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 COLUMN 1−D 2290

                          平成25年7月29日・記

    7月の「遠山藤原学校」    7月28~29日

       〜藤原直哉先生の講演から〜



  今回も学習グループには参加しなかったので状況分からず。

 ただ、29日は中央構造線が造りだした大鹿村の安康の露頭と「しらそび高原」を廻り、隕石クレーターの見学に行かれたと聞く。

 また、28日には旧木沢小学校で行われた藤原先生の「遠山郷から考える日本と世界の未来」の講演が行われた。

 以下の文責は加藤です。 (中部大学でも、講義を可能な限り活字化しています。ボケ予防と思っているんですが・・。)

、『現在米国のキッシンジャー(ドイツ出身、ニクソン、フォード政権時代の国家安全保障問題担当大統領補佐官)やポーランド出身、カナダ育ち、アメリカ在住のブレンジンスキー(カーター政権時代の国家安全保障問題担当)が世界を駆け巡っている背景から解説された。

 両氏ともに過去の人であるにもかかわら、彼らが駈け廻らなければならない背景には彼らの人脈しか現在の国を越えて信頼して話し合える関係がなくなった事を示すと。

 彼らが活躍した1960年代末の産油国を仲介した日本と米国の関係、すなわちモノとカネの流れ(日米)、石油とカネの流れ(産油国と日本)を通じ、金ドルの交換停止=1971年にニクソンショックに至る。

 1970年代、産油国にドルが集中。日本、アメリカ等が産油国に工場。

 その後のイラン革命、油の輸出ストップ。革命後は油輸出始まる。
 日米に購買力出来る。 米国は日本より輸入、1980年代には赤字に。


 1980年代の日米関係。

 ・1980年代日本の貿易黒字で資金は貯まる。そこで米国は証券、債権国債等を日本で販売しドルの回収、米国はモノで負け、証券で取り戻す。

 1990年代に入り、世界の工場としての中国の台頭。米国は証券市場が整備されていない中国では日本の時とは異なり直接投資をした。

 中国は自腹で持って工場を建設したのではなく、インフラの整備からソフトウエアに至るまで米国の証券会社を通じた投資に頼った。

 このシステムは新興国国家と言われる、インド、ブラジル、アルゼンチン、中米、ロシアも同様で、金を通じてそれらの国をコントロールした。

 それを可能にしたのは米国に戻ってきた金をデリバティィブによって1の金を100倍にも膨らませて投資をしつづけたことによる。

 一斉に世界中に工場を作った、また米国内にも工場を建設したが供給過剰でリータンなしとなる。

、2007年に証券=サブプライムローン債権がゼロとなる。金融j機関は引き剥がしの行動をとり流動性がなくなる=リーマンショック。

 2007年ノリーマンショックまではアメリカの天下。1980年代日本で成功したことを1990年代は新興国で実施した。


 が、結果は、1971年の状態に戻ることとなる。

 この20年間は投資ブームで世界を動かしてきた。
 アメリカから日本、中国に金が流れた。

 ファンドで持ってかろうじて日本から米国に還流したが、それも衰退。
 アメリカ5大証券も行き詰まり、金融と証券の分離、バーナンキ総裁は金融緩和策も取りやめとも言い出した。

