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 COLUMN 1−D 1670

                            平成23年7月14日・記

     本日は7月14日、「パリ祭」です



 このところ数回、ヨーロッパの歴史のことを書きましたので、その続きで本日は7月14日「フランスはパリ祭」のことが取り上げられたのかと思われますが、全く関係ありません。

 ただし、毎年この時期になりますと、『7月14日、パリ祭』のことが脳裏に浮かびます。

 7月14日はフランスでは国民の休日で、1789年の同日に発生したフランス革命の発端となったバスチューユ監獄襲撃及びこの事件の一周年を記念して建国記念日として各種催し物が開催されているという。

 私にとってはフランス革命の精神を尊び・祝うと言うものでもなく、また芸術・シャンソンの祭りでもありません。

 なのに、この日のことを思い出すのは、夜間高校生の時、確か1年生の時と2年生の時の授業の中に音楽の時間があり、そこで毎週2〜3曲の世界の唱歌を習い・歌った中の一つとしてこの「パリ祭」があったということです。

 「胸にみつる夢は パリに陽に輝き あの子の花束 

 小鳥のように   憧れ歌いつつ  恋に苦しい パリのある日

   乳色の雲は麗しく流れ   我が目にしみる 

     アーア パリの春、・・・・」

             と今も、おぼろげながら歌うことができます。

    毎年の事ながら、7月14日は「パリ祭」の歌を口ずさみます。

 数年前同窓会の折、先生(この先生は中学の時にも音楽を教わった)にお会いあいたことがありましたが、皆が中学校歌(校歌と応援歌)をイイカゲンに歌うので、登壇して朗々と皆をリードされました。

 (私は今でも、その校歌と応援歌正しく歌えます。同時に中学卒業の時、卒業生約550人に校長が面談し、一人一人に校長が自ら認めた色紙を渡してくれました。 今も残っています。)

     『人間の尊さは 生きる限り 己を尽くして

    残すことなく  一切の為に  働くところにある


          

                  ムクゲの花


         

            7月11日、撮影した築水池の風景

         

             7月14日、撮影の築水池の風景



 COLUMN 1−D 1669

                            平成23年7月13日・記

      今年の夏休みは読書をしよう。

  〜早くも、秋の花『萩』が咲き始めました〜



 6月29日、このコラム・NO1656で、「中部大学での『歴史学の方法』の講義が影響した事を書きました。

   そして、本日別な講義「ヨーロッパの歴史」を受講しました。

 両教授は一方はフランスの政治・経済・文化など西ヨーロッパから見た欧州の研究者。

 それに対し、もう一方の教授はソ連崩壊前の10年間中欧に滞在し、ハンガリーで博士号を取得したという東側から見た欧州の研究者です。

 講義の焦点は異なるのですが、同じヨーロッパを語るのですから、時折交差します。

 この3週間の間で、中世キリスト教世界(学者により中世の把握は異なります。 早ければ5世紀=ローマ帝国崩壊後〈遅いと9,10世紀〉から15・6世紀のルネッサンスまで)が取り上げられました。

 私に刷り込まれていた中世キリスト教社会は冷たく・自由のない・キリスト教によって統制された暗黒の時代。

 それに比してルネッサンスはミケランジェロやデオナルド・ダビンチに代表される明るく、進歩的な時代。というものでしたが、ここ50年間の研究によりその実態は異なるものであると通説に疑義が出ています。

       ここで、それを論じると言うのではありません。

 、昨年も同様な講義で推薦図書をしてあげられたものに、ホイジンガ・著。堀越考一・訳の『中世の秋』。

      そして、今週も再び両教授からの推薦図書です。

 何処かで聴いたような名前の書籍だと思い、アマゾンに注文する前に書棚を調べてみました。

    案の定、2010年12月5日、の日付けで購入済みでした。

 ここ数年夏休みには、海外旅行をしていましたが、今のところ自己自粛ムードですので、分厚い2冊の文庫本に挑戦しようかと思っています。


           

