の芋でした。
昨年は下栗のジャガイモは他の男爵イモと同じ大きさで、しかもジャガイモにしては白色でした。
まだ、残してありますので、次回に掘ってみようと思います。
植物は色々な条件下でどのように成長するかを観察すると大変面白いです。
COLUMN 1−D 1659
平成23年7月2日・記
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『ねじれ花』
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数日前から和室の前に顔を出し始めた。
長男が高校生の時、校庭からもらい受けてきたというから、既にに20数年になる。 絶えたかなと思うと、次の年は思いがけないところに顔を出す。

↑タイミング良く、モンシロチョウが蜜を吸いに来た。
『ねじれても 蝶が舞うよな 花となれ』
このねじれ花は朝顔を同じように左巻きと右巻きがあるという。
我が国の国会は果たして左巻きか右巻きか、どちらだろう。
どちらの巻きかは知らないけれど、一日も早い復興基本計画や原発事故対応の指針を出してもらわなければと願うが、「ねじれ」ていることが要因ではない状況を呈している。

↑この程度のボケなら、ねじり花と認識できるが・・・

↑ここまでボケると、『ボケ親父の あだな花』
COLUMN 1−D 1658
平成23年7月1日・記
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収獲も大変だが、その後も大変
〜腰をのばすために、第1弾七夕飾り〜
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↑総収獲量50Kgでしたが、ひと夜開けた翌日はその整理が待っている。
叩き落としたわけではないが、水洗いをしてみると虫食い、キズもの等でまずは2割は等外品となる。 それでも40Kgもある。

↑御近所にお伺いを立てるが、野菜とは違い貰い手が少ない。

↑3年物以上の梅酒が自宅の屋根裏には30リットル確保している。
更に、厳密な選別をする。 そこに 喜んでの貰い手が現れた。
結局、我が家での漬け込みは18リットルでスペースオーバー。
今、こんな事を言っているが、酒飲みとしては本当は心もとない貯蔵量です。 貯蔵庫があればと思わずにはいられません。
ホワイトリカー・蒸留酒、ワイン、ウイスキー、ブランディー、出来ることなら日本酒も冷凍保管しておきたいです。
月替わりしました

↑ベランダから七夕飾り第1弾をシュロの葉で結びつけました。
その後、激しい雷雨ですが、雨に強い素材を選んでいます。
月替わりして7月、明日は「波動の会」へ、何時ものように梅酒を持参します。 梅酒は夏場の腸整にも効果ありです。
COLUMN 1−D 1657
平成23年6月30日・記
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飛騨金山へ梅の収穫へ
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今年は梅の収穫はゼロと思っていました。
既報のように2年連続して岐阜県各務原市・鵜沼の義姉の梅は今年も無と言う連絡を受けていました。(梅酒の在庫は十分ですので安心)
一昨日、岐阜県下呂市・飛騨金山から梅の収穫に来ないかとの連絡が入りました。 これも義姉の土地の梅です。
定植して10数年になります。 6〜7年前に一度「アバタ梅」を収穫したことがありましたが、その後は全く収穫なしでした。
地元の方が「冬場に野鳥が食べに来ている」と教えられ、防鳥ネットを張ったことがありましたが、その後も効果なしでした。

↑この畑が「蜂屋柿」、「栗」、そして「南高梅」の収獲地です。
このように何処が何処だか判らない畑を眺めたのは久しぶりと言うより全く忘れていました。

↑↓ ご覧のように、立派な実が実っていました。

↑鈴なりとはこのことでしょう。
本日の収穫は50Kg強でした。 脚立を持参し、登り降り、その上に思い切った剪定をしました。 剪定はこの時期で良かったのかと反省していますが、このところの私に時間的ユトリは少なく実施してしまいました。
と言いますのも、昨年蜂屋柿の収穫がゼロでしたので、その折に梅の剪定を思い切ってしました。 そのことの効果ではないかと考えたからです。
苛めてやると、梅に限らず自然界のモノは、子孫繁栄と生命継続のために花を咲かせ、実を実らすのではないかとも考えました。

