NO179に掲載した我が家の庭の「冬枯れの木立」を見た後、散歩に出ました。 そこは春日井市の失われつつある草木を集めた”野草園”です。 広くはありません、やっと100坪というくらいでしょうか。 しかし、その野草園を囲い包むように「エゴの木」「ハンノキ」「ヤマザクラ」が林立しています。 自然の中で思いっきり枝を伸ばした木々が私も優しく包んでくれました。 新しく白ペンキで塗られたベンチに寝そべって、見上げて木立を撮影してみました。 築水池(用水池)から流れ出た水音が、微かに聞こえる小鳥のさえずりと”早く来い来い春”とメロデイーを奏でていると感じました。 野草園を出るとそこは廻間(はざま)の田圃が広がっています。 西に傾いた夕日が飛び込んできました。
春、花満開の草木の様相も好きですが、大寒の中でスクッと寒風に身をさらしている木々も好きです。 ヤマザクラ 栗の木 ヤマザクラは栗の木と1メートルも離れておりません。 地表2メートルのところで2本に分かれておりました。 10年前でしょうか、思い切って頭というよりは胴のところからバサッときりました。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」といいますが、毎年淡い花びらをつけていましたが、その年から花をつけなくなったことは言うまでもありません。 しかし大枝からワキ芽が吹き出してきておりましたので、毎年剪定をしておりました、2年前からその枝先に花をつけるようになりました。 枯れた幹からはコケが生えてきております。 栗の木は敷地内には3分の1で、他は道路にはみ出しております。昨年末、はみ出していた枝を思い切ってきりました。 写真の大枝は敷地内にある1本です。 春になったらその花を紹介しましょう。
毎年この1月と2月は名古屋市内より数度気温の下がる瑞浪・日吉である。 参加を迷っていた方には春暖かくなってからにしてください、もちろん真っ白な霜の降りた田圃や畑をみたい、囲炉裏を囲んで一杯やってみたいというのなら別ですがと知らせておいた。 春にしますとの返事であった。 例年程の寒さではなかった。 初日は今年の計画を決めた。 畑は新たに一畑増やした。 昨年開墾はしたが使用しなかったところである。 肥やしが不要というか、肥えた土地でないほうが良いと言う「豆」を蒔くことにした。 昨年、思いのほかの小豆の収穫となったY氏が中心で実施と決める。 後は、連作にならぬように配慮して「ジャガイモ」「サトイモ」「サツマイモ」と芋類を一畑づつにして、他の野菜類は例年通りとした。 と言っても野菜畑は広いので連作になる心配はない。 お米は昨年同様に「うるち米」を約一反、「モチ米」を4畝とした。 田はそれぞれ昨年「牧草地」「麦とジャガイモ」「米」を植えた場所で、異なる条件のところで3毛循環連作の実験も加味してある。 明けて23日は麦踏である。 他は切り倒したままになっていた檜を前庭に運ぶ作業と薪の整理をしました。 大寒期なのに畑に残っていたダイコン、人参、水菜、白菜、モチ菜、など新鮮野菜の枯れるときにお土産がいただけた。 踏んだ後の麦 踏む前の麦の列 ![]() 意識して撮影したわけではありません、間違って撮ったのですが、なんとなく麦踏の感じが出ていると思いませんか? (思わない、すいません)
韓流ブームとか、ヨン様人気でお隣の韓国が注目されています。 昨年、韓国に赴任した知人からクリスマス・カードと共にに手紙が入っていた。 タイプアップされたものなので私だけでなく、多くの友人・知人に送られたものでしょうから 、その一部を公開しても差しさわりはなかろうと思って紹介します。 (なを、内容はエッセイーE手紙、メール、FAXの交換に) その前に、私の韓国に関する印象はと問われれば以下のごとくである。 ・兎に角、負けず嫌いな国、人々である。 かって、香港に在住していた時、クラブでカラオケで唄っていると、かの国の人がマイクを取る。 それが延々と続くのである。 という事はこちらもマイクを離さないということかと、今思うのであるが・・・ ・お酒の飲み方が派手である。 というよりは激しい。 45度のウイスキーをグラスに並々と注ぎ、一気に飲み干すのである。 飲み干さないと許してくれない。 それどころか「俺の酒が飲み干せないのか」と詰め寄られる。 