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COLUMN 1−D 1680
平成23年7月24日・記
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聴講生仲間、皆が元気なようで
〜足ナガ蜂に、スズメ蜂と遭遇〜
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来週の火曜日で今期の大学講義も終了。夏休みに入ります。
9月20日から始まる秋期の受講要綱も送付されてきており、一昨日早々と提出してきました。
1科目に付き聴講生は10名と枠が決まっており(人気講座は15名ほどに増やしているが)、抽選となるので受講できるかどうか分からない。
一昨日、サステナビリティの講演会の後に、何時ものメンバーで一席。
気の置けない仲間なので、最初から話が進む。
元気に登校して来るので何処も悪いところがないと思っているが、話を聞けば、8月にはいると直ぐに4泊5日で「白内障の手術」と言う。
2週間前、地中海方面に旅をしてきたXさんは、5本の前歯のブリッジが壊れて、話し辛くてしょうがないとモグモグしていた。
同時に、健康診断で「前立腺の検診」を勧められたので、受診すると「疑いあり、再検診」と言う。
肩が痛い、腰が痛い、肘が痛いなどは誰でもが持っているようだ。
私も40数年、一度も欠かさず健康診断を受けていたが、2年前より受診していない。
街医院に替えた時、勧められて大腸がんの検診を受け、発見されたこともあったが、怖いという思いよりは予防対応をそれなりにしているので、大丈夫と考えている。
それが間違いのもととも考えないではないが、検診は無理矢理に病気を発見されてしまうのではないかと思わないでもなく、普段の健康状況を自己チェックしておれば良いのではないかと考えています。

↑大谷川河畔のユリが満開を迎えた。
男性とは違い、女性軍は弱音を吐かない。
相方は時に外科関係の病院を利用しているようだが、健康診断を含め殆ど何もしていないようだ。
数日前、庭の草取り中に足ナガ蜂に腕を刺された。そこで止めておけば良いものを再度近寄り、指に刺されたと言って真っ赤に腫れた腕と指をさし出す。
昨年は私が秋の剪定の時に、スズメ鉢に刺された。
直ぐに毒を吸い出し、大事には至らなかった。
健康で元気なればこその遭遇と思うこととにしている。。
COLUMN 1−D 1679
平成23年7月23日・記 |
サステナビリティ研究会の講演
〜7月22日、中部大学・リサーチセンターにて〜
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サステナビリティ=持続可能性と言う単語に出会ったのは「LOHAS=ロハス=life of health and susutainnability」で、確か4〜5年前の事だったと思います。
それ以来ロハスと言う言葉を何度か耳にしました。其の中の「サステナビリティ」と言う単語をその後、あちこちで耳にするようになりました。
サステナビリティと言う概念は大変幅広く、環境問題、高齢化社会への対応など、現代社会が直面する様々な課題が含まれており、サステナビリティを価値基準とする社会の実現が、今や世界共通認識となったと言えます。
私が聴講する中部大学においても、昨年の6月から「サステナビリティ」研究会が発足し、持続可能な発展のための教育の一環として講演会、共同研究の発表会が開催されています。
今回は日本の原子力エネルギー政策に大きく関わられていた東大の岩田修一教授の講演がありました。
内容は本年4月15日に教授が論文を発表された「FUKUSHIMA」の考察と未来を見据えた内容でした。
多分、3時間ほどかけて発表された内容を半分の90分と言うことで、十分な時間ではなかったが、論文内容の他に以下の事を走り書きしました。
・福島第1原子力発電所の事故を真摯に受け止めておられた。
・「御用学者とも言われたが・・」、と否定もせず、苦笑されていた。
・冒頭で、大きな像の各所に触れている研究者の絵を見せ、各部分の専 門家であっても像の全体像は把握されていないと語った。
・今回の福島のことについても、テレビで矢継ぎ早に質問され、専門外の事については、十分な説明が出来なかった。(野球で言うポテンヒット)
・情報が十分に知らされていなかった。と同時に、情報隠しがあり、情報 発表に稚拙さとタイミングの悪さは指摘されている通りだ。
・原子炉建屋の爆発を防ぐ為の策を優先させるか、避難が終わっていな かった住民への配慮との判断の躊躇があった。
最悪時を想定しての意思決定の判断基準が想定されていなかった。
其の他、この事故に直接対応した当事者でなくて聞かせていただけない話もまだ他にもありました。
・『原子力に関する研究から逃げ出せるものなら逃げ出したい」と、
他の講演会でも感じることだが、このレベルの研究者は率直で・真摯な態度です。