    昨日の散歩の折、春日井緑化植物園に立ち寄りました。
        上記の新しい看板が2カ所に立てられていました。 

 これまで、「ヘビに注意」の看板はありましたが、『イノシシ』は初めて。

          

 一時間も歩いていますと、ビールが「もういいだろう」と声掛けます。

              振り向くと萩の花でした。


 COLUMN 1−D 1668

                            平成23年7月12日・記

        どちらが先生か、患者か



 高血圧降下剤を既に20年以上飲み続けている。 その間に、5回ほど薬自体と服用方法が変わったが、直るというわけではない。(多分、飲まないよりは降下はしているだろうが・・)

 10数年前、担当医が一生飲み続けるしかないと言われたので、その時は飲まなくても良いと言われる数値にしてやろうと思いそれなりの対策をしたが変化なしだった。

          この5年の内に3度担当医が変わった。
 最初は40代前半の男性医、次が30代後半の女性医、で2か月前から30代後半の男性医となった。

           2ヶ月に一度処方箋をもらいに行く。 

 本日は呼ばれて腰掛けると同時に「如何ですか」との問いかけ、「特に変化ありません、多分140〜150でしょう」と答えると、測りもしないでカルテに140〜150と記入。

   その後、測りはしたが、私から声をかけないと何も言わない。
 「薬変えますか」というので、「今少しこのままで続けます」(4カ月前変更したばかり)と答える。

    「ではそうしましょう。2ヶ月分出しておきます」で終わり。

 自分の子供より若い医師、これまで先生とか、権威者と言われていた方々の信用、信頼と権威が日に日に失墜しているこの頃。

 この若い医師も多分学生時代は偏差値が高く、希望や夢を持ってこの道に進んだのだろうが、この姿を見ると可哀そうだ。

 日本の医療行政は行き詰まりだ。 与えられた条件の中で収入があればと半ばあきらめの心境で日々を送っているとしか見えない。

 と同時に、効果あるのかどうかも判らない、半分疑っている薬を服用している自分に反省した。
 
 次回から、変化がなければいっそのこと、服用を中止しようかとも思う。
    いや、明日から数日服用を中止して、様子を見て見よう。


          

       玄関先の「キキョウ」がアジサイに代わり咲き始めた。


    

  トマト第1陣が最盛期に入った。 続く第2弾も、日増しに成長している。

        

 COLUMN 1−D 1667

                            平成23年7月11日・記

        10年と言う年月の経過

   〜緩慢の様で、底流では変化の渦が・・・〜



  月に1.5回程顔を出すインターネット会社から招集メールがあった。

 偶々と言うか、勘が良いというか社長が年に1度か、2度まとめて話をしたいときに、偶然参加している。

      今回もそのようなタイミングであったように感じる。

 自分の事を振り返ってみるとインターネットなど10年前には全く関心がなかった。 音声入力が可能になったならば、考えようと言っていたことを思い出す。

 それが今では曲がりまりにも情報を発信し、インターネットで検索し・商品も購入し、メールで情報交換している。

 一日の時間の何分の一かはインターネットのお世話になっている。
 
 かつて、自動車の免許証を取得したとき、自宅が移動していると感じたと同じような驚きと言うか便利さを享受している。


 ところで、その社長の言葉であるが、インターネットの技術の革新はライフスタイルが30年ひと昔と言うようなレベルではないという。

 特に、東日本大震災を契機として、中央の政治、官庁も、学界も、経済界も、これまでの全ての既存権力は信頼感を失った。

 更に信頼感と言うよりは堕落しているのではないかと思われるのがマスコミ業界である。
 
 放送と通信のこれからは大きくそのポジションを変えて行くんではないかと考えられると言う。

 マスメディアではなく、身近な地域情報を発信する各地域の情報発信局が地域の人々と共に新たなネットワークを構築する時代に入ったのではないか。

 20年間続いている停滞と閉塞感、人口構造の問題としての少子高齢化社会、そして今回の震災を契機とする電力不足から生産の海外移転と打破しなければからない課題ばかり。

 誰かに頼っていても何も進まない、試行錯誤で良いから、方向を定めて行動するところから新たな明るい時代の到来となると考える。

      本日の午前中の会議を終えて、何時もの散歩道を歩いた。

         

