COLUMN 1-D 1770
平成23年11月15日・記
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犬山経由、飛騨金山にて「蜂屋柿」の収獲
11月14日のこと
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前日に種まきした犬山・3号地のホウレンソウ、大根、これからの霜の時期を考えて、寒冷紗をしました。
この日も気温が20度を超え、寒冷紗など不必要に感じましたが、今週末からは気温が下がるとのこと適切な処置であったと思います。
飛騨金山の蜂屋柿のこと
その足で飛騨金山の蜂屋柿の収獲に行きました。 収獲と言っても栗拾いの時に確認していました。 今年は2度の台風で実が落ち、昨年に続いて収獲ゼロを覚悟していました。
素人の剪定で枝は横に拡がるよりも、新しい枝がツンツンと上に伸びています。その先端の方に成っていますから地上からは4メートルです。
危険ですから登ってはいけない脚立の天井板に立ちあがり2時間強苦戦しました。

↑収獲柿は例年と比較して2~3割小さめです。 数も200個と普通作と比較してこれまた半分以下です。

↑地面に落ちている熟した柿の方が大きく見えます。

↑相方は『渋いかと思ったが意外と美味しい』とチュルチュル・・・と
「合戦猿蟹」の猿を思い出しました。渋柿を投げつける訳ではありませんが、高いところの柿が枝に引っかかりストレートに頭にドスンです。

↑柿の木に巻きついたシダの葉が傾きかけた西日に映えます。
先々週からの疲れがとれないうちに、今週も連続して作業をしています。
高いところの作業は直のことバランスが悪く疲れます。
久しぶりに腰の存在を感じている今朝です。
COLUMN 1-D 1769
平成23年11月13日・記
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11月13日、犬山・羽黒で農作業
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先週残してしまった羽黒2号の脱穀をしました。
2週続きともならば、順調に進みました。 稲架には羽黒3号から持ってきました大豆を代わりに架けしました。


↑11月7日、自宅に持ち帰りベランダで乾燥させた同じ大豆。
味噌を造りたいと言っていますが、多分大丈夫な豆がとれるでしょう。
本日脱穀の羽黒2号地(2畝)には麦を播きました。 耕転した畝、稲刈り後に軽く鍬を入れた畝、更に敷き藁をした畝と何もしない畝と3種の実験です。
羽黒2号地のこと

↑順番が反対になってしまいましたが、朝一番は玉ねぎを植え込み。
これで合計600本強です。 エナジー水をタップリ播きました。

↑白菜の出来栄えが最高です。私の経験では一番です。
固く巻かれドッシリとした手ごたえですが、外の葉も枯れていません。
本日参加のメンバーは出掛ける前に『今日は白菜を持ち帰る』と奥様に宣言してきたようです。
『キムチ鍋にするには惜しい様な出来栄え』と言いますので、『外側の葉をキムチ鍋として、中は一夜漬けでも良いのでは』と提案。
お一人は「豚肉と白菜の鍋」と決めていたようです。

↑大豆を収獲した後を耕転しました。 そのままで畝に使えそうだということで、急遽手持ちのホウレンソウと近くのホームセンターで大根の種を購入してきて蒔きました。

↑秋ジャガイモも順調、今朝は露が降りており、肌寒い程でした。
今週か来週末に成ると霜が降り、この青々とした葉も枯れる頃には、丸々したジャガイモが掘り起こせることでしょう。
忘れていました、先週は籾の状態で反当たり8・5俵のお米は、籾すり後は反当たり玄米6俵でした。 クズ米が多かったようです。
それでも一人当たり60Kgで、本日分を含め残りは御世話になった方々へのプレゼントとしようと言うことになりました。
60Kgは私達夫婦二人では1年分に相当します。 近くの農協に精米に行き今晩は新米を味わってみようと思います。
COLUMN 1-D 1768
平成23年11月13日・記
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MIDLAND CHALLENGE 2011 U-1
東京ヴェルディ・M君の応援に行く
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三好の丘・トヨタスポーツセンターにてミッドランド チャレンジ U-11
サッカーのジュニアー(11歳以下)の試合があった。
3年前に遠山郷で出会ったM君と相方がその後文通をしており、今回応援に行くこととなった。
三好ヶ丘は初めてである。 さすがトヨタのスポーツセンターだけあってスケールが大きい。
野球場、競技場、プール、ラグビー場、バスケット、ハンドボール等の室内競技場も2つ、もちろんサッカー場もあり、それらはすべて公式戦に対応しています。
今回のミッドランドチャレンジは全国のプロ・サッカーのジュニアチームで、北海道の「コンサドーレ札幌」から東京、川崎、甲府、神戸、そして「サンフレチェ広島」の合計10チームが参加していました。
では、東京ヴェルディのゴールキッパーM君を紹介します。