最後に、論文の冒頭に書かれていることを紹介します。
「原子力エネルギーの活用は経済成長と環境保全の両立というサステナビリティ実現にとって極めて重要なオプションであった。
じわじわとやってくる気候変動と向き合い、格差とコンフリクトを調整し、開発と環境、先進国と後進国、北と南、消費と節約、世代間の資源配分等々の適正なバランスをとるためには、地球全体としての豊かな将来に向かった適切な戦略が必要。
原子力と言う重要なオプションの将来が不透明になった今、次の道筋は明らかでない。
東京大学のキャンバスの「Sustainnability Science」と言う教育プログラムには日本人を含む、アジア、アフリカ、中南米、欧米から通算で40名を超える数の大学院生が就学しているが、”FUKUSHIMA”以降の新たな状況に適応しながら、多様で新鮮な感覚を持つ学生たちと、今、一緒にできることは何か、一人の学徒として課題を整理してみたい。』
机に向かって学ぶことは重要ですが、自分の考えをまとめ、生き方の方向性を定めないことには、日々の行動の積み重ねが始まらない。
そこで、私が住む国の日本(世界)向かう方向=基本理念は
共生社会〜宇宙の地球のあらゆるものとの共生
低エネルギー社会〜過剰欲求、無駄、浪費
健康で持続可能性〜健康が一番、病気になっても感謝して受け入れる
COLUMN 1−D 1678
平成23年7月22日・記
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「FACEBOOK」でメールを頂くのは良いが・・
〜枯れ木にしがみ付くコケの姿を眺めて〜
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”友達の友達は友達。そのまた友達も皆友達だ”と言うことなのでしょうか、名前も顔も判らない方からのメールが届く。
フェイスブックのみならず、ツイッターでも送られてくる。
名前と顔が判る方には返信をしているが、其の返信の仕方が十分に判っていないので、其のたびごとに戸惑う。
月に1・5回程ですが、インターネット関連の会社に出入りしているので、最低限の知識と操作をマスターしなければと悪戦苦闘です。
話が全く変わります
政治向きのことは行くところまでゆかないと大転換しないと考えてから3年が経過しました。
自民党政権が終焉し、民主党政権になっても変わり映えはしないと話し合っていましたが、其の時の話の内容以上にひどい状況です。
それでも、世の中がどのように変化し・進展してゆくのかに関心を持っています。が、『行くところまで、行かないと・・・』とは、何が・どの辺までかの考え方がドンドン後退・混迷していることを感じずにはいられません。
が、ここまで来て、中央政府の改革・施策は挫折と言うよりは、矛盾だらけで一貫性なく一層混迷が深まるのではないかと思えます。
東日本の大震災が契機となって、国民が一致団結して復旧、復興に向かい、更に新たな視点に立った21世紀の新しい社会・地域・生活のモデルの創造が期待できるかと思いましたが、そんなレベルの状況ではありません。
更に、多くの国民の生活が数段追い込まれないことには、あるいは暴動でも起こらない限りズルズルと時間が経過するのでしょう。
地方自治がいやが上にも、立ち上がらなければならない時にきました。
どのようなリーダーが存在し、方向性を示し、住民と共に作り上げて行くかによって、地域社会は大きな格差を生みだす事だろう。
傍観者のようなことを言い、眺めているだけでは許されないと自問し、日々の自己の行動と時間消費に問いかけをしています。

↑昨日の散歩時に見かけました。
岩船神社前の枯れ木に、コケが発生しています。
枯れ木の最後の栄養分にしがみ付いているコケは自分の姿かと・・・

↑、それでは、少し寂しすぎましたので、ムクゲを追加しました。
COLUMN 1−D 1677
平成23年7月21日・記
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「夏休み」と言うタイトルは付けたけど・・
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本日は「夏休み」と言うタイトルが先に決まったけど、カメラの収められている映像をアップしてみると、バラバラで意味も意図も判らない。
現役の学生にとっては期末試験の真っ最中ですが、聴講生は試験を受ける資格がない。私の受講科目は来週まで通常の講義があり夏休みという気分にもなれない。
とはいうものの、後1回の講義かと思うとヤレヤレと言う気持ちと、もう少し講義があっても良いかなとの感情が入り交ざている。
今週御休みであった同僚から依頼されている受講ノートの活字化も終わっているし、明日はサスティナビリティーの特別講演会もあり、その後メンバーで一献の話もまとまっている。 休み前の解放された気分となっています。
夏野菜は身近な所が良い