そのようにして仲間確認をしていたのか? ・学歴社会である。 どの学校、大学を出たかによって先がみえてしまう。 昨年、大学入試で替え玉受験や携帯電話による不正があったが、どれだけ 上位の大学に入学するかが将来を決まってしまう。。 ・美人の基準が日本より俄然厳しい。 たとえば、日本人がこの人は美しいと50%の人が言ったとする。 韓国では25%の人しか美しいとは言わない。 よって、韓国ではエステと整形美容が大繁盛している。 日本より女性が大挙して韓国を訪れているのはそのためもあるのでは・・・・ 私はヨン様に決して愚痴しては居ません。 彼をみて優しく、美男であり、隠された肉体美は相当なものである事も知っているつもりである。 どうも、感覚的、外見的なことを書いてしまったようである、知人Mさんの便りで埋め合わせて欲しい。
コラム2−N NO106で「有漏路、無漏路」「風吹かば吹け、雨降らばふれ」「里の修行、山の修行」の事を取り上げましした。 その折、想像力と記憶の失せぬうちに『里の修行』のこと入力を始めましたと書いたところ、「早くそれろ掲載せよ」とのお便りをいただきました、その折もお断り申しあげていましたように、まだ「風吹かばふけ、雨降ればふけ」との心境レベルになっておりませんことと、今だいささか差しさわりある連想をする方もあろうかと危惧するところでありますので、お許しの程お願いいたします。 毎年この時期、室内にこもる時間が多いため、時間潰し半分、楽しみ半分での慰み事、ほろ酔い気分での事でございますので、お許しください。 それよりはお願いがございます。 修行僧などとは申せ、その修行の内容、中身、数は事しれたものでございます。 出来うるならば、お読みいただいている皆様の修行経験をお知らせいただければと思っています。 簡単に以下の内容を箇条書きにしていただければ、後は私の拙い想像力と妄想で物語を膨らませ、展開してみたいと思っております。 ・何時ごろの出来事か? ・それは何処での出来事であったのか? ・どんなお相手との事であったのか? ・思い出に残る記憶はどんなことか? ・何がきっかけで別れ、離別となったんか?いや、今の奥方でもかまいません 等 とは申せ、どんな物語が、どのように書かれるのかご心配でしょうから、差しさわりのないまさに、ある朝の寝覚めの記憶を呼び起こしたものを掲載してみましょう。 NO番外−1 平成17年1月9日 記 夢見シリーズ 〜その1〜 1980年代後半バブル期、ブランド品が次々と紹介され、販売された。 誰もが3〜4品は自慢のブランドのバッグ、あるいは衣装を身につけていた。 田舎暮らしばかりということもなかった。 一度東京に出てはみたものの、なじめぬままに故郷・東北の小さな町に引き込んでいた。 1年が経過した、父母は何も言わなかったが、迷いつつも思い切って独り立ちのために都会に出て、ファッション関係の会社に就職をしたときA子は20代後半であった。 バブルが崩壊して順調に成長していたと思っていた会社に危機が訪れていたが、彼女が其の事に気がつくのは会社の幹部間の争いが表面化してきた頃であった。 右に、左にと揺れ動いた。 社内どころか社外までにも内部告発の文面が配られるようになった。 それ以前にもそんな事があったらしく、それを経験している先輩達は何も語らずに、どちらに味方すると言う事もなくうつむいて仕事が続けられた。 暗い雰囲気の中、成績は日増しに落ちてゆく、親会社は見過ごす事が出来なくなって、ついに断がおり、新しい社長が就任する事になった。 新社長は長年続いた負の遺産の切捨てを初めとして、次々に改革の手を打っていった。 右、左と揺れていた社員も日ごとに纏まっていった。 新社長が就任したその年、彼女が所属する部のXmasのパーテイーに初めて社長が招待された。 引っ込み思案のA子を仲間は面白がって、あるゲームで社長の相手役に選んだ。 ピンポン玉をスラックスの上から下まで早く通すと言う、少し怪しげなゲームであったが、彼女は他の組が躊躇しているというのに臆することなく大胆に振舞い優勝してしまった。 大きな歓声で終わったゲームのことなど直ぐに忘れ、テーブルや椅子で所狭しと並ぶなか、次々にマイクが手渡されて歌い踊り、時間の経過と共にパーテイーは盛り上がって言った。 “乾杯!乾杯!”