COLUMN 1−D 1710
平成23年8月29日・記
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遠山郷で、過ごす
〜27日は御射山まつりと花火大会〜
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今回の遠山藤原学校は一般参加者4名とスタッフも6名とこれまでで最少の参加者でした。
ところが、夏草は適度なお湿りと日照りで敷き木屑を押し上げて一面に生えそろっていました。
持参の白菜の苗を植え込なければと、その場の草刈から始める。
プロの庭師が加わって、草刈は順調。
植え込み終了し、寒冷紗を掛ける前にエナジー水をタップリと散布。
翌朝、シッカリとそしてピンと葉を伸ばした白菜の苗を目にしました。
今年は御射山まつりの内容が判っているので、遠山川の堤防の上に設営された木沢活性化メンバーのお座敷に参加させていただく。
陽が沈むと急速に気温が下がるのが遠山ならではのこと、川面の風が気持ち良くビールから焼酎とピッチがあがる。
カメラを置き忘れてきたので、写真をとらなければとの気ぜわしさもなく、寝そべり見上げて花火を楽しむ。
地元の今年還暦を迎えた方たちがあげる最後のスターマインは見事。
ところが、今年は卒業メンバーが160人、賛同者130人で今年がピークとのこと。来年からはこのスターマインはどう成るなることかとのお話し。
写真が一枚もなくては色気がないなと思っていたら、昨夜同じ席に参加していた東京の美術大学卒業のお嬢さんと其の仲間が旧木沢小学校に仮眠していた。
(彼女たちかつて、ここに泊まり込み遠山の里を描きに来たメンバー)


↑おじさんも加わる、↓オバさんも加わる。


↑この秋「梨元ていしゃば」に敷設予定の林鉄の枕木↑ レール↓

8月28日、慰労会と称して晩さん会が開催されたのは何時もの如し。
9月17、18日は遠山マラニック、是非お越し下さいとお誘い。
気が置けない里の人たちとの交流が本当に心身ともに癒される。
今回もありがとうございました。
COLUMN 1−D 1709
平成23年8月27日・記
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遠山郷で、心新たに
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↑昨日の散歩の折に、落花しているドングリを手にする。
ドングリの背比べという。 どんなに背伸びしても殻斗(俗にボウシと言う)
よりは大して抜きんでることはできない。民主党代表選挙始まる。
と言っている自分はどうか。 百姓=庶民のレベルの現レであるから。
只今より遠山郷へ、今回はスタッフも含めての一般参加者も少ない。
白菜の苗を持参し植え込む計画。 上手く定植してくれればよいが・・・
COLUMN 1−D 1708
平成23年8月26日・記
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また、癖が出た。
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今年の夏休みは読書に時間を費やそうと考えていました。
大学での推薦図書「日本社会の歴史」 網野 善彦・著の上、中、下を思いがけない低価額でインターネットで購入。
相方の不在の10日間が一番の時間と思っていたが、定番のスケジュールをこなし、其の上に朝、昼、晩の食事の用意をし、洗濯をすると思いのほか時間は少なかった。
順調に読み進むかと思った所で、早くも「国家形成への道」(古墳時代)の頃から怪しくなり、「日本国の成立と列島社会」(大化の改新から壬申の乱)に入り、横道にそれた。

↑秋の花「玉すだれ」
黒岩重吾氏の古代史の歴史小説の並ぶ棚の前に立った。
『紅蓮の女王』(推古女帝)の背景を語る尾崎秀樹氏との対談を読み始める。
そこで終わっておけば良いものを、『天の川の太陽』(天智天皇の弟大海人皇子(後の天武天皇)と天皇の実子・大友皇子との王位をめぐる内戦となる壬申の乱がテーマ)を取り出す。
更に、『落日の王子』(蘇我馬子の孫・蘇我入鹿が主人公で、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足によるクーデタの大化の改新の人間模様)
「天翔る白日』(天武朝を舞台に大津皇子の悲劇的軌跡を追った作品)
以上は文庫本であったが、1987(昭和62)年8月17日付けで購入印がある単行本『聖徳太子 日と影の王子』までも書斎に持ち込む。
私の読むスピードでは余程飛ばし読みをしても、この夏休みで読み終える量ではありません。 ひとまず、書棚前に積んでおくこととしました。

