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COLUMN 1−D 2250
平成25年6月6日・記
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犬山・農作業 6月6日
田植え前の畑仕事はやることが一杯。
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今週8・9日に田植えを予定している。 水が入らず本日代掻き。
その前に、畑の方の作業も終えなければならず、本日は手分け作業。
・代掻きで耕運機を動かしている者、田植え機の調整をする者、そして畑の作業をする者と顔を合わすこともなし。
1号地
・トウモロコシが順調、とはいえ窒素の栄養分までのこと、すると発酵リン酸はあるとKさんが言う。 有難いことこれで心配していたことが70%解消。
後の大きな課題はトウモロコシにつき物のアワノメイガの幼虫と雀、烏対策。昨年は別の畑でアライグマ(?)等に全滅にされた。
・芽出しが悪かったサトイモはこの1週間で一気に芽が吹き出した。
2号地
今週も手が回らず。 期待できない畑はどうしても足が遠のく。
3号地
・玉ねぎ・ニンニクの最終収獲を終える。
・その跡地に、丹波の黒豆の定植。
・ニンニク跡地に、果たして水菜が育つかと訝りながら定植。
・グリー・ピース、絹さやエンドウの撤収跡地に、水菜を定植。
・トンネル設置前に虫にやられナス、ピーマンの畝に補埴。
・水菜を定植と考えた大葉(シソの葉)と生姜の畝は芽出しを始めた。遅い。 オクラは芽出しせず。今少し待ってみよう。
・トマトは別々なところに4畝、70本、既に虫に食われたモノ約10本。
テント掛けを予定していたが、時間切れで次回に持ち越す。
・エナジー水散布したら、午後1時半を回っていた。
身体の手当てをして、田植えに備えなければと昼間からコールド・レーザーが活躍している。

↑元気の秘密の一つ、コールド・レーザー装置です。
COLUMN 1−D 2249
平成25年6月5日・記
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春日井・廻間(ハザマ)周辺の水田 6月5日
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このところ春日井で散歩に出かける頻度は少なくなった。

↑大谷川の堤に白い花(?)、

↑対岸の田圃は代掻きが終了している。

↑1〜2割程度の田圃はすでに終了していた。
今週末に一気に高級田植え機がエンジン音を轟かすだろう。
一気に、一息で終了してしまう田植え。
私達の犬山の田圃はやっと水は入ったようだ、明日代掻きを予定している。
心もとない中古の田植え機ではあるが、土日の田植えを予定している。
手作業よりは増しとしたものだが、昨年は最後にトラブル発生して、2畝程手植えをした。今年はどうなるか。
畑の苗、黒豆、水菜、ナス、ピーマンも待っている、忙しい一日になりそうだ。
COLUMN 1−D 2248
平成25年6月4日・記
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自家庭の小梅で梅酒造り
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陽が長くなった6月2日の夕刻、相方がしきりに背伸びして自宅の小梅の枝を手元に引き寄せていた。
当日、竹取りの疲れもあって、その時間には床についてしまった。
6月3日、久しぶりに予定のない朝を迎えた。
ポリフェノールを美味しく何時もよりワンカップ余分に頂く。
その脇で、昨夕収穫した梅が笊に大きく一盛り佳き香りを漂わせていた。
庭に出て見上げるとここ数年にない実の量である。
ゴミ捨てに行った隣の奥さんが『もったいないほど落ちていますね、カリカリ梅にしたなら美味しいでしょうね』と一声残して消えた。
街路の歩道には落下梅、見上げると成るほどの量。
一昨年、昨年と南高梅の収獲がなく、これではストックが絶えてしまうと昨年は飯田ICの「リンゴの里」で2キロ購入して、漬け込みました。
我が家の小梅、数年前にキツイ剪定をしたので実りは少なく、そのままに放置して置いた。
結果、本年の大豊作となった。私の収穫分と合わせて10キロは超えた。