↑今朝の収獲です。 自宅の庭隅の夏野菜は便利が良い。
キュウリ第1弾の収獲は最終段階に入った。40日遅れて定植した第2弾にも花が咲き始めたのでタイミングが良い。
30日遅れ定植のトマト第2弾も花が付き始めた、少し密植しすぎた事が気になる。こちらには雨よけシートはしていない。
ナス、ピーマンは秋に向かって順調な収獲となりそうです。
たった、1・5坪の畑ですが、手入れをしてやれば毎日楽しめます。
散歩道にて

↑ガマ(蒲)の穂。 水辺のガマに出会うと夏本番と感じます。

↑元気牧場にて。

↑ユリの名前は判らない。 今年はタイミング良く開花期にバッチリ。
COLUMN 1−D 1676
平成23年7月20日・記
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Y君の「歴史学の方法」のレポートを読む
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週に2つの講座を受講している。その内に一つが「歴史学の方法」です。
6月の中旬ごろから教室の前の席に変更しました。 特に意識もしなかったが、其の頃から私の前後・横にY君が座るようになった。
講義の初めはノートをとっているが、半ば過ぎると手が止まる。
1時35分からの講義であるから、見渡してみると半分の学生は机にうつ伏せである。 喧しいよりは有難いと感じていた。

↑ 台風6号が通過し、又夏空が戻ってきました。
6月下旬に試験の代わりレポートの提出が担当教授から求められた。
Y君に、講義の何処を切り取ってレポートを提出するつもりかと尋ね、良かったら私の受講ノートのコピーを上げようかと話しかけた。
週に3回ほどアルバイトがある様で、どうしても昼からの講義は眠くなってしまうという。
翌週、コピー(A3で35枚)を渡すと、「助かります」と言って受け取った。
其の時、「私にもレポートを一部提出すること」と注文を付けた。
そして、昨日の講義の時受け取りました。 その場で目を通したが3000字以上と条件が付けられていたが、約3600字でソツなくまとめられていた。
いや、私と顔見知りの方にもお見せしたが、其の方も「18歳か19歳でしょう。たいしたものね。」と言う。
高校は理数系だったが、「西洋学」に興味があり、歴史学科に学びたくて中部大学を選んだと言っていたから、目的を持っているのだろう。
良い学生と巡り合えたと嬉しくなった。
が、もう少し観察しないといけない。何故なら各種資料をソツなく纏める能力に長けているだけでは私の観察が問われてしまう。
其の他にも、今年・2学年のO君は昨年「歴史研究会」という会を立ち上げ、今年はそれなりに学校側からその存在を認められた様である。
礼儀正しい青年で、言葉づかいもシッカリしており、これまた楽しみな青年です。
”今の若い者は・・」と言うよりは、彼らの長所・強点を観察し・アドバイスの一つも出来ればと思っています。

↑我が家の庭の栗の木
COLUMN 1−D 1675
平成23年7月19日・記
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台風6号が接近中
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昨夜半、雨戸が軽く音を立てた。 駐車場の屋根に雨脚を聞いた。
半分眠気眼でトイレに、そして枕元の健康茶を飲み、扇風機をセットし、コールド・レーザーで喉のチャクラに照射している間に再び寝込んでしまった。
今朝は雨脚はなかったが、9時過ぎると断続的に南側のガラス窓を雨が流れている。
栗の木、花の木、シデコブシなど高木の枝が揺れています。
台風等の影響で、これまで学校が休講に出くわしたことはないが、どうなっているかインターネットで調べて見る。 今のところ休講はなし。
(インターネットが出来ないと、大変困る。電話での問い合わせは禁止)
現在、大学は春期の期末試験が始まった。 レポート提出が求められることがあるが、その場合全てワープロで活字化したものでないと受け取られない。
学校は社会人として持つべき技能として位置付けているようだ。
学生も困ったとも、何とも言わないところをみると、彼らも当たり前に思っているのだろう。
私も何度も打ち直しをしますが、悪筆で書きとめているよりは、後から読み直しす時間を考え合わせると、パソコン入力の方が少し効率的になった。