 日本のアベノミックスも今後円高ドル安となり、米国には金は戻らない。

 中国は国分裂の危機にある。

 本物の世界大恐慌となろう。

 日本も昭和40年代から(福田内閣から田中角栄そしてその後も)錬金術(国債発行)、で得た金を政官財に合法的に金がばらまいてきた。

 民主党の政権が誕生したが、錬金術で得た金の行き先が代わっただけの45年間であった。

 錬金術を使わない国家運営の時となった。政府には金がない。江戸幕府の末期と同じ。

 半年から1年が勝負の時、金がない現実を受け入れ、世界が回ることを考えなければならない。

 腰が抜けて、立ち上がれないことのないように心得ることが寛容なり。


 COLUMN 1−D 2289

                          平成25年7月26日・記

     夏から秋への野菜栽培の計画修正



 今夏、トマト、ナスの夏野菜は間違いないだろうとタカを括っていたら、大間違いの結果となった。

 トマトは殆ど全滅、ナスも収穫は始まったが、あれほど元気に育ってきた苗に力がなくなり、水遣りだけは怠りなく実施し見守っている。

 地這キュウリは予想した以上の長持ちで、週に2回大きくなりすぎたモノを持ち帰っている。


 今週、遠山郷から帰ってくると自宅の庭で育っている夏キャベツの3種が定植の時期に入っている。 

 定植後、順調に育ってくれればよいが、昨年のことと今年の状況を考慮して、再度予備の苗づくりをしようと紙上計画しました。

 畑3号地は浅い畑で、高畝にしようにも苦労しています。 大根類はこれまでらしい大根は40点くらいです。

 こちらも、2度蒔き、3度蒔きを覚悟してかかろうと思っています。

 昨日から当地方は午後になると強烈な雷雨に見舞われています。

 水遣りの心配はないですが、トンネルが押しつぶされないだろうかと心配です。

    明日からは遠山郷、適度なお湿りを期待しています。



 COLUMN 1−D 2288

                          平成25年7月25日・記

      7月25日、犬山農作業日記



   未明、AM3時ごろ雨脚の音を聞き、窓ガラスの点検をする。

 1号地

 
トウモロコシの第2弾の定植。

         

   ↑Sさんがバファッローの背と呼ぶ、檜バーク堆肥に囲まれた苗↓

         

 ↑数時間前の雨で畝は濡れているし、マルチで堆肥敷き詰めてあるが、やはり水が欲しい。 ところが現在田圃は中干しで通路に水なし。

 その後、グッドタイミングでKさんが300Lタンクでエナジー水散布。

 2号地

 
兎に角、北の島のみでも草刈をしようと挑戦。

         

 ↑7月10日の状態。 なんとか終える。 草の下から大根とカブが有ったとSさん掘り上げる。 根菜類は強い。さて、どのような味か?興味。

 草刈までで、2号地は切り上げ。

 3号地

 朝一番で水菜の定植40鉢。 7月18日の定植分は7月23日の水遣りで元気な姿を見せてくれた。 新たに40鉢を追加定植。

 その後、1号地と3号地の作業を終えて再び3号地へ

 しなければと計画していたが、先延ばしになっていた枝豆(大豆)と丹波の黒豆の支柱への縛り付け。

 50センチ以上に成長しており20%は根元から曲がっている、その後、上方に成長するも枝ぶりは悪く、作業はてこずる。

    が、40%は差し込んだ支柱に沿って成長してくれていた。

 この北の島は昨年赤い花の弦草に覆われて放置してしまったところ。

 その草が絡みつき始めており、時間的にはイッパイイッパの時だった。

 作業開始から5時間経過しており、『この辺で止めましょう」と言うと、Sさん『切りの良いところまでやりましょう』との一言で、その後1時間。

 花も咲いており、枝豆が口に入るのは何時か。 4月11日に定植しているのだから、もう収穫時期になっても良いと思うが、品種が晩生か?

 来年は早生の種を購入してみよう。 今の種は実取りで5年目の種。
 早めに定植したが、元は元の地が出る。 なるほど、実感。(独り言)


 COLUMN 1−D 2287

                          平成25年7月24日・記

      7月24日、気持ちの良い雨降り



    7月22、23日と連続して猛暑日となった名古屋の気温。

 豊橋でも(普段は名古屋より2,3度ほど低い)23日・最高気温が35・7度(名古屋36・9度)となり、夜間に入っても気温が下がらず、熱帯夜となった。

 熱気が上がってゆく2階で寝る事諦めて、籐の長椅子で一夜を過ごす。

            

 初めは気持ち良かったが、寝返りを打つことが出来ず深夜に目覚める。

        