↑厳しい眼差しです。

↑とはいえ、そこは11歳の少年の素顔です。

↑攻め込まれれば、ご覧のように身構えます。

↑キャッチし事なきをえました。

↑すぐさま、反転攻勢に転じました。
最高気温23度と前日の寒さが飛んでゆきました。
こんなことでもないと少年サッカーを観戦することはありません。
COLUMN 1-D 1767
平成23年11月12日・記
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成るほど、遠山郷へのお客様が多いはず
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↑中日新聞11月12日・朝刊「中日旅行なび”ぶらっ人”の全面広告
上記は中日新聞(発行部数約400万)の広告局/企画・制作のトヨタ自動車「プレミオ」宣伝の全面広告の一部です。
今年の夏ごろから遠山郷への観光客が増加して今現在も続いています。
その原因の一つは先月で終了しました「サカイ引っ越しセンター」のCM。
サカイ引越センターが遠山郷を舞台にしたCMを全国放送しています。これをご覧になって、大変多くの方々が遠山郷を訪問しておられます。
http://www.youtube.com/watch?v=WKubmcjyxPA
また、東京の若者のバンド「コージコナー」が作成した遠山郷のツワ者が登場する映像、あるいは旧木沢木造校舎のお留守番猫「高根ちゃん」の人気によるところが多いと考えられます。
それらの映像は「遠山郷へ行こう!」を検索していただきますと観ることが出来ます。 http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/tohyamago/
その遠山郷も今が紅葉の最終局面でして、12月に入りますと全国の神々がお集まりいただく寒く・煙たく・眠いと言われる「霜月祭り」と成ります。
一度は体験していただきたい祭りです。
同時に今のように時代が大きく転換する時、中央構造線に沿ったこの遠山郷(また、表鬼門の東北・いわきから裏鬼門の熊野を結ぶ線上にある遠山郷)から変革の狼煙が上がると言われています。
神々のおわします遠山郷へおいでなんしょ。
「おいでなんしょ」などと、方言みたいな言葉を使いましたが、この遠山郷には方言らしいものが見当たらないのです、遠い昔、京都や熊野路から都の方が来られ、都言葉の地で有ったのでしょうか。
限界集落と言われる遠山郷、近未来は新時代の発信地となるか。
COLUMN 1-D 1766
平成23年11月11日・記
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ナンキンハゼ街路樹が色づき始めた
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久しぶりにまとまった雨、立冬が過ぎ小肌寒い。