↑暑い、暑いと口に出しているが、いつの間にか柿と栗は実をつけた。
5日前に、油蝉を見かけた。パタパタ、バタバタと飛んでいた。
3日前に、初蝉の声を聞いた。
昨年はここ数年の内で、一番多く蝉が孵化した。今年はどうだろうか。
一段と雨脚が強くなった。 風さえなければ恵みの雨だが・・・
COLUMN 1−D 1674
平成23年7月18日・記
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夏休み間近な3連休の最後の日
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↑ 夏の花・力強くキョウチクトウ、
その前には返りバラとでもいうのでしょうか白薔薇

↑ 柔らかく芙蓉

↑追っかけて、やっと一枚撮らせてもらいました。

↑大谷川の八重のクチナシが香り

↑その川で、親子が小魚を捕まえていました。
COLUMN 1−D 1673
平成23年7月17日・記
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今週は土・日の連続農作業
〜我が家の夏の風物詩・その2〜
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7月16日は瑞浪での農作業。 連日の猛暑で畑はカラカラです。
草刈機が巻き上げる砂埃がたちまち一面にひろがります。
鼻の穴は砂埃で指先に黒い鼻くそでした。
「雨が欲しい」と葉や実は叫んではいませんが、根元に土を寄せると、其の土は白く干からびています。 根元を見ないと判りません。
7月17日、本日もAM6時集合で、犬山・羽黒2号で作業開始です。

先週、トウモロコシの間引きをしましたが、今週もまた、三分の一間引く。
皮をむいてみると、「ベビー・トウモロコシ」が出来ております。
奥様が食材に詳しく、料理にこだわりをもつMさんが持ち帰りです。
「どうして、こんなに間引くのか」と質問がきました。
1本に一つの実、私もこんなに、思い切り間引いたことはありません。
15年の休耕田、トウモロコシの背丈は1メートル強ですが、2つ以上の実に栄養を送るには不十分と判断しました。
それにしても、先週草刈をしたカボチャ、枝豆、トウモロコシの周辺は再び草が伸びてきていますが、主人の背丈の方が大きくなりましたのでそのままにして置きました。
羽黒1号地の田圃

↑本日は犬山・1号地の草抜きがメイン作業です。
ところが、中干しで用水の水が止まったのは昨日のこと、畔の草刈は出来ましたが、中は足を取られて作業が進みません。
十数メートル作業しながら思い出しました。 正しくは覚えていませんが
「この秋の 実りのことは 判らねど 今日一日 田の草をとる」
原発汚染に風評被害と次々と新たな被害に見舞われている事に比べれば、如何程の事もあろうかと言い聞かすのですが根をあげました。
今少し、田が干上がり・土が硬くなったところで作業しましょうと。
本日の作業はAM8時半で終了しました。
我が家の夏の風物詩 その2

↑泳がない金魚、餌やり不要の金魚、水澄む金魚鉢

鳴らない風鈴、だって28度エアコンの部屋ですから・・。
COLUMN 1−D 1672
平成23年7月16日・記
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友人からメール届く
〜瑞浪・日吉農作業〜
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『猛暑の中、農作業に励んでおられ、その気力と体力に感心。
その作業に絡んで、お酒の行事も付随しており、立派な肝臓が羨ましい』と。
本当に自分でもどうなっているのかと感謝すると同時に呆れています。
本日も瑞浪の農作業がAM6時から始まりました。
6時半にはギンギンギラと照りつきはじめました。
体力のあるうちにとジャガイモを掘り上げました。

手前は先週仲間が掘りあげました。 草ぼうぼうの所へ鍬を振り下ろす。
掘り上げた後に、其のまま草を活用して畝を作りました。
遠山郷の畑で実施している不耕起農法の真似事です。
ここで、ビールを頂きました。私の夏場はオンザロックビールです。