と威勢の良い掛け声が聞こえる。 が、A子はゲームの後も又もとの椅子に戻り、隅のほうで目立たない存在であった。 そんな彼女に社長は声を掛けた。 そして、皆の声に押されるように2人のデユエットとなった。 歌い終わるとまた元の隅の席に帰った。 パーテイーはお開きとなった。 「何処まで帰るの?」と訊ねられたところはタクシー待ちの場所であった。 何を話したかはほとんど記憶にない。 ただ窓を少し上げてネオンの明りが走ってゆく風を呼び込んだ。 先ほどまでのお酒で火照った身体に気持ちよかった。 アパートの方向であることには間違いなかった。 既に其の時A子は予感をしていた。 と言うよりは心のどこかで期待していたと言うほう が適切であったのかも知れない。 二人の関係が一年近く経過した時、其の時の心境を訊ねられたA子は「シマッタと思った」と応えていたが、果たしてそれは本心であったのであろうか? 数年の年月が過ぎた。 その間、日増しに大胆な逢瀬となった。 大半は会社の終了後ホテルで、示し合わせた休日には一泊の京都、奈良への旅、A子の故郷の温泉宿、お正月休みなどには彼の故郷のお祭りにも顔を出した。 が、周りには十分に気を使っていた。 A子の無表情な態度と口数によって二人の関係は疑われる事はなかった。 A子は入院生活も体験した。 ある日の早朝、出勤前に彼が見舞いに来た。 嬉しかったと同時に、入院中に彼が他の人に奪われはしないかと心配すらして、オペのキズ口が十分治っていないことを忘れて彼にしがみついた。 深まる行為の結果には当然の結果も経験したが、A子は一人で対応した。 妹の結婚を機に、A子の気持ちがぐらついた。 既に30を2つ越していた。 彼からの連絡を待つというよりはどこか避けるようにさえなっていた。 再び緊急入院する羽目となった。 ある朝、訪れた彼に「もう来ないで」といった。 そして「私、後悔はしていません。楽しい思い出がいっぱいです」と伏目がちに、しかしハッキリとした口調で告げた。 退院後のA子はそれまでとは態度が一変した。 いままでの事は何処に何があったとい わんばかりに、いや「私は別物になった」というように、彼の前をワザと大またで通りすぎたり、電話口で大きな笑い声を発した。 2年の月日が過ぎた。 突然A子は電話をした。 彼以外にこの窮状に対応してくれる相手が見つからなかった。 彼は会うとも言わず、1通の手紙を出すように言った。 そして、A子の要求に応えてくれた。 その後、全ての約束を履行しないまま数年の歳月が流れたが、その後のA子の消息は分からない。 どうも、コラムに掲載する内容ではない。 次回、掲載するような事に相成りました場合は「エッセイK・その他」といたします。
昨年末は工事は12月30日まで行われていた。 年明けは1月4日より再開された。 2×4の建物ではないが柱は細い、特に驚いたのは防風、防水のために特殊紙ではある が、外側をグルリ、グルリと包帯のように巻き付け、その上に板を槌つけてゆく。 それが高圧エアー・パンチである。(釘うち機) このエアーパンチは20年前頃から既にあったと教えてもらったが、私は大工職人さんが、口の中に釘をポイと入れて、トントン・タンタンと実にリズミカルに釘を打ち込んでゆく姿が刷り込まれているので、このマシーンには戸惑った。 このパンチ機を使うと上から打つのはもちろんの事、横からでも、仰向けになっても自在に打ち込める。 釘の入っている箱を覗いたら、まるで連射可能な機関銃の玉のように連なった帯になっていた。 ![]() エアーパンチ 釘 高圧エアー ![]() この3枚の写真でお分かりいただけるように”防風、防水,透湿のシートである。 この内側に断熱材が張られている。 最近は外壁断熱材が多いので訊ねて見たが、ここは違うと教えられました。 外壁も電気ノコギリで切られてはめ込まれてゆく 。 午前中にやり方を見て、夕方行くとほとんど出来上がっていた。 大工さん曰く「仕事は速くなったが、機械を買うのにお金がかかる」とぼやいていた。 全ての家のリビング、キッチンと思しきところには床暖房がはられている。 見るからに暖かそうだ。 風が収まり、暖かな日よりとなり、工事が一層捗りそうである。
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