   4日前に梅雨明け宣言された東海地方、春日3山と青々とした田圃。

            

         年に一度、田圃に映った自分の姿を今年も一枚

         

             定点観測地点「築水池」です。





 COLUMN 1−D 1666

                            平成23年7月10日・記

      犬山・羽黒・1・2・3号地の手当て

  〜 7月10日、梅雨明け宣言2日目の朝〜



 毎週、どこかで農作業をしているため、身体がそれなりに対応しだした。

 時により、草刈鎌の使い過ぎで腕が痛くなることがあるが、次の週まで引きずることはありません。

     50代の仲間に伍して動けることに喜びを感じています。

         さて本日は犬山・羽黒・1・2・3号地です。

          

     大豆の花が咲き、先発隊には豆の姿が見え始めました。
 
 15年間の休耕田とは聴いていましたが、バックホー(?)で溝切りした畝は良い草が次つぎに成長してきます。 待っていたかのようです。

 この後、大豆の根元の草を刈り取りました。 2週間後には収獲第1号となるのではないでしょうか。 臨時、例会でビールでいっぱいはどうか。

          

   トウモロコシも雄花が咲き、雌花も姿を現しました。 欲をかかず1本の実りとしました。 3〜4週間後に第一陣の収獲でしょう。

          

     バサリと一刀両断に切られたトウモロコシもあります。

          

 カボチャは幹線道路際なので、草に隠れているのが良い面もありますが、昨夜12時まで御活躍のHさんが草刈を頑張りました。

 スクナカボチャの小さな姿があちこちに散見されておりましたので、これまたそれなりの収獲が期待できそうです。

        

  2畝の第2号地の田圃は順調です。写真左の水路はミズクサです。

 この後、近くの羽黒3号地に移動して約20坪を草刈し耕転、畝作りして大豆を植え込みました。 160本です。

   この当たりから、写真を撮っているユトリがなくなりだしました。

       11畝の羽黒1号地に移動して、畔の草刈です。

 田の草がいささか目立ちましたが、11時過ぎ体力が消耗してきており、一部の田の草取りでギッブアップでした。

 この当たりの田圃は来週の16日から22日が中干しの予定日です。
 
 この時期に、草取り(中耕転)時期なのでしょうが、我が仲間の予定はどのようになっているのでしょうか。

  来週は瑞浪を予定していましたが、体調が順調ならば頑張りますか。
   ダブルヘッターで・・・。





 COLUMN 1−D 1665

                            平成23年7月9日・記

      「ひゃ苦笑」 何のことかと・・・



           

                水連が開花間近です。

           

               「コブシの実」と思います。
 実の形が子供の握りコブシに似ているところから名づけられたようです。
     自宅の「シデコブシ」にはこのような実は付いていません。