↑午後4時過ぎ、雨があがったので外に出て見ると、隣家との境界線のバラが目にとまった。 雨に濡れ艶めかしく感じた。

↑ナンキンハゼの街路樹が色づき始めた。
太陽光線がないと言うだけでなく、今年の紅葉はどれも今一つ。

↑ナンキンハゼの落ち葉の風情の方に心惹かれた。
話変わって
本日の大学の講義は「水車の文化史」、今回と来週の2回で180分。
お話しの始まりは映画「7人の侍」(1954年・黒沢明監督)から始まった。
担当教授曰く、「”自然と文学”の比較として取り上げていた頃。それを活字だけで表現する限界を感じていた頃であったから・・」と。
このアドバンス・セミナーに参加しているのは聴講生ばかり、平均年齢は60台。 「7人の侍」の映画を見たかの問いかけに全員挙手した。
それでは話しやすいと教授が語り始めた内容は、水車小屋は野武士集団によって襲われ焼かれる所の映像を映し出した後に、この場面に瞬間的に”火と水”という世界の二大要素が「世界図絵」として描かれていると解説が始まった。
(その場面を説明すると、水車小屋には何時も水車番をしている長老とその息子夫婦と夫婦の赤ん坊が生活していたる。
映像では表現されないが、そこを野武士集団が襲い長老と夫を殺し,火をかける。 刺された妻が赤ん坊を抱いて燃え盛る小屋から出てくる。
そこに三船敏郎演じる菊千代が半死の妻から赤ん坊を渡され叫ぶ「こいつは俺だ、俺もこの通りだったんだ」と慟哭する。妻は川の流れに崩れる。
空間構成として、赤ん坊から長老までの姿は見えないがあらゆる世代の人間がいる。
時間構成として、人物たちの過去、現在、未来。 思いがけない形で回顧される菊千代の幼年時代。その菊千代の過去と重ね合わされる、いたいけな幼児の未来。
そして、過去、未来に挟まれた表出する眼前の生と死のドラマ。
場面の中心は何処までも水車。水車は何度も登場する。その都度「爺様」がいる。 爺様の声は、自然と人間の中間に位置し人間に対する自然の声。
以上の私の表現・説明では何のことやら判らないでしょうが、私が興味を持ったのはこの「7人の侍」のDVD映写の後、16、17世紀・エネルギーの中心であった水車の話が「神を中心とする世界図絵」、あるいはブリューゲルの世界図絵、そしてルネッサンス文化へと展開されてゆく事でした。
この教授の講義は映像あり、音楽あり、絵画ありとあらゆる芸術を総動員しての講義です。よくもまあ~と毎回感嘆する。
それでも研究が不足していると嘆いておられる。 物や金を追い求めるのではなく事の本質・真実に迫りたいと言う欲求からの研究・探求心の広さ・深さに感心させられるやら、自分のイイカゲンサに反省するやらです。
又、この「7人の侍」が世界的な評価を受けている背景には、私では見落としている、あるいは到底感じていない何かが潜んでいるのでしょう。
COLUMN 1-D 1765
平成23年11月10日・記
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我が家の皇帝(木立)ダリアも咲きました
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今朝のNHK「朝一番のラジオ放送」は皇帝ダリヤの話題で盛り上がっていました。

↑ 我が家も皇帝ダリア(木立ダリア)も一輪花をつかました。

↑地上3メートル以上に花が咲きましたので、脚立に登る。
脚立に上ると目の下には剪定が終わってない松が飛び込んできます。
本日で3回目の剪定に入りました。

↑モコモコと生い茂った松の先端の剪定が一番手間取ります。

↑出来栄えの良い剪定ではありませんが、このように細枝を下から見上げることが好きです。
本日は4時間の作業、これで庭作業の実働は累計10時間です。
松が終了すると他の木と庭掃除、後5時間は必要です。
今年も蜂屋柿の収獲が望めませんので、寂しい限りです。
それでも来年に期待して堆肥と肥やしを播きに行きます。
エナジー水も散布してこようと考えています。
COLUMN 1-D 1764
平成23年11月8日・記
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お見舞いメールありがとうございます
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疲労感あり、風邪気味と書きましたので、大丈夫かとのメールを頂きました。 ありがとうございます。
昨夜はホット・ブランディーを頂き、早々と床に就きました。
それが良かったのか完全ではありませんが、峠は越えたようです。
体力テスト・実験などと嘯いて、無理を承知の行動の結果です。
鼻を何度も擤むので、夕方になり横隔膜が其のたびに痛みます。
本日は冬至とのことですが、風は少々ありましたがそれほど気温も下がらずで過ごしやすい一日でした。
犬山の3号地の大豆を数本頂い来て、ベランダに釣り下げました。

