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 COLUMN 1−D 1690

                            平成23年8月5日・記

      登場する花の種類が少ない8月

  〜サルスベリ、百日紅、猿滑と3種を紹介??〜



 庭に出たり、ご近所の玄関先を覗いたり、散歩の道すがら,何かが目にとまり写真を撮るのですが、ここにきて花が少なくなりました。

   と、思っていたら「遠山郷へ行こう!!」のグログに地元のMさんが、お盆用に出荷しているホオズキの写真を紹介・掲載しておられました。
           http://tzq0320.cocolog-nifty.com/blog/

 我が家の1.5坪の庭の畑も、松の木の下でホオズキは色ずいています。

          

 毎年、芽が出、それなりに成長するのですが、ホオズキは実りませんでしたが、今年は少ないですがご覧のようです。

          

   ↓松の下で日照不足か、葉がウコン病のようでもありますが・・・

          


  
今夏、三度目の登場「サルスベリ」 「百日紅」「猿滑」↓  

         

      ↑思い切り、涼しげに感じるように緑を濃くしました。

  昨日の朝のNHKラジオ番組でアナウンサーが投稿された内容を「百日紅」と書かれていたのだろう”ひゃくにちべに”(?)と読んだようだ。

 その後、同番組で別な視聴者から「”サルスベリ”と読むのではないですか?間違っていたらすいません」と投稿があった。

 そして、更に同番組で「”サルスベリ”は”百日紅”とも書かれ、”ヒャクジッコウ”とも言う」と投稿がありました。


 更に、付け加えます。
 
 サルスベリは猿滑と表記される。 猿が木に登ろうとしても滑ってしまうところから来ているようであるが、実際は猿はスルスルと登って行くそうです。



 COLUMN 1−D 1689

                            平成23年8月4日・記

       今年も蝉の抜け殻らが多い



 異常気象と言われた昨年、我が家の庭で羽化した蝉の数は多かった。

 枯れ木に卵を生みつけ、翌年に孵化し、その後地下生活は3〜17年と言われるが、我が家の庭のほとんどはアブラセミであるから6年と言う。

          

      ↑これは多分昨夜,羽化に失敗した幼虫と思われる。

 写真では上側の茶色の抜け殻にしがみ付いている薄茶色の幼虫です。

         

 ↑別に養殖しているわけではありませんが、藤の木の下に置いた温室の中の様子です。

 撮影中にバタバタと音がしますので、探してみますとこれまた昨夜、羽化したと思われるまだ薄緑がかったアブラゼミがバタついていました。

   逃がしてやる時、”ありがとう”とオシッコを排泄して飛び立った。


         

 ↑どれほどの抜け殻があるのかと、1・5坪の畑にはいると、ミョウガの葉の下に一番多く逆立ちしていた。

 後は、桜の木、藤の木、栗の木の下辺りで直ぐに見付けることが出来ました。 2〜3分でこの数ですから、今夏に入って100個以上羽化していることでしょう。

   一昨日百姓学校の瑞浪ではヒグラシの鳴き声を聞きました。 
 
 我が家ではまだヒグラシの声は聞きませんが、日中となるとと油蝉の他にニイニイ蝉が加わり 大合唱となります。

       喧しいなどとは全く思いませんし、感じません。 

 成虫期間は1〜2週間と聞いていましたが、野外では1ヶ月間とも言う。

 どちらにしても長い期間ではありません。 地中6年からするとアッと言う間の時間です。 思いっきり夏空を堪能してもらいたいものです。



 COLUMN 1−D 1688

                            平成23年8月3日・記

      読書の夏休みと思っていますが・・

   〜代用枕にして、節電の夏を乗り切る?〜



 昨夜、8月末までの既に決まっている予定を書きだしてみましたら、60%埋まっていました。

 大学の教授に名著だと昨年から勧められていた「中世の秋」 ホイジンガ/ 堀越考一・訳を読み始めていますが、上、下巻の上の6割を飛ばし読みしてところでストップしています。

 ヨーロッパのしかも中世の歴史の現象面をこれでもか・これでもかと事実の分析と想像力で書かれた「歴史学」は、これまで私に刷り込まれていた認識をヒックリ返してくれ面白いのですが、ストップしてしまいました。

          