↑同じ畑の一角に「スモモ」が一本植えられています。
同行しました相方は梅の収獲もさることながら、こちらの収穫が気になっていたようです。
飛騨高山での子供の頃の思い出がいっぱい詰まっているようです。
まだ、幾分早いスモモの実でしたが、色添えにはGOODです。
COLUMN 1−D 1656
平成23年6月29日・記
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頭を整理する為に、一枚の紙に書きました
〜本日、中部大学の「歴史学の方法」の講義影響〜
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本日の中部大学の聴講内容は歴史学の方法「中世のキリスト教の世界」であした。
その中で中世キリスト教の世界のイメージは「暗黒の時代」と表現されるように、「キリスト教による思想・文化の束縛で不自由で、進歩のない時代
とのイメージが一般的に刷り込まれているが、それは間違いであることが最近の研究で判り、ダイナミッックな時代であったと知られるようになった。
なぜそのようなイメージが定着したかは、その後に続く、ルネッサンスが自由な思想・文化、自然体を強調する為に必要以上に中世ヨーロッパ・キリスト教を悪く思わせる戦略が作り上げたものと講義された。
このように刷り込まれたイメージのモノは、近代科学がヨーロッパから全て出発したとの思いこみにも言える。
合理的で科学的な考え方はイスラムの世界・アラビアからであった。

↑七夕飾りの準備をしました。
ということが午前中にありましたので、メールで送られてきた「遠山藤原学校」の今後についても、可能な限り客観的に見つめる必要を感じ、自分なりに一枚の紙に整理してみました。
「遠山藤原学校」のこれからを考える。 平成23年6月29日
・仮のテーマ「遠山藤原学校」の運営をする会社を設立してはどうか?
・情勢分析
A,世の中全体の動き
3:11以降、世の中の流れが根本的なところから変化を始めた。
@
資本主義的な金や物中心の「MORE&MORE」、な考え方、やり方が行き詰まる、あるいは先が見えてきた。 また、グローバリゼーションも行き詰まる。
A
共生社会,低エネルギー社会、健康で持続可能な社会の実現がこれからの社会の方向性。
B人頼りの発想・態度はダメ。国や自治体などの「お上頼み」はデメ。自主・自助に時代。
C よって、試行錯誤でも身近なところから行動を起こす集団が動き出している。
B,遠山藤原学校の運営とスタッフの動向
平成23年3月より、「遠山郷の休日」と「遠山藤原学校」の二本立てでスタートした。
@
「遠山藤原学校」は6月、初めての東京新宿からの往復直行便が動き始めた。
A
5月は沖縄からのお客様の貸し切り状況となり、満員御礼。
B
7月、8月の状況はだ確定していない、が10月1日は満員御礼の予約が入っている。
C
現在、遠山藤原学校のお客様の募集、管理、運営は藤原事務所が中心で行っている。
D
が、本年4月より遠山藤原学校スタッフのXさんが遠山・木沢に移住した。地元の方の要望や懇親会への出欠の調整をしていただいている。観光農園の日々の管理も行っている。
E
その、Xさんが次のステップへの転進の意向を表明された。遠山藤原学校のスタッフとしての活動ウエイトをオブザーバーとしての立場に移行希望を表明された。
観光農園についても世話する時間が減少する。(秋葉海道ネットワークの参加を提案された)
F他のスタッフは遠山藤原学校の開催日に可能な範囲で参加している。
C,地元の動き
@
行政が木沢活性化協議会のこれまでの動きを評価し、屋根の修理、そして今秋にはトイレの改修が計画されている。
A
木沢地区と和田地区はそれぞれ独自の動きはあるものの、共同しての活動の必要性を共有され、和田地区から「遠山藤原学校」の懇親会への参加が始まっている。
以上が私の認識している情勢分析と状況認識です。さらに広く・正しく認識を共有すべく意見を募りたいと考えこのようなものを纏めてみました。
その上で、遠山藤原学校の今後の運営をどのようにするか方向性を出したい。
・その一つとし「遠山藤原学校の運営会社」の設立をどうするかを検討、意思決定したらどうか。
そこには、会社の責任者の事、現地担当者の配置のことは重要事項として含まれます。
・会社設立も含め、私自身として、また仲間で責任を負える範囲の事で実施したらと考えます。
私としては今週の「波動の会」、そして2週間後は「名古屋のたまり場の会」,そして「遠山藤原学校」のスタッフとして参加できていることに大変感謝と充実感を覚えています。
なぜならば、今は好きなこと、納得できること、に対して行動を起こす時と考えているからです。
今この時に生あるを感謝せずにはいられません。
COLUMN 1−D 1655
平成23年6月28日・記
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今年は早めの梅雨入りでした
早めに 梅雨あけ宣言が出るのでしょうか?
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↑ノウゼンカズラの花が咲き始めました。
→ 
↑ノウゼンカズラ、梅雨時の空気を明るくしてくれます。

