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 NO.190                                                                       平成17年2月9日 記

 この時期に、様々な花々が
     本物ソックリが展示されていました。

 
 粘土状の樹脂で造った本物ソックリの花が展示されていました。
 「クレイクラフトマロウ」と紹介されていましたが、どのような意味か訊ねるのを忘れてしまいました。
 花を造るには樹脂粘土・パン粘土を使用する。 油絵の具をまぜて色をだす。 成形後、彩色して仕上げる。
 もう一つは、カラー粘土と白の粘土をまぜながら色を出し、自然乾燥で出来上がります、とありました。

 展示されている花は、春と夏のものが中心で、春日井都市緑化植物園の展示場にはいち早く、春も夏もやってきたようでした。
 春日井市内の女性達の約30人の作品です。
 花の少ないこの時期、毎年楽しまさせていただいております。  

 如何でしょうか? 造花と思えますか? 展示は11日まで、無料です。




 NO.189                                                                       平成17年2月6日 記

  合同練習が始まりました。
     春日井児童合唱団の合唱ミュージカル

 
 今年1月6日、最初の稽古に参加してから、早くも稽古6回・1ヶ月が過ぎました。
 確か4回目の稽古のとき、そんなに多くのセリフがある役ともおもえない中学1年生で変声期に入ったY君、セリフが覚えられずに苦労していた。
 私もセリフ覚えが悪い事を、3年前まで春日井演劇講座で経験しているから気持ちは分かる。 出番も少なく、セリフも少ないが、自宅でそれなりに読み込んで、4回目の稽古のときは台本なしで稽古に入った。(Y君と同じぐらいのセリフの量)

 稽古の合間に、同じ役周りの仲間は携帯のCDプレヤーで音楽を聴いたり、漫画本を読んだり、じゃれあったりしていたが、Y君だけはセリフの暗記に余念がない。
 近づいて声を掛けた。 「丸暗記しようと思うと大変だよ。 それより物語全体の流れを掴む事と、君の出番の場面との関連、役回りを頭に入れる。 どんな状況でのやり取りかを掴んでしまうと、自然とセリフは覚えられるよ」と言うと、神妙に聞いていた。
 そして、「さすが、専門家の言う事はちがうなあ〜」というのである。
 私のことをまるでプロの役者でもあるかのように思った言い方であった。
そして本日、演出家の方が「今日から台本は手にしないでやりますよ」と伝えた時、Y君心配そうな目を私に向けた。 笑顔を作って“大丈夫だ”と目くばせを送った。
 稽古ではスラスラ行くときもあったが、パタッと止まってしまうこともあった。 が、兎に角台本を手にせずにこの日は終わった。
 

 同じ日、後半の稽古が始まった。  いままで一緒に稽古してきたメンバーはシニア組(小学4年から中学生)で、歌は勿論のこと、お芝居あり、ダンスありで希望者によるオーデイションで選ばれたらしい。
 別な教室で練習・稽古していたジュニアー組が降りてきた。 
シニア組みの振り付けの一部を取り入れるのである。 振り付けの先生は勿論のこと、演出指導、合唱指導の先生、果ては事務局の方、一部親御さんまで加わっての練習となった。
 合唱に合わせての手と足の動きが揃わずにバラバラになってしまう。 が、私にはそれがこの「ガランピーのまつり」の物語の主人公達・コロボックルはフキの葉の下で雨宿りが出来るくらいの小さな妖精たちの物語であるので、かえってジュニアーたちが身体全体で表すチグハグな表現がピッタリと思え、楽しく練習風景を最後まで見ていた。

                  

 3月19日が本番である。 発表会場は春日井市民会館(収容人数1000人?)で、毎年かなりの観客動員がなされているようだ。(入場整理券 500円)
 例年は午後3時の開演で、出演者の友達だけでも見に来られる時間帯であったが、今年は開演が午後5時で帰りの時間が暗くなり、動員が心配と事務局の方が言っておられた。 
其の為だろうか、昨日はお母さん達が集まりポスターやチケットの事前販売のための説明会もあったようだ。 
月会費3000円では到底普段の練習時の費用でいっぱいで、発表会のために脚本家、作曲家、演出家、合唱指導、ダンス指導、生演奏のピアニスト、其のほか、舞台装置、小道具、大道具、衣装、照明、効果などの費用は到底賄えられぬことは明白である。
 どれほどの金額が市から援助されているか知らないが、500円×800人=40万円でも不足するのではないのだろうか。
今後、国も地方も一層財政事情は厳しく、悪くなる。 市民の参加、協力(ボランテイアの方も多くおられるようだが・・)によって、明日を担う子供達の文化活動が継続され、より一層活発になるように願わずにはおられない。
 さて、本番まで6週間、私も楽しませて貰おう。