  ↑散歩道、ゴルフ練習場の隣の畑、金網にカボチャがブランコ

 ヨーロッパの歴史も良いが、日本の歴史も勉強しなければと思っていた。
 
 そこに、推薦図書として進められていた網野 善彦・著「日本社会の歴史」 上、中、下をアマゾンで検索した所、中古本は上が1円、中が87円、下が23円で出品されていたので、ワンクリック購入。

 送料が各250円ですが、手元に置いていても良いと思い購入。

 出品者悪いと思い「日本の歴史を読み直す」 網野 善彦・著も購入。


  網野 善彦氏によって、1975年4月30日、サイゴン解放・ベトナム戦争の終結のこの年、日本の歴史学の出来事と言ってよい研究書が出版された。

       それが上記の「日本社会の歴史」と言うことです。
 届くのが楽しみです。 ヨ−ロッパ・中世の歴史と交差して読んでみます。

           

              ↑ホウセンカが盛りです。

 本棚に目が行き、そこに「昭和史の一証言」松本重治、「人類は21世紀に滅亡する!?」 糸川 英夫、を手にした。

 今一冊、1980年出版 「歴史から今何を学ぶか」梅原 猛、 渡部昇一、奈良本辰也、陳 舜臣・著も抜きだした。

 4人の著者の写真も掲載されているが、30年も前の写真、皆さんお若い。  30年前どのような事が語られていたのだろうか。

   以上、全ては読み切れないだろうが、枕にしてこの夏を過ごそう。

           

 ↑本日、白菜の種をポット蒔きした、定植する頃は秋風が吹き始めていることだろう。



 COLUMN 1−D 1687

                            平成23年8月2日・記

        本日は瑞浪・百姓学校へ

〜ヒグラシが既に鳴いています、今年は秋早い?〜



 4年前に百姓学校の仲間が卒業して、それぞれの地で畑仕事を始めました。 が、私はその後も瑞浪に通い続けています。

 その年は一人で農作業をしており、2週間に一度の作業で成り立つものかの実験をしておりました。 十分とはいきませんでしたが、それなりでした。
 3年前から、仲間が加わりましたが全くの素人で2週間に一度の作業を続けました。時間経過とともに手足が増えた分耕地を増やして行きました。

  昨年から、30代半ばの仲間は仕事の関係で休みがちになりました。
 人頼りはダメと思っていても、何処かに隙が出来思わしい結果は生まれません。
 今年に入り、仲間の都合のよい日に作業をしてもらい、私がその間を埋めると言うローテーションにしますと、ほとんど毎週、誰がの手が入り、それなりに納得に行く畑になっています。

 さて、本日の作業内容です

 
         

 ↑ナス、ピーマン、キュウリは毎週の収獲で、ご覧のように鈴なりです。

             

  ↑16ササゲは収穫期に入りましたが、女房曰く「何の料理するの?」
       (いささかガックリですが、子供のころに見た姿に満足)

          

    ↑昨年は日照りで苦労しましたサトイモ、今年は順調です。
   (この後に、草刈をしています。この地のサトイモは美味しい)
   
         

          ↑、草刈後、小雨で刈り取った草まだ元気、
        写真上部の黒い物はお世話になっている牛糞君。

           

   ↑ネギの植え替え、このネギは既に7年生(植え替え・植え替え)

           

      ↑スクナカボチャが新しい畑で花を咲かせ始めました。

           

    ↑校長が石積みした一番山側の畑、麦の後に植えました。
  成長が遅く心配していましたが、花が咲き・実も付け始めました。

           

   ↑小雨降る中、耕転を終え、今週末には秋野菜の種まきです。
          久しぶりに仲間との共同作業の予定です。


 COLUMN 1−D 1686

                            平成23年8月1日・記

         7月の遠山藤原学校

  〜考える暇ない、高密度の今回の研修でした〜



  7月30日 初日

           

   ↑先月に続いて、東京・新宿からの往復直行バスが到着。

           

     ↑今月は盛りだくさんの研修です。まずは腹ごしらえから。

        

     ↑気の出る熊野神社を御参りし、遠山藤原学校農園です。

    

            

 ↑チップを敷き詰めましたので昨年ほどではありませんが、それでも草。

 突然の雨に襲われました。 エナジー水プラントを説明して学校見学へ。
 
 その後、雨がやみ、30数分の駆け足農作業、草抜き作業に汗を流していただきました。 それでも、人数が多く助かりました。

             