↑何処からか、甘い香りがしてきます。 野生のクチナシ(一重)
→ 
↑クチナシ
中部大学の学生用駐車場から「御幸橋」を渡ります。
暑いので本日はウチワとお茶を教室に持ち込もうとしていました。
もちろん、担当教授からはOKが出ています。
春学期の後半に入り(7月第4曜日まで講義あります)、現役の学生には試験かレポートの提出が待っています。
今年入学の新入生も少し学校に慣れてきて、態度が可笑しく・横柄になり始めました。
本日の担当教授は厳しく注意しますが、小学校ではありませんが講義崩壊の教室もあるようです。(聴講生同志のネットワークは早い)
毎週、弁当持ち込みのお嬢さんと少しばかり会話しますが、感性の違いを感じます。
彼女らの親御さんより歳が10歳以上違うのです、といっておじいちゃんでもないと思っているのですが、熱帯性の湿度高い教室で歴史と思想史の勉強をしました。
COLUMN 1−D 1654
平成23年6月27日・記
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遠山郷 6月25〜26日「遠山藤原学校」
〜今回も沖縄からの6名を交え、満員御礼〜
東京・新宿からの往復直行便第1弾
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藤原先生曰く「何か悲願達成というような感慨」
↑新宿からの往復観光バス、第1便土橋先生が降り立ち、迎える藤原先生

↑↓ 片道5時間、くたびれた様子もなく、皆さん元気


↑和田地区で昼食後、木沢の観光農園で農作業
玉ねぎ、ジャガイモ、大麦の収穫、サトイモ、ネギ等の草取りと土寄せ
大豆、ズッキーニ、きゅうり、トウモロコシの植え込み。
エナジー水のプラントの説明と散布をしました。

↑↓雨も覚悟していたのに、陽が射してきました。


↑旧木沢小学校の校舎(昔のままの机と椅子)で藤原先生の講演とインターネットラジオ収録を直接聴きました。(先生一段と熱が入っていました)↓


↑今回も木沢活性化協議会・松下会長のハーモニカ伴奏で
「ふるさと」を皆さんで合唱。

↑再び、和田地区に戻り地元の方8名を交え懇親会スタート

↑和気あいあいの自己紹介

↑私写真ダメと言うので、 ↑では、足指で御挨拶

↑今回はお子様の参加4名で賑やか(若子さん花壇前にて)

↑懇親会会場で木彫りのタイガーに乗って↓

6月26日、二日目

↑遠山郷の「郷土料理」を楽しむ↓


↑五目御飯、ソーメン、ジャガイモのてんぷらをゴマ和え、塩イカときゅうり酒粕和え、シイタケとクルミの味噌和え、きゅうりの漬物、
そして、遠山観光農園の採りたて大麦で麦茶を作りました。