追記
『COLUMN 1−D NO169』 にて、春日井児童合唱団の発表会を3月20日(日)と書きましたのはまちがいです。 3月19日でした。
春日井市民会館にて、午後の5時からのです。 訂正します。





 NO.188                                                                       平成17年2月6日 記

 久しぶりにマウンテン・バイクに乗りました。

 会社勤めをしていた時、“50歳リフレッシュ手当て”で確か10万円を手にしました。
 それを元手に、結構高価なマウンテン・バイクを購入しました。
 それから6〜7年は近くの内津川のサイクリング・ロードなどを中心に走っていました。その後は年に数度、思い出したようにしかバイクを引っ張りだしませんでした。
 ここ数年は駐車場にカバー・シートをかけたまま放置していたので、いつの間にかタイヤの空気がぬけて、乗ろうにもどうしようもありませんでした。
 
先週、巡回自転車修理の呼び声がしましたので、飛び出してお願いする事にしました。 後輪はスタンドで持ち上げていたためになんともありませんでしたが、前輪のタイヤにはヒビが入っており取り替えねば危ないと言われ交換しました。
 なんと5000円です。 ブレーキの調子が悪いと言って調整していただくと、これまた
チョットなぶっただけで1000円です。
 自転屋さんの言うのには「昨年も春日井で7軒の自転屋さんの廃業があった」そうです。  このおじさんのところも、既に十数年以前に店頭で在庫を持っての販売は廃業して、それ以降は出張自転車サービス専門であると言っていました。
 「パンク修理だけでは飯を食っていけない」と分厚い手で作業をしていました。

 さて昨日、修理されたバイクを引っ張り出してサイクリング・ロードに向かいました。
 前輪のギヤーは問題なかったのですが、後輪のギヤーの変則ができません。 
 家を出てからは下り道なので何度も、変則ギアーを操作してみましたがダメでした。
が、前輪の操作で問題はなさそうでしたので、何時の散歩道を過ぎて、更に内津川を下って庄内川との合流点に達しました。 
下ってばかりと言っても途中には川石で造成された道もあり、そこを乗り越える時にはハンドルをシッカリ握っていなければ、転んでしまいそうなところを十数か所通り越してきたのです。
小高く土盛りされた小さな公園のベンチに腰掛けて一休み、葦のかれた川原を眺めるとそこには河口から32.6kmの標識がたっておりました。
            
               問題はここからでした。
 
結論的に言えば、3度自転車を放り出す事になりました。
 1回目は高蔵寺駅を越して鹿乗橋の近く、後方から車の音がしましたので自転車道に急いで逃げ込みました。 が、この自転車道狭いのです、しかも10メートル進むと左側は直角の岩の壁です、車道とはコンクリート・ブロックで仕切られていますのでスピードを緩めたのですが、ハンドルが揺れてコンクリート・ブロックに乗り上げてしまい、慌てて自転車を放り出して車道に飛び出してしまいました。
 後方から走ってきた車、キット怪しげな自転車操作と見ていたのでしょうか、スピードを緩めていた女性の運転手さんは慌てる事もなく(?)止まって私が自転車を持ち上げるのを見ておられ、私が立ち上がると何事もなかったように鹿乗橋を渡ってゆかれました。

 私は直進、500メートル走ったところは中央線が走っている県道です。 
先ほどと同じような道路の条件です。 自転車道には所々はみだしている道路標識杭があり、それが目に止まり乗り上げると危険だなと思っていたその時、車の軽いクラクションに反応してハンドルさばきが乱れて左側にふらつき、自転車が止まってしまいました。
左側は金網でしたので転倒は免れ、皮手袋と毛糸の手袋と二重にしておりましたので、怪我もありませんでした。

 “1度あることは2度ある、2度あることは3度ある。3度目が一番危ない”と子供のころから教えられてきた事を思い出し、注意しようと言い聞かせて中央線を渡り玉野郵便局をすぎました。
 自衛隊の駐屯地からは3Km続く坂道です。 後ろのギヤー変則はできませんが、前輪のギヤーチェンジをして、道幅も広く安心して1Kmほど駆け上がっていきました。
少し坂道がきつくなったので、反動をつけるように自転車を左右に振り、お尻を上げ下げして前方など見ずに自転車を漕いでいました。 
突然目の前に車が飛び込んできました。 もうその時は遅かった。 道路の端に駐車していた車にドスンとぶつかりその場に倒れました。
 喘ぎながら自転車を漕いでいましたのでスピードは歩く速度と同じぐらいでしたので、怪我などはありませんでした。 家を建築中の方の車のようでして、仕事の手を休めて心配そうに眺めておられましたが、手前勝手が悪くチラリと目をやってその場を離れました。