  ↑汗が引かぬ間に、「太平を傍らに藤原直哉の時局展望」の講演
    藤原先生の前座を担当しました、遠山郷スタッフの林さん。

          

 ↑遠山温泉郷「かぐらの湯」で汗流し、いろりの宿「島畑」にてカンパイ〜

          

  ↑、↓、懇談酒宴1時間、今回は地元木沢の「霜月祭り」のお囃子、踊り手の若い衆が揃いました。 若い衆と言っても平均年齢は???です。

        


          

              ↑遠山バンドにバトンタッチ

        

  ↑5月、6月に続き沖縄の「島人ぬ宝」が、今回も流れました。
     なんと、5回アンコールに応えて、盛り上がりました。

 この後、2次回は「舞夢」でございました。帰宅は12時過ぎと聞きました。

  私も2次会に参加したいのですが、次の日に確実に影響が出ます。

       
 
   ↑道の駅「遠山郷」に駐車してある車の中で過ごしました。
          翌朝、午前5時ごろの道の駅「遠山郷」

   2日目・7月31日

 6時起床して、8時には遠山郷・唯一寺「龍淵寺」へ
         観音霊水、観音大杉、殿町の茶店で一服。

          

↑写経の時間です。この前に座禅があったのですが、私も参加写真なし。

          

         ↑↓「遠山焼・陶芸館」で、陶芸の実習
     (この時間から、一部の参加者は別行動を取られました)

          

        

       ↑更に「天仁の杜」に移動して、蕎麦打ち実習↓

          


          

       ↑会場は約200坪の組み立て式の木造建築です。

 この時間は強い雨が降っていました。 シートカバーの屋根に打ちつける
 雨音は喧しく、藤原先生を囲むように車座に座り、「藤原文庫の一冊から」。”日本の官僚”と、インターネット放送の公開録音をお聞かせいただきました。

        午後の4時になっても雨脚は弱まりません。
    再会を期して、新宿へ、姫路、山梨、埼玉等へと・・・。


 この後は、遠山スタッフと地元木沢の若い衆との御苦労さん会。

 8月1日
 
 
朝食後、スタッフの吉田さんが安曇野から持参していただいた、立派なキャベツと芽キャベツの苗を60本植え込みました。

      マルチシート敷きと防蝶ネットも設置しました。 

 前日、掘り出した多分2年前以上のジャガイモを再度、畝を整理して植え込みました。 今年、春植えのジャガイモより大きさ・形はGOODでした。
 

 COLUMN 1−D 

                            平成23年7月30日・記

       本日から2泊3日で遠山郷です

 農作業はもちろん、写経、陶芸、蕎麦打ち

 もちろん、美味しいお酒を頂きながら、
                   楽しい語らいです。

 エネルギーも発散しますが、それ以上にエネルギー           を頂いて、帰ります。





 COLUMN 1−D 1685

                            平成23年7月29日・記

       既存勢力と戦うことはしない

     〜順番は「命」、「生活」、「経済」〜



 昨夜から今朝にかけて「既存勢力と戦うことはしない」と枕元にメモあり。

  『戦えばそれは内部対立であり、エネルギーの浪費となる。 既存勢力としても生き延びねばならない。 其の為の改善、改良はする。

 芽生えてきた新しいエネルギーは彼らと戦う力はまだ持ち得ていない、自己の命を守り、育み、成長するだけで精一杯。

 増してや既存勢力を包含して前進する余力など持ち合わせてはない。
 両者は戦うべきではない。 共存できるところは共存すれば良い。

 ライフサイクルが示すように、もっと大きな自然の流れに任せればよい。』


 十数年前までの私の思考、行動では気付かない事が書かれている。
 以前は 邪魔なら突き飛ばしてしまえ、潰してしまえという感覚であった。

          