 知人からのメールに「私もひゃ苦笑が好きです」と書かれていました。

         最初、何のことやら見当がつきませんでした。

 特に親しい人でもなく、30数年前、私に苦言を呈していただいた方ですから、また何かお気に召さないことでもあったのかと思いめぐらしました。

       朝の掃除をしながら、そのことが頭にありました。

       気付きました、「ひゃ苦笑」とは百姓のことと。

 私も変換間違いのまま、送信していることが多く、冷や汗ものです。
      それにしても、百姓とは百の苦笑かとニンマリです。

 今の私にとっては苦労ではなく、元気をくれ、健康診断の先生です。

       明日は午前6時集合で、犬山・羽黒の草刈です。
   大豆、トウモロコシ、カボチャそして稲が成長していることでしょう。



 COLUMN 1−D 1664

                            平成23年7月8日・記

      『農業を始めたいのですが・・』



 今年に入り『農業を始めたいのですが・・・」と相談というか、声を掛けられることが数回ありました。

 『何が、そのような気持ちにさせたのですか?』と尋ねると、色々な返事がきます。

 新鮮で安全なモノを収獲して食べたい。 土日が空いているので、少しでも家計の足しにならないかと。 座ってばかりの仕事だからたまには、身体を使って汗でも出したい。定年退職で時間を持てあましている。

 以上のような返事ならそれなりの事は言えるが、中には会社が閉鎖した、あるいは数カ月あとに退職を迫られているとなると困ってしまう。

 『農業で飯が食べれないだろうか?』と言われると、言葉に窮す。

 『これまでどれほどの生活レベルであったかは知りませんが、生き方や価値観を大きく変更しないとなかなか難しいのではないでしょうか』と答える。

 2年ほど前のこと、百姓学校に体験入学された方が、畑でのんびりと休み休み畝作りをしているお百姓さんを見て、半分休憩しているではないか、百姓は楽だなと思ったという。

 自分で畝作りをし、連続して鍬をふるうことは大変と実感し、その後顔を見ていない。 機械化されたとはいえ手足を動かさなければ始まらない。


         

            初めて自家栽培したキュウリの苗

 4月下旬に定植した夏野菜が収獲時期にきました。 キュウリから始まり、トマトが数個、ナス、ピーマンも初成りを頂きました。

 キュウリは7月下旬には第1弾が終わるので、初めて種から苗を育てました。 順調です。

 この上、瑞浪・百姓学校の夏野菜が加わると自家消費ではオーバーします。
 その時に、『百姓を始めたいのですが・・』という言葉から思い出しました。

  『百姓は時期・時期の路地モノを口にするのが当たり前、キュウリが取れ出せば毎日・3回でもキュウリを食する。 ジャガイモが取れれば毎日・3回でもジャガイモばかりだ」と。

 今はそれほどのことではないでしょうが、確かに有り余るほど収獲出来始めると「もったいない」とばかりに、そのような食事内容になる。

 戦後食後、豊根村のこと、我が家では猫の額ほどの土地を借り、畑を休ませることなく次つぎと植え込んでいった事を思い出す。

 今回のキュウリも先月で収穫の終わった絹さやエンドウの場所に定植しました。 
 相方が腐り捨てたトマトから芽を出したので苗として育てていた。 それを1・5坪の庭の畑に定植しました。 果たして実が出来るのでしょうか。



 COLUMN 1−D 1663

                            平成23年7月7日・記

      
      雨の「七夕まつり」となりました。



  7月6日のこと
 
 
大学は1時限からの講義でした。 中世ヨーロッパ・キリスト教世界の話。
 
 「聖と俗」と題して、「聖」は教会建築のお浚いから、全く興味の対象外であった「ロマネスク様式」とか、「ゴティック様式」をその場ではそれなりに理解。

 やはり「俗」の方が面白かった。 別な講義で「歴史学の方法」という講座を受けているが、歴史の書き方が時代時代によって変化してゆく事を学んでいます。

 現在、流行と言うのか中心的な歴史学は「社会史」と言われる手法であって20世紀初頭から今日まで続いている。

 人間の表面だけでなく、「心性」(=簡単に変わらないもの、皆がやっていること。その例の一つが食欲と性欲)