   温度計を調べると室内で、真夜中でも29・5度を下まらなかった。

     豊橋では24日午前8時半ごろよりぱらつきはじめた。
 待っていた雨、気持ち良かったと同時に、犬山の野菜たちも喜んでいることだろう。

 明日は再び気温が上がるようだが、残りの水菜40鉢と、トウモロコシの第2弾40鉢を定植する予定。果たして結果が出るのだろうか。

 東北地方は豪雨の被害が出ているようだ、単純に喜んでいられない。
 

 COLUMN 1−D 2286

                          平成25年7月23日・記

         犬山・水遣りに走る



 7月23日未明、7月21日に定植した水菜が水を欲しいと呼ばれて起こされた。
 7月22日の名古屋の最高気温は35度度を越えた猛暑日、本日も36度を超えると報道されている。

 豊橋に行く前に片道30分の犬山へ、ハンドルをとれば近いものです。

         

     ↑トンネの上から覗くと、少しぐったりしているのが判った。

    来て良かった、写真は水遣り後30分、少しシャンとしています。

         

   ↑となりの畝の20日大根、7月3日に蒔いたモノは発芽せず。
 上記は7月21日に、小松菜(7月7日種まき)を切り替えて種を播いた。

        

     ↑6月28日よりアチコチに蔓なしインゲンを播いてきたが、発芽率は20〜30%、、上記は7月21日種まき、発芽率90%なり。

        

    ↑6月14日に今年3度目のキャベツ、17鉢定植しトンネル設置。
          7月23日、現在10個が生き残っている。

 キャベツ自体栽培したことは昨秋からのことであり、この時期のキャベツなどは初めて、期待していなかったのがここまで来ました。

 第4回目のキャベツの種まきした物は、現在自宅で育成中。↓7・20写

        

 ここまで育ってくれたのは、朝晩の水遣りの成果であろう。片道車で30分のところに嫁にやるとどうなるか、毎晩起こされることになるのだろうか?


 COLUMN 1−D 2285

                          平成25年7月22日・記

         知人からメールが届く

      〜参議院選挙速報・報道の日に〜



 昨夜は8時ジャストの選挙速報をチラッと見てから直ぐ眠りに入った。

   その後、知人からメールがあったが、今昼すぎまで知らなかった。

 何時もよりは遅い新聞配達のバイクの音を合図に起きだし新聞を手にする。 昨夜8時の予測そのままの結果内容が大きな活字で記載されていた。


 ところで、知人のメールの内容は『このところ、政治・経済・社会欄への記述がないがどうした。 年金暮らしでなんとかなるとへそ曲がりの精神は消え失せたのか』と。

 確かにへそ曲がりで、天邪鬼の精神は持ち合わせており、こう言えば、ああ~言う。ああ~言えば、こう答えると言う性格であることは自認しています。

 が、このところと言うか4年前に「どうのこうのと言っても、少しぐらいの行動を起こしても、この国は・社会は変わらない」とある種の見切りをつけた。

 それでも勉強だけはしなければとマスメディアのタイトルは追っかけているし、インターネットでこの人の意見はと言うところにはアンテナを張っているつもりです。

 様々な意見・提案・批評を目にすることはできるが、そうだこれだと腰を上げるまでには至っていない。

 結論は”MORE&MOREの物と金への執着の社会システムの基では、行くところまで行かないと変革はできない、真の崩壊と創造は起こらない”。

 どこぞこの国でクーデターが起ころうが、「・・の春」が発生しようが、既得権益を持った先を行く国、組織(私企業も・公・官僚社会も)が、自己保身のあらゆる策を講じる、其の結果更にどうしようもなくなるのだが・・・

 
 それは天の意思に反する行為であるのだが,天もここまで来ると、ただ眺めて其の時の来るのを待つしかないのではないかと考え・感じたのです。

 組織のリーダー、政治指導者の崇高な理念と行動力で持って、社会が変革するとは思えない、あるとすれば中間層の存在が怪しくなり、崩壊すると共に、行き詰まった民衆の蜂起によってことは起こるのではないだろうか。