         ↑「袋田の滝」 平成22年8月5日、撮影。


 今は大転換期、断層の上に立つ私達。 平成23年3月11日、東日本の大震災、そして原発問題と続き、政治、経済、社会の混乱・混迷です。

 このような時、何が重要か、何を大切にすべきかを教えられました。

 それはまず第1に「命」、2番目に「生活」、そして「経済」であると。
 
 それと逆を耳にすることがあります、まず「経済を立て直す」、そうすれば「働くところが確保され、生活が安定する」 さすれが「命」は守られると。

 全く順番が異なります。 私はやはり「命」、「生活」、「経済」と考えます。

 経済の立て直しと言っても、既存の経済構造・基盤は(政治構造も同じ)既に賞味期間が終了してと言うよりも、時代の流れは物の見方、考え方、価値観が転換し、パラダイムが変換してしまったと考えます。

 日本に限らず世界において時間の問題で変化・転換すると考えます。

          

                    ↑ 袋田の滝                 

  
           既存勢力と戦うことをしない。 

 では、新しい芽は何処にあるのか。何処から芽生えてくるのか。

 「命」を守るとは食にありと考えます。

 過日のサステナビリティの研究会の折、『人類最大の危機は環境問題でも、エネルギー問題でもなく、人類の存在・人口問題こそ』と言われた方がありました。

    地球全体を救う食糧問題に知識、見識はありません。
 半分逃げの考え方かなと思いますが、「神はお見通し」と思っています。 
 
 人類の歴史は単純に「低きから高きに成長・発展してきたのではありません」 「紆余曲折しています」 「繰り返し反復しています」

 私は神はお見通しと信じ、己の足元とから事を始めたらと考えます。
 
  原始共同体に戻れ、戻すべきだなどと言うつもりはありません。
 少なくとも、自分の足元で可能な限りの自給行動を起こす時と考えます。

 それは生産量の大小の問題ではなく、そこから学び・教えられ、生活のあらゆる面で新たな考え方、視点が生まれ、日々の生活の変化の切っ掛けになると考えるからです。

 「命」を守る、それは食することから始まる。その食を生む土との会話がその第一歩ではなかと考えています。


 COLUMN 1−D 1684

                            平成23年7月28日・記

   名古屋たまり場勉強会   「個の花倶楽部」

     〜名古屋たまり場、「能天気農法」



   毎月1回、月の中頃に例会を開催している「名古屋たまり場」

 それとは別に、2ヶ月に1回藤原直哉さんが名古屋に講演会に来られた時を活用させていただき、藤原さんを囲んで自由な話し合いの場が設けられており、第2回目が7月25日に開催された。

 当日は他の予定があり欠席しましたが、参加メンバーから当日の報告がありました。 会の名を「名古屋たまり場勉強会、個の花を咲かせる会」としましたが、名称が長いので通称「個の花倶楽部」とするとなりました。

 其の事とは別に藤原さんより「名古屋たまり場」への取り組み要望があッったとの報告。
 それはエナジー水をひたすら撒き散らし、草を育て観察し、そこで農作物を栽培する事です。名付けて「能天気農法」と言うとありました。。

 続けて以下のことが書き添えられていました。

 今、農業経験者がいろいろな新しい農法を取り入れてもうまくいかない事例が多いそうです。
それはおそらく農業経験者の思いの中に、20世紀の古典力学が入っていると、その法則が働くのではないかと思うのです。そこで能天気倶楽部では、何も考えずにただひたすらエナジー水を散布し雑草を育て、自然の植生の中で農作物を共生させたらどうなるか?という実験です。

今の若者は、現行農法が出来るほど逞しくありません。能天気農法ならただエナジー水を撒いて、作付をして収穫するだけという魔法のような農法です。

来るべき食糧難と若者の失業を同時に解決する、日本発の21世紀の産業革命となりますかどうか?
と。

 私も既に瑞浪の地で1年前よりエナジー水を活用・撒いていますが、この秋からは不耕起農法をされて居られるYさんに見習い、不耕起農法の真似事も取り入れようと考えています。

 従来の農法も並行して行いどのような結果が出るのか観察してみようと思っています。

 全くの能天気農法ではどうかと思いますが、名古屋たまり場のメンバーと、この春から始めている犬山・羽黒では15年間の休耕田にエナジー水を撒くことによって、隣の畑の草とは全く異なる種の柔らかく・美味しそうな草が一杯です。 以下の写真を見てください。

          

    ↑隣の畑の草の写真はありませんが、枝豆がこの中にあります。

          