 その後はしばらく自転車を押して歩き、再び慎重に操作して帰り着きました。
 総時間1時間半ですが、普段歩いている時の数倍の疲労感を味わうと同時に、なんとバランス悪くなった事かとおもいつつ、風呂場に長々と体を沈めました。
 その夜は早々と8時過ぎに床に入り、夜中に目を覚ますこともなく翌朝5時半までグッスリと眠りました。 が、何か危なっかしい夢を見たような気もしないわけではありませんでした。 さて、今日はどうしようかな〜。 







 NO.187                                                                       平成17年2月5日 記

 立春が過ぎ、今年の計画をはじめました。

 1月31日「愛・地球博 なごやウエルカム・ボランテイア」から活動日の日程が届く。
 これは名古屋にこられたお客様を、名古屋駅、金山総合駅、栄オアシス、藤が丘駅の主要な結節点でご案内をしようという活動です。
 私は金山総合駅が活動場所として指定された。
 
 これとは別に「愛・地球博ボランテイアセンター」の運営する、「瀬戸会場」「長久手会場」での各種ボランテイア活動があり、こちらの方は昨年のうちに活動日程が決定していました。
 更に昨日、現地見学会の知らせが3月7日であると通知がきました。
 2月25日に久屋広場での、「グリーンキャンペーン」、同日の「ウエルカム名古屋全員集会」があり、そこでは制服が支給されるという。
 
 あと50日と報道がなされたが、いよいよ近づいてきた。 
 其の前にセントレア空港の開港もあり、日一日と春めくと共に、一層賑やかに成りそうな名古屋・愛知・東海・中部である。
 今年はこのボランテイアの日程を押さえてからと考えていたので、その他の計画を今からするところです。

 「西国33ヶ所巡礼」は過去3年の間に、遠くの地は全て回り終えた。 後は近隣の京都周辺が残っているだけなのだが、昨年も全てパスしてしまった。 人出が多く、賑やかな地にはなかなか足が向かない。  今年もどうなる事だろうか。

 「四国88ヶ所遍路」車旅はもう一度やってみたい気持ちに成っているし、東北の神社・仏閣のまだ訪問していないところにも行ってみたい。

 百姓学校<日吉校>もあるし、鳳来の千枚田の計画にも参加しますと通知を出してしまった。
 更に、百姓学校の「竜吟校」のこともあるし、とても全部には出席できそうにない。

 其の上に、「放送大学」の募集要項を取り寄せて、検討中である。
 今年は日本のみならず、アジアも欧米も大きな行き詰まりと崩壊を示す状況になるのではないかと感じているので、それらの国・地域の歴史を2年間かけて勉強してみようかと思っている。 遅すぎたかな・・・・・
                
 これだけ盛りだくさんでは昔、昔、若くて・元気な成長期時代の姿と同じではないかと苦笑しているのですが・・・・。




 NO.186                                                                       平成17年2月4日 記

 立春です。  雪の名残が残っています。

 一年には4回の節分がある。 立春、立夏、立秋、立冬です。
 が、そのうち立春ばかりが、その前日の節分と共に注目されているこの頃である。
 厳しい冬の寒さから、近づく春への待ち焦がれがそうさせているのであろう。

 昨年の12月中旬までの異常とも思える暖冬も、年末のスマトラ沖の超ど級の地震と津波によって心冷やされた。
 年明け後、寒の入りになると陽だまりが恋しい日々が続き、暖房の効いた室内から出にくくなった。

 2月2日、午前中までちらついていた雪も3日は朝から陽が差し、道路脇の雪が溶け流れ出した。   夕方の散歩にでかける。
 春日井自然植物園の南側法面に積もった雪も融け、ツゲの木で” グリーンピア 春日井”と表示された文字が浮き上がっていました。
      

 右の写真は多目的グランドです。 薄っすらと残った雪の上に縦横、斜めに歩いた足跡が残っていました。  降り立って踏みつけてみると、もう既に夕方の寒気のためでしょうか、ザラメの結晶となりザクザク、バリバリと音を立てました。
       その脇で、椿の花が「寒くないですか」と語りかけているようでした。

                   
 
 帰ったら豆まきをするのだと思っていましたら、「今年は止めにする」という、まだ庭に雪が残っており、野鳥達が拾えないからと言う。
 
 季節の変わり目は邪気が生じ災禍をもたらすと考えたところから、それを払う鬼やらいの行事が豆まきのはずなのに、いつのまにか寒時に訪れる野鳥の餌やりの時と変化している我が家でした。