↑これまた秋の花「トラノオウ」が庭に咲き始める
今回は読書中でしたが、インターネットで調べモノをしていると、そこから幾重にも枝分かれして、何処から始まったのか考え直す時があります。
試験があるわけでなく、また拘束も縛られることもありませんので、自由なのですが、今年の夏はこれだけはと決めたことが怪しくなってきました。
本日はこの日記入力後、元に戻して始めます。 今度は何処で横道にそれる「日本社会の歴史」の記述になるのでしょうか。
今進みつつある歴史はどのように書き遺される時代なのでしょうか。
「失われた時代」とか「幻の時代」とでも言われるのでしょうか。
今、ここに生あることに感謝して、出発する。
COLUMN 1−D 1707
平成23年8月25日・記
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夏の終わりに質問・詰問攻め、即答させられました
〜大変化の時代を認識し、心構え・行動を〜
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昨日、大変偏見に満ちた失礼な言い方だが、女性・しかも高齢な方には珍しく政治的な思考と発言をされる方とお会いした。
開口一番『加藤さん、このまま資本主義が進めば最後はどのようになるとお考えですか』と質問と言うか、意見を求められた。
私の答えは『既に資本主義、物的なMORE&MORE追及の資本主義、市場至上主義は破綻している。 最後には崩壊しあるいは溶解するということでしょう』と答えた。
彼女は続けて、『そこに行くつくことが判らないのでしょうか。その前に手を打つリーダーは現れないのでしょうか』と憤懣やるかたなしの態度です。
更に『日本人は大きく3つに分かれる。 反対する者、賛成する者、そして大半はその中間で右往左往し、何も決められないでいる。今の日本のリーダーも中間の立場の者ばかりだ』と。
私、『それが日本、日本人の特性であり、良いところではないでしょうか。和をもって貴しとなす』などと口にしたが、かつての私は右か左をハッキリさせることが好きというか、性格であった。

体制が変わる、崩壊するということは大変なことだ、革命と同じこと、流血騒ぎとなっている中近東の最近の情勢を見ればわかる。
そのような暴力・武力行為の愚かさを知った時から、平和裏に政治体制が転換する制度は出来たが、それも時代の進展とともに機能しなくなった。
機能と言うよりは、そのベースとなっている哲学・理念・価値観の上に成り立っている近代・西欧から発した政治・経済・社会の仕組みが行き詰まり・崩壊するという時代の到来と考えます。
未だ、私の勉強不足であろうが21世紀に通用する哲学、理念は見えない。いや試行錯誤の姿は垣間見られるが、受け入れられるまでになっていない。
何時の時代にも、それまでの体制の中で、権力側で生計を成り立たせている人々がいる、彼らにとっては体制転換は死活問題であり、何とか生き延びようとする。
今回の東日本の津波に続く原発問題・事故も同じことが起こっている。
原発立地の補助金・交付金で成り立っている地方経済も同じこと。
地方経済どころかそれに巣食う政治家、官僚、学者、知識人、マスコミまでも・・。
そのことに関しても彼女から意見を求められた。どうするのかと・・・
私、『一番先端を走っていると思われていた科学者・特に物理学者・原子力科学者は本当は何も判っていなかったのだ』。
『原因を突き止め、それを止めることすらできないでいる、そのような危険極まりないものを放置して良いわけがない。人間の智恵を超えている
経済はどうする、電力はどうするという問題以前に、簡単な発想で自分たちで制御できないものは即刻中止すべしである』と。
すると、彼女は「加藤さんの生活はどうなるのですか」と次の問い詰め。
彼女とは7〜8年ほど前に、『今の私達の生活は一度昭和40年代前半に戻す事から始める覚悟をすべきだ』と答えていたので、今、其の時が到来したと口にしました。