  ↑草を刈ればこのように元気いっぱいです。収獲もかなり見込めます。
  (こんなに綺麗に草刈りする予定ではありませんでしたが・・・)、

 真夏の太陽のもとでの農作業、AM6時からでも体力的にもきついです。
 
 昨日の日記で中途半端に「思いつくまま」入力しましたが、近代科学の思想の延長戦では物事が解決するどころか、一層混乱と崩壊に向かうのではないでしょうか

 大転換の時、断層の上に立つ今、現実としてはその恩恵に与っている微生物や酵素、目に見えない「気」の世界の実態が新しい時代の救世主として脚光を浴びる時に来たのでしょうか。

       素直に、改めて学び直す時が来たと思います。
 

 COLUMN 1−D 1683

                            平成23年7月27日・記

           思いつくままに 

  〜時代の転換期に、留まらず行動を起こそう〜   



 今、歴史的大転換期にあるとか、歴史の断層の上にたっているとか表現されるし、口にしてきましたが、私達はどのような転換期や断層の上に立ち今後どのように時代は動き、歴史は創られてゆくのでしょうか。

 7年前、歴史を学べばそこからこれからに時代を予測できるのではないかと期待して中部大学や放送大学の講座に参加しましたが、一向に先は見えない。見えないどころか一層、闇の中と言った方が正直なところです。

 歴史そのもの=事実(何年に、何処で、誰が、どのようなことをしたか)ではなく、どのような方法で歴史をみるのか、考えるのかを「歴史学の方法」と言う講義で2年間学びました。

 何故そのような方法が取り上げられたのか、その時代の背景、立たされている立場からの理解は出来ますが、「歴史学の方法」そのもの自身の今後のことはこれまた闇の中にあります。 どう発展し変化して行くのか?

 いや、歴史は繰り返されるだけであり、人類は一向に進歩していない。
 それどころか一番近い20世紀の歴史を振り返ると愚かさを感じます。

 歴史的事実と言っても、果たしてそれが本当なのか、嘘なのかも判らない。多くの場合歴史上の勝者の立場で都合の良いことが書き遺されているからです。

 その例は遠くギリシャ時代の書き遺された記録もそうであるし、ローマ帝国の歴史も、キリスト教の歴史も、中世から近世、そして近代までの歴史に付いてもいえます。
 
 考古学上の発見、古文書の研究により何度か歴史的事実と思われていたことが書き換えられているというのが実態です。

 出来るだけ事実と思われることを客観的に記録したことから始まった記録=歴史といっても、黒沢明監督の映画「羅生門」の京都の洛外で起こった事柄を語る4人の証言はバラバラのことを以てしても事実認定は難しい。
          

      ↑一度も登場したことのない写真を探しました。
 

 ところで、腹に納まらない事柄をどのように書こうとも、収めどころがない。
 
 今、なぜ上記のことをタイトルもなく入力し始めたのか考え始めています。今後、どのような変化が起こっているか、どうのように対処するか。

 その一つは、これまでの縦社会に終焉です。今に始まった事ではないのですが時間の経過と共に更に明確になってきました。

 お上の言うことを聞いていればよい、あるいは会社のトップの言うことを聞いていればよい等の考えはバブル崩壊後の中で終身雇用、年功序列は崩れ、首切り、リストラでハッキリしました。

 それに代わり、同じような価値観・考え方を持った仲間の連帯が生まれ始めています。横のつながり、ネットワークというのでしょうか。

 いま一つ、行動を起こさなければ前にも横にも進まないということです。
 試行錯誤でも思いを持ち、方向性を決めて、手・足を動かしている人・グループに明るさと元気さをみることが出来ます。