 新しい時代は目に見えないところで、着実に試行錯誤の中から創造と建設が既に始まっているのではないかとその兆候を感じています。

 その芽は吹き出してくる種の前夜、今まさに地中・トンネルを通過しているのではないかとの振動を感じています。

 このところ何時も言い聞かすことですが、健康に留意して一つでも若い人々の足手まといにならないように精神と肉体の両面を鍛錬していたい。

 
 Aさん、この程度のことしか感じ・考えていないのですよ。

     お互いに、気を引き締めてユルリと参りましょう。

  

 COLUMN 1−D 2284

                          平成25年7月21日・記

     7月21日・犬山・農作業日記・カメラ不携帯



   本日は参議院選挙に日。 帰宅後に投票に行った。

 1号畑

 トウモロコシの撤去をする。 来週に第2弾の定植を予定。 果たして、連作で収穫まで持っていけるのか? これも実験。

 草刈後、本日はボカシのみ散布。次週は定植後檜バーク堆肥を敷く。

 サトイモの根元の草抜きをする、これで夏を過ごせることだろう。

 2号地

 
Mさんに北の島の草刈を実行していただいた。 Sさんが挑戦しましょうと言っていたことの条件の一つはクリアーした。 

 側に檜バーク堆肥もあることだし、北の島・東側に秋ジャガイモをやるか。
 今春は西側にメークイーンを植え込んだ。 収量は30点。

 3号地

 
南の島−2の西側のナスの様子がオカシイ。 思いつく手当てをしたが果たしてどうなることだろう。 あんなに立派な根元と茎なのに・・・。

 種袋に3月〜10月までOKとあったので、春菊を播いてみたが、案の定発芽せず。

 水菜本日40鉢定植、来週40鉢を追加定植の予定。

 南の島ー2と中央の島の畝整備、前回整備のバッファローの背を除き、8畝ボカシを散布する。 大根・白菜を予定しているが種蒔きまでにもう一度、手を入れる必要あり。

 北の島の数少ないキャベツが順調に育っている。 トンネルを外し中の草取りをする。 直ぐにモンシロチョウが飛来、慌ててトンネを再設置。

 枝豆(大豆)は丹波の黒豆も含め順調、ただ葉の茂りは良いが花の咲き具合が少ないのではないかと気をもんでいる。

 ピーマンは成長悪い(昨年同様)、”ししとう”の成長も悪いが、それでも本日初収獲。食味後、どのようは反応があるか楽しみ。




 COLUMN 1−D 2283

                          平成25年7月20日・記

      久しぶりの散歩(7月19日・夕刻)

     〜蝉はクマゼミでした〜(7月20日朝)



 7月19日、17日ぶり(7月2日以来)に何時ものコースを散歩しました。

 この間、気温が高い中の農作業でしたので、体力回復に2〜3日かかり、散歩に出かける気力が湧きませんでした。

       

    ↑定点観測地点の一つ、宮滝大池から眺める春日3山です。

 弥勒山、大谷山を流れ下った沢の水が築水池に流れ込み、そこから廻間の田圃を潤し、この宮滝大池に注がれます。

      

  ↑宮滝大池から大谷川となり、このユリが咲いている散歩道です。

 
 話変わって

 7月2日の日記に上記の大谷川のユリの対岸の『ねむの木」を紹介しました。↓
       

      そして、其の日の朝、蝉の声を聞いたと記録しました。

 その後姿が見えず、しかも朝のうち午前10時ころまでしか蝉の声が聞けず、何時もなら「油を鍋で熱したときの跳ねる」”ジリジリ”から来ていると言う油蝉の声で暑苦しく感じる頃なのにと思っていたのですが・・。

        

     ↑今朝、撮影に成功。 図鑑で調べると「クマゼミ」です。↓

          