以上のよう質問と言うか、問い詰めが2時間ほど続いた。
彼女の様々な怒りにも似た中央政治、地方政治、意識が弱い住民に対する不信、不満、そして不安の声を聞きながら、こんなことを言いました。
『あなたはそう言いながらも現在の体制に期待しているから、あるいは依存しているから、そのような思いに至るのではないですか。
私も確かに今の政治・経済・社会やそのリーダー達のあり方を疑問視し、批判しているが、それはそれとして面白いから、あるいは自分の考え方を纏めるために色々なことを発言しているが、結局、とどのつまりは最後は自分の手足を使って生き延びなければならかないと覚悟を決める為ものではないかと言い聞かせている』と。
更に、其の発言に彼女は『それは自分だけ良しの考え方ではないか』と追い打ちを掛けてこられました。
私、『そこは考え方、生き方、価値観の問題ですね。 私はまず自らの命を守ります、次に家族のことを考えます、そして其の上で地域や社会のことと広げてゆきます』と。
一人では生きられません、仲間がいります・欲しいです。 そして同じような考え方や価値観を共有出来る人々とのネットワークを組みたいです。
今という時代、次の時代の考え方、生き方のモデルになる姿・形が、これまでの体制の崩壊とともにアチコチから澎拜として湧き起こってくるのではないかと考えています。
其の時、健康で・手足を動かす気力を持っているかどうかが問われると言い聞かせながらの日々が続いています。

↑、駐車場の生垣で、2年ほど雨・露に絶えている縫いぐるみ
猛烈に暑い日が続いたかと思うと、一気に涼しい日もありましたが、時節は間違いなく秋の気配を漂わせています。
大変の時を予感させる2011年8月24日、次つぎの質問、詰問、意見に出会い私の今の思い、考え方を纏めさせていただきました。
COLUMN 1−D 1706
平成23年8月23日・記
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長野・安曇野を楽しむ 8月22~23日
〜Yさんの価値観、生き方に感心するやら驚くやら〜
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多分、20年ぶりに安曇野を訪れました。

↑大王わさび農園の外側を流れる高瀬川の清流。

↑日除け幕が広大な敷地を埋め尽くしています。

↑その下で、育つワサビ。

↑なぜか、この像に関心を持ちました。
↓少し読み難いですが、魏石鬼ハ面大王の解説


↑農場の敷地内に現在NHKの朝ドラマ「おひさま」のロケ地があります。
と、観光から入りましたが今回安曇野訪問の最大の目的は遠山郷藤原学校のスタッフでもあるYさんをお訪ねすることでした。

↑このログハウス、約25年前、Yさんが長野で最初に居を構えることとなった北安曇群・美麻村(現在は合併して大町市)に、学生時代の友人と8年がかりで組みあげたログハウスです。↓

Yさん曰く、『もっと早く立ち上げることは出来たが、東京、大阪から約30人の友人と建ちあげることを楽しみにしようと約束したので、集まってくる友人がいない時には作業はしなかった』と言っておられた。
建て坪24、総床面積が40坪(?)ほどです。
長野オリンピックの道路拡張工事の土砂を敷地の埋め立て用に無料で頂く、道路建設で立退きする家の畳や廃材を活用すると言った智恵が詰まっています。
現在、多くの友人が集まるのは年に2~3回と言うことです。
贅沢というよりは価値観、友情、発想が生みだした羨ましい限りのハウスです。
自宅を建設する
上記のログ・ハウスを作られたYさん、旧美麻村の村営の住宅から南下した池田町に自宅を建設することを計画しました。
村営の住宅と言っても敷地100坪、床面積は36坪(?)、しかも大阪からご両親を呼び寄せており2軒も借り上げていたのです。ただし雪多し。
今度は友人との共同作業は出来ないからと、2×4で建設することとしました。 作業は家族のみです。
旧美麻村とは異なり雪は少ないですが、冬の冷え込みは半端ではない北安曇野です。
ここでも、アイディア一杯の断熱の智恵と其の作業方法、中古のソーラーハウスの活用、夏と冬との太陽光線を考慮した軒先の事等々、お話しを聞いていると尽きることなく、次つぎの着想、行動力に感心するやら楽しいやらです。
Yさん手作りの飴ビール(?)、ワイン(?)、持参のお酒が進みます。
生憎、小雨交じりの2日間で有ったこともあり、その家の写真を撮るのを忘れてしまいました。
現在、母屋の他に、旧美麻村からお母様を呼び寄せるためもう一棟増築して昨年から同居されています。
今一つ、不耕起農法について