 傍観者のような目線で物事を見、立ち止まっている人々は知らず知らずのうちに身体が硬直してきているのではないでしょうか。

 大転換期、断層の上に立っている今、思いを持ち、仲間を作り、行動することが今求められていると考えます。


 本日は晴れたかと思うと、俄かに曇りそして雷雨です。そんな日に何を書こうと言うのでもなく、手元に写真もなく、思いつくままを入力しました。

        雨があがりましたので、散歩に出かけます。

 気付きました。本日昨日の講義内容の活字化終え、これで夏休みと気が抜けていたのではと・・・



 COLUMN 1−D 1682

                            平成23年7月26日・記

            『流動化』 



 関係している会社の会議の資料(パソコン上)に「現状の流動化か?」と言うタイトルがつけられていた。

 流動化とは「流れ動くこと」、あるいは「定まらず動くこと」と広辞苑にある。
 私は資料にある「流動化」とは上記の意味に値しないと考えを述べた。

 なぜならば、この会社は今期を「戦略対応の年」、「変化の年、チャレンジの年」と位置付けて、次つぎと新しい企画(商品)を出し続けている。

 一番の本目と力点を置いていた企画が、当面の収益に貢献する事は難しいと判断し、持っているエネルギー(パワー)の優先順位を変更した。

       (優先度変更から「流動化?}と活字化したようだ)

 が、優先度の変更により、メンバーの目標設定と課題が鮮明になり、今まで以上の成果が期待できるのではないかとも述べた。

 顧客の要望に常に留意し、発見し機敏に戦略・戦術を変更し、新たな企画、商品を提供し続ける事の重要さは今と言う時代に一番求められていることと考えます。

 その表れが、ここ数年、目覚ましく開発され発展しているソーシャルメディアやスマートフォンと言われるモバイル市場の拡大は新たな横のネットワークを生みだし、同時に地域活性化の芽を生みだし始めていると思えます。

 単語を理解するだけで精一杯ですが、そのような組織の隅に置かせていただける事に感謝しています。

   それにつけても、中央の政治情勢は語るに落ちたという感です。
    流動化とはこのことでしょう。 「定まらず動くこと」と言えます。
 
  自主性、主体性を持って行動してゆく時と感じずにはいられません。

          

    ↑サルスベリの花が咲きだしました。背景はサンシュの繁み


   新たな時代に対応する復興とは

 とここまで入力した時に東日本震災の復旧と復興の事が脳裏を過った。

 生活優先・第1の観点から生活インフラの復旧は終了したと聞く。
 それに続く、復興のあり方、方向性が見えてきていないようだ。

 復興が旧来の物の見方、考え方、価値観で進められるならば、又元の道を引き返すことになると考えます。

 元の価値観とは「物や金の豊かさ」であり、大量生産、大量消費の無駄や浪費、高エネルギー消費社会への引き返しです。

 人々が集中して暮らすことの良さや便益もありましょうが、高層ビルに高エネルギー消費の生活は私には別の世界です。

 出来うるならば、野山に囲まれ、近くに田や畑そして里山がある自然と共に生活したいと考えます。




 COLUMN 1−D 1681

                            平成23年7月25日・記

   今年の3月以来、毎週何処かで農作業     

 〜7月24日は犬山・羽黒でトウモロコシ収獲〜   


 今年の3月6日以来7月24日までで21週の内、25回の農作業の記録が残っています。 と言うことは我が家の庭の作業は抜きでも毎週何処かで農作業をしていることとなります。

         7月24日の日曜日は犬山・羽黒でした。

          

 ↑先週は大豆(枝豆)の姿が見えましたが、大雨もありご覧の如し。

          

   ↑草刈すれば、このようには畑らしくなります。手前はモロコシ。

 しかも、ここまでの所出来が良いのです。 実が付きすぎではないかと心配するほどの物もあり、 1週間後、遅くとも2週間後には出荷(?)できるのではないかと思えます。

          

   ↑トウモロコシが収獲期となり、コンロ持参で茹であげました。
         
          

   ↑取り立ても・取り立て、その場で頂きました。味は及第点です。

 十分な実入りでなく、また虫に食われていましたが、初めてのお土産もありましたので、早朝から家を出る亭主の存在も・・・


   至福の時
 
 
         

     犬山・羽黒から帰宅。 汗の上下をタライに入れ、水洗い。

 そして、至福の時となります。

  本日はまずは「On The Rock Beer」をガブガブと喉を鳴らす。

  続いて「 On The Pock Wine Sour」これまた、ガブガブと2杯飲み、シナモンを振りかけて、その後はユックリと頂く。

 御つまみは、ニンニクのしょう油漬、大根とイカの煮物、田崎信也ブランドの「ワカサギの甘煮」と黒豆の甘煮。

              

↑好きな花の一つ、先日の台風で倒れ、食卓に飾られた赤のグラジオラス

          汗を流した後の、至福の時でございました。
  
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