それからが大変、枝の剪定、その整理、梅を洗う、干す、ホワイトリカー、ブランディー、氷砂糖の購入とおやすみなしの一日となった。

6月3日夕刻は再び疲労感に襲われて、午後の7時過ぎには床に就く。
其の夜、夢(?)を見た。2008年物からの梅酒が格納されている押入れの高棚が大きな揺れで押しつぶされ、貴重な梅酒が散乱した。

↑6月4日、陽の出と共に起きだして、準備していた材料で漬け込んだ。
一安心と同時に、昨夜の夢(?)が現実になると大変と瓶ではなくホワイトリカーやブランディーの紙パックに移し替えようかと考えているが、
何分、50〜60リットルはあろう。 パックが足りない。
一思案しなければいけない。 そんなら早めに飲んでしまおうか。
夏場に向かいポリフェノールから梅酒に切り替えるとするか。
COLUMN 1−D 2247
平成25年6月3日・記
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薔薇の花・2題
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昨日は代掻き予定日でしたが水が入らず延期。午後から支柱にする竹を採取に行きました。
5月29日に採取した所と同じ、今回は200本ほど採取するつもりでしたが、足元が悪く(急こう配約65度)、踏ん張りが利かなくなり150本で終了とする。
本日・6月3日、右腕の小手と5本の指が腫れぼったく力が入らない。
剪定鋏で切り取った為だろう。 それに右足の太股の筋肉疲労。
5月30日に5時間農作業をした、回復に3日間はかかると覚悟していたが、その後、6月1日にこれまた半腰の農作業をした。
そして、昨日と重なった。5年前より活用している体調整備・回復に相性の良いコールド・レザーを照射するも連続作業で追いつかない。
無理をすると続かない、本日より3日間は身体を休めること。

↑近所のミニ薔薇の垣根、ご夫妻のイメージと重なる雰囲気。

↑我が家に新しく設置した薔薇の棚、その裏側の真っ赤なミニ薔薇。
白木の棚に吊るした100円ショップの釣り鉢、風鈴も釣り下がっている。
たったこれだけのことですが、通りすがりの方が立ち止まっています。
COLUMN 1−D 2246
平成25年6月2日・記
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6月1日・犬山農作業
午後から名古屋・波動の会へ
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6月1・2日、田圃の代掻きを予定していたが、水が入らず延期。 昨年も同時期に計画したが水が入らずじまい。
木曽川から導入されるこの周辺の田植えは北側から水が送りこまれるので、南側は常にこのような状況になるとこれで2年教えられた。
来年は1週間遅らせて計画すべきと記憶にとどめよう。
代掻きは出来ないことは分かっていたが、気持ちは乗っていたので、一人作業になることを承知で出掛ける。
3号地
心配していたナス、ししとう、ピーマンの幼苗が虫に食われていた。持参した補埴用の苗では不足したが、トンネル掛けをした。
次週、更に補埴をする予定であるが、数が不足しそうである。
カボチャ、這いキュウリに稲藁を敷き詰める。
トンネルを押し上げるほどに成長しているトマトに、5月29日採取してきた竹で支柱を施す。
来週にはビニールテントを張る予定ですが、100本近くあるので半分しかテントの用意はしていない。 あるモノないモノの差を知ることとなろう。
それにしても、このままトマトが順調に成長し収獲出来るようになると、どうなることだろう。
玉ねぎ(極小から中玉)の最終収獲のサインが出ているし、ニンニクはその前から黄信号が点滅している。
グリーンピース、絹さやエンドウも種取りの信号が出ている、来週は平日にそれらを済ませて、8・9日は田植えを予定。(代掻きはその間に他のメンバー実施予定)
1号地
檜バーク堆肥をタップリ施した、サツマイモ、トウモロコシ、等が順調に成長している。
芽出しをしたサトイモの定植は順調に葉を伸ばし始めたが、直接埋め込んだ親芋からはやっと芽が出始めた。来期は芽出し後の定植に切り替えるか?
手帳を開くと5月17日からほとんど休みなく身体を動かしている。
6月1日も筋肉疲労を感じながらの作業でした。
早めに作業を終えて名古屋・波動の会に参加。 その間に御酒の酔いと疲労も重なって椅子で眠り込んでしまった。
このところ筋肉疲労の回復に時間がかかることを認識させられている。
と言いながら、本日は2度目の支柱様の竹取りに行く予定です。
200本は必要と計算しています。沢の急斜面で足を踏ん張り一本・一本切り取り、急斜面から道路まで引き上げる作業は大変です。
適当な長さに切り揃えて、車に積んで帰る時は、待っている野菜君の支柱になるかと思うと嬉しさがこみ上げてきます。
COLUMN 1−D 2245
平成25年5月31日・記
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本日は日曜大工
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昔から、梅雨の季節の晴れの日は好きな天候でした。
昨日犬山で苗の植え付け後、雨が降らなかった場合を想定し、水遣りを実施してきたが正解であった。
本日はペンキの塗りだけは済ませていた、門を覆いかぶさっているバラの花の棚を組み立てることとなった。