 
 読み進みますと、アブラセミはクマセミやミンミンセミと比べると湿度のやや高い環境を好むと言う仮説はあるそうです。

 都市化(春日井・高蔵寺は変化ないが)、ヒートランド現象で生息数が減少している原因かとも書かれていました。

 暑苦しく感じた油蝉の声が聞こえなくなると寂しいなとも思い、勝手なものです。



 COLUMN 1−D 2282

                          平成25年7月19日・記

        同じ種、苗なのに・・・

  〜昨日No2281の写真と比べてください〜



 今年のトマト作りは失敗しました。 当初はアブラムシかと考えましたが、その後水遣りの失敗と判断しました。

       同じ苗をたまり場の仲間が瑞浪で定植しました。
 
 犬山の畑で枯れている姿を見て、瑞浪では順調ですと言われていた。

 7月17日のたまり場の日に、その仲間が『もう少しで収穫と言う頃から、枯れ始めた』と報告してくれました。

 種自身に欠陥が有るのかなと考えましたが、以下のモノを見てください。

         

 ↑右の2個が同じ種、苗で、自宅の1・5坪の庭のものです。左はカゴメの多分ジュース用のトマト(これは自宅のプランターで育てました)

 右=甘太郎と言う品種のトマト、既に6個の収獲、今後も10数個は獲れそうです。

 同じ種、苗でもところによって異なった結果を生みます。 ちなみに自宅の畑は2年前から化学肥料と止めました。 (犬山も同様ですが・・)

         

 上記の写真を万華鏡に転換してみました。 綺麗に揃った種のようです。
        来年はこの失敗を生かそうと思っています。

 

 COLUMN 1−D 2281

                          平成25年7月18日・記

        7月18日 犬山・農作業日記

〜檜バーク堆肥(バッファローの背)が逞しく〜    



     7月17日は月1回の定例の「名古屋たまり場」の会。

 毎度のことながら開催時間がPM7時なので、私にとっては睡眠時間の少し前と言う時間帯。 PM9時半までガンバリ帰宅。

 乗り越して多治見、瑞浪、あるいは中津川まで行っては大変と、女房に携帯に電話する様に依頼して寝込む。

 高蔵寺終点であったこともあり、到着5分前には目が覚めた。


 さて、本日は睡眠不足ではあるが体内時計がセットされているのでAM5時には目が覚めた。

 昨夜来の時折の雨はAM9時ごろまで続く。 その後は暑い日差し。

 3号地

      

              ↑本日の3号地の収獲物。

 残念な出来栄えであったトマト、仕掛けか目障りとなる(見ていると気が重くなる)ので、一気に支柱等を取り払う。

 期待してビニールカバー架けをしていた時の気持ちとは正反対なり。

 それでも途中、休憩時に完熟のモノを頬張ると相棒が持参していた天然塩の味と相まって、汗を流した後なので「うまい!!」と口をついて出た。

 地這えキュウリは毎回順調に収穫はできる。姿・形は悪いが・・。

 ジャガイモは前回の掘り残し。

 ナスは初取り、多分次回から順調に収穫できると思う。

 カボチャは期待していなかったが、草に覆われだしたので拾い出す。
 多分、未熟児で及第点はとれないであろう。

       

   ↑相棒のSさんがバッファローの背と表現しました、畝です。

 茶色は檜バーク堆肥です。(バッファローの背・毛のようだ)。 この下に複合発酵のボカシが敷きつめられています。

 本日は草刈に追われたが、次回からはバッファロー畝が更に並ぶ。

 8月に入ると自宅で育てている苗の定植と直播の大根等が蒔かれます。

 1号畑

        

 ↑
ハレーションを起こしており、み難いですが、二番獲りというとでも言うのでしょうか、一本の茎の2個目のモノです。  歯抜けです。

 この1号地にも檜バーク堆肥が敷く詰められています。来年、いや再来年になれば檜の皮の姿は全く消え、土に同化してトウモロコの二番成りも立派に収穫が可能になるのではないかと期待しています。

 1号畑は今年は3年目、3号畑は2年目の秋に向かって準備です。

 2年目の2号畑は草に覆われたまま、本日もSさんが「挑戦しましょう」と言う。 口籠る・・・。 

 兎に角、3年は今の方式を信じて繰り返し・続けてみようと誓っていますので、今夏の暑さにも負けずに汗が流せます。

      

  
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