 NO.185                                                                       平成17年2月3日 記

 初雪、翌日の庭の様子でございます。

 2月2日午前中までチラチラ舞っておりました雪も午後には止み、陽も差してきましたが、気温は上がらず北側の道路はもちろんの事、屋根も、庭も、駐車場の雪も半分も融けぬままに太陽は西に沈みました。
 昨夜も冷え込みました。 
 
 日の出とともに枯れ枝に積もった雪が時折パラッと舞い落ちています。
 雀、ヒヨドリ、ムクドリが餌を求めてえさ箱にやってきました。 ヒヨドリに追われながらも番のメジロがリンゴを刺した枝に止まってしきりに朝食の時間です。
 何枚か挑戦しましたが、思うような写真は一枚も撮れませんでした。

    

 お隣の屋上に上らせていたいただきました。  私の書斎からも同じ景色が眺められるのですが、手摺りなどの邪魔が画面に入らずに撮影できますし、盆栽職人のおじさんが世話をしている盆栽が屋上一杯に並んでいますので、見学させていただきました。   右の写真は咲き始めた梅を梅林に見立てて撮影してみました。

   
      ロウバイ           梅の盆栽            沈丁花

 今が盛りのロウバイも昨日はスッポリ雪に包まれていました。 今朝は顔をだしましたが、寒さで身を寄せ合って居るようでした。

 梅の盆栽は良くお越しくださいましたと挨拶しているように思いました。

 沈丁花はボツボツ私の出番だとばかりに雪のコートに身を包み、輝いております。

        
         
      雪柳の葉に積もった雪です。   シデコブシの花芽に負んぶしている

 今日の午後には「サヨナラ」も言わずに、皆消えてしまうことでしょう。
 今日は節分、庭に向かって「元気でいるか」と豆を蒔こうと思っています。
               




 NO.184                                                                       平成17年2月2日 記

 寒気団が運んできました。 初雪です。

 地震災害にあった新潟・中越地方の方には申し訳ないのですが、どこかで待っていた雪。 寒気団が運んできてくれました。
 1月31日の朝、チラッと薄化粧をしただけでしたが、昨夜からは本格的な雪となり、一夜明けると一面の銀世界に変化していました。
 名古屋気象台は名古屋市内で8cmの積雪と報道していましたが、春日井の東部、しかも高蔵寺ニュータウンの一番高いところの我が家の周辺は内津峠を超えると岐阜県・多治見市との県境で積雪量が一段と多いのです。
 国道19号線に降りてしまえば、今回も積雪は12〜3cmぐらいだろうと思いますが、
 我が家の庭では間違いなく20cmを超えておりました。
 
 前の家の奥さんが雪だるまをせっせと作っておられました。 子供らが帰ってくるまで十分に融けずに残っているほどの大きさでした。
 それを横目にみながら、我が家の庭〜植物園〜築水池〜岩船神社と廻ってきました。 いつもは1時間のところが、2時間弱かかりました。
 写真撮影をしている事もありますが、積雪で歩くのが大変でした。
 踵から下ろして、つま先で蹴るように歩くのですが普通です。 ところが踵で踏み込んで沈んだ雪の高さより、つま先のところに重なった雪のほうが高くなります。 それが邪魔して、まるで一歩一歩が坂道を歩いている状態です。
 初めは新雪のところばかりを歩いていたのですが、途中からは先発で歩かれた方の足跡をなぞるように重ね歩きをしました。
 
 帰ってきた時はシッカリと額に汗が滲んでいました。
 一時止んでいた雪が又再び、舞い始め、道樹山、大谷山が隠れてしまいそうです。

   
  庭の松を見上げて       植物園の中で   我が家の木々を道路から

         
        植物園内・大久保池            植物園内・大谷池

   
    




 NO.183                                                                       平成17年1月30日 記

 今、室内で咲いている花を紹介します

 観葉植物は玄関の正面に固まっておいてあります。 寒い時には室温4〜5度ぐらいでしょうか。 それに比べて花の咲く、デンドロデユームやランは厚遇されてリビングに置いたいますので、特に日中は20度前後の温度の中で花を咲かすということになります。
 今から紹介する花だけでなく、咲き終わったもの、数年前までは咲いていたものなどで、狭い部屋は大変です。

     
  デンドロデユーム−1    デンドロデユーム−2     ラン・セルジオ

              

  左の花の名前は分かりません。 忘れました。
  右は花ではありません、白いところは苔を巻いておいたらカビでしょうか?