↑白木の部分のだけの作業であす俄か日曜大工さん苦労しました。
寸法間違いはするは、ドリルドライバーの調子が悪くホームセンターのレンタルに走るなど実際の作業時間よりも其の他に時間を要しました。

↑本年4月26日に掲載しました、黄色のバラの門
門より数十センチ高くしましたので、来年は一層見栄えがすることでしょう。
COLUMN 1−D 2244
平成25年5月30日・記
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犬山・農作業、5月30日
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梅雨入り後初めての農作業となります。
午前中は雨模様との予報でしたが決行、午前7時にはシトシト雨も止み作業を開始する。
グリーンピース、絹さやエンドウは既に種取り段階の状態になっていた。

↑トマトの雨よけシートを設置
同僚がこの作業を初めてということから、少し早いが実施した。
台風が来ても良いようにと支柱の補強をして実施したが、果たして・・?

↑自宅で育てた第2弾の枝豆(大豆)、玉ねぎ7割がた収穫終了、その跡地に枝豆を定植しました。1週間定植時期がずれヒョロヒョロ
4月11日に第1弾を定植しているが、ここにきて力強い成長。

↑ナスの定植
5月19日定植のししとうに続いて、遅れているナス、ピーマンの定植を実施。 自宅で養育していた苗、気温上がらず遅い。
玉ねぎは来週にでも最終の収獲、ほとんどが小玉、倉庫の軒下にぶら提げ始めた。
ニンニク、本日も隣のおばさんに数株提供。 来週には最終収穫をしなければならない状況。
結局、オクラ、大葉の発芽はなし。
ホウレンソウもダメ、小松菜さえ出来悪しと言うよりほとんど収獲なし。
漬けものしたら美味しかった「あずま金町かぶ」超小粒から市販並み(5%程)の大きさまでの収獲を終了する。
1号畑
車で通り過ぎる時点検、トウモロコシは順調、サトイモの芽出しの点検できず。
前日、田圃に稲藁堆肥の散布が終了しており、畑に作業集中。
COLUMN 1−D 2243
平成25年5月29日・記
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夏野菜用・支柱の竹取りへ
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暑さが増し、雨が降るから植物の成長は早い。
やっと、成長の遅かったナス、ピーマンも定植して良い背丈となった。
数日前にJAで支柱を購入してきましたが、畑グループとして本年概算予算を建てた金額をオーバーしてしまった。
本年投資しておけば数年は減価償却内のこととはいえ、何分予算不足の農楽倶楽部のこと気になっていました。
今後、トマトの支柱、成長してきた第1弾の枝豆用、そして明日定植するナス等を計算するとどう見ても不足することは間違いない。
そこで、竹取りに出かけることとしました。
何時もの散歩道にあるだろうと出掛けてみると全く当て外れ、日頃の観察力の乏しいことを自覚・反省する。
記憶を頼りに3カ所出向くが全く見当たらず、2週間前JAで中国産の支柱用の竹を購入していたら、『内津峠(家の近くの山)に行けば、簡単に採取できる』と言われたことを想い出し、車を進める。
とはいえ、簡単には見つからず。 大回りして沢の土手にそれらしき群生を発見。 運よく駐車スペースもあり、ガードレールを跨ぎ、土手の藪の中に入る。
1時間弱で約100本強の竹の採取を終える。
帰宅後、明日持参する購入済みの支柱と合わせて、自家用車になんとか積み込む。
ナス、枝豆第2弾、そしてピーマンも車に乗せる。
梅雨の走りの雨も明日はなんとか成りそうな予報。
資材も揃い、気分良く明日は出発できそうだ。
COLUMN 1−D 2242
平成25年5月28日・記
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東海地方も本日梅雨入りか?
〜ナデシコが咲き、紫陽花が出を待っています〜
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「なでしこジャパン」と称する女子日本代表のサッカーチームの活躍で、一躍有名になった「ナデシコ」が庭の隅に楚々と咲きました・