↑鞘の中の豆はまだ、カサカサと鳴りませんので、早いようです。

↑鞘から取り出してみました、縦に長い豆は水分を含んでおります。
丸い豆は実が引き締まり、固いです。
今週末に引き上げ、稲を脱穀した稲架で乾燥させれれば立派な大豆の収穫になると期待できます。
収獲の秋も終盤です。 皆さまも風邪などひかぬようにご注意ください。
COLUMN 1-D 1763
平成23年11月7日・記
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犬山・羽黒3号地の玉ねぎの植え込み
~身近な散歩道も紅葉が始まりました~
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昨日は「10日間の体力テスト・実験」などと空元気を発信したが、今朝は少し咳き込み、鼻水が出て、そして微熱がある。
とはいえ、4日に購入した玉ねぎの苗が萎んでゆくから気になって、夜中にまで目覚めることとなった。
相方にもお出ましを願って犬山・羽黒・3号地へ。
マルチシートは敷き詰めてあったが、穴から既に草が生えてきていました。 400本弱を1時間半かけて植え込む。
其の他持参したニンニクと他の畑の残りの絹さやエンドウを播く。
枝豆として食した豆は既に葉を殆ど落として大豆に、今週末の残りの脱穀の時にでも稲架掛けしようと、倒れているものを立ち上げておいた。
体調が十分でないためか、写真を撮るのを忘れてしまった。

↑春日井緑化植物園も紅葉が始まりました。

↑その植物園内の定点観測地点・大久保池のラクショウの紅葉です。
COLUMN 1-D 1762
平成23年11月6日・記
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犬山・羽黒1号地の脱穀 11月5日
~この10日間で、現在の体力テストを終える~
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本日(11月6日)はいささか疲労感を感じている。
どれほど、体力があるか・もつかとの興味もあり、実験でもありました。
10月29日から31日の遠山郷(農作業は8時間)、11月1日は庭の松剪 定と藤棚の整理(4時間)。
11月3日は、瑞浪;百姓学校で玉ねぎの植え付け500本とサトイモ40Kgを掘りだす(5時間)。
4日は名古屋に2度出向き、2度目は午後11時過ぎに帰宅、昨日は午前6時半集合で脱穀、それで終わらず午後の3時から「波動の会」で名古屋。
帰宅後、セリーグ・クライマックス戦、中日が有利な戦いの為最後までテレビ観戦。
風呂に入りグッスリと思いきや、疲れ過ぎの為か寝つかれず。
とはいえ、今朝は普段道理、朝の日課を終える。
明日はお天気が回復だろうから、犬山・3号地に玉ねぎの植え込み予定。
11月5日 犬山・羽黒の脱穀

↑今年から始めた名古屋たまり場メンバーの「農楽倶楽部」の脱穀。
耕運機、稲刈り機、そして脱穀機と実に値打ちに中古品を手に入れてきました。 田植え機はお借りしました。
お値打ちと言ってもそこは中古機です。何処かに不備はあります。
今回の脱穀機に関しても、Kさんが何度かご自宅で始動実験をしていざ本番となり、 20分ほど順調に始まりました。
が、ここで異常を知らせる警告と微かにゴムの燃える臭いと煙。
購入先に連絡をとると同時に、機械のカバーを取り外し始めました。
私はこんなこともあろうかと予測していましたので驚きません。
と言いますのも、瑞浪・百姓学校の13年前は、ほとんどの農業機器は使用30年以上の物ばかりでしたから・・・・。
脱穀機にいたっては毎年必ずトラブルがおきました。 藁が引っかかる、脱穀した米が詰まる、ベルトが切れるという風です。
今回もカバーを取り外すと、籾がつまり、送り込むモーターが空回りしていました。 もう一回同じことが発生。

↑2度の失敗で、稲束を送りこむ速度、籾の部分から脱穀始めるなど要領が判ってきたところから順調に進みました。
とはいえ、Ⅰ反1畝の1号地の脱穀は終了しましたが、3号地の2畝は残ってしまいました。 午後からは小雨でしたので来週に。

↑Ⅰ反1畝の収量は8俵半でした、反当たりにしますと7・7俵です。

↑脱穀を終えた田圃には鳩の群れです。
COLUMN 1-D 1761
平成23年11月4日・記 |