   以上を戸外に出して撮影しましたので、再々度どころか4度目の登場となるのが
 「素ロウバイ」です。 白梅が咲くまではこの花が庭で様々な角度からたのしませてくれます。 香も一杯です。
  
          

 




 NO.182                                                                       平成17年1月29日 記

 植物園  ”梅園の紅梅”

 このところ散歩に出掛ける時は必ずデジカメを持参しています。
 自宅から4軒下のN家の庭に紅梅が咲いていました。  挨拶も出ずに入り込むわけにも行かないので、そのまま通りすごしましたが、「そうだ、春日井植物園の梅園があることを思い出して、植物園の門をくぐった。
 この日の名古屋の最高気温は14.3?度かで、3月下旬の気温とか報道していました。
 梅園と言っても500坪ほどの広さである。 元々は農家の管理しているところでしたが、春日井市が植物園の整備の時に買い増したところで、梅の実を採取するための木は数本はありました。 そこに新たに数種の梅ノ木を移植して梅園と名付けたところです。    紅梅が咲いていました。

    
   八重寒梅           大盃              鹿児島紅梅

 中と右の写真は急に雲で陽ざしが遮られたため、強制発光したために白くなってしまいました。 その上に硫黄系の消毒がなされていたためもあります。
 梅園を離れて散策道路を歩いていましたら、盛りを半分ほど過ぎた紅梅の木に出会いました。 

                
 どの角度が良いかとグルグル木の周りでアングルを探しあぐねていました。
 知らぬ間に、2人方が大きなカメラに三脚を持って待っておられましたので、慌ててシャターを切り、その場を立ち去りました。
 焦点のまともなものは上のものだけでした。 時間をかけたのに大したアングルではありません。    いや、見とれてしまっていました。


 NO.181                                                                          平成17年1月28日 記

 「住む世界が違うから」の日記から
                 1年が経過して

 【10年日記】を付けている。 平凡な毎日の事、特になにも書くことはないが、朝起き掛けのストレッチはしたか、掃除はしたか、神棚への礼拝はしたか、そして夕刻の散歩はどのくらいの時間歩いたかなどの記録は毎日つけられている。
 
 2004年1月30日付けに目がとまった。 そこには「住む世界が違うから」と書かれている。 5行では書ききれずに、別項に書いてあるのを読み直してみました。
 『今、午後11時半。 こんな時間に起きているなどというのは年に数回あるかなしかである。 床に入る前「住む世界が違うから」という言葉を背に受けての事だったのだろうか?   この言葉を聴いた時、驚きもショックもなかった。 逆にやはりそうか彼女もそのように思っていたかとこころ安まる気にさえなった。
 床に入る前、知人に送ったメールにこんな事を書き送ったからであろうか。
 <入院中、流動食になったころ、パンと菓子を買ってきて、私の前でパクパクと食べだした。 気を許し安心しているからの行動とも思ったが、やはり我慢できずに「帰ってくれ」と口に出した。>
 別にその時は大きな起点となったなどとは思わなかったが、こうして記憶しているところを見ると、エポックになって居たのかもしれない。

 同じ屋根の下で暮らすようになって35年、時間の経過と共にどこかチグハグになっている事がハッキリしてきている。
 お互いに相手の機嫌をとったり、生活態度を変更する気持ちはないように思える。
 なのに、どうして同じ屋根の下でくらしているんだろうか? 経済だけの事であろうか? 映画、テレビで見るアメリカの夫婦ならばもうとっくに離婚している事だろう。
 食事と洗濯のための家政婦でもあるまいに・・・・
 預金通帳には常に一定額の金額が記載されている。 使い道をとやかく言われることもない。 今の時代それだけでも不満を言ってはいけないと言う物でもなかろうが・・・

 人間生れ落ちた時も一人、死んで行く時も一人。 これから体力が弱まり、互いに助け合って生きていかなければ成らない時に、互いの心のあり様はそれぞれ別のところにある。
 体力の低下が精神力の弱まりとなって、打算的に互いに援助を求めての妥協となってゆくのだろうか? 
 それともこの溝は深まって、流れが河口に向かって下るに従い、更に左岸・右岸に離れて行くのであろうか? その川には鮎の俎上の可能性はあるのであろうか?
 大変興味のあるところである。 こんな事を言っていられる間が華なのであろうか?
 柱と時計が12時を打った。
 シンデレラ姫ではないが夢去らぬ前にと、際のブランデイーを飲み干し、灯りの紐を引いた。
 
 〜そして、一年が経過した。 何処にどんな変化があったのだろうか。
  相いも(変換したら、“愛も”と出た。苦笑した)変わらぬ、日々がある




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