↑目に直接感じるナデシコの花の色が写真では異なります。
そこで、色を赤寄りに補色して見ましたが、まだ一致しません。

↑この写真は補色していません。赤色のナデシコは目に映る色とほぼ同じですが、左のナデシコはトップの写真と同じナデシコです。
薄紫のナデシコですが、写真になるとその感じが出ません。
庭の中にある地植えと鉢植えを加えて紫陽花が10種ほどあります。
日に日に花芽が盛り上がるように開いてきました。↓


時間の経過とともに、本日の午後からパラリと落ちてきそうです。
一気に、咲き揃うのでしょうか。
5月25,26日と遠山郷に定植した苗が水を欲しがっている頃です、今日あたり一雨あると最高です。
COLUMN 1−D 2241
平成25年5月27日・記
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5月25〜26日、遠山藤原学校
〜「森林鉄道復活」また一つ楽しみが増えました〜
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5月24日から遠路沖縄から遠山に来られた方々、5月25日より参加者を迎えて5月25日夕刻より歓迎懇親会。

↑ほとんど出席していますが、初めての立食で行われました。
初めから和気あいあい、笑い声が聞こえてきました。

↑、道の駅「ゆ〜楽」の天井が高い木造建物での乾杯で始まり、
緑の芝生を眺めながらのガーデンへと今回は変化あり。

↑遠山藤原学校のスタッフで構成される「遠山バンド」が鳴り始めると、手拍子を交えた沖縄民謡パレードです。
その後、二次会は当然のコースだったのでしょうが、早々と床に就く。
5月26日

↑5月25日から遠山藤原学校のスタッフは、旧木沢小学校の裏にある「藤原観光農園」で作業が進められていました。
今年から常時在住するスタッフが居なくなったために、常時収獲するモノは敬遠し、かつて遠山郷でも栽培されていただろう雑穀類の苗を育てました.(稗、粟,タカキビ等)
スタッフの一人がピンセットで一粒・一粒拾って植え込んだ苗が2000本。
さて、どれほど植え込みが出来るか心配でしたが、スタッフの参加多く26日の午前中に作業を終えました

↑その作業中に参加者は森林体験の為に農園の倉庫にしまってある長靴にはき替え、同時に農園を見学されました。
丁度、今年は茶摘みが1週間ほど遅くなており、畑の向うでは地元の方々の茶摘みが行われていました。

↑糞尿を複合発酵して全く臭いもなくなり、名前も「エナジー水」と代わって、畑に散布されています。
畑の向こうに、昔小嵐神社に向かう参道が有り、鳥居が見えます。
歩くと1時間半は優に掛かり、今は軽トラックで登ってしまいます。
森林体験の写真は参加しませんでしたのでありません。

↑昼食は昔「森林鉄道の停車場」であった、「梨元ていしゃば」です。
そこでは地森林鉄道を復活させようと長年取り組んで来られた地元の方々が、遂に昨年末、機関車、そしてエンジンを修理して走らせました。
なお、地元の方のみでなく全国から森林鉄道を愛する人々も参加されています。会員費は年間2000円です。