十六ササゲの初成りです。

連日続く日照りで、水のほしいサトイモに敷き草をする。
その後、AM11時まで作業をして帰宅、夏場の昼間はジントニックです。
自宅ですから一杯ではすみません。立てつづけに薄めに3杯でした。
書斎に上がってパソコンを開く、直ぐに喉が渇き「もう一杯」を我慢して、お茶で済ます。
夕方の散歩をするかどうか、汗の後のビールの美味しさとそれに続く日本酒のオンザロック、そして焼酎のオンザロック。
そこで、終わらずにウィスキーのオンザロックでバタンキュー。
” 幸せな一日でした ”と入力しました。
COLUMN 1−D 1671
平成23年7月15日・記
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嗚呼玉杯に花うけて(一高第12回記念祭寮歌)
紅萌ゆる岡の花 (三高逍遥の歌)
〜我が家の夏の風物詩・その1〜
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昨日(7月14日)のこのコラムにて、中学卒業時に、校長と面談のことを書きました。 (7月15日に書き加えていますので、早くに読まれた方は目に触れていません)
その後、船井幸雄さんの『船井幸雄のいま知らせたいこと』のブログを開きますと、「旧制一高と三高寮歌にみるエリート教育」のことが書かれていました。
この歌詞や時代背景を解説しようというのではありません。

〜 我が家に今年電池で動く扇風機が導入されました〜
中学卒業時の山口校長と上記寮歌等の思い出を書きます。
私達は昭和29年に豊橋・豊城中学に入学しました、卒業は昭和32年です。 その3年間の教育内容・方針は今でも何処かに脈打っています。
当時、豊城中学には水泳用のプールがありませんでした。体育の時間を活用して、土を掘り起こし運びプール建設の手伝いをしました。
(学校のすぐ裏には豊川が流れておりそこで泳いでいましたが、毎年幾人かの水の事故がありました。 石垣段を登ると吉田城です)
修学旅行(当時は2年生の時です)にために、同級生約600人の行進の練習です。 掛け声を掛けて、腕高く振り、足高くでした。
今、思い出し、考えても決して、戦前の精神教育方針とは違います。
(もちろん、戦前の教育などは知りません。後から聞いた話)
11クラスを担当する先生方も大変個性的で、良い意味での競争意識を持っておられ、毎月開かれるスポーツ競技は大変盛り上がりました。
また、英語教育にも力を入れており、希望者に対し通常の授業とは別に、大学教授を招いての特別授業もありました。
2組に分かれてでしたのですが,一番広い講堂もギッシリでした。

そして、寮歌を歌いました。 それが「嗚呼、玉杯に花うけて」と「紅萌ゆる岡の花」でした。
一高生や三高の学生が歌っていた年齢とは、数年歳若い私たちでした。
中学生なりに、これから建設してゆく日本、青年たちに対する期待や希望が込められている事を強く感じながら歌ったものです。
有難い事に、今でも歌詞を見ないで歌うことができます。
それと、前後して豊城中学の校歌と応援歌が出来たのです。
最後に付け加えですが、当時の豊城中学の校舎は、旧日本陸軍18歩兵連隊が使用していた木造兵舎でした。 私達が3年生の時に初めて鉄筋の校舎に入ることが出来たのです。 まだ、全校生徒ではありませんでした。
私は夜間高校生でした。この豊城中学が夜間高校の校舎としても使われていました。 旧木造兵舎が音楽教室でした。 同一校舎に7年間。
そして、大学はこれまた豊橋にある旧陸軍歩兵連隊の将校を養成する校舎で学ぶこととなります。 愛知大学は中国・上海にあった「東亜同文書院大学」から引き揚げてこられた教授と学生によって設立されました。
(中学、高校そして大学と旧陸軍の兵舎で11年間学びました。自分の事はリベラルな精神が強いと思っていますが、どうでしょうか・・・)
この頃の日本は何処にも、当時の活気や元気さがありません。
今更言うのもなんですが、今日の日本の姿は私達の行為のなせる結果。
反省すべきは反省し、残すべきは残し、新たに創造すべきことに対しては試行錯誤でも良いから行動すべきと言い聞かせています。
これからの世界のあるべき姿や具体的なモデルは私たち自身が創りだして行かなければならない立場に立っているのですから・・・。

〜太陽光で何時間でも、パタパタと動いています〜
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