↑不耕起農法の畑を見させていただきました。
ご覧のように草が生い茂っていますが、畝の所を掘ってみると、(畝と通路が区分されており、畝には踏み込まない)5年間で畑は見事に豊かになっており、証明するようにミミズが這い出しました。。

背の高いトウモロコシは初めに手を加えてやれば、放ったらかしで育つと言われ、それを頂いたのですが実入りも良く、甘さも十分美味しかった。
畑の広さは2カ所で300坪程でしょうか。
時折、帰ってくる娘と息子の手伝いはあるが、ほとんど一人で実行。
私の経験からは驚きです。何処にでも見かける農機具は一台も目にすることができませんでした。不耕起農法でなくては出来ないことでしょう。
別な場所で苗から育てた田圃も不耕起で実施されている。
『今年の出来は一番良い』と言っておられた。
スイカも収穫された、夏野菜は食べ切れず近くの農協にも一部出荷した。
サツマイモ、サトイモも秋の収穫物は間違いない収獲を予感させる成長ぶり、キャベツ、芽キャベツ、ブロッコリー、白菜、ネギ等の秋・冬野菜もシッカリと根を張り、色つやの良い姿を見せてくれています。
畑から収獲されたトマト、キュウリ、バジル等をあしらった奥様手作りのピザが並べられ、朝食はこれまた手作りの焼きたてのパン。
お昼になれば、採りたてのナス、シシトウ、カボチャ等のテンプラがスーとテーブルに出てき食が進みます。。
おばあちゃんとご夫妻の生活に彩りとなるのは小学校2年生の二女のKちゃんがアイドル、ファッション・デザイナーを目指すとしきりにお絵かきをしています。
Yさんの考え方、価値観、生き方は既にスタートしている21世紀の生活のあり方の一つのモデルとして素晴らしい。
友人、知人から『加藤の言う21世紀の生き方のモデル、あるいはネットワークのモデルは何処にある』と常々問い詰められるが、今度からはYさん家族を一つのモデルとして紹介することが出来ると確信した。
そんな事を思っていたら倉本 総さんの「北の国から」を思い出した。
追記
メモをするのでもなく、お酒はいつもに増して進む中、記憶に残っていたことを書きました。 Yさんからお伺いしたことと大違いを入力しているかもしれません。悪しからず。
COLUMN 1−D 1705
平成23年8月22日・記
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相方不在で1週間
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相方がこの時期ベトナムに植樹に行くようになって6年、それに合わせてこれまでエジプト、インド、トルコ、南米、中国・成都・九寨溝と旅に出かけていたが、今年は自宅待機です。
昨夜は農作業の疲れかPM7時半に就寝。
真夜中に目覚める。 雨に濡れた秋ジャガイモの種芋が気になっていたからだろう、新聞紙に拡げて乾かす。
同時に、蒔き残しの種を整理する。 近頃、種の価額も年々値上がりしており、かつてのように残りを無造作に撒き散らすことは止めている。
2年目になると発芽率は落ちるが、蒔き終えた後の天候が適しておれば
殆ど問題なしで収獲に結びついている。
この後、ポリフェノールのサワーを頂きながら、コールド・レザーを少しばかり違和感のある腰と肩に照射する。
今朝、雨があがったので白菜の苗をすこし大きめのポットに植え替えた。
昨日、瑞浪・百姓学校で植え込んできた白菜は根付くであろう。
今から安曇野の知人の家を訪問する。 この後もまだ雨模様なので、水の心配は多分大丈夫であろう。
相方が不在となって1週間が経過する。 この間冷蔵庫の物は殆ど消化したので、2度買い物に行き、洗濯も2回実施した。
20数年前、香港での単身生活を経験しているので問題なし。
とは言え、10日間と判っているからこんなことを言えるのだろうか。
久しぶりに青空が広がった。 書斎から見える春日3山が青い。
COLUMN 1−D 1704
平成23年8月21日・記
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小雨の中、百姓学校で農作業
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明日から知人を訪ねて安曇野へ、その後も既に予約済み。 27日からは遠山藤原学校です。 本日を置いて空き時間なし。