↑この時間帯はビール、アルコール類はありません。

↑再々度、旧木沢小学校に戻り、土橋先生の講演と藤原先生との
インターネットラジオ用の対談収録。

↑お会いして、28時間、アッと言う間にお別れの時間となりました。
木造校舎前にて記念撮影。 車が新宿へと向かいました。
その夜、地元の方、及び遠山スタッフとの慰労会にて
来年の1月OR2月に遠山郷の皆さんと沖縄に行って交流会をやろうと言う話が盛り上がりました。
何かのご縁で出会った方々との交流が始まり、新しい世界が開けてゆきます。
沖縄に限らず今回も日本全国からご参加いただき満員御礼でありがとうございました。
10月1日・計画も沖縄から団体でいらっしゃるとのお話が進み、「遠山郷の休日」(どちらかと言うとノンビリ、ユッタリな旅)ではなく、「遠山藤原学校」(講演が多い研修・勉強会)
状況によってはこれまでの受け入れの最高人数で、バス2台となるかもしれないという元気なお話です。
「遠山郷から日本を変える!」のスローガンに多くの方が集まってきていただけます。 ありがとうございます。
旧木沢小学校グランドにて「香織ちゃんとアカネちゃん」



COLUMN 1−D 1653
平成23年6月25日・記
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本日から遠山郷
〜地元の方・指導で「郷土料理」をつくります〜
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先月に続いて雨の遠山郷の様子です。 早めに出掛けて、お客様様用に長靴の手配をしなければと思っています。
自宅育苗の大豆が少々成長しすぎになったのではと心配です。。
遠山郷への里帰りの遠山大豆の苗ですので、昨夜の小雨に濡れて朝の風にソヨソヨと隣同士で肩寄せ合い楽しげに語らっている様子です。
車酔いなどは心配ないでしょうが、安全運転で参ります。
郷土料理用にジャガイモ、玉ねぎ、にんにくの収穫も待っています。
1カ月ぶりに出会う、野菜たちのことが楽しみです。
道中の飯田市、ホームセンターの前を通過する時間はお店がオープンしています。 春の花が枯れたことでしょうから、何か仕入れてゆきます。

↑、これで5回目でしょうか、書斎真下のアジサイ、変化が楽しい。

↑万華鏡

↑乱気球

↑渦

↑水滴がぽつりと落ちました。
COLUMN 1−D 1652
平成23年6月24日・記
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6月23日、犬山・羽黒・第2号地の作業内容
〜半夏生(カタシロクサ)がきました〜
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15年間休耕田であった犬山・羽黒・第2号地。
Kさんの大型重機の投入による耕転で、それなりの姿になった。
それならと、初めてポットでトウモロコシ、大豆を育苗してみました。
十分に高畝となった所に、カボチャも含めて定植しました。
現在までのところ、定植率は100%です。
彼らも頑張っているなら、こちらも手助けをしなければと昨日現地へ。
エナギー水は散布していますが、なんといっても15年間の休耕田です。

↑肥料喰いのトウモロコシには化成肥料と牛糞堆肥を入れる。(道路側)

↑もう一畝は化成肥料のみとしました。(内側)
なを、トウモロコシは全部で50株です。

↑数日の間に、弱々しい緑色から幾分、濃い緑になっています稲の苗。

↑ここには除草剤は撒きませんでした。でも隣と地続きの田です。

↑田のとなりの畝は大豆です。
田圃側から、1畝エナジー水のみ、次の1畝化成肥料を施肥、3と4畝にはカリ肥料のみ施肥しました。
先回(6月19日)に観察した時、これでは実のない豆になるのではと危惧しましたので、3通りの方法にしてみました。
大豆は全部で100株あります。
なを、エナジー水の効果でしょう、柔らかい草がドンドンです。
草取りと土寄せを兼ねて大豆の周りを耕転しました。
最後に、カボチャは順調です。少し遅いかと思いましたが「親づる」を摘心をしました。 これで子づるが伸びることでしょう。
ここ数日のお天気で、豆以外の所には水は入ってきていません。

→ 
↑梅雨時・夏至過ぎには、知らず知らずに待っている花?です。
COLUMN 1−D
平成23年6月23日・記
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お知らせ
コラム 2−D NO 322に記載しました
『中日新聞・6月23日・朝刊
「中日春秋」より ”我慢”』
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COLUMN 1−D 1651
平成23年6月23日・記 |