↑今月、連結する客車が出来上がり、参加者に試乗していただきました。

↑今は50メートル程の距離ですが、切り替えポイントもあり、今後路線を伸ばし、一周200メートル(?)で周遊できるようにと計画しています。
、今はブルーシートで雨よけしていますが、倉庫を新設する計画もあるうです。
私も遠山に出入りして7年目になりますが、当時から「森林鉄道の復活」話は持ち上がっていました。
時間は要していますが、全て手弁当、手作り復活の作業が確実に進行しています。
何もないと嘆いていた限界集落遠山郷・木沢地区ですが、地区活性化協議会の方々の弛みない研鑽の結果「旧木沢小学校」は飯田市の支援も受け確実にその存在感を増しています。
そして、森林鉄道が加わりました、昨年末から今年の春のかけ、「猫校長=たかねちゃんの人気にあやかり「猫の写真コンクール」も開催されました。
今年もこの時期から夏場、そして秋の紅葉とこの地を訪れる方々で賑わうことでしょう。
日本のみならず世界の情勢は刻々と進化発展しています、坐して待つのではなく、手を携えて行動を起こすことの重要さを学び・教えられました。
COLUMN 1−D 2240
平成25年5月24日・記
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豊根村・茶臼山・国民休暇村にて・5月22~23日
〜豊根黒川小学校(豊根中学)同窓会〜
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茶臼山・休暇村の朝の散歩

↑2頭のオス・メスのヤギがのんびりと(休暇村前)

↑休暇村の隣のバンガロー、8軒に内2軒が利用されていた。

↑↓シャクナゲが朝日を浴びて


↑5月上旬から夏一杯乳牛が放牧されます

↑一歩きして宿に戻ると、子ツバメが顔を出しました。
天空の花回廊 「芝桜の丘」

↑スキーシーズンも使用するリフトで登ります。↓



↑案内者は同級生で元村長。 この回廊を発想し、推進責任者でしたから案内は完璧です。色々な見聞をお聞かせいただきました。
確か6年前に5年計画で1億数千前の予算でスタートした。
3年目が一番ジューウタンの如くに素晴らしかったと言う。
2年前に芝の病気等で一気に荒れ地となてしまったという。

↑一番メインのところは張り替えたと言うが、このようなところもある。

↑3年目が一番良い状態になろうから、さ来年に着たらよいと教えられた。
1415メートルの高原のことと1枚ジャンパーを持参したが、その必要もなかった。
23名が参加したが、今月に入って亡くなられた方も居られた。参加できない方の短い便りがまとめられていたが、ご自分や奥様の体調が悪いと言って欠席通知になっておられた方が多かった。
参加した者もその会話の内容は、何処が痛いの、痒いのと、古希を過ぎた者たちの集まりらしい内容であった。
が、中には2年前より肌の色つやが回復したものもあり、日頃に健康維持に努力することの重要さを教えられました。
COLUMN 1−D 2239
平成25年5月22日・記
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昨日は「小満」(万物成長し陽気満つる頃)
〜我が家の庭では,これで群生と言います〜
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名古屋では昨日最高気温が真夏日近くまで上昇。
気温の上昇と共に、万物成長し、陽気満つる頃となりました。
大嫌いな蚊も近寄ってきます。蚊取り線香を腰にぶら下げています。

↑再度「沖縄月見草」です。 我が家の庭ではこの程度で群生と言います

↑その隣でも負けじとシランが咲き揃い、赤色はツボザンゲと言うそうです
一昨日「蛍草」の白色を掲載しましたが、ミズクサも咲き始めました↓。

梅雨間近を感じさせます。
本日は豊橋経由、茶臼山休暇村にて小学校の同窓会です。
小学校と書きましたが、私は豊根村に小学校までしか在籍しなかった為です。 他の方々は中学時代の同窓会でもあります。
1998年から中学校から村外の学校に移籍した人たちも参加するようになりました。
15年前の記念写真と、3年前の2010年前の記念写真を見比べていますと、気分は変わらないでしょうが、容姿変化は隠せません。
さて、それから3年、古希を過ぎた面々はどのように登場するのでしょうか。
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