↑例年、50%の確率で虫に食われてしまう白菜、今年はポットで育成、寒冷紗を掛けることとしました。 ↓

↑、ご覧のように、一見間違いないようですが、農業はそんなに簡単ではありません。
8月7日に種まきした秋野菜の状況は
・人参は寒冷紗ありとなしで実施。有る無し関係なく発芽率が40%。
・大根、寒冷紗ありが10で、なしの方が40%です。どうなっている??
・其の他、小松菜、飛騨赤カブ、ホウレンソウ共に発芽率は3〜40%。
この間、ほとんど雨が有りませんでした。 片道車で45分の場所、負の条件がもろに出ました。
本日補種蒔きをしてきましたが、さてどうなりますことやら・・・。
小雨降る中の作業は土が重く大変です。 農作業は雨が降ったらお休みと言うのが常識です。
雨では秋ジャガイモの植え込みもできず、持ち帰りました。
それでも気になっていた作業はすべて終えましたので、気分爽快です。
帰宅後、ジントニックを飲みながら汚れもの洗濯して、冷蔵庫をェック。
かなり冷蔵庫に隙間が出来てきました。 節電ともなりバンザイ。
COLUMN 1−D 1703
平成23年8月20日・記
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廻間地区の田圃、稲穂が見える
〜バッテリィー故障、ハイ、解りました〜
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↑↓ 5月下旬〜6月初旬田植えの廻間地区に稲穂が


↑刈られたばかり土手の香りがゆく夏を感じさせた。

↑散歩の出掛けに道路に3匹の蝉の死骸を見ていたからかな?
8月20日
朝一番で瑞浪・百姓学校へと予定していました。
昼からと予報していた雨が落ちてきた。
7日に蒔いた種は多分雨がなく、全滅に近いことだろうから蒔き直さなくてはいけないので、無理しても行こうとポットの白菜を積み込む。
乗車、エンジン始動、がプスとも言わない。
バッテリィーが故障と直ぐに気付く。
”本日は行くな!”との指令と思い直して、何時もの朝の手順、ストレッチ、掃除、礼拝、そしてポリフェノール・サワーで朝食。
21日に瑞浪に行き、22~23日は安曇野の知人宅を訪問予定。
本日にバッテリィ−故障で良かった。
COLUMN 1−D 1702
平成23年8月18日・記
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同じ色合いに見えたのですが・・・
百日紅(夏・サルスベリ)とシュウメイキク(秋明菊)
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昨日の夕方の散歩は、夕立の後でした。

↑百日紅の密集した花弁に雨粒が光っていました。↓


↑今朝見付けたシュウメイ菊(秋明菊)
別々のところで、しかも時間が夕方と朝の違いありますが、私の認識した色合いは百日紅と同じものでした。
が、直ぐに直観感覚ではなく、夏の花「百日紅」と、秋の花「秋明菊」と既成認識が二つの花を区分しました。
毎年はもっと遅くに家の建物とエアコン外機の間からシュウメイ菊は顔を覗かすのですが、今年は種が飛んだのでしょうか。 イチイの木の下に花を咲かせたのです。
しかも、例年ですと高く伸びた花茎で、写真の色と白色の個体が混在していたと記憶していたが、ここでは背丈は低く様子が違います。
相方が不在なので確かめることができませんが、蕾や葉の形は間違いなく秋明菊です。
時間の経過とともに、かつての友人の名前と顔が一致しなくなります。
自然の木々や花の名前も同じように静かに記憶から遠ざかるのでしょう。
あれ、それ、ああ、おい、で通じるロボットが欲しい。
COLUMN 1−D 1701
平成23年8月17日・記
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