        中世の農民の生活を取り上げて講義がされた。

 時の権力者や事件レベルを無視する。するとSEXは人類にとって「心性」としてクローズアップされる。

 「近接した生活」、「使用人との関係」、「夫婦の性愛」、「近親相姦」、「公営売春の正当化」、「オナニズム」、「獣姦」、「同性愛」と言ったこと。

 それらのことが紹介されている「身体の歴史T」(藤原書店)のこと。
 分厚い定価6800円の書籍が1年半で2000部完売されたと言う。

 現在、500部増刷しているという。 この手の書籍でこれほどの販売部数は超稀なことのようである。

 ややもすると、事件やイベント、目の前に展開される事柄に目が奪われがちになるが、その時代を観察する時は変わらないもの、続けられている庶民の生活にこそ長い歴史に耐えられる真実が潜んでいるのかと思った。

 それにしても、今通過している時代は、あらゆる面で大きな断層を超えていると感じずにはいられない。

           
       
             中部大学、全天候型の運動場にて
   ↑以前、この球技の名前を教えてもらったが忘れてしまった。

 7・8時限目に該当する時間に、久しぶりに「歴史研究会」に参加した。


   7月7日、七夕まつり

          


    ↑↓雨で、ご覧のように黒竹がグニャリと曲がってしまった。

         


           

                  オシロイバナ

  → 

            

           ノウゼンカズラは次々と花を咲かせています。


 COLUMN 1−D 1662

                            平成23年7月6日・記

     暑さに身体が慣れてきたようです。



 一昨日のことでした、朝の気温が涼しく感じ温度計を見ると26度です。

   その前夜も25度以上と言うことで、熱帯夜でしたのですが・・・

  今朝は更に涼しく、明けがたは掛け布団を手繰り寄せていました。
 
 午前5時で22・5度でした。 といっても、日中に最高気温は名古屋で34度と報道していますので、暑さに身体が慣れてきたのでしょうか。

 などと、気を許していると熱中症など、身体の変調をきたさないように今朝もストレッチ&体操で汗を流しました。。

           昨夜の御酒が全て流れ出たようです。

 この後、掃除をして、礼拝、そしてポリフェノールを炭酸で割ってと、楽しみが待っているので、朝の気温が上がるもの気になりません。


          

 ↑自宅の花が途絶えた時には御近所を一回りです。↑これユリです。↓

          


         

                ↑↓ カラーです

          

 
  昨日はテレビで野球観戦に熱中し、パソコンに向かわずに床に一直線でした。 ということで、今朝早々と入力しました。



 COLUMN 1−D 1661

                            平成23年7月4日・記

    7月30〜31日の「遠山藤原学校」

   〜7月の遠山藤原学校は盛りだくさん〜   


 7月の遠山藤原学校は藤原先生の「太平記を傍らに時局展望」のお話を始め、龍淵寺での写経、陶芸館にて陶芸の実習、そして天仁の杜での「蕎麦打ち」と盛りだくさんです。

 もちろん、観光農園での農作業も、遠山・和田地区の見学もあります。

  
 自慢できる話と言うよりはお恥ずかしい話ですが、根っからの悪筆です。
 10年前の平成13年5月9日から6月14日、「四国88カ所遍路」をしました。

 その折、納経する為に2年間の時間をかけて、約300枚の写経をしました。

    そして、次回の遠山藤原学校に写経の時間があります。
    筆ペン持参とありましたが、毛筆で書こうと思っています。

        

            ↑本日、書きあげた写経です。

 ↑6月18,19日京都で開催された「NSP全国交流会IN京都」で、藤原先生が講演された「共感、勇気、自然」のインターネット・ラジオを聴きながら一枚書き上げました。


 悪筆なのだからユックリ書けばよいものを、それが出来ずに約20分で書き上げました。

 7月30日までには時間がありますから、もう一回ぐらいは筆を取ることもあるかもしれませんが、毎年写経をしてみようかと思うのは冬場ですから、今回はこのまま本番でしょう。

 5月、6月と満員御礼となりました「遠山藤原学校」、東京・新宿からの往復直行便も出ています。 皆さんの御越しをお待ちします。

     詳しくは「遠山郷に行こう!」にアクセスしてください。

  
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